( 134903 )  2024/02/02 00:11:33  
00

朝市今も焦げたにおい「お願い忘れないで」 地震1カ月、各地で追悼

朝日新聞デジタル 2/1(木) 18:35 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/1649f48b6e05c5179a559fe3cdd635b7edb567f1

 

( 134904 )  2024/02/02 00:11:33  
00

2024年2月1日、石川県の能登地方で元日に起きた地震と津波の被害が1カ月経った。

70代の女性が息子の罹災証明手続きのために訪れた被災地で涙を流し、地震で被災した街並みの様子に心を痛めた。

被災地では多くの人が犠牲者を悼み、焦げたにおいが残る輪島朝市や家族の喪失を嘆く住民たちの姿があった。

(要約)

( 134906 )  2024/02/02 00:11:33  
00

地震と津波で壊滅的な被害を受けた街並みを見て涙を流す70代女性。息子の自宅の罹災(りさい)証明手続きをする関係で訪れたといい、変わり果てた街並みを前に「こんななっちゃって、ひどいね……」と声を詰まらせ立ち尽くした=2024年2月1日午前11時9分、石川県珠洲市宝立町鵜飼、田辺拓也撮影 

 

 元日に石川県能登地方を襲った、能登半島地震の発生から1カ月が経った。1日、石川県の被災地では、多くの人が犠牲者を悼んだ。 

 

【写真】崩れた家から救出の6歳「自衛隊のお姉さん」からもらった手紙は宝物 

 

 大規模火災のあった輪島市の「輪島朝市」では、今も焦げたにおいが残っていた。 

 

 朝市に住まいがあった惣領(そうりょう)和彦さん(53)は、焼け落ちた自宅跡を毎日訪れている。母親と仲の良かった隣の家の女性が亡くなった。 

 

 「1カ月が経つけど、何も変わってない。いろいろなニュースがあるから、みんなに忘れられるんじゃないかなと。お願い、忘れないで」 

 

 発生時刻の午後4時10分。組合関係者や商店主らが「輪島朝市」に向けて手を合わせた。 

 

 激しい揺れと津波で大きな被害を受けた、珠洲市宝立町の鵜飼(うかい)地区。 

 

 避難所となっている宝立小中学校では、地震発生時刻に合わせ住民らが黙禱(もくとう)した。避難する宮口翼さん(10)は「亡くなった人に、今までありがとうと気持ちを込めた」と話した。 

 

 同地区の、倒壊した住宅の前で手を合わせていた女性は、地震でおじと帰省中のいとこを亡くした。 

 

 「父親のような存在だった。自分だけ助かってしまい、ごめんなさい」と話した。 

 

朝日新聞社 

 

 

( 134905 )  2024/02/02 00:11:33  
00

被災地についての感想や懸念が見受けられるコメントの中には、被災地の現状や被災者への思いやりを表すものが多く確認できました。

また、被災地への支援や復興に対する意欲や取り組み方についての意見も見られます。

中には政府や地元自治体に不満を表明するコメントもみられ、被災地の復興に向けた政策を考える上での慎重な議論も求められているようです。

(まとめ)

( 134907 )  2024/02/02 00:11:33  
00

・直接被害を受けていない立場としての感想はあるものの、これほど大きな災害の当事者にしかわかり得ない苦しみというのはあると思う。だから私には、現地の方々にどう言葉をかけたらいいのかわからない。何かを口にした瞬間に、なんだかその言葉が虚しく響いてしまいそうで怖い。 

 

今は1日も早い復興を願い、現地で救援活動をしてくれる人に感謝し、自分の毎日を恙無く回すことだけだ。そして今後起こり得る災害に対して備え、能登の震災体験を必ず活かすということを考えていきたい。 

 

長いこと、能登半島は行きたい場所の一つだ。輪島塗りもずっと憧れ。 

大好きな調味料の「いしる」は、私のキッチンに欠かせない。 

復興が少しずつ叶ったなら、いずれ必ず旅行しようと思います。 

 

 

・被災地域を覆う悲しみと喪失感は中々拭えるものではないと思う。だが何時までも塞ぎ込んでばかりはいられない、そのような思いが交差しているのではないか。心に傷を負った人も多いのではないか。 

頭ではわかっているが心が追いつかない。被災地域の人々の心中は察するに余りあるものがある。 

残された人たちの心の慟哭は犠牲になった人たちにもきっと届いているはずだ。絶対にそうだと思いたい。 

 

 

・阪神淡路大震災、東日本大震災、新潟中越地震、北海道胆振東部地震、熊本地震、雲仙普賢岳大火砕流、台風、豪雨‥‥ 

 

そして石川能登地震。もっと悲惨な事故、災害もあったでしょう。ですがその度に国民は立ち上がり、復興して来ました。復興半ばな被災地もお有りでしょう。それでも前を向いて、踏ん張っています。そんな被災地の皆さんの事を決して忘れることなんてありません。 

 

忘れないことが、復興の手助けだと思って。 

 

 

・被災した人に何か求めるのは酷だけど、被災していない人は、記憶ではなく仕組みで再発防止を考えた方が良い。 

 

復興の形もそう。 

被災者に寄り添い過ぎると、福島のように元に戻す事に莫大な金を費やす事になるけど、将来の負債を作り込んでいるだけとも言える。 

 

被災していない人は、今だけではなく未来を見据えた支援、復興を考えていく事が、巡り巡って被災地の将来に繋がるんだと思う。 

 

 

・正直言って、1ヶ月の経過を未だに実感できない。どこかで「これは夢だ」と思い込みたい自分がいるからだろう。 

 

