( 129341 ) 2024/01/16 22:43:42 2 00 能登半島地震「被災地に本を送らないで」 日本図書館協会が異例の呼びかけ…本が「ゴミ」になった大震災の教訓から弁護士ドットコムニュース 1/16(火) 10:01 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ddbd2a965a6968bbfe4961442b7516c1fedadb37 |
( 129344 ) 2024/01/16 22:43:42 0 00 福井県立図書館がエックスに投稿した地震直後の写真( https://x.com/Fukui_Pref_Lib/status/1742413424527814800?s=20 )
能登半島地震の被災地で、避難所に賞味期限の切れた食品が届けられるなど、「迷惑な支援物資」が問題となっている。
【画像】能登半島地震で被災した図書館
そんな中、公益社団法人「日本図書館協会」(JLA)は「緊急支援物資などで、被災地、特に避難所に直接、本を送ることはやめましょう」と呼びかけている。日本図書館協会が、一般を対象にこうした呼びかけをするのは初めて。
日本図書館協会によると、阪神・淡路大震災や東日本大震災では、被災地に本が送られたが、置き場所に困ったり、読書ニーズのミスマッチなどが起こり、廃棄せざるをえないケースもあったという。
日本図書館協会は1月11日、公式サイトで「被災した図書館へ支援を考えている皆様へ」という文書を公開し、本を送らないよう呼びかけるとともに、被災地の支援には「長期的に興味を持ってエールを送り続けること」が被災地の励みになるとしている。(弁護士ドットコムニュース編集部・猪谷千香)
⚫︎東日本大震災の直後、兵庫県立図書館から…
2011年3月、東日本大震災が発生した直後、日本図書館協会に連絡が入った。
「被災地に本を送らないください」
兵庫県立図書館の職員からだったという。日本図書館協会・図書館災害対策委員会の西村彩枝子副委員長はその理由をこう話す。
「1995年に発生した阪神・淡路大震災のときに、本が大量に届いて大変だったそうです。ですので、東日本大震災では日本図書館協会は問い合わせがあった場合には、本を送らないようご案内していました」
ところが、個人が本をダンボールに詰めて避難所に送ったり、出版社などが本を大量に集めて被災地へ送る取り組みなどもあった。
「本はそもそも場所を取ります。また、本が届いても避難所には整理する人がいません。結局、あちこちの避難所で、片隅に本が積まれたままの状態が長く続いてしまいました。日本図書館協会では震災発生から1年後に現地の図書館の支援に入りましたが、そのときもまだ本がダンボールに入ったまま積まれているところがありました」(西村副委員長)
「善意」で送られた本だったが、そのまま廃棄されたものもあったという。
⚫︎「本を送らない」理由は?
こうした事態を受けて、東日本大震災時に有志で創設された博物館・美術館、図書館などの被災・救援情報サイト「saveMLAK」は2012年7月、「本を送りません宣言」を公開した。
宣言では、次のような理由から、被災地や被災者に本を送らないと説明している。
1、本を送るという行為は、本を贈る(プレゼントする)という行為です。私たちは通常、少なくとも「古本」を大切な誰かに贈りません。ですから、私たちは被災地や被災者に「古本」は贈りません。
2、本は重くかさばり、場所をとります。実は本はたいへん扱いにくいものであり、被災地の限られた空間や人手を奪います。ですから、私たちはこの事実を常に意識し、被災地に古本を送りません。また、新品を贈ることにも慎重にふるまいます。
3、被災地には「本」で営みを立てている方々もいます。善意に基づいて大量に送られる本は、実は被災地にある書店等の「知」の経済環境を破壊します。ですから、私たちは、新品を含め、被災地や被災者に「本」を送りません。
⚫️今後、どう支援すべきか?
現在、日本図書館協会は、石川・富山・福井・新潟の県立図書館と連絡を取り合い、現地の被災状況の把握に努めているという。また、公式ホームページで次のように呼びかけている。
「被災地から要請が出てくるまでは、本を送らないようにしましょう。被災地から要請が出た際には、日本図書館協会も広報の協力をしてまいります」
また、被災地では災害対応や復旧作業に奮闘していることから、直接問い合わせはしないよう求め、「saveMLAK」の被災情報などを確認することを推奨している。
では今後、どのようなかたちの支援が望まれるのだろうか。日本図書館協会・図書館災害対策委員会の末次健太郎委員長はこう説明する。
「これから被災地の図書館では、設備を復旧した後に本を補充していく作業になると思います。ですので、今後は本を直接送るのではなくお金で支援して、現地の方々が必要な本を選書し、そろえることが必要になっていくだろうと思っています」
現在の支援窓口としては、自治体などが設置している募金活動のほか、日本図書館協会が災害で被災した図書館のために使用している「図書館災害対策のための指定寄付金」も募集している。
また、日本図書館協会は1月15日、被災地の図書館関係者に向けて、過去の災害で得た経験や情報を基にした復旧作業時の注意点などを公開した。
弁護士ドットコムニュース編集部
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( 129345 ) 2024/01/16 22:43:42 0 00 ・災害が起こり、救援物資が多く届いても時間の経過と共に使わない物や食べなかった物が山積みになり無駄になる例を見てきました。被災者が一番必要としているのは、やはり生活を立て直す為の資金かと思います。台湾からの義援金は17億円を超しているとの事。人々の貴重な資金と気持ちが被災した方々に行き渡りますように…
・個人としては何もしないで日常を過ごすのが被災した方々への一番の支援なのだと、今回の震災でよく分かりました。 余計なことはしない。 個人のボランティア、物資の支援などは不用で国や行政に任せ、復興が落ち着いてきて被災地方の方々がおいで、となってから観光に行ったり、その地方の特産品を買ったりしたいと思います。被災者の方々が辛い日々を送っていると思うと何かしたい気持ちになりますが。 心落ち着く日が早くくることを願います。
・よくあんな重いもの送るよな
被災者がテレビで必要やって言うと、それがとんでもない量届く
