( 132362 ) 2024/01/25 14:32:55 2 00 【速報】「残虐非道の限り 苦痛は筆舌に尽くしがたい」青葉真司被告に死刑判決 36人死亡の京アニ裁判「心神喪失、耗弱の状態ではなかった」責任能力認めるMBSニュース 1/25(木) 11:01 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e64ffe6c49def6decb76e8e7afcd863a954f9066 |
( 132365 ) 2024/01/25 14:32:55 0 00 MBSニュース
速報でお伝えします。京都地裁は、25日午後1時40分すぎ、青葉真司被告に死刑判決を言い渡しました。
「青葉真司!聞いているのか!あなたはまだ生きているんだよ」京アニ社員は被告に叫んだ【ドキュメント京アニ裁判】
けさ、青葉被告は午前9時40分ごろ京都地裁に入りました。午前10時半に公判がはじまりましたが、証拠に漏れがあったとして短い弁論を経て一時休廷しました。
午前11時に判決公判が再開され、京都アニメーション放火殺人事件の判決言い渡しが始まりました。青葉真司被告はこれまでと同じ青色ジャージ姿で車いすに乗って法廷に姿を見せました。
冒頭、結論にあたる「主文」は後回しになりました。
裁判長は「有罪判決ですが、主文は最後に告げます」と述べました。そして先に理由などを読み上げていきます。
去年9月以降、これまでの裁判で検察側は、「犯行直前にはスタジオの前に13分間座り込み逡巡していた」と当時の状況を明らかにし、「妄想はあったものの、犯行を思いとどまる力や善悪を区別する力を凌駕するものでは到底ない」と、責任能力があったと主張しています。
弁護側は犯行当時は「心神喪失」、善悪を判断し行動を制御する能力が失われた状態だったとして無罪、または「心神耗弱」で刑を減軽すべきと主張しています。
きょう、裁判長は判決理由を読み上げる中で争点となった責任能力について、「犯行当時、被告人は心神喪失の状態でも、心神耗弱の状態でもなかった」と述べ、青葉被告に善悪を判断する責任能力があることを認めました。
そして生い立ちに触れながら理由を述べていきました。
裁判長は、青葉被告が「重度の妄想性障害」であったと認めましたが、妄想が”犯行にどれだけ影響を与えたか”については、「妄想が犯行動機の形成には影響したものの、放火殺人という手段には影響していない」と指摘。「放火殺人を選んだのは、青葉被告のこれまでの経験や知識、『やられたらやり返す』というパーソナリティーによるものだ」と述べました。
犯行については、「生活に困窮する中で、利益を得ている京アニに恨みを募らせ、放火殺人までしないと”盗用が終わらない”と考えて、犯行を決意、京都へ向かった」と認定しました。
犯行様態については、「大量殺人を行うという強固な殺意に基づくもの。第一スタジオは炎で包まれ、火の海になった。生命侵害性が高く、生身の人間を火だるまにするという誠に残虐で非道なもの」と述べました。
そして、「経緯、動機、情状等を考慮しても、被告人が人命の尊さを顧みず、ガソリンを撒いて火を放ち、36人を殺害、32人を命の危険に晒したことは、極めて重く、動機に妄想が影響したことなどを考慮しても、死刑を回避する理由にはならない」と、青葉真司被告に死刑判決を言い渡しました。
去年9月以降、裁判は22回開かれました。その中で青葉被告が謝罪の言葉を口にしたのは、21回目の裁判でした。
その際は、遺族らの意見陳述のあと、検察側から受け止めを求められて、「それはやはり申し訳ありませんでしたという形にしかなり得ない」と初めて謝罪の言葉を口にしています。
午後1時40分ごろ、主文が読み上げられました。青葉被告は深く頭を下げて、微動だにせずに判決を聞いていました。その後、下を向いた様子で退廷しました。
傍聴席の遺族らからは、涙をぬぐう姿が見られました。
判決公判には、23の傍聴席を求めて、朝から400人以上が京都地裁を訪れました。
傍聴を希望する人たちに話を聞くと、名古屋から来たという20代の女子学生は「昔から京アニが好きで、好きなアニメーターが亡くなったのを知って辛かった。どうなるのか、自分の目で見届けたい」と話しました。
福岡から来たという40代の男性は青葉被告と同年代。「同じ(就職)氷河期を生きた人としてもだし、社会で居場所を見つけるのは、自分の中でも人生の課題だった」と話しました。
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( 132364 ) 2024/01/25 14:32:55 1 00 ・日本の司法制度は加害者に対して甘すぎ、被害者には厳しいとの批判が多く見られます。
裁判所の判決に対して、極刑以外には選択肢はないとの意見や、死刑判決が確定した後の執行までのプロセスの見直しも必要とする声が上がっています。
加害者への補償と罰について、法的な視点や被害者への配慮に焦点を当てた意見も多く挙がりました。 | ( 132366 ) 2024/01/25 14:32:55 0 00 ・日本の司法制度は加害者に甘すぎるし、被害者にはやたらと厳しい。
モラルが完全に崩壊している「モンスター」は少なからずいる訳で、被害に遭ってからでは遅いし、被害者は大概、救済はされにくいのが実情。
勿論、余りにも酷い場合に民事で相手を訴える手もあるが、労力や手間を考えると、現実には泣き寝入りするしかない場合がほとんど。
「やったもん勝ち」や「イジメたもん勝ち」はおかしいし、被害者や被害者家族のサポートはもっと充実させるべきだと思う。
・昔から刑事保安処分についての研究が進められているが、具体的な制度設計がなされても立法政策としてはあまり実現されていない。
ロンブローゾに始まる生来的犯罪人説は、遺伝学や精神医学によってその一部の論理の妥当性が示唆できるとする研究や統計などが縷々なされているはずで、これを犯罪防止や被害回避という社会防衛のために少し急いで具体化する必要があると思う。
人権保障との兼ね合いもあるから難しいが遺伝的に問題がある場合や生活状況が一変した場合などで精神や人格に変動がみられる場合には、一定の行動制限や監視措置、期間を定めた隔離措置や治療処分などが検討されてしかるべき段階にあると思う。
もちろん、精神神経医学や法律学、警察学、公衆衛生などの専門家らによる第三者機関が設けられ、そこでの活発な議論や検討が諮問され答申を待って政府によって制度設計案がまとめられ国会の承認を得なければならないことは当然だ。