帰省中に地震が発生した。すぐに避難し人的被害はなく、物的被害も軽微で済んだ。だが、実家の近隣地域では土砂の崩落と津波被害が発生。自宅も被害を免れたが、車で5〜10分も移動すれば倒壊家屋や割れた道があり、災禍の爪痕を真近に見る日々は続いている。 

 

私の住む市では被害の大小の差が著しく、同じ市内でも被害がなかった方々が日常を取り戻しているのに、まだ日常を取り戻すための前段階にさえ立てない方々もいる。そうした方々は今まだ災害の真っ只中なのだ。それを肌で感じる日々はまだ続く。 

 

この記憶は絶対に風化させてはならない。 

 

 

・自分が助かったことを恥じる必要も、悔いる必要も無いと思います。 

あの地震と津波から生還した人には、被災地のこれからを支えていく役割があります。 

ただ、決して急ぐ必要はありません。 

それぞれの、気持ちに合わせた速度で向き合ってください。 

全国の、世界の皆さんが助けてくれます。 

決して、一人ではありません。 

私は、東日本大震災で、そのことを痛感しました。 

 

 

・震災の記憶として、多くの日本中の方々は忘れないことでしょう。(支援の継続を忘れないようにしないといけませんね。) 

しかし、人は2度死ぬと例えられるように、死んだ後に忘れられることによる最期があるので、追悼記念碑や記録、語り部などの工夫がなされると良いかと思います。(親族が犠牲者となった遺族は、思い出すだけで鬱になるPTSD(心的外傷)状態となる方もいれば、語り部として長く活動される方もおられるなど、反応が様々なので深くも慎重な配慮が必要ですね。) 

 

 

・今回の地震で助かった皆さんは亡くなられた、被災された 

方々に対して何も恥じ入る様なことは全く必要ない。 

幸いにも生き残った方々は救助、復興に尽力された 

周囲の皆さんに感謝しつつ、これからの人生を(この大きな 

悲しみを忘れずに)力強く歩んで行って頂きたい。 

 

皆さんのそういう姿が被災地以外の人々にも、逆に大きな 

励ましとなる事と思われ、この大きな悲しみを忘れる事なく 

語り継いでいって頂きたい。 

 

阪神淡路大震災の被災者として、今生かされた自分に感謝し 

支援を頂いた数多くの皆さんに感謝し乍ら日々を過ごしております。 

 

 

・テレビで見るたび、全く変化のないがれきの山の大地が広がっています。 

忘れないように、それでも復興を少しでも感じられるように日々報道し続けることも大事なんでしょう。 

 

必死に復興をするため、現在の状況を改善するために多くの方が従事されていますよね。自分達で住む場所を確保している人もいますね。 

皆本当にがんばっていると感じます。 

私たちに出来ることは義援金を贈る、募金をするくらいしかないかもしれません。 

そしてもちろん忘れるなんてとんでもないです。 

未だに断水しているところも電気が通っていないところもあり、その大変さは計り知れないです。 

毎日能登方面の情報は必ず見るようにしています。 

 

 

・多くの人の色々な思いがそこにあるのだと思います。 

辛いですが、自分に出来る事をして力になりたいと思っています。 

辛いときは同じ、お互い様の社会で生きていると考えられるようになったので、出来る努力や協力をさせてもらいます。窓口はひとつではないですが、少しでも自分が送ったものが皆さんの生活の足しになると信じています。 

皆さんの無事を願います。 

 

 

 

・決して忘れない。神戸阪神地震も東北大地震もまだ昨日のことの様に覚えている。能登地震の被災者の方々が今それぞれのお立場で何を思うのかと考えると 

きっと気持ちのやり場がないことと思ってます。どうか、月並みですがお身体を 

労っていただきたいと思っています。 

国の援助が被災地の至るところに早く届きます様に祈ります。 

 

 

・お願い忘れないで、その気持ちは良く分かります… 

自分も大災害で被災したことがありますが、少し落ち着いてきて 

報道が減ってくると、世の中は災害など忘れて通常通り進んでいくのに 

自分達だけ置き去りにされたような感覚になってすごく不安でした。 

もちろん世の中は通常でないと困るし、わかってはいるんですが。 

長い時間かかって、その不安が無くなる時が復興であり 

それまで息長く、多くの人が様々な形で心を寄せていければと思います。 

もちろん自分も忘れないし、落ち着いたら能登に行くし、できることをしたい。 

 

 

・被災された苦しみ、亡くなった方への思いを忘れないようにするためには、自分たちが災害の備えをすること、そして行政を注視しながら災害の対策を進めていくことかなと。被災された方に直接何かできることって義援金の金銭を除けば、復興してからじゃないとなかなか難しい。 

この災害が特にひどかった地域は交通の便が決していいところとは言えない、もしくはあってもそれが一つや二つしかないと言ったところが多い。それが壁になってなかなか復旧が進まない。この対策が1点。また一時避難だけではなく、二次避難やそれに対する高齢者への負担など今までにはなかったところが見えてきた。これをどうすべきなのか、というところもある。行政がどのように対応してくれるのかその点を見つつ、自分ならどうしよう、ここはどうなるだろうかというところを考える時間を設けるのが大切かと。 

 

 

・地元民です。 

当事者になってみないと地震災害というのは本当の意味でなかなか自分のことと考えられないというのを被災して感じました。 

だから被災したことの無い人に伝えることはかなり無理がある。 

今日はTVでどこも特集が組まれました。 

観ながらまた元日に還り、嗚咽してしまいました。 

「お願い忘れないで」の言葉には色々な思いがこもってますよ。 

 

