( 127592 ) 2024/01/11 22:05:28 2 00 「じいちゃん、置いてくぞ」 100メートル先に津波、迫られた判断朝日新聞デジタル 1/11(木) 18:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/3b58336d8a25a4fe47fa6e4169432b5fdbaa6855 |
( 127595 ) 2024/01/11 22:05:28 0 00 荷物を取り出すため避難所から戻ってきた横場松男さん。潰れた1階部分に父が取り残された=2024年1月11日午前10時42分、石川県珠洲市宝立町鵜島、小玉重隆撮影
「じいちゃん、悪いけど置いて行くぞ。津波がそこまで来ているから」
地震発生から10日が過ぎた11日。横場松男さん(60)は、石川県珠洲市宝立町鵜島(うしま)の自宅から荷物を取り出していた。津波が迫るなか、倒壊した自宅に取り残されて亡くなった父の政則さん(85)にかけた最後の言葉を振り返った。
【写真】崩れた横場松男さんの自宅内部。この下に父の政則さんが閉じ込められていた=2024年1月11日午前10時4分、石川県珠洲市宝立町鵜島、小玉重隆撮影
横場さんの自宅は、築30年の2階建てだった。元日のあの日、家にいたのは父と母、妻と息子2人の合計6人。父は、トンネル工事に従事していたため、じん肺を患っていた。酸素吸入を受け、ほぼ寝たきりの状態だったという。
「ピー! ピー!」
最初の揺れで停電が起きた直後、酸素吸入器の電源が落ち、警告音が家中に鳴り響いた。「あっ」と思った瞬間に、震度7の激震が襲った。地面の下から2度3度、激しく突き上げられる。地割れが起き、ねじれるようにして家族全員のいる1階部分がつぶれた。
幸い、居間にいた家族は隙間からはい出ることができた。だが、寝室の父に呼びかけても返事がない。近所の人も集まってくる。
そして家から100メートルほど離れた海を見たときだった。
「津波が来る!」
岸壁から津波があふれてくるのが見えた。波は、徐々に家に迫ってくる。
「このままじゃ、自分も周りの人も死ぬかもしれない」
とっさに判断した横場さんは、1階に閉じ込められた父を置いていくしかなかった。
父を自宅から救出できたのは、地震発生2日後の3日だった。津波は自宅まで到達し、家の中にあった冷蔵庫も波をかぶっていた。地元消防団が天井とベッドの間に挟まれた父を、5人がかりで出してくれた。
父は、天井が落ちてくるのを凝視していたのだろう。目は見開き、両手を突き上げた状態で亡くなっていた。「あの状況では、どうすることもできなかった」と横場さんは話す。
「こういう時は、救急隊や自衛隊などもなかなか当てにできない。やっぱり地元の絆が一番大切だ」
救出から一週間過ぎて、ようやく父を荼毘(だび)に付すことができた。「あの時、地元の仲間たちが助け出してくれなかったら、まだ弔うことすらできなかっただろう」
横場さんの暮らす地区も高齢化が進んでいる。地域の担い手になるはずの若者は、ほとんどが金沢などの都市部へ仕事を求めて出て行った。2人の息子も、1人は地元に残ったが、もう1人は愛知県内で働いている。
「これから復旧、復興していくためにも、たくさんの人手がいる。でも周りを見渡すと若い人が見当たらない」
だから、横場さんは全国の人に訴える。「若者が減った中で災害が起きたらどうなるのか。みんな考えてほしい」(小玉重隆)
朝日新聞社
|
( 127596 ) 2024/01/11 22:05:28 0 00 ・辛いですね 神様は人に乗り来れられない試練は与えないって昔ドラマか何かで見たことがあって、当時も腑に落ちなかったけど、やっぱり今も腑に落ちないかな。 真面目に生きてきた人達だったり、唯一家族で集まれるような日のお正月にこんな震災が起きるなんて、神も仏もないのかと思ってしまう。元々ないとは思ってるけど、でも、やっぱり天災はやりきれない。
・結果的に、お父様をガレキの中から助けるには消防団複数人がかりでたくさんの時間をかけて救出しなければならず、どうしたって津波からは助けられなかったことがわかった。地震が来た時点でお父様の運命は決まっていて、息子さんが見捨てたから亡くなったわけではない。 親子で亡くなるか、息子さんが助かるか、2択だったわけです。お父様はきっと空の上で、逃げてくれてよかったと思ってると思うよ。 私にも子供がいますが、同じ状況なら子供には絶対逃げてほしい。
・地震後の津波はいつ襲ってくるかはすぐにはわからない。ニュースでも津波の規模や到達時間が表示されるまでタイムラグがあり、今回の能登地震でも津波の情報が出た時には既に「到達中」となっていた。 とにかく比較的海沿いに住む人たちは、地震が発生したらすぐ逃げるべきだ。足腰が悪い人ならなおさらであり、介助が必要な人は津波を想定した行動を予め決めておいたほうがいい。 ニュースを見て状況把握をしていたら手遅れになる。状況把握は逃げながらでも、逃げた後でもいくらでもできるのだ。 地震が発生したらとにかく逃げる。それが大事だと改めて思った。
・なんとも言えないですね。 父親を助けていたら自分も一緒に被害に遭うかもしれない…。 父親を置いて行くというのは、苦渋の決断だったのだと思います。 お父様のご冥福をお祈りします。
