( 123982 )  2023/12/20 22:05:36  
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作家の北原みのりさんは、自民党の派閥の裏金疑惑と安倍昭恵さんについて論じています。

安倍派の国会議員を巡る裏金疑惑は5年間で5億円に上るとされ、政治家たちの対応の図太さが指摘されています。問題の説明をせず、記者に激昂する議員もいるなど、混乱が加速しているとの見解です。

北原さんは、安倍晋三元首相が生きていたら、この事件がどう報じられたか、また、森友学園問題での昭恵さんの関与に言及しています。昭恵さんは、夫の死後、どのように過ごしているのかが話題になっています。昭恵さんは、かつて総理夫人として自由奔放な行動をしていましたが、安倍政権の闇が明るみに出る中で、今後の彼女の言動に注目が集まっています。

北原さんは、昭恵さんがこれまでの生き方を反省し、成熟した大人として事件の責任に向き合う日が来るかどうかを問いかけています。

(要約)

( 123983 )  2023/12/20 22:05:49  
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 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。自民党の派閥の裏金疑惑が問題になっている。今回は、故・安倍晋三元首相の妻、安倍昭恵さんについて。

【写真】悪目立ち?安倍昭恵さんのミニワンピースの着こなしはこちら

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 安倍派の国会議員をめぐる裏金疑惑は、5年間で5億円に上ると言われている。それにしても疑惑の政治家たちの図太さが凄い。「説明責任を果たす」と簡単には言うが、誰もまともな説明はせず、4000万円の裏金疑惑が報じられた谷川弥一衆院議員にいたっては、質問した記者に切れまくり、「頭悪い」と言い放った。崩壊の速度は、思ったよりも速いかもしれない。

 安倍さんが生きていたら、この事件はどう報じられただろうか。そもそも明るみに出ていただろうか。恐ろしいことだが、安倍さん時代に政治家の問題が解明されることはほぼなかった。人一人の命が失われた森友学園問題ですら、説明を果たすべき人は何も話していない。……そういえば、昭恵さんは、今、どうしているのだろうか。久しく顔を見ていない。

 安倍さんが亡くなったとき、言葉を選ばずに言えば、「これで昭恵さんは自由になるんだろうなぁ」と思ったことを思い出す。大麻について奔放に語り、韓流好きを隠さず、原発反対やTPP反対をにおわし、居酒屋を経営するような昭恵さんのそれまでの振る舞いからは、「総理の妻になんかなりたくなかった」というのが本音ではないのかと思ったからだ。これからは「安倍家のヨメ」という立場から解き放たれ、怖い(感じがします)「姑」からも自由になり、のびのびと外国にでも行ってボーイフレンドをつくったりして……などと勝手なことを想像した。国を揺るがす大事件への関与を指摘されても、どういうわけか焦燥感や後悔や恐怖や悲壮感が似合わない(というか、漂わない)昭恵さんならば、そんなふうに軽やかに第二の人生を歩むのも不思議はないと考えたのだ。

 実際には、昭恵さんはどう過ごしているのだろうか。メディアでは、昭恵さんが「晋三記念館」を構想しているとか、それも3カ所に建てるなどと言って周囲の人を呆れさせているとか、安倍さんの一周忌のお別れ会をめぐって自民党関係者と揉めたとか、安倍さんの2億円の政治資金を非課税で相続したことが問題になっているとか……相変わらず「安倍晋三の妻、昭恵さん」らしい様子である。

 昭恵さんらしい……というのを言語化するのは難しいのだが、一言で言えば間違った印籠をもった黄門様である。

「アッキード事件」が発覚していないころ、昭恵さんは「UZUの学校」という「学校」を開いていた。女性の活躍、リーダーの育成などを謳う学校で、アーティストのスプツニ子!さんや、はあちゅうさん、古市憲寿さんといった若手著名人らを講師に招いていた。総理夫人×○○、という異色の組み合わせが話題にもなったのだが、そもそもこのプロジェクトの名前は「水戸黄門プロジェクト」と呼ばれていたという。2015年の「日経クロスウーマン」の記事で、プロジェクトを一緒に立ちあげた男性が、こんなふうに楽しそうに「水戸黄門プロジェクト」の意図を語っている。

「(学校のプロジェクトは)最初は『水戸黄門プロジェクト』だったんですよね。昭恵さんが各地を訪ねていって、現地の活動に入り込んで交流するという構想もありました。隣で一緒に農作業していた女性がふとほっかむりを外した時に、周囲が『あなたは昭恵さん?!』とどよめくみたいな(笑)」

 短いテキストだけれど、これは昭恵さんが近しい人にどのように扱われてきたのかがわかる貴重な資料だと思う。いったいこの国に、印籠を使える(と勘違いできる)女はどのくらいいるだろうか。昭恵さんには黄門DNAがあるのだ。「総理夫人」以前から、森永製菓創業者一族の娘として生まれ、身分を明かすごとに、目の前の人の目の色が変わるという体験を、幼いころから昭恵さんはしてきたことだろう。それでもフツーの黄門は、他人の目の色の変化を警戒し、慎重に振る舞うことを身につけるものである。

 ところが少なくとも総理夫人時代の昭恵さんは、印籠を多用し、楽しんでいたようにすら見える。居酒屋を経営するのも、市民運動に足を踏み入れるのも、若手文化人らを公邸に招くのも、印籠使いの一環だったのではないか。黄門だけど気さく、黄門だけど人がいい、黄門だけど庶民派。そんな逆印籠使いで、昭恵さんは自分のポジションをつくってきた。

 とはいえ、隣で農作業していた気さくなオバサンは実は気さくなオバサンではない、という印籠使いで、昭恵さんが得たものは何だったのか。それは結局自らを孤独にすることだったのではないか。黄門様には友だちがいないのだから。

 安倍さんの死後、私は初めて、昭恵さんと晋三さんは本当に仲が良かったのだと思うようになった。家族の宿命で政治家になり、祖父から3代にわたり関係があったとされる宗教の被害者によって殺害された晋三さん。初代社長と2代目社長、それぞれの孫同士の結婚で生まれた昭恵さん。彼女は日本を代表する国際的企業の親族経営を決定的にする象徴としての子どもだった。生まれる前から定められていた「一族の子」としての宿命を背負うふたりは、同じ境遇の人にしかわかりあえない痛みを共有できる関係だったのかもしれない。妻と夫というエロス的関係以上に、「○○家の子」として生きることを宿命として引き受けるしかなかったお嬢ちゃまとお坊ちゃまだったのかもしれない。ふたりでいる限り、成熟しない子どもでいられる。それはなんて、居心地の良い関係だっただろう。悪いのは全部、他の人のせい。私は何も知らない。何も責任をとらない。だって、子どもだから。そしてこの国は、印籠をもったそんな子どもたちに振り回されてきたのかもしれない。

 ひとりぼっちになったお嬢様は今どうしているのだろうか。ここまで印籠を使ったら、もう印籠の価値はない。価値のなくなった印籠を、昭恵さんは手放せるのか。安倍政権の闇が明るみになりつつある今、昭恵さんが、人前に出て自分の言葉で話す日は来るだろうか。自分が関わった事件で人が亡くなったことの現実に、昭恵さんが責任ある成熟した大人として向きあえる日は来るのだろうか。

北原みのり

 
 

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