( 130239 )  2024/01/19 03:19:38  
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判決は死刑 判決前に当時19歳被告と面会 「死刑になりたいってことですか」問いかけに男は…

UTYテレビ山梨 1/18(木) 18:19 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/fdc0e3863fdb85eaa3b553b23de52a45ff99b531

 

( 130240 )  2024/01/19 03:19:38  
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3年前、甲府市の住宅で夫婦が殺害された殺人放火事件の裁判で、19歳の特定少年が死刑判決を受けた。

被告は裁判前にUTYの記者と面会し、「生きていることがつらい」「養父との記憶が辛い」と話した。

裁判での言い残しはなく、死刑判決に対して控訴はせず、早く楽になりたいと述べた。

被告の希望は死刑で、死ぬことよりも養父のことを思い出す方が苦しいと語った。

(要約)

( 130242 )  2024/01/19 03:19:38  
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テレビ山梨 

 

3年前、甲府市の住宅で夫婦が殺害された殺人放火事件の裁判で、当時19歳の特定少年の被告に死刑判決が言い渡されました。 

 

【写真を見る】判決は死刑 判決前に当時19歳被告と面会 「死刑になりたいってことですか」問いかけに男は… 

 

甲府市の遠藤裕喜被告は19歳だった2021年10月、甲府市の住宅に侵入して夫婦を刃物で刺して殺害し住宅に火をつけた罪などに問われていました。 

 

被告はきょうの判決を前にUTYの記者との面会に応じ、「生きていることがつらい」などと心境を語りました。 

 

判決の3日前、UTYの記者が向かったのは甲府刑務所と同じ敷地内にある施設です。 

 

グレーのスウェット姿で面会室に現れた男。 

甲府市の夫婦二人を殺害したなどとされた事件当時19歳の被告です。 

 

被告はUTYの記者との面会に応じました。 

 

まず、記者が訪れた経緯を説明すると、被告はうなずきながら「はい」と返事をしました。 

そして述べた言葉は。 

 

被告:「生きていることがつらい」 

 

記者の質問に左手を顎に当てながら淡々と答えた被告。 

生きていることがつらいと話すその理由は被告の過去にあると言います。 

 

記者:「何が辛いですか?」 

被告:「養父との記憶。養父から罵倒されたこと」 

 

記者:「ほかには?」 

被告:「例えば母親のこととか。養父との再婚で母親が自分だけ別々の部屋にしたこと」 

 

過去の経験を話すときは時折、涙を流す場面もありました。 

 

しかし事件については… 

 

被告:「よくわかりません」 

 

こう述べるにとどめました。 

 

改めて裁判について尋ねると・・・ 

 

記者:「裁判で言い残したことはありますか?」 

被告:「ないです」 

 

記者:「死刑求刑と聞いてどう思いました?」 

 

被告:「まぁそうだろうなと」 

 

面会したのは今月15日。判決について聞くと。 

 

記者:「控訴しないと言っていましたね? 死刑判決だった場合どうしますか?」 

被告:「弁護士は仕事として控訴すると言っていました。だけど取り下げます」 

 

記者:「なぜですか?」 

 

被告:「早く楽になりたいからです。お世話になった人がいて訪ねてきてくれた。でも自分の考えは変わらないです」 

 

記者:「無期懲役だったらどうしますか」 

被告:「検察が控訴してくれると思います」 

 

記者:「控訴してほしいということですか?」 

被告:「そういうことです」 

 

記者:「死刑になりたいってことですか」 

被告:「はい。そうです」 

 

記者:「死ぬのは怖くないですか」 

被告:「苦しいんでしょうけど養父のことを思い出すよりは…」 

 

時間いっぱい面会に応じた被告。最後は会釈をして部屋を出ました。 

 

テレビ山梨 

 

 

( 130241 )  2024/01/19 03:19:38  
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・凶悪犯罪に対する強い非難と厳しい刑罰の必要性が示されています。

被害者や事件の背景に関する同情や納得のない部分についても述べられていますが、犯罪に対しては厳しい制裁が求められるとの意見が多く含まれています。

一方で、犯罪の背景や社会の役割、更生への希望など、より広い視点での議論も提起されています。

(まとめ)

( 130243 )  2024/01/19 03:19:38  
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・凶悪事件を起こしておいて若いからとか心身衰弱がとかで極刑回避は流石に無いと思います 

被害者遺族からしたら悔しさしか無いと思いますよ 

よくドラマとかで悪人を許すというシーンがありますが更生できない悪人を許せる家族は居ないと思います 

更生が無理な代わりに命で償うという事なので恩赦とかも必要なく刑を執行されるべきだと思いました 

 

 

・どんな過去があるかは知らないけど、それが女の子に付き纏って、拒絶されたら相手を誘拐して乱暴しようとして、ご両親の命を奪って家に火をつける理由には絶対ならないし。だから全然興味ない。2度と社会に出てこなくなる事以外は。 

被害にあった子、勝手に好きになられて、付き纏われて、それだけでも怖かっただろうに家まで押しかけられて、家族の命を奪われて。それなのに自分を責めて。全然この子のせいじゃないのに。痛々しすぎて。 

せめて2度と顔を見ることがなくなったという事で、これからは安心して過ごしていけると良いのだけど。 

 

 

・死刑・無期・懲役・無罪の判決を下す職業を専門にしている裁判官が集まって協議して判決を下すのならそれは当然のいわば仕事です。しかし一般国民を巻き込んで国民感情を取り入れ死刑判決に至った経緯に判決を下す責任逃れのような一部分が垣間見れるような気がする。この様な案件には裁判官の毅然とした判決を国民は望んでいると思うのです。判決の重圧に耐えるのも君たちに与えられた仕事だと思うのですよ。 

 

 

・自分大好きなんですね。 

やはり反省も謝罪の気持ちも全くなく、自分が今まで体験した事だけしか考えていない。 

事件については「やってしまったものは仕方ない」というような雰囲気。 

 

事件について考えて、それが辛いならまだわかるけれど、公判で色々振り返っても歪んだ心の方が勝ってしまうのが救いようがない。 

 

弁護人が控訴しても取り下げると言いましたね。 

有言実行してください。 

 

 