 

・この1ヵ月ではなかなか現状が変わる事はないだろうが、毎日毎日地震のニュースはやっているし、一般のボランティアの受付もこれからの段階の地区げ殆どだとも思う。今出来ることは限られているが、忘れたり風化することはないと思うし、少なくとも復興を遂げて被災した全ての人が日常を取り戻すまでは忘れることはないはずだし、日本国民として自分にできる事をやっていくだけですね。 

 

 

・中学生の時、阪神大震災を経験しました。 

地震の1週間後に知り合いからの物資を受け取りに大阪に行くと、街の中は綺麗で街の人も普通で、自分たちだけタイムスリップしてきた気になった。 

おしぼりで身体を拭くだけでまともにお風呂に入れてなかったから、指紋の隙間に洗っても落ちない汚れや、瓦礫を押し除けた時の手の傷なんかが恥ずかしく思えた。報道を見ていて、そんなことを思い出した。 

 

それぞれ環境や体験は違うけど、今大変な時期を過ごしている能登の皆さんのことを気にかけています。忘れません。 

3ヶ月前に旅行で初めて輪島に行きました。 

その時の朝市のお母さんたちの優しさや、キリコ会館のスタッフさんの親切さ、能登の美しかった風景も、絶対に忘れません。 

 

 

・現地の人達がちょうど今頃、自分たちを忘れないでほしいと思う気持ちは痛いほどわかる。私も西日本豪雨で被災してほぼ全壊した家を1ヶ月かけ掃除片付けても中々進まず、自分の住む町の変わらない現実と、それ以外の人達は何事もなく幸せに暮らせてるという孤独感に苛まれた。これを読んだ被災地の方々、日本はあなた達とあなたたちの町と思い出は絶対忘れてない。時間がかかっても絶対にまた訪ねていく。 

 

 

・被災者ではありませんが、この一ヶ月は色々とあり過ぎてとても長く感じています。最近は月日があっと言う間に過ぎるのですが、今年の年始1月は違います。 

忙しさにかまけていると能登地震のことを忘れそうになりすが、風化させないように心に留めていきたいと思います。 

 

 

・忘れないですよ。自衛官の主人は、東日本大震災では半年災害派遣に行っておりましたし、日々、今自分に出来る事は何か考えています。介護士なので、行ける環境であればともどかしく思ったりもしました。 

募金はさせて頂きましたが、毎日どんな思いで過ごされているのかと思うと…。 

私も地震により被災した経験がありますし、あの状況が1カ月もこの寒さの中続くと体力的にも精神的にもかなり過酷だと思います。 

様々な面で負担なく生活出来るよう、配慮をして頂きたいです。 

亡くなられた方にご冥福をお祈り致しますと共に、未だ行方不明の方々がご家族の元に戻られますように。 

 

 

・奥能登ではありませんが、被災地に住む者です。暖冬と言いながら、北陸地方は非常に寒く、冷たく、特に夜は、甚大な被害に遭われたみなさまが、どのようにお過ごしになられているのか、ずっと心配しています。余震や生活などの現在も、今後の不安も、想像を絶するものだと思います。決して能登を忘れません。私にできることはわずかかもしれませんが、寄り添いたいと思っています。 

 

 

 

・想定内に起動が遅れ、速攻準備も整わず、直後速攻で行うべき対応が今行われつつ、ひと月が過ぎ概ねが終わったかのような今頃感は否めまいこと。やるべきことが理解されているか、具体的な実効は日々刻々と結果を出しているか。いざと言う時には残念でしたのひとことで終わる国かどうか。挙句に1人1人の存在を忘れたふりでは通る先行きもあるまいこと。対処は大変かもしれぬが、その為のそれまでである。これが稀有な最後でもなく、次もその次も問われ続ける想定内に居る現実を、誰と限らず明確に持っていなければならない場面にある。少なくとも、辛うじて生き延びてそれでも関連死などは断じてさせない次元に期待し、税とは別に出来ることは微々たるでも積み重ねる気概を失っては重ね重ねの完敗の様を重ねるのみ。今あることは明日もある準備と力量に期待したい想い。この先進国の救いはそこにしかないのだから。 

 

 

・石川は今夜も相変わらずとても寒い日だ。人々が癒しを得るにはあまりにも厳しい自然がこの地に発災から連日容赦なく降りかかる。 

 

正直なところ能登半島、ここは緩やかに滅びゆく場所だった。地震が無くても利便性が悪く交通の便も悪く、娯楽というものはとても少ない。特に珠洲市は本州で一番人口が少ない市でもあった。それでも、いやそれだからこそ能登にいた人々は温かい心を忘れないでみんなで協力して暮らしていた。都市を知り巣立っていく若者がいても、彼らが夏や冬に帰る故郷は能登だった。 

 

…今この地は変わり果てた。緩やかに滅ぶことを許されなかった。剥き出しの自然に人々の心は疲れ果てている。救いはあるのか、というかどうすれば救えるのだろう?今は何もかも見通せない毎日でしかない。 

 

願わくば報われるような結末が一人でも多くの人に…また田畑を耕して暖かい日向で喋る人がいる能登の人を、私は見たいと切望する。 

 

 

・阪神大震災を経験しました。 

家は全潰しましたが借家でしたし家族は無事で公務員の父、働いている母、弟、私の家族でしたし、会社も倒産しませんでしたので何とかなりました。 

公務員の父は手当で寧ろ収入は増えたので義援金などで家財を買い直しました。 

 

