( 134358 ) 2024/01/31 13:43:48 2 00 「セクシー田中さん」漫画家の芦原さんの死去…「元ネタ扱いが雑すぎ」読売も”ただ乗り”! 元雑誌編集長「原作リスペクト薄い」220兆円市場の裏みんかぶマガジン 1/31(水) 9:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/9532e35f2b4d987833f3e33788952a303f4aa174 |
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コンテンツ関連産業市場規模は世界で220兆円、日本でも10兆円を超すとされる。世界でますます拡大が期待されているが、先日、日本の漫画のドラマ化を巡り、悲しい出来事が起きた。作家で元プレジデント編集長の小倉健一氏は「日本テレビにも、脚本家にも非はないと考えている。しかし、最近、人が一生懸命つくった元ネタの扱いが雑になっているように思う」と語る。自身の編集者としての経験から「誰が責任をとれということではなく、自由で開かれた社会を実現するためにも新しい価値を生み出す人たちに、きちんと対価とリスペクトがいくことが大事だ」と提言するーー。
漫画『セクシー田中さん』の作者である芦原妃名子(本名・松本律子)さんが1月29日、栃木県日光市の川治ダムで死亡しているのが見つかった。1月28日16時ごろに芦原さんの仕事上の関係者から警察へ「行方がわからない」という通報があり、19時に行方不明届けが受理されていた。自死と見られている。
『セクシー田中さん』は、20代の働く女性の心理を繊細に描いた漫画だ。ストーリーの一部を紹介してみる。身体の関係もなく、結婚したいとも思えない男と同棲する「朱理」は、堅実な相手との結婚を夢見て合コンにでかけるが、その場で一番に気に入った人は「合コンにきて媚を売るような女」は嫌いだとさっさと帰ってしまう。
3年ほどセックスはしてないが、合コンにはよくいく「朱理」は、自分の人生にずっとモヤがかかっている状態だ。ある日、たまたま入ったお店でベリーダンスショーが始まり、「娼婦の踊り」を踊る女性(田中さん、実は同じ会社で経理をしている)をみて、「いっそ、ここまで開き直れたらすがすがしいのにな」という憧れにも似た感想を持つところから、漫画はスタートする。
大人気漫画家となった芦原さんだが、私が漫画を読んで感じた限り、マーケットを狙って当てに行くというタイプではなく、自分の感性を大事にして、それを読者に届くようにイメージや表現を洗練させていくタイプのアーティストだ。
そういうタイプのアーティストはとても多いし、出版社の編集者は、一般常識とは少し違った感性を持つ、そうした漫画家と社会やマーケットを繋ぐために走り回っている。世の中は契約社会だし、契約した上で行われたことなのだから、今回の件が誰の責任ということはない。しかし、職業テレビマン、職業脚本家とは違った感性や動機で生きている人がいるということを私たちもきちんと想像しておかなければならない。産みの苦しみは誰にもわからないとは思うが、最初のコンテンツをつくった人によりリスペクトが集まってほしいものだ。
今回の事件をよくわからない人のために、芦原さんのXへの投稿を紹介しつつ、簡単に振り返ってみたい。知っている人は読み飛ばしてもらうのがいいだろう。
昨年(2023年)10月期の日曜ドラマ「セクシー田中さん」の漫画原作者であった芦原さんだが、ドラマ化において脚本をめぐって日本テレビ側と折り合いが悪くなり、最終的に「今回のドラマ化で、私が9話・10話の脚本を書かざるを得ないと判断するに至った」とXに投稿。その経緯について、長文で説明をしていた。芦原さんの説明によれば、ドラマ化に際しては、「毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていた」「漫画で敢えてセオリーを外して描いた展開を、よくある王道の展開に変えられてしまう」「個性の強い各キャラクターは原作から大きくかけ離れた別人のようなキャラクターに変更される」などと不満があったようだ。
「私が『セクシー田中さん』という作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない」として、大幅な加筆修正によって7話までどうにか原作通りになっていたが、終盤に至っても「当初の条件は守られず私が準備したものを大幅に改変した脚本がまとめて提出されました」という事態が続く。
「日本テレビさんから8話までの脚本を執筆された方は9話、10話の脚本には関わらないと伺ったうえで、9話、10話の脚本は、プロデューサーの方々のご要望を取り入れつつ、私が書かせていただき、脚本として成立するよう日本テレビさんと専門家の方とで内容を整えていただく、という解決策となりました」という。
しかし、芦原さんは、自分で執筆した9話、10話について、ドラマとしての出来には、相当悔やんでいたようだ。「何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです」という。行方不明になる直前には「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」という投稿を残している。
振り返ってみると、本当に、芦原さんは、この騒動にヘトヘトになってしまったのではないかと推察される。自分の原作を大切にしてくれる人たちのために、誠実にドラマ制作と向き合い、未完の漫画の最終話をつくらされる苦労は、想像するだけでしんどいものだ。
日本テレビは、<芦原妃名子さんの訃報に接し、哀悼の意を表するとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。/2023年10月期の日曜ドラマ「セクシー田中さん」につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら 脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。/本作品の制作にご尽力いただいた芦原さんには感謝しております>というコメント発表している。
民放の構成作家は最近のテレビ事情についてこう話す。
「民放では、ネット配信でのアクセスを稼ぐために、めちゃくちゃな数のドラマ作ってて原作が不足気味です。今回、脚本家に批判が向けられている部分もありますが、大衆受けはしにくいが、光るものがある原作を、良いものは残しつつ、ドラマ化した手腕は素晴らしいものがありました。しかし、その一方で、とりあえず設定だけ借りてあとはドラマ的脚色でなんとか乗り切るみたいなのが増えていて、原作者の自殺までは想定していませんでしたが、いつかどこかでハレーションは起きそうな状況ではありました」
とはいえ私は、日本テレビにも、脚本家にも非はないと考えている。しかし、最近、人が一生懸命つくった元ネタの扱いが雑になっているように思う。そして、それを批判してきたのも読売新聞を中心とするオールドメディアだったのではないだろうか。
2024年1月28日ごろに読売新聞オンラインにアクセスしたら、読まれている記事のランキング1位に、『週刊文春で「元タレントが実名顔出し告発」松本人志の被害訴える女性が続き「全部うそだと言いにくく…」とゴゴスマ弁護士』(https://www.yomiuri.co.jp/culture/hochi/20240125064-OHT1T51142/)という1月25日付の記事が1位になっていた。3日前の記事が一位ということは、相当長い時間、読まれ続けているということだろう。
しかし、中身を見て唖然とした。冒頭はこんな調子で始まる。
<TBS系「ゴゴスマ」(月~金曜・後1時55分)は25日、お笑いコンビ「ダウンタウン」松本人志が飲み会で性的行為などを強要したとの疑惑を報じている「週刊文春」がこの日発売の最新号で第4弾を報じたことを伝えた>。
読売新聞が、TBS系の情報番組において、週刊文春の記事についてとりあげたことを、かなり詳細に報じているのだ。それも「(有料)読者会員限定」の記事として(どうやらスポーツ報知のネット記事が転載されたようだが、そのようなことを読者へ明示する記載は見当たらない)。
読売の有料記事は、TBS番組の内容に、何一つ付加価値をつけず、垂れ流すばかりである。聞いたこともなく、志の低いネットメディアやまとめサイトならやりかねないことかもしれないが、まさか読売新聞がそんなことを始めたとは正直がっかりしてしまった。とはいえ、このTBSの番組も文春報道に乗っかっているだけなわけだが、出版社とテレビの慣習から、対価は払っていると思われる。
あらかじめ言っておくが、私は読売ジャイアンツは大嫌いだが、読売新聞は好きだし、昔から購読している(今、読んでいるのはデジタル版)。圧倒的な部数を誇っているのもすごいが、それだけではなくスクープも含めた医療面の充実ぶりや人生相談などは他紙は到底真似できないものだろう。紙が強い分、デジタル化が他紙より少し遅れていて、それを「政治力」でなんとかしようという動きには、やや批判的にみているが、日本の報道を一翼を担い、そしてまた、そんなお金をかけずに「タダ乗り」のような記事からは距離を置いていたはずではなかったのか。