・人の死を思うのはなんか複雑ですが、やったことに対してしっかりと量刑を受けるべき事件だと思います。あまりにも多くの罪もない方の命を奪いすぎたと思う。地裁だからこの後即刻上告するとは思うけど、精神関係で逃げるのは卑怯だと思うし、亡くなった方々の気持ちに添える判決が出るといいなと思う。
・様々な犯罪者の「責任能力」って何なんだと思うことがある。 したことに対する責任は負うべきであり、能力があるとかないとかではない。
被害者が被害を被っている以上はそれを補填するのが加害者側のするべきことであり、よく話題になるのは「支払い能力がない」などだけれど、そんなこと被害者側からすればしたことではない。 極端な話をすれば闇金から金借りてでも弁済しろというのが被害者心理だろうと思う。 被害にあい「支払い能力がないのでお金は払えません」となれば被害者は泣き寝入りしかないというのが現状。
正直能力があるとかないとかではない。やったことに対する責任は命を懸けて補填しなければならないだろうに、 加害者を守るような国にはなってほしくない。
・亡くなった人よりも今生きている人に寄り添う、更生の余地があるとか甘いことばっかり。火事で助からなかった人が多い中、放火犯のこの人は愚かにも自分も火に巻き込まれて、それを生かす為に世界初ともいわれる言われる難しい手術も行われ、多額な治療費がかかったと思われる中、生きながらえて言った言葉が、やりすぎだった。まず、普通の生活はできないから、このまま生かしておいたとしても血税使われるだろうし、死者や残された遺族に対して一体何が出来るのかって思う。
・判決に対して、被告人がどの様な態度やコメントをするのか。 今まで被害者や遺族に対する真摯な謝罪は無い。
被告人のこれまでの言動から、それを求めるのは不可能に近いと思うけど、その言葉を望んでいる遺族の方の記事もあった。
せめて判決は潔く受け入れてと思う。
そして、この事件きっかけに司法の見直しはあっても良いんじゃないかと。 言い方正しいかわからないけど、理不尽に命が奪われて、心神耗弱とか精神疾患理由で「無罪」や「減刑」は時代に即してない気もする。
・刑の均衡からいって、極刑以外に選択肢はない。
これを仮に無期等にするとすれば、その裁判官は死刑判決を下さない裁判官だということになり、適格性を疑う。
極刑か無期かというラインを大きく逸脱して、極刑のレベル。 ドキドキ感も何もなく、選択肢は1つしかない。
・些細な逆恨みであれだけ大勢を人を苦しめて死なせた時点で、極刑は当然だと思うけど、被害者家族からしたら犯人を死刑にしたところで死んだ家族が戻って来る訳でもないから、複雑だと思う。 あくまでも地裁判決だし、控訴する権利があるから、判決が確定するまでは時間がかかるだろうし、仮に死刑が確定したところで執行されるまでに更に時間がかかるし、下手をすれば執行されないまま塀の中で国民の税金で生涯を過ごす可能性もある。 裁判制度にも問題はあると思うが、もう少し迅速な死刑執行をする為にも、死刑執行までのプロセスの見直しも必要だと思います。
・多くの方が亡くなり、自分は最高の医療によって生かされ、医師は苦悩し、社会に与えた影響は大きい。しかし、その犯行理由を傍から聞くと、到底解せるものではないし、あまりに惨忍な犯行。極刑以外は考えられない。
・正直、本人もここまでの被害者が出るとは予測できなかったのではないかな。嫌がらせしてやろう、思い知らせてやろうはあっただろうけど。建物の構造、扱っているものが紙という条件で火の広まりが早かったのだろう。でも放火は他の建物にも燃え移る恐れがありイタズラ心が許させるものではないです。命を救ってくださった医師には感服です。死刑となり今一度助かった命とこれから人によって奪われる命の重みを感じて刑の執行を待って欲しいです。
・身勝手な理由でこれだけ多くの死者を出した事案で、死刑以外の選択肢があるのか? 放火前提でガソリンを購入しているのに心神喪失とかで刑事責任が問えないとかあり得ない。控訴・上告せずに潔く刑に服してもらいたい。
・わかりきったことではありますが、やはり主文後回し。過去の慣例から、少なくとも無期懲役以上であることは間違いない(一般的に死刑判決で用いられる手法だが、過去に無期懲役でもこの手法が取られることがあるため)。
被告が瀕死の重傷を負いながら、医師たちの懸命な治療行為によって一命を取り留め、でも検察の求刑通りになれば死刑となる、なんとも複雑な運命。ただ、日本の犯罪史に残ることとなる重大事件を引き起こしたのだから、やはり相応の償いをする必要に変わりはない。
・こういう事件、勿論犯罪の内容や経緯、背景も考慮は勿論されるのだろうが「心神喪失、心神耗弱の状態」だったとしても、「無罪」にするのはどうにかしてほしい。 行動した事に関しての事はきちんと考慮してほしい。 この事件に関しては社会の関心も大きいし加害者へどこにも寄り添える内容が無い印象で判決もしっかりしたものになるのだろうが。 無罪にしても精神病院等に入れられるなら、その旨も明記してほしい。 飲酒による酔ってたから仕方ない、や、性犯罪に関しては特に早く厳しくなってほしい。この内容には心神喪失、心神耗弱の状態だろうと、犯行が明らかなら無罪は無いよ。
・先日横浜で障害者施設が住民の反対により開設断念となったニュースがありましたが、精神疾患や障害があると減刑されるこの仕組みが、こうして障害のある方の居場所をなくしていると思います。 精神疾患があろうとなかろうと、人を殺している事実は変わらない。自分の疾患と関係のない人たちを傷つけておいて、仕方ないことでしたと減刑なんてされたら被害者側はどうしたらいいかわからないですよ。
・重い判決が出るとは思うけど、まだ地裁。本人の意思はわからんけど、弁護士的には上告が既定路線だろう。 刑の確定にはまだ数年かかると思われるが、その間の遺族の精神的負担はいかばかりだろう。たとえ極刑になったとしても遺族の心が晴れることはないと思うけど、1つの「区切り」として、早期の確定をお願いしたい。
・被告は自身が起こした事件が、これほどまでたくさんの人が亡くなる事も、自身が大怪我をすることも全く想像していなかったろう 人が亡くなるかも知れないとは思ったと思うが、それより自身の恨みを晴らすことが第一だった
しかし結果多くの、本当に多くの方が亡くなり無念の人生を終えた事は、酌量の範囲を超えている
刑というのは反省のためにあるが、死刑だけは罰のためにある 執行されるまで悔いることが出来るなら、まだ救われるかも
亡くなった方々に哀悼の意を