災害初期、中期、その後と必要な物は異なってくる 初期に電気が必要な物資を送るなんて空気読めよってなるけど、中期以降なら仮設住宅や家に帰って来るようになるから、逆に電気を使う電子レンジ等助かりますって感じなんじゃね
相手の気持ちになって送る事は大切や
・やっぱりお金が一番みたいですね。阪神の時に現地で仕分け作業のボランティアをやらせて貰ったけど本当に仕分けは大変だった。ダンボール全部開けないと何が入っているかさっぱり分からず出す場所もない。たまにダンボールに中身の記載があるものもあったが「衣類」だけでは防寒着なのか下着なのか(大人用子供用男性用女性用)分からん結局開ける。 ダンボールの上面と横4面に細かく書いてあるのがあって涙が出るほど嬉しかった(上面だけだと積み上がったら読めない)。
・こういった善意の行き違いが起こらないようにするためにも、災害発生から間もない段階においては、いつどこで何がどのくらい必要なのかを理解しているその道の人に任せて、足を引っ張らないようにすることが肝要なのでしょう。一般の有志が現地入りするのは、災害発生直後の大混乱がある程度収束し、人手が必要な復旧作業の段階に入ってからでよいのではないでしょうか。
・支援物資なら段ボールに物品の明細書を貼り付けないと何が入っているのか分からないですよね。
ちょうど倉庫整理やってて、段ボールを積み上げて在庫を入れてしまうと数年後に廃棄する時にこれがあったんだと初めて気がつくという無駄な事が発生するので一目で何が入っているのか表記するべきだと思い知っている所です。まして、食品なら賞味期限や冷蔵の有無など関わるので管理が大変ですよね。
保存がきくカップラーメンとかを銘柄と賞味期限を統一して大量に送るとかなら管理できそうかも。でも、そうなるとメーカーに任せた方が良くて、私達個人は義援金などで貢献した方がベストという結論に落ち着きます。
・被災者の気を紛らわすためと思って送る人がいるかもしれないが、大量の本は重たくて動かすにも一苦労。 被災地・被災者に何かしてあげたいと思う気持ちと行動は大事だが、(相手にとって必要)か(逆に迷惑か)はしっかり考えなければ、思い込みで動く人は緊急時でも平時でも困ることになる。 結局は寄付が一番手っ取り早くありがたいことだろう。
・確か個人からの支援物資はすべて辞退する方針だったように思いますが、本なんかも少し考えれば被災地に相応しいかどうか分かりそうなもんです。その他、千羽鶴や寄せ書きなんかも送られても迷惑でしかないです。こうも相手の身になって考えられる人が少ないんであれば、個人からの支援は寄付金だけに限って、物資の支援はお断りしたほうがいいように思います。お金だけ送ってもらって物に変えるようにしたほうがいいと思います。
・賞味期限がだいぶ切れた食品や着古した服を送り付けるのも含め、支援物資を廃品回収と勘違いしている人も沢山いるからな。
あとは、本をタダで寄付することで、被災地の書店や図書館が収入を得られなくなり、むしろ二重の打撃を受けて再起できなくなるというのは、中々気づかない重要な問題だと思った。
・美容師だけど東日本の時に被災地にカットのボランティアに行こうと各地の役所に問い合わせた。 どこも県内からのボランティアで十分間に合っているので、何よりも瓦礫の撤去に来てくれたほうなら助かるとの事だった。 言われてみれば髪の毛なんかいつでも切れるが、瓦礫の撤去は1人でも多いほうが良いと思い仲間と数人で向かいました。 慣れない力仕事は大変だったが、何より家の方に涙を流しながら感謝されたのが本当に嬉しかったし、少しでも力になれて良かったと心から思った。
・支援物資すらうまく回っていない時に大量の本が入ってきたら混乱は必至ですよね。自分一人の本を処分する時ですらこれに押しつぶされたら怖いな、と思うくらいですから、置き場に困るでしょう。普通の人なら古本屋に膨大な本があっても、実際に欲しい本はわずかなので、古本の支援は効率が悪すぎると考えるべきでしょうね。
・昔、震災や戦争を経験したおとしよりに聞いたところ 下着の心配されるけど きれいな靴下に履き替えるだけでもさっぱりすると言われたことがあります 履き古したものでなく新しい物を送ってほしい あと、何が口に入るだけで不安画少し解消されるので飴玉なんかも緊急時用に持っていなさい とも言われました
1日でも早く安定した生活ができることをお祈りします
・図書館の本は、図書館員(司書)が、利用の傾向や地域性、全体のバランスなどを考えながら1冊1冊選んでいます。避難所の運営も充分に手が回ってなかったり、場所の余裕が無かったりするだろうし、図書館協会が呼びかけているように、必要になった時に、現地で使いやすい形で支援するのが一番だと思います。 一日も早く、本をゆっくりと楽しめるような暮らしが戻ることを祈ります。
・使い古した服とか、賞味期限切れの食品とかを着払いで送ってくる人がそれなりにいるらしく、ゴミになり、かつ、宅配送料も被災行政が負担するという、むしろ迷惑でしかない行為を、善意というなの迷惑系偽善者がいるのが問題なのだろうね
むしろお金でのほうが被災者はどれだけありがたいかだけどそういった人はさらさらお金なんか払わないし、自分の家にゴミを着払いでなので困った人たちだね 行政も着払い拒否をしてもいいと思うし、そのまま返送すべきでしょうね
ボランティアも今後、困ったちゃんが現れるだろうし、被災地を困らせる要因でもある 今の世の中、ネットにあげてバズるのが目的だけど、ボランティアと称していくアホも増えそう
今回の被災地は、インフラ、家屋がことごとく駄目になっており、無駄なものや人がいくとそれだけ被災地の負担になることを心得るべきだろうね
ボランティアと称する偽善者ほど質の悪い者はいないし
・私はあげたり、もらったりしたら もう所有権は相手や自分に移っていると考えるが 人によっては、せっかく頂いたものを捨てられないとか捨てるなよって方がいる 10年くらい前にある役場に行ったら 東日本大震災の時の折り鶴隅っこに置かれてた もう捨てれば良いのにと思ったが まだ有るのかもしれないな
