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吃音芸人「僕を見て笑って」 ドッキリ企画が物議、「表現」か「嘲笑」か #ニュースその後

毎日新聞 1/27(土) 18:30 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/fcf663e1a915057e147416a593fe49a4af73250c

 

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今回の記事は、吃音を持つ芸人のインタレスティングたけしさんについてのインタビュー記事です。

たけしさんは吃音を利用してお笑いの世界で活動しており、自虐ネタやギターを弾きながら笑いを提供しています。

吃音の特性を芸に取り込んでおり、吃音者に対する理解を広めたいと思っています。

過去に吃音が番組でからかわれたことによる問題もあり、公表したり、理解を求めたりと苦労もしていますが、吃音を超えて芸のネタにすることで共感を得ることができると言われています。

(要約)

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インタレスティングたけしさんのネタとインタビュー 

 

 言葉がなめらかに出ない吃音(きつおん)を逆手にとって、お笑いの世界で生きようとする芸人がいる。フリーで活動するインタレスティングたけしさん(44歳、通称インたけ)だ。これまで公言してこなかったが、テレビ番組に端を発したある騒動をきっかけに「吃音芸人」を名乗り始めた。 

 

【写真】吃音の若者が開いた「注文に時間がかかるカフェ」 

 

インタレスティングたけしさんはかつてミュージシャンを目指し、路上で弾き語りもしていた 

 

 「で、で、では、最後にう、う、歌を歌います」 

 ギターをかき鳴らしながら、たどたどしい口調で自虐ネタをひとしきり披露。すると、突然、ビートルズの「レット・イット・ビー」のワンフレーズを流ちょうに歌い上げた。しゃべる時、歌う時で別人のようになるギャップが笑いのツボをくすぐる。 

 多くの吃音者は歌う時には症状が出ないとされる。インたけさんは、こうした吃音の特性を芸に取り込んでいる。 

 

 人口の1%が持つとされる吃音。言語障害の一つで原因はよく分かっていない。連発(わわわたしは)、伸発(わーーーたしは)、難発(………わたしは)といった症状がある。特定の言葉が出づらかったり、置かれた場面によって流ちょうに話せなくなったりするケースが多いが、人によって症状はさまざまだ。 

 物心がついた頃から連発の症状があり、小中高ではいじめられ、殴られさえした。でも持ち前の陽気さは失わず、中学生から好きなラジオ番組に自作のお笑いネタを投稿し始めた。 

 授業でなかなか覚えられなかった英単語の「interesting(面白い)」をペンネームに組み入れ、今の芸名につながった。 

 

 芸人を目指したのは、20代半ば。ある日、デパートで清掃の仕事をしている時、おもちゃ売り場で子供の大便を見つけた。どう処理すればよいか分からず、上司に報告する時に、慌てていたのか「う、う、うんこが……」といつもより症状が強く出てしまった。 

 上司は素朴にユーモラスに感じて「そのしゃべり方、面白いよ」「清掃員より、お笑いの方が向いてるんじゃないの」と言ってくれた。「冗談のつもりだったんでしょうが、僕は本気にしてしまったんです」 

 オーディションを重ね、やっと出演できたのは観客が数人しかいないお笑いライブ。ギターを手にコミックソングを披露していたが、図らずもネタの合間のトークで吃音のある独特のしゃべり方がウケた。 

 大手芸能事務所主催のライブでも人気を集めたが、ブレークとまではいかず、テレビに出たのは数えるほどだった。吃音者であることも公言してこなかった。 

 

 

自身の吃音について話す芸人のインタレスティングたけしさん 

 

 転機となったのは、思いがけずも実現したTBSの人気番組「水曜日のダウンタウン」への出演。昨年7月に放送された番組はドッキリで、先輩芸人のチャンス大城さんから理不尽な理由で叱られるというもの。 

 「めめめ、面談、面談に来たみたい」などとどもってしまい、その様子がスタジオの笑いを誘った。 

 「テレビ出演に手応えを感じていました」というインたけさんの思いとは裏腹に、事態は予想外の展開をたどる。 

 放送後、NPO法人「日本吃音協会」(東京都)が吃音者をからかうような内容だったとして、TBSに表現上の配慮を求める抗議文を提出した。 

 自身も吃音があり、当時、同協会の理事長だった藤本浩士さん(40)は「番組を見た当事者の会員から『昔のいじめられた記憶がフラッシュバックした』などの声が寄せられ、TBSに対し編集上の配慮を求めました」と話す。 

 

 協会がSNS(ネット交流サービス)で抗議を公表すると、ネットで賛否を呼んだ。抗議に共感の声を上げる意見があった一方で「吃音が笑われているわけではない」「吃音者がテレビに出られなくなる」といった意見が相次いだ。 

 インたけさん自身は、番組で吃音がからかわれたとは全く感じていなかっただけに「突然のことでびっくりしました」。騒動後はX(ツイッター)で「またテレビジョン出たい‼」とだけつぶやき、沈黙を貫いた。 

 マイナー芸人にとってテレビ出演の価値は大きい。事を荒立てることになり「もう出られなくなるのではないか」と感じたからだ。 

 

ギターを手に持ちネタを披露する芸人のインタレスティングたけしさん 

 

 騒動から1年。戸惑いつつも「僕を通じて、吃音に対する理解がもっと広まればいいのではないか」との気持ちになった。今年8月、当事者でつくる自助団体「言友会」の関東ブロック大会に招かれた。 

 持ちネタを披露し、講演では自身の半生を振り返り、こう訴えていた。「吃音の個性を認め、支えてくれる仲間もいます。決して自分がやりたいことを諦めないでほしいです」。それは自身への励ましでもあった。 

 「僕の芸を見て、笑って、少しでも楽になる当事者が増えればいい」と思う半面、吃音を理由にテレビに出にくくなるのではないかとの不安も残る。だからこそ吃音への理解をこれからは広げようと決めている。 

 

 

 吃音がありながらも、お笑いや音楽など表現活動で独自の表現方法を確立し、成功した人もいる。 

 米国の歌手、スキャットマン・ジョンさんは吃音を逆手にとった独特の歌い回しで観客を魅了。デビューアルバムが世界中でヒットし、日本でもテレビCMに出演した。 

 落語家の三代目三遊亭円歌(えんか)さんは吃音の表現を組み入れた演目「授業中」で人気を博した。 

 