・亡くなったじいちゃんの最期の状況を思うと辛いかもしれないが、老い先短い命を目の前にして当然の判断であったかと思います。一方で思うのは病気で寝たきりとなった場合、家族への負担や災害時に厳しい環境に陥ることが想定されるのであれば、死ぬ権利により薬により眠るように美しく最期を迎えたいと自分なら考えてしまう。今の日本では死ぬ権利を法律で認められることはほぼ無理と言われているが、高齢化・少子化、年金問題、医療費問題、生活保護問題で日本経済崩壊が回避できない環境下で真剣に考える必要があると思う。
・こういった記事を読むと感情移入してしまって涙が止まらなくなる。
この判断をした息子さんは立派です。そうするしかない、この判断をわずか数秒でした、この事実に感動します。
お父さんは息子さんを絶対に責めたりしません、むしろ正しい判断だ流石俺の息子だと思っています。
本当に優しく強い息子さんです。
と書いていたらさらに涙が・・・。
・難し過ぎる問題。今回の地震の被害を見ると全部の条件が悪過ぎる。家の老朽化と耐震性、地盤の悪さ。海が近い。家に関してはいくら丈夫でも地盤が悪ければ倒壊の危険はあるわけだし。 技術が進んだとしても人手不足は解消されない。もちろん高齢化も。 自分の意見では海外の一部の地域の様に30世帯とか住める横長の住居を作って世帯売りするのは良いと思うが。上に大きくしなければ耐震性は上がるしマンションの様な仕様なので住宅価格の減少も抑えれると思う。
・阪神大震災でも、火の手がどんどんせまり、家族が建物に挟まれたけど救出できずに泣く泣く避難。年齢に関係なく、起こりえること。年齢を重ねれば、親でも子でも、誰でも辛い経験の一つや二つはあるもの。だから、時間はかかるけど、人に優しくできたり、その人の分まで生きようと前を向ける。親や子を亡くした方たちが、沢山、お辛い思いをしていると思いますが、ご冥福をお祈り申し上げます。
・こういう時に若い力は有り難いでしょう。地域の団結力も、普段からの交流あっての素晴らしい財産です。 でも、若者は断層や津波のリスクがある地域に好んで住まうでしょうか?助け合いに若い力は必要ですが、同時にそれは若者が被災するリスクを背負うことになります。リスクを背負わせるより、自分の状況を客観視して、故郷を離れる選択肢も検討すべきかもしれません。
・この判断は“命を守る行動”として考えるなら正解です。 救助は己の身の安全を確保できて初めて行えるもの。 自らを危険な環境に身を置きながら人を助けるのは非常にリスクがあり、ましてや死が目の前に迫っているのであれば優先すべきは自分の命です。 そこに様々な感情が入ってくるのは仕方のないことですが、咄嗟に判断ができたこの方を讃えたいと思います。
・僕が少年式を迎えた子供達に伝えた、贈る言葉は、ふるさとは、近くに有りて支えるもの!でした。今の過疎地の現状を子供達が理解出来るか?解らないけど、自分達を守り育ててくれた故郷を、大切にして欲しい…そんな想いでした。おそらく高校ゃ大学、社会に出て様々な経験をして大人に、なって行くんだろぅなぁって思いますが、幼少期を過ごした大事な想い出の地を…いつかは、この地に、御礼の気持ちで…出来る事なら、この地を支える人に、育って欲しいのですが…こればかりは、無理強い出来ないし過疎地は何かと不便ですからね。地域協力隊の存在も有りますが任期後には、別の場所に…通過点です。帰る事の有る場所って、本当に、有り難いモノなんですょね。若い人には、ちょっと理解出来る問題かは不明ですが
・これを考えると、地元を離れる選択肢も高齢者になればなるほど重要だな、とおもう。できることならばまだ、趣味の活動ができるくらいの60歳で移住するのがいいと思う。足腰弱くなってからでは趣味の活動もできず、周りとの新しい交流もなくなってしまう。げんきなうちに、移住して、その移住先であらたな仲間をつくる、自分の趣味をつくる、などしていくしかないとおもう。
・YouTubeで阪神淡路大震災の時の野戦病院と化した病院の動画見ました。
そこではもう命の選別をしなければならない状態で、もう助からないと判断された方は「もうやめなさい」と必死で心臓マッサージしている医者に、責任者らしき人が声を掛けて回っていました。
震災では、ごく普通に生きてきた人が 家族や友達など身近な人を 「トリアージ」しなければならない状況に追い込まれます。
しかも極限の状態で。
誰もこの方を責めることは出来ません。 お父様のご冥福をお祈りします。
・自分には娘がいます。 もし、お父さんと同じ立場だとしたら迷わず自分を置いて逃げろ!と言ったはずです。 苦渋の決断だったでしょうけど、お父さんは必ず息子さんが今生きていられる事を喜び安心していらしゃっると思います。 けれでも、自分にも親がいます。親の事を思えばかなり苦渋の決断です。 あの時あの瞬間にそのご決断をなされた息子さんに心の底から感服いたします。
・介護認定4くらいでしょうか。 ご家族が自宅で一緒に暮らしたいとのことで在宅介護を選択されたのかと思いますが、群発地震が多い地域であること、津波浸水エリアであることを考え、この記事を読む読者にも強く考えさせられる状況です。 ご遺族は深い後悔も感じられているのかもしれませんが、きっと在宅介護という時間で一緒にいられた時間は幸せだったと思います。 ご冥福をお祈りします。
・阪神大震災のとき、 助けられないまま、火災に会われた方々の話を思い出しました。 助けようとして助けられなかった方、 自分が足枷になるからと身内に自分をおいて逃げるようおっしゃった方、 助かった方は自分自身を責め続けたことでしょう。 でも極限状況の中、 すべてを助けられる判断ができるはずもない。 助かった方々は辛いでしょうが、 助かったことの意味を受け止め生きてください。 伝えること、生きることがこの先意味を持つのだと思います。 冷たいかもしれませんが、 皆さんの生き残った意味に期待します。