・正当防衛とかならともかく、どれだけ辛かろうが人の命を奪う正当な理由になどなるのだろうか。 

命を奪われた被害者はもう喜びも悲しみも味わうことも出来なくなってしまったし、遺族だってこれから先、辛さを抱えて生きていくことになる。 

これほど自己中心的で身勝手な犯行もないと思う。情状酌量の余地なども微塵も感じられず、極刑をもってのぞむしかなく、判決は妥当だったと思う。 

 

 

・酷い事件だった、こんな身勝手な凶悪犯罪被告人に死刑判決は当然だ、全く情状等の余地はない。特定少年って何だ、今は18歳が成人年齢なのだから、18歳になれば一般人と同じく刑法等を適用すべきである、凶悪犯罪の低年齢化が見られる今、真っ当な社会維持のためには悪い奴に変な容赦は必要ないと思う。 

 

 

・相手を養父と母親にしていたら…世間の見方も刑も変わっていただろう。 

母親、養父、実父といて、自責の念からコメントを寄せたのが、窃盗容疑で逮捕された実父のみ…。 

 

やはり国は子どもの保護にもっともっと本腰をいれるべき、今後同様の事件を防ぐには、子どもが安心して育つことができる環境を、関わりのある人誰でもいいから誰かが虐待に気づけば、そこから保護に繋がる社会を、少子化対策と同時に今いる子どもの保護を、もっと本気で考えてほしい。 

 

 

・2人殺めて現住建造物放火も加わるから、まあ妥当な判決だろう。ただ、被告の養父や実母はこの事件についてどう感じているのだろうか。もちろん、どんな環境で育とうとも、赤の他人と言ってよい人物をこのような形で葬るのは許されることではないが、他の記事を読む限りでは、養父と実母は被告の人格形成に多大なる影響を与えたように感じる。 

 

 

・取材した男性記者のレポートが報告されていましたが、完全に「死刑」になることが辛いこの世から自分を救う唯一の手段だと決めてしまったような心境のようですね。こうなってしまうと残された遺族の気持ちに寄り添うことは出来ずに反省のきっかけも難しいのではないかと思いました。 

死刑判決から執行までの期間は平均すると8年近くありますが、彼ほど若いとおそらくは10年以上はかかるのではないかと思われます。その時間にどれほどの意味があるのかと反対の声を挙げている人たちに問いたい気分です。 

 

 

・こう言う事だなと思いました。両親が子供に愛情をかけ様とせずに子供を虐待したり罵倒したりして育てて行くと子供は親に逆らえずに我慢するだけになります。母親が少しでも子供を庇い何処かで優しい言葉かけをしていればこんな事も無かったはずです。養父との生活の中で子供の性格も変わって来たのだと思います。 

母親がもっと子供に愛情をかけ気遣いをしながら育てていたら,こんな酷い事件を起こす事も無かったと思います。子供が産まれて2~3才の頃の子育て次第で子供は両親を信頼し成長して行く中で何かあった時でも自分の気持ちを強く持って生きて行く事が出来ます。19才の男の母親は子供の気持ちを全く考えた事など無かったと思います。この酷い事件は両親の責任でもあります。母親も夫に逆らう事が出来無かったと思いますが,何処かで子供を思う気持ちがあれば良かったと思います。19才,これからの人生を駄目にしたのは両親の心ない言葉です。 

 

 

 

・やった事に情状酌量はないが、日本は昭和の戦後のように「家庭で教育できない」子が増えて来ていると思う。親はパートナーを頻繁に変えて子供は翻弄される。学校も常識や勉学を強制的に身に着けさせる事も無くなった。著書にある「ケーキが切れない子供たち」にもあるが少年院の子供達は虐待経験、境界知能、発達障害が多く親も似たような境遇だと。被害者を減らす為には加害者を減らすしか術はない。お金をばら撒いても子供に届かない家庭か沢山ある。何よりも子供の保護と教育だと思う。 

 

 

・犯した罪の重さと何の落ち度もない被害者達の心情、残された人生もPTSDに苦しめられることを省みると死刑になっても罪は償い切れないと思う。多くの凶悪犯達には幼少期の虐待や家庭環境の不備、愛着障害などの共通性がある。今後、このようなやるせない犯罪を減らすには、社会が愛情に恵まれない子供をどうやって見つけてサポートできるかにかかっていると思う。 

 

 

・書かれた内容からだけでは、それほど養父を嫌う内容とは思えない。 

性的被害やDV、もしくは母に対する同様の事があったが心に閉まっているのだろうか。 

今回は養父との関係性の詳細は判らないが、仮に上記の様な事があり、人をそこまで追い込んだ人間も何らかの罰を与えられる様に法整備出来ないのだろうかと、こういう事件がある度に思ってしまう 

 

 

・少年法は大きな事件を契機に改正を重ねてきました。厳罰化が主な流れでしょう。 

厳罰化自体は必要なことでしょう。一方、厳罰化は法を犯したことの責任を少年個人の一身に負わせるものだと言えます。これは少年法の趣旨と対立するものです。 

少年事件では、少年の生い立ち、人格形成の過程を丁寧に見ていく視点が大切です。これは、犯罪でなくても問題行動を起こした子どもに接する時にその背景を探っていくのと同じです。 

厳罰化の流が、犯罪行為の背景を軽んじたり、背景を探っていくのと発想の衰退につながらないことを願います。 

 

 

・事件に対する情状酌量の余地はない。ただこういう残虐な事件を起こす犯人はだいたい幼少期の環境が原因の場合が多いなと感じる。 

幼少期に義父から虐待を受けなければこんな事件を起こさなかったんではないか?とも思う。 

子供を育てる親として子供の心や環境や成長を養う事の重要さを改めて痛感します。 

 

 

・幼少期の親の愛情がもっと注がれていたらと思ってしまう。これからもこのような判決を出さないように社会を作っていかないといけないと感じた。 

死刑判決に対しては司法の判断なので、今後の司法制度の推移を見ていきたい。別に故人や元の生活に戻ることはないので被害者遺族に対してのケアや支援を国がもっと手厚くして欲しい。 

 

 

