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【速報】「すぐばれると思ったが覚悟してやった」ALS患者嘱託殺人 医師の男が法廷で涙ながらに語る「目の前で困っている女性を放っておくことができなかった」

読売テレビ 1/23(火) 14:45 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/51e5e2b60e53d31aefacad28f0f893ba2c8fd965

 

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京都地裁で行われている医師の男性が嘱託殺人の罪に問われる裁判で、男性はALSを患う女性の依頼により殺害したことを認め、「長い間目の前で困っている女性を放っておくことができなかった」と述べた。

被告は林さんの安楽死を叶えるために犯行を行ったと主張し、弁護側も無罪を主張している。

一方、検察側は社会的な正当性がないと主張している。

裁判での被告人質問で涙ながらに被告は「何かしなければいけないと思っていた。

覚悟の上でやったことです」と述べた。

また、被告は開設したブログで"安楽死"を肯定する内容を投稿していたことが明らかになった。

事件前にSNSを通じてやり取りした内容や被告の行動から、被告による秘密裏の犯行が判明している。

(要約)

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大久保愉一被告 

 

 5年前、難病のALSを患う女性に依頼され殺害した罪などに問われている医師の男の裁判員裁判は、23日に京都地裁で被告人質問が行われ、男は「長い間、目の前で困っている女性を放っておくことができなかった。知ってしまった以上、何かしなければならないと思い、すぐばれると思ったが覚悟の上でやった」と話しました。 

 

「死なせてしまえという考え方はない」ALS女性の依頼で殺害 被告の医師が安楽死について法廷で持論 

 

 医師の大久保愉一被告(45)は、知人の元医師・山本直樹被告(46)とともに、2019年、全身の筋肉が衰える難病・ALSを患う林優里さん(当時51)から依頼を受け、薬物を投与して殺害した嘱託殺人の罪などに問われています。 

 

 今月11日の初公判で大久保被告は「起訴状のとおり間違いありません。ただ、私は林さんの願いを叶えるために行ったことです」などと話し、弁護側も「林さんの自己決定権に基づき願いを叶えたと言えるので、嘱託殺人にはあたらない」などと無罪を主張しています。 

 

 これに対し検察側は、林さんに死期が迫っていなかったことや、病状を把握せずに犯行に及んでいることなどから「社会的な正当性はない」と指摘しています。 

 

 23日の被告人質問で「林さんの願いをかなえるということは、今の日本では犯罪になると分かっていたのになぜしたのか」と問われた大久保被告は、時折涙を見せながら「制度ができるまでの長い間、目の前で困っている林さんを放っておくことができなかった。長い長い議論の末に、こういったこと(安楽死)ができるのかもしれないが、そこまで苦しんでいなさいということは私にはできなかった。知ってしまった以上は何かしなければいけないと思っていた。すぐにばれると思っていましたが、覚悟の上でやったことです」と述べました。 

 

 また、林さんが死亡する間際のようすについて、「文字盤を使って、『死なせて』とおっしゃっていて、目に涙を浮かべてうれしそうにされていました。『ありがとう』と(文字盤で)言われました」と話しました。 

 

 

廷内のイラスト(22日) 

 

 大久保被告が開設したとみられるブログには、『高齢者を「枯らす」技術』とタイトルが付けられ、“安楽死”を肯定する内容が度々投稿されていました。 

 

 22日に行われた被告人質問では、安楽死について「本人が願ったことなら叶えてあげたい」「長生きが苦痛になっている人へ後ろめたさがある」などと持論を展開した上で、「とにかく死なせてしまえという考え方は私にはない」などと、むやみに人を殺そうという考えはないことを強調しました。 

 

 ALSを患っていた林さんは、大久保被告とSNSを通じて知り合い、事件前には、安楽死を望む林さんとのやりとりを行っていました。 

 

(SNSでのやりとり) 

林さん「ひとときも耐えられない。安楽死させてください」 

大久保被告「訴追されないならお手伝いしたいのですが」 

林さん「『お手伝いしたいのですが』という言葉が嬉しくて泣けてきました」 

 

 一方、大久保被告は林さんの主治医ではなく、十分な診療もしないまま、出会ってわずか16分で犯行に及び、親族やヘルパーなどの関係者に知らされることなく、胃ろうに薬物を直接注入するという方法で秘密裏に犯行に及んだとみられます。 

 

 大久保被告は、山本被告らとともに13年前に山本被告の父親を殺害した罪にも問われていますが、「私はやっていない」と無罪を主張しています。 

 

 共犯とされる山本被告も無罪を主張していましたが、京都地裁は、林さんへの嘱託殺人と父親の殺人について、大久保被告との共謀を認定した上で実刑判決を言い渡し、山本被告はいずれの判決も不服として控訴しています。 

 

 

( 131722 )  2024/01/23 22:11:29  
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(まとめ) 

日本の国内外の様々な声があり、安楽死や尊厳死に対する議論が重要視されています。

一部には患者の意思を尊重し、苦しみから解放してあげることの合理性や必要性を提起する声があります。

一方で、法的・倫理的問題や、社会全体での対応が必要であるという声もあります。

特にALSやガンなどの終末期の患者や家族からは尊厳死の導入への願いや理解を求める声も聞かれます。

今後も尊厳死についての議論が深められ、患者やその家族、医療者を含め、多くの立場からの意見を踏まえた議論が進むことが求められています。

( 131724 )  2024/01/23 22:11:29  
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・数年前にスイスの幇助マシンの記事を読んだ。利用者はオンライン申請書を出し、適正であればカプセルの場所とアクセスコードを渡される。カプセルに入ったらもう一度自動音声式の質問に答え、済んだら内側から本人がボタンを押す。 

 

約30秒で中の窒素の量が増え酸素濃度は20%から1%に逓減し低酸素症と低炭酸症で死に至る。利用者は意識を失う前に少し頭がぼんやりするがパニック状態や窒息のような苦しさはなく、むしろわずかな陶酔感があるかもしれないという。生体反応の確認までの全工程は約1時間。 

 

安楽死が認められたとしても実用化に法制度が追いつくかは不明。しかし本人にしか分からない、他者には分かって欲しくない、痛みや苦しみの先に「自ら死を選ぶ」という個人の選択や権利みたいなものを脅かされることなく、医療従事者を嘱託殺人とか殺人幇助という犯罪に巻き込むことなく、尊厳ある死を選べるということに一定の合理性は感じる。 

 

 

・正直、患者本人がもう死にたいと望んで 

手の施しようがないほど症状が悪化してるなら 

医者が手を下してやるのも一つの優しさであり 

救いなのかもしれないな。生きていてほしい 

気持ちは痛いほど分かる。 

だが、それでも患者本人が死を望むというなら 

その権利を叶えてやる事が悪いとは思えない。 

 

 

・学生の時に倫理の授業で安楽死について学びました。ドキュメントやいろんな国の資料など読み解き、正解のない議論をしたのを覚えてます。 

私は安楽死賛成派です。もちろんそれを理由に殺人が行われたりする可能性がある。しかし、今回のように回復の期待がない苦しい中、何も悪いことをしてないのにその苦しみを罪人かの様に耐え続ける。そんな辛いことはない。最後の文字打ちによる『ありがとう』。この文字のおかげでこの医師の方も戦い続けられてる。今も死なれた方と共に戦ってるのだと思います。 

 

 