・被災地のニーズは刻々と変化していくというのが東日本大震災時の教訓でした。発生直後、現地との連絡が殆ど取れなかったときに取り急ぎ届けたカップ麺、インスタントレトルト食品、カートリッジ式コンロ、ミネラルウォーター、毛布、セーター類は初期にはかなりの効果があったわけですが、数週間後にはカップ麺やレトルト食品は在庫過剰となり、寧ろ置き場に困る状況となり、ガス復旧後はカートリッジ式コンロも同様(ミネラルウォーターは用途が広くそういった声は無し)。現地の声、特になかなか声を挙げづらい女性や子供のニーズについては声を上げやすい環境を作ってあげることが重要と感じました。 本件記事にある本に関しては、「きっと読みたがっているだろう」と慮って送った方が多かったようですが、落ち着くまでは到底本を読むだけのゆとりなどありません。現地ニーズを正確に汲み上げることが何より重要なことは決して忘れてはならない教訓です。
・東日本大震災の復興の過程で、被災地に図書館や児童施設が段々に整備される中で寄贈図書の支援が役に立つケースはありましたが、あくまでも段階を経て要望に沿った支援でなければ迷惑でしょう。また、記事には書かれていませんが、津波の被害を経験した児童らに例えばピノキオがクジラに呑み込まれるシーンを有名な絵本だからと平然と贈るのはどうなのかという話し合いもありました。内容を確認しながら選ぶのもなかなかの作業量となりますので、被災地に負担をかけない支援のあり方を互いにコミュニケーションをとりながら行うのは大事なことだと思います。
・今回の被災した方々が高齢者も多いと報道見ました。本の支援、これ50代の人でも厳しい場合もある。それは老眼。私個人場合でお話させてもらうと、元々の視力が弱いのでそれを補うメガネやコンタクト使っていると老眼状態も強く出てしまうんです。裸眼だと本を読むのに10センチ位迄近づけないと見えないし、コンタクト使えば遠く離さないと見えない。又明るさも必要で、薄暗いとこれまた見えない。まだまだ十分な生活とは言い難い状況だけに本や雑誌読める環境でないと思います。
・送る方はね、これだったら喜ばれるやろとか、色々考えたり思いついたりするんだろうけども。
逆に自分が同じような局面の時に、どんなサポートしてくれたら嬉しいか、どんなプレゼントが嬉しいかって考えると… 不粋かもしれんけどやっぱ現金なんよな。
本を送ったり、よく問題視される千羽鶴なんかも、元を辿れば善意なんやも思うんよね。 その善意が迷惑被ったりしない、正しい形で被災者に届いてほしいよな。 その為には、やっぱり『現金で寄付』ってのがシンプル且つ最強なのかと思う。
・地震被災被害者は避難先で毎日頭を悩ましており、こういう時に日頃目にしない趣味や気を紛らわす本や雑誌に救われるときも多々あると思うが、本記事はそういう可能性よりも、過去の事例で本がゴミになって大地震の役には立たず、本がゴミになってしまうとかの教訓でした。だから、本を贈るのは喜ばれないということのようだが、そういう主旨から一般には添うのが良いようだ。出来ればやはり使い勝手のできる義援金が一番良いようだ。
・あと本って重たいから運ぶのも仕分けするのも重労働。 被災者自身が率先して作業されてることも普通にあるし、ダンボール箱を少し移動させるだけでも十分に栄養が摂れていない被災者にとっては大変な作業だと思う。
・東日本のとき、津波で被災した小学校へ絵本を送る、という取り組みが有って、子供が通っている小学校へ持って行った記憶が有ります。 その後、小学校単位?市町村単位?でまとめて仕分けして送ったことでしょう。本は重いし、発送にもかなりのお金がかかったことでしょう。 読まなくなった本は市の図書館へ寄付しようとしても断られます。被災者を支援したければ、ブックオフやメルカリなどで売って、そのお金を寄付するのが、よいと思います。
・本を送ろうと考える人もいらっしゃるんですね。 いずれ必要とされるタイミングもくるでしょうが、今じゃない感じ。 被災地の現状であったり、時間の経過とともに変化するニーズであったりを最大限考慮してモノは選ぶべきかと思いますが、被災された当事者の方々と想像するだけの他者では、どうしてもそこにギャップがしょうじることと思います。 どのタイミングでも無駄にならず、かつ一番役に立つのは、やはりお金だと思います。 人に何かを贈りたい時でも、好みやニーズがわからない場合は「お金を包む」という選択になることは誰しもあるでしょう。 間違いのない支援は一択だと思います。
・やっぱり後々考えると、お金の方がいいと考えます。もし、自分が災害にあった時に最初は食べるもの、日用品が必要ですが、、これはある程度メーカーさんが頑張ってくれます。ちょっとするとは、人力が必要なんで、ボランティアが必要です。その後の生活自立するためには、やっぱりお金が必要やと思います。出来るだけ、お金を寄付するようにしましょう。
・阪神・淡路大震災の時は子供でしたが、被災した季節が冬でしたしサイズアウトした子供のアウター綺麗なものたくさん送ってくれたどこかの地域のお母さん方の物資で私はベンチコート当たって冷え込む2月も温かく過ごせました。 本は無駄だったと思います。少し落ち着いてうちの小学校に送ってくれた漫画や小説が山積みになってたけど、ランダムで配給されていたのか成人小説や漫画も混ざってて先生方が子供に読ませれないとつぶやきながら仕分けて処分したりしてる姿も見たので善意だろうけど本以外でも使えないものは必要の無いゴミになる物が多かったと思います。
・支援にかこつけて自分の部屋の断捨離をしているような人もいるのでは。賞味期限切れの食品なんかも、送る時に期限ギリギリだったりして、送り主にとって不要なものを処分がてら被災地に送っているような気がする。着用済みの下着なんかも同様に。善意ではあるかもしれないけど、相手が求めているものは何か想像力を働かせないといけないと思う。
・本を被災地に送ると言う考えが私にはないですが 基本的には送ることが出来るとしたら要望があるものですよね もらって嬉しい助かるもの。 本を読みたい方が中にはいるかもしれませんけど 何の本が読みたいか まではわからないし お金が一番ですそして早い段階で集まったお金を少しずつでもひとりひとりに渡して欲しいです。
私いつも思うんです ちょっと離れただけで みんな普通に暮らしてる 生まれ育った場所を離れるのは寂しいし 土地勘も知り合いもいないところで生活するのは ストレスになるのかもしれませんが 住めば都!と言う言葉もあります。
って外から勝手なこと言いますけど いつもそう思うんです。 落ち着くまでゆっくり出来る場所で 暖が取れる場所でと思います。
・被災地の役に立ちたいと考えるなら募金が一番です。お金はその時々に応じて最適な物資に形を変えて要支援者の元へ届きます。災害復興の資金にもなります。