先ほどの話に戻せば、脚本家や日テレはきちんとルールを守り、契約通りに行動していたのだろう。そこを責めているのではない。しかし、全体として見れば、価値をつくっているのは原作漫画であり、この不幸な事件をきっかけに、新しい価値をつくりだした人たちに対する正当な評価やリスペクトを増やしていきたいものだと思う。読売新聞であっても、TBSの報道を垂れ流すだけというのはやはりやってはいけないことだ。
このあたり、誰が責任をとれということではなく、自由で開かれた社会を実現するためにも新しい価値を生み出す人たちに、きちんと対価とリスペクトがいくことが大事だと思う。
★「日本いのちの電話」相談窓口★ 厚生労働省は悩みを抱えている人に対して相談窓口の利用を呼びかけている。
◆ナビダイヤル0570-783-556(午前10:00~午後10:00)◆フリーダイヤル0120-783-556(毎日:午後4:00~9:00、毎月10日:午前8:00~翌日午前8:00)
小倉健一
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( 134362 ) 2024/01/31 13:43:48 0 00 ・日本テレビや脚本家に非がないことはないのでは? 日本テレビの契約違反は勿論、脚本家がインスタに誹謗ともとれる書き込みをしたのが発端でありながら、書き込みを削除して知らん顔をしていることが誹謗中傷を拡大させている一因でしょう。 脚本家プロデューサー日本テレビは、きちんと説明し、公平な第三者委員を立ち上げ再発防止に努めるなど、誠意ある対応をお願いします。
・「事前に約束があったにも関わらず、原作者の要望通りの制作が出来なかったこと」は、制作の伝言ゲームのどこかで原作者の想いが途絶えており、問題かなと思います。
一方で、それと原作者の方が亡くなったことを直接結びつけるのは少し違うと思います。芦原先生のコメントを読む限りではとても優しくて繊細な方とお見受けしました。 最後のコメントは「攻撃したかったわけじゃない」です。先生が出された経緯説明は、攻撃的なものではなくて「作品を大切にしたい」、「元々約束があり、原作者が我儘を言ったわけではないとわかって欲しい」という想いを伝えたかっただけだと思います。私は当初のメッセージを読んで攻撃だとは思いませんでした。 それが「攻撃」になってしまったのは、SNSで不特定多数の第三者が勝手に「攻撃」し始めたからではないでしょうか。
・脚本家さんはもとはタレント業もされてて、そこから脚本家になった経歴のひとだそうですね。 テレビ現場に精通してるし、その分、俳優さん個々の意向についてももしかしたら生粋の脚本家業のひとより踏み込んでナニかを実現できるポジジョンだったかもしれません。
大衆受けするための創作であり 産業としての采配にはたけてる側面があったかもしれません。 ただ、すくなからず仕事として関わりを持ち 作品が発表されている最中に黒子に徹するプロ意識みたいなもの、脚本家が崩すのは それだけ本業以上のナニかを考えての行動のように感じます。 人物に話題が集中するのは仕方のない話題と思いました。
・制作側は人気漫画なので映像化すれば数字が取れると単純に思っているだけなんだと思う。 原作の本質的な理解と原作者の意図をしっかり汲んで映像化することは基本的な考え方だと思っていたが、そもそも製作側や脚本家は漫画のファンでもなく、放映時間、視聴対象者、スポンサーの意向を考え当たり前のように優先する。 今回の場合のようにさらに原作者が強く意向を伝えていたにも関わらずそれが反映されていなかったのは、そう言う考えが常態化していたと言うことだと思う。
・漫画や小説のドラマ化は 原作の人気にあやかった作品なのは間違いないと思う。そこに必ずあるのは原作との違いになる。 見る側はどうだろうか。ドラマ化された作品は 原作とは別物として見ることに慣れてしまっているのではないだろうか? 作者の中には 多少彩られてもドラマ化されることへの相乗効果を期待する方もいるだろう。 ただ そういう作者ばかりではないはずだ。 脚本家も実写と言う観点やドラマと言う制約された時間の中で一つの作品として良くするために手を加えているのだと思う。ただ まるで別の作品にも思えてしまうことを嫌う作者もいて当然だし その気持ちを汲むのが 作者や作品への敬意になると思う。作品を作る 創造する側の人のナーバスな一面を無視するやり方は明らかに間違っている。作者の自分の作品に対する思いは並大抵のものではないことはだれでも想像できるはず。
・SNSいじめみたいな感じがしました。 脚本家さんが原作者さんをインスタで攻撃して、脚本家さんの仲間たちがそれに乗って口々に原作者さんを貶めていました。 脚本家さんはその後、別のドラマの俳優さんや監督さんと写真を上げて、昔からの付き合いだとかご縁って素敵とか書いていて、みんな私の味方アピールのようにも見えました。 一方の原作者さんは、今回のために初めてXのアカウントを作ったようなSNSに不慣れな方だったのに、SNSで攻撃されて気の毒でした。 脚本家さんのSNSでは原作者さんの書いた9話10話の脚本の内容を貶めていましたが、原作者さんからすると要望を言っても放置され、最後の最後に時間がない中で書かないといけなくなったのは本当に大変だっただろうと思います。
・最近、漫画をドラマ化することが多いですが、小説のドラマ化と違い、原作者へのリスペクトが相当不足しているように思えます。 原作者は、脚本家、ドラマプロデューサーと綿密に打ち合わせをして、ドラマを作り上げている。視聴率という物差しもクリアしないといけないなど、いろいろ障害があると思います。 でも、やはり、原作者にその物語、筋を通す権利があり、リスペクトしなければ、おかしいと思います。
・著作権法上、著作物には同一性保持権が認められています。 内容の改変には原作者の了承が必要です。
今回の原作者のコメントを見る限り、特に原作通りに書くこと、原作者が用意したセリフを脚本に使用することを念押しされ、それを承諾したかたちで契約締結されたにもかかわらず、原作者の了承の範囲を逸脱した改変があったと思われます。
原作者はその気になれば放送差し止め、損害賠償請求ということも出来たと思います。 しかし、なんとか皆さんの顔を立てようとしたのでしょうね。連載に加えて脚本修正、ついには脚本そのものを書くことになってしまい、心労を重ねてしまったのでしょう。
亡くなってしまうまでに原作者を救う手立てはあったのではないかと残念です。
関係者のみなさんで、再発防止するためにはどうしたらよいか、建設的にご検討されてはいかがかと思います。
・原作へのリスペクトと、原作者への配慮無くして、実写化は有り得ないと思います。 かのハリウッド版ドラゴンボールは、とんでもない内容で監督が叩かれてましたよね。ただ、原作者の鳥山先生は、こんなドラゴンボールもあっていい、みたいな優しすぎる感想をおっしゃってました。おそらくその時、鳥山先生はハリウッド製作会社に丸投げだったのかと思いますが^^; ただ、こんなケースは稀で、最近ではハリウッド版ワンピースは、尾田先生がダメと言ったら一から作り直すほど、原作者ありきの製作でした。 やはり、漫画の実写化は、後者のように原作者の意向ありきで進めるべきだと思います。漫画とドラマでは媒体が違う為、表現する形の違いは当然あると思います。漫画のコマ割りではうまく表現できても、ドラマのカット割りだと難しいとか、、それを踏まえた上で、時間をかけてTVスタッフと脚本家と原作者が、納得のいく作品を作るべきだと思います。
・ドラマ、映画業界は漫画界に依存してて、依存してる癖に「選んでやった」と言う上から目線で、そして予想通り数字も良いから、「な?言う事聞いとけば悪いようにはならないだろ?」って調子に乗って、どんどん流れ作業になって来て、1番1番大事な、作家さんへの敬意が確実に薄れて来ていた。作家さんが一人孤独に部屋で寝ないで死ぬ思いで描いた作品である事、何度も何度も推敲重ねて搾り出した台詞、シーンである事、そこをやっぱりテレビ側は忘れてしまっていたんだと思う。絶対認めないだろうけど。
・この記事は、今回の事象の問題点を整理することを目的として書かれたというより、もう誰傷つけないために、まぁ~るく収めるために書かれた記事というようにしか読めない。だから、読んだ人全てが納得できないのであろう。
「原作へのリスペクトが薄い」という問題と「制作現場の揉め事を世間一般に開示してしまった」という問題の二つがある。 前者は原作側と制作側でルールを「原作へのリスペクト」を持って整備していけば良い話である。
後者は今やSNSという媒体を全ての人が持ち得ており、多くの人がそれを目にできることにある。 今回、全てのマスメディアで触れないが全ての人が知っているのがSNSで発信した最初の人物が脚本家側であることということである。脚本家のプライドから発せられたそれが、原作者側(小学館と相談の上)のXに繋がっていることに誰も触れず「原作へのリスペクト」で収めようとしていることが違和感なのだ。
・私はこの作品の漫画が好きです 続刊もすごく待っていて、ただただ悲しい
自殺を選択するほど追い込まれるドラマ化ってなんだろう?と。 そもそも、元ネタを変えたいのであれば そういうのを許諾できる漫画を選ぶべきでは?
