( 328146 ) 2025/09/29 06:54:43 1 00 ソフトバンクに移籍した上沢直之選手は、新しい環境での再起を誓った1年を振り返り、厳しいシーズンを乗り越えた過程を語った。 |
( 328148 ) 2025/09/29 06:54:43 0 00 ソフトバンク移籍1年目を包み隠さず語ったソフトバンク・上沢直之
再起をかけ、家族を守るため、人生をかけた戦いだった。昨オフ日本球界復帰を決断し、新天地ソフトバンクでリーグ優勝に大きく貢献した上沢直之投手(31)。2ケタ勝利を挙げ、上沢獲得がパの覇権を左右したと言っても過言ではなかった。今回寄せた独占手記では、古巣・日本ハムではなく同一リーグのライバル球団入りを選択した決断の理由、強い非難に不安を抱える家族を守り抜いたシーズンの舞台裏を激白。大バッシングにひたすら耐え抜いた男の知られざる真実が明かされる。
「ホークスに来てくれてありがとう」。今春、宮崎でそう声をかけてくださった方々に優勝を届けられて本当によかった。
今シーズンは僕にとって人生をかけた戦いだった。ちょうど1年前にボストンから帰国した時、右肘を伸ばすことができなかった。アメリカでは自分の実力不足もあったが、普通に投げることすらできず、選手生命の終わりを悟るような状態だった。自分の体のことを一番知っているのは自分。状況を立て直すために、向こうでもう1年やるよりも慣れ親しんだ日本球界に戻ることを選択した。
生活拠点だった北海道に戻り、まずはヒジの回復に努めた。帰国前の去年8月、僕はアメリカ視察中の日本ハム・吉村チーム統括本部長にオフの相談をさせてもらっていた。冬の道内で練習場所の確保は思いのほか難しい。ファイターズの合宿所、室内練習場の利用を快く応じていただいたことは本当にありがたかった。
僕は日本ハムからポスティング移籍で海を渡った。まずはファイターズに帰ろう、戻りたいという意思があった。オファーはホークスを含めて複数球団。当時の僕の状態を冷静に見れば、ファイターズの条件提示は妥当だとも思えた。ただ、ホークスはそんな僕に複数年契約を提示してくれた。
当時の状態は周りが思っている以上に悪く、本当にめちゃくちゃな状態だった。誰にも言っていないが、実はアメリカで「イップス」になった。違う国、向こうの野球に適用しようとしてワケが分からなくなって、ストレートが投げられなくなった。ヒジを壊す前、去年6月ごろに発症。投げた行き先が分からない、捕手が手を伸ばしても取れないほどのボール、投げる前にゾワゾワしてくる感じ…。今春キャンプのブルペン投球で野手の方が打席に入ることをお断りしたのも、春先に変化球の割合が多かったのも、それが理由だ。
イップスを克服できず、辞める人も多い。これを1年で治せるのかという不安がどうしても拭えなかった。ホークスは優勝するために来てほしいという熱意と、長い契約年数を提示してくれた。この1年を振り返ってみて、ここまで投げられる状態に戻せた一番の要因は「安心感」だったと思う。
当時は、投手として終わりを迎えるような状態。過度な不安や焦りで悪循環に陥らずに済んだのは、ホークスの条件が1年前の自分には合っていたからだと思う。あとはチーム状況を見た時に、ホークスは石川(柊太)さんがFA移籍することになった。こうした事情を考慮しても、僕がフィットするべき場所はホークスなんじゃないかと感じた。
覚悟して、僕はホークスに来た。自分が言われる分は仕方がない、そういう決断をしたと思っている。一番つらかったのは、家族に怖い思いをさせてしまったこと。意図せず目に入るネットなどの書き込みを見て「外に出るのが怖い」「危害を加えられるかもしれない」という不安な気持ちを聞いた時は、すごくつらかった。
それでも努めて気丈に振る舞う妻に救われた。家で仕事の話をすることはほとんどないが、妻からの「見返してほしい」という言葉に力をもらった。単身で渡米している間、妻は1人で子供たちを見てくれた。今年もすごくつらかったはずだが、そういう姿を一切見せずに背中を押してくれた。現在進行形で前向きな気持ち、強い気持ちでいられるのは妻のおかげ。成績を残さないといけなかったし、家族を守らなければいけなかった。人生をかけた戦いに、何が何でも勝たなければならなかった。
今も多くの批判がある。日本ハムと同一リーグの優勝を争うチームなので、ファンから感情的な声が上がるのは理解できる。新庄監督には「一緒にやりたかった」「悲しかった」とコメントしてもらった。結局は、自分の手で道を切り開いていくしかないと思っている。
不安で仕方なかったイップスは少しずつ良くなっていった。僕の場合は、精神的なものが一番大きかったように思う。異国の地で生じた理想と現実のギャップに、自分を責めすぎた。「人に期待されて、投げられるだけで幸せ」。シンプルにそう思うようになってから、本当にちょっとずつ症状が解消していった。
今季のパフォーマンスを振り返れば、シーズン序盤はごまかしながら投げていた。メカニックの大きな変化は8月。練習で1キロのメディシンボールを壁に叩きつける速度を計測した時に、これまで63キロだったスピードが72キロまで一気に上がった。右足にしっかり力をためて投げにいく感覚。その動作を試合でも試したら、スピードも強さもボールのまとまりも良くなった。1年半くらい悩んでいたことが、きっかけ一つで変わった。
今シーズン悔しかったのは、首位攻防戦に投げられなかったこと。やっぱり優勝を争う日本ハム戦で投げたかった。重要な試合で勝てる投手でありたい。ただ、そういう場面はいずれ来ると思っているので、その時を楽しみにしている。先月、福岡での日本ハム戦。ファイターズの吉村チーム統括本部長と話をさせてもらった。僕の体のことを今でも心配してくださって「投げられるようになって、本当によかった」と声をかけてくださった。あれほど野球が好きで、情熱のある人にはなかなか出会えない。心から感謝している。
ホークスに来て、優勝に貢献できて本当によかった。野球ファン全員が敵なんじゃないか――。そんな不安だらけで臨んだ宮崎キャンプ。そこでいただいたホークスファンの声援が原動力となった。球場で目にする背番号10のユニホームは、ありがたい光景だ。温かく見守ってくださった皆さん、本当にありがとうございました。(福岡ソフトバンクホークス投手)
東スポWEB
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