・父は脳梗塞の再発で半身麻痺になり、リハビリもしましたがすっかり塞ぎ込んで寝たきりになってから1年後に亡くなりました。 

車椅子で外に連れ出してあげたかったけど、本人にその気がないため連れ出せず断念。 

89歳でしたので寿命と言えばそうなんだけど、最後、身体の自由を奪われたままだったのがかわいそうで。 

賛否両論ありますが、尊厳死があっても良いと思います。 

 

 

・家族をALSで亡くしている者です。 

記事のなかで、林さんに死期が迫ってないのに…とありますが、ALSの場合、死期が迫らないからこそ辛いのだと思います。 

 

比較的体が動く時に胃瘻や人工呼吸器の選択をしてしまうと、簡単には死ねない。 

だけど確実に体が動かせなくなり、痒くても痛くても自分では何もできないのです。 

 

真綿でジワジワ締め付けられるように、治ることのない、悪くしかならない病気と付き合っていくのです。自分だったら耐えられないと思う。 

 

間近で見たことがあるからこそ、何となく100%この被告を責めることが出来ません。殺人や許されることではありませんが、安楽死の制度にもっと真剣に取り組んでほしいなと思います。 

 

 

・病気だから中々難しいかもしれないが、この様な医師を助けるためにも、何かしら本人の希望を示すもの、依頼する側の責任でもあるのでわ。法を犯しても、自分の希望を叶えてくれるんだし。殺人ではないと示せるもの。完治が望めない、寿命を待つのみなら、色々な選択肢があっていいと。罪になるだろうが執行猶予はつけてあげて欲しい。難病との病名がついた時にこの先の本人の希望を身内の誰か立会いの聞いて残しておくのも尊厳死のひとつの方法。医師限定で証人も立会いの元出来る権利があってもよいと思う。 

 

 

・尊厳死について、議論して法的にも整理した方が良い。 

臓器移植に関しては、臓器提供という分かりやすいメリットがあるので、 

脳死を「死」と法律上決めている。(あれは殺人行為と解釈する人もいる。生きているからこそ、臓器が使えるので) 

それと同レベルで本人の切実な想いを尊重するのは、アリだとは思う。 

回復が見込めず、著しく心身の苦痛を伴う場合など、しっかり議論を進めてほしい。 

 

 

・介護医療分野の者です。 

安楽死をなぜ真剣に議論しないのか? 

医療業界の圧力を感じます。 

現在の日本では、高齢者が苦しんで苦しんで苦しんだうえにやっと、死ねる。 

その間に膨大な医療費介護費人手がかかります。 

それは、逆方向からみれば、 

皆保険により高齢者・医療依存度が高いひとからの莫大な医療費によって医療法人は成り立っている。 

こういった長期にわたる医療依存度の高いひとが早く死んでしまうと病院は困る。 

「死なない程度に長生きさせる医療」 

で、労働力人口から莫大にカネを吸い上げている。 

 

本人は楽になるわけでない。 

家族の負担が減るわけでもない。 

医療従事者の負担もへらない。 

医療費負担をする我々の出費は増える。 

 

だれも良いことが無いのに、苦しまないと死ねない日本 

もっと、本人の意志を尊重してきっちり意志判断できるうちに死ねる世の中にしてほしい。 

 

 

・今回の件は残念だけど、安楽死や尊厳死は認めるべきだと思う。 

 

ある程度の年齢になれば、自分の行く末が見えてくるものだし、逆転の見込みが無いことも自然と悟る様になる。 

 

生きるも死ぬのも個人の選択だし、詰んでる方に無理に生きろというのもそれはそれで、辛いだけ。 

 

私は、難病や認知症や加齢による衰えのために、家族や周りに迷惑や負担を掛けるぐらいなら、自分の命は自分自身でコントロールしたい。 

 

上手くいっていない時の励ましの言葉など、皮肉にしか聞こえないし、安易な「生きろ!!」という言葉など無責任でしかないと思う。 

 

 

・とてもとても患者様の気持ちに寄り添う、素晴らしい先生なのだと改めて思いました。もし、私もその女性と同じ状況に置かれたら、安楽死を泣いてお願いすると思います。でも、自分の事を思ってやってくれた先生の人生を変えてしまうような多大な迷惑をかけてしまうなら、お願い出来ません。その女性も本当に本当にそういった事を考えて考えて、悩んだ事と思います。想像したら、涙が出ます 

 

 

 

・この事件に関しては、現在の法律に則って適切に裁かれるべきだと思います。しかし、日本は余りにも「死に方の選択」に関する議論が遅れていると感じます。この医師がやったことは法律的には駄目だとしても、「患者の女性の命を奪った行為」として批判する気にはなれないです。 

 

安楽死・尊厳死の導入については、海外の事例を参考にしつつ、積極的に議論を進めてほしいと思います。死生観は人それぞれであり、個人の価値観を否定することはあってはならないです。だからこそ、「死に方」についてもより多くの選択肢が与えられる世の中になってほしいと思います。末期の病気による激しい身体的苦痛・精神的苦痛を受けるくらいなら、穏やかに過ごした後苦痛が軽いうちに死にたいと考える人は少なくないはずです。 

 

 

・親族が 

1人は脳梗塞、もう1人は事故で、意識回復の見込みもないまま数年経ちました 

面倒をみる人が先に他界したり、費用面、メンタル面など今後どうしてゆくべきなのか悩ましいです 

様々な考え方があるとは思いますし、すぐには結論が出ないであろうとは思いますが 

1つの選択肢として尊厳死については検討を重ねていって欲しいです 

 

 

・自分は幸いにしてまだ死にたくなるようなことはなかったが、 

「自殺ほう助や殺人はいけない」ということで片づけてはいけないのではないか。 

現時点では法に抵触するというなら法に照らせば裁くしかないが、人の命は本人が自由にしていいのかどうかを真面目に考えるべきではないか。 

宗教観による自死についてはその後に個別自信が選択すればよいのではないか。 

 

 

・ALSの方しかいない病棟で働いたことがあります。ALSは難病の一つで回復することはなく、徐々に筋肉が動かなくなり、手足が動かなくなり、食事を飲み込む筋肉も衰え食事ができなくなり、呼吸も自分では出来なくなり機械のサポートでの呼吸になるので話せません。でも頭は衰えずしっかりしている。 

残存している動く筋肉は人によって違うので、親指やまばたき、瞼の動きでPC等に意思を書きます。手足は動かないけど、麻痺してる訳ではないので手の位置や足の位置、オムツの当て方、痒いところを伝えるのにも数分かかるのでご本人、介助者どちらもストレスがかかってしまうのが現状としてあります。 

依頼された女性は以前は働いていて、旅行好きな女性だったかと思います。今まで自分で出来た普通のことも全て誰かにしてもらわないといけないというのは、本当に本当にストレスで辛いと思います。依頼された女性のありがとうの気持ちもすごく理解できます 

 

 

・私自身の思いですが、寝たきりや生活に必要な事が出来なくなったらそうしたいと幼い頃から思ってます。 

誰かにトイレやお風呂を任せるような状態になってまで生きていたいなんて思えません。社会的にも無価値となり、自分でもそう思えたら死を選択する権利もあるかなと。 

 

犯罪としても使えるような仕組みではもちろんダメです。厳しい条件もいるでしょうし、第三者(行政か警察?)の審査も必要といった条件を満たせば、尊厳死を認めるといった柔軟な考えが必要な時代になっていると思います。 

 

 

