( 328578 ) 2025/10/01 06:41:50 0 00 (y-studio/gettyimages)
財政出動は私たちを豊かにしない。理由は明らかで、飢餓に直面したタコが飢えを凌ぐために自分の手足を食べたとしても、生命は保てるかもしれないが、成長できるわけがないのと同じだ。 私たちやその子、孫の生活を豊かにするには、際限なく膨張を続ける財政や社会保障にタガをはめ、子や子孫のお金は子や孫に返さなければならないのはもちろんのこと、経済を今一度成長軌道に復帰させなければならない。(『教養としての財政問題』「おわりに」より) 『教養としての財政問題』が発刊されたのは2023年5月だが、2025年となった今も、状況は悪化するばかりである。今日本に何が必要なのか、考えてみたい。 *本記事は『教養としての財政問題』(島澤諭、ウェッジ)より抜粋、編集しました。
ハイパーインフレによる円安の進行と資源高は、日本の交易条件を悪化させることで、日本から海外への所得移転、つまり富の流出をもたらす。
交易条件とは、具体的には、輸出物価指数と輸入物価指数の比で表され、輸出品1単位と交換で獲得できる輸入品の量を示す、貿易での稼ぎやすさを示す指標とも言える。輸出物価が上昇したり輸入物価が下落したりして交易条件が改善すれば(大きくなれば)、安く輸入して高く輸出することが可能となるので、貿易条件は改善する。一方、輸出価格の下落や輸入価格の上昇で交易条件が悪化すれば(小さくなれば)、貿易条件は悪化している。
つまり、原材料や海外に比較優位のある製品を安く輸入でき、日本製品をなるべく高く輸出できれば国内に資金が入りやすくなり、日本国内に富が蓄積される。逆に輸入価格が上昇すれば、これまでと同じ量の原材料や海外製品の輸入に対してより多くの資金を支払わなければならず、日本の資金が海外に流出してしまう。
交易条件の推移を見ると、足元では急速に悪化し、しかも1を割っているので、輸出量1単位と交換して獲得できる輸入量は1単位未満となっている。
このことを、交易利得(損失)で確認してみる(注1)。交易利得(損失)とは、交易条件が変化することで、ある国の国民の実質購買力が海外へ流出しているのか、あるいは海外から流入しているのかを表す。海外から購買力が流入している場合は交易利得、海外へ流出している場合は交易損失という。
交易利得の動きを見ると、足元ではコロナ危機最中の2021年4〜6月期以降、交易損失が発生している。確かに、日本から海外へ日本の富が流出している。つまり、現在の円安局面においては、円安のメリットが発生しておらず、かえって日本は貧乏になっている。これは円安のデメリットを強調する昨今の論調にも合致する。つまり、円安によっても日本の競争力は急速に低下し、日本の富が海外に流出しているのだが、ハイパーインフレになれば、海外への富の流出がさらに加速する。
また、こうした自国通貨価値の下落や輸入物価の上昇に起因する質の悪いインフレーションは、終戦直後の経験と同じく、国債保有者の資産を実質的に無価値と化してしまう。つまり、現在発行されている日本国債の大部分はインフレインデックス債ではないので、元本の実質価値が100分の1になってしまい、国債で運用されている預貯金の実質価値も同様となる。収入の実質価値が激減してしまい必要な物資を購入できないので貯えを取り崩して対応しようにも、預貯金の実質価値も目減りしているので、二進も三進もいかない状況になってしまう。
(注1)交易条件は、商品価格や為替レートの変動がマクロ経済に与える影響を価格面からとらえた指標であるのに対して、商品価格や為替レートの変動がマクロ経済に与える影響を所得面からとらえた指標が交易利得・交易損失である。例えば、商品価格の上昇や自国通貨価値の下落は、これまでと同じ量を輸入するためにより多くの代金が必要となり損失が発生する。一方、商品価格の下落や自国通貨価値の上昇は、これまでと同じ量を輸入するためにはより少ない代金で十分となり利益が発生する。こうした海外取引の価格や為替変動に伴う所得移転をとらえる概念が、交易利得・交易損失である。