注意すべきは街頭での募金活動です。 某左翼団体では過去に行った街頭募金からピンハネしていた事実がありますし、悪意ある輩の詐欺である可能性があります。すべてがそうとは言いませんが見分けることが難しいのも事実です。
ですから、石川県がホームページで募集している義援金の募金手順に則ってお金をお預けするのがベストです。県に集まった義援金は、石川県下の自治体にて有効に活用していただけます。
・災害に遭ったことがない人には被災者のことはわからないのだろう。わからないからとりあえず送っとけと言うよりは、何が必要なのかという情報を集めることから支援したらいいのに。 これは自治体は被災者だから難しいだろうから政府が国民へ向けて発信したものだけを送るようにすればいいのに。
・阪神淡路大震災の時の話にはなるが、被災地に古着、古本、使わない毛布等は普通に送られていて、被災地では不要な物もありながらも子供服や寒さ凌ぎの物品等、意外と助かる物があったという声も上がっていた。何が役に立つか予想もつかない上に、誰が使った物か分からないとか贅沢は言っていられない状況もあったので。 そう考えると今は被災地でも「あれはいらないこれもいらない」と言えるくらい支援が迅速かつ充実していたり、何だかんだで豊かな世の中になっているのかもしれない。
・支援は本当に必要とされたものが供給されて初めて支援に成る。聞きかじりや思い込みで送り付けているは今じゃ聞かない押し売りやサギセールスと変わらない。自己満足の行為でなく自治体主導のアラートに合わせた包括支援が今は必要。その日の生活ができる事。ソコが一番大事な事。まだまだ未来を考える余裕ない人がほとんどかも知れない。自治体も被災者。自治体が他の正常な地方と同じに機能しない事も考える必要が有る。限られた人数で対応なら外からの支援に全て目を通す事は不可能。人命保護的には2週間、だけど復興に向けてはまだ2週間しか経っていない。道半ばだが、諦めずに一歩一歩進むしか復興の未来はない。いろんな方面の判断が見えて来ると思う。
・図書館司書です。 実は本にも賞味期間があります。 どんな話題作でも一年も経つと需要は減り、情報本はあっという間に内容が古くなります。 現代の図書館は、常に新陳代謝を繰り返す生物と同じなのです。 稀に数十年前に発行された本を希望される人がいますが、今は図書館間の相互協力体制が整っていますので、借り受けて貸出しも出来ます。 必要なのは古本でなく、新刊を買う援助です。
・支援って好意があっての事だから言いにくい事もあると思うけど捨てる手間もあるのだからこの際ハッキリと要らないものリストを発表したほうがお互いに良いと思う。
前に賞味期限切れや、みすぼらしい古着を送られてきた避難所の方が嘆いておられたが、それと並んで好みのでる物や場所を取る物、現地の経済活動を阻害する物は送らないって大切でなんですね 分からない時は問い合わせるなどが必要! 迷惑な支援物資を送る人ってほんと言うと、どう言うつもりなのかと疑いたくなるけど良かれと思っていると信じたい。
・普通に常識で考えるべき事であるだろう。 日本人の中でも、非常識な人はあり程度の割合でいるから、そういう人達には、こんな時やって良い事と悪い事をしっかりと伝えるべきじゃ無いかな。 普通に学校で、社会教育の中でこんな時は学生達にそういう常識をしっかりと伝えたらいい。 学校の先生にも常識が無い人がいるから、ちょうどいい。 TVでは話す必要が無いほどあたり前の事で、図書協会の人達ももっと大きな声で伝えるべきだろうと思う。 千羽鶴もそうだけど、本人達や関係者がもっと良く考えたらいいんだと思うよ。 なかなか日本人として落胆してしまう話しじゃ無いかな。 ただ今は政府もかなりおかしな事やってるけどね。
・個人に送るならまだしも集団に対して送るものを何故考えられないのか理解ができん。 以前千羽鶴の問題もあった、贈る方は気持ちを込めて作ったかもしれないが届けられた方は正直嬉しいよりもそれで?って思うほうが強い。 被災された方、それをサポートされてる方が一瞬で分別出来るもの方がとても有難い、なので募金が一番良い。
・現地から要請が出るまで送らない。その通り。本はまだ早いですね。今なら下着や女性の生理用品、赤ちゃんのオムツやミルクなどかも。
東日本の時にボランティアへ行った時、避難所への差し入れを凄く考えました。
Twitterや2ちゃんねるで最新の状況をチェック。1ヶ月経ってたので食料や衣類等は足りていて、安定してきて皆さん退屈してると判断。
そこで雑誌のバックナンバーや漫画を持ち込んだら大変喜ばれ、その場で箱が空になる勢いでした。受付の人が食料は足りてるので不要だと言われ良かったなと。
避難者の人から「震災が載ってないバックナンバーの方が気分転換になるからありがたい」と言われました。最新のニーズをよく調べてから送りましょう。
・東日本大震災被災地の司書です。寄贈は古本はもちろん新品であっても迷惑になる場合があります。図書館によって必要な資料(本)は様々。被害が少ないのに既にある本が届いてダブついたり、寄付にしても「児童書に使ってほしい」など用途を指定した寄付は非常に使いづらかった過去があります。本はアカデミックで送る側は良いことをしたと思いがちですが自己満足になります。選書は地元の司書に任せてください。用途を指定しない現金が一番です。
・繰り返し流される映像を見て 何かしてあげないといけないのではないかとか、楽しく暮らしては悪いのではないかと、自分ができる事をしようとしてしまう人は多いと思う。 でも、個人でする事はお金以外は迷惑だろね。 ふるさと納税は地域を選び出来るから。また、返礼品がない現金が美徳みたいな雰囲気だけど、復興する事を考えたら、届くのが遅くなるとしても 農産物や魚介類だって自治体に買取してもらえてありがたいのではないか。 頃合いを見ながら寄付をしていく支援が1番良いと思う。
・送るなら賞味期限切れてない食料飲料、生理用品(赤ちゃん用介護用含めてオムツ類など)、肌着類でしょうか 仕分けしないで済むように、箱にそれぞれサイズなど種類別に分けてが良さそうです あと、意外にお菓子が喜ばれるみたいですね おにぎりやお弁当などばかりだと、口寂しいし非日常に焦りが出るようです 甘いものやスナックを食べると安心感あると聞きました お風呂に入れない方々や、洗濯出来ずに何日も同じ肌着を着てる方々がいらっしゃるそうです 衛生面が心配です 私は義援金を送りましたが、現地に不要なものを送るくらいなら上記を念頭に支援して欲しいです でもお金が一番と強く言いたい!