インタビューに応じるインタレスティングたけしさん 

 

 インたけさんのスタイルは、たどたどしい口調で失敗談や自虐ネタを披露するもので、シュールで独特の世界観がウリだ。漫才やコントなどで流ちょうさが求められるお笑い業界では、異色の存在だ。 

 自身の芸風については「他人の吃音をからかうのではなく、吃音をもつ自分を笑いの対象にしています」と強調する。 

 今回の番組を巡る騒動について、TBSは毎日新聞の取材に対し「(番組内容について)吃音、あるいは吃音当事者をからかう意図は全くない」と説明した上で「番組制作において、発話障害を理由に出演の可否を判断することは一切ない」とした。 

 

 では、何が問題だったのか。「制作側、出演者、抗議者の誰が正しく、誰が間違っていたのかという問題ではありません」。こう指摘するのはお笑い評論家の西条昇・江戸川大教授だ。 

 番組について「ドッキリという企画の性質上、どうしてもだまされた人の反応をからかい、楽しむ内容になりがちです」と指摘。「ドッキリ中に症状が出たことで、吃音が周りからからかわれている、ばかにされていると感じる人がいたのでしょう」と話す。 

 

 近年は、ひとり芸ナンバーワンを決める「R―1ぐらんぷり」で2018年に優勝した視覚障害のある漫談家の濱田祐太郎さんをはじめ、吃音のみならず自身の障害を芸に取り入れて活動する人が増えつつある。 

 西条教授は彼らの多くが批判されず、共感されるのは「自身の障害を受け入れ、その上で芸のネタにするという『強さ』や『潔さ』が感じられるからです」と言う。 

 西条教授は「コンテンツが『笑い』として受け入れられるためには、作り手と受け手の共通理解が不可欠」と強調。「障害が原因で、表現活動の幅が狭まることは望ましくありません」としつつも「制作側が十分に障害の特性を理解し、出演者とともに納得のいくコンテンツをつくることが必要です」と語った。【遠藤大志】 

 

※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

( 133147 )  2024/01/27 22:39:51  
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・様々な立場や意見があり、吃音に関する差別や笑いの取り扱いについての考え方は人それぞれ。

一部の人は、吃音を自らの個性として受け入れ、芸能活動や日常生活で頑張る人物に敬意を表しています。

一方で、芸能活動における吃音を批判し、差別として捉える声もあります。

番組や芸能活動を通じて、不快や差別を感じる人もいれば、吃音をユーモアの対象として楽しむ人もいることが分かります。

 

 

・さらに、テレビやメディアにおける吃音や障害の取り扱いに関しては、それを笑いのネタとして取り上げることに賛否の声があります。

一部のコメントでは、吃音を笑いのネタにすることに反対する立場から、番組の対応に不快感を示すものや、それを受け入れるべきだとする意見も見られます。

また、吃音者や障害者本人の意見や努力を尊重する声もみられ、個々の状況に寄り添うことが重要とする意見もありました。

 

 

・それぞれの発言から、吃音や障害を持つ人々に対する価値観や受け止め方についての多様な意見や考え方が見られます。

一部のコメントでは、吃音者の芸能活動を支持する立場や、受け入れる姿勢を求める声がみられる一方、差別や笑いの対象としての扱いに反対する声もあります。

吃音者や障害者を取り巻く状況や社会の受け止め方には様々な側面があり、その複雑さがコメントに反映されています。

 

 

(まとめ)

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・ミゼットプロレスの人たちも小人症の人を見世物にしているというどこかの正義の団体の声で、プロレスの仕事を奪われそうになったことがありました。 

御本人はプライドを持ってプロレスを見せる事で自分のハンデを仕事にしていました。 

でも取り上げられそうになり路頭に迷うところだったと聞きます。 

どちらが正義なのか。少し考えればわかるはず。 

自分が正義だと思っている人が一番怖いと思っています。 

 

 

・障害を持つ人に対する接し方って「一般人」と「障害者を差別から守る人」とでは違うんだよな。例えば障害者がなんかギャグを言って面白かった場合一般人は面白かったから笑ったけどその姿を見て「障害者を差別から守る人」は「健常者が障害者を笑っている」様に見え「差別だ!守らなきゃ」と騒ぐ。一般人からしたら障害者はハンデがあるが普通に接し助けなきゃいけない所は助けるぐらいの認識だが「差別から守る人」は障害者は一般人とは違うから特別扱いするべきと思っている。どちらが差別なんだろうか? 

 

 

・吃音がある友人がいますが彼は一流企業の営業で30年以上に渡り好成績を 

上げてます。知人曰く「吃音があるのは仕方ないから誠意をもっていかに分 

かりやすくお客様にお伝え出来るかだけを考えて自分は黒子に徹してる」と 

手作りフリップ?のようなものなど用意して交渉にも望んでいるんだとか。 

 

知人は「人前で吃音である自分を見られるのは今でも恥ずかしいが笑顔で 

何でも対応すれば何とかなるもんだよ」と日ごろから言ってますね。 

 

自分に自信が無いと笑顔が少なくなりがちだけど笑顔でいることが何より 

も最強の武器なんです!健常者なんかに負けない笑顔でいましょうよ。 

 

 

・リアルで観てたが、インたけが詰められていく様子が面白かったのであって吃音で笑ったわけではない。 

 

途中でもしかしてこの人は、、とは思ったけど、そんなの関係ないくらいリアクションが面白かった。 

 

協会が声明を出したのも義務感からかも知れないが、あれで局側は「触れると面倒だな」と思ってしまっただろう。ハンデを個性にしてる人もいるのだから、一律な対応は残念だな。 

 

 