・医療に携わる職業ですが、そこに感情が起こらない人は稀ではないかと思います。 

苦しさから開放してあげたい、少しでも痛みが和らぐように。様々な葛藤がありつつ医療行為をし続ける。 

なぜ本人がもういいと言っているのに生き延びさせ苦しいことだけを伸ばさなければならないのか。 

難しい問題です。でも尊厳死、本当に議論を重ねて認められて欲しいです。 

 

 

・とりあえず、故人が「死の選択」をしていたのか、「涙を流し感謝」をしていたのか、真実性がまずは問われると思います。 

仮にもし真実だとしたら、この医師は助けてあげたいと個人的には思います。 

しかし、同一事例を今後容認していくかどうか、については慎重な議論が必要と考えます。 

まず、本人の意思が確認できないようなケースをどう扱うのか、など大きな問題が沢山あると思います。 

 

 

・私の祖父はALSで死にました。高校1年の頃から祖父は病院から自宅に戻ってきてそこから自宅介護が始まりました。だんだん動かなくなっていく祖父の姿は身近で見てて辛く、あんなに大好きだった祖父をもはや人間ではない生き物として思っていました。周りの介護疲れもひどく、なぜ生かしているのか、これを人間として生きているといえるのか高校生ながらに考えたものです。この病気の恐怖感は患った人にしかわからないと思います。死への恐怖、不安や体の苦しみからの解放も立派な人助けだと思います。生かす医療が発達したのなら死なせてあげる医療もあっていいと思います。生かすだけが正義ではないです。 

 

 

・この患者の林さんは英語が堪能でキャリアとしてバリバリに働いてNYで暮らしていたこともある方だそうです。 

ALSと診断され徐々に自分の身体の機能が失われていく絶望感たるや、想像に尽きません。 

この病気の恐ろしいところは脳が衰えることがないことです。ただ一つ一つ、まさに失っていくんです。 

ALSでも必死に懸命に元気に生きる方も多くいます。 

ですが生きることに何の価値も見出せず、明日、もしかしたらまた一つ、機能が奪われているかもしれないと暮らすのは地獄だと思います。 

だからとて殺して良いのかといえばそうではありませんが、検察の「 林さんに死期が迫っていなかった」という言葉には疑問です。 

誰もが病気に向き合える強さがあるわけではありませんから。 

 

 

・生物は口から餌を食べられなくなった時点で死ぬもので、それは生き物として生まれた宿命です。ところが人間は、生きている限り他人の助けを借りながら生かされる場合が多々あります。それは生物の宿命に反していて、それが人間らしさでもあります。 

 しかし人間として生かされることをすべての人が幸福だと感じるでしょうか。少しずつ動かなくなっていく体、排泄でさえも介助が必要で、法律の下で死ぬことを許されない。自分がそんな状況に陥れば生き地獄だと感じます。他人や家族に迷惑を掛けている罪悪感で心が押しつぶされるほど辛いと思うでしょう。 

 これはあくまでも完全な私見で少数派であることとは自覚していますが、この医師がやったことは法律の下では間違っているかもしれないけれど、患者の尊厳を最大限尊重した苦渋の決断だったのだと思います。 

 生きる苦しみからの解放を望む人は確かにいます。法改正が進み時代が追い付きますように。 

 

 

 

・意識はあってほぼ何もできない状態が何年も続くということは何よりも苦しいと思います。 

安楽死や尊厳死に反対している人は寝たきりの動くことも喋ることもできない状態で最低1日以上過ごしてみて欲しいです。 

『死なせて』もらえて涙を流して『ありがとう』という患者の気持ちが少しでも理解できるのではないでしょうか? 

患者が苦しんでいることがわかっていて利益のために治療を続けている医療関係者の方々にも法律を見直そうという声を挙げて欲しいと思います。 

 

 

・すべての病気で安楽死を認めてしまうと、それを利用した犯罪が起きる危険があるから良くないと思うけど、ALSのように、患者さんの心がハッキリしたまま自由が奪われていく辛くて残酷な難病は、安楽死を認めてもいいと思うな… 

母が末期癌で亡くなったけど、意識がある時は痛がって…身の置きどころがない状態で可哀想で、息を引き取った時は、やっと辛いのから解放されて良かったね、と思った。 

見守る方も、本人も辛い。 

患者さんと長く接する医療関係者だって、心があるんだから、望みを叶えてあげたいと思っても無理からぬことだと思う。 

 

 

・私は神経内科の看護師をしていました。ALSや小脳変性の方と接していましたか、皆さんが言うのは自殺もできない、と言う言葉です。産まれる時は自分の意思がありませんが、死の選択肢はあっていいと思います。生き続けることがいかに苦痛か、考えてみる機会になりますように。 

 

 

・今の法律ではダメだから犯罪とされるってだけで、他国ではしかるべき条件と手順で遂行される場合もある。 

 

つまり、被告の行った行為は、人として忌避すべき程のことではないということだ。 

 

この件は父親の方への案件もあるみたいだし、裁判を見守りたいが、尊厳死についてはもっと本気で議論して欲しいし、政府は真剣に法改正を視野に入れて欲しい。 

 

ただ、被害者の遺族の方々の気持ちも置き去りにしてはならないとも思う。 

自身が様々な立場に仮定的にたってみて、皆がよく考えてみることが大切だと思う。 

 

 

・これは今後の日本にとって重要な課題だと思う。 

亡くなるまで痛みや恐怖続き、自身の体が弱っていくのは耐え難いものです。 

生きる権利ばかり主張されがちですが、安楽死の権利もあって良いと思います。 

これから高齢化がドンドン進む日本、そして終末期の人にとって安楽死も選択の一つとしても良いと思います。 

 

 

・自然死を待つ苦しみって必ずあると思います 

ALSに限らず寝たきりで意識のほとんどない高齢者とその家族が心の底から「長生き」を望んでいるのだろうか?と 

口先では「あの世からお迎えが来るまで」と私も言う事がありますが、その自然死がいつなのか?ゴールの見えないマラソンがあと何十年続くのか?考えるだけで恐ろしいです 

尊厳死が自分自身で選択出来る事を願うばかり 

 

 

・母親をALSで亡くしています 

全身の筋肉は次第に動かなくなるけど脳はしっかりしている病気なので、もし延命治療を施せば本人が家族に負担を強いていることに耐えられなくなると思い、延命治療はしませんでした 

母親の意思も延命は望まないというものでしたから、残された家族も納得感のある最後でした 

自分の生き方を決める権利は死に方を決める権利も含まれるのではと考えます 

 

この医師の心情はわかりませんが死ぬことを望んだ女性の意思は尊重されるべきと思います 

 

 

・私も難病を持っていて、薬も治療法も無く、痛みや麻痺が出始めたら、うまく付き合っていくしかないみたいで、将来を考えると苦痛でしかない 

尊厳死制度があれば、それだけで安心して限界まで人生を楽しんで、どうしても痛くて苦しくなったら人生を終わらせられるという選択肢があるだけで気が楽に生きていける気がする 

尊厳死を認めてほしい 

 

 

・安楽死や尊厳死の導入をせずに 

批判だけはできない。 

 

私は自分の意のままに身体が動かせなくなったら、他界したい。 

延命はしないと家族にも伝えている。 

 

人は生きた長さだけではないと思う。 

毎日毎日、今日事故で突然亡くなるかもしれないと、一日一日を大事に、幸せを噛み締めて生きている。 

 