・仮設住宅にライブ演奏しに行ったら「うるさい」と怒られたって話もあるけど、 娯楽はその時の気分はもちろん、好みもあるし、いくら送りたい側が良いと 思うものでも、受け取る側がありがたいと思うかは分からない。 気分転換というなら今はスマホもあるんだし、支援したいならお金、あとは 現地が多少落ち着いてから、ノウハウをちゃんと学んでボランティアでしょう。
・結構本を読むほうなのですが、全部買っていると蔵書量がとんでもないことになるのでここ数年は図書館を利用するようになり手元のものも売るなり捨てるなりして処分しています。 それでわかったのが、売る場合古いものは保存状態が悪ければたいした値段にならないし「送料無料」で引き受けてくれるところもあるけど内容によっては突き返される。労力を考えたら資源ごみにしたほうがよっぽど楽だということです。 捨てるくらいなら、と思うのでしょうが自分にとってのゴミは他人にとってもゴミです。 重いしかさばるし数千円送料かけて送るならその送料分募金するほうがよっぽどマシだと思います。
・本は嵩張るし重いし移動させるだけでも困難。 まして余震が未だ続く被災地には本当に不向きだと思う。 たしか古本は状態によってはアレルギーの元にもなりかねないと聞いた事がある。
被災地でできるだけ円滑な支援や救済に繋げる為にも、余分な労力は削ぎ落とせるのが望ましいはず。
この善意と迷惑の切り分けはもっと明確に発信されて然るべきと思う。
・本が届けば気が紛れるかもしれない。でも見てもらうには本棚とかにしまわないといけないから人手がかかる。余震で倒れるかもしれないから危険。絶対後回しですよね…
今回の個人支援の問題で思い出した。 昔スーパーでパートをしていたら遠くで災害があり、近所のお客さんが重たいダンボールを持ち込んで来た。被災地に送りたいと。てっきり親戚とかに送るんだと思ったら「どこに送ったらいいかしら?市役所かしら?」と聞かれた。イヤイヤイヤ。せめて調べてから来て。更に中身を聞いたら古米。イヤイヤイヤ。なぜ新米ではないの?混乱で届くかわからないし、住所もわからないから持ち帰ってもらった。 うちでは使ってないけど役に立ったらいいな。早くしないと…という善意なのはわかるけと、落ち着いて。と思った出来事だった。
・本当に駄目なのは本を送る行為ではなく、被災地に必要なものが行き渡らない需要と供給と流通が構築されてない部分だと思います。被災者に何があるか、何が出来るかのリストを示して、そこから選んでもらう。災害時に機能するシステム構築があってもいいと思います。災害の多い日本、支援で集まる品を一旦政府の災害支援部門が集約する、そこから物品を整理仕訳する、そこからオーダーのあった所に分配する。人手もお金も手間もかかりますが、災害時にスムーズに機能するようにお金をかけてシステム構築すべきだったのではないかなと。要するに「政府が悪い」です。責められるべきは善意の支援者ではなく、そういった部分がスムーズに行くように整備しなかった政府です。「出来ない」ということは無いと思いますよ。ただやってないだけです。
・自分が使わなくなったゴミなどを支援物資として贈るなんて被災者に失礼でしょう。 以前、家が火災にあったときにご近所から洋服や下着を頂きましたが古着とかで自分でも着ないようなゴミが押し入れいっぱい頂きましたが感謝どころではなく余計に惨めな気持ちになりました。 その体験後は人に贈るときは新品をと思
・こういう災害を機に、無駄なものを買わないことを自分のルールにすれば良いよ。 寄付の多くは、「まだ使えるから捨てるのはもったいないけど、自分では要らない。周りも欲しがらない。でも被災地ならなんでもありがたいでしょ」という逃げでしかない。 無駄なものを買って溜め込んだことに責任を取らず、寄付という名で誤魔化した不要分の押し付けなんだよ。 だから、「寄付は現金、今後一切不要な物は買わないよう自分を戒める」これが正しいと思う。
・こういう緊急事態ですと、本を送られても、置き場所に困ったり、読まれずに放置されたりするかもしれませんね。興味のある本でしたら、読んで気分が落ち着いたりするかもしれませんが。被災地に本は贈らないようにすることを心に留めます。
・避難所に直接支援物資送るのが問題だと思う。 使えるものなのかそうでないものなのかひっくり返してみないと分からない、必要か不要かの判断は忙しい現地の人に丸投げにするのはどうかと。
集積所みたいなところで一括に受取してそこで仕分けして各避難所へ送れたら良いけど、広い敷地と大量の人員が必要だから難しいな。
・募金とかもそうですが、受付窓口を災害時に国と被災地の管轄に絞った方がいいと思います。善意とは思いますが個人では求められた支援と合致しないこともありますが決められた窓口であれば支援内容が統一しやすいと思いますし、間に幾つも窓口があると要らぬ疑いもかからないでしょう。
・災害支援は本当に難しい。 幸いにも日本は物資不足というわけではないので、もちろんお金でなんでも購入できる。 一方で、例えばよく無駄になると報道される古着。 新品で購入すれば、当然企業の利益も乗るわけで 洋服をすべて失った被災者に洗い替えも含めて行き渡らせるにはとてつもないコストがかかる。 防寒着から下着までそろえて1万円として、1人にたった1着揃えるだけで3万人分なら3億。 みなさんのクローゼットに何着服があるかわからないが、全て失った人が元に近い洗い替えを入手するにはこの4-5倍でも最低限のライン。 ということは台湾からの義援金を当てても衣服だけで消えるということ。
だから、単純にお金だけで良いというわけでもない。送られてくる古着とうまく組み合わせて再建していかなきゃならない。
「送られても無駄」と報道するだけじゃなく、物資支援をどう受け付けるかって仕組みを平時に構築することが大事。
・私の母校では、卒業生が古本を売り、その売り上げが直接母校に支払われて寄付になる取り組みをしています。 被災地に対しても、本を荷造りして発送するかわりに、その足で古本屋に行き、売り上げを支援金にしたほうが役に立つのではないでしょうか。
・書籍というのは本当に処分費が高いんです。 嵩張る上に重いので普通の粗大ゴミ以上に人件費がかかります。金属ゴミと違って資源リサイクルの価値も低いです。 某チェーン店さんに買い叩かれたというのは良く聞く話ですが売れ残り在庫の処分経費考えると値がつくだけマシな世界です。 特に高齢の方は本の世代で本の価値を過大評価しています。分厚いブリタニカの百科事典全巻、当時50万で購入していても今どの店も買うどころか無料でも引き取りません。 惜しいのはわかります。役立てて欲しい気持ちもわかります。ただゴミを送っているかもしれない可能性を考慮して下さい。送料負担された所でゴミはゴミですから。 自宅に中古の調理器具や衣服をただで送ってくれる権利を得ても選べる権利が無ければ誰も受け取らないでしょう。自宅がゴミの山になるだけですから。
・東日本大震災身内が津波の被害にあってます。
母の兄妹が沢山居るので、ほしい物リストを作ってもらい、身内で手分けして送りました。
津波で汚れた部屋の掃除の時は新品の服や靴は勿体無いし、足が痛くなるから、掃除しやすい服に靴、使い古しの布団カバーやバスタオルが雑巾として沢山欲しいと言ってました。
新品の服等は掃除が全て終わって落ち着いてから自分で買いに行きたいと言ってました。
汚れても穴空いてもお古なら気にせず捨てられるかららしいです。
大人の必要な物はありそうだけど、子供が使えそうな文具系足りてるのかな?