・家族とともに大晦日を過ごし、元日を迎えたその数時間後にこんな悲しい災害と、家族との別れが訪れるなんて誰にも想像できないだろうし本当に切ない。 地震発生当時、輪島の津波の観測データが取れず、輪島の津波の高さも「1.2"以上"」という表示になってて津波の高さもよく分からなかったし、空も暗くなる一方で津波も見えにくく状況が読みにくかったが、翌日の朝の映像を見た際にはこれほどの被害があったのか…と改めて津波の恐ろしさを痛感した。 津波は1mでも十分脅威だし、NHKのアナウンサーが危機感を持って「逃げて」と訴えたのは本当に適切だったと思う
・自分自身の命をとるか、自分自身の命を犠牲にしても親を見捨てないか・・・過去の震災でも同じ様な場面は沢山あったと思うがその場面にならないとわからない決断、とても辛い決断をしましたね、今自分自身が出来る事をしていくしかないけど被災していない私がが出来ることは限られているが気持ちを一つにして皆で乗り越えていくしかない。
・自分も家長として究極の場面でこのようにしっかりと判断できるだろうか。守らねばならないのは命、できれば若い順で。無理なら助かる順か…。どう判断しても後悔するんだろうな。 ご冥福をお祈りいたします。
・私の母親も津波の経験者。まだ母親も若くて仕事で出稼ぎしていた最中。津波が来て友達もいて助けてと言っていたけどほんとになんにも手が出せないそうです。どうにもならないそうです。もし津波に遭遇したときは高台に行くんだよって。来るのは良いけど引いていくのがものすごい力があり怖いそうです。とにかく津波が来たら高台。自然の力は怖いです。
・311の教訓を踏まえ、大多数を守るために、津波警報を発令したことは、間違いなく正しい措置だったと思います。。
ただ、判断を迫られその場を離れざるをえなかったが結局津波は襲来せず、助けられたかもしれない命を助けられなかった…更には火災の拡大を招き犠牲者を増やすことになってしまった…
それが輪島のビル倒壊現場と、大規模火災現場の真実だと思います。多くの犠牲者と辛い決断を迫られた遺族、消防や災害救助に携わった方々の心中を察すると、本当に心が痛みます。。
・私は被災地に住んでいなかったので、死者・行方不明者が〇〇人と、数字の感覚しかありません。 しかし、このように亡くなられた1人1人の様子をポツポツと目にする機会が増え、色々と感じることも増えてきました。 このような方々に何か出来るわけではありませんが、消費や寄付を通じた支援を細々と続けていきたいと思っています。 気休めにもならないかもしれませんが、ご自分を責めず家族と楽しく生き続けて下さることを願っております。
・阪神大震災の時も自宅が火災になり、親が子供に「逃げなさい」と言いながら亡くなったという報道もありますね。。 私の地元ではお子さんを庇ったお母様が亡くなられたそうです。 今は特に発災直後だし、物凄くショックで悲しい。。 どうしたら良いかわからない。 残された人々は一生懸命に生きて経験を伝えて行くしかないと思います。 無理に乗り越えなくても良いと思います。
・苦しい決断ですね。 本当に心が痛いです。 私が親なら子供には絶対逃げてもらいたい。 でも置いて逃げたと言う傷を背負ってしまうような気がします。 今はそれどころじゃないだろうけど、身体のケアだけじゃなく心もケアして欲しいです。 そしてお父様のご冥福を心からお祈りするとともに、皆様が早く落ち着いて生活出来るよう願っています。
・ご冥福をお祈りします。 どこで聞いたか見たかは忘れてしまったのですが、東日本大震災のときの津波の話で、娘夫婦と障害を抱えた孫を車に乗せて避難させて自分は津波にのまれて亡くなったおばあさんの話を思いだしました。家族で逃げようとしていたのだけれどもうすぐそこまで水が押し寄せてきている。おばあさんは自分はいいから行け、生きろ、と言って家族を送り出す。後ろから聞こえた万歳という叫び声が最後だった、という内容だったと記憶しています。娘さんはどうして一緒に逃げてくれなかったのか、と悔やんでいましたが、同じ状況でおばあさんの立ち位置なら、私もそうするだろうなと思いました。自分を切り捨てることで生存の可能性があがるなら、そうしてほしい。自己満足でしかないのだろうけど、大切な人には生きていてほしいから。死者の思いはわからないけど、お父様も息子さんが生き延びたことを喜ぶことはしても、恨むことはないと思います。
・私の父も寝たきりの状態でした。昨年亡くなりましたが、生前に言っていた事を思い出します。「地震が来たら俺を置いて逃げろ」東日本の震災以降よく言っていました。 ですが、私にはその決断はできないと思います。 その場に父を置いて逃げる事がどれほどの決断なのか、、、 想うだけで涙が出ます。 ご家族が無事で本当に良かった。 お父様のご冥福をお祈り致します。
・凄い経験ですね。辛い、辛すぎる。ほんとに能登半島地震は大変なことになってますね。辛い話がたくさんで胸が痛みます。我が家も悩みがありましたがそんなの比べ物になりません。小さいことで悩んでいた自分を違う視点で見るようになりました。究極の経験をした人は強くなるような気がします。遠くから応援します。頑張ってください。きっと生きていればいい事がたくさんあります。亡くなった方の御冥福をお祈りいたします。
