( 326188 ) 2025/09/21 07:18:03 0 00 19日、10月4日の自民党総裁選挙に向け出馬会見した高市早苗氏。市場の一部は「高市首相」を期待するが……(写真:つのだよしお/アフロ)
自民党総裁選挙(10月4日)である。
大事なことは以下の6つだ。
■「高市氏の勝利は100%ない」と言える4つの理由
まず第1に、高市早苗氏の勝利は100%ない。市場の関心は、「高市氏かそれ以外か」がすべてのようだ。金融政策、財政政策が、高市氏の場合だけ大きく異なると予想されるからだ。しかし、その可能性はゼロだ。
理由は以下の4つだ。
1:仲間の多くが、前回の総裁選後の2回の選挙で多く落選している。
2:高市氏では、連立を組む相手がない。参政党は連立に入ることはないし、入ったとしても、衆議院は3人しか議員がいないから、まったく足りない。「有志の会」の4人よりも少ない。
3:高市氏なら、参政党に流れた保守票を取り返せると素人は思っているようだが、まったく逆である。参政党に流れた票は、誰が総裁になっても決して取り返せないし、高市氏であれば、むしろ参政党と主張が同じになり、同じなら、高市氏にする理由はない。
現首相の石破茂氏が左すぎて、参議院選挙で、参政党に振れた票はある。この票は、次の衆議院選挙で戻ってくるだろうが、第一に、その戻ってくる票の数自体は多くない。第二に、、むしろ高市氏でなく穏健な中道が総裁になった方が戻ってきやすい。つまり、高市氏の場合、いちばん票が減る。
4:最も重要なのは、安倍晋三元首相は良くも悪くも特殊で特別で例外だった、ということだ。安倍陣営は、そもそも政治に無関心だったネットの流動的な群衆を政治、選挙に向かわせるのに成功した。しかし、彼らは「アベノミクス、リフレ政策」により動員されたのち、その後は、自民党という組織政党に戻ってくることはない流動の民であり、群衆である。
現状は参政党に群がっているが、次は別の群がる対象を見つけ、その次には、政治に飽きてしまうだろう。政治に関する組織としての機能を一応持っている政党(参政党は、本質的には政治とは別物の組織)には戻ってこないだろう。国民民主にももちろん来ないのであり、自民にはまかり間違っても来ない。だから、高市氏で、これらの群衆浮動票を取り戻すことは何があっても不可能だ。
■衆議院の解散総選挙はない
6つの重要論点の2番目となるのは、衆議院の解散総選挙はない、ということだ。自民党が合理的な意思決定をするなら、ない。
なぜなら、選挙をすれば自民党は大きく議席を減らすことが確実だからだ。それは、誰が総裁になっても変わらない。自民党が票を減らした理由は「首相が誰か」という問題と無関係であり、今、人々は、あらゆる昔ながらの権威が嫌いだからであり、それらを批判、壊すことに快楽を見出しているからだ。
これは、第1の点の中の4番目に述べたこととつながっている。今後、あらゆる既成の組織、政党からの票の流出は進むだろう。
立憲民主党、日本維新の会はもちろんのこと、国民民主党も党首の玉木雄一郎氏を主体とする個人的組織から、普通の組織になるにしたがって、勢いを失い、また、連立交渉や政策協議でほかの政党と協議する姿が報道され、既存の秩序に組み込まれていく様がさらされるることで、浮動群衆は、白けた気持ちになり、冷めてしまうだろう。しかし、徹底的に秩序の外にいる戦法をとろうとしても、その点では参政党に敵わないから、そのポジションも無理だろう。
したがって、国民民主党は、秩序に組み込まれ、現実の政治にまみれた姿を見せる前に、早くもう一回選挙をしておきたいから、解散を歓迎するだろうが、そのほかの既成政党は、すべて反対するだろう。したがって、自民党が解散に打って出るのは自爆だし、野党も内閣不信任決議案も提出しないだろう。国民民主党は単独では出せない(衆議院で51議席必要。だから、玉木党首は、次の衆議院選での目標議席を51にしている)。解散になるのは、自民党が愚かにも自爆に踏み切る場合だけだ。
■「フルスペック総裁選が自爆行為」であるワケ
第3に、自民党はフルスペックの総裁選を選んだが、これは自爆行為だ。1年前の総裁選と違って、総裁選に関する報道、討論会などの中継、これらがメディアで流されるたびに、自民党の支持率は落ちていく。
なぜなら、自民党の内部の話を聞くのは、もううんざりだからだ。選挙というお祭り以外、自分たちが参加できるイベント以外の政治の報道はうざいだけで、すべてにおいてマイナスとなるのだ。