・大人の在り方、親の在り方を改めて考えさせられる事件だと私は思います。 

今は離婚再婚が当たり前の様にできますが何処まで行ってもその親から生まれた子供。その事実は子供にとって変わらないって思う。親は様々な理由で離婚、再婚できても子供は形では受け入れてもそうではない事もある。 

改めて大人とは親とは何かを考えさせられる事件だと私は思う。 

 

 

・この記事でとても悲しい気持ちになりました。事件内容からすればこうなることは被害者の方にとってそれ以上の判決があるのならばとは思いますが、このような事件が起こる背景にこの子が生まれ育てられる環境にも問題があったのではとも思います。ちがう環境ならばこの方と違う人生を歩めたのかなと思うこともありますが結果が全てであることとそれ以上コメントすることは被害者に失礼でもあるためどうしたらこのようなことが起きない世界にできるのかと思うところではあります。 

 

 

・多分執行は直ぐにはされないでしょう。彼より悪質な死刑囚がまだまだ沢山執行されていないので。、今の日本の執行ベースだと数十年或いは獄死するまで執行されないかもしれない。これは死刑より残酷な刑なんではないですかね。生かされれば生きたいという感情に変わるかもしれないがその時に執行、というケースもあるでしょう、執行までの時間も含めて再考すべきではないか?と思う。 

 

 

・犯罪にはそれぞれその実行に至るまでの経緯や物語があると思います。 

異常な犯罪の場合には、特にそれらの経緯が、注目に値することは疑いの余地がありません。 

本件被告の場合にも、少年時代に家庭内で生まれた何かしら憎悪のかたまりが、ひとりの殺人者の中で育っていくをまでの一端が、やはり垣間見えたような記事でした。 

少年が良くない方向へ向かっているとき、結果的には、周りの誰も少年を止めることができなかったのです。 

 

 

 

・養父からの虐待、母親からの愛情不足、幼き頃からの過酷な状況を涙ながらに20歳前後の青年が話すと気の毒と思うけど、身勝手な怒りで、罪も無い人をナタで2人も惨殺し、妹も斬り付けるなど、常軌を逸した行動を起こしたことを忘れてはなりません! 

 

真っ当な決断だと思います。これが判例として残ることは良いことに思います。気の毒なんです、同情もするけど、裁判員の男性の言葉の「被害者や遺族について話す時は無表情なのに、自分のこととなると涙を見せた。その涙をどうして被害者に向けられないのか、今も不思議」 

これに尽きます!要するにこの手の犯人はいつも被害者は自分、身勝手なんです! 

 

犯人の更生を望む前に取り返しの付かない事件を起こした責任を犯人は取らないといけない、また、社会がこのような凶悪犯罪とどう対峙し、責任を負うのか、被害者を守るのかについて考えればやむを得なかったと思います!これを機に永山基準も改善を! 

 

 

・悲しい事件…。 

私にも、辛い過去があります。 

小学生の頃、ある日突然母親が再婚し、知らない男の人との共同生活が始まりました。 

男への気遣いから、母からはお父さんと呼びなさいと強要され、次第に母が居ない時に男から馬乗りになって殴られたり、2階の階段から突き落とされるようになりました。その事を母に告げると、嘘つき、謝りなさいと言われ、男に土下座させられました。 

毎晩、今日こそ死んでやるとベランダから身を乗り出すも、死ぬ事ができない自分の意気地の無さに涙しました。 

そんな私ですが、もがきながら一生懸命生きていて、生き物を愛したり、美しいと思う事ができます。 

被告のした事は死刑に値する事ですが、 

どうしてそんな事をしてしまったのか…死刑判決が出てしまった事はとても悲しく感じます。 

 

 

・今後の凡例の第一歩になる判決だった。 

特定少年であれ残虐な犯罪には極刑も下されるんだという前例になった。 

犯罪年齢が低くなってる事からしても 

治安を維持する為にも、もっともっと成人と同じ裁きを受ける年齢は引き下げていいと思う。一部の人は少年の将来を等と言ってる人もいるが罪のない人の将来を絶ってしまった責任はやはり重要視すべきである。 

この判決が最高裁まで維持される事を支持します。 

 

 

・実子、養子に関わらず親子関係が拗れたりすると 

成長過程に影響を及ぼす… 

また壮絶ないじめ等も人の精神を蝕む 

 

人が成長する過程や人生において激しい精神的なストレスは 

プラスに働く事はないと思う。 

 

環境が及ぼす影響ってかなり大きいとは思う。 

今、離婚も珍しくない時代 

子供をきちんと養育しない保護者もいる 

自分がした仕打ちがどう影響するのかを今一度よく考えた方が良いと思う。 

 

また人への意地悪をする人も同様 

 

 

怒りの矛先が好意をいだいていた異性の家族に向く事が本当に怖い。 

相手が悪いと命を奪われたり、狙われたり今回のように家族が標的になるって気の毒としか思えない。 

 

 

・日本の刑法に死刑が罰則として存在している理由が、敵討ちが横行する 

のを防ぐためと言う理由がある。明治初期までは窃盗でも放火でも 

未成年強姦でも死刑になっていたが、一部を緩和して軽い罰則を増やした。 

死刑を無くそうという運動が先進国などで一時期増えたが、フランスは 

仇討ちが横行して復活させ、アメリカやイギリスでは現場での銃殺が 

認められる様になった。加害者の更生よりも被害者と2次被害に怯える 

人々を守る事が法律の最大の目的だと思っているので、人を殺したら 

理由の如何に問わず、基本的に死刑にしないと後世に問題が増えて行く。 

 

 

・現実的な問題として自暴自棄になり『死刑になりたい』『死刑になっても構わない』と考える所謂『無敵の人』への対処は取り急ぎ重要な社会問題だと思います。 

 

これまでなら『死刑』という刑罰が一定の抑止力を持っていたがそれはあくまで罪人にも『罪は犯したが自分は死にたくない』という生に対する執着があることが前提なので、『死刑になりたい』という新人類には極刑すら最悪ご褒美になりかねない。 

 

現代日本において鞭打ちだの火炙りにかけることは出来ないし、死刑が抑止力を持たなくなる場合、有効な対処法を見つけない限り似たような悲劇は今後も起きることになるだろう。 