あたかも自身には非がないコメントで 「ああ。これが日本の組織なんだな」とがっかりです 誰にも非がないなら、自殺なんて選択はないと思います。 まんまいじめの構図
いじめたほうは 罪の意識も特になく これからも同じことを繰り返すのでしょう
それを繰り返さないためにも! 漫画業界、出版業界、テレビ業界はきちんと検証、基準を設けるべきだと思います
大好きな漫画の続刊が読めなくなったんです 心の中でくらいは日テレや脚本家等々に罵詈雑言許してください
先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます
・友人の弟も漫画家をやっていてアニメや実写化されたけど基本設定以外はほぼオリジナルなモノだった。が、彼は彼の作ったキャラクターがコンテンツの一つとして認知されたのだと喜んでいたが、作品と主人公を編集者と打ち合わせて作り上げている漫画家の人は、その一部であっても改変されることは作品自体を別物にされるのと同じなので伝言ゲームの行き違いなどという言い訳からも打ち合わせなど存在しなかったのでしょう。
・今回の騒動自体は別として、脚本家も決められた時間、予算、キャストの癖などさまざまな制限のなか作る過程で原作にある部分をカットしたり、オリジナルの箇所を足したりするのだと思う。 ただ原作にも譲れない部分もあると思うし、単純に打ち合わせ不足感がある。 そもそも完結してない漫画を原作にするのが難しいと思う、章や何々編のように区切りがあればその区切りでやればいいけど、それでもドラマとしての最終回として終わるわけだから難しいと思う。
・日テレや脚本家、もっと言えば番組Pも「原作に忠実に」と言う約束を遵守していれば原作者さんが修正作業をする必要はなかった筈だし、事実上契約を反故にしていたのと同じだと思う。今回の出来事はリスペクト以前の問題であり名ばかりの実写化と言う二次創作問題が生んだ最大の悲劇だと言う事を忘れてはならないと思う。
・原作リスペクトが薄いことへの批判をしてる割に筆者の方が書かれたストーリー紹介がかなり誤っているのは皮肉ですね。
・朱理は誰とも同棲していない ・結婚に夢を見ているのではなく現実的な生き延びる手段と考えている ・20代の働く女性心理だけでなく、40代女性の心理や男性の生きづらさなど多彩な事柄を繊細に描いた漫画 など
ずさんな事前確認しかされない方のようなので、日本テレビにも脚本家にも非はないと考えられたのではないでしょうか?
・ほかの方のコメントでも言われているが、漫画家やアーティストやミュージシャンなどの「クリエイター」と呼ばれる方々をガッチリ守ってくれる「弁護団」みたいなのが絶対必要だと思う。クリエイターさんたちは日本の宝ですよ。だからこそ、ないがしろにされるようなことはあってはならない。
・「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」という小説を御存知でしょうか。映画「ブレードランナー」の原作です。映画化に際して内容は大幅に変更されています。ですが、原作の骨子となる部分を丁寧に扱い、確実に残しているため小説、映画共に現在でも多くのファンが存在し、愛されています。どうせ改変するなら原作を尊重しつつ、原作ファンを力ずくでねじ伏せるくらいの気持ちでやってほしいです。
・ご冥福をお祈りします この件 最初から原作に沿ったモノにする事 これがドラマ化にする条件だと そう言ったことが流れていますが 本当なら契約違反ですよね?
どうしても無理で改変しなくてはならない場合には 原作者と相談して対応するべきだと思う 何の相談もなく、いきなり違うモノが TVで流れているのを見たら原作者は 黙っている事は出来ないでしょう そして絶望して・・
局も制作も関係者の皆さんも 2度とこの様な悲劇が起きない様に ほうれん草の基本を忘れずに 今後は活動してください
・今はこの記事を扱えばそれなりのコメントや閲覧数が稼げるのでしょうが、ライターさんは本当に作品のさわりだけを流し読みして説明を書かれたのですね。朱里は進吾と同棲なんてしていないし、過去には身体の関係もありましたよ。
ここにコメントをされている方々は、そこは気にならなかったのですね。原作を読んでいない方がコメントをするなという意味ではありませんが、今ネット上でいろいろな批判をされている方々は、ただ批判したいだけの人が大勢いるのかなと感じます。本当に芦原先生の作品を大好きだったら、今はネットで誰かを叩くとか、しないと思います。
・大好きな漫画家さんだったので、ただただショックでした。 最近漫画を実写版ドラマ化が本当に多いなと思います。 テレビ局のドラマ製作班の方たちはどのようにして製作にとりかかるんでしょうか?今回に限らず最近のドラマは作る思いの熱さが全く伝わらない。 製作側でオリジナリティのあるものを作れず漫画や小説に頼るなら、原作者の意見や思いを必ず守らなければならないと思う。 これは完全なドラマ製作側の問題だと感じる。相互の関係がダメなら信頼関係もない訳で、放映すべきではなかったなと思ってしまう。 これではテレビ離れするよね...。 TBSの『VIVAN』は良かったのに残念...。
・最近少し人気のある作品はすぐにアニメ化やドラマ化されますが、原作を忠実に再現されている事もあれば、原作の世界観ぶち壊し、主人公の見せ場や決め台詞丸無視の劣化版もある。 脚本家は自分の思い通りの作品にしたいなら1から自分でお話しを書けば良いと思う。 1からの創作出来ず他人の人気に乗っかるならきちんと原作と原作者に敬意を持ってもらいたい。
・日テレを擁護する訳ではないが、映像化する時は製作サイドと原作者の衝突はよくある。だが原作から外れた事をすれば製作サイドが悪い。 この件で一番やってはいけなかったのは、改変した側の脚本家が原作者が悪いように不満をSNSに投稿した事。 もし芦原さんが反撃して放送終了後でも配信中止を訴えたら配信は出来なくなる。 この脚本家は芦原さんだけで無く日テレや小学館に出演した俳優たちに対しても迷惑を掛けた事を自覚すべき。
・ドラマ化、映画化されると、原作や原作者そっちのけで、俳優や楽曲の紹介ばかり。 過去作品の主題歌など、何かしら話題や人気が出た場合も、ドラマ化されていればその人気のベースを作ったアニメや漫画はそっちのけでドラマの主題歌かのように出してくる。
最近、やたら推しの子のドラマ化を前面に出して来てるけど、漫画、アニメ、主題歌の人気を全部ドラマに挿げ替えるために必死という印象しかない。
・誰も悪く無いみたいに持っていく記事が増えた気がしますが、、、 実写化は原作を忠実に描けば無難なのに何故か別物にして大体コケますよね それでも観る人が沢山いるから商業的には成功なのかもしれませんが、作品としてはどうなんだろう 脚本家は個性(笑)を出したいのでしょうけど、余計なことをしていると気がつかないのがヤバい ヤマトとか進撃とか今思い出しても鳥肌レベルでやばかった 今まであのレベルの実写化を量産してきて何故問題視されなかったのか意味が分からない