円安になれば、輸出製造業を多く擁する日本経済にとっては良い効果を与えるのではないかと考える読者もいると思う。残念ながら、国内物価を原因とした円安は、国際競争力に関係する実質為替レートに影響を与えないので、国際競争力を向上させない。
その結果、円安は輸出には有利にならず、輸入を一方的に不利にするので、輸出で稼いだお金で手に入れられる輸入品が大幅に減少してしまう。これまで当然のように手に入っていたものが購入できない、手に入らないという経済破綻が現実となり、大多数の国民生活は極度に困窮することとなる。
ハイパーインフレは一度テイクオフしてしまったら、止めるのは非常に困難である(注2)。終戦直後には、公定価格による物価統制は闇市が生まれただけで全く効果がなく、預金封鎖、新円への切り替え、さらに最高税率90%にも及ぶ財産税、そしてドッジラインによる強力なデフレ政策によってようやく収束した。
このように、終戦直後に相次いで実施されたハイパーインフレを止めるための政策は、強烈な累進性を有していたために、金融資産であれ実物資産であれ、資産を多く保有する富裕層が没落するなど、莫大な政府債務の実質的な解消とともに、社会階層がいったんリセットされる「グレートリセット」が発生した(注3)。
こうした終戦直後の「グレートリセット」を引き合いに、今般の財政危機に関しても「グレートリセット」を望む若者世代が存在するのも現実だ。確かに、終戦直後のハイパーインフレでは、戦時中に蓄積された政府債務が事実上解消された実績もあり、若者世代の債務負担は実質的に軽減されるだろう。
しかし、その一方で、ハイパーインフレの昂進の結果、国民の預貯金資産の実質的価値も同時に喪失してしまった事実も見逃せない。
しかも、敗戦により連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下にあった当時とは異なり、今次局面では、GHQのような日本国憲法を上回る「超法規的な権威」が存在しないため、私有財産制度を無視するかのような政策は採用されないし、採用されたとしても違憲とされるだろう。
このように、ハイパーインフレが発生すれば、インフレに弱い預貯金が資産の大半である一般庶民が大きな損害を受ける一方、実物資産を多く保有したり、金融資産を海外に逃避させることができる富裕層ほど影響は受けない。
結局、今次局面においてハイパーインフレが生じたとしても、グレートリセットは起こらず、持てる者はさらに富み、持たざる者はさらに失うため、貧富の格差は一層拡大することが懸念される。
(注2)ハイパーインフレの昂進を防ぐためには利上げと市中からのマネーの引き上げが必須となるが、それは更なる景気の低迷と国債価格の暴落を惹起し、国債離れに拍車がかかる。魅力が下がった国債を安定して消化するには日銀が買い進めるしかないが(そうしなければ財政資金が手に入らず日本政府が行き詰まってしまうだろう)、それは国債と引き換えにマネーを市中に放出してしまうことを意味するのだから、インフレを促進してしまう。このように、更なるインフレを防ぎ国債の安定消化を続けるには、日銀の役割は大きいのだが、実体経済への悪影響を覚悟しない限り、実は日銀は無力なのだ。
(注3)ただし、財産税は地主や華族といった旧来の資産家を没落させたにすぎないとの説もある(鈴木武雄『現代日本財政史第1巻』1952年東京大学出版会)。
ハイパーインフレの発生は年金受給世代の生活を直撃する。日本の公的年金制度は、高齢者の年金給付に現役世代の年金保険料を充てる賦課方式で運営されている。一般的には、賦課方式は、高齢者が現役時代に支払った保険料を運用することで年金を賄う積立方式よりインフレへの耐性が強いのだが、日本の現在の公的年金制度は、実はインフレに弱い構造となっている。
