( 130804 ) 2024/01/20 22:48:31 0 00 不調が続く「遊べる本屋」ヴィレヴァン。失ってしまった魅力とは? それを取り戻すには? 僭越ながら筆者が考えてみました(筆者撮影)
先日、「ヴィレヴァンが知らぬ間にマズいことになってた」という記事を書いた。ヴィレヴァンの業績が低迷しているというニュースを受けて、その理由を考えたものだ。
【写真で見る】若い頃にときめいた? 「ヴィレヴァン」の風景
で、この記事の反響がすごかった。SNS上では記事に対するさまざまな反応があふれ、多くの人がヴィレッジヴァンガード(以下、ヴィレヴァン)に対して、複雑な思いを抱いているんだなあ、と改めて認識した。そのポストで描かれるヴィレヴァンへの思いや、「このような視点でもヴィレヴァンの衰退を考えられるのではないか」といった投稿を読むのが面白かった。
そこで、その反応を受けて今回は「じゃあ、ヴィレヴァン、どうやったら復活できるのよ」ということを考えてみたい。前回の記事を読んで、感想を書いていただいた人の反応を踏まえつつ、みなさんへの感想のアンサー記事ということで……。
■前回の記事にはこんな反応があった
といっても、たぶん前回の記事を読んでいない人も多いと思うので、前回私が書いたことを簡単に紹介しておこう。
私はヴィレヴァンの衰退の要因について、チェーンストア研究家の立場から、以下の2点を挙げた。
①ヴィレヴァンがその世界観として売りにしている「サブカル」の意味が多義化してしまい、店のターゲティングが曖昧になった
②ヴィレヴァンが持つ「押しの強さ」が現代の価値観に合わなくなった
①については、ヴィレヴァンが持つ「サブカル」的な空間が、「サブカル」自体の意味が多義化する現代で曖昧になり、店のターゲティングも曖昧になってしまったということだ。②については、ヴィレヴァンが持つ「この文化を知るべきだ」というある種の押し付けがましさが、現代の消費動向にマッチしていない、ということを書いた。
もちろん、その衰退の理由については、上記2点以外にもさまざまあると思う。SNS上ではさまざまな「衰退理由」が散見された。代表的なものは下記の2つである。
①ショッピングモールへの出店によって、ヴィレヴァンの独自色が失われた
②かつてヴィレヴァンで取り扱っていたアングラ色の強い商品(エロ・グロ・ナンセンス)の取り扱いがなくなった
以下、それぞれ見ていこう。
■ショッピングモールに出店し、「毒」が薄まった
①についてだが、ヴィレヴァンはある段階からイオンモールをはじめとするショッピングモールへの出店を強めていく。たしかに、私の印象でも、地方のモールに行くと、そこにはだいたいヴィレヴァンが入っているイメージがある。
いま、おもむろにヴィレヴァンの公式ホームページで、イオンモールに入っているヴィレヴァンの数を数えると、全店舗数の半数を超えている(約180店舗)。また、イオンモールに限らず、ショッピングモールに入っているヴィレヴァンの数を数えると、全店舗数に占める数は非常に大きい。
ショッピングモールへの出店は、モール側の取り決めの影響を受けるだろう。だから、必然的にヴィレヴァンが持ってきた「サブカル」空間が薄まってしまう。
②について指摘する声も多かった 。特に2011年あたりから、本社が主導してヴィレヴァンの店内に置かれているアダルト関連の商品が順次、撤去されはじめた。現在でも、多くの店ではアダルトグッズの取り扱いがなく、ヴィレヴァンのオンラインサイトでの取り扱いがあるのみだ(ちなみに、商品カテゴリは「秘宝館」である)。
また、いわゆる「エロ」だけではなく、「グロ」や「ナンセンス」的な商品についても、その取り扱いがほとんど無くなってしまったことを憂う声が多かった。
例えばカルト宗教の本や、90年代、若者に絶大な人気を集めた『完全自殺マニュアル』など、いわゆる「90年代サブカル」と呼ばれる系統に属するカルチャーでよく読まれていた書籍の取り扱いもあったらしい。初期のヴィレヴァンに迫った『菊地くんの本屋』の定番商品リストには、90年代鬼畜系カルチャーを先導した青山正明が書いた『危ない薬』も書かれている。
①と②は連動していて、ヴィレヴァンからある種の「毒」や「尖り」が無くなっていった、というのがSNSでよく見られた意見である。
■じゃあ、どうすればいいんだ?