・過去に原作(小説・漫画)を実写化やアニメ化することに対して「僕にはこの作品を実写化する自信がありません」と断った監督がいた。 また作品を映像化することが現在の技術では無理と流れたアニメもあった。
本当に原作を読みこんでいれば、それをドラマや映画に落とし込んだ時に再現できるかどうかは判断できるはず。これが作品を理解することであり、リスペクトすることになるだろう。 今のドラマ化や映像化は「売れてるタイトル」を付ければ内容のレベルが低くても売れるだろう・・・というある意味では受け手をバカにした作品が多い。
配役も原作者交えて「この役者さんなら」で決めたならともかく、事務所の思惑やバーター等で「なぜこの役者?」というのも多いのが現実。 その中で原作を大して読んでもいない薄い脚本家が作品を書くとこのような結果となるのは当然だろう。
原作物の作品の出来の悪さは100%製作側の責任である。
・ドラマ制作はもっとオリジナルで勝負すればいいんです。 そもそも漫画とドラマでは尺が違うし制作にかかるお金も違うんだと思います。ドラマ制作者だってクリエイターですし。まるっきり同じことはしたくないのでしょう。一方で人気のある原作があればある程度の視聴者は見込めるので企画が通しやすいのではないのでしょうか。ドラマがヒットしたから原作が売れるということもあるでしょうし。 なので一長一短、結果オーライみたいなことでここまで来てしまった。 そろそろ見直す時期なのだと思います。 原作者が改変が嫌ならきちんと嫌と言える体制づくり。 ドラマ制作側も自分たちのオリジナルで勝負できるような人材育成をしていくべきだと思います。
・多分、問題の本質は番組制作に当たり制作責任者が原作者に対して脚本の作り方(原作に拘らず作る)という従来の慣行を説明せず、また、脚本家に対しても従来の方針で依頼していたので、ある種、勝手に原作を改変された原作者も途中で脚本介入された脚本家も被害者であると思う。その意味で今までいい加減な形で番組制作を行ってきたTV局側の番組制作責任者が一番この問題に対する原因であろう。
・この記事を見て、イタズラなキスを思い出しました。 最初のドラマ化はエッセンスを残しつつも、原作に忠実とは言えない内容
後に台湾でドラマ化、これはほぼ原作通りでした。
その後日本でもオリジナルに近いドラマ化がされたけど、台湾版に敵わない気がしました。 原作者は、この流れとは関係なかったのか作品未完成のまま事故で亡くなりましたが…葛藤あったのかもしれませんね。
・1クォーターで売れるドラマを作るためには水戸黄門してれば楽だからね。 事情は分かるが10年残る良質なコンテンツを目指さず、目先のノルマに毒された制作をしていてはテレビに未来は無いよ。 色んなプラットフォームがあってアーカイブを残しやすい現代だからこそ、テレビナイズしてない作品を制作すべき。
・何度でも言います!! 報道は何が事の発端となったのか詳細を正確に伝えて下さい! 芦原さんはドラマ制作側とのトラブルを世間に訴えたかった訳ではありません。 脚本家がインスタ上で自身に都合のいい誤解が生じる内容を発信したからです。 あげくの果てに複数のお仲間脚本家も話に加わる始末。 芦原さんは仕方なく経緯を説明しただけです。 悪意なく感情的になる事もなくとても冷静に。 脚本家のインスタがなければ経緯を説明する必要はなかった。 そもそも制作側とのトラブルがなければ・・・ そうとも言えますが。 不本意な部分はあったかもしれませんが・・・ 芦原さんは耐えながら必死で可能な限り作品を守り抜いた。 芦原さんとしてはやっと終わった!と安堵した事でしょう。 それがドラマ最終回を迎えた直後に脚本家のインスタです。それさえなければ何も始まらなかった。 経緯を説明する必要はなかった。 こんな事にはならなかった。
・そもそも少女漫画の読者とTVの視聴者ではターゲット層が違うからね。 アニメ化でしかも深夜枠なら原作通りでもいいんだろうけど、ドラマ化となると違ってきてしまっても仕方がない面もあると思うけどね。 TV局だってニッチな層だけをターゲットにしていたんでは視聴率に影響するし、そうなると番組スポンサーを満足させることはできないとなるとまずいことになるからね。 ただそこまで思い入れのある作品ならドラマ化だけはやめるべきだったとしか言いようがないが、それ故に後悔していたんだとしたら可哀想だとしか言いようがないかな…。
・結果的には、原作者の要望をすべて聞き入れて、契約通り、最後の2話の脚本まで書いてもらったのだから、契約上の違反は無いと思われる。途中の脚本が原作者との約束と違ったかもしれないが、最終的には原作者の希望通りの脚本で世に出たのだから。 しかし、亡くなっている以上、プロデューサーと社長が会見して誠意をもって経緯をすべてを話すべきだろう。 原作者によると、諸々の条件は、プロデューサーとしか話していないという。つまりプロデューサーが約束を握りつぶした公算が大きい。 ネットでは脚本家に批判が集まっているが、脚本家はTV局の社員ではないため、権限もなく、プロデューサーからの依頼通りに脚本を書いただけでは。
・テレビ局には番組の分刻みの視聴率が表示されます。テレビドラマの脚本家の目的はいかに視聴者の気を引くか、いかにしてチャンネルを変えさせないかにあります。それによって巨額の金が動くのですから、その技術の高い脚本家が重宝されます。そこには原作者の思いや作品の深いテーマなど、もはや関係ありません。原作を純文学にたとえて言うと純文学を読んだり書いたりするナイーブな感性などテレビ脚本制作にはまったく必要なく、むしろ邪魔だったりする。テレビの脚本家は一応作家という範疇で語られますが私は全く別の職業だと思っています。俗っぽい商業意識で成り立っているのがテレビドラマの世界です。 今回の件、ドラマ制作者達はチームであり芦原さんはたった一人。脚本家やスタッフには原作や原作者に対してリスペクトする気持ちがあったのでしょうか?まるでエンデの『モモ』に出てくる時間泥棒達がモモの命を奪ったように思えてなりません。合掌。
・日テレにも脚本家にも非がなく、「原作軽視の風潮の問題」のようにして一般論にすり替えている気がします。それだけなら多くの訴えがあるように、多くの原作者たちが経験していることであり、必ずしも死を選ぶことではなかったはずです。読み取れるのは、実写化の過程で原作者の提案している条件が守られず、今後の作品展開でのプレッシャーがあったこと、また、そのことがおそらくは日テレ側から脚本家に正確に伝えられず、「原作者のわがまま」のように捉えられてしまったからではないでしょうか。事情も知らなかったことであれば、脚本家もある意味被害者のような気がします。日テレ制作部がかなり動揺したコメントを出していますが、詳細を明らかにして脚本家への非難を食い止めるべきです。一般論へのすり替えでは非難はおさまりません。
・記事の中でストーリーの一部を紹介しているけど、そんなだっけ? 無料公開されてた1~2巻くらいを以前読んだだけだから、その後そういう展開なのかもしれないけど・・・。