・個人的に感じていることは日本は司法が甘いというか立法が機能してない、国会や政府は自分達の利益にならない票には無関心でしかも選挙の為に自分達の票になる団体への業界の利益には迅速に対応するなど問題だらけ。ある意味本当に日本は終わってる。そしてやはり被害者の気持ちを尊重というか考えもせず、判決を先延ばししたり罪から分かっている判決に対して減刑だのが多いから出来れば被害者の未来を優先に考えて判決下してほしいとともに司法や立法の改正を望む
・昨日、ニュース番組で青葉の生い立ちや事件に至るまでの生活、事件後関わった医師など関係者にインタビューしながら報道してました。 幼少期から父親から虐待を受け、中学は不登校だった、しかし定時制高校では皆勤賞を取り生徒会長をし優等生だった先生や同級生からも一目置かれていた。しばらくは真面目に勤務していた。父親が亡くなり金銭的に極貧になる。この頃、京アニに感銘をうけた。と、ここまでは理解できるが、その後の被害妄想はどう聞いてもどう考えても理解できない。自分も感動した素晴らしいアニメーターの方々の命を奪ったことは到底許せるものではない。
・そもそも本当に精神に異常があったとしても、それを理由に無罪になりうるということ事態が納得できない。加害者自身の命が危うい状況でのやむを得ない防衛の結果なら過失致死等になるかもしれないが、明確な害意を持って放火し36人もの無実の命を奪った凶悪犯に対して、極刑以外は考えられない。死刑になったところで亡くなった人たちは帰ってこないが、だからこそ取り返しのつかない罪を犯した報いはきちんと受けてほしい。
・統合失調症であったことは事実として、社会的にここまで影響の大きな事件であったことを考えると、心神喪失や心神耗弱とすることはできなかったのでしょう。なるべくしてなったと感じます。 ただ、心神喪失や心神耗弱が認められた被告がどのような経緯を辿るのかということにもスポットライトが当たると良いのですが。 ただの無罪放免ではないことが知られる必要はあると思います。 また、国内の統合失調症の患者数は約80万人、発症率は約0.7%とされていますので、自分や身内にとってもこの判決は他人事ではないはずです。
・明治時代以降の日本で死者数最大で津山事件の死者数30人を超える大事件とも言える。津山事件の犯人は犯行直後に自殺をした。今回の事件は加害者は火災に巻き込まれたが命からがら逃げて病院で大手術をした結果、生き延びた。 裁判は判例が一つの基準となる、昔よく取り上げられていたのが1968年に発生した永山事件である、死者数4名。永山基準とも言われていたが昨今では残虐性や国民感情などもあり死者数だけでの判断では無くなりつつある。 とは言え、これだけの数の人の命が一瞬にして奪われたのは事実、しかも、おそらく、精神障害は認められないだろう。 主文が後回しになったことで、極めて厳しい判決が言い渡される可能性がある、との事だが死刑判決以外想定出来ない犯行だと思うのだが、極めて厳しい判決とは死刑以上の厳しい判決はないのだが改めて極めて厳しいとなると、犯行形態含め、死刑以上の厳しい判決と感じてしまうのだが
・まず犠牲になられた方々にご冥福をお祈りいたします。そして親族友人関係者の皆様がこの判決で少しでも心の安寧を取り戻される事を心より願っております。 裁判の焦点のひとつに心身障害による減刑があったが、犯行時に心身喪失/心神耗弱になるのはある意味当然で、だからこそ重大犯罪を行える。 なので犯罪発生以前に既に発症しており、治療してるかつ医師や警察や公的組織、周りの人達が犯行を予見してたのに止める事ができなかった時に限るべき。
・通常から患者に対して、精神・心療内科などの医師の診断書に「ものごとの善悪の判断が出来るか出来ないか」を必ず記載して置くように義務付けが必要である。
普段からこのような記載をしていると、診断時点での患者の状況が把握出来ます。 毎回このような事件が発生すると「無罪判決」などで、被害者家族はやり切れない思いがあるかと存じます。
医師は診断に手を抜かずに「ものごとの善悪の判断について」の記載をして頂きたいものです。
・極刑である以外には、世間一般の理解も得られない事件だと思います。もちろん極刑に処されても、ご遺族の方々の悲しみが完全に消えることはないのですが、、、 また、全身の9割以上に火傷を負い、瀕死状態であった被告人に対して、治療を施した主治医の方には本当に頭が下がる想いです。実行犯死亡として、事件が闇に葬られることがなかったのはせめてもの救いではないでしょうか。
・こういった事件ではよく加害者には優しく被害者には厳しいと厳罰化を求める意見をよく目にしますが、日本の社会制度やそういった犯罪を引き起こしやすくする環境や背景を改善するためには具体的にどうすればいいかという視点も、処罰の程度の議論と同等か、それ以上の重要性を持ち、皆で考える必要があるように思う。
・そもそも精神が異常だから人を殺める訳で、それを精神異常だ心身喪失だ心身衰弱だと言って無罪だ軽減だなんてしてたら人を殺め放題になってしまうんじゃないのって常々思うんだよね。加害者の人権云々もそう。加害者の人権は戻るかも知れないが被害者の人権は戻らない。もっと被害者に寄り添った司法であって欲しいと思う。
・責任能力無とかで無罪になったとして、その後に社会的貢献ができるとは到底思えないしそんな人の人権は尊重するのに不条理に殺害された被害者の生命の尊厳は確保できてませんよね。亡くなられた方にはプライバシーもなくなり実名が公表されたり。 改憲派ではないですが、守るべきものと罰すべきものを見直してもいいかと思う。 遺族には到底辛いと思うが、耐えてほしい。
・結果は誰もが想像していた通り。 ただひたすら被害者の方々の無念と、ご遺族方の悲しみが計り知れない。 踏みとどまる理性は人間だから持ってるものであり、それが無ければ人で〇しと言われる。 理性で踏みどどまる事は出来たが、自己都合を優先させた結果。
何十人もの命には到底追いつかないけど、裁判結果は妥当だと思います。 全ては結果責任。自己責任。
後は結果に対して控訴するかどうか。
人として裁判結果は受け入れるべきだと思う。
・一番重い刑罰は死刑な訳ですが、一番つらいのは生きながら肉体的・精神的な苦しみを味わい続けることです でも、犯罪人であっても人権があり「地獄の苦しみ」を与えることは許されていません 他方、本件に限らず被害者にあっては「地獄の苦しみ」を味わったであろう事件がいくつも発生しています それについては裁判官も「計り知れない苦痛」など残虐性をうたっていますが、被告人に対しては懲役〇年、しかも奪われるのは「一定の自由」だけです
ん-、やっぱり司法はもっと厳しくてもいいと思うんですけどね
・被害者の遺族の方の中に「どんな結果でも虚しさは変わらない」という様なことを仰っている方がいたとか。極刑ってなんなんでしょう?民事上の賠償ってなんなんでしょう?