長生きはしたいし、生命に執着はある。 

それでも質も大事だ。 

 

ぜひ安楽死や尊厳死の導入検討もお願いします。 

 

 

・父を去年70歳という若さでALSで亡くしました。余命1ヶ月、延命はしないという父の意思を尊重し最後の日まで自宅で介護しましたが壮絶でした。この病気はとても残酷です、息苦しい毎日、死と隣り合わせの恐怖、食べ物も食べられず、話せず、呼吸が苦しくなる事を想像してみてください。 

父はたった1ヶ月半で亡くなりました、見取りの病院に最後の数時間居ましたが、看護婦さんにも、こんな少しで亡くなられて幸せだったかも知れませんねと言われました。 

それほど、ALS患者さんにとって残された時間を生きる事は生き地獄です。 

私はこの医師が、真実を話しているのなら理解できます。 

安楽死が、全て悪いわけではない事を、理解して欲しい。 

 

 

 

・2年前、父を亡くしました。父は人工透析を受けていましたが、その最中で脳梗塞に見舞われ倒れました。脳梗塞の予後自体は良好でしたが、後遺症の一つとして言語障害が残りました。リハビリをすればある程度の段階までは戻ります、と医師からは言われましたが、父はそれを拒否。最終的に、人工透析自体も拒否しました。そして、亡くなりました。 

色んな意見や思いがあると思います。なにが正解なのかは、分かりません。何かしらのルールや枠組みを、社会や法律で作れる問題なのかどうかも、分かりません。 

ただわたし個人としては、家族全員で最期に父の意思を確認し、それを尊重したことに、後悔はありません。 

父も最期に『ありがとう』と言って、逝きました。 

 

 

・やはり安楽死や尊厳死は、考えていかなければいけない課題だと思います、苦しんで死ぬ辛さは、本人しかわかりません、長生きは不幸の始まりにならないためにも、現行法ではできないですが、将来、尊厳死が認められることを願ってます、いずれ人は死にますが、どう死にたいかで、変わると思います、痛みにもがき苦しむなら、安楽死、一生機械に繋がれたまま生きる苦痛なら尊厳死、誰でも彼でも当てはめてはいけませんが、一定数病気で苦しんでる方には、有効な手段だと思います 

 

 

・病気だけじゃなく、高齢で亡くなる間際の人たちの扱いを今後考えて行かないと、社会はなりたたなくなるでしょうね。いくら医療が発達して長寿になっても、最後は死ぬのだから、今のように食べられなくなったら、胃に栄養を流し込んだり、点滴で栄養を与えて長生きさせるようなことは考え直さないといけないと思う。 

 

 

・かなり難しい問題です。自殺したくても身体が動かなければ自殺も出来ない。痛いのか苦しいのか恥ずかしいのか他人に迷惑かけるのが辛いのか。本人にしか分からない事です。所詮人間なんて電気信号で動いてる少し複雑な機械なんだからそこまで命一つに価値は無い。ひょっとしたら明日新しい治療法が発見されるかも知れませんが、本人の意思を尊重されるべき。 

この医師は優しすぎて見てられなかたっただけ。俺なら死にたいし医師に感謝しかない 

 

 

・私は肺がんのステージ4で抗がん剤治療中です。 

治療効果のあるうちは当然頑張りますが、いずれ緩和ケアに移った時には、苦しみの期間を延ばすより早く楽にしてほしいと思います。  

しかし、それを周りに依頼すると依頼を受けてくれた人に多大な迷惑をかけてしまいます。 

苦しむために、ベッドや布団の上で少し長く生きなきゃならないなんて、自分の事として考えたら辛いことと理解できるでしょうが、まだ死に現実感がない人たちで法を決めるから、いまだに尊厳死問題は先延ばしされています。  

昔も今も将来も、死を意識せざるを得ない人たちにとっては切実な問題で、死を先の話と思っている人にとっては先延ばし課題です。  

妙な正論はいりません。自分の事として人生の締めくくりをどうしたいのか考えてみてください。 

 

 

・介護を経験してみて、する側もされる側もそれぞれにいろんな問題が生じることがわかりました 

生きていることが楽しくなくて苦痛でしかないのに自分で自分のことができず人の手を煩わしてしまう 

苦痛な毎日を送る為に自分の大切な人に苦労をかけてお金もつかわせてしまう 

もしそうなった時に課題は多いだろうけど自死以外の安楽死という選択はあってもいいような気がします 

 

 

・何年も前に医療機関に勤めていた時の癌患者さん。発覚するまでは快活でひょうきんな方でした。しかし、死期が近づくと「先生、こんなにも治療はあるのに手の施しようがないってなると強烈な痛みにも苦しさにも耐えなきゃいけねえなんて生き地獄じゃねえか。どうにか今のうちに死ねねえかな」と言っていた表情は忘れられません。 

私自身もこの先どうなるか分かりません。その時に苦しさ、痛みにもがきながら最期を迎えるのは怖いです。尊厳死、選ばせてくれる未来にならないでしょうか。 

 

 

・ALSについて前少し調べたら指先がわずかにでも動いたらPCで意思疎通が出来る。目が見えていればその動きで意思疎通出来るとも有った。瞬きが出来ても同様に。 

ただ眼球の筋力も衰えて目も見えない体も全く動かない耳も聞こえない状態になるのをTLS「完全閉じ込め症候群」というのを知って凄まじく恐怖を感じたのを覚えている。 

意識は有るけど外部と完全に意思疎通をする手段が無くなってジワジワと死に至る。どれほどの恐怖だろう。 

色々反対意見は有ってもその当事者が本当に望むなら制度化して認めてあげたらいいのにと思う。 

特効薬が有ればいいんだけど。 

 

 

・尊厳死、真剣に考えて頂きたいです。 

私の母は、末期ガンで終末期にかなり苦しみました。 

痛み止めの医療用麻薬は少しずつしか増量できず(それが原因で亡くなる可能性があるため)、結局痛みのコントロールがかなわず。 

家族としては、それが原因で亡くなってもやむを得ないと思っているが、医師はそれはできないと。 

あとで、訴えられたりしたら困るのでしょう。 

回復の見込みのない、死を待つばかりの患者には、尊厳死を選ぶ自由が欲しいです。 

 

 

・先ずはALSという難病を理解する必要があります。 

徐々に身体機能を奪って動けなくなり、意識ははっきりしています。言葉も発せなくなり、これがどれだけ苦痛なことなのか他人が受容できるわけがありません。生き地獄です。しっかりしたやりとりがあるならば患者の意思に寄り添う素晴らしい先生だと思います。当然、先生も悩まれたことだと思われます。生かすだけが正義ではないと思います。 

 

 

 

・私はまだ30代で将来の事なのでわからないが、私に死期が近づいた際には安楽死という選択肢はあってほしいなと思う 

 

今の日本は少子化が激しい 

子供達の世代に医療費を負担させるシステムは成り立たないと思ってる 

特に延命治療なんかはもってのほか 

社会として死期が近づいた者からNOと言える選択肢がある仕組みは必要なんじゃないかなって思います。 

 

 

・多系統萎縮症という病気で家族をなくしました。症状はALSとほとんど同じでした。皆さんが言うとおり何て残酷な病気なんだと痛感しましたし、何より本人が1番辛かったと思います。わたしも最期の一年くらいは早く楽になってほしいという気持ちでした。亡くなったときも変わらず同じ思いでお疲れ様と声をかけました。本当に残酷です。病気と闘ったことに尊敬しかありません。尊厳死、安楽死について少しでも議論が進むことを願います。 