 

死刑判決は妥当だが、これが抑止力としては機能しないのであれば非常に厄介。 

 

 

・私は過去よりも未来に期待したい人間ですが、未来を期待する上では相当の反省と償いが必要だと考えてます。 

一方で、犯罪に関しては、与えた苦痛は同等の苦しみをもって償うべきとも思ってます。 

この件を振り返った時、どんな事情があったにせよ、あまりにも悲惨、無慈悲で自分勝手な行動のため、同じ苦しみを与えることは不可能。 

よって残念ですが、極刑は免れないと思います。 

 

 

・厳しいようだか、人を殺したら自らの命で償うべき。 

これが大前提だ。 

そこから、被害者と自分の関係において、殺さなければ自らの命が危ない。 

もしくは自分の大切な人を守ることが出来ないなど、事情を勘案して初めて減刑されるべき。 

死刑を受け入れているならば、司法は早急に施行すべきかと思う。 

 

 

・子どもが誰でもSOSでき親身に寄り添ってくれるところがあればいいのにね。今のSOS電話とか、なんか形だけな気がするから。 

自分も生い立ちでとことん追い詰められたけど、どこにも助け求めるところってなかったんだよね。 

学校の先生って立場、子供の事気づくうえで重要だよねって思う。 

私は必死でSOSしたけど気づいてもらえなかったから・・・ 

一方、私はは追い詰められ心の病にかかり、自分で七転八倒し、自己完結し苦しんだ人なので、なんでこんなことしちゃうの?なんでこんなことになっちゃうの?って思う。 

でも脳の仕組みとか、みんな違うから。恵まれた脳や環境持った人には分からない事なのかな…起こったことも、この子の環境も悲しいです。 

 

 

・政府に、本当に、虐待防止に本気で取り組んでほしい。 

虐待は負の連鎖しかない。 

少子化もだけど、まず、産まれた子供を守り育てる社会を! 

最近の条例では、「暴言、体罰、育児放棄は、条例違反の罰則を受ける」決まりが出来たそうです。 

「子供には、温かな愛情を注いで、優しい言葉で育てましょう」と。 

自分の子供に甘く出来るのは、親だから。 

他人は甘くなんてしてくれない。 

親の優しさが、生きる根っこになり、根っこが太ければ太いほど、挫けず、逞しく生きていける。 

虐待を受けた子供は、心に深い傷を負い、それが闇となって色々な形で現れる。 

 

何故、大の大人が、小さな子供を泣かす? 

大の男が、小さな子供を泣かす? 

ちっちぇ大人が多すぎる。 

 

負の連鎖 

虐待は大きな社会問題だと思う! 

 

 

 

・私の考えは正しいとは思えないけど、この少年の顔を見ると目に寂しそうな印象を受け、未来に希望がない様に思えました。 

だから殺人を擁護はしないけど、人を殺しと言う所業は普通の人はできない。 

 

それをあえてするのは家庭や生い立ち、裕福な家庭や教師の子供も犯罪を犯すので、 

何か1人では抱えきれない問題を抱えているのだと思う。 

 

親でさえ自分の子の気持ちを測るのは難しい事です。 

 

絶望の中自分の未来はどうでも良いと犯行に及んだのかと! 

犠牲になった方はお気の毒です。だけど無期懲役ではどうなのでしょうか? 

自分が被害者の立場ならこんな気持ちにはならないでしょうけど、人間は身勝手ですね? 

 

 

・この面談から分かることは被告は結局自分が可哀想ばかりで流す涙も可愛い自分を思っての涙 

自分がやった「事の大きさ」に今頃びびってるだけで、被害者への罪の意識や反省は全く感じられない 

養父等の被告の環境に直接悪影響を与えた人への傷害、殺人なら情状酌量の余地が認められる可能性もあると思いますが、今回は全く非のない人が被害者なので当然の判決ですし、弁護士も仕事とはいえ誰の為にもならない意味のない控訴はやめた方がいいかと思います 

 

 

・死刑は早く楽になれる国による自殺幇助の側面があると思う。 

なぜ日本は終身刑を取り入れないのだろうか。 

私は死ぬまで自由の身になれない終身刑が一番きつい気がする。 

この犯人も自分で死刑を願っているが、毎年日本では2万〜3万人の自殺者がいる状況の中で、死を望むものに対して、本当に死刑が刑罰になるのか。冷静に考えたほうが良いと思う。 

 

 

・彼が過去に受けた仕打ちは他人には想像できない苦しみだったと思います。 

かといってその憂さ晴らしの目的で犯罪に手を染めることに擁護は出来ません。 

その上でこの判決。刑罰は罪を悔い改めさせることが目的の一つと感じています。その機会さえ与えないということがこの判決なのでしょう。本意は本人しか知りようがないが望んだ通りの判決が果たして罪を悔い改めさせることになるのかというと疑問です。 

 

 

・凶悪犯に限らず、病気を患ってる人など、死なせて欲しいという人は一定数いる。 

共通点はただただ楽になりたいから。 

消えることが逆転してポジティブになっちゃってる人って、正常(健常)な人はどう捉えたら良いのかね。 

それはダメだと言われても、言われること自体が辛いからやっぱりそこから逃げて消えたいと思うだろう。 

カウンセラーとか、どう声をかけてるんだろう。 

 

 

・大人、親から受けた苦痛は一生付き纏います 

被告の気持ち、心の底から良くわかります。 

子供のうちは、その対象の大人から離れる事が極めて難しいと思います。 

そういう大人に限って外面良かったりする。 

家出しても、外面良い親元に返されガチです。 

逮捕されるような親だったら、被告も逃げ場があったかもしれない。 

でも、それを理由に大罪を犯すのは的外れです。 

せめて重い刑が下った意味を理解して、その日を待って欲しい。 

 

 

・同情はするが、それで死刑は免れるものだはないと思う。 

弁護士や政治家で有識者の中に死刑廃止論者がおられます。彼らが言うには死刑制度があったとて凶悪犯は無くならない。凶悪な犯罪は社会全体のシステムや社会情勢の影響による産物だから、社会をどうにかしなければならないと。確かに一理あると思う。でも、それが死刑廃止論につながるわけではないと思う。殺された親族からしたらそんなこと知ったこっちゃない。と、感じるとまうのですが、そればっかりは当事者でないとわからない。 