・辛いご決断でしたね。 お父様のご冥福をお祈りします。
私にも子どもがおります。 まだ未成年ですが。 もしもの時は、親の私より子ども自身が生きる道を選択してもらいたいと強く思っています。親とはそういうものかと。 なので、お父様も、息子さんやお孫さんが生きていてくれた事を喜び、きっと見守ってくださると思います。
・悲しい。それと同時に身内にここまでの判断を出来る方…時間のない中どれだけいるだろうか。 結果守られた命は多く判断は正しかったのだろうけど、判断を自ら下し生きた側はずっと辛いのかもしれない。誰だって、全員助けたいもの。そう出来るならしていたはずだり 赤の他人の私に言われたって、嫌かもしれないけれど、、あの刹那で選び取った行動は凄く立派なものであり、あの震災でのこの方の判断は間違いないと思います。
お父様のご冥福をお祈りします。
・本当につらい決断だったと思う。 しかしその決断が他の家族やご近所の方の命を救ったのだと思う。 報道ではやはりマンパワーのある警察・消防・自衛隊の活動に注目されがちだが、自分たちも被災者そしてほぼボランティア、しかし地元の事は自分たちが一番よく知っているし自分たちが守る、そんな気骨のある消防団員たちの活動にも感謝したい。
・我が家にも体が不自由な祖父(90)がいます 我が身に置き換えてしまうほど記事を読んでいて辛い気持ちになったとともに、咄嗟の判断で救える先の長い命を優先すべき時もあるんだと感じました 父は優柔不断で咄嗟の判断ができるか不安なので、祖父本人に伝えるかは決めかねますが家族内であらかじめ話し合う必要があるかもしれませんね
・難しい問題ですよね、若者を取りいれらても仕事が無い地方で、海沿いなら周りは漁師の家系なのでしょうか?現代の漁師達も高齢化が進み、後を継ぐものもいない現状で廃業を余儀なくされている漁師達です、そこにもし若者が来ても簡単には出来ない職業です、最低でも仕事と住む家が有れば、若者も地方に来るとは思いますが、少し難しい様な気もしますが、この様な自然豊かで子供には夢と宝物がいっぱいの毎日に生活出来るのは、この様な場所しか無いと思います、今の小さな子供達も自然とは関係無い、テレビゲームや勉強だけで、自然を愛しむ場所も無い暮らしの毎日です、そして心に余裕もなくなり、優しかった気持ちまでも変えてしまう、便利だと言う暮らしの生活なんだと感じます
・読んでいるだけでも辛いです。 津波が来ていなかったとしてもお父様を助け出すにはかなりの人数と時間を要したでしょうし、同じく高齢であろうお母様やその他のご家族を連れて逃げなければならない状況で辛いけれど、正しい判断だったのではないでしょうか。 お父様のご冥福を心からお祈りするとともに1日でも早く穏やかな日常が取り戻せるように願っています。
・三陸ではつなみてんでんこと言う言葉があると聞いた事があります。 辛い判断だと思います。 が、残されたものとして、未来に向かって歩んでほしいと思います。 と同時に、過疎化の問題は深刻だと感じるとともに、名案が無いのも事実でしょう。 能登半島の先端から人が消えることが無いよう、みんなで知恵を出し合うしかないですね。
・辛いですね。 私の父が脳梗塞で倒れた時に医師から『延命治療をするか否か』を聞かれました。自分一人で決める事はできませんでした。母親に相談したり兄に相談したり。みんなが『延命治療を希望しない』と言ってくれたから医師に回答できました。 一人でお父さんを置いていく決心をしたのは本当に辛かったでしょう。でも振り返らないでください。必ず復興してお父さんの遺影に見せてあげてください。
・凄い壮大な最後にあっぱれ!と思いました。85歳にして病状も有った、この大地震被害から免れても生きるに苦しい現実は待っていたと思います。
〜目は見開き、両手を突き上げた状態で亡くなっていた。 なんて立派な姿だろうかと思います、もうご自分の寿命を知り天界を見据えた姿だったのだと感じる。両手をめいいっぱいに伸ばして天界の天使たちに引かれる様に天翔ったのだと私は思う。
御子息さまのご判断は正しかった。どうか胸を張ってお父様の殉死を褒め称えて欲しい。
・東日本大震災で、大事な家族を亡くしました。 悲しい。苦しい。辛い。 だからもう二度とこんな悲しいこと起きないでほしいって、どれほど願ったか。 この方の心を思うと、どんな言葉でも表せないくらい辛いと思う。 大事な人との突然の別れ、それも自分で決断したなんて、想像できない痛みでしょう… 心穏やかに過ごせる日が一日も早く訪れますように。 ご冥福をお祈りします。
・東日本でも若い娘さんが、はさまれた中年のお母さん(おいていかないでと呼び掛けている)を泣きながら見捨てていった。自分をまもるのが絶対正解、苦しんでいるならなんとかそういうのに長けた人がいやしてほしい。 また若い人の負担を考えてほしい。たしかになくなった方はいとおしいが、そのお骨をさがすために若いダイバーを1年以上も海中捜索させるようなことはやめるよう、遺族の方が声をあげるようになれば次の世代におもいやれる世の中だと思う。
・本当に辛い決断を瞬時にしなければならなかった事、思い出しては辛くなったりもするかもしれません。
でもお父様は、いい決断だった!よくやった!残った家族をあとは頼んだよ!ってきっと最期思ったはずです。私が同じ立場なら自分の子にならそう思う。
まだまだお辛いことが続くかもしれませんが私もできる限りの支援をしつつ被災地の一刻も早い復興をお祈りしております。