やはり同じ被災者でも雲泥の差だと思います。 

困っている人に手厚い義援金を望みます。 

同時に被災していなくても日本には被災者以上の、いや何倍もの困窮者がいます。 

逆に不正や、裏金政治家など酷いものです。 

 

せめて、税を超過累進課税強化して困っている方に再分配して下さい 

 

 

・10歳の少年が亡くなった人への感謝の念を語っていることに、少し救われた気がした。彼の言葉からは、自分の周囲に生きている人たちへの優しいいたわりさえ感じられる。 

 

非情になって財産を手に入れ、女なんて取っかえ引っかえできるという態度を取ることが、充実した人生の秘訣であるかのように吹聴される世の中だが、優しさこそが人間らしさであることは、いささかも変わっていないと信じたい。 

 

この少年が震災を乗り越え、人生の困難に打ち勝って、本来の資質を開花させる日が来ることを願わずにいられない。 

 

 

・やり切れないし、なんて言葉を選んで良いかわかりません。新年を迎えて元旦、家族団らんと賑わっていたと思います。突然の出来事で何が起こったのか?って。あれから一カ月なんだろかと思うけど、あの場所は止まったまま何もかも無くなり、これからどうすれば良いのか。先の事より今の事だけで精一杯だと思います。軽々しく頑張ってとは言えないけど、前に向かってと思います。日本三大朝市、その中の一つ輪島朝市、時間はかかるかもしれないけど、復興に向かって欲しいと思いそしていつの日か、朝市が開催され、活気が戻ってくる事を願っております。 

 

 

・石川県民ですが、明日現地にボランティアで行きます。 

大好きな朝市通りを忘れないように見ておきたい気持ちと、いざ見たらどうなるのか分からない気持ち半々です。 

でも現実に起こってことなんだと受け入れなければなりません。 

どれだけ時間がかかっても、いつか元気になった奥能登を見に行く日のために、今の光景を目に焼き付けて来ようと思います。 

 

 

・生き延びた方々は本当に運が良かった、よくぞ生き残ってくれたと思います。不幸にして亡くなられた方々は本当に気の毒で掛ける言葉も有りません。前を向いて頑張ってとか、亡くなられた家族友人、その他大勢の方々の分まで生きて下さいとか私には言えません。 当事者の苦しみ悲しみはそれぞれ感じ方、受け止め方が違うし、思い入れとか違うので一概には言えないのです。部外者はただ黙って見守るだけに徹するしか有りません。そして寄り添ってあげるだけです。黙って手を差し伸べましょう。我々に出来る事だけを考えましょう。 

 

 

・こういうのを見ると、今、応援割とかやってる場合じゃないと強く感じます。まずは、被災者の方々が最低限の生活をできるようそこにお金を使って欲しい。応援割りをやる事に反対はしないけど、半年後とか来年でいいと思う。それまで宿泊施設や温泉施設は、被災者に開放してあげて下さい。 

 

 

・毎日昨日や1週間前のことかのように感じるけど、もう1ヶ月になるのでしょうか。むしろ忘れられるわけがない大きなことばかりの年明けで、ほかの大きな地震と共に残り、未来起こりうる南海トラフにも怯えるばかりです。地震大国は仕方ないけどなんとかならないのかといつも大きなことがある度に願ってしまいます。 

 

 

・日付に1が付く時は大地震が多い。 

まして今回の能登半島地震は1月1日で元日。決して忘れることが出来ない大震災。 

仮設住宅が出来てきたとはいえ、道が寸断しているところ、町全体が火災や倒壊で被害があり、まだまだ大変な状況。被災にあわれた方々が少しでも安心して生活できるように祈っています。 

 

 

 

・ここ数年の被災した国内の現状を考える時、本当に政府は必要な政策を実施しているのか疑問に思う時がある。 

 

石川県に限らず他府県でも規模は違えど被災されている方が未だにいて、路頭に迷っている、それって本当に必要な場所に必要な額の予算が組まれて、ちゃんと使われていますか?と感じます。 

 

岸田総理が言うように、被災者への支援を本気で全力を挙げて取り組んでいるのなら、現場から不満の声が溢れる事は無いと思います。 

 

結局は自治体に丸投げしていたり、全く被災者への支援金や物資が足りなかったりして、将来に先行きが不透明で不安に思って生活している方が多く居ます。 

しかし、こういう時のために使われるのが税金なのでは? 

被災された方達が立ち直れる環境作りをもっと丁寧に寄り添う形で実施して、地域ごとに完結させていかないと被災地が過疎っていきますよ。 

 

 

・絶対に忘れません。だって元旦ですよ? 

なんで元旦だったのだろう。災害なんていつ来たらいいってものでもないけど、よりによって元旦、、 

お正月に帰省して被害に遭われた方もいて、逆にお正月休みを利用して出ていて被害を免れた人もいたのだろう。病院もお正月休みで開けていたのは休日当番院くらいだっただろう、平日だったら火傷で亡くなってしまった男の子は助かっただろうか。などなど悲しいお話を目にするたびに色々考えてしまいます。 

ご家族や知人を亡くされ残された方々がこの先ずっと世間が華やぐお正月を悲しい気持ちで迎えることを思うと辛すぎる。 

 

 

・やはり、石油ストーブは、こういう災害時は、超危険であることが、はっきりしました。石油ストーブ自体も危険ですが、ストーブの上にヤカンを乗せていたりすると、地震で倒れてヤカンの熱湯の火傷で亡くなる人もいるので、やはり超危険です。 

 

 

・阪神・淡路大震災、新潟での地震、東北での地震、熊本での地震、大阪の地震… 

北海道や鳥取あたりでもありましたよね… 

ある程度大きな地震は今でも覚えています 

忘れるなんて、いつ自分の身にふりかかるかわからないのに忘れるなんてことできません 

地震がきても地震に負けない世の中になっていけばと感じます 

 

 

・2年くらい前から地震が頻発していたので、 

いきなりというよりは対策が取れる猶予はあったはずです。 

福島県は放射能汚染で帰れなくなったりしましたが、 

今回は純粋な地震災害なので人災でもいです。 

さら地にしてもらった上で土地の権利を売るとしたら、 

そこに新築を建てたいからと買う人いるんですかね? 

