( 328100 ) 2025/09/29 06:07:36 2 00 約40年前の日産が面白すぎる!! ワゴンがオープンカーに大変身した「日産エクサ」が斬新すぎた!ベストカーWeb 9/28(日) 21:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/a88fe50864d482ad2cabfec66a702fdc8e3e450a |
( 328101 ) 2025/09/29 06:07:36 1 00 日産エクサは、1980〜1990年代の日本の自動車業界において、ユニークな「着せ替え」カーとして注目されていた。 | ( 328103 ) 2025/09/29 06:07:36 0 00 写真:自動車情報誌「ベストカー」
そんなにたくさん売れたわけじゃないが、何年経ってもみんなが覚えているクルマ……。今回は、コペンより30年も前に存在した「お着替え」カー、前後が別のクルマに見える日産 エクサをご紹介!! 日本ではお着替えが難しかった……。
※本稿は2025年9月のものです
文:小沢コージ/写真:茂呂幸正、日産
初出:『ベストカー』2025年10月10日号
GT-RやZはもちろんのことパイクカーなど1980〜1990年代の日産は本当に面白かった。失敗もあれどアイデアは斬新! 確実にクルマ作りの最先端を走っていた。そのひとつがこの2代目エクサだ。
初代はパルサーベースのスペシャルティクーペであり、一見ホンダ プレリュードやトヨタ ソアラの競合。ただし、本質は微妙に北米狙いのコンパクトスペシャルティで当時1.5Lクラスとして初めてのリトラクタブルヘッドライト採用。
同時にある意味レクサスの先取りたる鋭角スピンドルシェイプを採用。それを進化させたのがこの2代目だ。
前代未聞のクルマお着替えコンセプトを採用し、今回の3ドアワゴン=シューティングブレークたるキャノピーボディのほか、リアを変えればクーペ、キャノピーを外せばフルオープンの3変化が可能。
その後クルマ着せ替えコンセプトが出るのは約30年後の2代目ダイハツ コペンであり、とんでもない先取りだったわけだ。
もちろん当時の日本には馬力自主規制同様、ツマラナイ規定があって、車検証上はワゴンがクーペになるたびに車検を取り直す必要があり、購入後の着替えは不可。メカ的にも日本仕様は脱着交換が難しくなっていた。
しかし北米では「モジュラー日産パルサーNX」と呼ばれキャノピー別売り。そのほか幻のスーパーカー、MID4と同じ一体型ドアハンドルや、左右にNISSANロゴが入る、非対称デザインのリトラクタブルカバーを採用するなどディテールもいちいち斬新。
やはり日産は常に先を走っていたんだなと。そしていまや2代目の上物は200万〜400万円の高値取引。魅力は40年近く経て再評価されているわけだ。
実際、今回乗った1989年式のタイプSEだが、スタイリングは革新的だ。フロントからみるとシルビアか180SXの如き王道スポーツマスクなのに、リアを見ると時代を自由に旅するデロリアンのような未来感。
特にあえて後付けしたような頭でっかちキャノピーが面白い。アンバランスな破綻型デザインだが、ショーモデルのようなスリット式デザインのテールレンズと合わさると独特の革新的オーラを醸し出す。
乗ってもいすゞ ピアッツァを彷彿とさせる未来派コクピットデザインがいい。シンプルな3本スポークステアリングの回りを、飛行機のようにライトスイッチやワイパースイッチが取り囲み操る楽しみが味わえる。
シートやドアもこれまた幻のMID4譲りの未来派デザインで、国産車離れしたバタ臭さあり。かたやリアシートは完全に+2サイズで狭く、2人掛けのベンチシートなので居心地はよくない。
ただし、グレードにもよるが両側にこれまたスリットデザインのJBLスピーカーも付けられ、革新的スーパーカーと思えば耐えられる個性。
走りだが、基本日産FFプラットフォームでエンジンは120psの1.6L・DOHC。期待はしてなかったが凝った作りのわりに車重1070kgと軽く、加速は意外に良好。低速トルクもあり、全長4.2m台ボディを小気味よく走らせる。
乗り味もTバールーフで剛性低め、また重すぎるキャノピーを抱えるがゆえ、段差では多少ギクシャクするも意外に良好。ラゲッジもリアを倒すと実質500Lはあって充分。意外な実力派であり使えるのだ!