 

 

・医療従事者としては何時も悩む問題です。 

難病の患者さんやがん患者さんは始めは治療に前向きな方もいますが年月が経つにつれて早く楽になりたいとか死なせてくれと聞く事もあります。主治医をしていると毎日聞いて辛くて病んでしまう医師もいます。 

認知もないため日々病状の進行と共に麻薬の使用が増えていく事もあります。 

安易な死を推奨する訳ではありませんが死を望む権利をもう少し緩やかにしてもらいたいとも思います。 

 

 

・知り合いの嫁さんがALSです。それまで普通に生活していて元気だったので家族は本当に衝撃だったようです。1年前の話で現在はどうなってるか知りません。 

 

凄く痛みを訴えて「痛い、痛い」と叫んでいた話を聞いてるだけで、本当にこちらまで辛くなります。 

 

病院では簡単に死なせて貰えません。とにかく誰もが、責任を負いたくないため、死なせないために危険な事は一切しません。 

 

私は胃の検査でいつも無痛検査するので麻酔でやります。本当にまったくないわからず眠りに直ぐに落ちます。本当に願わくは、こんな感じでもっと薬増やしてもらい死ねたらと思います。 

 

ほとんど天涯孤独の身になり、今は本当にどうやって死ぬかしか考えてません。ペットがいるので、ペットを残して死ねない、と言うだけです。 

 

日本も平均年齢過ぎたら、安楽死出来るようになればいいなと思う。 

 

 

・医療従事者です。尊厳死を認めて欲しいとの意見と、現場では100歳に近い重度の認知症の親に胃瘻を希望する家族もいます。もうそれほど長くは生きられない人に対して、人間の尊厳は無いのかといつも思います。胃瘻をした寝たきり高齢者は、褥瘡を作り、胃瘻を触らない様に、身体拘束をされる方もおり、自由を奪われ、奇声をあげ、本当に無惨です。 

 

 

・果たして無理してまで長生きする事がそんなに重要だろうか。 

勿論、今まで救えなかった命を救えるようにとの思いで医学は進歩してきたのだろうが、苦痛を感じたままただ生かされているだけ、というのは当人からすれば生き地獄以外の何物でもないのではなかろうか。 

かく言う私も、ある難病に侵されています。 

直ぐに死に至る病では無いとは言え、終末期には人としての尊厳すら失う最期となるだろうと恐怖しております。 

そうなる前に、自らの意思で、最期を決められる事が出来れば有難いと思う。 

自ら望んだ死、それを助けて頂くのが殺人とならない世の中になれば良いなと、個人的には思います。 

 

 

・法制度が追いついていないのが問題だが、その間隙をついて、医師が自分自身の想いだけで死期を早めてしまうのは良いことなのか。 

 

安楽死に関する法制度を整えることこそが求められている。 

 

その制度はもっぱらその本人の意思と自己決定に基づくべきものであり、決して他者から唆されて決しないことが大前提として求められる。 

 

自分が決定すると言うことがとても重要であり、安楽死制度を他者が悪用しない仕組みが絶対に必要だ。 

 

 

・日本の法律上、いくらお願いされても殺してはいけないからいけないことなんだと思う。けれど、ALSで苦しい患者さんで回復する見込みはなく悪化するだけ。自分の体がどんどん悲鳴をあげていく。早く楽になりたい!そう思ってしまう気持ちも分かる。他国では安楽死を承認しているところもある。日本は医師は治療すること!治すこと!それが医師という使命。というようなものがあるというか…。それは良い思うけれど、患者さんの思いを聞くこともこれからの日本の医療にも必要な場合があるのでは?とも考える。 

 

 

・苦しみは本人にしかわからない。たとえ家族の気持ちでさえ苦しんでいる人からしたら身勝手な言葉にしか聞こえない。しかし法律の決まりでその人にとってはただの生き地獄。尊厳死こそが救いの手と感じる人もいて、この患者もその一人であったことが伺える。日本の自殺問題で一番多いのは健康問題。尊厳死ができない場合自殺するしか逃げ道はないと数字が物語っている。本人の命の意思でも尊重される時代だと私は思う 

 

 

・自分の父親もALSでした。 

人工呼吸器や胃瘻は意思を明確に出来る初期に拒み、病院に行くことも嫌がり、出来るだけ人に迷惑をかけず、自宅で静かに、いつ来るかわからないその日を迎えるのを望んでいました。 

病気が家で喉を詰まらせた際に救急車で運ばれ入院しそのまま2週間後に亡くなりました。もうわずかの表情でしか表現出来ない時期でしたが普段物静かな父が必死に入院を拒んでいた表情が忘れられません。 

現在の日本の制度では認められるものではないと頭ではわかっているつもりですが‥ 

命と尊厳について、出来るだけ多くの人が向き合い議論する輪が広がれば良いと切に感じました。 

 

 

 

・尊厳死について、まず本人の希望があり、理性的な理由を述べられる(伝え方は口頭に限らない)状態で、条件を満たすためのカウセリング、医師との面談、死後の処理等、揃えるものを揃えられれば…というように、なにかしら条件を満たせば尊厳死が認められれば、周囲を巻き込んでの自殺せずに済む人、情に絆されての殺人をせずに済む人がいると思う…。 

医療の進歩に伴い、救われる命が増えたことは素晴らしいけれど、進歩に伴って尊厳死についてももっと現実的に議論してほしい。 

 

 

・医療従事者です。何十年と仕事をしています。この中で出会った数えきれないほどの高齢者や身体障がい者をお持ちのかたと出会いました。ご高齢の方は口癖のように、死ぬこともできない、ただ生かされてるだけベッドで天井しか見ない毎日がどれだけ苦痛か。いろうで何年も生きてるかたの願いは、味があるものが欲しいそれだけです。食べた感覚もなく、味もしない。私なら耐えられません。後天性の障がいを持った方も、痛みや苦痛から解放されたいと現実は現場を見たらわかります。笑顔の裏にある本音を見てあげてください。自分がその立場になってみて考えても本人の痛みを感じることはできません、どんなぬのたうちまわっているか家族も離れていればみることができません。実際に見ている医療従事者は、そこで無力だと何にもしてあげられないと自分を責めます。自己決定すら許されない人達をボランティアでもなんでも見てみてください。 

 

 

・ALSはここ20年で研究が急速に進みましたが、今でも治すことはできません。 

急にALSの単語を聞くようになったと感じる方もいるでしょうが、ALSの診断ができるようになり一般的な病気として浸透しただけで、昔なら原因不明で亡くなってただけでした。 

難しいのは人によって症状も進行もまるで違うところ。 

呼吸筋の低下で呼吸困難で救急搬送され呼吸器まで付けてから診断される人もいれば、歩きにくさから出る人、食べてるはずなのに体重の減少から気付く人、本当に様々です。 

発症からあっという間に落ちていく人もいれば、10年以上状態をキープしてる人もいます。 

何人もALSの患者さんと関わってきてますが、ご本人やご家族の死生観も大きく関わってきます。 

「呼吸器は付けたくない。でも苦しいから死にたい」これは若いALSの方に多い印象です。 

死によって病気から解放されたいと思う気持ちをどう尊重するかも考える時期なのかも。 

 

 