新築や中古物件を低価格で取得できるなど、 

別な街で生活できるような支援があるといいですね。 

 

 

・被災から一ヶ月くらいして落ち着いて来ると途端に報道も減るからね。被災直後は過剰なまでに報道するし人や物資が一気に押し寄せるが、本来なら落ち着いてきた今こそボランティアとか観光に行くべきなんだろうな 

 

 

・万博会場作る業者が能登に集まったら、それなりに被災の街並みも元に戻っていくと思う。1カ月経ってもほとんど変わらない輪島の街を見たら、改めて万博会場なんて作っている場合ではないと思う。 

 

 

・なんか、あっという間の1カ月。たかが1か月、されど1ヶ月。 

私自身は埼玉に住んでますが、もうその1ヶ月で普通の日常に戻っています。 

1ヶ月前にそんな大地震があって被災にあっている方々がまだまだいることを忘れてしまうくらいです、、、 

普通に仕事に行き、自分の家に帰り、たまには飲み会とかも行っちゃうし、、、 

こんなにも違うものなのか、、、被災地には行けないからと募金だけしておわり。 

でもまだまだ被災地では苦しいおもいをしている方々がたくさんいる。 

とてももどかしいし悔しいしなんかやりきれない気持ちになる。 

早く復刻すること願い頑張ってほしい。 

 

 

・なんだろう。 

 

テレビなどをみていると とても直視できないような「悲しい現実」を繰り返し報道している。 

 

それそはそれで意味があることだとは思うが… 

 

今やるべきことは、朝市をはじめ甚大な被害を受けた人たちを支援して、一日も早く能登に平穏な日々を回復させることではないのだろうか? 

 

そのために、いま、ボランティア活動や募金、そして大々的なクラウドファンディングなどを、官民一体となって強力に推し進める必要があるのではないか? 

 

そして、「観光振興」だけでは、能登の復興はありえないと思う。 

 

 

・阪神淡路大震災は被災し、東日本大震災、平成30年豪雨など、いくつかの災害は直後に現地に赴いた一方、熊本地震、胆振地震などいくつかの災害は画面や紙面でしか見ていません。 

 

「忘れない」ためには、現地に赴いた方がいいと感じます。 

被害を目の当たりにすると、被災していなくても心的な負担はあると思いますが、それでも赴けるなら、忘れないために。 

 

 

 

・元日に起きた震災というだけで 

忘れることはない 

でも立ち止まってはいられない 

覚悟決めて出直す決断に迫られている 

東日本大震災同様に住めないところはきっぱり諦めるほかないし 

コミュニティ単位での集団移住、あるいは個人単位の移住であればコミュニティを創出する後ろ盾をしてやらないと 

延々と避難生活では続かない 

それこそ東日本大震災から何を学んだのかと問われてしまう 

あるいは東日本大震災と関係ないことと割り切ってるんだろうか 

 

 

・精神的にも肉体的にも尋常じゃない程おかしくなるのは当然だと思う 

こんな時にも冷静で居られる人間は少ないのでは? 

一人一人が頭が狂いそうなくらい追い詰められて 

自分勝手な言動も行動も少しくらいは大目に見てあげないと 

可哀想と思う 

日本の地震については明日は我が身だと思う 

被災した方の全てのローンの返済など免除にしてあげて 

老人がいる家庭の人などは優先的に老人ホームなどに 

一時的にいれてあげ お子さんのいる被災者も優先的に仮設住宅に 

犬猫などいる家庭ではキャンピングカーなどを無料であげれば良いと思う 

 

 

・少し話はずれますが、今回の能登半島地震しかり、熊本地震しかり、震災後のボランティアの皆さん、自衛隊の皆さん、警察、水道、電気関連に従事されてる多くの皆さんの献身的な復旧に向けた姿を見るに付け、地元の議員さんは何をされてるのでしょうか、全く顔が何処でも見えません。警察、消防のかたも自ら被災されたにもかかわらず、復旧支援に従事されてるかたもおられると聞いてます。一体こう言う時、地元議員さんは、何をされてるのでしょうか。 

 

 

・元旦から3日4日くらいまで、救急車と消防車のサイレンが1日中鳴っていた。戦時中かと思えるほどの音に気が滅入ったが、全国から来てくれた応援だったと気づいた。涙が出るほど全国の皆さんに感謝しています。 

 

 

・忘れていい災害なんてない。今回は死因に低体温の方々もいると聞いています。能登半島のように救助に行こうにも現地まで時間がかかってしまうことへの対策も考えていく必要があります。 

 

 

・そのうち毎日追悼の日になるな。 

いつが基準のスタート日か分からないけど。 

地震、台風、津波、原発これらの大災害がいつ、どこで何時何分に起きたとか、皆よく覚えてるな。覚えるのはいいがそれが周りに以後の災害に活かせてなかったら無意味だから。特に発生後72時間とか。災害救助等、義務教育中に教育した方が為になる。 