要するに、死刑制度は残しつつ、凶悪犯罪者の育ちなどを精査し、犯罪の少ない社会づくりの両輪でやっていくのがいいと思いますが。 

 

 

・凶悪犯だから死刑って言うのは分かるが、厳しい罰則だけでは問題を解決できないと思う。そんな単純な問題ではない。 

 

酷い生い立ちでも道を外さないなんて意見もよく見かけるが、そんな綺麗事ではない。本当にひどい環境で育った人間にしか分からないと思う。他の方のコメントにもあるが、そういう酷い生い立ちや環境から助けてあげる事も大切だと思った。それが結果的にこういう犯罪を減らすことに繋がると思う。 

 

あくまでも一個人の意見ですが。 

 

 

・死刑判決が確定したらすぐに執行しろと言う人もいますが 

死刑囚にとって本当に辛いのは、死刑判決が出てから執行されるまでの日々だと言います。 

判決を受けてすぐに執行される方がはるかに楽で、執行は明日かもしれない、明日の今頃はもう生きていないかもしれない、と思いながら生きている毎日が地獄であると。 

亡くなってしまえば苦しみもないわけですし、恐怖心から解放されて楽になれるわけです。 

 

 

・許される訳がない事件だ。 

被害者の事を思うと想像を絶する絶望と悲しみで、なんとか人生に幸せを見つけて生きていってほしいと願うばかりです。 

そして裁判するなら、この男の事ばかりではなく、この男の幼少期の人格形成に携わった人間との因果関係を調べつくしてほしい。 

その人間達にも同等とはいかなくても相応の刑を与えてやってくれ。 

 

 

 

・背景はともかく、簡単に人を殺めるような人間は基本的に社会にいてリスクしかない。どんな境遇でも立派に育つ人もおり、自分の境遇を責任転嫁するような人は自分勝手で矯正の余地は無いというか、勝手な行動は自分の命を持って贖うしか無いね。 

逆に、境遇はさておき、そんな単純な動機でたくさんの人の人生を狂わせた償いはしっかりしてもらわないと。 

 

 

・まだ死刑判決も他人事に感じるんでしょうね。 

しかしながら執行官の足音が近づいて来ても同じ台詞が言えるんでしょうか? 

犯行が自分本意でしたし、未だに自分のことしか語らない人間なので、その時が来たときに喚き騒ぐような気がします。 

司法には刑の確定後半年以内に執行してほしいです。 

 

 

・これだけの会話だけじゃなにもわからない。 

本人が大げさに言ってる場合もあるし、実際それ以上に辛い環境だった可能性もあるし。 

もっと踏み込んでもらわないとわからない。 

ただ、そういう境遇だったから、こういう事件を起こしていいはずがない。 

 

 

・自分は短絡的な人間だと自覚してるけど、精神状態が普通じゃないとか犯人の過去に同情すべき点がとか、更生の余地があるとかで無罪とかっておかしいと思います。 

被害者が誰に迷惑かけていない日常生活送っていただけで、たまたま不運にも被害にあってしまったってことになってしまうのはどう考えてもおかしい。 

そういう背景が加害者にはありました。無辜の他人に害をなす人を生み出さない社会にするにはこういう不幸な人を無くすのが前提です。そのデータとして留めることにします。として、やったことにはやったことの責任を取らせるべきでは、とこういう事件の度に思います。 

でないとまともな判断ができなければ、他人にどんな害を為しても良いことになってしまうし、自分が遺族ならやりきれない。 

 

 

・もちろん犯罪は許されることでは無いけど、どんな環境であろうと関係ない!と言っている人はさぞかし幸せな家庭に生まれたんだろなと思う。それか残酷な家庭で生まれたとしても、ハーディネスの特徴があるかもしれない。犯罪者を責めても何も変わらない、今の子供たちがどうしたらそうならないようにするか考えてるしかない。私も愛着障害の1人だから気持ちが分かるまでは行かないが家庭環境はその人の人格形成する上でかかせないものなのは分かる。 

 

 

・これらの凶悪犯罪は本質を見抜く意味で、 

被告のコメントは重要且つ僕らは考えなければなりません。 

死刑であれ無期懲役であれ罪を重くしても犯罪は無くならないのです。 

被告が語る幼少期からの複雑な両親との関係、親が子と接するにあたり一番罪深いの親の責任もあるのです。 

子に愛情を注がなければ、同じ凶悪な犯罪者は増えていく一方です。 

 

 

・事件を起こす前からこの犯人は、心が死んでる。 

大人に心を壊されてる。 

そして後に無関係な他人の命を奪う、凶悪犯になる。 

虐待で子供の心を壊すとは、後の凶悪犯罪に繋がる行為だと言うこと。 

虐待して子供を殺しても死刑にはならない。 

 

元を辿れば、この犯人の心を壊した親がこの犯罪を引き起こしたと言えるのに。 

凶悪犯、判を押したように皆幼少期が劣悪。 

劣悪な家庭に子供を置いておくリスク…余りにも大きい。 

 

 

・死刑廃止という世界的な風潮がありますが、刑罰の基本は応報刑であるべきだと思いますし、日本の刑罰も応報刑を基本にしています。応報刑を基本に矯正を入れていくのが妥当だと感じています。 

 

 

・この事件だけでなく、無差別とか、自分は誰にも愛されていない生きる意味も希望も感じられない自暴自棄の人間による犯罪はまさに人間凶器である。責められるのは本人であるが、生み出した環境について社会全体で考えねばならない。 

 

 

・友人家族の愛情友情無く後ろだて無い人間は非常に短絡的事象で底に陥ってしまうことが良く分かる。とはいえこの底も非常に視野が狭く心が未成熟にもので、一般社会との乖離になっての事象だがこれらは理由にはならない。 

ただ少なからず未成熟と思われる人間が増えてしまっている状況である以上(自分が好む情報のみで成長出来る等)社会的政策で底上げは出来るものかと思った 

 

 

 

・殺人放火罪は非常に厳しい判決になるのは、過去の判決でも明らかでした。 

ただ、このように被告人の過去を知る人は少ないのではないでしょうか。これって、鬼滅の刃の鬼の回想シーンに非常に似ている気がします。人間として扱われずに辛い思いをした過去を回想する。なんか虚しくなってしまいます。 

 

 

・日本国民は、刑罰にしか興味が無いようです。 

賠償責任、これを問題にしても盛り上がらないから?なのか騒ぎません。 

 

加害者に賠償の能力が無いと、被害者とその家族は泣き寝入り。 

これはおかしいし、誰も何とかしようと言わない、言い出さないのは何故なのでしょう? 