主人公の朱里ちゃんは同棲してなかったと思うし(昔を無かったことにして気軽に泊りにくる男友達にモヤってたような)、田中さんが踊ってるのを見たときも田中さんに対してはそんな感じの感想ではなかったような(美しい筋肉を堪能する喜び的な 笑)。
元ネタの扱いが雑すぎという記事で雑に扱われているような気がして気になった。
・脚本家を批判するなと擁護するが、そもそも脚本ありきの原作使い捨ての制作側に問題ありだと思います、この際SNSでのあれやこれやは置いといても、根本的に原作を弄り倒す業界自体に問題がある。 今まで泣き寝入りしてきた原作者たちの声をきちんと聴いた方がいい。 ドラマや実写化、映画化の段階で大きな組織立って動くときに、個人である原作者の意向や声など無視したきたツケが回ったんですよ。 基本、原作通りに忠実にやるのが原則だと思います。
・芦原先生の消される前のポスト見ました。 脚本家と監督には一切会っていない。ドラマ制作スタッフとの窓口はプロデューサーのみだったと。 このプロデューサーはちゃんと芦原先生の話を制作班に橋渡ししていたのでしょうか。日テレの聞き取りにはどのように回答したのでしょうか。 プロデューサー含め日テレ上層部の会見は必須だと思うのですが。 まだ連載が完結していないにもかかわらず筆を折らせ、自死という状況に追い込んでしまったのですから。
視聴者や原作ファン、小学館も真相を知りたいと思っているはず。
先生は小学館の担当編集さんをとても信頼されていたそうです。 おそらくこの件で一番心を痛めてしまわれていると思います。
創作物を実写化するにあたって、二度と!二度とこのような事がないようにしてほしい。
ただのいちマンガファンです。
・原作者の突然の死という最悪の結果を迎えてしまったこの一件。
原作漫画のTVドラマ化というプロセスの間にどのような問題や齟齬があったのか。
原作者に聞く術はもう無いが、もう一方の当事者である日テレと小学館には、この一件の経緯と問題や課題を突き止め、再発防止策を講じる責任があるのでは無いか。うやむやには出来ないはずだ。
・この記事を書いた方は原作者の方の投稿のうち、実際にトラブルになった経緯の部分だけ引用し、何故かその前段階のドラマ化スタートの時点で原作を改編しないなどの取り決めがあったことに触れていません。 テレビ局側がその取り決めをまるで無視して改編しまくったことがトラブルの原因なのに、何故テレビ局側制作側に非が無いのでしょうか? テレビ局に非が無いと言うためにわざと重要な事前の取り決めがあったことを無視しているとしか思えません。
・マスコミを利用したりする、宣伝好きな漫画家もいるが、多分、原作者はそうではなく、目立つのは好きではなく、良い作品を生み出すべく製作に徹した職人タイプという気はする。局側とのやりとりは彼女には非常にストレスとなり、残念ながら作品未完で自死を選ぶくらいだから、精神的に追い込まれヘトヘトになった可能性は高い。自身で慣れない脚本を書いて、結果に納得出来ず残念な気持ちがあったのに、そこに会ったこともない脚本家の非難気味な発信があり、さらに心の傷跡を広げてしまった可能性が高い。仕方なく何とか丁寧に説明しようとした。非難するつもりでなく、ただ本当のことを知って欲しかっただけだったが、マスコミが取り上げ世間の話題になり、かえって騒ぎの責任を痛感してしまったか。残念としか言いようがない
・未完の作品を面白おかしく好き勝手に変える事は失礼極まりない事だと思います。そんなドラマを作りたいならオリジナルストーリーを作れば良い事。人のストーリーの着眼点を横取りしといて、0からいろんな事を調べて作品を作っている作者に敬意がなさ過ぎると思います。
・どこかに非がある訳ではないと言いたいのだろうが原作者の方が亡くなっている訳なのでどこかに問題があったのは事実かと。犯人探しや誹謗中傷がいけませんがこんな誰も悪くないリスペクトしろ…だけの中途半端な記事では炎上がさらに進むだけではないでしょうか。自ら命を絶つって生きてる人間が簡単に推し量れないものだと思いますがね。 編集者の経験があるなら制作するに当たってどこに原作者との齟齬があったのか、どのようなコミュニケーションの取り方をしてたのかなど掘り下げる事を期待する記事なら良かったのに。
・脚本家は言われるほど悪くないと思う、プロデューサーや間に入った人が問題。
脚本家の仕事は発注者・依頼主要望を汲んで予算や納期を守り、利益を出せる物を作る事だと思う。
今回の発注者は多分ですけど局だったり、プロデューサー。
脚本家への依頼の中で「原作に忠実に」のウェイトが軽くなればそういう物が仕上がるし、依頼通りに仕上げた仕事にケチがつけば面白くないのは当然。
間に入る人たちが確認をする気が無かったか、少なくとも問題無いと思う脚本になっていないと原作者チェックまでいかないと思うので、問題は間の人たちじゃないかなと。
・漫画の連載中なのにしんどい改稿作業を行い、慣れない脚本も書き上げたというのに、脚本家からの心無い誹謗中傷に近いSNSでのコメントやそのお友達による同意の批難を浴びて、それまでの経緯を説明されたのですが、その点が抜けている・あえて抜いている記事が多すぎる。 閲覧制限やDM上などお友達同士のグチとしてではなく全世界に公開している段階で、先生だって見てしまう可能性があるのに、あれを悪意のないコメントと思えるのであれば、日本語の読解力が足りていないとしか思えません。 制作陣の個人には非が無いと言われますが、あのSNSの文章やコメントのやりとり、読んだ後も同様の記事を書かれるのかと問いたい。
・そもそも原作者には同一性保持権という法律上の権利がある。原作者が許諾しないものをテレビ局や脚本家と言われる人が勝手に変えるのは違法行為だ。著作物によってビジネスしているメディア、脚本家、文筆家、ジャーナリストがその大原則を守らないとしたら天に唾する行為と知るべき。
また、件の脚本家やその擁護をした人たち。言葉で仕事してるんだから、自分の言葉に責任持ってください。表現の自由には常にその表現に対する責任が伴うんですよ。
・原作者の中には原作どおりにって作者も居るだろうし、好きにやって良いよって作者も居れば、メディア化してくれるなら改編もやむなしだって作者も居るだろうね。
その意図を組んで契約書に記載することが大事なんじゃないのかね。
・原作者である芦原先生の精神的な戦いを想いながら、経緯をひとつひとつ追っていくとじわじわとモラハラを受けて追い詰められている状況のように感じる。
約束をしたが反故にされる、幾度となく正すがそれも上滑りして疲弊していく、連載が続いているのでドラマの最終話に影響のないようにしたいがそれが理解されない、結局連載を抱えながら慣れない脚本まで孤独に抱え込むしかなくなる、そしてそれらをまるでめんどくさい人間のように業界の人間からsnsで曖昧に書かれる。そして自身が大切にしていること、約束があったこと、それらが反故にされてきたことをネットで書かざるを得なかったこと。そしてそれを書いたことでなんらかの精神的な追い込まれ方をしたこと。