結果だけではなく、その主文に至った説明がもう二度とこの様な痛ましい事件が起こらぬ様な、またほんの僅かでも残された遺族の方々の気持ちが和らぐ様なものであることを望みます。
・これで心神喪失や心神耗弱を理由にした無罪主張や罪の軽減についての考え方が変わってほしい。妄想が理由だったとしても憎悪の感情は本物。自力で事件現場へ行き、自力で犯行道具を揃えた。それらは理性ある行動。その結果の惨事を考えると最も重い判決が妥当だと思う。
・刑法39条、いわゆる心神喪失の解釈があまりにも拡大されすぎて、犯罪に対する罰に関する一般人との乖離が激しすぎる。今回の事件も青葉被告は心神喪失であり、責任がないとの弁護側の主張だが、殺人を行うような状況でまともな状態の人間がいるのだろうか?拡大解釈が過ぎれば、殺人に対して罰を受ける人間がいなくなる恐れもあるが、それは社会秩序のためにも阻止しなければならないと強く思う。午前的には刑法39条はなくすべきだと思う
・精神鑑定というのは、事件の性質・原因を明らかにするためなど実施されるのは良い。
刑法39条は「心神喪失者の行為は罰しない」「心神耗弱者の行為は刑を減軽する」として任意ではなく義務となっている。それでは事件がどんな自己本位で残虐・結果の範囲の大小にかかわらず罰しないまたは軽減と「しなければならない」。
これは法律がおかしい、間違っていると思う。 基本は悪いことを悪いとわかっている、善悪の判断がつく、行動をコントロールできるということが前提で処罰の有無が変わるということになり、それはその通り。
心神喪失・責任能力のない人はいくらでもおられ、そうした方々がたまたま「やらかしても」結果にかかわらずオールOKになる。つまり被害者側には無念も人権もない状態に等しい。
本当に責任能力の無い人にはかわいそうかもしれないが、やらかした人には全体を視て「事件の結果」によって裁かれるよう変えるべきだ。
・盗作だと主張されるなら他にもっと正当なやり方があるはず。このような「やられたらやり返す」がまかり通るならば別なやり方でしっかりと意見すべきだった。突発的にであれ、計画的にであれ被害に遭われた人々はもう返ってはこない。許せないという感情が真っ先に奮い立つはず。人として恥じるべき行為であり許してはならない行為だと私は考えます。
・先ほど、青葉容疑者に死刑判決が下されましたね。主文後回しの時点で重い判決が下されるのは何となく予想していたが、本当に妥当の判決が下されて良かった。 ただ死刑判決が下された以上は速やかに執行してもらいたいところ。最近では死刑判決が下されても数年も放置されて、結局死刑囚が病死で亡くなるケースも目にする。死刑判決が確定してから6か月以内に死刑が執行されなければならないという法律があるのに、それが努力義務と化しているし、これでは死刑と無期懲役で大した大差がないことになる。被害者の無念が少しでも晴らされるよう、速やかな執行をお願いしたい
・よく考えれば逆恨みを発端にした「犯人が自爆して火傷をした」だけの大量殺人事件 主文後回しなのはむしろ当然なのかも知れない まあ、仮に死刑が宣告されたとしても、逆恨みであれだけの事件を起こした犯人、それを妄想の一言で無罪にしようとする弁護士、刑が確定し、執行されるまでどれくらいかかるのか せめて確定したならば、粛々と執行してもらいたいものだ
・心神喪失が認められず、主文言い渡しが後回しなら、通例からしても判決は死刑判決で間違いないだろう。 ただ今回はまだ第一審で、この先高裁、最高裁と続き、最高裁で死刑判決が確定しても刑の執行までは延々と弁護側から再審請求が繰り返されるだろう。 もちろん最近では再審請求を棄却して刑が執行される事例もあるが、被害者のご遺族や関係者が事件の解決を見て心安らかになれる日がいつ訪れるのか、胸が痛む思いだ。
・仕事とはいえ、これを無罪と訴える弁護士の気が知れない。 精神障害を持っている方は健常者と同じ生活を送る権利があるといい、殺人などの犯罪を犯しても無罪という。 健常者と同じ生活を送る権利があるなら、健常者と同じ罰則を受けるのが当然と思う。 同じ罰則を受けさすことができないなら、施設に入るなどの制限は必要ではないでしょうか。
・動機とやってしまった事実の大きさ。それは誰にも推測出来ない。まさにそれが罪であり、重さだと思う。そこまでの理由はなかったというのが本人の中にあるでしょう。でも被害者は多数。取り返しはつきません。思い違いで済む訳もない。なぜそう動いてしまったのか。動機は?いや薄過ぎてしまう。精神判定や殺意の有無よりも、罪の大きさが判決に直結しています。立場を置き換えて想像する事も不可能。間違いに失敗を重ねている。
・あまりにも凄惨な事件で被害者遺族を始め多くの方が極刑を望む気持ちは当然だと思いますが、私は本件を顧みても「死刑廃止」を希望しています。理由の一つ目は冤罪ですが本件にはあたりません。次は人格形成の過程です。人間、生まれながらに凶悪犯はいない訳で大切な成長過程で恵まれることなく、誤った人格に育ってしまうことが少なからずあります。当然、幼少期の環境は本人の意志とは関係ありません。もちろん過酷な境遇であっても素晴らしい人間に成長するケースも多い訳ですが、この過程で人格が否定されるなど、本人にはあらがうことができない幼少期の成長環境が凶悪な考え方に至たる主因であった場合、その責任のすべてが本人に帰属するのかと考えると相応の疑問があるということなのです。
・こういう残虐な事件を見ると、これだけ多くの人を殺めても人権が尊重される、というのはなんだかなぁ、と思ってしまう。 死刑は極刑と言うけど、刑が執行されればそこで犯罪者側の苦痛は終わるんだよね。執行まで長い期間を要するだろうけど、人によっては刑が執行されるまでの間も何も感じず苦痛と思わないかもしれないし。 もちろん程度にはよるけど、あまりにもむごい犯罪に対しては、死刑以外の"相応の"刑があっても良いのではないか。それこそ死刑にしてほしいから人を殺める、という連中の抑止力としても。