あと、支援団体さんから幼稚園や小学校の入学準備品の寄付があり、たまたま娘の作った余り布があったので、上履き入れ、絵本バック等3セット作って送りました。
今回も要望があれば作ります。
・ランチバイキングで、頼まれても居ないのに他人の分まで取ってくる行為や、自分が作った料理や野菜を近所に配るような人たちが、このような迷惑な寄付をしているのではないだろうか? いくら親切心からの行為でも、相手が望まない事をする時点で、それは相手にとって迷惑になる可能性が有るという事を忘れてはならないと思う。
・震災直後はとにかく何か少しでも助けになればと何でも詰め込んで送ってしまうのだと思います。それが賞味期限切れの食品であったり、中古本であったり。それはある意味、止むに止まれぬ行動ではあると理解できます。 しかし、支援の態勢が整ってきた段階で前述のような品を送るとしたら、それは支援者の知識不足。ある意味、時間を浪費しえ支援の足止めをしている。
・新潟中越に支援に行った経験があります。 おにぎりやパンならすぐ食べられるだろうと大量に送られてくるけど、消費期限があるので時間との戦いになる。 一度に各地から大量に送られて来るので、食べきれなかった物は廃棄するしかなくなる。 善意なのはわかるが、仕事が増えるだけなのを理解した方がいい。
・家族の間ですらプレゼントは難しい。相手が望んでないものだったりします。ましてや他人では。普段でも要らない本を図書館に寄贈として置いていく迷惑者がいるそうです。 リクエストすら出せない緊急時を除いて、 相手のリクエストに応えていくのが最も良い方法です。
・利府町は、東日本大震災の時に義援金で支援を受けた輪島市に支援物資を送ることにしました。役場では、けさから支援物資の積み込みが行われ、町の職員たちが水や食料に加え、トイレットペーパーや紙おむつ、毛布やマットといった生活用品、それに〝児童書”などを4トントラック2台に次々と積み込んでいきました。(中略)熊谷町長は、「東日本大震災を経験した自治体として、その教訓を生かせるよう、大変ひどい状況である被災地に支援物資を送ることにした。。。。
東日本大震災を経験した地の者であってもとしても、このようなミスマッチを冒してしまう。善意が空回りしないように、義援金という形で後方支援したほうが、今は賢明なのかもしれない。
・どこかの企業さんやってくれないかな。 食品や消耗品メーカーの商品を消費者が購入してそれをそのまま被災地へ寄付として送ってもらえるような制度。ラーメンやカイロや水をケースで買ってそれを被災地に送ってもらえたら何が入っているかも賞味期限も箱に書いてあるし、新品だし。どこかのメーカーさんやられてたら協力したいです。
・もし自分自身が被災して家がなくなり困っていたら、結局のところお金が必要と言う話にしかならないと思います。 消費期限切れの食品、古い毛布、使用済みの衣類(古着)などは自分に送られて来たら「ゴミ」でしかありません。終戦直後のように物資の絶対量が足りないならまだしも、被災した地域以外はお金さえあれば大抵の物は手に入るので、お金がある人はたくさんお金を送って下さい。お金もなく、被災地での振る舞い方も知らない人は残念ながら何の役にも立たないので何もしない方が良いと思います。
・今、一番被災地に迷惑をかけず、ためになるのは ・義援金(中抜きしなさそうなところへ。被災地の役所や被災地の地銀とか) ・変に自粛せずに経済を回す(景気が上向けば被災地復興のために投入される税金も増える…はず) だと思う。
後は変なデマに踊らされず、祈る。 被災地が落ち着いてきて経済活動が戻ってきたら、被災地のものをお取り寄せするのもいい。 とりあえず、今はお金。
・食料など、生命を脅かす物資が足りていないのは死活問題です。安全に食べられるものが第一優先される中、本は無くても命には関わりません。暇つぶしや娯楽なんて被災者にとって二の次なんじゃない?寒くて空腹時に、本とかもらっても嬉しいと思うかどうか考えれば、そんな物送る発想には至らないのでは?
・災害に関する知識を学校やCMでもっと広めて欲しいです。 学校の避難訓練もただ逃げるだけじゃなくて、 避難所暮らしになったらどうすればいいのか、 避難生活をする方を支援するには何が出来て、 段階的にどこに何を聞けばいいのか、など。
千羽鶴の件もありましたが、知識や情報がないといつになってもこの手の話はなくならない気がします。せっかくの善意が無駄にならないために。
・たぶん本が好きな人が自分だったら暇つぶしの本がほしい!本がないと生きていけない!って感じなんだと思いますが本ってけっこう好みがあると思いますしそれ以前に皆が必要とするであろう生活に必要なもの、生きていくうえで必要なものって沢山あると思います。 それをするくらいなら古本屋さんに大量に本売って得たお金を募金したほうがまだ役に立つ気がします
・近年、毎年のように災害が発生してるのに、なかなかこの辺りのフローが確立しないのは、人々の善意がベースで取りまとめる機関がはっきりして無いからではないでしょうかね。
善意は個々人の経験や価値観に委ねられるもので、それがゆえに本当に厄介なんですよね。善意だからと相手の迷惑を考えずに押し付け、善意だから無下にできないという負のスパイラルに陥いる。
こういった問題こそ国で基本的な方針を決めて、各自治体や民間団体が協力して実施できるようにすればいいと思いますが。
住んでる地域や被災状況で必要なサポートは異なるから細かいところは現場が指揮した方がスムーズですし、基本となるも共通フレームは国が管理してPDCA回してブラッシュアップしていくのが現実的なんじゃないですかね。
・別のネット記事で阪神淡路大震災の時に意外と喜ばれた物資として漫画本があげられていました。何なら漫画本がオススメみたいな書き方。当時はインターネットやケータイの普及もまだまだの時代で喜ばれたのでしょうが、今はネットで漫画も映画も見れる時代です。通信環境や充電の問題さえ解決すれば、無駄に場所をとる紙の某体は邪魔でしかない。結局お金が一番助かるんです。 こういう事を書くと偏屈者と言われますが、誕生日プレゼントに欲しくもないプレゼントを一方的に送られても気持ちが入っているので喜ぶふりをしてしまいますよね。で結局使わない。でもその分の金額で好きな物を買ってあげると言われて自分で欲しい物を買った方が、役にも立つしちゃんと使ってあげられる。いらない物資だったとしてもその気持ちは嬉しいんですよ。でも被災者の人々に今は喜ぼうとする心の余裕はありません。送料もかかる事ですしその送料をそのまま寄付が一番かと。