払える物がなければ、自らの臓器売買やオークションとか、賠償の責任ははっきりするべきです。 

倫理やなんやらきれいごと言い出す輩いらっしゃいますが、被害者からしたら、これからも生活があるのですよ。 

 

 

・死刑になりたいから人を殺す。 

どんな理由があろうとも,故意に人の命を奪うことは人として許されない。 

まさに死刑に値すると思う。 

死刑判決が下されても,すぐに刑が執行されるとは限らない。 

刑が執行されるまでに,命が惜しくなっても,その時はもう遅い。 

後は,いつ刑が執行されるのか,毎日恐怖に苦しみ続けるのだろう。 

彼の本当の不幸は,育った環境ではないと思う。 

いろんな理由があって,死にたいと思っている人はたくさんいる。 

しかし,死にたいと思っている人が死のうとするのは,一番悪い選択であるし,愚かなことだと思う。 

仕事に行きたくなければ,休むなり辞めるなりすれば良い。 

学校だって,行きたくなければ行かなければ良い。 

死ぬよりは,ずっと良い選択。 

世の中には,そういう人を助けてくれる人や場所がたくさんある。 

そこにたどり着けずに罪を犯したことが,彼にとっての一番の不幸だと思う。 

 

 

・思い出すのが死ぬより辛いと言うのは例えだけとは限らない。 

実際にそうであるという事もあるだろう。 

 

しかしそういった記憶は、付き合い方や考え方でいくらかは楽にもできる。 

悩みの多くは、原因と自分を分離できないために生じるもの。 

可能性を他に作ってあげることで、逃げ道は出来るものなのだ。 

 

そういった過程を踏めていれば、もっと違う生き方も出来たろう。 

だから本当は、死刑というものは無い方が良い。 

 

仏教には往生という考え方があるから、死刑という概念が無い。 

刑罰というものの基本は悔い改めること。 

その可能性を捨ててしまうのが死刑である。 

これはヒューマニズムではなく、芥川の「蜘蛛の糸」の如く、自身の保守に執心すれば切れる糸に頼ることへの愚かさと同一だ。 

 

死刑は結局は生贄の山羊を作る制度に過ぎない。 

 

 

・被害者や遺族からしたら、加害者がどんな環境で育ったかなんて全く関係のないこと。興味もないだろう。この記事だって被害者側からしたらなんの意味もない。そして読んでる他人からしても、だから何?!だ。 

ちょっと視点を変えるけど、犯罪者の多くが幼少期の家庭環境が良くなかった、というのは有名な話。人の親となる人は最大限気を付けるべき点ではあると思う。そこまで書いてる記事ならもう少し価値が上がると思うけどね。 

 

 

・そもそも刑罰とは、本人の嫌がることを課すことで反省や更生を促したり、社会への見せしめとすることに意義がある。(私個人は肯定しないが、一部には被害者や被害者遺族の報復欲求の充足としての意義を認める者があることも理解はする。) 

それを前提とすると、本人が真に死刑に処せられることを望んでいる場合、それを死刑に処すことは本人の希望が叶うことに過ぎず、それは果たして刑罰としての意義はなんなんだろうというジレンマに陥る。 

まぁ、真に死刑を望むというのは、極めて稀なケースだとは思うし、そう願うこと自体が異常な精神状態と言えなくもないが。 

 

 

・虐待が遠因で減刑されたら、過去の判例がおかしくなる。 

秋葉原通り魔事件で最高裁が判決文でハッキリと母親の虐待が犯行に大きく影響していると述べながら死刑を確定させたのは、責任能力があると判断したから。 

 

ただ、他人ではなく養父と母親を殺害すれば少年院や刑務所で数年の刑期の可能性もあったが、他人2人と放火では極刑になっても仕方ないだろう。 

 

 

・自分の小さい時が不幸だった。だから、殺人を犯したい、とは違う。情けない。被害者の親族は、加害者がなくなっても精神的に苦しい。だから、人を殺める、ことを考えてはいけない。自分が苦しいなら、自分が癒されるように相談するべきだった 

 

 

・死刑判決はこの少年がなにをしたか?に対する司法の判断。 

報道されている生育歴や家族構成、生い立ちなどの情報は、それだけ生育歴が人格形成に影響するという証であり、無論この少年に同情は無用。しかし、犯人がなぜ殺人を犯したか?を探る重要な材料であり、家族や学校、会社、市区町村や国、こうした枠組みのなかで個人が選べるものと選べないものがあることもまた事実。 

 

本来ならばまだ親の庇護のもとに生きる人も多い年齢のこの少年が、なぜ殺人を犯すに至ったのか?を、社会の問題として捉え同じ轍を踏むひとを生み出さない社会をどう作るか?を考えたい。 

 

 

・罪の重さから死刑は免れないともいますが、他にも世間を揺るがす殺人・重大犯罪を犯した人を見ると幼少期の虐待が多い。自分が暴力を受けてそれを他人に向けるといったレベルの話ではなく、脳に影響があるんだと思う。だから子供への虐待は減らさないとなって感じる。 

だから、この人が可哀そうだから減刑してってことは言ってないので。念のため。 

とにかく、虐待はその後プンプン怒りっぽくなるとかの次元じゃない、多くの人が制御できる重大な判断のトリガーとかブレーキがおかしくなるのでやめた方がいい。やめたほうがいいっていうかその親も虐待を受けてたかもしれないので、世の中やりきれないですね。 

 

 

 

・加害者の生い立ちと被害者が殺されたことに何の関係があるんだろう、と思った。 

 

もし仮に、親でも殺されたというなら考慮するのは必要だとは思うが、そうではない。 

 

偉大なる先人達は「信賞必罰」や「目には目を歯には歯を」という言葉を残した。行った残虐な行為を鑑みれば極刑以外に何があるのだろうか? 