・被害者の心は救われない…事件が起こる前段階から何か違ったらまだ結果は違ったのだろうか。自己責任社会で、臭いものには蓋をする。 できない、馴染めない、コントロールできない人は必ずいる。プロでも扱い難い人間は放置し続けるしかないのだろうか…。 犯罪者を生みかねない環境や社会に蓋をし続けたら、また事件は繰り返されないか不安だ。
・被告人の大火傷を治療し瀕死の状態から命を救った医師達の思いを(実際にはわからないが)汲み取るためにも死刑以外の刑はあり得ないだろう。
計画性は充分にあり、心神耗弱の状態など考えられない。 執行されるまでの間に被害者の皆さんやご遺族の方々の気持ちを考え反省の日々を送ることを願う。
・この裁判は、死刑か無罪しかなかったと思います。つまり、刑法39条に定める心神喪失者と認められれば無罪、そうでなければ36人もの命を奪った残虐な行為は死刑以外の懲罰はあり得ないわけですから。主文は最後になりましたが、裁判官が冒頭の方で心神喪失とは認められないと述べた時点が事実上の死刑宣告と言っていいでしょう。この死刑判決により被害者側の気持ちの整理がつくとは思いませんが、最悪の結果(無罪)にならなかったことだけはせめてもの救いだと思うしかありませんね。過ぎ去った過去も失われた命も戻ってくることはないのですから。
・記憶とか、能力の問題ではなく、やらかした行為を判断して、裁くという、至極当り前の方法に戻さないと、日本から善良な人々が減っていきます(殺されるのは、大概罪なき人ですよね)。 悪事を働いても、能力等、環境のせいにしていますが、普通の方々は、それを乗り越えて生きているのです、必死の努力で。 年齢も然り。 真面目に生きてる国民を護れる法律の改正を求めます。
・私もこの事件の直後あたりの報道などからして、 自分がうまく行かないのをこじつけ的八つ当たり単独テロと思ってきました。
だって被害者にはなんの責任もない。 そして本人はおそらく最初から自分がもし生き残っても心神耗弱無罪を目論んだのではないかと推察するものが本人の周辺事情から簡単に判断出来そうだった。
それにそもそも心の病があろうが無かろうが、やったことの責任は本人の行動が原因以外無い。 この犯人に1ミリも情状酌量に値するところは無いので死刑以外無いし、いつまでも死刑執行を待つのはご遺族にとってさらなる不幸だと思う。
・心神喪失状態だからというのは何となくわかるけど、今回のはなぁ。あまりにも被害が大き過ぎて。万一これが現行法で無罪や減刑になるようなら法改正を支持したい。 さりとて近代法体系では私刑を認めないし・・・定量化できない心神喪失度を免責対象とする限り、明確な線引は困難だろうなぁ。
・被告に対しては死をもって償う事が正しいか分からない。確かに死刑だとその人が今後犯すかもしれない犯罪の心配は無くなるし、類似犯の抑止にはなるのかもしれないが…
被害者感情で行けば、その命1つで亡くなった方、遺族が救われる訳でもないけれど生きていることすら許せないのもわかる。
無期懲役だったとしても税金で衣食住を賄われて、刑務作業で収入もある。社会で生きるより規則正しく病気になれば見てもらえる。
罪に対しての罰だけを見れば死刑で妥当かと。 死刑にした場合、後は被害者遺族、被害者に対しての補償等を誰が責任を負うかは別の話。
法律でそこまで組み込んだ刑事罰を作るべきだと思う。民事だと強制力はないし費用と労力が被害者遺族をさらに苦しめる事になる。
・一番の重要は、犯人を罰することではなく、被害者やその周りの人が救われることです。日本の傷害や殺人などの犯罪への対応には、その視点が欠けていると感じます。死刑すれば被害者は救われるのでしょうか。何なら死刑なんて生ぬるいと思います。犯人は終身自分の犯した罪の重さに苦しみ、反省し続けてほしいです。
・どのような判決が出るか、極刑と思われるが、何より願うのは上告する事なく地裁の判決を受け入れてほしい 判決に不服があれば上告は権利だから当然だが、税金や人の手間を使ってやる事なんだから、本当にやった事に反省があるのであれば判決を受け入れてほしい
・これから氷河期の犯罪は増えると思う。 社会に出た瞬間ハシゴを外され、散々搾取されて、老後生きてゆけない。 生まれた時代が悪いだけで大変な目に遭います。 適正な給料で働ける会社があれば、こんな悲劇はなかったかもしれません。 今からでも、適正な賃金を貰えるように社会を変えないと大変なことになりそうです。
・オウム事件や相模原事件と並んで「極刑」以外あり得ない事件。 控訴、上告は被告の権利なので、それを行使する関係で死刑確定まで数年かかるのは目を瞑るが、確定後半年以内に死刑執行して欲しい。拘置期間の無駄な税金を負担する国民に、この事件のご遺族が含まれることを忘れないでいただきたい。
参考までに、(被害者はこの事件より少ないが)同様の放火殺人事件では、宇都宮宝石店の事件が確定から執行まで3年、弘前消費者金融の事件が確定から執行まで7年。執行されている事実は評価したいが、執行まで税金を無駄使いしている問題は早急に是正していただきたい。
・責任能力を問う事の無意味さをつくづく感じた。 この容疑者の生い立ちだとかには同情するところもあるし、これ迄の人生で何をやっても上手くいかず、誰からも相手にされず、次第に常軌を逸してしまった過程も理解できる部分はある。 しかし、それをもって彼の犯した犯罪を多少でも減免するのであれば、被害者やその遺族は浮かばれないし、何の抑止力にもならない。 あくまで「目には目を」ではい。結果が全てである。 今後の社会の秩序維持と安寧の為に容疑者には責任能力の有無に関わらず犯した罪と同等の刑罰を受けるべきであると思う。
