( 129744 ) 2024/01/17 22:34:23 0 00 (角田さん提供、昨年12月撮影)
200人以上が亡くなった能登半島地震。現地では火葬場も被災し、遺体を離れた金沢市などに運んで弔う“広域搬送”が行われている。発生から10日近くたち、ようやく斎場に妻子を連れてこられた男性は、化粧を施す納棺師に「息子の頬のアザは隠さなくていい。頑張った証しだから」と語った。
【証言】息子のことを知って欲しい 「助けて」ガレキの下から…妻子を亡くした男性が語る被災
妻と子を亡くした角田貴仁さん
金沢市の会社員・角田貴仁さん(47)は、帰省していた珠洲市の実家で妻・裕美さん(43)と長男・啓徳(あきのり)さん(9)を亡くした。
貴仁さんの両親と正月料理を囲んで過ごした、家族水入らずの時間。 「あと10~20分したら出発しようとしていた」と、それぞれが帰宅の準備をしていた午後4時すぎ、突然揺れが襲った。
ガタガタと音をたてて揺れる木造平屋の建物。地震があると、いつも最初に声をあげる妻子の声は聞こえなかった。直後には、天井が落ちてきて……。建物から這い出た貴仁さんが呼びかけても、声はかえってこなかった。
すると、崩れた建物の逆側から、何か叩くような音がした。「ガン、ガン、ガン」。居間のあたりだろうか。 隙間から覗くと、2人が隠れたコタツごと建物の梁に押しつぶされているのが見えた。「まずいことになった」。
ガレキから音を鳴らしたのは、9歳の息子・啓徳さんだった。貴仁さんによると、「こんなに力があるのかと思うくらい、手首で力強く叩き続けていた」という。
角田貴仁さん 「ちょうど下敷きになっていた時は、(息子が)妻の方を見ていたので…。たぶん息子は『母親を助けろ』って言っていたと思います」
音のする場所に近づくと、ガレキを叩く音は止まった。声もなく、母親と自分の場所を知らせるために頑張り続けた息子。
貴仁さんは「本当に…。本当に立派な息子だった」と、この時の“音”を一生胸に生きていくと話した。ただ、「元日は卑怯ですよ…」。この先、正月を祝うことはないという。
倒壊した実家(角田さん提供)
すでに息のない2人を、建物から助け出せたのは、1日の夜になってからだった。暗闇を照らしたのは、口にくわえたスマホの明かり。ケースには、その痕が残った。
ノコギリでは歯が立たず、貴仁さんは近所の人からチェーンソーを借りて、梁を切断した。その夜は、自宅横の草むらに敷いたブルーシートに2人を寝かせ、一緒に過ごした。
2人の遺体を仮の安置所に運ぶことができたのは、それから2日後。今月10日になってようやく、金沢の斎場に搬送できたため、貴仁さんはようやく葬儀や火葬などに向けて、動き始めることができた。
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