・とにかく個人からの支援物資は受け入れ禁止にしましょうよ。 ニュースで被災地にごみ収集が来なくてゴミが山積みになっていると聞きました。 仕分けする人も大変だし、無駄な仕事やゴミを増やさないでほしい。 送る前に考えて欲しい。
どうしても本が読みたい人は避難所が小学校の場合は図書室の本を貸してもらえばいいし、そもそも本を読む気にもならないんじゃないかな。
・被災地で支援業務についたことがありますが、送られてくる本には宗教本が非常に多いです。次いで自己啓発本の類。 非常に重い数個の段ボール箱を開封したら人間革命とかいう宗教の本が詰まっていて憤りを感じました。 他には聖書も多く、送った本人は善意かも知れませんが布教に加担するわけにもいかないので配布は出来ませんし、かといって燃料代わりに燃やすこともできず本当に困りました。 新品の絵本だけは子供のいる家庭に配りましたが、これも本来は送って欲しくなかったです。
・東日本大震災で現地の支援に入っていましたが、何かしたいと思って頂けるなら申し訳ないですが素直に募金を頂くほうがよいです。極論言うと、個人で送ってもらう物資は全てありがた迷惑です。梱包サイズの違いやバラバラの中身のせいで仕訳の工数が公的機関の支援物資の何倍もかかります。繰り返しになりますが、何かしたいと思うならば募金頂くか、それができないなら何もしないで頂くほうが何倍もいいです。
・支援物資の必要の有無を最初に決めないからだ!本を送った方々は『退屈しのぎになれば』、賞味期限切れについても『消費期限は大丈夫、お腹を空かした方々に』、全て暖かい気持ちがこもっている。お金や気に入っていただけるものを支援できればいいが、県外の方々も物価高騰、増税、コロナ禍での収入減、リストラ等でギリギリの生活の中での支援です。自治体や国は支援物資できる物を早急に決めるべきです。このままでは暖かい気持ちのこもった物資が無駄になり、被災者や被災自治体の負担が増すばかりです。
・リサイクルショップで買い取りの査定をしてもらうと、ちょっとした傷や痛みがあると査定金額は低いし、買取すらしてくれない 人がちょっとでも使ったものって、他人にとっては価値がないものなので、新品以外のものを送るって送られた側にとって迷惑でしかない
しかも本って人によって読みたいものが違う場合に、読みたい人に届くとは限らない 震災して間もない時に本を読む心の余裕がある人はほとんどいないはず 本を送る人の心理は善意というよりは、被災地支援を利用して本を処分しているだけという気がする 被災地が復旧し始めて、被災地の図書館や被災者が本が欲しいという要望があった時に送るべきで、要望のないのに送るって結果として嫌がらせをしていることになる
・被災地に個人が送るのは、お金が一番と言うのは理解出来るのですが、必要な時に迅速に行き届くのかには疑問が残ります。寄付金を募っての詐欺も横行する心配もあります。もし知り合いが被災しているのなら、先に知り合いを支援したい、また保護猫や犬を支援してる人はそちらにお金を使って欲しいと言う人もいるかも知れません。目的に応じて迅速にお金を渡せる制度ってないまのなのでしょうか?
・東日本大震災の時、MY LITTLE LOVERのakkoが被災地の子供たちに絵本を送るプロジェクトを立ち上げて、それならと子供が読んでいた絵本をたくさん寄付しました。 もちろん状態の良いものを厳選して、一冊ずつメッセージを添えて。
先日、子供たちと「あんな本、こんな本、うちにあったねー。どれも面白かったねー。」と話す機会があり、「震災の時にお譲りしたからね。みんな楽しんでくれたんやろか。」と当時を振り返っていました。 子供たちが大きくなり、将来結婚して孫ができて・・・その時に私が読み聞かせしてやりたい大切な本でした。 まさかお邪魔になっていたかもしれないとはつゆ知らず。
つくづく支援って難しい。 とにかく被災地に対する関心を失わず、心を寄せること。 その気持ちは持ち続けたいと思います。
・過去の教訓がたくさんあるのだから、地震への備えの再考(再調査も含めて) と発生時の初動と支援の標準的なものは政府主導でやっていないのでしょうか? もちろん、全ての当てはまらない災害もあるでしょうが・・・。既に本など送られて現場が困ってから発信するのは教訓がいかされてない。
・仕分け作業や置き場所の確保、クレーム対応様々な事が少ない人数でこなさなきゃいけない。個人が送るなら、一度どこかで仕分けて使える物だけにした方がいいが金人が必要。 個人ならお金、募集が始まってからボランティアに行くのがいい。だけど、行った先で自分のやりたい仕事だけして文句を言うなら行かない方がいい。ミスマッチで、私は心のケアをしにきましたという人と現場の片付けを求める人とは絶対マッチング出来ない。
・本を送るという発想自体、私にはまったく思い付かない。もう少し時が経ってからの話ならアリだと思うが・・・ 電気がまだ通ってない状態の場合に、気を紛らすもので邪魔にならない、なりにくいもの。読み物なら新聞が軽くていいだろう。震災の情報も満載だろうし、被災者のニーズに合っていると思う。 個人的には音楽がいいのでは?と思う。それも、童謡だとか皆が知ってる大衆的な曲。東日本大震災のとき、いろんなアーティストが自分の歌を被災地に届けとばかり流していたが、聴いたこともない歌、それも「頑張ろう!」が強調されているものなんか、誰が聴きたいと思うだろう?もちろん善意だとは思うが、私は当時その話、歌を聞くたび不愉快な気分になった。 何事も「押し付け」はいけないんだよ。
・中にはゴミや不用品を処分する感覚で物資を送る輩もいるのかもしれないが、大半の人は善意でやってるはずだからなあ。あまり「なにを考えてるんだよこいつら」みたいなことは言いたくないな。個人的には読書が好きだから、電気やネットが使えず地域の図書館も被災して閉まっているような状況だと何か読むものがあればうれしい。苦しい状況だからこそ楽しみも必要かなとは思う。しかし優先順位を考えれば後回しにされるべきものだわね。
・自分も被災した経験があるが 結局は金がないと物も買えない 身内や友人に助けを求め 片付けが終わらせたが、 家電製品など元の生活に戻ろうとした時 冷蔵庫買えない、洗濯機買えないってなる。 罹災証明を取って国から出た支援金で 買えた物は冷蔵庫一つ分位 ガソリンも少量だが運んでもらえた。