・俺も吃音だけど吃音はキツいんだ。 

ほんとに。 

下手すると自分の名前言葉に出てこないことがあるからね。 

この芸人さんは生きる術を自分で見つけたことが素晴らしいと思う。 

でも結局吃音であろうとなかろうと、自分で生きる術を見つけないといけないのは変わらんのよね。 

当事者からすると、笑うのもしゃあないかな、と思うし吃音そのものを別に笑ってもいいと思うよ。 

必死に言葉出そうとして出ない様は、残酷だけど面白いだろうからね。 

吃音に負けない人になるしかないやね。 

もし吃音で苦しんでいる子供がいたら、根拠はないけど、大丈夫だと伝えてあげたい。 

電話は今でも苦手だけどね。 

 

 

・障害を個性として活かせる人もいれば、弱点と感じてしまう人もいます。 

どっちが強い弱いとか、常人or障害者として扱うべきとかじゃなくて、その方に応じて、寄り添っていく形が理想なのだと思います。 

 

片方に意見が寄る方は、その方なりの経験と信念があるのでどちらも間違いじゃなくて、もう一方を許容してあげる、する努力をしてあげることが大切なのだと、個人的には思います。 

 

 

・吃音症だけでなく世の中には様々な障碍、あるいはそこまで行かずとも人と違う特徴に悩む人は結構いると思うが、それを逆に武器にして生きていこうというのは私は素晴らしいと思う 

インたけさんを批判した人達は差別された経験があるのかも知れないが、だからといって彼の生業を潰すのが正しいとは思わない。我々健常者も彼の芸を見て笑うのはもちろんいいけど、そういうことに悩む人がいて、でも普通の人と変わらないんだなと理解するようにすればいいと思うのだが… 

 

昔スキャットマン・ジョンがブレイクしたときに彼が吃音症だと知り、それを逆に技術としてこんな凄い歌が歌えるんだ、凄いなと関心した記憶があります。インたけさんも応援したいですね 

 

 

・息子が発達障がい、そして乞音があります。 

就職活動する時、障がいに理解ある会社を選び面接を受けました。おそらく面接もつっかながらだったと思います。内定をいただいた後のフィードバックで『一生懸命、自分の言葉で伝えようとする思いが伝わってきました』とのコメントがあり、一番の長所を見ていただいたことに嬉しく思いました。 

乞音の人は誠実で真面目な人が多いので、決して人に不快感は与えないです。  

そして弱い人の気持ちがわかるので優しい人が多い印象。自信をもっていいと思います。 

 

 

・吃音を「障害」と考えるか、「個性、持ち味」と考えるか、で考え方は大きく違う。 

 

健常者の考え方が全て正しいというのであれば、障害者の居場所は無いに等しい。 

自分も双極性障害で現在就活中だが、正直健常者の目線は明らかに上から目線で生きづらい。 

 

この方は「障害」ではなく、「持ち味」を活かした芸であり、障害者にとってはとても励みになる存在として、とても嬉しく思う。 

 

 

・自分は本態性さ(原因が分からない震え)で 

人とご飯を食べたり等々が苦手です。 

そういうスチュエーションを避けないで頑張ってみたいな事を言われますが、無理です!と即答します。 

頑張れない自分に罪悪感も感じました。 

でも、やっぱり無理なものは無理、恥ずかしいものは恥ずかしい。 

素晴らしいアドバイスは受けましたが、避けて生きていくって決めました。 

笑われてもいいやとは真逆な開き直りですが、そう決めてからだいぶ楽になりました。 

恥ずかしがらずに恥ずかしがっています。 

 

 

 

・吃音の苦しさは当事者にしか分からない!発声練習すれば治るとかの問題じゃありません。残念ながら言葉というのはコミュニケーションでとても大切です!そのため笑われたりします。軽い病気だと思われますが、生き地獄を感じます。そろそろ医療も本気になって治療方法を研究してほしいです。吃音は仕事にかなり影響しますよ。 

 

 

・障がいに分類されるような特性があったとしても、それを抜きにした時にどうなのかっていうのが本質だと思う。 

 

たとえば吃音やトゥレットがある、視覚や聴覚に不自由がある、そういうことを“抜き”にしたその人自身がどうなのか、を多くの人は見る。 

吃音があるけれど素敵な人だと思えば友達になったり、恋をしたりすることもあるだろう。 

それと同じことで、吃音があるけれどそれを“抜き”にしても面白いのかどうか、ということだろう。 

 

ただ、笑わせると笑われるは似て非なる物なので、笑われたいと思っているのなら、社会にとってはマイナスの面もあると思う。 

受け手は必ずしも善ではないし、必ずしも一定の道徳を有しているわけでもない。『こういう特性の人は全て“笑い物”にして良いんだな』と受け取ってしまう人もいる。 

 

どこまでを制限するのかは難しいけれど、ルールの中に道徳を織り込むのはとても難儀ではある。 

 

 

・私も子供の頃吃音でした。クラスで発表する劇で校長先生役だったのですがセリフが全く声に出せず。今でも思い出しただけで辛い。授業で先生に当てられ音読しなくては行けない時は地獄だった。段々成長と共に消えていったけど、たまに大勢の前で話す時など出たりします。もうこれは一生付き合っていくしかないんだと諦めてますが「吃音」と言う言葉が一般的になっている今が少し救いです。 

 

 

・なにごとにも常に発する側と受け取る側の認識の違いは存在する。 

発する側が「障害を笑いのネタにしているわけではない」と思っていても、同じように受け取る人とそうでない人がいる。 

問題は「そうでない人」たちがそれによって傷ついていたり、また逆に自分の身近に障害のある人がいる場合に「同じように笑いのネタにしていい」と受け取ってしまう可能性があるということ。 

いちいち解説するのは笑いとしては野暮なことだし、かといって常に知識のある人が身近にいて注意するとも限らない。実際、小中学生くらいなら面白がってしまう子は多いだろうし、それは責められたことではない。テレビで笑ってるのになんでいけないの?と思うだろう。個人の主観によって結果が全く異なってしまう。 

ミゼットプロレスも、個人的には痛々しくて観るのは苦痛でしかなかった。あれを笑える人とは友人にはなれないと思う。 

 

 

・こう言う障害を持った人に接する時、意図しなくても言動で相手を傷つけてしまうんじゃないかという気遣いからどうしても親しくなりにくい部分があるけど、 

こう言うふうに自分の障害をネタとして扱えるような人はこっちも安心して接することが出来、またその強さに敬意を持って仲良くなれたりするんだよね。 

 

