( 127593 )  2024/01/11 22:05:28  
00

2024年1月11日、石川県珠洲市宝立町鵜島で発生した地震と津波の被害に遭った横場松男さんの体験が報じられた。

彼は自宅から荷物を取り出すために避難所に戻り、1階部分で取り残されたばかりか亡くなった父への最後の言葉を振り返った。

横場さんの自宅は、地震で倒壊し、家族は幸いにも無事だったが、寝室にいた父は救出されずに亡くなった。

地域の高齢化と救助の困難さについての横場さんの考えも伝えられている。

(要約)

( 127595 )  2024/01/11 22:05:28  
00

荷物を取り出すため避難所から戻ってきた横場松男さん。潰れた1階部分に父が取り残された=2024年1月11日午前10時42分、石川県珠洲市宝立町鵜島、小玉重隆撮影 

 

 「じいちゃん、悪いけど置いて行くぞ。津波がそこまで来ているから」 

 

 地震発生から10日が過ぎた11日。横場松男さん(60)は、石川県珠洲市宝立町鵜島(うしま)の自宅から荷物を取り出していた。津波が迫るなか、倒壊した自宅に取り残されて亡くなった父の政則さん(85)にかけた最後の言葉を振り返った。 

 

【写真】崩れた横場松男さんの自宅内部。この下に父の政則さんが閉じ込められていた=2024年1月11日午前10時4分、石川県珠洲市宝立町鵜島、小玉重隆撮影 

 

 横場さんの自宅は、築30年の2階建てだった。元日のあの日、家にいたのは父と母、妻と息子2人の合計6人。父は、トンネル工事に従事していたため、じん肺を患っていた。酸素吸入を受け、ほぼ寝たきりの状態だったという。 

 

 「ピー! ピー!」 

 

 最初の揺れで停電が起きた直後、酸素吸入器の電源が落ち、警告音が家中に鳴り響いた。「あっ」と思った瞬間に、震度7の激震が襲った。地面の下から2度3度、激しく突き上げられる。地割れが起き、ねじれるようにして家族全員のいる1階部分がつぶれた。 

 

 幸い、居間にいた家族は隙間からはい出ることができた。だが、寝室の父に呼びかけても返事がない。近所の人も集まってくる。 

 

 そして家から100メートルほど離れた海を見たときだった。 

 

 「津波が来る!」 

 

 岸壁から津波があふれてくるのが見えた。波は、徐々に家に迫ってくる。 

 

 「このままじゃ、自分も周りの人も死ぬかもしれない」 

 

 とっさに判断した横場さんは、1階に閉じ込められた父を置いていくしかなかった。 

 

 父を自宅から救出できたのは、地震発生2日後の3日だった。津波は自宅まで到達し、家の中にあった冷蔵庫も波をかぶっていた。地元消防団が天井とベッドの間に挟まれた父を、5人がかりで出してくれた。 

 

 父は、天井が落ちてくるのを凝視していたのだろう。目は見開き、両手を突き上げた状態で亡くなっていた。「あの状況では、どうすることもできなかった」と横場さんは話す。 

 

「こういう時は、救急隊や自衛隊などもなかなか当てにできない。やっぱり地元の絆が一番大切だ」 

 

 救出から一週間過ぎて、ようやく父を荼毘(だび)に付すことができた。「あの時、地元の仲間たちが助け出してくれなかったら、まだ弔うことすらできなかっただろう」 

 

 横場さんの暮らす地区も高齢化が進んでいる。地域の担い手になるはずの若者は、ほとんどが金沢などの都市部へ仕事を求めて出て行った。2人の息子も、1人は地元に残ったが、もう1人は愛知県内で働いている。 

 

 「これから復旧、復興していくためにも、たくさんの人手がいる。でも周りを見渡すと若い人が見当たらない」 

 

 だから、横場さんは全国の人に訴える。「若者が減った中で災害が起きたらどうなるのか。みんな考えてほしい」(小玉重隆) 

 

朝日新聞社 

 

 

 
 

IMAGE