●小沢コージ氏の評価
・タイムスリップ度:★★★★★
・レア度:★★★★
・お金かかりそう度:★★★
・乗って楽しい度:★★★
変幻自在のデザインで未来から来たクーペワゴンとも言うべきエクサ。リアは狭いが意外に使えて壊れなければ最高かも
前代未聞の着せ替えボディであり、ダイハツのいう「ドレス・フォーメーション」を先取り。スタイリッシュな2ドアクーペを基本とし、Cピラー後ろに着脱式キャノピーを付けることで3ドアワゴンボディに変化する。キャノピーを外せばフルオープンにも。
ただし、日本は車検上の問題があり、可変ボディは許されなかった。残念!
1980〜1990年代バブル期には、今のしみったれたデフレ期じゃありえない自動車アイデア続出!
走る金魚鉢たるガラス製バタフライドアのセラや、後にシューティングブレークと呼ばれるエクサ3ドアワゴンも出現。
ホンダもアコードベースのエアロデッキという全長4.3m強の同種ワゴンを生み出し、カッコよさで圧倒! ただし続かず……。
●日産 エクサ 懐かしスペック
・カテゴリー:FF3ドアシューティングブレーク
・全長×全幅×全高:4230×1680×1295mm
・ホイールベース:2430mm
・車両重量:1070kg
・エンジン:1.6L直列4気筒DOHC
・最高出力/最大トルク:120ps/14.0kgm
・ギアボックス:5MT(4ATも)
・駆動方式:FF
・サスペンション:前=ストラット式 後=パラレルリンク式
・国内累計販売台数:1万712台
・ベース車:パルサー
・コンセプト(車名):10の18乗の意味
ベストカーWeb
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( 328102 ) 2025/09/29 06:07:36 1 00 全体を通してみると、エクサや他の日産車に対する懐かしさや愛着が多く表れています。
さらに、バブル期の日産がいかに活気に満ちていたかを振り返る意見や、逆に現在の日産が抱える課題とそれがどのようにして生じたのかを考察する声もあります。
(まとめ) | ( 328104 ) 2025/09/29 06:07:36 0 00 =+=+=+=+=
初めてのマイカーがエクサクーペでした。不人気ゆえの在庫一掃セールのお買い得仕様でエアコン付けても値引き入れて本体価格は約150万円。ツーリングとかでは慣れれば脱着も収納も1分ちょっとで出来るTバールーフをしょっちゅう開けて走ってました。保管場所や経済的余裕が有れば絶対に手放なかったと思う。
▲26 ▼0
=+=+=+=+=
昔の日産は元気だった。ユニークなアイデアを形にしてしまうパワーがあった。パンクカーを普通に市販車として売り出す勢いがあり、夢のある会社だった。昔の日産が大好きだった。スカイラインから独立した初代GT-Rまでは憧れのブランドだったなぁー。
▲31 ▼11
=+=+=+=+=
留学先のアメリカでは人気車で街なかを走るEXAをよく見掛けましたね。 キャノピー部分を外して出掛けた時の急な雨用にキャンバス生地のカバーもオプションで選べたからクーペ、キャノピー、オープンと実質4種類にする事が出来た。 日本では売ってなかったイエローやシャンパンゴールド、グリーンやブルーのメタリックが用意されていたからアメリカデザインが映える車だったね。 エンジンが1800ccも選べたから走りも余裕があった。 この時代は兄弟姉妹車が多かったので同じプラットホームでセダン、クーペ、ワゴン、オープンとバリエーション豊富で面白い車が沢山ありましたね!