原作は自己肯定感の低い女性の生きにくさと、だからこそ気がつく繊細さと王道の恋愛ものではないリアルさを書きたかったという。
まさに今日本が抱えている問題じゃないか。
・非がないってのは無理筋の擁護じゃないですかね 芦原先生側の発表だけではありますが、原作者の意向に添えずに制作を進めてしまったのは明らかです 先生が自殺を選んだ本当の理由はわかりませんが、騒動が大きくなりすぎた、自身の大事な作品の評価が貶められた、自身が脚本した最終2話の評判が芳しくなかった等が理由なら、原因を作った日テレ、ドラマ制作陣、小学館にも大なり小なり非があるのでは 勿論コミュニケーションの問題だから、先生の伝え方も至らない点があったのかもしれないけども
とにかく人が一人死んでしまった 責任のなすりつけ合いだけはやめて欲しいです 二度とこういう事が起こらないよう業界の構造を変えてほしいと切に願います
・今後は原作者は弁護士を交えて契約しないといけませんね。仲間内の方々は誰も非がないみたいな言い方でお茶を濁しておしまいのようです。 脚本家で自分の好きに物語を作りたいなら原作もやればいいんだよ。 それかもう著作権の存在しない古い物語を題材にすればいいんだよ。 原作クラッシャーなんて言われてることに少しは何かを感じてほしいね。
・当初の取り決めから逸脱していたからこそ、本人が口を出したり脚本を書かざるを得なかったのでは? 制作側は、このままては視聴率は取れないから原作をイジったんだろう。 それを原作者が軽視、改悪と捉えて書き直した。 制作側は今までこういうことをやって来たから同じ手法で繰り返しても問題ないと判断した。 出版社、担当者なら原作者の思いを1番わかっていると思うが守れないほどのパワーバランスなの? イメージだが制作側は取り上げることで販売増加に繋げてやっているという驕りはなかったのか? こういう時、自局の報道は機能しない。 だから報道じゃない。
・この方本当にことの次第をわかっているのだろうか?芦原さんがいろいろ発言したことだけを書いているがその前に脚本家がXで発言したのが発端なんだが…どの記事もそのことがなかったことになっていて一方的に原作者が自分の原作が変えられたことに対して文句を言っている…ということだけを強調している。
・この筆者は本当に非がないとは思っていなくても、それを一様に批判するネットの意見に同意しかねているからこういう書き方になったのかなと思う。
脚本家やプロデューサーなどドラマの製作に携わった人が発した言葉(X含む)も、その裏にどういった経緯があったかはわからないまま、それを非難しているのはどうなのか、一度立ち止まって話をする必要があると思う。
それぞれの立場の人がそれぞれ真面目にとりくんで良いものを作ろうとしても、お互いに相容れないことはあるだろうし、つまりこの悲しい出来事が誰かの悪意や手抜きや他への軽視から起きたとは言い切れないまま、こんどは脚本家等への非難に集中していて、その人がさらにそういったことが起きたとしたら、今度は誰のせいだと責め立てるのだろう?
・何を言った所で原作者さんは戻りません。世論は今脚本家さんの言葉を待ってるわけだよね。 仕事として互いの主張は有るのは当たり前ですがプロとして先に発信したその行為はどうだったかを説明出来るならする。そして多分ですが人間の心を持っているなら今脚本家も苦しいと思います。自分の何気ないイライラを世に吐き出したが為に1人の大事な人生が終わったキッカケになった事を後悔はしていると信じています。 そこは素直に自分がしてしまった事に対しての誠意を見せ。そして誠意が見えた時には世論は脚本家と同じ事をしない事が大切では無いかと思います。 誠意で原作者さんは帰ってくる訳では無いです。でも攻撃したかった訳では無いとの言葉を世論の皆さんも汲み取らなければ原作者さんが可哀想すぎます。私は漫画が大好きです。素晴らしい漫画をいつもありがとうございました。
・今回、不満を最初に公にしたのは脚本家です。原作者は経緯を説明したに過ぎません。飲み込んで大人の対応をされようとしたのに、先方が理不尽なやり方をしました。 何故原作を蔑ろにするような件が、同じプロデューサーの元で起こるのか。
大好きな作品の「おせん」が日テレで映像化された際、あまりの原作の世界観無視に作者のきくち正太先生は連載執筆をやめてしまわれました。しばらくしてから別タイトルに変更して再開されましたが、、、。 「おせん」の主演はタレント山里さんの奥様、蒼井さんです。原作者は出演者には感謝していました。 当たり前ですが配信も再放送もありません。誰にとっても辛い出来事になってしまったのではないでしょうか?
0から1を生み出した方の意向に沿った作品作りをお願いします。安易な便乗で踏み躙らないで欲しいです。「真っ当」であって欲しいとの願いは届きませんが?
・ドラマ制作者側に『漫画を実写化して連ドラにして更に知名度上げてやるんだから』そういう傲慢な感じが根底にあるように見える。原作者の芦原先生の当初の希望「必ず漫画に忠実にする」という約束が守られず、「毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました」(芦原先生の削除されたX) 何故そのようなことが起こるのか?そんなに脚本家や監督がオリジナリティ出したいのなら、漫画原作に頼らないで、0から自分で脚本書いて作ればいい。設定やストーリーのアイデア頂いて『後は好きにやりまーす!』は絶対ない。原作者が命削って描いたものを全く違う作品にさせられたら、やりきれない思いになるのは至極当然。 脚本家の相原氏が不満をSNSに上げ余程ご立腹のようでしたが、芦原先生のドラマ化するにあたっての条件をしっかり認知していたのか非常に疑問です。
・>先ほどの話に戻せば、脚本家や日テレはきちんとルールを守り、契約通りに行動していたのだろう。
であれば、そもそも揉める要因がありません。 いろんな記事に目を通した範囲では、原作者と現場スタッフとの直接の対話がなかった様ですし、ドラマ化にあたっての条件が共有されていたのかも怪しいと思えます。 双方の窓口として介在している日本テレビ、小学館の対応には責任があると考えられますし、企業として真相・原因の究明と改善策の公表は必要なのではないかと思います。 でなければ、今後の同様の案件で同じ事が繰り返されてしまうのではないか、という不安が残ります。
・この元編集長という方の記事、日本テレビと脚本家に非はないという一文に目を疑ってしまいました。 もちろん誰か1人にヘイトをぶつけて追い込む構図が正しいと言っているのではなく、業界の歪な構造を明らかにし、ゼロから物語を作る原作作家の意向を汲むという当然の権利が守られるよう、業界の自浄作用を働かせて欲しいと思います。 法的に有効な契約書の作成、エージェントや弁護士を通じたやりとりなど、一般企業の慣習では当たり前の事などは出来るのでは?