 

・ハラスメントと同じで受け止める側がどう感じるかだと思う。 

外野が正義感のつもりでやっていることが本人達の行動に制限を持たせてしまう可能性もある。 

今の世の中、何に対しても過剰に敏感すぎる気がする。 

 

 

・人の欠点を笑いに変えるのはかなり高度な技術がいる。政治家のバッシングだって名誉毀損されないように言葉を選ぶそれと同じではないだろうか?ただ自分の欠点を晒して笑いを誘うだけでは傷つく人もいるわけでそれさえも上回るほどの笑いをとれたようにも感じないし。本人はテレビに出たいだろうけど身体的障害はデリケートな問題なので安易にやるものではない。 

 

 

・自分も吃音持ってます。 

最近知ったのですが、吃音は、しばらく病院に通って改善なければ障害者手帳がもらえるそうです。 

でも、精神障害手帳らしく、精神障害とついてるがゆえに、中々踏み出せない人も多いみたい。 

自分は、近くに言語聴覚士のいる病院自体無く、治療に行きたくてもいけない感じです。 

 

 

・自分も軽い吃音がありますが、意識するほどに出やすくなるので吃音をネタにした落語などは極力聴かないようにしています。 

ナチスドイツの小児を使った実験でも、吃音を直すように指導し続けるとかえって悪化するということが証明されているようですし、吃音持ちにとっては吃音に触れる機会が増えるのはちょっと困ったものです。 

 

 

・実力かないと生き残れない。障害者であろうがなかろうが面白くないと見向きもされないだけ。前提が障害者であることでやりたいことを世間は奪わないでほしいですね。全盲の芸人さん喋りで充分笑いがとれています。時間とともにみんな慣れてきます。 

 

 

 

・これは難しい問題です。 

この方は、それを自分の個性と捉えて芸をしている。これは何ら問題はないと思います。 

一方で同じ症状を持つ方が、TVでいびられているのを見ると自分を攻撃されているようで、気分がすぐれなくなってしまうという事も痛いほどわかります。 

 

例えば裸の対象の山下画伯のように、大成すれば世間の見方が変わります。しかしこれはどちらかというと笑いのネタにしてしまっているのが、自分を笑われている=バカにされているとマイナスに思われた方が多かったという事だと思います。 

捉え方ですが、今の世がそれをより難しくしている気がします 

 

 

・例えが違うかもしれないけど、テニスの全豪オープンの車椅子テニスで日本人が優勝した。 

これも言えば、障害を持ちながらも努力をした結果ということで、記事の芸人さんも同じように芸人として生きていこうと努力してるんだと思う。 

本人が「人を傷つけない」ように努力をしてるなら、他人がどうこう言うのは違うんじゃないかな。 

 

 

・インタレスティングたけしさんは昔5時夢でよく拝見してました 

ネタ見ましたが吃音であることを売るにしているわけでない方です 

障害を持っている人がまじめに取り組んでいるのに、必要以上に注視する必要あるとは思えません。 

「僕を見て笑って」と言っている芸人が「たまたま」吃音なだけ。インたけさんもそう持っていると思います。 

障害を持っていない芸人が「僕を見て笑って」というように障害を持っている芸人に対しても、必要以上に接する必要があるとは思えない。周りが過剰なまでに反応しすぎだと思います 

 

 

・僕も吃音がありますけど、言葉というのは気持ちと言うか、メンタルで発するものだなと思いますね。 

「上手く喋れるかな」と不安な時はやっぱり吃音が出て、気分が落ち着いたり自信がある時はそうでもないので、なるべくマイナスな事は考えないようにした方が良いみたいです。 

 

 

・何等かの障害がある事は仕方ないし、それを芸にするのもアリかも知れないが今度は健常者であるにも関わらずそういう芸をする芸人が出てくる事だろうな。そういう笑いは勿論、障碍者を揶揄する事になるだろう。その線引きをどうするのかはこれからの放送倫理上で議論されなければならないだろうな。 

 

 

・そりゃ本人は芸人として笑って欲しいと言う。でも実際一般の吃音の人は、自分が話すのを笑わないで聞いて欲しいと願う。 

この方が、舞台上では笑いを取り、普段は吃音で笑われない、というなら芸人として素晴らしいと思う。 

 

 

・吃音自体は別に問題ない。聞き取れない奴の想像力が低い事が問題なんだ。 

聞き取れない事を笑うような奴の価値観に笑いのレベルを合わせてやった方がいいのか? 

 

まぁそれはともかく添付されていた動画はそんなに面白くはなかったけど。 

頑張っては欲しいね。 

 

 

・ただ当事者だからこそのお笑いで真正面から切り込んでいくのと、ドッキリで素の姿を笑わせるのとでは見る人や当事者の印象も変わると思います。素の姿で笑わせるのではなく、当事者だからこそのお笑いの路線で頑張ってください。 

 

 

・自分は最初の言葉が出しにくい時が時々あるんですが、例えば渡部陽一さんみたいな表情とか抑揚をつけたしゃべり方を意識すると楽に話せるんですよね。 

きゃりーぱみゅぱみゅって言いにくいけど、ドラえもんが四次元ポケットから何か取り出すような言い方、例えばどこでもドア~って言うような感じで言うと楽に言えるんですよね。 

 

 

・コレは難しい問題で、答えはないだろう。吃音やその他含め人から茶化されたくない人、笑われたくない人も多いはず。テレビでやらなくても良いネタ。問題提議として放送するのも無駄。嫌がる人が多いのも明らかだから。なので、劇場で好きな人だけが見れば良い。YouTubeなど個人の配信も事前に何かしら本人の考えを表明しておいてから映像を上げるようにすべき。いずれにしても、今の価値観では、私の障害や困難を笑ってくださいに正義はない。 

 

 

 

・吃音は何もおかしい事ではない。 

吃音より方言の方が聞き取りにくい時がある。 

育つ上で馬鹿にされた人は確かに傷をえぐられるような思いだと思うけど、まだ知らない人に特性を理解して、何も特別な事ではない事を発信出来るカタチになるなら応援したいと思います。 

 

 