・読んでいて涙が出ました。 きっと地震直後に助け出そうとしていても勝手な憶測ですが、お父様は俺を置いていけと言ったのではないでしょうか。 でもいざ自分の目の前に天井が迫ってくるのは想像しきれない恐怖だったと思います。 お父様のご冥福をお祈りします。 きっと今後の復興を天国から見守ってくれていると思います。
・正解なんかないけど、この判断は間違っていないと思う。 一家の大黒柱である自分の決定が大きく左右するのもわかっていただろうし、たとえ自分だけ残って父親を助けるからみんな先に行けと言っても、実際はそうはならないよね。 より多くの命が助かる最善の判断だったと思う。
・どんどん若い人が地元からいなくなります。 仕事がないからだと聞いています。 地方が弱くなるのは仕方ないと思っていましたが、次に首都直下型の地震なんかが来たら助けに行ける力は地方には無くなっている事でしょう。 人口や供給力の分散は都会に住む人達の為にも必要なのだと思います。
・息子さん、辛かっただろうな…
でも子を持つ父親としては、同じ立場で同じ85歳なら俺はもういいから逃げてくれ!幸せに生きてくれ!って純粋に思えるかな。
息子さんには、親父を置いて行って死なせた!なんて罪悪感は1ミリも持たないで欲しい。
親父さんは息子の命を犠牲にしてまでも助かりたかった、生きたかった、なんて絶対思ってないから。
精神的にも肉体的にも辛い時間が続いてますが、どうか心安まる日が早く来ますように。
・お父様は日本の高度成長期を支えたお一人だったと思います。 肺を患いこのような形で最後を迎えられたことに言葉がありません。 自分も足腰の弱った高齢の母と古い木造家屋に住んでいるので決して他人事ではなく胸が締め付けられる思いです。
今はあちらで静かにご主人とご家族を見守ってくださってるのではないでしょうか。
・年配の身内を見ていて思うのが、皆んながどうすべきか考える必要があるのは理解できても年配になるとそこまで考えられない体になるんだなと。だから街全体で考える必要があるし、場合によっては県に助言をお願いするなどするしかないのかなと思う。 今回の震災を伊豆半島に置き換えた時に伊豆半島も同じ状況になるんだろうなと思う。
・過疎地はなるべくしてなっていると私は考えている。どんな田舎でも若者が残っている地域は残っている。魅力や仕事、絆など様々だろうが、貧しくても明るく田舎で生活している家族を何人も知っている。 それも踏まえた上で、私はこの人が若者がいない田舎での災害を考えてほしいというのがどうしても引っかかってしまう。そうなる前に過疎化は防げる。こうなってから若者に帰って来いというのはあまりにもムシが良すぎる。 年寄りになればなるほど自分が可愛くなるのもわかるが、それ以上に若者を大切にしてほしいものだ。こういうところの役場や企業などの賃金も年功序列で決まっているのであろう。どこに魅力がある? いつまでも努力、根性から抜け出せない過疎地。
・辛い現実ですね。 どんな災害の時も 誰かを守るために誰かを犠牲にする決断を咄嗟に迫られる。その決断は代償が大きく悲しみ辛さが残された家族に襲いかかる。
自然災害は止める事は出来ない。 特に地震はつい数秒前まで平和だった家族を一気に不幸にしてしまう危険性をはらんでいる。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするしかないのが残念です。
・実際に津波の災害にあった地区あり、ニュースでは余り紹介されていないのが現実で、未だに地震が現在進行系と 地震の恐ろしさを目の辺り記事でした、日本の国自体が何処の場所でも大地震に遭遇するかも知れない国、地震の備え大事だと思います。
・これは辛い、辛いがしょうがない選択、誰も悪くない。誰がこの選択を責めれるのかと思う。 なんと言えばいいか、この選択を迫られた状況は辛かっだろうとしか声のかけようがない。 眼の前に迫る津波、そして地震で壊滅した家屋、冷静に家族を救った判断を尊重したい。 でも辛い、辛かったろう。究極の選択を迫られ逃げ場のない選択をするしかなかった。
・目は見開き、両手を突き上げた状態で亡くなっていた
ここ凄くリアルでいかに地震津波が恐ろしいかわかった 何となく、経験がないから、亡くなった方の状態ってドラマで見るような「目を閉じて気をつけの姿勢」しか思い浮かばないんだけど、リアルはこんなにも怖いんだね。 お父さんが亡くなったのは計り知れない悲しみでしょうが、お父さんを助けるために家族皆が巻き込まれることはお父さんも望んでなかったと思う。
・その状況を想像すると言葉もありません。 親を置いて行った自分を責めて悔やんでその時の情景が頭から離れることはないでしょう。 どんなに辛かったことか。 どんなに悲しかったことか。 津波てんでんこ。 東北地方に言い伝えられている言葉。 自分の身を守るためとにかく逃げろという意味のようです。 実際この決断が自分に出来るか。 考えさせられるけど答えが見出せないです。
・去年看取った父を思い出し涙が出て来ました。
心不全を患っていたのですが、病院で普通に看取っても負い目や後悔はあるので、この方がお父様を置いて逃げたと負い目を必要以上に負われることがないよう
お父様の分まで元気に生きて行かれる事が1番の御供養になると思います
被災地の皆様に心の平穏が訪れますよう、また寄り添っていけるよう、お祈りしております。