それとこの記事を書いた方、セクシー田中さんのお話をよくご存知ないようです。 20代女性だけの話ではなく、同軸で40代の田中さんの人生も描くから幅広く支持されていますよね?それと朱里は同棲していないですし名前の漢字も間違い。雑です。 どこかからつまんできたようなあらすじに謎の業界擁護発言、別の意図のある記事なのかなと勘ぐります。読む方も気をつけたいと思います。
・>>脚本家や日テレに非はない 事実説明には違和感はないが、繰り返されるこの言葉が上滑りしている。 ことの発端は、脚本家がSNSで原作者を攻撃し、それに同調した取り巻きも現れたことだ。うねりが大きくなってからはあっという間に脚本家への批判が圧倒的多数となり、ツイッターでも「原作クラッシャー」がトレンド入りしたが、先に拳をふり上げたのは脚本家の相沢友子だ。原作者が長文で事情を説明したのも、この事態を受けてのことだと思う。 無から物語を作り出した原作者、その看板を借りて仕事をしている脚本家のはずなのに、相沢友子はあきらかに原作者を「自分よりも下の存在」としてないがしろにしている。
・結局この記事も芦原先生が説明せざるを得なくなった経緯について書かない。不公平。
先生は原作に忠実に作ること、最終回に向けてのあらすじや台詞は先生が用意することを条件としてドラマ化を許可しました。しかしそれが一切守られなかった。そこで仕方なく先生自ら脚本を書くことになった。 それなのに、脚本家の人が「最終回は自分が担当した脚本ではありません、苦い経験を次に活かしたい。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように(要約)」という明らかに原作者側に非があると言いたげな投稿を行い、「あり得ないと思っています。どんな経緯があろうとです。」「脚本が素人に変更されていたなんて初めて知って驚きました。」「私も物書きの1人として尊厳を傷つけられたお気持ち、お察しします。」などのコメントにいいねをつけていた。 この経緯が書かれていなければ芦原先生が我儘を言った挙句自殺したように見えるじゃないですか。
・人気漫画『推しの子』の中でも漫画原作の実写ドラマで作者やスタッフが愕然とするほどつまらない作品にされてスタッフが怒ってたシーンがあったよな。 実写にして大成功の漫画の方が少ないくらいじゃないかな。 のだめカンタービレとかJINなんかは面白かったけど。 鬼滅の刃がアニメ化される時でさえ、フジテレビが関わると不安がるファンもいたくらいで、原作が変えられちゃう不安を持たれているのは今回みたいなことがテレビ局が関わることで多発してきたという事だろう。 そもそも論で言えば原作が面白くて評判が良いからアニメ化、実写化されることになったはずなのに内容をテレビ局側が作者の意に反して変えちゃうなんて言うのはあり得ない話だ。 どう考えても今回は日テレと脚本家側が悪いと言わざるを得ないと思う。
・テレビ局は契約守ってるようにとても思えないのですが…。芹原先生がSNS含め休むべきだったのは同意しますが、脚本家のインスタグラムの内容にも触れないのは片寄った報道です。 だからといって吊し上げのようにプロデューサーや脚本家だけに記者会見させるのも違う。日テレのトップが会見し、組織として第三者による検証、報告をすべき。
・結構実写化は原作レ〇プとか掲示板でいわれるレベルのものがよくある。 銀魂とかみたいにうまくいったのもあるけどどこまで原作理解しているかが大事なんだろうか。あくまで他人の作品を借りているという自覚がない限り今後も続くと思う。
・>>最初のコンテンツをつくった人によりリスペクトが集まってほしい
これは漫画家のみならず全てのクリエイターの願いだ。 一方で日本ではず〜っと知名度神話が異常に強く、何よりも知名度を重んじる。地上波のプライムタイムで流れることがその最上位となっていて、その弊害でリスペクトがTVにより近い側にばかり向いてしまう。一方で知名度が絶対化して権力になってしまい、松本氏の性加害疑惑のようなことが起こってしまう。
とある方が言っていたが、アメリカのエンタメ業界もかつてはそうだった。ただある時期に訴訟が相次いだために改善し、欧州などもそれに追従した。自分はエンタメ関係で中国企業とも個人で取引しているが、実は中国での取引スタイルは欧米に近く、知名度に依存しないランク制だ。仕事の質が高いと判断されたら知名度に関わらず「その仕事から」報酬がポンポン上がる。日本は実は中国よりもはるかに遅れている。
・まず最初に脚本家が原作者を批判する様なコメント出したのがキッカケなんですけどね。 おそらくそれが無ければ原作者が精神的に疲弊するのが明らかな経緯説明はしなかったでしょう。 それをどこのマスコミも無視してますよね。 脚本家が削除してるからですかね。 原作者やクリエイターへのリスペクトが無いのは同感です。 そのせいで漫画やアニメの実写化は惨憺たるありさまです。
・この文面を見て、だから日本は特に映画業界なのでもアニメが躍進を進めて、実写が衰退してきているんだろうと感じだ。
漫画を原作とした場合、特に人気のあるアニメは、原作に対してのリスペクトを感じたり、中には原作では書ききれなかった部分を補足したりと、新たなファンを作ることができている。
実写化については、実現が難しいことも多数あるけど、短い時間に詰め込んで、さらにトレンドを組み込もうとするもんだから、余計に原作との乖離を感じてしまう。
・エージェントの必要性を感じる 作品作りが本業の作家本人が交渉する構造がまず変 二人三脚で版権管理するプロが必要 プロダクション制にしている作家は一握りだけど、海外展開も増えている以上、その部分は需要があると思う
・加筆修正によって7話までどうにか原作通り 8話以降はオリジナルストーリーで9,10話の脚本執筆
これだけ見ると、まったく構成にタッチできず、改変され放送されてしまったのならいざしらず、放送された内容は紆余曲折あれど原作者の希望どおりのように思えるんだけど。
・日本テレビや脚本家にも非がなくても、作者に対する道義や筋はちゃんと通さないと駄目だろ。 報道では作者との約束も守らなかったらしいし、非がなければ何をやってもいいわけでもない。 漫画はイメージやシナリオも大事だと思う。 それを全て視聴率の為に壊そうとしておいて、悪気がなかったと言って通じるわけがない。 視聴率はTV局にとっては大事かもしれないが、原作者にとってはそれほどでもないだろうし。
TV化するとつまらなくなる漫画があるから、気に入った漫画はTVではみない。 TVはあまり見ないけど、結構好きだった「いいひと」もドラマはつまらなかったしね。
・ネットスラングでこのような映像側の原作軽視の行いを「原作レイプ」と言われるが、原作者にとっては正にそれぐらいの屈辱だろう。 漫画家出身の国会議員の方が提言されていたが、原作者の地位や権利、待遇を守る第三者委員会的な団体を設立した方が良いと思う。
・「原作へのリスペクトが薄い」のがダメと言っているのに、原作へのリスペクトが薄かった日テレや脚本家に非がないと言うのは変な話だなあと感じる。 特に脚本家の方は、公の場として認知されているSNS上で個人的に芦原さん個人を口撃してしまっているので、芦原さんの親族の方々から裁判を起こされても仕方がない流れまである。 作品を受け取る私たち側からすれば、繊細な心を持つ一人の作家さんがこのような選択をしなくてはならなかった事がただただ悲しいのだ。 原作へのリスペクト云々ではなく、芦原さんの気持ちを想像しようとする意識や、芦原さん個人への関心を関わる人たちがもっと持たなければ、今回の事が単なるレアケースとして忘れられてしまうのではないかと思う。
・日本は能力ではなく性格で上下関係がきまるよね。 例えば理系だってノーベル賞を取ってもボーナスが数万程度だったりする。 企業が何千億も稼いでもね。 IT業界もそうだし、他の職人系の仕事もそう。
今回の事件は漫画の実写化だけではなく日本全国で日常的に行われている問題。