やらせるのは危険だからとよく言うが、別にレスキュー隊は魔法使いでなく普通の人間。 

知識や実戦経験があるかないかの違いかと。 

被災者イコール救助隊だったら、これが一番の生存率上昇になる。 

 

 

・忘れるかどうかはメディアが報道するかどうかということもかなり大きく影響する。 

自分が主体的に忘れないようにすることも大事だけど、メディアはメディアで自分達の役割を思い出してほしい。 

 

 

・残酷かもしれないが、「忘れること」が、当事者以外の人が生きていく一つの道だと思っています。 

そうでなければ、心が持たない。 

それに、人ってそんなもんです。 

 

絆とか、いつまでも忘れない、なんてのは、正直、綺麗事。 

 

忘れなければ、前に進めないことも、たくさんあるのが現実だと、思い知らされながら生きてます。 

 

でも、本当に忘れることなんてありません! 

 

 

・東日本の時もそうだったけどみんな勝手に忘れていく 

被災してないから所詮他人事だし何の被害にも合ってないからね 

最初の数カ月や1年だけよ?やれ復興復旧なんていってたのは 

数年経てばほとんどの人は興味なくなるし俺には関係ないからってなる 

実際そういうのを目の当たりにして現実の残酷さを思い知ったよ 

ただそれでもあれから13年が経とうとしてるけど 

流石に13年も経つとと震災前と同じとは言わなくとも 

随分復旧復興は進んできたし場所によってはほぼ完全復旧復興してる所もある 

今は辛いけどそれを乗り越えた先に未来はある 

 

 

・被災された全ての方々が、前を向き一歩を踏み出せる日が少しでも早く来ますように、、、。私に出来ることは募金しかなく微々たる力にしかなりませんが被災された方々の笑顔が戻る日が早く来ますように心から願っています。 

 

 

 

・被災された全ての方々が、前を向き一歩を踏み出せる日が少しでも早く来ますように、、、。私に出来ることは募金しかなく微々たる力にしかなりませんが被災された方々の笑顔が戻る日が早く来ますように心から願っています。 

 

 

・忘れることは無い、元旦を迎える度に能登半島地震を思い出すことになるだろう。こんな哀しい正月を過ごしたことは誰も経験がなく、人々の記憶に残り続けることになり風化することはない。 

 

 

・>「1カ月が経つけど、何も変わってない。いろいろなニュースがあるから、みんなに忘れられるんじゃないかなと。お願い、忘れないで」 

 

 

変わってないんですね…。 

たまたま今日「1ヶ月経つも変わらぬ被災地」みたいな趣旨の記事を読みました。 

そこでは「ネガティブな論評をするな」とか「ただでさえ辛いのに被災者の辛い気持ちに辛さが上乗せされる」とか記事がバッシングされてました。 

 

私は現状を伝えることで募金が増えたりあるかもしれないと思いながら読んだのですが。 

いろんな考えがあるんだなと思いました。 

 

少しずれましたが、関連記事を読んだり募金したり自分にできることをするようにしています。 

 

 

・今回の地震って、何が大変かと言うと、倒壊・火災・津波・土砂崩れ、ありとあらゆる地震災害が一気に、半島と言う半分遮断された地域で起こったと言う特性ですよ。今までの大きな地震、どれも特性があるけど、どれかに特化していたんですが、能登は全部… 

 

 

・毎回思うんですが、忘れないで気にかけてってよくこのような意見が出るが、全然理解できない。 

 

もう今政府や自治体の対応が遅いと文句を言っている人たちって、仮設住宅やインフラ復旧が一般工事と同じように1週間とかで全部完了するわけがないって考えない人たちです。 

つまり、どれだけやっても不満を言う人。 

 

一方外から見ていると二次避難等やれる手配はやっているように見えます。 

だから被災してない人がわーぎゃー言わずとも着々と進んでいくと思います。 

 

となると忘れないでって一体なぜ? 

 

冷たいかもしれないが、被災地を可哀想と思い続けても具体の結果が何か変わる? 

ボラや寄付はする人はします。 

 

やたらと共感を強要する人がいるが、私は結果が全てと考えているので、全然離れた土地の人でも気にかけてって毎度理解できないんですよ。 

 

共感性が高い人って、他人に期待しすぎ。勝手に期待して裏切られたって傷つくと病むよ。 

 

 

・忘れないで。か。 

 

わたしは東日本で原発事故が起こった時、小さな娘を連れて関西のおばの所に避難していた。旦那も両親も家に残して二人だけで。 

 

もしかしたらもう家には住めなくなるかもしれない、残してきた家族の安否。原発事故の行方。もう毎日不安でたまらなかった。 

 

ただ、関西は本当に普通の時間が流れていたよ。マックで隣に座ってる知らないおばさんたちの日常の会話が、とてもわたしには苦しかった。 

 

あんなに大きな災害でも、安全な所にいる人は普通の生活おくってるんだなぁと当たり前のことなんだろうけど、とっても悲しかった記憶がある。 

 

だからこう思う人の気持ちはちょっとわかる気がする。それを素直に口に出す人はそう多くはないと思うけど。 

 

現実はそうではないし、そうじゃない方がいいんだと思う。 

ただ、能登の方々を心配している人がたくさんいるのは真実だと思う。 

 

 

・今日、赤十字に寄付してきました。 

ボランティアが必要なときがきたら全国から助けに行くと思います。 

いつもニュースで見て心配してます。 

早く普通の暮らしができるようになるといいですね。 

 

 

・時には忘れて観光でパーっと気分を紛らわすことも大切ですよ。 

特に金沢への観光客は地震や災害支援を気にしてか来てくれません。 

能登の魚はさすがに入荷しませんが、海産物もいつも通り最高です。 

氷見の寒ブリは初セリで1800本出回るほど大量だそうです! 

