( 331183 )  2025/10/12 04:34:07  
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党首会談に臨む自民党の高市早苗総裁(右)と公明党の斉藤鉄夫代表=10日午後、国会内 - 写真=時事通信フォト 

 

■公明党「選挙協力も白紙」 

 

 初の女性首相を目前に、突如、落とし穴に転落した高市早苗自民党新総裁。公明党の連立離脱で国会での首班指名選挙での確実な勝利が見通せなくなってしまった。 

 

 自民党内には「どうせ野党の一本化は出来ず、国民民主を引き付けておけば単独政権でも乗り切れるだろう」という声もあるが、選挙協力も白紙に戻すと言う公明党の姿勢に不信感と不安感が広がっている。 

 

 自公連立の解消という26年ぶりの大変動に、野党の間でも新たな政権の枠組みを模索する動きも急速に出始めた。 

 

 「誰も先が読めない政局の嵐に突入した」 

政界最長老の小沢一郎議員は、これが政界再編の始まりになると断言した。 

 

■一寸先は闇 

 

 「政界は一寸先は闇」 

 

 自民党の副総裁をつとめた川島正次郎のこの言葉を高市新総裁は噛みしめているに違いない。麻生太郎元首相を味方につけて、番狂わせの総裁選に勝利してからわずか6日、公明党から連立離脱を突き付けられて、首班指名へのシナリオが大きく狂ってしまった。 

 

 「詰めが甘いというのか慢心と言うのか、高市も麻生も、危機感がなかったのではないか。参院選の敗北後、公明党の側も内部からの突き上げで追い詰められていた。今回、公明党は簡単には引けない状態だったようだ」 

 

 10日、自民党の高市新総裁と公明党の斉藤鉄夫代表の党首会談が決裂し、26年ぶりに公明党が連立離脱することが決まった後、公明党を良く知る閣僚経験者は突き放すようにそう言った。 

 

 確かに、党首会談の前には高市氏の周辺からはそう強い危機感は感じられなかった。前日9日の夜にテレビ番組を梯子した高市氏は、「自民党と公明党の連立は基本中の基本です。政治資金規正法の改正問題で幾つか懸念材料があるということでしたけど、これは誠実に前向きに検討していますから、(連立離脱などは)心配していません」などと述べていた。 

 

■高市氏から笑顔が消えた 

 

 笑顔を絶やさず、余裕さえ感じさせるその表情からは、翌日に政権の命運が暗転するという緊張感は微塵も感じられなかった。 

 

 しかし、ちょうどその頃、東京・信濃町の公明党本部では、まさに26年続く自民党との連立を離脱するかどうか、緊迫した会議が続けられていた。すでに自民党側に伝えていた歴史認識や外国人問題、そして政治とカネの問題に関する三つの懸念のうち、公明党が最も重視している政治とカネの問題が事実上ゼロ回答の見通しだった。 

 

 それでも連立に留まるべきだという意見は、すでにほとんどなくなっていた。特に旧安倍派の幹部で、自身の秘書も政治資金規正法違反で略式命令を受けた萩生田光一氏を幹事長代行の要職に就けた人事は、到底支持者の理解は得られないからだ。 

 

 高市氏は党首会談前日の9日になって、慌てて高市氏は岸田文雄前首相と菅義偉元首相のもと訪れていた。岸田氏は公明党の斉藤氏と同じ広島県の選出で二人は親しい間柄。菅氏は、創価学会中枢に人脈がありこれまで自公関係に強い影響力を持っていた。 

 

 しかし時すでに遅し、だった。国会内の常任委員長室で冒頭撮影に応じた両党首のうち、斉藤氏の表情はこれまで見た事が無い程険しく緊張していたが、それでも高市氏は、落ち着いた表情で、時折笑みも浮かべていた。 

 

 余裕なのか焦りなのか。その表情からは判然としなかった。 

 

 しかし、2時間後その表情は一変した。 

 

 

■「一方的な通告」 

 

 公明党の斉藤代表から、自公連立からの離脱を告げられた後、斉藤氏の記者会見の終了を待って自民党本部で待つ記者の前に姿を見せた高市氏からは笑顔が消えていた。苛立ちとも動揺ともつかない険しい表情のまま、「一方的に連立政権の離脱を伝えられた。大変残念な結論だ」と述べた。 

 