・一昨年、父母の最期を看取りました。 

高齢になると、色々な障害が出て、酷い痛みを我慢するとか、信じられない位何も出来なくなり辛い思いをします。 

私は母親と最後の数年一緒に過ごし世話を出来て嬉しかったけど、母親は何も出来ない状態で生きていることは辛かったかもしれない。と、思います。 

訪問入浴させて頂いてるとき、眠るように安らかな最期だったことがせめてもの救いでした。 

誰もが、安らかに最期を迎えられるとは限らないからこそ、尊厳死が自分自身で選択出来る事を願います。 

自分で選んだ尊厳死か、装った殺人かの見極めが難しいでしょうが もう、法的にも 話し合う時期だと思います。 

年を重ね、楽しみと苦痛とを天秤にかけ、私自身は、尊厳死を選びます。 

ので・・この医師の減刑嘆願書が有れば署名したいです。 

そして、大勢の高齢者が願っている 法改正が進めば良いのにと思います。 

 

 

・昔からこのような事件がありますね。患者さんの痛みが理解できる医師程、このような決断を下してしまうと思うと、切ないです。 

自分が食べることも、満足に動くことも出来ず、回復することもない状況になったときは、選択が出来るなら尊厳死を選択したいと思います。自分が死ぬ日が分かっていると言うのは幸せだと思います。最後にきちんと挨拶もできますからね。今後、このような切ない裁判が無くなるといいのですが。 

 

 

・尊厳死を望んでおります。 

私は52歳で昨年10月に小腸全摘をしました。血流の病気で急性壊死しまして小腸が無くなった次第です。 

救急病院の腕が良かったと思いますが十二指腸の一部や大腸は綺麗に残り、胃から上ものこり、発症から今迄、高機能栄養点滴で余命しております。 

小腸移植が出来れば食べる行為が復活出来るのですが年齢的に厳しいのと毎日の免疫抑制剤投与が欠かせなること、また免疫上不安定が出てきた場合、死亡リスクが高まります。 

高機能栄養剤で今後治療を続けた場合ですが、社会生活復帰後も栄養剤を24時間背負い、胃からの胃ろうや胆汁などを廃棄する作業は24時間切り離せなくなり、一般の人よりもハンデだらけではあります。社会的生産性は明らかに落ち、且つ、大好きな食べる行為も一生不可能。これでは何の意味があるのか判らないものでもあります。それでも社会は生きていきなさい、って言っているようで怖ろしいのです。 

 

 

・こういう事件が起こる度に、何故「死ぬ自由」はないのだろうかと思う…治らない病気を背負った人は少なくともアタマの片隅に必ずある「死」これはなった人にしか分からない問題だと感じる。この世の中には生きたいと望む人ばかりではない。自分の人生をここで終えたいと思う人もいる。もう少し病人に対して安楽死についての法律が出来ることを願ってやまない…。延命だけが幸せではないと知っている人は周りで酷い延命をみてきたり、自分が治らない病を抱えたりしている人が多いので鬱と勘違いされるが、希死念慮は決して鬱ではない。 

 

 

・認知症の義母を介護してます。 

今はもう重度なのでまともに会話出来ないし自分の意思もありません。 

ただ、まだ認知症の軽度認知障害の時はやりたいのに出来ない、伝えたいのにうまく伝えられない、色々な葛藤がありました。 

それと同じで、今まで出来てたことが出来ない。この先が不安な感情しかないのを考えたら家族のことを考えたら死にたくなる気持ちもすごいわかる。 

尊厳死はあってもいいと思う。 

ただ家族からしたらそれでも生きていて欲しい気持ちもわかる。 

難しい… 

だからこそ考えて欲しい問題だと思う。 

 

 

・未だに認められていない安楽死。 

確かに命助ける側の現役医師が行った行為は許されない罪だと思うが、ずっと看護をする遺族側からすれば精神的にも肉体的にも疲労困憊になると思う。 

大病を患い苦しんでいる患者さんが今後、必ず良くなる保証が無く、ずっとこの先も長期間辛い闘病生活でいる訳で、早く楽になりたいと思う気持ちも理解出来なくはない…。 

患者、家族がそれを望むならば、選択の一つとして医師がしてあげる事ではないかと感じる。 

 

 

・母をALSで亡くしました。10年の闘病でした。母は徐々に身体が動かなくなっていく中、会話ができていた時期に父に死にたいと何度か言っていました。私達を思っての事か、本意はわかりません。言われたときは、父と姉皆で泣きました。母は呼吸器をつけることは反対していましたので、最終的にはALSで亡くなりました。 

本当に本人の意思であるならば、色々な角度からの検証が必要だと思います。 

今回の事で、ALSで苦しまれている方、薬の事、ご家族の方の事、治療費、医療体制、介護、様々な事に注目が高まって欲しいです。 

 

 

 

・ASLの人って本当に苦しいんですよ。服のシワひとつでも過敏になるのに体が動かないからどうしようもない。動かなくなって呼吸器をつけたら話すことすら出来ない。死ぬのを待つしかない。頭は働いてるから全て理解した上で待つしかない。 

ガン末期の患者さんで、これ以上痛み止め打つと意識がなくなるから、その前にに家族に会いたいかと聞かれて「いいから早く、痛い、耐えられない」と叫んだ人もいたそうです。交通事故の後遺症で気の狂いそうな痛みや皮膚のひきつり、脳傷害で苦しんでいるひともいます。 

ただ生きていればいいかというと、そうでもないケースもあるのだと思います。何がなんでも生きろは押し付けになることもあるのではないでしょうか。 

 

 

・業務上云々の逆で、この人でないと即時的な解決はできなかった。 

法治国家ですので、明文化された条文をもって社会運営されるのですが、情状酌量の余地は十分あると思います。 

また、今後の高度な高齢化社会においての問題提起だと思います。 

社会全般において必要悪という概念が一切認められない世の中になるが、即時的に救いを求めている人間も多いという事。 

社会の後追いの法律から先行した法律が求められるのかもしれない。 

 

 

・こういう事件があるたびに安楽死待望論が起こって「死の自由」を求める声が上がるが、自身の「死の自由」に関しては今だって制限されているわけではない。 

その気になれば今すぐにでもできる自由はあるし、真剣に調べれば各国の安楽死事例などで苦しみの少ない方法も見つかる。 

「死の自由」はあくまでも本人自身のみに認めるべきもので、他人が手を下したら理由はどうあれそれは他殺であるという原点は忘れてはいけないと思う。仮に自らの死の準備が難しいケースに安楽死を認めるとしても、最後の引き金を引くのは本人自身に限られるような方法がとられるべきと思う。 

 

 

・ALSは脳からの伝達が中断されるため、筋肉が動かなくなる病気。脳、心臓などの内臓、排尿、排便は正常。ただ肺は正常だけど呼吸が徐々にできなくなり人工呼吸器をつけるかどうかの選択が求められる。この延命処置を望まないなら真綿で首を絞めるように死を待つことになる。安楽死という医療処置を認める時期に来ているのではないかと思う。 

 

延命処置をした場合の医療費について。 

指定難病のため長期療養型病院に入院した場合、人工呼吸器常用の場合医療費自己負担は月1,000円である。胃ろうの場合は食事は全額自己負担となるが点滴で賄えば医療費となるため無料。このように自己負担は優遇されている。 

しかし病院が請求している医療費は病院にもよるが、およそ月125万円で5年お世話になりました大変な額です。(5年生存で7500万円)安楽死を認めない代償としてはあまりに多い国民負担となっております。 