 

 

・本当に皆忘れるな 

これが 震災時の すがたです 

被災の後で被災者が思う苦しみ 助けられなかった  

そして被災時ほとんどの人が話すこと 報道等で震災のニュースを 見てたけれども 自分の住んでいる所は大丈夫 まさか自分がと話す 

だからこそ 忘れるな 

この次は 自分が被災者になるかもしれません 

津波 火災 山崩れ 洪水 何が起きてもおかしくない 

 

 

・忘れないでは、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本阿蘇地震 数々合わせてお願いします。能登半島地震はもちろんですが。 

また、復興復旧って、どうなれば良いかベストな達成はないからな 亡くなった方は戻らないし。 

でも震災から一ヶ月、前を向くしかない。 

 

 

 

・忘れません。この震災はずっと胸に留めておきます。地震大国の日本では誰もが同様の災害にいつ遭うか分からない。だから他人事ではないのです。しかし元日の震災からわずか一ヶ月しか経過していないのに「忘れないでほしい」と被災者から声が上がる現状があまりにも悲しい。 

 

 

・日本に住んでいる限り、いつでも自分の身にこの様な事は起こる。 

その事を、他人事だと思わず、日々過ごせればいんじゃないかと思う。そうやって考えられれば、自然と忘れる事なんてない。 

無理に感傷に浸る必要もない。 

 

 

・あなた方は「阪神淡路大震災」を忘れていませんでしたか? 

私は忘れられません! 

自衛隊も出動できない、6時間以上政府も動かない(ゴルフをしていた政治家もいた)その震災を忘れて備えも訓練もしていなかったのではないですか? 

東北の地震も今回の地震も半分は人災と思っています 

加えていえば中国地方に分布する「真砂土」地盤の地域などは液状化の可能性を強く危惧する、 

 

 

・熊本、新潟、胆振、あたりもかなりの被災だったけど3ヶ月もしたら話題にもならなくなった気がする 

所詮一時の感情で寄附だボランティアだ騒ぎたいだけの浅い奴らばかり 

裏では騒がず注目もされず、黙々と長期的に復興にあたってる人達もいるのを忘れちゃならない 

 

 

・私も隣富山県民。能登半島は何度も行っているし、自然豊かで素晴らしい温泉宿が沢山あります。 

決して忘れません。 

そして、落ち着いたらまた沢山旅行に行きます。 

決して忘れません。 

 

 

・2年前に輪島市と朝イチに行きました。 

人々が温かく、食べるもの全て美味しかったです。 

朝イチの復興を心から祈っております 

微力ながらご寄付させて頂きました 

必ずまた行きます 

 

 

・他人に対して冷たい多くの日本人にそれは難しいお願いだと思う。今の日本人は流行りに乗っかることしか考えてないから。今の人には「みんなで協力していこう!」みたいなフレーズは響かない。ブームが過ぎ去ったコンテンツはすぐに忘却の彼方へ消えてしまうんだよ。悲しいけどこれが今の日本社会なんだ。 

主語がでかいだの、私は違うという返信は承りかねますので予めご了承くだしい。 

 

 

・コロナと同じで被害に遭っていない人は所詮、他人事ですからね。 

自分が痛い目に遭って学習してみたり、何度も感染する痛い人もいます。 

世の中って、そんなもんですけど、そういう生き方をしないように普段から気をつけるように心がけています。 

 

 

・元旦の地震。信州上田もけっこう揺れた。しかも長い。ながいから、いつホンモノが来るのか気が気でない。上田は大地震がないので、それだけに堪えた。 

 

 

・忘れるか忘れないかなんて、そこに住んでる住人次第かと。だからこそ、まずは元気になって復興するためにも、2次避難所行って元気になって、また、元気な輪島を取り戻せば良い。 

悲観的に忘れないでと言われても、ろくに元気も出さず、文化も残せなかったら、そのうち忘れますわ。 

 

忘れないで欲しかったら頑張って生きろ 

 

 

 

・忘れるか忘れないかなんて、そこに住んでる住人次第かと。だからこそ、まずは元気になって復興するためにも、2次避難所行って元気になって、また、元気な輪島を取り戻せば良い。 

悲観的に忘れないでと言われても、ろくに元気も出さず、文化も残せなかったら、そのうち忘れますわ。 

 

忘れないで欲しかったら頑張って生きろ 

 

 

・これ怖いのは大地震も大津波も来たのにもう国民は全く気にもとめていないってこと 

 

かなり大勢死んだだろうに自衛隊の動きは遅く数も少なくて死んだことすら確認されていない人も多いのだろう 

 

やはり総理大臣が現地に行かないと国家レベルでは注目もなく動いてもくれないのだと思った 

 

 

・狭い範囲なら早く復興は進むのであろうけどこれだけの大地震に広範囲悲しいけれどかなりの時間がかかってしまうでしょうね。 

でも誰も忘れませんから、がんばって下さい。 

薄っぺらい事しか言えなくてすみません。 

 

 

・いやー忘れるだろ 

皆自分に関係ない事なら忘れるさ 

忘れてなかったら、東日本であれだけ災害の怖さ思い知ったんだから、石川県の人達ももっと色んな対策できてもっと被害は少なかっただろ 

別にそれが良い悪いとかじゃなく、当然の事。 

時間と共に忘れるのが普通 

 