 責められたのは、政治とカネの問題に対する姿勢であり、これまでも自民党と公明党との間で協議が続いてきた問題なのに、なぜいま結論を出さねばならないのか、協議を続けてくれないのか、そう訴えたが公明党側は聞く耳を持たなかったという説明に終始した。高市のその説明には「問題なのは、頑なな公明党の方だ」という気持ちがにじみ出ていた。 

 

 しかしそれは、公明党は、何があっても、最後は与党のうま味を手放すはずがない、という自民党の慢心が生んだ離脱劇だった。 

 

■ついに剥がれた下駄の雪 

 

 「政治の安定という大義のもと、自民党の選挙を応援してきたが、近年、政治とカネをめぐる自民党の不祥事が繰り返されることを、公明党が説明するのはもう限界だという支持者の声があった」 

 

 10日、自民党の高市総裁との党首会談を終えて記者会見した斉藤鉄夫代表は、連立が維持できない理由についてこう言った。 

 

 政治とカネをめぐって、公明党が提案していた企業団体献金を受け取る団体を制限する案を結局自民党側が受け入れなかったことが最大の理由だと説明する中で述べたことだ。 

 

 さらに、裏金をめぐる新たな問題として、秘書が政治資金規正法違反で略式命令を受けた萩生田光一氏を念頭に、「こうした新たな問題に対する明確な説明もなかった」と厳しく指摘した。萩生田氏を幹事長代行という要職に起用した高市総裁の政治姿勢に対する厳しい批判だったと言えよう。 

 

 前日深夜まで繰り返された党内協議では、こうした創価学会の支持者たちの怒りを受けて地方議員らから、連立解消を決断すべきという声が噴出していた。 

 

 

■始まりは座布団 

 

 自公連立の歴史は長い。始まりは1999年だ。参院選で過半数を割った橋本龍太郎政権の後を受けて成立した小渕恵三政権は、安定多数を求めて公明党との連立を模索していた。だが、それまで野党として自民党と対立してきた公明党がいきなり自民党と連立するのはハードルが高かった。 

 

 この時、公明党と水面下で協議を重ねていたのが官房長官だった野中広務氏だった。野中氏は、まず自民党時代に激しく対立し「悪魔」とまで呼んでいた自由党の小沢一郎代表に、自民党との連立、いわゆる自自連立をもちかけ成功する。 

 

 この時、「政治を安定させるためには悪魔にでもひれ伏す」という野中氏の発言が有名だが、野中氏は、実はこの時の本当の狙いは公明党だったと後にNHKのインタビューに明かした。 

 

 「公明党と話しをしていて『昨日まで与野党に分かれておったのが、コロッと変わって与党になるというような器用な技はうちにはできない。やはり真ん中に座布団を置いて、その座布団をクッションにしたい』と話してくれた。そこで僕が小沢さんに頭を下げて連立に加わってもらい、それを座布団にして公明党に来てもらうという方法以外にないとなったんです」(NHKスペシャル「永田町 権力の興亡」2009年) 

 

 その後、小沢自由党は連立を離脱するが、座布団がなくなっても、公明党は自民党の重要な連立のパートナーとなっていった。小選挙区では公明党が自民党候補を応援し、比例では、逆に自民党が公明党候補を応援するという自公の選挙協力が定着し、お互いに補完し合う関係として自公連立は熟成してきたのである。 

 

■「ボロボロの下駄は願い下げ」 

 

 その後も自民党の政治とカネをめぐるスキャンダルや、安全保障や外交姿勢をめぐる問題で、しばしば自公の協力関係には軋轢も生じたが、その度に、選挙協力のメリットの大きさから双方で関係修復の努力がなされ、危機を回避してきた。 

 

 いつしか、「踏まれても蹴られても ついていきます下駄の雪」という都々逸にひっかけ公明党は自民党の下駄の雪だと揶揄されるようにもなっていた。 

 

 その下駄の雪がついに剥がれる時が来たのである。我慢に我慢を重ねて、もはや我慢の限界が来たと雪の方は訴えたが、下駄の方はそれに気づいていなかったのだろう。 

 

 「こっちは下駄の雪かもしれないが、よくよく見ると、その下駄の方も随分、汚れて鼻緒も切れかかっている。そんなボロボロの下駄にくっついていくのはもう願い下げだ」 

 

 ある公明党の地方議員は、むしろせいせいしたという口調でそう話した。 

 

 

■「自公は崩れない」という常識 

 