・ビルの入場を管理強化する事が益々大事になったと感ずる。個人の身の上や生い立ち境遇を述べている人もいるが、世の中そんな条件の良い境遇で生まれうまく立ち回っている人など数えるほどしかいないし、甘えるなと言いたい。踏まれてもなじられても雑草魂でタフに生きることが大事だね。
・ん~、一応過去の前科にて同じく責任能力が争点になり、その際に論理的であり計画ができて善悪の区別もついているとのことで責任アリという結果になった。 そこでの結果を今回も取り入れた上で「責任能力アリ」という結論ではないかと昨日は報道された。 果たしてそういう判決過程で万全なのか不安がある。その過程に瑕疵があれば差し戻しの可能性が残りはしないか。 それに統合失調症の場合、四則演算や論理的思考などは残っていることが往々にしてあり、専門的なスジから後々批判が起きる可能性も高いと思う。
・確かに心神喪失状態による犯行はあるでしょうし、場合によっては罪に問えなくなることもあるかもしれません 基本的に司法は「罪を憎んで人を憎まず」ですしね でも現代はもうこの考え方を改めないといけないのではないでしょうか 「殺すつもりはなかった」「死ぬと思わなかった」という容疑者の言葉を刑事ドラマではよく耳にしますが、個人的にはそういう言い方をした時点でもう殺意があったとしか思えません 殺すつもりのない人間が実際に刃物で人を刺すような事は絶対しませんし、死なせるつもりがないなら自身の行為で致命傷となりそうな部位を狙ったりしません 正当防衛ならまだしもそういう可能性がないのなら、行為を行った時点で罪を犯していますし罰を必ず受けなくてはなりません 誤認逮捕や冤罪などが無いと断定出来うる事件であるなら、もう無罪など有り得なくしないと裁判自体無意味です
・精神摩耗?心身衰弱?まともな判断出来ないとか責任能力があるかどうかとか、なんの理由にもならないよね。本当に心身摩耗衰弱してたら部屋から出られない。朝起きて事件を起こそうとした場所に移動して、道具を購入してって何でも出来るじゃん?この事件に限らず全ての刑事責任能力が問われる犯罪に対して心身衰弱は通用しない。そう思います。
・この事件は結果が重大かつ被害者の数が多過ぎてやはり残念ながら極刑になるしかないのかと思う…
多少の妄想や心神喪失があろうと、また建物の構造が吹き抜けであり思ったよりもその被害が大きくなってしまった事もあろうと…
仕方ないのかと思う…
36人の亡くなられた方々やその家族の方達、また現在も後遺症や怪我で苦しんでいる方々の状況は想像を絶するものだとも思う。
しかしこれが例えば入口の火災だけで済み、たまたまその犠牲者の数が1人や2人だった場合は如何なのだろうか…
結果的に少なからず建物の構造とその結果は犯人には計算は出来ていなかった事もまた事実ではある。
もしも時を戻せるならばその時に戻ったとしてこの犯人は事件を止める事が出来るのだろうか…
などなど色々と考えさせられてしまう事件ではあった。
今後このような事件が2度と起こらないで欲しい
亡くなられた方々野扖ご冥福をお祈りします。
・「亡くなられた方は二度と戻ってこない」
色々な裁判において、いつもこの事実を軽く見てる気がしてます。過失でもなく自分の都合で他人を殺めた者に、更正を期待だと何を言ってるのかと思います。 ご遺族は被告人が極刑に処されても、心の傷が癒えるわけではない事も事実だと思います。
・僕も昨年の交通事故の後、幻覚や幻聴、精神疾患に苦しみ、後遺症で夢や趣味が全て潰され、自殺を具体的に計画していましたが、加害者を殺そうだなんて微塵も思いませんでした。 弁護士側もこれしか出来ないんでしょうが、無罪は絶対に有り得ない。 被害者の方々のご冥福をお祈りするだけです。
・犯行当時、心神耗弱とか精神疾患で無罪が当たり前のように主張する 弁護士さんはもっとまともな弁護戦術を考えたほうがいい。 だって、どんなまともな人でも人間を殺害しようとするとき普通の 精神状態で行為に及ぶことなんてないだろう、少なからずおかしな 精神状態だと思う。 それが無罪の理由になるならこの先、殺人で有罪になることはないだろう。 何でもかんでも弁護を引き受け無罪を主張する弁護士は、無罪ではなく、 罪を認めたうえで謝罪させ罪の減軽を求めるほうがいい。
・今回のこの事件もそうだが、一定数死刑反対論者が現れるのはなぜだろう。 死刑になる時点で生きては罪を償い切れないからこその死刑なのに。そういう人たちは自分が遺族側の立場になっても私の家族のために生きてくださいなんて言えるのかな。 いつ執行されるかわからないで生きていくなんて酷だというけど、実際被害者はその瞬間から衣食住生きていればできた行為全てを奪われているのに加害者に心の準備をさせてあげなきゃひどい、だなんてどんな神様のような心の持ち主なのかと感心してしまう。
・ほぼ極刑だろうとは思っていたけれど・・・死をもって償うこと、死刑の在り方も考えるけれど、あまりに犠牲を出しすぎたことで、極刑で当たり前とさえ思ってしまう。 逆に、出所なしの無期懲役にして一生懺悔して生きてほしいとも思うけど。 どんな判決が下ったところで、亡くなった尊い命が帰ってくることは無いのだから・・・悲しいことだが。 その意味を分かって、刑を受け入れてもらえたらと思う。
・何が一番良い刑罰なのか分からない。 もちろん亡くなられた方々の人数を鑑みれば死刑は当然。 ただあまりにも惨忍な犯行すぎて、死刑で短期間で執行してでは本人の苦しみが少なすぎるようにも感じてしまう。 最高刑は死刑だが本人にとってそれが一番の重罰になるとも限らない。 死刑確定で執行しないで一生刑務所というのが、一番の重罰とも思える。
・孤独になると妄想が激しくなると思います。 それは他人の意見が耳に入らない状態、引きこもりや、他人と深く接触しない生活等今の若者の生活にありがちなシュチュエーションではないでしょうか?