・僕は「ダウン症のイケメン」こと、あべけん太氏が好きでしてね、よく彼のYouTube閲覧しているんですよ。ハンデがあっても飾らずに明るく生きる姿は人の心を打つものです。いろんな評価があったっていいじゃないですか。どうか前向きに奮闘しましょうよ。 

 

 

・こういったハンディキャップを笑いに変換した芸人さんの難しいところは 

それを同じハンディキャップを持った(この場合は吃音)視聴者が見た場合 

肯定的な意見もあれば、反対の意見もあるだろうということだ 

 

本人としては自分の個性の一部を笑いの商売道具にしているだけだと思うけれど、TVの切り取り方によってはあたかも「全国の吃音者の代弁者」として歪曲して伝わると悲劇が起きる 

一部の人は身近な吃音者を弄ると当人は喜ぶと勘違いするかもしれない 

吃音をオープンにして笑ったり突っ込まれたりして受け入れられることを嬉しいと感じる人もいれば、恥ずかしいからそっとしておいて欲しいという人もいる 

 

結局は「人による」はずで、この芸人さんの個人の感覚でしかないはずが、『吃音芸人』という名詞が先にきてしまい、吃音者を主語に色々と語られるから誤解がおこるんだと思う。本当は『僕、私』でしかない。 

 

 

・私は少し吃音と発音がうまくいかないことがある。 幼稚園の頃にバカにされて人と話すのが苦手になった。 

幸いにも、ことばの教室がある小学校で先生が気付いて発音のほうは随分なおった。周りもバカにする人がほぼいなくなり、落ち着いていた。 

 

大学生の頃に、吃音を真似して笑う人がいてそれは辛かった。今その子は発達障害の子供を抱えて苦労しているそう。 

私を笑った報いだねなんて言ってくる。まるで私が呪ったかのように、そういうことじゃないんだけどなと思う。 

 

バカにされているのかどうかは本人には分かるものです。小学校の時にバカする人が少なかったのは、地域の中で私の小学校が良かったからだと思う。 

協会が発した、配慮下さい笑うなという世間への伝わり方よりも、こういう話し方になる人がいるんだよと周知してほしいです。 

大学の頃の友人が吃音を知っていれば違ったかもしれない。 

 

 

・吃音者です。 

番組見てましたが、吃音者をバカにしたような感じにみえなく 

吃音の会が抗議したのが不思議です 

 

それより、テレビでよく言葉が詰まった人に「噛むな」とツッコむシーンを見ます。 

それが世間一般にも浸透して、普段話して 少しでも吃ったりすると「噛むな」とか言ってくる人もいる。 

「スラスラ喋れない人をツッこんだら笑いになる」と誤解する人がいるのです。 

人それぞれ得意不得意がある前提で番組作りをしてほしい 

 

 

・今の御時世が現れているといった感じ。別に本人が納得して芸人してる事にいちいち文句言ってる人間こそ、偏見持ってる奴等だよ。 

 

見てて嫌ならチャンネル変えれば良い話、何でもかんでも自分の思考に当てはめる事が正しいと思ってる人間ほど差別的。 

現代は多様性とかいって世間を騒ぎ立てるメディアが、今度は逆の少数意見を大きく取り上げて偏見で煽って世間の混乱を助長する。 

 

受け取る側は情報に踊らされること無く、ちゃんと個人をその人の存在や価値観を見抜く力も必要だ。 

 

 

・>「他人の吃音をからかうのではなく、吃音をもつ自分を笑いの対象にしています」 

 

インタレスティングたけしさんは「笑い」と「からかい=いじめ」を分けて認識できている。「吃音」は面白いのだ。普通の言葉の「間」や「イントネーション(抑揚)」を破壊している。それ自体が芸術的である。それは偶然の美を尊重する陶芸に通じる。 

 

さらに…日本の歌は言葉の持つ抑揚や間を壊さない様にメロディ―にのせていたがミスチルがそれを破壊した。今は元の言葉が持つ抑揚に縛られずにメロディーにのせることができるようになった。 

…それと同じことをしている。 

 

 

・本人の思いとは離れた第三者が「きっとそうに違いない」と苦言を呈することが、その本人にとって甚だ迷惑でしかないことが多分にあると思います。きちんと本人の思いを聞いて代弁するなら解りますが、勝手な思い込みや決めつけで断言し世論を一方向に傾れさせるのはとても危険なことです。 

 

 

・その人が芸人としての個性として用いているのならばそれは構わないと思うけれど。 

 

ただそれを他の一般の人には当てはまらないと言うことかな。 

そこら辺の境目をしっかり認知すると。 

 

笑うと嗤うの違いかな。 

 

 

・5歳の息子に吃音があるが、この先揶揄ったり嫌な人も現れるだろうけどなんとか負けずに強く生きてほしい。 

親としてはとにかく暖かく見守ることしかできない。 

頑張れ息子。 

 

 

 

・スキャットマン・ジョンというアーティストが昔いた。日本ではプッチンプリンでお馴染み。 

 

あの人も吃音者で、世界的にヒットを飛ばしたわけだが、Scatman’s Worldという曲の歌詞は本当に素晴らしい。 

 

プッチンプリンおじさんとしか知らなかった人はぜひもう一度聞いてほしい。 

 

 

・最近特に顕著だなと思うんだけど、当事者(今回で言えばインタラスティングさん)は何も言ってないのに、本人の意思を無視して「不謹慎だ」って怒ってる人がネット上だと多いなって思う。 

勝手に被害者に祀り上げてるというか。 

 

あとお笑いに関しては「人を傷つけない笑い」なんて言ってる人が無意識に芸人を傷付けている。 

 

 

・これは難しい問題 

だって人によって受け取り方が違うもの 

吃音のない人の中でも 

同じ吃音がある人の中でもそれぞれ受け取り方が違う 

一つ言いたいのは吃音の方々が能力に劣るということはないです 

タイガーウッズやマリリンモンロー 

チャーチルなんかも吃音だったと聞きます 

魏の名将鄧艾も吃音として有名ですね 

この方の活動は置いておいて 

吃音の方をバカにする差別するのは絶対にダメだと言うのは心したいと思います 

 

 

・この手のことを差別として批判する人でよくあるのが、実は一番差別意識が強い人だって気が付いてないんだよ。 

自分よりも持ち物が少ない人に対して、攻撃をするのだけが差別じゃない。 

余計なお世話、いらぬ哀れみを向けることで、差別感を実感する人も多いって事に気が付かない。 

 

吃音にせよ様々な障害などにせよ、その人次第なんだからね。 

 

どんな人でも得手不得手はあるものなのだから、いかに得手を見つけて、磨いて、武器として生きるかなんじゃね? 

