( 133594 )  2024/01/29 12:59:16  
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警察庁によると、桐島聡容疑者は1974年と1975年の連続企業爆破事件で指名手配されており、その後40年以上も自らを桐島聡と名乗る男が神奈川県藤沢市で偽名を使いながら働いていたことがわかった。

事件後に海外に渡航した形跡はないとされ、警視庁は偽名を使い国内で逃亡生活を送っていたとみて調査している。

桐島容疑者は高校卒業後に上京し、明治学院大学に入学した後、過激派集団「東アジア反日武装戦線」の一員となり、連続企業爆破事件に関与した疑いがある。

(要約)

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桐島聡容疑者=警察庁提供 

 

 1974、75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗った男が、「内田洋(うちだひろし)」の偽名を使い、約40年間にわたり神奈川県藤沢市の土木会社で住み込みで働いていたことが捜査関係者への取材でわかった。事件後に海外に渡航した形跡は確認されておらず、警視庁は身分を偽りながら国内で半世紀、逃亡生活を送っていたとみて調べる。 

 

【写真】桐島聡容疑者と名乗る男が暮らしていたという2階建て住宅 

 

 捜査関係者によると桐島容疑者は広島県出身。高校卒業後に上京し、明治学院大学に入学した。過激派集団「東アジア反日武装戦線」のグループ「さそり」のメンバーになり、連続企業爆破事件に関与した疑いがある。そのうち75年4月に東京・銀座のビルであった韓国産業経済研究所の爆破事件の容疑者として翌5月に指名手配された。 

 

 桐島容疑者を名乗る男は「内田」の偽名を使い、80年代から藤沢市の土木会社で働き始めた。住み込みで働いていたが、会社側は桐島容疑者である可能性を把握していなかった。事件後、海外への渡航歴も確認されていないという。旅券などで身分が露見するのを避けたとみられる。 

 

朝日新聞社 

 

 

 
 

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