でもそれは家族を含め本人が選択した生き方です。
それが故に心身に異常をきたしているから罪が軽くなるなんて事は許されないと思います。
育てる親も、きちんと社会性を身に着けて育てるべきと思います。 「この子はシャイなんです」「人と関わるのが苦手なんです」「ゲームだけしていても生きていてさえくれれば・・・。」 「きっかけはいじめです」 そうであっても社会の中で生きてい行く上ではそれなりの対応が必要と思います。
・最近思いますが、被害者と加害者を公平な裁判が出来ないのであればAIにでも裁判官を任せればいいと思います。この事件など誰がどう見ても死刑判決だと思います。人一人の命を殺めたら死刑にすればそれが抑止力となります。人を殺しておいて、死刑にならないのはおかしいと思います。人を殺したら人生に更正の機会を与える必要などそもそもありません。
・犯した犯罪の結果を見れば死刑以外ないだろう。このような事案では、警察から裁判までに関係者の関わる時間はどれほどのものだろうか。無駄な時間とは言わないが、関わる時間を急いでほしい気持ちだ。ただ賢明な治療で一命をとりとめた医療関係者には敬意以外ない。
・今回、死刑判決出ても数年は死刑にされずに行かされる現実よ。本来なら判決出てから6ヶ月以内の執行と定めてるのに死刑判決出てから6ヶ月以上生かされてる死刑囚が多数いる。昨年に至っては死刑執行ゼロという謎。
青葉に殺された人達はその日突然殺されたのに、青葉には「時間」を与えられ「飯」を食い「明日」が執行までに与えられる。
法務大臣。 彼に死刑判決が出た際には速やかに判を押すことを願う。それが青葉に殺された遺族に出来る国からの手向の花であり、青葉ができる最大の償いだから。
・主文朗読を後回しとした事は、おそらく極刑判決なのだろう。 それで確定してしまえば被害者遺族にとっても区切りがつくのだろうが、青葉被告の弁護側は判決を不服として控訴するだろうから、被害者遺族の苦痛は続くかもしれないと思うと気の毒だと思う。 この国の、加害者を優遇するような司法制度が少しでも被害者に向く事を祈る。
・当たり前といえば当たり前の判決になりそうだが、この判例が後々に残す影響は小さくないだろう。八つ当たり的な暴走は必罰ということ。被害者に落ち度が全くないのだから、加害者側の事情が何であれ考慮されるべきではない。
・就職氷河期を理由にしているのは、いい加減にしてほしい。過去にも厳しい時代はいくらでもあった。近年では昭和50年代厳しかったね。国家公務員試験の申込み者数約40万人でしたよ。今10万人程度じゃないかな。優秀な人材が取れていないでしょうね。 殺された方、ほとんど泣き寝入りでしょうね。被害者の家庭は悲惨になった方もいる。でも多くは匿名でも報道はされていない。実際、加害者がなぜクローズアップされるか、自分にはわかりません。わかっているのは、法律の大半は加害者のためにある。スポットを当てた法律だけがある。
・主文後回しは当然として 控訴はしないで貰いたい。 法律に載っといて早期に刑に服して貰いたい。 確かに被告が刑に服しても被害者が帰って来る訳ではない。 しかし被告が生きているだけで被害者故人も浮かばれない。 被害者感情に一区切りつけて貰って残された被害者家族の新たな出発点にして貰いたい。
・責任能力という概念を生み出したのはどこの誰なのだろう。法律業界は国民の考えとかけ離れていて違う世界で勝手にルールを作っている。なんとかならないものか。常軌を逸した犯罪者がまともなわけないでしょう。起こした犯罪の内容で迅速に裁いて欲しい。
・これからの日本はいつ狂気が発露するか分からないモンスターとの戦いになると思います 自衛にも限界があるのでまさに逆宝くじ状態です
社会からドロップアウトしてモンスター化するのを少しでも防ぐシステム作りは急務でしょう
・より被害者目線で判決を出すべき。被告人弁護人の弁護方法、文言もより慎重であってほしい。被告人の減刑が叶えば良いものでもないだろう。被告人が、しっかり罪に向き合えるような弁護をするべきだと思う。
・加害者、被害者遺族ともにその場で判決を聞いたことは意義があり、これは重度の被告の火傷を判決が聞けるくらい治療した医師の功績は大きいと思います。加害者が自分の罪の大きさを再度認識しないまま亡くなるのは被害者遺族にとって無念そのものだからです。
・結果は皆わかってる。亡くなられた方達は、あまりに無念だし理不尽。残忍過ぎる。遺族は裁判を聴くのも辛かっただろう。こんな事件は起きてはならない。犠牲者の魂が安らかでありますよう、ご遺族が平穏に過ごせますよう祈っております
・青葉被告を助けた医師は素晴らしいと思う。 あのまま亡くなっていたら判決を本人が聞くことも出来ず、極刑だとしたら刑が下されるまでの生き地獄を与えることも出来ず、遺族にとっては今も無念ですが、それ以上に無念だったと思います。 様々な葛藤の中、治療にあたってくださった医師、看護師の方々には賞賛すべき行為だと思います。
・被害者遺族が希望すれば死刑執行のボタンを押す事が出来るような精度って無理なんですかね。 自分の手でけじめをつける事が被害者遺族の精神的な救いの一つになるなら選択肢として有ってもいいように思う。
・第一段階の初級(地方裁判所)判決で傍聴経験上では地方裁判所 初級裁判所の判決は死刑と思います。 この事犯は過去の犯罪史上例を見ない被害者数と多くの死傷者をだしている。 まして、日本では火災による人殺傷は古来より重罪の罪であり Δ如何に心身異常と言っても 事件以前の10年間の被告の行動で常に 異常を来す行動が生活園内の住民からも常に異常者とみられ又精神に関わる病を患い数回の精神科の入院を繰り返すなどの場合であって。