 「これは非常に大きな出来事です。長年続いた自公関係が終わったということは、自民党だけではなく、野党にもインパクトが大きい。野党間で政策が一致しないからなどといって政権交代を目指さないようでは、国民から批判されるでしょう。知り合いの野党幹部は、『きょうは歴史が変わる日だ』と言っていましたが、まさに私もそう思います。野党政権ができるかというと、そう簡単ではないと思いますが、これが自民党の終わりの始まりだと思います」 

 

 先週に続いて日本に滞在中のコロンビア大学のジェラルド・カーティス名誉教授に取材するとこんな答えが返ってきた。日本政治を見つめ続けて半世紀以上になるカーティス教授にとっても、これだけの激変は珍しいことだという。 

 

 「いろいろ言っても、自民・公明の関係は崩れないと思っていましたから。それは、国会議員全てがそうじゃないですか。その関係がなぜこんなにも早く崩れたのかを、いま考えているところですが、いずれにしても面白くなってきましたよね」 

 

■「玉木首相」の可能性 

 

 これまで、野党がまとまれず、政権交代の可能性を諦めていた野党幹部たちも、状況の変化を受けて、政権交代の可能性に言及し始めた。 

 

 公明党が連立離脱すれば、自民党は196議席、つまり立憲148、国民27、維新35の3党がまとまるだけで210議席と上回る。公明党が中立となれば、政権交代が実現するのだ。 

 

 立憲の安住淳幹事長は、「野党3党がまとまれば政権交代ができる。これは野党の責任も大きくなったということだ」と野党の一本化で政権交代を目指す考えを示している。しかも野田佳彦代表に拘らないと明言。国民民主党の玉木雄一郎代表を念頭に一本化を目指す考えだ。 

 

 数の上では、3党がまとまれば「玉木首相」が実現する状況になったのである。 

 

 その玉木氏は、総裁選後の5日、新総裁に選ばれた高市氏と極秘に会談したことがすっぱ抜かれた。高市自民党との連携に前のめりだった姿勢が明らかになってしまった。立憲などから首相候補の声があがっていることにも慎重だ。 

 

 「総理になる覚悟は持っているが、政策の一致がない立憲などとの協力はあり得ない」と苦しい言い訳をしている。確かに、立憲のなかには、自民党に近づく玉木氏に強い不信感もあり、現実には玉木氏で一本化するにはハードルが高い。玉木氏自身も、自分に対する不信感が他党に根強くあることを意識しているはずだ。 

 

 だが、このまま煮え切らない態度を続けていると、政治家としての決断力に疑問符が付くことになりかねない。自民党との連携か、首相となって政権交代を実現するのか。一つ間違えれば両方を失う可能性もある。玉木氏にとっても政治生命がかかる際どい状況になってきた。 

 

■「大きな嵐に突っ込んだ」 

 

 しかし、公明党が政権離脱を決めたことで、政局が一気に不安定化したことだけは確かだ。これまで政権交代が必要だと旗を振り続けてきた立憲の重鎮・小沢一郎氏は、いったい何を考えているのだろうか。 

 

 高市総裁が決まってから、小沢氏のX(旧Twitter)もピタリと止まった。この沈黙の意味するものは何か。野党共闘が進まない現状に、立憲を割ってでも自民党の一部との連携を考えているのではないか、そんな憶測も広がっていた。しかし公明党の連立離脱によって状況は一変した。 

 

 「今こそ、政権交代を実現するチャンスではないですか」 

 

 そう問いかけると小沢氏はこう言った。 

 

 「ふん。そう簡単にいくもんか。いままで野党がまとまれば政権交代ができると言い続けたのに、誰も本気で動かなかった。自民党の政治家も現状維持しか考えない者ばかりだ。政治を動かそうと言う覚悟がないんだよ。…しかし公明党の離脱で誰も先が読めない政局の大きな嵐に突っ込んだことだけは確かだ。久しぶりに面白くなるぞ」 

 

 

 

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城本 勝(しろもと・まさる) 

ジャーナリスト、元NHK解説委員 

1957年熊本県生まれ。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡放送局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として自民党・経世会、民主党などを担当した。2004年から政治担当の解説委員となり、「日曜討論」などの番組に出演。2018年に退局し、日本国際放送代表取締役社長などを経て2022年6月からフリージャーナリスト。著書に『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)がある。 

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ジャーナリスト、元NHK解説委員 城本 勝 

 

 

 
 

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