 

 

・この男の思考がまだ幼いように見える。現実がまだ理解できていないのだろう。実際に死刑の現実が分かった時に、その恐怖から我に返るのではないだろうか。池田小事件の宅間守のような覚悟は感じられない。つまり罪の現実と向き合えていないのではないか。 

いずれにしても、放火殺人犯なので死刑を回避するのはあり得ないが、少なくとも謝罪の姿勢を示してから死刑にならなければ、罪の償いの意味がない。 

 

 

・「どんなに生い立ちが酷くても立派に自立している人はいる。」こんな意見はよく聞く。 

感動する話も沢山知っている。 

聞き飽きている。 

でも実際に私の身の回りでは、 

残念だけど、いないに等しい。 

むしろ皆無と言って良い。 

正直見た事がない。 

どの様な罵声を浴びせられたのだろう。 

「死刑になっても仕方がない。」 

悪い事をした自覚があるこの子があまりにも不憫だ。しかしながら、やった事は絶対に許す事は出来ない。当然の報いである。 

少子化の問題の今こそ思う。 

子供は産めば何とかなる等決して思わない方が良い事例かも知れない。何とも出来ない。 

だからこうなった。 

「未成年」でも流石にこれは仕方がない。 

 

 

・被告に対して、同情を引くような記事は止めるべき。 

どんなに辛い人生だとしても、罪なき命を無惨な形で奪うことは許されないのです。 

出来るのなら、事件前に戻して記者さんが説得すればいい。 

 

 

・事実としては、当時19歳の被告が他人の家に侵入し刃物で夫婦を殺害し家を放火したこと。他人の人生を奪ったこと。 

19歳という年齢と殺人は別問題。過去の生い立ちには同情するがそれとこれは別問題。 

難しく考える必要はないのでは。 

それと社会環境の改善はしていく必要はあるが100%全員が救われる世界は絶対にないからね。 

 

 

・この男に死刑判決が出たのは全く正しいし、当事者の方を含めて多くの人が納得すると思う。ただ、誰も幸せにならないこういう事件を防ぐには、最後のタガが外れる前に逃げられる場所、休める場所が必要なのかもしれない。 

 

 

・今回の判決自体は妥当だと思う。 

しかし、公判での発言や取材での面会内容から、この被告が殺人事件を起こしたという認識をできていないという状態が窺え、個人的には焦燥感だけが残る。 

どうにかしてこの被告に「罪を犯したんだ」という認識を持たせられないのだろうか… 

 

 

・死刑廃止論者で亡くなった加賀乙彦氏が、殺人を犯す時点で既に殺人者は正常な精神ではなくなっている、とする見解に賛成です。死刑廃止の世界の趨勢を見るにつけ、死刑は廃止すべきであり、殺人を犯させないような社会を築くことが肝要だと思います。 

 

 

・どんな理由であれ、事件を起こしていいことにはならないけど、 

もし虐待が本当であれば、いまからでも親や養父を罪に問えないのか?と思ってしまう。 

加害者をなくさないことには被害者もいなくならないし、加害者を罰してはい終わりではまた同様の加害者が出てくるだろうし。 

 

 

・死にたい被告を殺してあげるのが刑罰として適切かって観点はあると思うが、じゃあ安楽死とか自死施設があれば事件がなかったのかというとそうも思えない。 

後先考えず事件起こす以上、自死だって後先考えず出来たはず、なのにしなかった。 

そこに注視しないと同様の事件は無くならないんじゃないかな。 

 

 

 

・宗教・哲学の分野にて、死んだらそれで解放というような考えが、 

良いのが悪いのか、また死んだら本当に解放されるのか否か、 

を説いていくことが大事だと思います。 

自暴自棄になった殺人犯に殺されたり、また家族や近しい人が殺されたら 

たまったもんではないですからね。 

 

 

・これを読んで同情の余地があるのかと思って、改めて事件を読んだら…。 

自分の事しかないのかと思った。 

関係のないご家族を地獄に突き落としといてその方々に何もないのかと。 

犯人が辛い目にあったとして何で関係ない家族殺せるの? 

生き残った人の地獄は?想像できてる? 

 

毒親が悪いとコメしてる方もいるけど、素質がないとこうはならないよ。同じ事されても人を傷つけない人は沢山いる。 

 

 

・死刑というととても重く感じるけど、別に罪もない人も様々な苦しさから縊死(首吊り)を選択して、毎日自殺者が出ている。 

縊死が軽いものだとは全く思わないが、重大な犯罪を犯した者も縊死による刑罰だと思うと極刑とは一体何ぞやと思う。 

執行までの日々を怯えて暮らすのが死刑の一番の刑罰なのかな。 

 

 

・山梨県甲府市の事件→氏名公表、死刑判決。 

そして、佐賀県鳥栖市の事件→氏名未公表、懲役24年判決。控訴中。 

どちらも19歳時点での犯行で特定少年扱い。 

 

この二つの事件の凶悪性は変わらないので、鳥栖市の事件も氏名公表まで行なわれると思っていたのだけど、管轄の検察は氏名公表をしなかった。 

事件の質がかなり違うから、なのかもしれないけど。 

 

 

・発端は全く好きでも無かった相手から告白されて断っただけと認識している。その自分の認識からすると被害者に非は無い。 

加害者が死刑になろうが残された遺族の心の傷が癒やされる事は難しい。残された姉妹には強く生きてほしい。 

 

 

・この記事を読んでなお、死刑に処すべきと思える人は、水洗トイレと火葬がある社会に育ったからという気がします。 

 

イヤなものや見たくないものは、流して終わり、燃やして終わりにしてなかったことにできる。 

それらがなくなるまでの過程がゴッソリと抜け落ちているからこその感覚のように思います。 

 

 

・この事件は許せない犯罪ですし、どういう事情があったにせよ、最高刑になっても致し方ないです。 

罪の重さとは同然相殺にはならないですが、このような人間を作り出した罪の重さを、どうしようもない母親と養父に問いたい!あなた達はこれからも平然と生きて行けるのですか?あなた達にもしっかりと償っていただきたい。 