Δ地方裁判所の判決の持ち場では 重大事件・国民の多くの関心を集めている 初級の判決では一番重い判決が言い渡すのが正解とみます。 精神的異常での減刑の判断は上級裁判所が受け持つ 刑に不服がある場合は 何日以内に上告
精神的心身の異常の判断は高等裁判所が(見定める上位)で地方裁判所は 事犯についての平常時の元で判決を下し 精神的問題は 高等裁判所の領域と見なします。
・どうせ死刑になる被疑者を救急で助け、犠牲者は多い。全容解明に必要なことだったのかもしれないが、その場で被疑者死亡で立件の方が何年も裁判で遺族は苦しい想いをしなくて済んだのではと思ってしまう。被疑者が生きていると意思能力が焦点の裁判が多いが、遺族からしたら意思能力がないと判断された場合にやるせない。殺人のような重罪に判断能力の有無は必要あるのかと疑問に思う。
・被告の責任能力を認めた時点で主文の内容は誰もが容易に想像出来る。確かにそれだけの事をやった者に対する対応なのかも知れないが、裁判長は主文を後回しにする理由を述べたのだろうか?上級審に行くのだろうし、確定判決までは推定無罪は変わらないはずだ。で有るならば尚更、被告にも人権は有るだろう。酷い冤罪もなくならない中で、個人的には裁判長のやり方には賛同出来ない。
・被告人の精神疾患は、妄想性障害であり、他害の行動化が事件の主因である。 弁護側の精神鑑定人の医師の鑑定が正しく、精神耗弱である。 従って、遺族や被害者の方々の心情を思うと極めて気の毒であるが、判決は、無期懲役が適当である。 裁判員が審理に加わると、被害者感情に大きく傾くが、それでは、現在の法として不合理になる。 全く、裁判で指摘されていないが、今回の事件で被告人と共に指弾され、大きな責任があるのは、国の精神疾患に対する政策である。 この事件以外にも、妄想性障害の患者による殺傷、放火事件が多発しているにも関わらず、何等、有効な対策を講じず、他害行動が予測される者を野放しにしている。 悲惨な事件が起きてからでは遅いのである。未然に防ぐ実効性のある施策が急務なのだ。 この地裁判決は、過去の判例からして、高裁で必ず、精神耗弱が認められ無期懲役に減刑されるだろう。
・この事件を見て、まず、こんな酷い犯罪起こすなんて、という考えだったんだけど、九条の大罪という漫画を読んで考えさせられた。 心身衰弱・喪失の基準については私は詳しくないから判決自体に異議を唱えるものではないが、心身衰弱や喪失の場合、それは人災なのか天災なのか(本人の責任に帰するものなのか)、そういう考えで判断すべきというというのは理解できた。被害者からするとたまったもんではないが。
・いつもこの手の裁判になると 責任能力に有無が争点となるし それがいかに重要で重いかもわかるが なによりも 被害者の人生半ばでその命を絶たれた事の重さ 家族が一生抱えていく苦しみや悲しみの重さ そして社会へ与える影響の重さ それらの重さが責任能力の重さを下回ることなど 絶対にありえないと思う 加害者に人としての人権があるなら この被害者にはこれを上回る人権があって然り 特にこの事件は非道の度を越してる 極刑やむなしよりもむしろ極刑では到底補えない たとえ加害者がそうなろうと 悲しみや怒りそして虚しさはいつまでも消えない これからの裁判は被害者蔑ろではない 本当の意味で血の通った裁判であって欲しい
・確か被告側も事実関係は認めていて、そこは争わないんだよね。となると争点は量刑のみだろうけど、これだけ多くの命を奪っておいて、新たな証言とか生い立ち?などが判明したところで、じゃあ死刑やめて無期にしましょう、無期はやめて15年に…とはなるはずがない。そうなると、この後おそらく控訴するんだろうけど、完全に時間稼ぎだよね。
・責任能力の有無や心神耗弱等の有無で無罪になってしまうのはどうしても理解できないです。無罪の理由が上記の場合、世間に野放しになるのではなく、管理入院などで処置されるそうですが「無罪」と聞くと被害者側に立てば腑が煮え繰り返ります。家族が殺された事に対し加害者が精神病んでたかどうかなんて正直どうでもいいです。精神がどうであれもやった事柄に対して罰して欲しいです。「精神病んでるから仕方ないよね。」って言われているように聞こえて非常に不愉快です。当事者でなくても不愉快なのです。ご遺族の気持ちを考えると辛すぎます。
・ごくわずかな確率でこういう他人の意見を見ようとせず、自分の盲信で突き進む人は一定数いる。 政府がやることは生活保護で飼いならすに近く従順にさせることだと思う。 不正受給の問題もあるが犯罪の抑止としての効果はある。
・木下恵介監督の「衝動殺人 息子よ」でも遺族の殺人犯に対する怒りが描かれているけど、本当に日本の法律は加害者に対して甘すぎる。犯人を処刑しても被害者は生き返らないと言われればそれまでだが、だったらそんな凶悪な行為をしても本人の命が助かるということになってしまい、被害者と遺族が悲しみを背負うだけになってしまう。 今回の判決では被告の責任能力が認められたが、仮に認められない場合はそのような人物を野放しにした責任者が刑に服するべきだ。
・この犯罪で上告ができるとは、、今の裁判制度では極刑明らかな犯罪についても償いを回避する可能性を作ってしまう。犯罪者がもっと重大犯罪を起こすきっかけにならないことを祈る
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