( 133301 ) 2024/01/28 13:26:08 1 00 男性特に芸能関係者の「遊び」に寛容な風潮が変化している。 |
( 133303 ) 2024/01/28 13:26:08 0 00 男性の「遊び」に寛容な風潮は変化を迎えつつある(写真はイメージです) Photo:PIXTA
日本において男性の、特に芸事に関わる男性の「遊び」に寛容な風潮は、確実にこれまで存在していた。しかし松本人志氏の報道に際して、こうしたある意味男性にとって都合の良い風潮に変化の兆しを感じる。世の男性が問われている「遊び」のあり方について考えたい。(フリーライター 武藤弘樹)
● 令和の今、改めて問われる 「男の遊び方」のあり方
ネットは連日、松本人志氏の性加害疑惑に関する話題で持ちきりである。
「文春の報道は真実か」「訴訟の行方はどうなるか」など、いくつかの主要なポイントに特に注目が集まっている本件であるが、そうした本筋に付随する形で「男性の“遊び方”(いわゆる“女性との遊び”)はいかにしてあるべきか」ということが、改めて議論されるようにもなった。
もちろん、報道されている性加害が事実であった場合、それを”遊び”と表現することは令和の現代では憚られる。現時点で強要があったか否かについて両者の認識が食い違うため、ここでは既婚男性の配偶者以外との交際について論じる。男の不倫が”遊び”と表現されてきたこと自体にも、議論があるだろう。
原則的な話として、既婚男性の“女性との遊び”は不倫に該当する。不倫はその字が表す通り倫理に反する行為であり、民法では「不法行為」と定められていて、被害者は加害者に慰謝料を請求することができる。ただし、刑法の犯罪には当たらない。
日本では昔から、既婚男性の女性との“遊び”は大目に見ようという風潮があった。時に女性の“男性との遊び”も同様だが、こちらは世の中を見渡すと男性の“女性との遊び”に比べてサンプルが少なくなる。また、男性芸能人の不倫報道に比べ、女性芸能人のそれの方がペナルティが大きいのではないかという指摘もある。
ともあれ、この昔から続けられてきた「男性の“遊び方”」のあり方や是非について、令和の今、改めて議論が行われていることは意義深く、また個人的な興味を持って筆者は成り行きを見守っていた。令和の空気の中で価値観の刷新が行われる様を、観測できる可能性があったからである。
本稿では、松本人志氏の性加害疑惑の第一報が報じられた昨年12月26日から本日(1月25日)に至るまで、世論がどのように変化してきたかを伝えるとともに、男性の“遊び”に関する価値観が今後どうなっていくかを考察してみたい。
● 「新時代が来るかも」と 筆者が身構えたワケ
文春告発記事の第一弾が出た当初、世間の関心はダントツで「文春の告発内容は事実か」「強要などの性加害は本当にあったか」にあった。本件に関してコメントする著名人は皆慎重で、「被害に遭われたかもしれない女性の存在はくれぐれも念頭に置くべき」「真偽は裁判などで明らかになっていくはず」というスタンスの人が多かった。
他には「参加した女性にも責任がある」「大人同士のことだから、外野が口を挟むべき事柄ではない」という人もいた。
次に文春が「上納システム」の全容などについて報じると、それに加担した後輩芸人の進退や是非、既婚の超大物芸能人がそうした”遊び方”をしていることの是非に注目が集まった。
加えて「奥さんや子どもがかわいそうではないか」「遊びまくること自体が好ましくないのでは」といった、男性の”遊び”そのものを疑問視する声が聞かれてきた。
筆者が「新時代が来るかも」と身構えたのは、このあたりである。”遊び”への懐疑的な視線は以前からあったが散発的で、「遊びに寛容な社会」に一石を投じるほどの力はなかった。しかし、今回は様子が違うかもしれない……と考えたわけである。
● 世論の変遷を振り返る ビッグネームが語った「遊び方論」
やがて芸能界のビッグネームたちが相次いで松本氏の”遊び方”について言及し、それが記事となってネットを賑わせた。下記に紹介するのは3人だが、他にも著名人や識者による同様の趣旨の発信がネット記事になっていて、これはもう世論のひとつのトレンドと捉えて差し支えないだろう。
まず、上沼恵美子氏が出演した1月14日のテレビと15日のラジオを通じて、「遊びは三流以下」「(遊び方の)品位は持っておいた方がよかった」という旨の発言をした。
次に梅沢富美男氏が、15日にテレビで「遊び方は時代によって変わってくる」「今は遊ばない方がいい時代」「自分は(危機管理の一環として)素人と遊ばない」という旨を発言。
そしてビートたけし氏が、21日にテレビで「(相手の女性にたむらけんじ氏が交通費として渡した)2000円、3000円は(金額的に)セコい」「記者会見をやるべき」と発言した。
【参考】
「上沼恵美子、松本人志を切り捨てる『超一流の人間やのに、遊びは三流以下やった』」(スポーツ報知) https://hochi.news/articles/20240114-OHT1T51250.html?page=1
「上沼恵美子、再び松本人志に言及『遊び方に品位は持っといた方が良かった』」 (サンスポ) https://www.sanspo.com/article/20240115-UZIANPWDCRF6JOQ5XXBISJNJPE/