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
これのクーペに乗ってました! 最初に見たのは高校3年の通学時、梅田のBIGMAN前で展示会してたんです。 一目惚れしてカタログもらいました。 「免許取ったら絶対に買う!」と誓い(大げさ)21歳の時に真っ赤なLAバージョンを中古で買いました。
デートカーには最高の車でした。 峠攻めるにはおもんない車でしたが、、、 今でもTバールーフの車には乗りたい!です。 コイツのせいで(笑)
▲16 ▼0
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40年前はトヨタ、日産、三菱などのメーカーが 面白い車ばかり出してたな パルサーエクサもその一つ。 AE86レビン、トレノもその頃の車。 直ぐにテールが流れ出す車なんて危なくて 現代じゃ作れないよ 三菱ミラージュターボも凄かったし 韋駄天の名をもつ、3valveのスターレットも速かった。 いずれも最近多い 運転が上手くないなという人には操れない車ばかりでした。
▲20 ▼5
=+=+=+=+=
今は何年も(人気が無くても)同じモデルをマイナーチェンジで凌いでいる日産も、この頃はダメなら次々と多種多様なモデルを出す勢いと決断力があったよな(まぁ、他社に引きずられてもあるけど)。 各メーカーが「出したい!」って気持ちだけで作っちゃって販売しちゃった時代だし、その頃の車が今でも人々の心に残ったり、人生狂わしちゃったり(?)と、喜怒哀楽諸々の車があったね。 ただ年数が経ち、パーツも無くなり、現存数も少なくなり、海外に持ち出されて日本から消えてしまう車もあったり、実車を見掛ける事も減ってしまって残念だよね。
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1987年の年明けにEXAクーペ Type Bを購入しました。テレビでもTwin Cam エアリークーペのCMが流れ、価格は180万円ほどでした。 ボンネットを開けると赤いCA16DEエンジンが目を引き、クーペ・Tバールーフ・フルオープン・キャンバスハッチの4種類に変わる車体とマグネットキー付き集中ドアロック、左右仕切りの無いベンチのようなリアシートとサテライトスイッチ、確か国産車初のハイマウントストップランプなど、個性的な車でしたが、街中では滅多に見かけませんでした。当時はチェリー店扱いから日産全店の扱いに変わり、後にLAバージョンという名の廉価版も出て、パルサー・ラングレー・リベルタビラ・EXAの4車合同でカー・オブ・ザ・イヤーも受賞しましたが、フルモデルチェンジもなく消えていきました。
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バブルの頃の日産って感じですね、 日産パルサーエクサというパルサーベースのクーペです。 アメリカのボロ車改造番組でエクサが登場しますが、 北米にも輸出されていたのですね・・・
遊び心があったし、 色々出してきていたのがあの頃の国産車です。
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これ持ってました。
クーペルーフもワゴンルーフも持っていて、TPOにあわせて交換したり…と思ったら、日本の法律ではダメなんです。 なのでショーのときに交換して、ローダーに乗せて行ってましたよ。 オープンは気持ちよかったですね。
なんだかんだで昔の話ですが、法の改正も含めてこうした楽しい車を出せるようにしないと、世界的に車の文化は終了しますね。
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エクサは『着せ替えボディ』が禍いしてボディ剛性が無く、当時は不人気車でした。 (だからこそ一代で絶版です。) 日産で斬新といえば、当時、既にレトロな内外装なのに購入者に受け入れられたパオやフィガロに代表されるパイクカーの発売ですよ。 当時の日産は901運動にも支えられ、本当にデザインと性能のバランスが取れた車を数多く発売していました。 逆にバブル崩壊により露骨なコストカット、品質とデザインの低下が後の販売不振、ルノー傘下による再建に繋がっていきます・・・ バブル崩壊後も日産ファンの期待を裏切らず、「面白すぎる!!」と思える車造りを続けていたら、今の日産の凋落は無かったでしょうね。
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2ドアワゴン(シューティングブレーク)、2ドアクーペ、オープンカー程ではないけど解放感があるクーペとしての性格を持つ車だけど、北米ならともかく日本だと厳しい車だと思う。 リアパネルを交換する手間もそうだけど、日本人はそもそもこういう車(オープンカーやシューティングブレークにもなる車)は求めていないと思う…2ドア=スポーツカーという意識が強いと思うので、こういう道楽的な車は理解不能なのだろう(そもそもリアパネルを置く場所がないし)
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Z32と同様の北米デザインだったですね。綺麗なデザインだとは思いますが、ただ当時の自分にはこのクルマをどう使うかがイメージ出来なかった。どちらかと言うとサニーRZ-1の方が興味があった。
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取り外したパーツの保管場所の問題があり車庫持ちでないと購入は難しかった。簡易型の幌がオプションであったが80キロ以上で走ると外れはしないかと心配するぐらいの風切り音がするのであった。
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昔の日産の車は、良かったなー。パルサーに乗っていた時期もあったし、先輩たちは、ブルーバードターボ、ガゼールに乗っていたが、横にかわいい彼女を乗せて、羨ましい思ったのをよく覚えています。
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二代目エクサは、日産の北米スタジオでデザインされたアメリカでの販売を意識した車だった。 着せ替えコンセプトは、コペン以前にマツダAZ-1でも企画していたが、結局実現しなかった
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興奮し過ぎてなのか、日産褒めたいありかなのか判らないが時折意味不明の文章羅列の記事はやめてほしい... 確かに当時コンセプトに光るものがあったが一台でクーペとワゴンの両立が日本で無理なのはメーカーだったら知っていたはず。 メディアは当時「スゴいクルマ出ますよ」と煽っていたが認可が下りなかったと知るや一気にターンダウン。 期待の北米でも、現実は外したリヤセクションの置き場が無いとかキャノピー重いとかで思ったほどの高評価が得られず。時期NXは当然コンパートメントは省かれたという経緯となった。 ただし一見似ているS12 シルビアよりもスムーズに見えるディテールは嫌いではなかったけど、あの頃も日産というメーカーの詰めの甘さを感じされざるを得ない一台だった。