なぜ、現行の公的年金制度が、インフレに弱い構造になってしまったのかについては、少々説明が必要だろう。
日本の公的年金は元々は積立方式で運営される予定であった。積立方式とは、その名の通り、勤労期に自分が支払った年金保険料が引退したときに利子がついて年金として受け取れる仕組みのことだ。そのため、高齢者の中には今自分が受け取っている年金は自分が若い時に支払った保険料が戻ってきていると勘違いしている者も多い。しかし、実際には賦課方式で運営されている。賦課方式は、現役世代が拠出した保険料が、高齢世代への給付の財源として、そのまま横流しされる仕組みである。
現在の日本のように少子化、高齢化が進行する場合、年金保険料を負担する現役世代が減り、年金を受け取る高齢世代が増えてしまい、現役世代の負担が重くなってしまう。
そこで、2004年の年金制度改正(いわゆる「100年安心プラン」)では、現役世代の負担が過大なものとならないように、これまでの年金支給総額にあわせて現役世代の年金負担額を決める制度をやめ、年金負担額の範囲内で年金支給額を決める制度に移行した。
それを実現する対策として、年金の受給額は、新たに年金を受け取り始める新規裁定者は現役世代の生活水準の変化に応じた賃金変化率、既に年金を受け取っている既裁定者は年金の実質的な価値を維持するため物価変化率で改定(スライド)されるルールを導入。さらに、長期的な給付と負担の均衡を図るため、高齢化の進行(平均余命の伸び)や現役世代の増減により年金額の伸びを調整する仕組み(マクロ経済スライド)という二段構えの制度変更を行った。
新規裁定者は賃金スライド、既裁定者は物価スライドというルールには例外がいくつか設けられているが、実は、2021年4月より変更が加えられた。具体的には、図の(1)から(6)までのルールのうち、(4)と(5)が変更された。
まず、(4)0≳物価≳賃金の場合、これまでは新規裁定者も既裁定者同様、物価でスライドされていたものを、既裁定者を新規裁定者と同様、賃金スライドへと変更した。次に、(5)物価≳0≳賃金の場合、これまでは既裁定者も新規裁定者もゼロ改定だったのが、賃金スライドに変更した。
こうした変更は、年金支給総額を減らす方向に作用するものであり、要するに制度の支え手である現役世代の負担力を上回る速度で年金受給額を増やさないようにするための制度変更だと言える。逆に言えば、こうまでしなければ現役世代が年金負担に耐えられなく なるという切実な危機意識が政策当局にあることの裏返しだろう。
こうした年金額改定ルールのもとでは、2023年度の年金額はどうなったのだろうか。
まず、物価変化率が+2.5%、名目手取り賃金変化率+2.8%と、物価(+2.5%)≳賃金(+2.8%)であり賃金が物価を上回った。この結果、今年度の年金額は、本来の改定ルールのもとでは、67歳までの新規裁定者が賃金上昇率(+2.8%)、68歳からの既裁定者が物価上昇率(+2.5%)での改定となるはずだった。しかし、年金財政健全化のための調整(いわゆるマクロ経済スライド)が3年ぶりに行われた結果、それぞれマイナス0.6%減額されたため、実質的に年金額は目減りすることになった。
つまり、現行の年金額改定ルールのもとでは、インフレのスピードに賃金上昇率が追い付かない場合には、年金の実質額が目減りしていくことになっており、突然のハイパーインフレに賃金の上昇が追い付かない限り、高齢者の生活は厳しくなる一方なのだ。
ハイパーインフレは金利の高騰をもたらす。そして金利の高騰は国債を手放す人を増やし、国債価格の暴落をもたらす。インフレを止め金利の高騰を止めるためには、日本銀行が国債の購入を止め政府の購買力を削減するとともに、民需の抑制も必要になる。