・東日本大震災のときに、震度はそれほどでもなかったのですが気持ちの悪い揺れ方と、その長さに、築百年を超えた家は危ないと思い近くにいた母に「にげるよ!」と声をかけた。寝たきりの祖父がいたので母は「爺さんは!?」というので「仕方ない!」ってわたしは返したような。
結局震度5弱程度で家もなんともなかったのですが、母に地震のたびにその時のことを言われます。母も責めているつもりはないのでしょうが。 その後テレビでは「まずは自分の身を守ろう」とか「津波からは振り返らずに逃げろ」と言ってくれるので多少罪悪感も和らぎましたが。 あのときの判断は客観的には間違ってなかったとは思いますがもやもやしたものは残ります。 記事のお父様は実際お亡くなりになっていてこんな苦悩の何倍もの辛さを味わっているのでしょうね。でも判断は間違っていない、実際他の家族は助かった、そういう事を社会として繰り返し肯定してあげて欲しい。
・愛する家族を置いて行かざるを得ない逃げる一歩一歩に後悔と悔しさがあったと想像できてしまって心が痛い。 津波が間近に迫るまで必死に救助しようとしたんだろうな。 きっとおじいちゃんも分かってくれてると思うし、天国から温かく見守ってくれてると思いたいですね。 そしてやっぱり震災は憎いです。
・このケースは子が親を助けることができなかった状況だけど、災害時は逆のケースを受け入れないといけないケースもあり得る。 助けに向かって共に命を失うことが明確な場合、助かる命は自分自身が守らなければいけない。 これは勇気のいることだけど、東日本大地震で津波被害に合われた方も仰っていた。
・この息子の判断は間違ってなかったはず。 難しい問題だし、親を置いてなんて胸が張り裂けそうなくらいの決断だったと思う。 じいちゃんもきっと息子の判断は間違ってなかったぞって思ってくれてるでしょう。 私も東日本大震災で被災した身です。 天災は突然やって来て大事なものを奪ってゆく… 頑張ってとは言いません。 精一杯生きていれば命さえあれば未来は開けます! じいちゃんの分も精一杯て欲しい。
・犠牲になった方に対して特別な感情を持たない冷静な他人としての意見は、この方の判断は合理的で当然の行動だったと言える。 津波が迫っているのに、明らかに救出できない家族を前にしてぐずぐずしていても何も意味は無いし自分の命に対するリスクが高まるだけ。
とはいえ、では自分の親が目の前で挟まれていて目視で確認できるほどに津波が迫っていたら見捨てられるかというと・・・ 当然諦めて逃げるしか選択肢はないんだけど、精神的には簡単に割り切れる事では無いよね。
・毎日痛ましいニュースばかりで心が傷みます。 被災地の方々のご心痛を考えますがそれを遥かに上回る悲しみを抱えて皆さん毎日を乗り越えていらっしゃることでしょう。 せめて被災地が毎日晴れて、少しでも寒さが和らいでくれる天候に恵まれることを祈るしかありません。
・一極集中の過密も過疎も災害に弱い。人命を守り国を復興させるには、国土を災害に強くするインフラ整備が必須。=利害優先の無責任な民営化は危険であり、道路や水道、通信は国営とし、全国の地域がフォローし合える体制が必要。 国土強靭化を訴える藤井聡教授に学ぶべき。
・悲しいです。本当に悲しい。この記事を読んでるだけでも辛いですが、当のご本人はもっと辛いでしょう。 でも、おじいちゃんを助けようと最後まで諦めなかったとしたら、ご本人や他の家族まで巻き添えになってしまっていたと思う。 おじいちゃんもきっとこの判断で納得してくれていると思う。どうか自分を責めないで欲しい。
・悲しいです。本当に悲しい。この記事を読んでるだけでも辛いですが、当のご本人はもっと辛いでしょう。 でも、おじいちゃんを助けようと最後まで諦めなかったとしたら、ご本人や他の家族まで巻き添えになってしまっていたと思う。 おじいちゃんもきっとこの判断で納得してくれていると思う。どうか自分を責めないで欲しい。
・先日ニュースで、避難されている 若い女性のインタビューで、
周りのおじいちゃん、おばあちゃんに お世話になってきた。今、若い私たちが 出ていったら、残された高齢の方々に 申し訳ない
と仰っておられました。 ご自身も被災され、とても辛い、 しんどい気持ちもあるだろうに何と 優しい、強い方なのかと思いました。
若い力はやはり、必要ですね。
・辛いです。 私には忘れられない言葉がある。 まだ20代の頃、某大学病院で治療のための検査入院をしていた。 同室の方は1人は同郷、1人はまだ大学生になったばかりの10代の子だった。 まるで合宿のような気分で辛い検査に向き合っていたが、しばらくするとその大学生のお父様が入院された。 明るく、気丈で優しいお母様が家族2人の看護をしなきゃならない。 おまけにお父様は胆管がんでステージIIIとのこと、抗がん剤などのために検査を進めていたら、お子様と同じ膠原病を併発してることがわかった。すると免疫暴走との戦いでがんの治療はできない。 ある日、エレベーターでお母様と2人きりになった。ぽつりと、だが振り絞るような強い口調で「この世に神様なんかいない!」と仰った。 私は言葉が出なかった。 それ以来、その言葉を忘れたことはない。 時として非常な有様に、私も神様を恨みたくなる。
・辛かったでしょうが、仕方ないですよ。 私も阪神大震災で、他人に助けを求められて救出活動し、1人助けて1人亡くなってて辛かったですが、その後叔母のアパート行ったら全壊してて、叔母も犬も亡くなってました…。 早く行ってたらって思いましたが、周りは死体だらけ、本当に異常な状況でした。 知らない人はとやかく言うかも知れませんが、精一杯やられました、ご自身を責めずに生き残った人生大事にして下さい。 お父様のご冥福をお祈りします。