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40年も前の日産を振り返ったところで、何も生まれない わたしはアラフィフで若かりし頃は 「901活動」 のど真ん中でしたが、最早、見る影も無し
うん十年掛けて衰退した企業力は、少なくとも十うん年掛けないと元には戻らない 何故か? 企業は人、だからです 熱意のある従業員と、その熱意の邪魔をしない経営陣 これが揃わなければ、往年の日産への復活など 有り得ない
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コペンのパクリ元はエクサではなくAZ-1だと思うが。
私はキャノピーのLAバージョンType SEを新車で買いました。 Tバールーフとキャノピー外してフルオープンを楽しみ、一生乗ると意気込んでいましたが プジョー205CTIに出会ってしまったので、最初の車検を通す前に売ってしまいました。
▲1 ▼3
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当時同級生が乗ってて、俺の同乗中に首都高の 小菅JCの少し手前で追突された事があったな… 友人のはクーペで結構酷い壊れ方をしたけど、 キャノピーだったら脱落してた可能性もある。
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パルサーから独立して、パルサーエクサからエクサ になったやつですね。型式はN13型になるのかな?
なんか不思議なデザインコンセプトの車でしたね。
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ウエストコーストの風薫らせる。
NDIテイスト全開という時代。
ビッグ3を猛追しつつ英国豪州に於いても。
揺るぎない地位を固めつつあった日産。
あれからもうすぐ40年という月日が流れ候。
▲0 ▼1
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トラックとして設計し、後ろのキャノピーは雨除けカバーとか、何か法の隙間を突いて実現できなかったものか? とはいえ、狭いニッポンこんなバカでかいキャノピーを収納できるスペースが有る人は少ないでしょうけど。
▲0 ▼0
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高校時代に購入していたFM誌巻末の広告にさえエクサは出てたんすよね。そしてその次はBe-1、とにかく自動車業界が熱い時代でした。
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このモデルのパルサー、エクサはカーオブザイヤーとったんだよな。エクサのキャッチフレーズはエアリー、このモデルの主幹が早逝下のも日産凋落の原因の一つだよ。
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ライトのリッドに付いている「NISSAN」のロゴをはずしたら君たち自動車メディアが大好きなAE86トレノの前期だね。
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ドラマのあきれた刑事でこの車出てたよね カッコいいって凄い思った記憶ある。 いい車だよねこれ
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小沢コージ氏って未だにTBSラジオで「週刊自動車批評」って番組やってるのだろうか? それにしても元がパルサーと分かってるならプレリュードやソアラの対抗じゃ無いだろう?まして元ホンダ社員でしょ?
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キャノピーだの何だの話題だったが、結局日本じゃ法規制だかで着せ替え出来なかったような。 つまり、この頃元気だった日産だったけど全然売れてませんでしたね。
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昔乗ってたけど風の巻き込み最悪だったな。 Tバールーフ外した時の事考えないで設計してたんだろうな。
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この車のCMソングはサザンオールスターズの「走れトーキョータウン」という中々良い歌でした。
▲1 ▼2
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おぉ~!エクサじゃ〜久しぶりに見るな…
こちらのも好きだけど初代EXAの形が…好み♡ まず、見掛ける事はないけどね コンバーチブルはどんくらい残ってるのか…。
▲3 ▼0
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無駄ででしかなかった。
このようなセンスのない無駄で資産を減らし続けて今に結びついています。
▲1 ▼2
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Tバーもあったんじゃなかったっけ? 同時期のシルビア、ガゼール兄弟より格好良い。
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スキー積んだらキャノピーが開けられなくなる
なんてツッコミが当時からありましたな
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初めてフェンダーミラーからドアミラー採用したのはパルサーエクサ
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Be-1などレトロシリーズは、今でもいけるんじゃない?
▲4 ▼0
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面白かったけど売れなかったなー
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tバーはフルオープンでは無いけど。
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外れそうで 外れない。
▲4 ▼0
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だったら他社の街の遊撃手の方が…
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