 

 

・大人になると、もちろん予期せぬこともあるが大抵のことは計画を立てて行動するようになる。その予期せぬものの最たる例が自分の寿命だろう。 

どれだけ途中を計画的に進めても、人生の最後の最後がどうにもならないのが現状。そんな不確実な状態で老後の資金をキープしながら子供を産み育てろ、というのはリスク回避的な人には難しいだろう。 

自分で老後(死期)を計画できるようになれば自ずとお金も計画的に使えるようになる。これも一つの少子化対策だと思うがね。 

 

 

・選択肢はあってほしい。 

もし自分がこの病気だったら、いつでも楽になれるならもう少し先まで生きてみようって思うかも。 

今この瞬間を逃したら楽にはなれないと思ったら衝動的に決断してしまうかも。 

選択肢があることでぎりぎりまで希望を持って生きられるってことあると思う。 

 

 

・ALSやパーキンソン病といった根治性の無い病気は、真っ暗で抜ける事のないトンネルを歩いていくようなもので、ほんとに惨たらしい病気です。 

それを半ば強制的に歩んでいかされるような状況は、やはり検討する必要があると思いますし、それに対して日本は遅れていると感じます。 

 

私も、身内をそういった難病で亡くしました。 

体を動かせず、排泄もままならない、体はやせ細り、かすれるような声しか出ない、気を付けていても褥瘡が出来て化膿してくる 

本人も林さんと同じようなことを言っていました。 

とてつもない不安感に常に苛まれていたと思います。 

 

この事件を、単なる犯罪として終わらせてはいけないと個人的に思ってしまいます。 

 

 

・同じ病気同じ症状でも、「まだ打つ手がある」の打つ手に求めるレベル感は人によって違うし、もう無理だと思い始める段階も違う。 

それを皆等しく一律の基準(我慢)を求めるようになってほしくはないな。。 

本人が望んだのだことが証明できれば、どんな段階でも安楽死できるようになって欲しい。(自分でボタン形式いいですね) 

 

この患者さんはもう無理だと思い、頑張って治療を勧めてくださる主治医にはお願いできずに他人にお願いしたのかも。 

この元医師は自分の経験から、彼女のどうしょうもない感をまるごと理解して即実行したのかも。 

すぐに法的には認められなくても、必要な存在だと思います。 

 

 

・即実用というわけにはいかないかもしれないけど、安楽死・尊厳死についてはまず議論を始めるべきかと。今回の被害者の方はALS患者だったけど、回復の見込みがない病気、重度の障害、怪我…。色々なケースで自死を選んでしまう方がいる以上は、尊厳死の選択肢があるかどうかは大きい。どんなサポートがあっても死を選んでしまう方もいる。であれば、せめて悲惨な死に方ではなく尊厳死を選べたら…と思う。本人の判断力が微妙になるが、認知症や危篤状態なども同じく…。幅広い場面で、自分や周囲の人にとって苦痛の少ない尊厳死を選べるようになってほしいと思えてしまう。 

 

 

・安楽死を認めていないからこのような不幸な事件がおきるのです。インターネット番組などでは高齢者の医療保険や介護施設にまでも批判し、生活保護者の医療費免除も撤廃とまで言っている議員や医師がいます。高齢者の中でも年金だけでは生活が苦しく働いている人達もいますし、身体を壊して働けない生活保護者もいます。結局はお金持ちになれなければ現役でも苦しい生活で、高齢者になっても苦しい生活をしなければなりません。現在の若者達の負担も問題ですが社会保障を厳しくしていけば、現在の若者達はお金持ちになれなければ、高齢者になった時には完全に死ぬまで働く事になりますよ。 

 

 

 

・安楽死を認めていないからこのような不幸な事件がおきるのです。インターネット番組などでは高齢者の医療保険や介護施設にまでも批判し、生活保護者の医療費免除も撤廃とまで言っている議員や医師がいます。高齢者の中でも年金だけでは生活が苦しく働いている人達もいますし、身体を壊して働けない生活保護者もいます。結局はお金持ちになれなければ現役でも苦しい生活で、高齢者になっても苦しい生活をしなければなりません。現在の若者達の負担も問題ですが社会保障を厳しくしていけば、現在の若者達はお金持ちになれなければ、高齢者になった時には完全に死ぬまで働く事になりますよ。 

 

 

・むやみに尊厳死を推奨するわけではないが、いくつか特定の病気に対しては尊厳死を許容するような国にしてもいいのではないかと思う。 

今回のような病気だと衰弱していくのがわかるだろうし、闘病中もつらいだろう。 

家族からすれば闘病する姿を見るのもつらいという方もいるだろうし、それこそ長期的な闘病は経済的に耐えきれないというご家庭だってあるだろう。 

 

立場上長く患者にかかわる医師だったからこそどうにかしてあげたいという判断だっただろうし、医師という命に携わる職だからこそ、つらい面も多かったと思うが、今回「ありがとう」と言ってもらえているのが善悪のすべてを物語っているように思う。 

 

現行法で許されないのは理解できる。けれど、法律が万能でないことは誰しもが感じるところだろうと思う。 

少しでもこんな思いをする医師、患者が減る国になってくれればと思う。 

 

 

・病気の辛さはなった本人にしかわからないのに周りが安易に安楽死はいけないと言えることではないと思います。「人を殺す」こと自体は確かに罪かもしれませんが今回の件はその内容をもっと考えないといけないと思います。 

早く死にたいと思う程辛いということ…。今後安楽死、尊厳死についてもっと議論して欲しいです。 

様々な状況、背景があるかとは思いますが人々に生きる権利があるならば、死ぬ権利もあっていいのではと個人的には思います。 

 

 

・私は以前、身障者療護施設で何人もALSの方の介護をさせていただいたことがあります。今回の件で医者を非難してる人は現実を知らない人の綺麗事だと思う。 

ALSほど地獄で残酷な病気はないのではというくらい本当に苦しいと思います。発症してから身体の機能はどんどん悪化します。昨日できた事が今日スムーズにできない、数日後には全くできないというレベルです。それなのに脳の機能は亡くなるまで全く変化しません。何もできない体に病気になる前の自分が閉じ込められような感覚です。 

ALSの利用者さんの辛い言葉もたくさん聞いたし、先週はできたのに今週はできない様子も見ていたし、もし自分がALSになったら24時間家族に負担をかけ、瞬きしかできない自分になる前に命を終わらせて欲しいと心底思います。 

安楽死についてただ罰するだけではなく、根本的に考えていかなければいけないと思います。 

 

 

・自分もいずれ死を迎えることを考えれば、安楽死を他人事ですませられる人はいないはず。亡くなった方も、この医師が嘱託殺人で裁判にかけられていることを知ったらどのように思うだろうか。日本でも一定の条件下で安楽死を認める法律の制定を強く望みます。 

 

 

・こういう病気の議論は健康な状態の人達や、生きる希望を持った人のみが集まって議論しても意味がないだろう。健康な人が、全身が動かなくなる状態、例えば全身をベッドに拘束されたまま1週間放置された状態で議論をしたらどんな議論になるだろうか。実際に苦しんでいる人達と似た状況下で物事を議論することは非常に大事だと思う。よく政治家が高齢者施設を視察して労働者の賃上げの必要性を認識するが、一目見ただけで分かる訳ない。議論をするにも状況設定というのはとても大事だと思う。 

 

 

・医師は人の命を左右する技術を持っているので医師の判断で苦しまなくてもすむように安楽死、尊厳死の幇助は条件付きで認めるべきだと思います。 

この条件付きという中身が重要ですが。 

癌の末期の人が痛み耐えられず通常よりも多くのモルヒネを投与して亡くなるのは殺人にはならないのか?人工呼吸器を外して自然死させるのは殺人にはならないのだろうか? 