・お父様は恨んでいなかったと思います。恐怖はあったかもしれませんが、自分を助けるためにもし息子や孫たち他の家族が犠牲になっていたらそっちの方が恨んでいたかもしれません。 これからは遠くでご家族のことを見守られているだろうと思います。お父様のご冥福をお祈りします。
・「若者が減った中で災害が起きたらどうなるのか。みんな考えてほしい」その通り。人は皆、豊かな生活を求めて都心部へ出ていく。地方に残された親は孤独に年老いていくだけ。都心部に人口が集中し、若者はどんどん出ていき地方は衰退の一途を辿っている。国をあげてこの状況を変えるべき時が来ているのではないだろうか。
・東北大震災で孫娘が、おばあちゃん背負って逃げていたら、おばあちゃんが、「もう、ここで良い。オレを置いていけ」と言って降りたそうな。
おばあちゃん、後ろから津波が来るのが見えた。孫娘は嫌がったが、ばあちゃんテコでも動かず、孫娘はそのまま逃げた。津波に足をすくわれながらも、高台に辿り着いた。
でも、あの時のばあちゃんの姿が忘れられないとか。長い間、苦しんでいた。
・記事の最後に「若者が減った中で災害が起きたらどうなるのか。みんな考えてほしい」とある。これは過疎地だけでなく国を対象にしても同様に問題を提起できる。
また、もう一つ考えなければならないのは、若者が外国人ばかりの中で災害が起きたらどうなるのか。
3.11の時、外国人は帰国していった。
やはり日本の課題と正面から向き合えるのは日本人だけだ。移民に頼らず、少子化を最優先課題としなければならない。
・美談が大衆からは持て囃されるが、これが現実の判断だと思う。ここまで介護してた肉親を見捨てるのは覚悟してないとできなかったと思う。瞬時に自分や子の目の前に攻める津波と、その場では瓦礫に埋もれてしまいすぐに助け出せない父親がいる中で、非常に辛い判断だったと思う。 せめて家から逃げ出せた家族が無事だったのが救いだと思うし、躊躇してしまえば被害がよりひどくなっていたと思うと恐ろしい。
・東日本大震災で、津波が迫る中瓦礫に挟まれ身動きが取れない年老いた母親を仕方なく見捨てて逃げた女性が、その時の母親の「置いてかないで」という言葉が忘れられないと泣きながらインタビューに答える記事を読んだことを思い出しました。 その時は「阪神大震災でも瓦礫に挟まれたまま火災で亡くなった人の記事がたくさんあったけど、まさかあれから16年もたってまたこんなことが起きるとは」と大ショックを受けたけど、さらに13年たってまたこんなことが起きるとは。
それとは別の意味で驚いたのが、百人以上の人間が元日から10日以上も下敷きになったままなのに、報道がかなり少ないこと。 首都圏で同じ人数の被害が出たら、たとえ被災地域の面積が一万分の一以下だったとしても、未だに通常番組中止して生中継で報道特番が続いてたはず。 2018年の岡山集中豪雨のネット速報にびっくりしてテレビ付けたら民放全局W杯だったの思い出した
・本当に本当に苦渋の決断だった事、またお父様の御冥福をお祈り申し上げます。 元旦の団欒時の出来事でした。私の住む地域もかなりの揺れで動揺しました。記事を読んでとても居たたまれない気持ちになりました…
ただ、誹謗中傷覚悟で申し上げます。 夫は自衛隊員として現地に今も参っております。 被災された皆様の生命を守るため。 私達家族も皆、被災された皆様がどうか無事でおられます事、また不自由のない事を心から祈り、一日も早く不自由な生活から開放されますよう願っております。
苦しい時は、気持ちをどこにぶつけたい思いもわかります。 ですが、夫に 「何かない限り連絡しないでね」 かれこれ…何日過ぎたてしょうか…
地元の力は非常に大切です。 ですが、国、また自治体の力無くしては前に進めないと思います。そこには若者の力もあると思います。 皆様の無事を祈ると共に、私は子ども達と夫の活躍を祈ります。
・「若者が減った中で災害が起きたらどうなるのか。」
答えはシンプルです。滅びていくんです。 自然なことだと思います。
嫌だったら引っ越せば良い。でも郷愁だとか愛着だとか、理屈じゃない自分の自然な気持ちに任せて住み続けたんです。もっと大きな自然の力が働いた時飲み込まれるのも当然でしょう。悲しむことではありません。それはそれで豊かな終わり方でしょう。
・こういう状況時を想定し、 『私(娘)が助かる事がお母さんの願いだから私(娘)は助かるようにするから。お母さんが悲しまないようにね。』 と、娘とは約束してます。 大多数の親が同様に、願うでしょう。 しかしやはりとても悲しくつらい天災で、頑張ってとは言えませんが、生きていてくれた事がよかったと、子どもに対して親は思いますね。 ご冥福をお祈りします。
・生産年齢人口の減少は経済問題に限らず諸問題に直結した課題ですね 2040年頃には全国約900の自治体が単純計算で消滅危惧対象と試算されている このまま座して衰退と消滅を受け入れるか、文化的課題を覚悟して移民を受け入れるか 残り時間もない中で決断が求められますね
・横場さん、苦渋の決断を下した時の心中いかばかりか。胸に迫りくるものがあります。親と子、子と孫、人間は幾世代もの心のつながりを積み重ねてきました。しかし、こんな別れを決断しなくてはならないとは。どうか、自分を責めないでください。お父様もきっとあなたの決断を許し、誉めてくれるでしょう。「それでこそ我が息子」と。いつか落ち着いてお話ができる時が来たら、自分の前では思い切り泣いてください。あなたの思いのすべてを受け入れる所存です。加賀のOREGONです。
