( 329513 )  2025/10/05 04:59:57  
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(※写真はイメージです/PIXTA) 

 

高校で開かれる奨学金説明会は、いつも満席に近い。進学という未来のため、多くの学生がごく自然に「借金」という選択をする。しかし、卒業後に始まる返済がキャリア選択に大きな影響をおよぼすことを、当時の彼らは本当の意味であまり自覚していない。本記事では、Aさんの事例とともに、奨学金とキャリアプランの長期的な関係について、アクティブアンドカンパニー代表の大野順也氏が解説する。 

 

北海道で育ったAさん(女性)は、現在、都内の福祉関係の会社で人事職に就いている。高校生のころから文化や価値観の違いを学びたいという思いを抱き、大学進学を強く希望していた。親に進学の意思を伝えると、「学費の高いところはやめてね。留年もだめだよ」といわれる。自分の家庭は経済的に頼れる環境ではないと知った瞬間だった。 

 

高校で開かれた奨学金説明会に参加すると、同じように真剣に耳を傾ける同級生が数多くいた。その光景をみて、「奨学金を利用して進学するのはそう特別なことではないんだ」と感じた。借金を背負う重みを強く意識することはなく、返済についても深く考えることはなかったという。Aさんは「借りれば大学に行ける」という単純な思いから、奨学金を申請した。 

 

進学先としてAさんが選んだのは、多様な価値観を持つ人々が集まる東京の大学。一人暮らしを始めるにあたって、生活費が大きな負担になることを予想し、JASSO(日本学生支援機構)の第2種奨学金を毎月10万円借りることを決めた。シミュレーションの段階では「これで生活費も学費も賄える」と考えていたが、この時点ではまだ、その後に続く長期的な返済の重さを想像できていなかったのである。 

 

無事に東京の大学へ合格したAさんだったが、実際に一人暮らしを始めてみると、家賃や水道光熱費、交通費だけで想定以上の支出があり、生活費はすぐに不足した。食費や趣味、交際費は大幅に制限せざるを得なかった。結局、アルバイトで月10万円程度を稼ぎながら生活をやりくりすることに。また、学費の滞納を避けるため、奨学金はすべて親に渡して授業料の支払いに充ててもらい、生活が厳しいときには、奨学金か親の仕送りで不足分を補う形をとっていた。 

 

大学を卒業すると、社員研修を提供する会社に営業職として就職した。初任給は22万円。奨学金の返済は1年目の10月から始まり、初めて口座から約2万円が引き落とされた通帳をみたとき、当時23歳のAさんは足がすくんだ。「これが20年も続くのか」と明るい未来がみえず、途方に暮れる。 

 

加えて、職場では過剰なノルマや罰則、常習的なパワハラに悩まされ、心身ともに疲弊。若手で給料も少なく、奨学金返済があるから辞められないと考え続けた。しかし、ついに不安と恐怖から眠れない日々が続き、「このままでは体を壊す」と1年半で退職した。 

 

 

失業後は雇用保険の基本手当を受けながら、返済と並行して就職活動を進めた。「少しでも条件のいい会社に入らなければ」という焦燥感に駆られていたAさんだが、懸命に複数の採用面接を受けた結果、約2ヵ月で新しい職場をみつけることができたという。 

 

再就職先を選ぶ基準となったのは、まさに福利厚生であった。長引く奨学金返済という負担にうんざりしていたAさんは、住宅手当や各種補助が充実している会社に狙いを絞ったのである。こうして福祉関係の会社に入社し、人事部で研修企画や採用業務を担当することになった。再就職手当も受け取ることができ、その全額を迷わず奨学金返済に充てた。 

 

「前職の苦い経験もいまに活かせている」とAさんは語るが、その裏には奨学金が与える生活上の制約が色濃く影を落としている。 

 

Aさんが高校の説明会で感じたように、奨学金を借りて大学に進学することは、いまや珍しいことではない。実際、大学生の約2人に1人が奨学金を利用しており、学費や物価の上昇、親の収入停滞を背景に、借金をして学ぶことが一般化している。 

 

このような状況のなかで、Aさんが再就職の際に福利厚生を最重視したのは象徴的である。奨学金の返済が生活に大きく影響しているからこそ、返済や生活支援をしてくれる制度が企業選びの重要な基準になっているのだ。 

 

筆者自身、企業の採用担当者と話すなかで「奨学金返還支援制度のある会社から内定をもらったので御社は辞退します」といわれたという声を複数耳にしている。これは若者の就職活動において、奨学金返済が無視できない要素になっている証拠である。 

 

「奨学金返還支援制度」は、日本学生支援機構が2021年に開始し、2025年6月末時点で全国3,721社が導入している。さらに全国の自治体も企業への導入支援を進め、想定以上の応募が集まっていると聞く。若手人材の獲得に悩む企業にとって、本制度は採用競争力を高める切り札になるかもしれない。 

 

奨学金返済に悩む若者にとって重要なのは、単なる経済的支援を行うことだけではないだろう。問題の本質的な解決には、安心して学び、働き、挑戦できる環境を提供することだ。景気の停滞が続く時代に育ち、奨学金という名の借金をして学ぶことを選ばざるを得ない若者たちの負担を少しでも軽減し、若者とともに未来を築いていくための手段・選択肢を増やしていく必要がある。 

 

大野 順也 

 

アクティブアンドカンパニー 代表取締役社長 

 

奨学金バンク創設者 

 

 

 
 

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