 

 

・未熟さは年齢に関係無いその人物の死ぬまで変わらない気質。 

そんな事で他人を殺めるのかには理由は無い。 

言い訳は生育歴には関係無い現実逃避の他人事。 

ストーキング行為は高次脳機能の暴走行為。 

計画的であり衝動的には無い冷静さを持った冷徹な犯行をする。 

心神喪失、心神耗弱じゃストーキング行為は出来ない。 

小児性愛や同性愛の様に治らない病気じゃ無い嗜好。 

 

 

・やっぱ 家庭環境は一番必要ですね。 

離婚した、身からするとやはり再婚しなくて1人で子育て完了した事正解だったと自信を持って今なら言えます。 

部屋別は孤独だったのと、母親を取られたって事もあるんでしょうが、人を殺めたり放火したりには繋がらない。判決を素直に受け入れて、生きてる間は殺めた方への懺悔と供養をするべき。 

 

 

・本人が死刑を希望してるなら弁護士は控訴せず本人の希望通りにやってもらいたい。被告の弁護士は被告が心神耗弱状態だったので死刑回避とか言ってるけど、殺されてしまった被害者の遺族ははらわたが煮え繰り返るぐらいの憤りを感じているはず。この頃の司法は責任感が全くない!死刑判決が確定したら即刻執行してもらいたい。時間が長すぎるんだよ。 

 

 

 

・改めて子供を育てる環境って大事なんだなと思う。 

彼が育ったような家庭にも低所得者限定で数万円がばら撒かれた挙げ句、子どものために使われないところが一定数あるんだろうね。 

 

 

・どこを見ても救いのない事件。 

唯一評価するならば、被告人が中途半端に反省の態度を装うことなく、最後まで卑怯者であることを貫き、怒りを買ったまま死刑判決を受けたことくらいだろう。 

それも何の救いではないが、せめて若い人にとって、「どんなに境遇に不満があっても、こういう卑怯な人間にだけはなるまい」という反面教師くらいにはなるだろうか… 

 

 

・普通ではないからこそ起きたことなのだとしたら、普通の人にはその経緯や思考回路を完全に理解することはできないのかもしれない。 

個人的には死にたいのなら誰にも迷惑をかけないで死ねる方法があればとは思う。 

 

 

・「動機は子ども」というのは感じた。 

 ここに「金銭」や「自己保身」はなくて、あくまで自分の恋愛感情(他人の言うストーカー)が原因だと「純粋(単純)」に認めているところ。 

 だから自身の境遇(継父からの虐待や実母の見放し)に関しても、ただ粛々と聞かれた事実を述べているだけで、それを生きるための言い訳にしていない(する方法を知らない)ように思えた。 

 「死刑は怖い、でもこの状態で生きるのも面倒」、、。 

 

 記者とのやり取りを読む中で、「自分の人生は自分で決める」という認識ではなくて、「自分の決めた行動が他人から「死刑」と言われたら、それが自分の歩む人生だったんだ」、とスッパリ諦め、受け入れる(自分の人生は自分ではなく、あくまで他人が決めること、と認知している)タイプなのかな、と感じた。 

 

 

・この被害者の方には確か妹さんがいらっしゃって、その子が普通の生活を送れるようにとお姉さんは仰ってました。それには死刑になってもらわなきゃ困ると。一生怯えて暮らすのは嫌だと。 

だから、この判決はよかった。 

 

この加害者だって可哀そうな人生なんだけど、でもやってしまったことには責任を取らないとね。 

 

 

・養父や自分の生い立ちとこの被害者は全く別。関係ない。 

自分の過去を人のせいにしたり、うまく行かないことに責任転嫁してる。 

例え過去が壮絶かもしれないが,だからと言って人を殺めてはいけない。 

だったら自分の親と向き合え、とおもう。 

 

 

・何でしょうね 

この事件性の極悪さ身勝手さに心底から湧き出るこの怒りは何でしょうね 

被害者の遺族としたら、被告が未成年だろうと成人だろうと全く関係ないでしょうから 

この一方的な怨恨による用意周到な殺人を目的とした準備と、身勝手極まりないこの動機は、人の心を持った弁護人なら擁護すべき内容を模索するのは甚だ難しかったのではないでしょうか 

裁判員裁判だったので、裁判員の方々が未成年と極悪事案の狭間で相当苦しんだ事は必定だし、 

被害者遺族も、被告の関係者すらも、裁判員の皆様方も、未成年者の解釈を論じてらっしゃる方々にも、それぞれがそれぞれに心を痛めたのではないでしょうか? 

被疑者がそれ程に重い十字架を背負うのは当然なのかと思うのは自然なのでは••• 

 

 

・過去の生い立ちは犯罪に関係が無いと思うよ。 

過去より今をどう生きるかが一番大事。 

私も片親で再婚で貧乏だったけど母親は人生を楽しむタイプだったのでシングルマザーでも幼少期楽しかったよ。 

 

 

・逆恨みで両親を残酷に殺害し、姉妹に一生残ることになるであろうトラウマを植え付け、放火までして帰る家と思い出さえも失わせた。 

近年稀に見る身勝手極まりない残虐な事件です。 

犯人がどんなに反省し悔恨の言葉を発しようともそれは消えることのない事実として残るでしょう。 

被害者の女性が「自分が死ねばよかった」と述懐していることからも、犯人が生きている限り恐怖心が消えることは無いかもしれません。 

いえ、たとえ死んでも残ることでしょう。 

おそらく弁護側は控訴するように促したことでしょう。 

少年法が改正施行されたのは2022年の4月。犯行が発生したのが2021年の11月でしたから、もし控訴されていたら『法の遡及適用は違憲』と訴えて死刑が取り消しになる可能性もあっただけに刑を受け入れたことについてはなんとも複雑な心境です。 

 

 

・なぜこのような犯行を犯してしまったのか、養父との間に何があったのか気になります。養父との関係が良好であれば、母親から十分な愛情を受けていればとか考えてしまいます。産まれながらの悪人はいません。生い立ちに何かがあったのでしょう。 

 

 

 

 
 

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