・人が見ていない所ではなかなか立ち上がれないご老人が多い。宅配のインターフォンにも間に合わない方も。弱った部分を家族に隠して生活しておられる高齢者が多いのです。息子さんの声に直ぐには動けなかったのかも知れません。先に避難された息子さんの判断は正しかったよ。お父さんは決して息子さんを恨んだりしません。お悔やみ申し上げます。
・自分の命を懸けて助けに行き、結果どちらも助かる、というのはドラマのヒーローだけです。現実はこういう時、究極の選択をしなければならない。人命を最優先するなら、皆過疎地には住まないという選択も必要かもしれません。
・今回のこの状況でなくとも、人との最後の別れって同じところがあると思います。 私も父を亡くしています。 病気でしたが、私達家族がもっと体調に気をつけてあげていたら、、、違う病院を選んであげていたら、、、たくさんたくさん後悔があります。 人との別れは、、、同じ気持ちです。 お父様のご冥福をお祈りいたします。
・津波が迫り、倒壊した家の中に家族が居るなんて、本当につらい。 自分の父がその状況だったら、置いては行けないと思うけど、本当にその状況に直面したらどうなるのかなんて想像もできない。 本当につらかったと思います。どうかご自身を責めないで欲しいと思います。 ご冥福をお祈りいたします。
・これは辛い決断だったでしょう。私も同じ立場なら同じ事を決断をしていたと思う。親子揃って死ぬより、息子さんだけでも助かって何よりだと思います。でも、切ないなあ。こんな時、自然はなんて酷いもんだろうと思う。何故こんな試練を与えるのか?自然の前では人間はなんて無力な事か。お父様のご冥福をお祈りします。
・これは辛い決断だったでしょう。私も同じ立場なら同じ事を決断をしていたと思う。親子揃って死ぬより、息子さんだけでも助かって何よりだと思います。でも、切ないなあ。こんな時、自然はなんて酷いもんだろうと思う。何故こんな試練を与えるのか?自然の前では人間はなんて無力な事か。お父様のご冥福をお祈りします。
・被災地でのさまざまな記事を読み、心が痛みます。。小さな子が亡くなるのも辛い、一生懸命家族を支えて来られた方が亡くなるのも辛い…人間は自然には勝てないが、なぜと自然を恨まずにいられない。まだまだ生きたかった人もいるだろうし、こんな最期を迎えるなんてという人も多いだろう…言葉に表せない気持ちでいっぱいです。
・この方には辛い判断だったと思うしこれからも辛い思いを抱えていくことになるかもしれないけど、やっぱり、なにもできなくなった老人よりも、現役世代、子供の命がより大事だと思う。冷たいかもしれないが、人はいつか終わりがくるのだし、次の世代を一番に考える必要があると思う。 日本が高齢者だらけになって、しかも介護が必要なひとばかりになったのもそういった思考がかけているからじゃないかと思ってしまう。
・助けることにより自分が死ぬ可能性がかなりの確率であっても助けようとする人はいるし
助けようとする事により自分も助かる可能性がないと判断して合理的な判断をする人もいる
同じ危機的な状況で 相手が自分の子供または奥さん 祖父母か親戚、または親友か友達か
そこはその人の相手に対する愛になるのかな
・ツナミが来たときは先ず自分が助かることを考えることで助かる人が増える。今までそういう風に幾度と言われてきたが 実際に そうせざるを得なかった人はどれほど辛いだろう どれほど傷ついただろう。涙が出てしまいます。元気を早く取り戻せるよう祈っています。
・津波てんでんこ この教えが有るのは意味が有る 本当に悲しい事ですが、自分を責めない様に
津波てんでんこ(つなみてんでんこ)は、津波からの避難についての標語ないしは合い言葉である。
「てんでん」とは、「てんでに」や「てんでんばらばらに」という意味で、「津波てんでんこ」とは、薄情なようではあっても、「てんでんばらばらに急いで早く逃げよ」という、津波から逃れるための教えである。
三陸地方では昔から「津波起きたら、てんでんこだ」と伝えられてきた。
・地方の過疎化は止められないし、消える自治体も増えていくのは確実です。人口も減ってきますし。そういう政治を選んでやってきた日本がツケを払う時代になったって事ですよ。今のお年寄りはバブルのいい時代を過ごせて、これからの若い人より人生謳歌してきたと思います。
・辛い体験をされたと思います。でも正しい判断だったと思います。 今回の地震で、改めて夫に言いました。非常事態のときは、私のことは見捨てて構わないから。助かる可能性の高い方が生き残って、子供を育てようと。子供を守ることが1番大事だから。その時は私もあなたを見捨てるからと。
・まずは亡くなられたお父様にご冥福をお祈りします。そして自分を決して責めないで下さい。 ただ今後もお父様を思いながら、復興をしてください。本人でなければ、この辛さはわからないと思います。第三者が偉そうな事は言えません。陰ながら復興をお手伝いします。
・リアルですね。 綺麗事や美談はよく後に出ますが、こういう現実の話は胸に突き刺さります。 お父様のご冥福をお祈りします。 そして決して他人事じゃなく、いつ自分に災害がふりかかってきてもおかしくない状況… 色々と考えるべき事があると思い知らされます。 1日も早く皆様が普通の日常に戻られる事をお祈り致します
|
![]() |