 

 

・長い闘病の末の末期がんの方に「早く楽になりたい」と言われたことがあります。動くことはできず、目はうつろでやせ細り、もう覚悟をされてるような感じでした。なんと声をかけていいかわからず、手を握ることしか出来ませんでした。 

主治医は一応解剖の意思確認など死を前にした説明を本人と家族にしていたようです。 

楽になることが死しかないなら、私もたぶん同じことを考えるでしょう。 

 

 

・私の嫁は若くしてALSが原因であらゆる合併症になり亡くなりました。 

医師の方がやった事は法律に反する事ですが、 

言ってる事は十分過ぎるほどわかります。 

嫁が亡くなった時は、悲しみよりも先に、 

やっと楽になれるね。おつかれさま、と言う 

気持ちが先でした。 

間違ってるかも知れませんが、できることなら 

少しでも情状酌量していただきたいです。 

 

 

・20年以上精神疾患で苦しんでいる者です。法では救えない患者を救ったと思います。法律的には罰せられてしまうけど、近い将来日本も外国と同じように安楽死が認められる日が来る事でしょう。本人が病気で苦しんで医者に頼んだならそれは医療行為です。長く痛み苦しんでもう自分にはそれに耐えうる力が無いと訴え、医者にも承諾して貰えたら他の人にとやかく言われる筋合いは無いんじゃないでしょうか。 

 

 

 

・呼吸器を繋いだら倫理的な問題からそれを外すことは困難になります 

現に呼吸器を繋いでいる患者の方がいますが、その方の生き方を否定するつもりはありません 

ただ途中で呼吸器を外すという、その判断を本人が主体的にできるように法整備が必要だと思います 

 

 

・この問題は非常に難しいですね。 

自分も人生に悩むことが多いので、Chat GPTに聞いてみました。 

 

自分がいつ死んでも良いと感じるかどうか、そして生きることの意味については、非常に個人的で深い問いです。人生のステージや経験、個々人の価値観や信念によって、その答えは大きく異なります。 

 

年を取るにつれて、できることが少なくなるかもしれませんが、人生の価値は行動の量や成果だけにあるわけではありません。多くの人々にとって、人生は関係性、経験、学び、成長の継続です。また、年を取ること自体が、新しい視点、知恵、理解をもたらすことがあります。 

 

生きることは、単に生存すること以上の意味を持つことが多いです。人間関係の深化、個人的な成長、社会への貢献、精神的な追求など、生きることには多様な側面があります。また、人生の後半には、過去を振り返り、人生の経験から学んだ教訓を次世代に伝える役割があります。 

 

 

・ALSは、ほんとに辛い 

私も仕事で在宅治療されているこの病気の方たちに会います。 

 

文字盤での会話は、私にはできませんが担当のヘルパーさんはわかるようです。 

 

でも、いつかは、眼球も動かなくなるので、何も伝える手段がなくなります。 

 

生き地獄です。 

 

私なら、まだ足が動くうちに人生終わらせると感じました。 

いけない事はわかっているが、あの状態を見てしまったから、迷わず選択する。 

 

 

・ALSはきつい。呼吸器をつけない選択もつける選択も、どっちを選んでもきつい。 

呼吸器をつけないことを選んだら早く死ねるがそこまでの苦しさを考えると怖くて選べない、だからと言って呼吸器をつけ延々と進んでいく自分の麻痺と家族の大変さを見続ける選択もようしない。 

どこかで、もう良いよと納得できたタイミングで、苦しまず永遠に眠りたい。 

 

 

・僕は本人と家族の希望、数人の医師の診断があれば尊厳死は間違っていないと思います。実際に医療現場で関わる中でALSやその他の難病が原因で死にたいっていう人を何人も見てきました。法整備する時代がやってきてると思います。日本は法整備に時間がかかりすぎて時代についていけない傾向にあります。その原因を辿れば今の政界に問題があると思います。司法、立法、行政が癒着してるかや捻れていくんだと思います。今の日本憲法は戦後、アメリカ指導のもとに無理やり作られた法律であって、完全に民主主義にはなれていないんだと思います。尊厳死についてだけではなく、そろそろ時代に応じて日本憲法そのものを変える時期にきてるのではないかと思います。 

 

 

・私も家族をALSで失った経験があります。 

この医師はどれほどの覚悟で女性と向き合ったのか、想像に難くありません。 

正直、自分がALSになり目の前にこの医師がいたら救いの神に見えると思います。 

 

絶対にすぐバレるとわかっていながら、楽にしてあげたい救ってあげたいという気持ちがとてもよくわかります。 

 

この女性は幸せだったと思います。 

ALSが進行すれば、もう眼球しか動かせなくなる。 

その前に救ってもらえたのです。 

 

私はこの医師は最高の名医だと思います。 

それを法律が許さないのであれば、法改正が必要です。 

 

この医師の行いを否定する人は、自分や家族がALSになってからもう一度同じ事を言えるのでしょうか。 

 

 

・苦しみながら死を待つだけになってみなけりゃわからないことだろうけど、見聞きした一例で言うと、昔、事故で臨界の放射線にやられてしまい、体中の細胞がおかしくなってしまい全身が崩れていきながら死んだ人がいた、その時医者がどうしたかというと果てしない対処治療と延命だった、日に日に酷くなるだけで治る可能性は全くなかった、どれだけの痛み苦しみに耐えながら最後の時間を過ごしたものか、そう考えると安楽死が選択肢の一つにあるのは然るべきなのか。 

 

 

・自分が世の中に役に立つ人間かどうかで生死を考えてはいけないとは思っている。それでも自分が自分である事すらわからなくなって、ベッドに横たわるだけの状態になった時を想像する。家族の要らぬ経済的負担も頭をよぎりそれ程遠くない将来が不安にもなる。潤沢な財産でもあればそんな考えもないのかと考えると少し惨めな気持ちにもなるが、そういう事だけが理由ではなくて人間として安楽死や尊厳死を真剣に考えて欲しいと願う自分がいる。 

 

 

・俺の父親は77歳の時に脊椎の手術をして、そのまま意識が戻らずに半年後に死んだな。自分で食事もできないから胃に穴を開けて直接食事を流し込むという、ただ死なせないという治療をしてたな。健康な人が死にたいというのは贅沢な悩みかもしれないけど、病気だったり、障害を持って生まれてきて、生きてる事に意味が無いと考えてる人をどう扱うかは議論してもいい頃だと思うけどな。 

 

 

・最大の問題は、「人はすすんで自らの命を断つことはしない」という、固定観念があることではないだろうか? 

大学の専攻ゼミにおいて「死は究極の自己決定権か?」が課題で研究したが、なるほど刑法にも自殺する人を罰する条文はない。故に尊厳死安楽死(積極的)は認められべきだと結論に至った。 

しかしながら、それは机上の論であり、当事者の真摯な意思があれば、その道具と機会を与えることに関しては追及しないよう、刑法を改正する必要があると思う。 

 

 

 

 
 

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