口も手も出さずに金をだす。 (ちゃんと届けば良いが)
これが1番効果的。
・もう、郵便局や宅配便の協会かなんかで、個人→被災地団体や避難所宛の荷物は断ることにしてはどうだろうか。 個人→個人の場合は相手の要請かもしれないのでオッケーで。 被災地団体や避難所へ送れる荷物は各地域の自治体からのみにして、個人は自分の地元の自治体経由でないと送れないようにして。 各自治体では第一に持ち込み者の本人確認をして、それからその場で荷物を開けさせて中身を見て、ゴミだったら持ち帰らせればよいと思う。 山崎パンみたいに企業が直接支援してるところもあるけど、会社なら自社ルートで送るから宅配便は関係ないし。
・賞味期限切れの迷惑物資などは話しにもならないが 送る側が「良かれ」と思っても受け取る側のニーズに あってなければそれはやはり「ありがた迷惑」となってしまう。
ここで必要なのはあくまで相手の立場に思いをはせる 「想像力」そこをすっ飛ばしてただ「自分が送りたいから」を 先行してしまうと単なる「自己満足」になってしまう事を よくよく考える必要がありますね。
・災害時、必要な物が送れるシステムが身近にないなと?東日本大震災の時から、 とある ベビーサイトでは ママからママへの 被災者支援宅配便 というのがあり 被災地からは1300件以上の支援依頼があり、それらに対して、全国のそのベビーサイトの ユーザーのママたちの1人として支援させていただき、少なからず被災地の方々のお役に立つことができたかと思っていたので。 お手紙などいただいて ちゃんと届いたんだなって 必要なもの ちゃんと届けることできたなって 実感もあって。 そんな支援システムを探し中です。
・いったい何が必要とされているか。 被災した人でなければ容易には想像がつきません。またその時々、ケースバイケースで、必要とされるものも違います。 とにかく一番お役に立てるのは募金であると思います。 中抜きされないような信頼できるところに寄付しましょう。
・当たり前のことなんだけど なかなか気付かないのがこの手の話
物事の正解は何なのかと答えを考える裏側で それ以外の選択肢がどういう形で存在してどう影響してくるか 正解が何かという視点と 間違いが何かという視点は似て非なるものだし 正解でも間違いでもない選択肢だって当たり前のように存在する
特に災害時のような想定外の場面では 正解以外の色々な事が普段以上に影響を及ぼしてしまうから 今は安易に役に立つかもと焦るよりも 一歩引いて本当に役に立つかどうかを考えるべき場面
もちろん役に立つかもという善意の気持ちは大事な事なんだけど それだけで視野が狭くなってしまうと 色々な事を見落としが逆効果になってしまうことは 念頭に置かないといけない
・これだけ物が溢れている国です。 ほとんどお金で解決できます。過去の震災で学んだ事を活かすべきです。 基本的には現金とマンパワー(ボランティア)のみでいいのかと思います。 ボランティアも被災地から募集ありきが大前提。 自主ボランティアはNGです。 せっかくの善意ですが、被災地ニーズに合わせることが本当の善意。 被災地も大変でしょうが、積極的に必要なことを発信してほしいです。
・災害が起きて被災地へ応援物資を送るときは、これは必要なものかな?邪魔にならないかな?という想像力が必須だよ
それができないなら、被災地には口も出さず手も出さず、金を出すのが正解 義援金とか募金がちゃんと届くか不安ってなら、今はあらかたそういう情報が出回ってるんだから、調べればいい
・昭和20年代とか30年代なら、本はむさぼるように読まれたでしょう。当時は映画と並ぶ数少ない娯楽の一つで、芥川賞なんかも今よりずっと社会的な関心事でした。 今は娯楽が多いし情報の入手経路も多様化したから、そもそも活字を読む習慣のある人が少ないですからね。むしろこのニュース、今の時代に本を送ろうと思いついた人が、そんなに多かったのは驚きでした。しかし邪魔者扱いされて捨てられるのは悲しい。 結局は「支援するなら現金」になるのかな。余談ですが、いま戦争が起きて戦場の兵士に「慰問袋」を送るとしたら、いったい何を入れるのですかね…まさかお金じゃ無いしね。
・支援物資で本を選ぶ人がいる事にそもそも驚いた。必要だろうとか受け取ったら嬉しいだろうとか思ってるんでしょうか。被災地の方々が言っている通りのことが、まず想像できそうなものですが。娯楽よりまず生活ですよね。衣食住に必要なものを真っ先に送るべきだと思います。
・お金、お金、お金を寄付ください。不要となった期限切れの食品など支援した感を得、要らないものを処分出来た感の両者を満足感を得ようとする偽善者が多すぎる。どうしてもおくりたいなら、生理用品、携帯トイレ、使い捨てカイロなど必需品など考えるべき。もっとニーズを考えるべき。
・今回の能登半島地震ではSNSで目立ちたい人や勝手な判断で賞味期限切れの食品、記事の古本など贈り付けて役に立っていると勝手に思っている人が以前の阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災より人としてのモラルがないと感じます。 誰が賞味期限切れの食品で作った食事を食べたいと思うのか? 使用済みの肌着など着たいと思うのか? 当たり前に嫌ですよね。被災者でも。 古本を送るのではなく買取に持って行って募金が正しい気がします。有効に古本を購入する方もメリットありますし、被災地には募金で有効なお金の使い方をし人の役に立つと思います。役に立つ物以外は被災者の方は必要な物が早く欲しいの1点です。気持ちは嬉しいと思いますがゴミにしかならない物は必要ないです。
・うちの近所でも「被災者支援」の動きがあったが、音頭をとった人に「ご家庭で不要になったものを持ち寄りましょう」と言われて冷めた。 何故不要品なのか。自分が使わなくなったものが本当に他人に喜ばれるのか? 消費期限切れの食品やサイズも好みも合わない古着、壊れかけの家電など誰が喜ぶのか、と問えば 「支援してもらってる立場で贅沢言えると思ってるのか」 と返ってきた。 この人たちは自分が同じようなものを送りつけられて、心から感謝するだろうか?
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