「梅沢富美男、女遊びはしないほうがいい時代と指摘『松ちゃんの話だって何年前の話よ』」(サンスポ) https://www.sanspo.com/article/20240119-VYVJVZDG2VB6BLCURTJYOR4QUA/ ORICON NEWS
「ビートたけし、松本人志に言及『記者会見やるべきだよ』 活動休止に理解&文春側の“うまみ”もチクリ『売れちゃえばいい』」 https://www.oricon.co.jp/news/2311345/full/
3人とも、松本氏を批判するというよりは、松本氏を慮った上の発言だったが、「やり方がまずかった」というトーンもまた共通していた。
これを受けて世論はすっかり「松本氏の遊び方は褒められたものではない」という見方が大半となった(ように筆者には見える)。
そして文春が、松本氏の好みの女性を記した「指示書」について報じると、関連ニュースに触れてきた人たちの生理的嫌悪感がいよいよ極まってきて、特に女性から「気持ち悪い」といった評が多く聞かれるようになってきた。
えてして男性の性欲への執着や欲望のあり方というのは、可視化すれば目も当てられないような有り様のものであるが、そこへの同情票があまり見受けられないのは、この世論の趨勢と「松本氏が女性への加害の可能性も含めながら、欲望を権力によって叶えてきた(かもしれない)」という点を、世間が極めて悪質と判断しているからであろう。
なお、ここ最近では、準備していた記事を順次リリースしていく文春に対して、Xで数件の投稿をしたものの、ほぼ沈黙を貫くに等しい松本氏が文春に打たれ放題の様相を呈していて、吉本興業も「確認を進める」と一転して弱気だし、すっかり文春有利の雲行きであり、「”強要”はあった」ことをほぼ既定路線にして話を進める人も出てきているようである。
● 男性が大目に見られる風潮に 変化の兆しあり
女性の権利の向上と無関係でないと思うが、近年女性の間で、「男性の不貞行為を大目に見ず、きちんと咎めていこう、違和感を発信していこう」という考え方がかつてより一段階深く、じんわりと広まってきている向きがある。
筆者はフェミニストではないが、女性の不倫が責められがちなのに対し、男性の不倫は笑って済まされたり、時には武勇伝的として語られたりしかねないという、その扱いの差を見るにつけ、アンバランスさはどうしても感じていた。男女では性欲のあり方が違う(ことが多いとされてきた)から、それを汲んだ上で生まれ、そして維持されてきたやむなきアンバランスさ、と見ることもできるのかもしれないし、「それは男権社会の身勝手な産物に過ぎない」という指摘にも道理を感じる。
さて、そのアンバランスさにメスが入りかけた本件だが、私見では今しばらくこのアンバランスさが続きそうな気がしている。
先に紹介したビッグネーム3名は、「松本氏の遊び方はまずかった」としつつも、”女生との遊び”自体を否定はしなかった。同調する世論も、「芸人さんは特殊だし、遊びまくることもあるだろう」「奥さん次第。第三者は見守るべき」という具合に、今回の性加害疑惑が取り沙汰される前の「”遊び”にとやかく口を挟むのは野暮」という従来の流れに復帰してきた感がある。
だが同時に、これが「変化をする前に一旦従来通りの型に落ち着いておこう」とする大衆心理である可能性も捨て切れないのである。というのも、松本人志氏の性加害疑惑をきっかけに持ち上がった「男の”遊び”はいかがなものか」という議論ではあるが、あくまで問題の中心テーマではないからだ。
それより他に、優先的に議論すべきテーマは山積している。つまり、松本人志氏の性加害疑惑は話題性が大きすぎて、「男の”遊び”の是非」を落ち着いて議論する機会には適していないようなのだ。ならば急に価値観の変化を求めず、当面は従来の型にハマって安定を取り戻したいと思う心理はよく理解できる。
自身が”遊んで”きた梅沢富美男氏が「”遊ぶ”時代ではなくなってきた」と指摘している通り、風向きが変わってきていることは確かであろう。今回、議論が深まらなかったとはいえ、「男の”遊び”の是非」が一瞬でも注目されたこと自体がその証左である。
● 「遊び」そのものを容認する 発言が聞こえない若い世代
一方、昭和的価値観の影響が少ない若い世代からは、”遊び”そのものを容認する発言があまり聞かれない点も興味深い。個人を見てみればがっつり”遊んで”いる若者や、その生き方に持論や矜持を持つ若者もいるのだが、それが「世代のトレンドでない」と感じるのは、実際そうかもしれないし、世代間の価値観の違いを区別したがる筆者が先入観で先走っているからかもしれない。ここは筆者にとって、もう少し見極める時間が必要になりそうである。
石田純一氏はかつて「不倫は文化」報道で、仕事が激減するほど世間のひんしゅくを買ったが(正確には本人は「不倫は文化」とは発言していない)、これは「男性という生き物への制裁」というより、石田氏個人に対して行われた趣きが強かった。
さて、では今後男性の”遊び”はどう扱われていくのか。その変化へのささやかな楔が打たれたのが、今回の一連の流れの中に確認されたように思われた。
武藤弘樹
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