SNSでのさまざまな感想を見ていると、人々がヴィレヴァンに求めている/求めていたものがなんとなく見えてくる。
サブカルチャーについての著作を多く発表した劇作家の宮沢章夫は「サブカルチャーとは『毒』である」と書いた。イオンモールへの出店と共に、ヴィレヴァンが失ってしまったのは、この「毒」だったのかもしれない。かつてヴィレヴァンに通った中高生にとっては、自分の知らない世界を見にいくような、背伸びと背徳感と高揚感が入り混じった、なんとも言えない感覚があったはずだ。
だとすれば、ヴィレヴァンがその魅力をもう一度取り戻すためにできることといえば、かつてのヴィレヴァンが持っていた「毒」を取り戻すことかもしれない。
もちろん、前回書いたように、現代ではそうした「毒」を押し出すような「押し付けがましさ」自体が歓迎されない傾向にある。しかし、一方で、そうした「毒」を望む人が存在することも確かだ。
そうであるならば、ターゲティングを曖昧にさせず、そうした「毒」をどうにかして取り戻すことが、結局はヴィレヴァンが復活するために必要なのではないだろうか。「マス」は狙えないかもしれないが、ヴィレヴァンが狙うのはそこしかないのではないか。
ただし、そのような議論は、現在のヴィレヴァンにかつて置いてあった商品をただ置けばよい、といった単純なことではない。例えば、90年代鬼畜系カルチャーが生み出した諸商品は、もはや過激すぎる。少なくとも、イオン内の店舗に置くのは現実的ではないだろう。商品側も、もっと奥まった場所に置いてほしいはずだ。
つまり、そこではなんらかの戦略が必要になる。
では、どうすればヴィレヴァンは現代に即した形で「毒」を取り戻せるのだろう。
■アニメイトの例に学ぶと…
ちょっとここで寄り道したいのが、同じ「サブカル」を扱う企業である「アニメイト」だ。アニメイトは1983年に開店し、現在では世界最大のアニメショップになっていった。アニメイトの現在の盛り上がりを作っている一つの要素は、2000年に開店した池袋本店だ。
池袋本店の成功が、池袋の「乙女ロード」を作ったともいわれるが、そこで行われたのは、徹底してその店に訪れた人のニーズに合致するような施策を行ったことだ。その中でストア内でのイベントなどが行われることになった。池袋本店で行われたこの施策は、その後、全国のアニメイトに広がっていく。「池袋」という特定の場所に集った人々に対して行った戦略が全国に広がっていったのだ。
アニメイトの場合、誰を対象にするビジネスなのかが明確だった。これは、マーケターの西口一希が『顧客起点マーケティング』の中で述べることだが、マーケティングを行うときには、1000人のようなマスを対象にしなくとも、むしろ1人の好みを徹底的に調査し、それに合致する戦略を練った方がうまくいく場合がある。ターゲットが明確であればあるほどいいわけだ。アニメイトはその意味で、池袋という土地に根差したやり方で成功した。
ターゲティングを絞るときに、まず、徹底して土地に根ざすこと。それがうまくいけば、勇気を持って広げること。アニメイトの例はその重要性を教えてくれる。
実は、ヴィレヴァンはこうした土地に根差した経営を行いやすい。ヴィレヴァンのチェーンストアとしての特徴は、店舗の店長にかなりの権限が与えられていることだ。ビジネス用語では「権限委譲」と呼ばれている。
権限委譲の強みは何か。それは、もっとも近い立場でその店に来る客と話している店長が店の決定権を握ることで、その地域の顧客にとって本当に望まれる店舗を作り上げやすいことだ。「毒」の話でいえば、顧客とのコミュニケーションによって、現代における「毒」をもう一度発見することができるのではないか。
しかし、SNS上で「POSシステムの導入以後、各店の裁量が無くなってきた」という指摘もある。同社でPOSシステムが導入されたのは2012年5月頃のこと。過去の取材記事を見ていくと、
「店舗ごとの個性とマーチャンダイジング(客の需要に応じた商品を適切に提供するための企業活動)策を両立させるべく導入したPOSシステムにより、全国約400店舗の販売情報を集計する基幹系業務システムを構築。約130万アイテムに渡る売上データを詳細に分析し、売れ筋を中心とした客の需要を把握することで、需要に応じた商品の提供を行ってきた」(ITmedia エンタープライズ)
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