そこで、政府は、終戦直後の前例を踏襲して、身の丈に合わない歳出削減と預金封鎖、増税をすることで、公需と民需の抑制を図る(注4)。さらに、預金封鎖の実効性を高めるために、新紙幣を発行することで新円への切り替えを図り、旧円と新円の交換制限を実施するので、国民は高インフレと相まって必要な生活物資の入手が著しく困難になる。
国債価格の暴落により、それまで運用の多くを国債に依存していた銀行や生命保険会社などの金融機関はバランスシートが大きく毀損し、体力の弱い金融機関から経営破綻することになる。金融機関の連鎖破綻が相次ぐと、日本の金融システム全体が麻痺し、機能不全に陥る。必要なところに必要な資金が回らなくなり、経済の混乱により拍車がかかる。
金融機関の経営危機・経営破綻により、特に地方では、地域向け国内向け生産を主に行う地場企業の連鎖倒産を惹起する。企業の倒産やリストラで職を失った失業者や、銀行の破綻や失業、金利高騰によって変動金利で借りていた住宅ローンが返せなくなる世帯が激増し、街には失業者やホームレスがあふれ、治安の悪化が懸念される。
国からの財政拠出に依存している社会保障制度も同時に危機に瀕しているので、失業者やホームレスに十分な生活保護を届けることができない。年金や医療、介護にも十分な資金が行き渡らなくなるので、医療や介護サービスが崩壊し、多くの高齢者が路頭に迷うこととなる。現役世帯は突如貧困や介護難民に陥った老親の面倒もみなければならなくなるものの、その余裕のある現役世帯はごくわずか。
これまでの放漫財政から超緊縮財政に転換せざるを得ない国は、地方交付税交付金や自治体への補助金を削減する。地方は、自治体の貯金にあたる財政調整基金による穴埋めが必要となるが、そもそも財政調整基金に余裕がない自治体は、緊急の特例措置として公務員の解雇や給与カットなどの人件費削減を行わざるを得ない。
その結果、私たちの日常生活に密着するさまざまな行政サービス分野で量も質も低下し、ライフラインの維持すら難しくなる。例えば、警察や消防の機能不全により治安が悪化し、刑務所の維持も難しくなるので、10万円未満相当の窃盗などは実質的に無罪放免となるなど、犯罪が横行する(注5)。
救急車やゴミ収集は料金制となり、金銭的な理由から急病でも救急車が利用できなかったり、不法投棄でゴミが街中に散乱するといった事態が発生する。さらに、バスや地下鉄など公共交通機関が値上がりするか、本数が激減するので、利用しにくくなる。高齢者などの「交通弱者」は買い物や通院も困難になる。
公共工事も減らされるので、道路の建設がストップし道路の開通が大幅に遅れたり、多少の穴があっても補修が行われずに放置されたりして道路が荒れ放題になる。さらに、さまざまな公社や公団への自治体などからの補助が打ち切られ、公営住宅の荒廃が進む。
生活が不便となった自治体からは、より移動力のある現役世代から順に脱出を試みる。現役世代は自治体を、納税、労働力として企業活動、社会活動という面から支えているので、流出は自治体の高齢化を一層高め、存立基盤を脅かす。場合によっては自治体の倒産やゴーストタウン化が避けられない。
政府の歳出削減に伴い、国庫負担金や運営交付金の抑制など未来への投資である教育予算も減らされる。中でも、国公立高校・大学・大学院の学費は急上昇するし、私立学校の多くは国からの補助金が失われ倒産の危機に瀕する。
また、現状でも少ない国からの研究資金の多くは打ち切られ、優秀な研究者の多くは海外の大学・研究機関から、日本にとどまるよりは圧倒的に好条件のオファーを受け、頭脳流出が加速する。
(注4)なお、増税規模については、仮に新規国債発行が不可能となり新規国債発行予定額と同等になるとすれば、2023年度当初予算ベースでは35.6兆円、消費税に換算すると16%に相当する。
(注5)増大する刑務所コストの削減等のため、カリフォルニア州では950ドル以下、ニューヨーク州やイリノイ州では1000ドル以下の窃盗であれば軽罪として扱われる。
島澤 諭
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