( 132363 )  2024/01/25 14:32:55  
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京都地裁は、京都アニメーション放火殺人事件の被告である青葉真司に対し、死刑判決を言い渡しました。

裁判では、青葉被告の責任能力や犯行動機について議論がありましたが、裁判長は善悪を判断する責任能力があることを認め、放火殺人を選んだのは青葉被告の経験や知識によるものだと述べました。

判決が言い渡された後、青葉被告は深く頭を下げて判決を聞き、傍聴席の遺族らからは涙をぬぐう姿が見られました。

判決公判には多数の人が傍聴し、遺族やアニメファンらが判決を見届けました。

(要約)

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MBSニュース 

 

速報でお伝えします。京都地裁は、25日午後1時40分すぎ、青葉真司被告に死刑判決を言い渡しました。 

 

「青葉真司!聞いているのか!あなたはまだ生きているんだよ」京アニ社員は被告に叫んだ【ドキュメント京アニ裁判】 

 

 けさ、青葉被告は午前9時40分ごろ京都地裁に入りました。午前10時半に公判がはじまりましたが、証拠に漏れがあったとして短い弁論を経て一時休廷しました。 

 

 午前11時に判決公判が再開され、京都アニメーション放火殺人事件の判決言い渡しが始まりました。青葉真司被告はこれまでと同じ青色ジャージ姿で車いすに乗って法廷に姿を見せました。 

 

冒頭、結論にあたる「主文」は後回しになりました。 

 

 裁判長は「有罪判決ですが、主文は最後に告げます」と述べました。そして先に理由などを読み上げていきます。 

 

 去年9月以降、これまでの裁判で検察側は、「犯行直前にはスタジオの前に13分間座り込み逡巡していた」と当時の状況を明らかにし、「妄想はあったものの、犯行を思いとどまる力や善悪を区別する力を凌駕するものでは到底ない」と、責任能力があったと主張しています。 

 

 弁護側は犯行当時は「心神喪失」、善悪を判断し行動を制御する能力が失われた状態だったとして無罪、または「心神耗弱」で刑を減軽すべきと主張しています。 

 

 きょう、裁判長は判決理由を読み上げる中で争点となった責任能力について、「犯行当時、被告人は心神喪失の状態でも、心神耗弱の状態でもなかった」と述べ、青葉被告に善悪を判断する責任能力があることを認めました。 

 

 そして生い立ちに触れながら理由を述べていきました。 

 

 裁判長は、青葉被告が「重度の妄想性障害」であったと認めましたが、妄想が”犯行にどれだけ影響を与えたか”については、「妄想が犯行動機の形成には影響したものの、放火殺人という手段には影響していない」と指摘。「放火殺人を選んだのは、青葉被告のこれまでの経験や知識、『やられたらやり返す』というパーソナリティーによるものだ」と述べました。 

 

 犯行については、「生活に困窮する中で、利益を得ている京アニに恨みを募らせ、放火殺人までしないと”盗用が終わらない”と考えて、犯行を決意、京都へ向かった」と認定しました。 

 

 

 犯行様態については、「大量殺人を行うという強固な殺意に基づくもの。第一スタジオは炎で包まれ、火の海になった。生命侵害性が高く、生身の人間を火だるまにするという誠に残虐で非道なもの」と述べました。 

 

 そして、「経緯、動機、情状等を考慮しても、被告人が人命の尊さを顧みず、ガソリンを撒いて火を放ち、36人を殺害、32人を命の危険に晒したことは、極めて重く、動機に妄想が影響したことなどを考慮しても、死刑を回避する理由にはならない」と、青葉真司被告に死刑判決を言い渡しました。 

 

 去年9月以降、裁判は22回開かれました。その中で青葉被告が謝罪の言葉を口にしたのは、21回目の裁判でした。 

 

 その際は、遺族らの意見陳述のあと、検察側から受け止めを求められて、「それはやはり申し訳ありませんでしたという形にしかなり得ない」と初めて謝罪の言葉を口にしています。 

 

 午後1時40分ごろ、主文が読み上げられました。青葉被告は深く頭を下げて、微動だにせずに判決を聞いていました。その後、下を向いた様子で退廷しました。 

 

 傍聴席の遺族らからは、涙をぬぐう姿が見られました。 

 

判決公判には、23の傍聴席を求めて、朝から400人以上が京都地裁を訪れました。 

 

 傍聴を希望する人たちに話を聞くと、名古屋から来たという20代の女子学生は「昔から京アニが好きで、好きなアニメーターが亡くなったのを知って辛かった。どうなるのか、自分の目で見届けたい」と話しました。 

 

福岡から来たという40代の男性は青葉被告と同年代。「同じ(就職)氷河期を生きた人としてもだし、社会で居場所を見つけるのは、自分の中でも人生の課題だった」と話しました。 

 

 

 
 

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