 

 

・この記事のタイトルを見た時、笑いって間が大事だから吃音の人にとって中々難しいことではないかと思ったけれど、全く吃音は気にならずネタを笑えた。障害の有無ではなく、その人の生まれ持った性質で芸人に向き不向きはあるだろうけれど、本人が芸人になりたいという思いを他者の偏見や独り善がりの正義で潰すのは間違っていると感じた。 

 芸人になるのに障害は関係ないと気付かされたけれど、一握りの人しか食っていけない世界だから、そこが難しいね。 

 

 

・番組に抗議した「日本吃音協会」は、名前こそ立派ですが、当時は出来て1年くらいしか経っていない新設団体でした。 

吃音当事者のグループとしては「言友会」が設立60年近い老舗で、こちらは穏健に活動していて、番組への抗議などはやっていません。記事にあるように後日インたけさんをイベントに招待するなど友好的です。 

また、医者や研究者が所属するのは「吃音流暢性学会」のほうで、ここも番組を問題にはしていません。 

なぜ新参団体の「NPO日本吃音協会」だけが抗議とSNS投稿したのかがそもそも謎なんですよね。 

 

 

・普通に廻りに吃音の人はいます。この方の様に、日本語は吃音なれど英語はハイレベルの東大出、仕事も出来る。プレゼンは英語の方が流調だし、聴き手も英語の勉強になる。吃音と言わない、文字で表示して芸をする勇気を買うべきだしこれで、生活出来るなら、偉い。吃音は幼少期にストレスを与えてしまうと起こる障害。親は優しくしてください。 

 

 

・殆どの吃音者が何故か歌を歌う時は普通に歌えるように感じます。関係ない話かもしれませんが、私と仲の良い友達も吃音者ですが、英語は流暢に堂々と吃音無しで会話しています。なので、緊張からくる自律神経が関係しているのかな? 

 

 

・この番組がそういう風に見られてしまうから余計に。 

吃音じゃなくても、話し方なんて多種多様だから気にならないですけどね。 

せっかくのテレビチャンスだったから活かして頑張って欲しい! 

 

 

・R-1取った人がそっちよりのネタで、笑うというよりも笑ってあげなきゃいけない空気が流れてた。それは、ちと疲れる。見てる方はそんなの望んでない。 

でもね、最近見たネタはそこに触れず面白かった。だからこの人もあまりそこをアピールしないネタで普通にやってほしい。 

 

 

 

・某番組に出る、1オクターブしか声が出せないストリートミュージシャンや、「フェフ姉」とか言われている方とかも、個性か障碍か微妙なラインを笑いのタネにしていました。 

 

同じハンディを持っている人にプラスの影響を与えなければ、差別だと考えますが間違いでしょうか。 

 

 

・近いところで言うと、この類いのネタで終わったのが、とんねるずじゃないですかね。 

とんねるずは、かなり差別的なネタ「見た目やしゃべり方」で笑いを取ってましたからね。平成の最初の頃は、あれでも社会は何も物議をかもしたりしていませんでした。 

日本人が、低レベルだったのかもしれません。今や令和の時代に、日本も真の先進国として、そんなことがあっては、いけないです。企業は、コンプライアンスの問題から、差別やヘイトスピーチ、ハラスメントに対する対応は、すべて同じです。そのようなタレントの番組のスポンサーにはなりません。 

なので、そういうタレントは表からは消えることになります。とんねるずは、見事に消えました。そういうことです。 

 

 

・自分が言ってることは倫理的に正しいと思って過度の正義感を押し付けて叩きたい人が非常に多い。 

きっとそれが気持ちいいんでしょうね。 

ある人が言っていたのですが… 悪意は罪悪感があるから歯止めがかかる可能性があるが、正義は罪悪感がないから歯止めがきかない。 

今の文春やそれにのっかり叩いている人々もまさにそれだと思います。 

 

 

・私も吃音者です。 

受け手の受け止め方次第とたけしさんがおっしゃることはもっともなのですが、世の中の受け止め方が誤った方向に向かうと今後の吃音者の生き方に大きく関係してくるので、たけしさんはその辺も考慮されたうえで「笑われて」ほしいと思います。 

あと、芸を磨いてください(笑) 

 

 

・でもまだ障害を持っている人が普通にテレビには出ていない。それは隔たりがまだあってそういうのをネタにされても笑えないのではないか?可哀想が先行されるままだと、この人達がテレビに出る機会は増えないと思う。見る目を変えないといけない。 

 

 

・周りが認めてくれたのは、たけしさんが吃逆があるから情けをかけているからではなく、吃逆があったとしても日々努力をしているたけしさんの姿を見ていたからだと思う。 

自分を卑下せずに前向きに生きている方は輝いて見えるものです。 

 

 

・僕も小学生の頃吃音で、最初の一声が出ませんでした。 

国語の朗読の授業は地獄の時間でしたが、節を付けて読んでもいいとして貰い、歌うように朗読していました。 

今は普通に人前で話したり、普通に話せています。 

 

 

・歌手の故・スキャットマン・ジョンさんは吃音者でコンプレックスだったが、パラララ、パッパッパラッ等、自身の吃音を逆手に取ったスキャットが斬新で、日本でも一躍有名になった。何事も発想と努力、そして時の運ですな。 

 

 

・人間誰しも得意不得意あるし気にしすぎない方がいいよ。自分も吃音がネックだが、容姿・性格・能力などそれぞれネックになっている部分は誰でもある。それが自分は吃音だったというだけ。 

今の時代、吃音にとってキツイシーンを回避して生活することも昔よりかはできると思う。あと経験を積めば幾分かコントロールできるから、失敗しても許されるうちに失敗してタフな精神を養うといいよ笑 結婚式のスピーチとかね笑 