 

・そうはいってもいつまでも陰鬱な雰囲気でいるわけにもいきませんしね。 

国全体としてはそろそろ気持ち切り替えて明るい方向に持っていかないと経済も悪くなる一方ですよ。 

いつまでも被災地のことばかり気にかけてもいられんのですよ。 

 

 

・まぁこうゆうのはなんだかんだ被害を受けた当人達以外は、本当のつらいきもちはわかってあげられないしね。 

俺も小さいときに阪神大震災は被災したが、それからは被災してないからすっかり平和ボケしてたが、中越、東日本、熊本、北海道、今回の能登地震と、覚えてるだけでもでかい地震が5回もきたから、その都度防災グッズ買い直したりくらいしかできてないなぁ。。 

 

 

・東日本はその範囲の広さと 

強烈な津波のビジュアル 

 

阪神淡路は神戸という大都市が破壊されたインパクト。 

 

だけどみんな奥尻の事なんか 

とっくの昔に忘れてますよね。 

個人的に奥尻では友人宅が倒壊したので 

奥尻の事はしっかり覚えてるけど 

 

 

・とっくに忘れてますよ、政府と県知事は被災者の事を。 

だって憲法改正で頭いっぱいですから! 

能登はスマートシティ設立の練習台。だから中学生だけとっとと疎開、住民は遠い所に二次避難と仮設住宅設立、防犯カメラとSuicaとインフルワクチン接種は迅速に対応。 

改憲後に国民を統率下に置く実験なのですよ。 

 

 

・阪神大震災の時もみんな 

「忘れないで、この経験を活かして、風化させないで」 

って家庭でも学校も教えてたけど、現在30年が経ち世代が進み、震災経験者も記憶が薄れる中で、記憶に残ってるのは遺族のみのような状態。 

そらそうだろうな、冷静に考えれば自分も死んだら何世代が俺の事を覚えてる? 

所詮は子供と孫止まり。 

3世代過ぎればもう先祖は他人のようなもの。 

現に俺は3世代前の身内に興味もないし、分からない知らないから。 

人生そんなものかも。 

人は繰り返す、成功も失敗も。 

何度も教訓を得ても繰り返すんだろうな。 

 

 

・忘れていません。 

私は被災地住みではありませんが、あまりの状況に今年は年明けに新年の挨拶ができませんでした。少ないですが募金をさせて頂きました。 

少しずつ良い方向に向かっていく様に願っております。 

 

 

 

・明日は我が身どころか、次の瞬間に自分の身に起こりうる災害。 

本当にどうして良いのか… 

 

家具を固定して、非常用袋を用意して、上着と靴は枕元。 

お風呂に入る時も、着替え一式は出てすぐの所に置いて。 

 

どんなに用意したって、家が潰れたら、どうしようもできない。 

 

 

・この度の能登半島地震は、東日本大震災に次ぐ大震災だったのではないかと思うのだが、なんか報道の仕方が、「そこそこの大地震でした」的なふうに感じるのだよね……。 

震度7の激しい揺れが数十秒も続いたこの度の大震災、もっと被災者が安心出来る手厚い支援をお願いしたい。 

俺は全く被災者ではないが、もし自分が被災者だったら、今の政治家の「一歩引いた対応」にブチ切れるわ。 

 

 

・海外にお金ばら撒いてないで被災地にお金をたっぷりかけるべき政府が欲しいです。街頭で募金してる国会議員なんて必要ない。被災地に投入出来る予算を考えるのが国会議員。その方が胸が痛い。体たらくな政府を非難すべき。 

 

 

・地震により生きる事を突然奪われ、生きたくても生きれなかった犠牲者が多数居るのだから、自らの手で生きる事を奪う事はせず強く生きましょう。 

 

 

・正直、1月1日のたびに思い出すのはしんどいな。 

正月はゆっくりして楽しみたいというのが本音。 

それを悪事のように罵倒する世の中でないことを祈りたい。 

 

 

・この震災で家族を失った人たちは、これから生涯、元旦が家族の命日になるんだよね。お正月がめでたい日ではなくなってしまった…。 

よりによって、なぜ元旦に?? と、どうしても考えてしまいます…。 

 

 

・災害がある時に思うのは、被災者と同じ様に悲しみ悲嘆に暮れることを「忘れない」というのは違うと思うし、それを他人に求めてはいけないと思う。天災は皆明日は我が身。今生きてここにいられること、その事に感謝することこそが、忘れないということなんだと思う。悲しみは忘れたらいい、しかし感謝と教訓は忘れずに。だからみんな人生をちゃんと楽しめばいいし、ガハハと笑えばいい。 

 

 

・観光で来てと宣伝するメディアもあれば、まだまだ震災の爪痕が残ったままで時間が止まったままの人もいるし、回復してない。余震も怖い。 

ノコノコと被災地にわざわざ旅行行く気になれないよな。 

 

 

・気が滅入るのでできるだけ早く忘れたい。 

真面目に考えると精神がやられてしまう。 

逃げて良いと思う。 

自分に置き換えたら耐えられないと思う。 

 

 

・心配するなよ 

たった1ヶ月で忘れるとか? 

あり得ないよ  

心配しないで 

岸田総理もよくやってると思うぞ 

早速 自宅再建補助金300万円が 

高齢者に限り600万円に倍増したじゃない、 いろいろよくやってるよ 

ただインボイス制度とかは撤回して欲しいのはある 

 

 

 

 
 

IMAGE