・最近のドラマなんて殆ど人気漫画が元ネタ。つまりテレビと脚本家の手抜き・実力不足ってことだと思います。それなのに、漫画をテレビ用に都合よく変えようとする。そんな「コンビニドラマ」みたいなのばかりになったのが、テレビがつまらなくなった要因の一つだと思っています。
・TV局や脚本家には原作に対するリスペクトがないんですよ。 脚本家は原作のままだと無能で必要ないと思われるから必死に変化を加えようとするんでしょうね。 TV局は視聴率さえ取れれば内容なんてどうでもいいですから… 過去にも原作者とのトラブルが絶えないのに改善されてないのが証拠ですよ。 某野球の話は主人公が犯罪者になっていて、 モデルになった先生には「あんた無免許だったの?」との問い合わせが多かったと聞きます。 韓流ドラマのようにドラマチックにしたいのかも知れませんが原作者の意向を無視して変えるのはいかがなものですかね。 だったらオリジナルで作れよって話です。
・日テレサイドも脚本家サイドも、「自分達は悪くない」と言う体ですが、その感覚がそもそもおかしい。 人様のアイデアを借りてお金稼ごうとしていて、原作者が忠実にね、と約束したことも守らず… 作者を守るべき小学館も、コナンと言うキラーコンテンツの為か、日テレサイドに何も言わないと言う感じ。 何かあればネット民のせいにしてますが、自分達だって責任がない訳じゃないでしょう。 そもそもネットは原作者さん寄りが大多数でしたから、原作者さん支持の人が脚本家のインスタとかに突撃したのかと思っていた位です。 Xもインスタもやらないから実際はわかりませんけど。 日テレ、脚本家、小学館は 「原作者の意向を無視した結果になり、責任の一端は感じております」位言うかと思ったらダンマリて。
・原作者の意思とは違うものを条件に反して作っていたのなら盗作ではないのか?脚本家は自身のSNSで原作者を素人やワガママと言って他の脚本家と共に笑っていたのが本当なら、それを見た原作者が傷付く気持ちも分かる。大切な自分の子供(作品)を雑に扱われたら誰でも嫌だと思う。
・>契約した上で行われたことなのだから、今回の件が誰の責任ということはない
ここ、大間違い 「口約束でも約束です」と誰かが言ったように、民法上でも守られなければならない線である「原作に忠実に」という部分 これを守らなかった時点で、テレビ局側に重大な過失があるとしか言えない
最初の脚本家がつぶやいた内容から想像すると、脚本家側にも都合の良いことを言ってたんじゃないかって気もする
・そもそも漫画原作の作品を実写化する必要なんてないと思う。
どうしてもTVで流したいなら、アニメ化したらいいんと違う? 原作漫画は世界観もストーリーも登場人物も、全てその作品で完成されてる。 その作品に原作者以外の人間が手を加えて創り変えるんだから違和感が生まれても仕方ない。
誰が悪かった、あれが良くなかったとか判らないけど、TVの人達が人の褌で相撲とって楽した結果がこれでしょ。 惜しい才能を失ったんじゃないの?
・時系列にそっての説明にされた方が誤解を与えないと思いますよ。 作者が経緯を記されたのは先にXで発言された内容に対する説明の ために出されたものであり、問題にされる意思はなかったと思われます。
・今回の件は考えられる限り最悪の結果になってしまった。 芦原さんはただただ、自分の作品を守りたいと思っただけなのに。 稀有な才能がこの世から失われもう2度と戻らない。 これは取り返しがつかない。 人が一人命を絶ったと言うのに当事者のテレビ局も出版社も 通り一遍のお悔やみだけ。 ありえない。人が一人死んでいるのに。 なぜ調査検証しないのか? 原作者の承認もなくなぜ陳腐に改変したのか? 改変した理由ななんなのか? 誰が指示したのか? 日本テレビは今後も同じことを繰り返すつもりなのか? これはテレビ局に殺されたようなものだ。 0から1以上を創造する。 無から有を生み出す。 なにもないところに新たな宇宙を創造する。 それはたいへんなことなのに。 雇われ脚本家の代わりはたくさんいるだろうが、 芦原さんの代わりは誰もいないのだから。 唯一無二の存在が失われた。 だれも責任をとらないつもりなのか!
・SNSで誹謗中傷する者達の責任は完全に抜け落ちとんのな。 作品に携わるもんの思わず心情を吐露した内容は関係者間で解決すれば宜し。 それを外野が騒いで当事者達を追い詰め傷つけて謝罪に至らせ、数日後にはダムで見つかるてゆう。 それでも外野は反省もせんと生き残った者達に刃を向け始める。 どこまで行っても責任を外に探して責め続けて内省もできんもんが一番責任あると思うけどな。
・キャスティングも微妙だし、あらすじやセリフ、キャラ設定まで変えてしまうなら、タイトル「セクシー中村さん」にでもして、作者了解のもと原作漫画とは別のパラレルワールド的なキャラ設定とストーリーにすれば良いのにね。
・芦原先生は、砂時計という漫画も、TBSでドラマ化されたので、同様な対応を願ってたのでは、ないでしょうか?
幼少期→大人へと丁寧なドラマと感じました。
漫画設定だけを頂きたいと、交渉してたらどうだったのでしょう?
ゼロから、物語を作り上げた作者への敬意を足蹴にして、砂をかけて、悪口を言い。 日テレや作家が、そんなつもりなかったと、今更言うのは、気持ち悪い…
テルマエロでは、100万しか映画化決定して貰えたと、作者さんが話してた。
フジも海猿で、原作者さんと揉めてた。 TBSは、のだめカンタービレが作者さんの許可が無くなり、フジが意向をくんだので、映像化できた。
原作壊して、映像化しても話題になってない作品は、近年多くある…
タレントありきで、原作壊して、そこまで楽したいのだろか?
壊す人は、大喜利でもしてるんでしょうか?
出版社も原作者さんを守らないのかしら…
・加筆修正するのにも労力がかかったと思う 原稿見てうんざりして、書き直ししなきゃいけない 書き直しにかかった時間がお金になることもないだろうし
この件を経て、ドラマにしない漫画家さんが増えるだろうな
・誰にも非が無いと言うならなぜ原作者さんは死を選ばなければならなかったのか? 繊細すぎて、思い込みが激しくて勘違いして死を選んだというのか?
明らかに途中まで書いてた脚本家のコメントを見て思い詰められたのだと思うけど。 この脚本家さん、設定変えるのは当たり前、キャラ変、性別変更バンバンする人ですよね。 そこに何処からどんな指示や圧力があるのかは知りませんがまたやってるよって有名な方ですよね。 それで原作者からダメ出し食らったら、『苦い経験』って、今まで無かったんですかねこんなトラブル。
・脚本家って向田邦子や山田太一のようなオリジナルでも勝負できる作家でも一流の人だと思ってた。それが原作者を蔑ろにして原作を滅茶苦茶にしてインスタで業界人気取り。後世に残る作品を命を削って作ってたのは芦原さんでしょう。他人の褌で相撲取って飯の種にしてた人は雲隠れして卑怯だと思う。
・契約や約束ごとを守れてないのに非がないとはいかがなものかと それならあそこまで芦原さんは苦しまないと思いますよ 非があるから苦しんだり都合よく解釈された脚本家の投稿に対して芦原さんが真実を述べるに至ったことは子どもでもわかります
・今回の件は制作側が原作者との契約を無視していたのがそもそもの原因なんだから誰も悪くない論は通用しない。 契約を無視して原作者が亡くなっても逃げてるだけで何の責任も取っていない制作側を許せるわけがないでしょ。
・テレビと原作は別物ですと言って原作に戻ってきてくれるのを良しとしてくれる原作者と原作の世界観を崩されたくない原作者もいるということですかね。テレビの事はテレビスタッフに任せるとした方が、上手くいくかもしれません。例:聖闘士星矢 やエヴァンゲリオンなど。
・インスタで丁寧な言い回しではあるが、ネチネチ嫌味と自分が被害者アピールしていた脚本家には罪はないと? あんなに嫌味な書き方が出来るってことは、作者さんにも言葉や態度で上手に攻撃してたのでは。流石脚本家さん。言葉のプロフェッショナル。すげーイヤな大人。
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