 

 

・差別だ!と騒ぐ人ほど差別主義者なんだよな。 

 

自分は子供のころ足に障害があった(日常生活は普通にできる) 

勉強や絵を描くのは得意だったし、クラスメイトとも仲良くしていたし、別にクラスでいじめられたりもなかった。 

 

それなのに中学の時の担任が何を思ったのか自分を運動会のリレー選手に抜擢した。理由は「足が速い子が代表になるのではなくみんな公平に」とのこと。 

本人でさえ、自分のクラスが勝ってほしいと思っているのに差別解消を理由にこの仕打ち。 

担任は「公平」と思っても本人は「晒しもの」としか思わない。親と学校が話して解決したけど、ホントつらかったなぁ 

 

 

 

・笑わせるのも笑われるのも本人の自由だけど、見ている側は試されている。 

ミゼットプロレスも見世物小屋だってそう。 

 

それをどう捉えるかはその時代が決めるものだと思う。 

 

 

・障害について変だと指差して笑うような人間性が確立していない大人はほぼいないと思う。人格形成前の子供は別として。 

間が可笑しければ笑うし、それが持ち味で他の芸人には真似できないから笑いが起きるわけで。障害を笑う事と芸を笑うことの違いは大きいよ。笑ってその人のファンになるんだから。 

上司がお笑いでいけると思ったのは、吃音により間の取り方が作ったり狙ってできるものでないからだと思う。ドッキリで笑の神が降りたから可笑しかったと想像する。障害者をテレビから排除するのではなく、芸として本当に面白ければ観たい。NHKで竹山さんが障害者のお笑い芸人希望者に、お笑世界は甘くなくて障害を売りにしただけでは売れない、本当に面白くないと生き残れないと当たり前のことをアドバイスしていたな。要は面白ければ売れるだけのこと。障害の有無は関係ないよね。 

 

 

・この場を借りて言いますが、前職場でお世話になった吃音の男性好きでした。 

多分、吃音者って優しい性格だと思います。 

素朴な雰囲気もあり、そばにいるとホッとするんです。 

いじめる人もいるでしょうが、女性目線だと 

「なんか可愛い」って密かに人気あったりしますよ。 

 

 

・この方に関してではないけど、障害を個性と捉えようみたいな流れはすごく疑問を感じる。社会は障害は障害と理解した上でその人との関わり方を考えるべきで、普通の人は個性であるなら一々症状についても調べないし、合わないと思ったら付き合わないという選択肢もあるのだから、より障害への理解が遠のく。 

 

 

・スキャットマンさんのような現象が日本で起きてアルバムを聴いて嫌な思い出が蘇ったと言われたら販売中止を要請するのかな。また逆に、放送内容と同じような経験したことをきっかけにクラスの人気者になれましたなんて話があってもやはり抗議するのかな 

 

 

・笑わせるのと笑われるのは違う。 

 

テレビの雛壇芸人すら笑われるレベルが 

多いのに、この人は笑わせようと 

頑張ってるんだから、吃音とかは 

一つの個性として捉えたらいいのでは。 

 

 

・ネタが面白くない。 

言っている事が普通で「吃音」自体がネタになっている時点でダメかなと思う。 

逆に言えば、「吃音」だからこそ面白くなるようなネタ作りにすれば、「表現」と思われるが、今の時点では「嘲笑」の要素のほうが強いと思う。 

 

 

・例えばハゲネタをハゲの友人と見る時、やはりどこか笑いづらいものだと思います。体毛の濃さ、容姿体型、コミュ障、音痴などなど、全てどこかで誰かが傷ついてるのでしょう。 

 

ところで、私は難発性の吃音持ちです。電話対応もまともにできず、1〜2分無言になる事も普通。焦ると痙攣までするのは我ながら滑稽だと思う。 

 

件の炎上回は過去の記憶のフラッシュバックで動悸が激しくなったのが正直なところで、協会が抗議文出したのもよく分かる。普段スポットが当たらないマイナー障害なため、組織としての対応にも慣れてなかったのでしょうね。 

 

それでも私はこの芸人さんを応援します。前向きな姿勢が好きですし、何よりお互い様だと思うから。私はこれからもハゲネタで笑うだろうし、盲目芸人も面白かった。誰かが傷つくから、差別だからと弾く世の中は窮屈すぎる。 

 

臭いものとして蓋をせず、ネタと現実を混同しないこと。それが大切だと思う。 

 

 

・この方は吃音を、ハンデではなく、芸人として生きていくためのむしろ強みにしている。様々なことで人と比べて悩んだりする自分がとても情けなく感じた。インたけさんのように強く、前向きにありたいです。 

 

 

・たけしさん、5時に夢中で時々見るけど面白いよ。 

たけしさんの話し方とかリアクションが楽しくて笑ってたけど、それが差別だって言われると今後どう見ればいいのか。 

決してバカにして笑ったわけではないのだけど。 

出川さんとかと同じ感じで見てました。 

 

 

 

・この人が芸として売っているなら笑われたいと思うし、特徴を活かして狙った笑いならこちらも大いに笑っていいと思う。 

ただ、それを見て育った子供達が一般の吃音の人を笑い物にしていいと間違えて認識してしまうと困るなってこと。 

難しい問題かと思いますが、多様性の時代なので皆が他人に寛容で、柔軟な人間性になりたいですね。色々突っかかってくるクレーマー気質な人が多いので…。 

 

 

・障害者を擁護する人がよく口にするのが「障害は個性」という言い方。 

障害が個性なのなら、本人が納得してその個性で勝負することに、他者がとやかく言うことでは無い気もする。 

個性なのだから、それが彼の芸風であり、その芸風を好まない人は見なければ良いだけ。 

 

 

・亡き兄が吃音でした 

正直な感想を言うと吃音を笑いにはしないで欲しい 

兄は吃音でありながら敢えて営業職を選びました。 

そんな中、一生懸命伝えようとする姿が誠実に見えると顧客の評判がどんどん上がり営業成績はトップでした。 

自信を付けた兄は吃音は殆どわからなくなりました 

吃音をネタに自虐で笑いを取る、そんな卑屈な笑いは受け入れ難いです 

 

