( 328528 )  2025/10/01 05:52:37  
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ドイツ「1万4341円」、日本「8441円」という労働生産性の差… 

 

 かつてはアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国だったわがニッポン。ところが、名目GDPは2010年に中国に抜かれ、2023年にはドイツにも抜かれてしまった。ドイツの人口は約8,400万人で、約1億2,300万人を数える日本の3分の2程度にすぎない。30年前の1995年、すなわち「失われた30年」がはじまったころには、ドイツの名目GDPは日本の47%にすぎなかった。それが追い抜かれたのである。 

 

 むろん、度を越した円安の影響はある。しかし、それだけではここまでの転落の説明にはならない。IMF(国際通貨基金)の予測では、2026年にはインドにも抜かれ、世界第5位に後退するという。 

 

 ここからどうやって挽回するか。それこそが喫緊の政治的課題でなければならないはずだが、議論は目先の物価高対策に終始している。歯がゆくて仕方ない。円安の解消を含め、日本の底力を上げること以外に物価高対策はないと思うからである。 

 

 それはともかく、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」でも先日、日本とドイツの経済格差が広がっているという問題を取り上げた。日本人とドイツ人には「勤勉」という共通点があると指摘されてきたのに、どうしてこれほど差が開いてしまったのか。どうしてドイツ人のほうが多く休んでいるのに、給料は高いのか――。 

 

 番組では、2023年におけるG7各国の労働生産性が、1時間あたりに生み出される金額(円換算)で示された(番組では「1人あたりや1時間あたりにどれだけ成果を生み出したかの指標」と記されていた)。日本生産性本部の資料から作成されたというその金額は、アメリカ1万4,519円、ドイツ1万4,341円、フランス1万3,791円、イギリス1万1,978円、カナダ1万611円、そして日本8,441円。円安の影響はあるとはいえ、日本はもはや「G7」の一員であるのが恥ずかしいほど一人負けしている。 

 

 どうしてこんなことになってしまったのか。 

 

 

 日本人と同様に「勤勉」だといわれるドイツ人だが、彼らの働き方を間近で見た日本人は、異口同音に次のようにいう。「どうしてドイツ人はこんなに働かないのか」。実際、夏季やクリスマスの時期には、彼らは日本では考えられないほどの長期休暇をとる。働き方改革などと声高に訴えるまでもなく、定時になるとさっさと帰る。むろん、毎週の休日はしっかり休む。 

 

 だから、これも番組で示されていたが、1人あたりの平均年間労働時間は、日本の1,617時間に対してドイツは1,331時間で、約2割も短いという。 

 

 だが、このことは不思議なようで不思議でもなんでもない。日本では以前から、日本人とドイツ人を「勤勉」という語で括ってきたが、両者の「勤勉」は中身がまったく違う。一般に日本人は、長時間勤務をいとわないという勤勉スタイルなのに対し、ドイツ人は、効率よく働いて時間当たりの生産性を高めるという勤勉スタイルである。それが1万4,341円と8,441円という労働生産性の差になって現われている。 

 

 働き方の違いを観察しやすいのは、レストランや酒場である。ドイツ人は客と客とのあいだを効率的に動き回り、無駄にしている時間が少ない。まるで時間を惜しむように、凝縮して働いている印象を受ける。その代わり、自分の勤務時間が終わると、それこそ仕事を鮮やかに切り上げ、足早に帰っていく。 

 

 こうした働き方の特徴は、企業や団体に勤務する人にも共通すると聞く。残業する人は非常に少ないが、それは仕事量が少ないからではない。彼らはやるべき仕事をいかに効率よく進め、終えるかということに力を注ぎ、その結果として残業をしないで済んでいる。その点では、日本人が「いい加減だ」「遊んでばかりいる」とバカにしてきたイタリア人も変わらない。たしかに、彼らは私生活をエンジョイするのに長けているが、それは効率よく仕事を終えた結果である。 

 

 こうした日独、もっと広くいって日本と欧米の働き方の違いは、筆者も以前から実感している。日本のレストランや居酒屋での店員の動作は、総じてドイツなどにくらべて明らかに緩慢である。筆者自身が企業に勤務した経験からも、日本人は勤務時間こそ長いが、時間当たりの労働生産性はかなり低いという実感がある。 

 

 そうはいっても日本人は、高度経済成長も、バブル景気も、とにかく長く働くことで生み出し、支えてきた、というのが事実である。その際、時間当たりの労働生産性は問われなかった。いわば労働生産性が低い働き方、いわばダラダラと長く働くことが、長い年月をかけて日本人に沁みついてしまっている。 

 

 だから、働き方改革に取り組む際には、長時間労働を是正する前に、一定の時間をかけて労働生産性を高める必要があった。いま「一定の時間をかけて」と記したのは、「長い時間をかけて日本人に沁みついてしまっている」ものを是正するには、それなりの時間がかかるからである。 

 

 じつは働き方改革を進めるに当たっても、長時間労働の是正より先に、労働環境の質と生産性を向上することが謳われていた。しかし、現実にはほとんどの職場で、とにかく時短を進めることが優先された。するとどうなるか。もともと日本人は時間当たりの労働生産性が低いのだから、労働時間を少なくした分、日本全体の生産性が著しく低下することになってしまう。そしていま、そうなっている。 

 

 

 いわゆる「2024年問題」も同様である。2024年4月から運輸、建設、医療の分野で残業時間の上限を定め、労働時間を減らす「働き方改革」が断行された。その結果、「いままでのように荷物が届かない」「バスの運行本数を維持できない」「建設費用が高騰し、さらの工事も遅れる」「必要なときに必要な医療が受けられない」という問題が生じている。 

 

 これでは「失われた30年」を回復するどころか、さらに深刻に失われ続けることになってしまう。 

 

 この手の改革は、日本の未来を大きく左右するので、決して急いてはいけなかった。目的は、労働時間は短くても持続的に成長できる日本を築き、日本における生活の質を、時間的にも物質的にも豊かにすることにあったはずだ。そうであるなら、労働時間を減らしても経済的な影響が生じないようにするために、日本の労働生産性をどうやって、どこまで高めたらいいか、まずはきちんとシミュレーションする必要があった。そして、高い労働生産性を得られる道筋を整えたうえで、労働時間を短縮すべきだった。 

 

 ドイツ1万4,341円に対して日本8,441円という労働生産性の差を放置して、労働時間の短縮だけを進めれば、日本はどうなってしまうか火を見るより明らかである。結果的に、日本の豊かさはさらに失われ、人々の生活は追い詰められていく。いまからでも時短が先行する働き方改革を見直し、まずは意識改革をふくめた労働生産性の向上に取り組むべきではないのか。それができないかぎり、おそらく日本に未来はない。 

 

香原斗志(かはら・とし) 

音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。 

 

デイリー新潮編集部 

 

新潮社 

 

 

 
 

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