( 126358 ) 2024/01/07 23:25:34 0 00 冷戦時代のソビエト連邦(以下、ソ連)において、シベリアに帰還した宇宙飛行士を回収すべく開発された高性能船「ツポレフA-3」がアメリカで販売されていました。
【画像】「えっ!…」米ソ冷戦時代の“宇宙開発競争の遺物”が売られてた!? 「ツポレフA-3」を写真で見る(12枚)
アメリカ・ミズーリ州の自動車販売店Hyman Ltd.で販売されていた貴重な「ツポレフ A-3」(C)Hyman Ltd.
1960年代後半、アメリカとソ連は熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていました。両国は莫大な資金を注ぎ込み、ロケット自体はもちろんのこと、コンピュータから誘導システム、さらには支援車両や訓練機器に至るまで、宇宙開発プログラムのあらゆる技術が急速に進化を遂げました。
なかでもソ連は、帰還用ロケットを広大なシベリアに導き、地球に帰還させました。なぜシベリアだったのか? それは帰還用ロケットが“敵国”の手に渡ることを恐れたため、といわれています。
しかし、シベリアの人里離れた環境は人目につかない理想的な着陸場所であった反面、過酷な気候のため宇宙飛行士を回収するには困難を極めたそうです。
そうした課題の解決案を見出したのが、ソ連随一の航空機設計者であるアンドレイ・ツポレフでした。
1961年、ツポレフは小型ボートのようなカタチをしながら後方に尾翼と大きなプロペラを備え、水上、氷上、湿地帯を滑空するように設計された高性能船「ツポレフA-3」を設計しました。
ソ連政府は「ツポレフA-3」の活用を真剣に考慮したようですが、狭いコックピットにかさばる宇宙服を着た宇宙飛行士を乗せることが難しいことに気づいてしまったのです。
ツポレフは宇宙飛行士を文字どおり、機体に“くくりつけて移動“することを提案したそうですが……却下されたといいます。
●ソ連時代のエンジニアリングということで収集価値は高い
宇宙飛行士の回収には使われなかった「ツポレフA-3」ですが、へき地での物資輸送や緊急搬送などのために約800機が生産されたそうです。
今回販売されていたのは、そんな「ツポレフA-3」のうちシリアル番号007の個体。販売者はHyman Ltd.という車両販売業者でした。
現存する数少ない1台といわれ、元はペレストロイカにおいてドイツ人のエンスージアストが購入したものだそうです。船体はシルバーに塗り直され、黒と赤のグラフィックが施されています。
エンジンはオリジナルの260馬力から変更され、360馬力を発生する巨大な10リッター9気筒“ヴェデネーエフM14P”に更新されています。
このエンジンは頑丈で実績のあるユニットで、「ピッツ・モデル12スタント機」のような他の航空用途にも使用されています。最高速度は150km/h近くに達するそうです。
船体はリベット打ちの合金製で、船底には低摩擦のポリエチレンパッドがおごられています。計器や制御装置はオリジナルを復元したもので、操縦席からは飛行機とボートが融合したような感覚を味わうことができそうです。
このようにソ連時代のエンジニアリングの魅力たっぷりで、冷戦時代の宇宙開発競争の遺物として収集価値は非常に高いといわれています。
日本でも、雪深い北海道の農場やスキー場での移動手段として、ちょっと面白そうですよね? 20万9500ドル(約3039万円)で販売されていたのですが、すぐに売れた模様です。
古賀貴司(自動車王国)
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