 

・障がいを本人がどう扱ってるかで受け取りても変える必要がある。 

本人がいいならいいと思うけど、インタケみたいな人がいて同じ様に笑っては行けないってのが難しく判断に悩むところ。 

 

 

・吃音者が芸やリアクションで笑いを取っているのを、吃音を笑われてると受け取る吃音者がいたってことか 

それは吃音者は芸人になるな、表に出るような仕事はするな、ってことでもある 

それこそ、テレビは障害がある芸人を呼ぶことを躊躇するようになるかもしれない 

言ってしまえば、吃音者が吃音者を差別してるという話でしかないよ 

弱者ビジネスとまでは言わないにせよね 

 

ちなみに俺は親族に吃音者がいるので、吃音を面白がる意識はほぼないな(例えば出川哲朗が噛んだり言い間違えたりするのを面白がりはするけれど) 

 

 

・SCATMANも有名ですが、プリンと化粧品のCMの印象が強かったかな?当時社会現象だったと思う。日本にもよく来てくれてた。でも、ガンで亡くなられたのが残念だ。 

 

 

・人を笑わせるのは一番難しい。話題だけでなく、その場の雰囲気とか間とか声質とか、色々な要素が複雑に絡み合っている。 

芸人は観客を笑わせたくて努力している。お笑いを解説するのはご法度。毎日がこんな糞つまらない記事を書くからこの芸人が笑えなくなる。こんなつまらない記事を書いた記者は心底つまらない人間なのだろう。ずっとNHK教育だけ観てればいい。 

 

 

・昔の職場にいました。吃音の男性ですがとても歌が上手でした。絶妙な”タメ”も効いててリクエストしてたくさん歌ってもらいました。 

 

あと目覚ましにはスキャットマン・ジョンをよく使います。 

 

 

・ホーキング青山が談志に弟子入り志願にいったら「俺は差別はしない。他の奴らと同じように上納金をもってこい」と言われたそう。普通に持っていってもダメだと考えたホーキングは、駅前で障害者のための募金を募り「募金を着服してお金作ってきました!」と持っていったら「お前は面白いやつだ」と褒められたらしい 

 

 

・私は吃音ですが「十二人の死にたい子どもたち」という映画を見た時、吃音の少年を演じる役者さんの演技が酷すぎて不快な気持ちになった事を忘れない 

吃音を全く理解していないばかりか馬鹿にしてるような演技だった 

 

 

 

・中学のとき交際してた子が、 

いわゆる吃音だった。 

でも、吃音がどうとか知る前だったし、 

その子の事がメッチャ好きだったので 

話し方がどうとか考えた事なかった。 

 

自分だって、今は少しはマシだけど 

昔は脅迫性なんちゃらかんちゃらだったし 

個性だなと思います。 

 

 

・かわいそうだと騒いでは人は、こうやって騒げばこの人の仕事が無くなるのを知っててやってます。イジメの上級者が直接的にイジメると問題なの知ってて、かわいそうという言葉でイジメてるんです。有名人を誹謗中傷したり、イジメをする側が社会をコントロールしている。世の中良くなる訳ない。 

 

 

・> 放送後、NPO法人「日本吃音協会」(東京都)が吃音者をからかうような内容だったとして、TBSに表現上の配慮を求める抗議文を提出した。 

 

まずはこの日本吃音協会という新参者の胡散臭い団体について指摘しないと、公平な記事とは言えない。 

吃音については昔から言友会という団体が地道に活動を行ってきている。言友会からは水ダウに関して一切言及はない。 

日本吃音協会は名前だけみると、日本を代表する吃音者の団体みたいに勘違いしがちだが、新参で大した実績は無い。 

この日本吃音協会という団体を吃音者の代表みたいにして報道するのはミスリード。 

 

水ダウの講義を吃音者の意見と誤解するような記事の書き方が既に悪質と抗議したい。 

 

 

・日本ではあの24時間テレビのおかげで「障害者は健常者を感動させるためにいる」というイメージが定着してるからね。挙げ句の果てには「聖者の行進」なんてドラマが話題になって、障害者が神聖化されたり。 

 

だから障害者が健常者の芸人と同じように、汗かいて恥かいてがむしゃらにお笑いをやってると、「かわいそう」とか「ひどい」とか言われちゃうんだよ。当事者団体までもが、本人の気持ちを無視して抗議しちゃったりね。 

 

これでインたけさんがお笑いを諦めたら、何て言うんだろう?今度は「吃音者はお笑いやっちゃいけないのかー!」とか騒ぎ出すんだろうか? 

 

 

・チャンス大城が度々名前を出してたから気になってちょくちょく観てたけど普通に面白かった。 

水ダウでやったS−1グランプリの出場者と同じ地下芸人だけどインたけのが数段上だと思う。 

 

 

・なんでや、スキャットマン・ジョンがいるやろ、と思ったら 

『米国の歌手、スキャットマン・ジョンさんは吃音を逆手にとった独特の歌い回しで観客を魅了。デビューアルバムが世界中でヒットし、日本でもテレビCMに出演した。』 

書いてあったわ。その通りで表現主体がアートなら許されて、お笑いなら許されないとなればそれは表現の自由の侵害になるだろう。 

 

 

・私も接客業をしていますが、吃音者です。 

誤魔化しながら、話しますが、思うように言葉が出なくて苦労してます。 

同じ吃音者としては、頑張って欲しい芸人さんです。 

 

 

・10年以上前に、DDTプロレスで面白がられてリングアナウンサーで出たりしてたけど、なかなか進まないのが客からは普通に不評でやがて呼ばれなくなったという過去がある 

 

 

・他にも音楽の分野で才能を見せつけている人もいる。 

観客の心をふっとほぐしながら、いい音を届けてくれる。 

彼にとって吃音は個性でしかない。 

 

 

・私も吃音です。なかなか言葉を発せない時があるので工場内で勤務してます。 

でも業務上、コミュニケーション取らないといけないので何とか話しますけど、か行とま行が苦手です。 

吃音を治す薬があるなら10万円でも買うのにな。。。 

 

 

 

 
 

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