これは自民党だけの話ではなく、日本維新の会、立憲民主党、いや政治の話そのものがすべてマイナスであり、政治に関するネガティブなイメージをさらに深める、あるいはうんざりする、あるいは、古い世界の話として攻撃のネタになるだけなのだ。
私は、参議院選挙で躍進を遂げた参政党は、選挙後、この「メディア晒されの刑」で、ブームは終わり、失速していくと思っていた。ところが、神谷宗幣代表が賢いのか、メディアが愚かなのか、あるいは、単にたまたまなのか、参政党がなぜ躍進したか、ということを議論する「古い」人々、政治評論家などが露出するばかりで、参政党そのものの露出はほとんどなかった。
選挙後の参議院予算委員会での神谷議員は17分間の質問に立ったが、この件に関する目立った報道はなかった。参政党に投票したほとんどの人は、もちろん見ていないし、その事実すら知らないのではないだろうか。
この神谷議員の予算委員会での質疑に注目して、凡庸だった、何の意味も主張もない、勢いもない、という形で、言及したのは、すべてが「古い」政治評論家や「古い」メディアだけだった。同様に、「古い」メディアに晒されたことにより、人々に嫌われた例としては、石破おろし(あるいは石破首相の抵抗)の件である。これを話題にし、この醜い争いの報道、論評、今後の予測というゴシップに「古い」メディアと「古い」評論家たちは終始した。このとき、石破支持率が上がったのは、抵抗する姿の報道よりも、おろしの人々の罵声に関する報道の方が多かったからである。
したがって、自民党総裁選のこれからの報道は、ますます「アンチ自民党」を増やし、「アンチ古い政治」「アンチ古い政治サークルの人々」「アンチ古いメディア」を増やすだけのこととなろう。自民党支持率は回復するどころか、だらだらと下がり続けるだろう。フルスペックを選んだことで、この支持率下落効果は長期化し、トータルでの支持率の下落幅は大きくなるだろう。
■比較第1党でも、もはやただのマイナー政党に
第4に、もはや、自民党は、責任与党、比較第1党というポジションは維持したまま、ただのマイナー政党になってしまっている、という事実を、自民党の人々は気づいていない、気づいていないふりをしている、ということだ。
自民党総裁選は、党員票の取り合いの主張合戦になっている。党員は約100万人しかいないし、しかも、国民全体から大きく外れており、いちばん一番流行おくれの人々で、今後、同じ価値観、行動パターンの人々は、党員以外に広がる可能性はまったくない。
そして、その100万人は、ぶら下がっている先の議員が落選するだけでなく、死亡したり、選挙に行くことがなくなったり(物理的に負担が大きくなることにより)することにより、どんどん減っていくだろう。となると、自民党総裁選での討論の論点は、弱小政党の党首選挙と同じくらい、国民の論点からずれていき、それが報道されることで、ますます総選挙での票を減らすことになるだろう。
しかし、そんな目先の現象を超えて、自民党がまさに日本をリードする、政治、政界の流れを作る側ではなく、政治を消費する政党になってしまっていることを示す。群衆の行動にただただ流されるが、それに乗ることもできず、ひたすら大衆有権者に消費されていく政党になってしまう。その中で目標が現状維持となり、国民全体の支持は失っても、身内の党員の支持の減少を最小限に食い止めることにだけ必至となる。その結果、共産党、社会党などと同様に、滅びゆく政党としての行動パターンにはまっていくようになるだろう。
第5に、しかし、代わりになる政党は存在しない。今後、比較第1党になる政党はあるだろうし、政権をとる政党、代表が首相になる政党は出てくるだろう。しかし、日本の政治的な方向性を自ら切り開いていく側、つまり、政治を作る側の政党は存在しなくなる、ということだ。政局や、政治的状況を消費する政党しか存在しなくなる。正しい世の中を作るために、世間の流れに飲み込まれないようにするのではなく、正反対に、流れに積極的に迎合し、ブームのおこぼれにあずかろうとする政党しか存在しなくなる。
その結果、連立政権が常態化するとか、連立に向いている政党が力を増していく、という表面的な現象や変化の危機という次元ではなく、本質的な意味で、政治が漂流し、日本には国としての政治は存在しない、という破滅的な状況になっていくリスクが高まる。
そして、今、日本にとって、もっとも重要な問題は、このシナリオを阻止することである。このリスクが高まっていることが、日本を国家としての危機、戦後最大の危機に陥れているのだ。
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