( 327961 )  2025/09/29 03:17:28  
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田久保市長についての学歴詐称疑惑が報じられ、未だ真相は明らかではない。

市議会を解散し、市議選のために6300万円の補正予算を投入することに市民からの非難が上がっている。

田久保市長は「卒業はしている」と繰り返すが、大学時代の友人A氏は、田久保市長が法律上の卒業要件を満たしていたかのように思い込んでいたと語る。

また、入手した卒業証書の真相については、田久保市長が偽造したのではないとしながらも、何らかの力が働いている可能性への疑念を示した。

A氏は田久保市長を信頼し続けているが、市民の混乱は深まるばかりである。

(要約)

( 327963 )  2025/09/29 03:17:28  
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大学の同級生が貴重な証言 

 

学歴詐称疑惑の真相追及が行なわれるものの、いまだ疑惑がすべて解明されたとは言い難い田久保市長。9月10日に市議会を解散、市議選では6300万円の補正予算が投入されることから市民や支援者からも非難の声があがっている。「集英社オンライン」ではこれまで2度にわたり田久保市長にインタビュー取材を行なっており「卒業はしているという認識だった」と繰り返し主張した。では、東洋大学時代の友人であるA氏はどのように捉えていたのだろうか。  

 

東洋大学1年生時に行なわれたサークルの新歓コンパで出会い、以来交友関係が続いていた友人のA氏は、田久保市長を「昔から信念のある人だった」と語った。 

 

田久保市長自身、これまでの会見で大学での生活について『自由奔放に生きて不真面目な学生で、いつまで(大学に)通っていたというような通学状況ではなかった』と話している。だが、A氏によると田久保市長はまったく学校に来てなかったわけではないようだ。 

 

「東洋大学は単位が取れなくても4年生まではエスカレーター式にあがっていきます。なので卒業に必要な必修科目の単位のみ再履修してとればいいわけですが、私も眞紀ちゃんも再履修組でした。 

 

眞紀ちゃんも卒業をしようとしていました。それこそ私たちが就職活動をしていた頃に学校で会うと眞紀ちゃんは『今レポート出してきた。これからスタジオなんだ』『これからバイトなんだ』と言っていたのを覚えていますから」 

 

革ジャンを着て、ヘルメットを片手に再履修のため大学に通った田久保市長はバイク便のバイトをしながら音楽活動に没頭し、就職活動をすることはなかった。 

 

サークル外のメンバーでバンドを結成し、ハイエースにアンプを積み込み、ライブハウスを回ったりデモテープを作ったりして夢を追っていたという。 

 

「当時、眞紀ちゃんはかなり忙しそうにしていました。私と同じく単位はギリギリだったんだろうなという印象はありました。1992年の3月3日〜5日、卒業式の直前ですね。河口湖の近くにあったスタジオ付き民宿でサークルの合宿をしたのですが、そこにも眞紀ちゃんは来ていました。 

 

『私らも卒業できる?』などとそれぞれに尋ねてはいないのですが、合宿終了後の別れ際に『また卒業式で』とみんなで言い合いました。その時も眞紀ちゃんは普段通りでした」 

 

A氏は「眞紀ちゃんは本当に卒業していたと思い込んでいて、卒業証書に関しては大学側の手違いで眞紀ちゃんの手に渡ったのでは?」と推測する。 

 

「この状態が長引くと一番の被害者は伊東市民だというのは私も思うんです。ですが、いっぽうで同級生だから覚える違和感もあるんです。 

 

眞紀ちゃんは大学で友人が多い方ではありませんでした。だから卒業式の後“飲む”となると私たち以外にはいなかったはずです。まず卒業式の後に眞紀ちゃんとは飲んでいません。それから『卒業式の後の飲み会で眞紀ちゃんが卒業できなくて、かわいそうだから同級生が卒業証書を作って渡した』という告発文が真実かのように報道されていましたが、そんなことをした同級生は周囲にいません」 

 

 

A氏は若気の至りだとしつつ、さらにこう補足する。 

 

「眞紀ちゃんもですが、われわれ同級生もみなロックに傾倒していました。その影響もあり、当時の感覚でいうと『卒業できない=かわいそう』となるわけがないんです。 

 

大学なんてどうでもよくて卒業していない方がかっこいいとすら思っていたのですから。実際、卒業はしなきゃと思っていても感覚だけで言えばそうだったんです。 

 

卒業式は武道館で行なわれて、卒業証書はキャンパスで渡されましたが、そのどちらにも眞紀ちゃんはいなかったので『来なかったのかな』くらいにしか思っていませんでした。 

 

卒業後も会う機会は減りましたが、友人の結婚式や飲み会などでたまに会ったりはしました。興味もなかったのでわざわざ『卒業できた?』などとお互いに聞きませんし、市長選の時のチラシに大学名が書いてあったので勝手に『卒業できたんだ』って思っていました」 

 

では“疑惑の卒業証書”なるものについてはどのように思っているのだろうか。A氏はこう答えた。 

 

「眞紀ちゃんがどのようにして卒業証書を手にしたのかわかりませんが、少なくとも眞紀ちゃんが偽造したとは私は思っていません。最初の怪文書についても眞紀ちゃんが知らなかった除籍という点に触れています。 

 

実際に眞紀ちゃんは、卒業してなかったわけではありますが、それでも眞紀ちゃんが市長をやっていることによって利害関係があるなかで、何かチカラが働いている部分もあるのではないかって思ってしまいます。 

 

私は眞紀ちゃんの市長選も1日応援しに行ったことがありますが、その時、眞紀ちゃんは『伊東市をしがらみのない形にしたい。しがらみのない形で子どもたちの居場所作りだったり、教育だったりやらなきゃいけないことがある』と言っていました。昔の彼女ならやるべきことがなくなれば明日にでも市長を辞める、そんな人でした。 

 

繰り返しになってしまって申し訳ないですが、やるべきことがあるからまだ市長を続けている、私はそう思っています」 

 

市民や市議選に出馬予定の支援者までもが田久保市長に対し“距離”を置くなか、A氏は終始“眞紀ちゃん”を心底信頼していた。 

 

はたして“疑惑の卒業証明書”の真相は。怪文書の出処は誰なのか。市民は置き去りのまま、伊東市政の混沌は深まるばかりだ。 

 

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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班 

 

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