( 135082 )  2024/02/02 13:09:19  
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コロッケがなぜ議論の対象となるのかについて議論されている。

人々の間でコロッケがおかずなのかおやつなのかで議論が繰り返されており、特に地域によって異なる認識があり、その違いが興味深いと指摘されている。

ポテトコロッケの普及の歴史や材料の種類、食感、カロリー、調理の手間についての考察も行われている。

 

 

また、ポテトコロッケが庶民のおやつだった過去や、どのような要素が人々の心を捉えるのかについても著者の考察が紹介されている。

(要約)

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コロッケはなぜ活発な議論の対象になるのだろうか(写真:sogane/PIXTA) 

 

 「コロッケはおかずか?  それともおやつか?」――この論争はくり返し起こって盛り上がる。いったいなぜ、コロッケは人の心を熱くさせるのか?  今回はこのお題を掘り下げてみたい。 

 

【コロッケの消費額トップ10】コロッケの消費額日本一は? 

 

■江戸っ子にとってはおやつ?  

 

 1月11日放送のバラエティ番組『秘密のケンミンSHOW極』で、神戸を中心に兵庫県民のコロッケ事情を特集していた。神戸っ子にとってコロッケは主菜だが、東京都民は「メインディッシュにならない」「主役は張れない」と言い切る。番組は、都民にとってコロッケは、おやつか副菜と位置づけた。 

 

 神戸文化圏育ちの私は、主菜と認識していたので驚いた。実情を知りたい、とSNSでアンケートを取ってみたところ、21人もの人が熱いコメントを寄せ、そのうち19人が「コロッケは主菜だった!」、と子どもの頃の思い出を書き込んでくれた。その中には、おやつとしても買ったと証言する人もいた。江戸っ子の2人は「主菜じゃない」と回答。 

 

 一方で、都内で育ったが「主菜だった」という人もいる。また、主菜じゃない、と証言する東京都民も、副菜としては受け入れている場合が多いようだ。東京でも、主菜と認識する文化はあるのである。 

 

 インターネットで調べると、コロッケが主菜になるか否かの論争はたびたび起こっていることが判明。近年の最も大きな論争が、辻希美が2022年2月22日に「コロッケはおかずにならない」と話したユーチューブ動画が発端で、テレビの情報番組でも取り上げられた。 

 

 コロッケは、手間がかかる料理である。多くの人が語る際、頭に浮かべたと思われるポテトコロッケの場合、ジャガイモをゆでてからつぶし、炒めたタマネギやミンチなどと混ぜて成形し、小麦粉・卵・パン粉を順にまとわせて揚げる。 

 

 一方、中にホワイトクリームが入っているクリームコロッケは、主菜と認識されているようだ。認識の違いは、普及の仕方の違いから生まれたのではないか。 

 

■戦前から庶民のおやつだったポテトコロッケ 

 

 ポテトコロッケは、戦前から庶民のおやつだった。老舗として知られるのが、1927(昭和2)年創業の東銀座「チョウシ屋」。レストラン勤務経験がある創業者が、庶民的にしようとホワイトソースをポテトに換えてヒットさせた。 

 

 

 1917(大正6)年、浅草オペラで使われたヒットソング「コロッケの唄」で歌われ、カレー、とんかつと共に「三大洋食」と呼ばれるなど、この頃の流行食だった。 

 

 家庭への本格普及は、高度経済成長期。商店街が活況を呈し、肉屋のコロッケも増える。おやつか主菜かの認識の違いは、育った地域に肉屋があったかどうか、親がコロッケを作ったかどうかに左右されるように思う。 

 

 しかし、私が聞いた人たちも、『秘密のケンミンSHOW極』で「主菜にならない」と断じた東京の人たちも、コロッケが好きという点では一致する。では何が魅力なのか?  

 

 ポテトスナックで身近と言えば、ポテトチップスやフレンチフライなど、ジャガイモをそのまま揚げた料理、じゃがバターなどそのまま蒸した料理だ。一方、ポテトコロッケは香ばしい香り、サクサクの衣、クリーミーなあるいはホクホクな具材、と食感も複雑だ。 

 

 揚げ物は油脂の旨味を吸い、さらにジャガイモ、ミンチの旨味が加わる。タマネギにも旨味がある。つまり素材のすべてが旨味素材なのだ。おいしくないわけがない。 

 

 おかずで人気の揚げ物には、とんかつやエビフライもあるが、こちらは肉やエビが主役で、ごちそうになるのも当然だ。しかし、人が熱く思い出を語るのがポテトコロッケだとすれば、それはこの料理の微妙な立ち位置が原因ではないか。 

 

 ポイントは3つ。1つ目は手間がかかるのに、庶民的な点。ポテトコロッケは安くてカロリーが高く、手軽に空腹を満たせる。 

 

 庶民的な料理は、身近に感じやすい一方、「好き」と言うことに恥ずかしさを伴う場合がある。より高級なモノ、流行するモノを好きと言うほうが、かっこいいと感じる。好きだけどそれを告白するのは恥ずかしい、と感じる人がいる点が2つ目。 

 

 3つ目はカロリーの高さ。不健康なイメージもあるし、近年は炭水化物を敬遠する風潮も強い。しかしそれは、飢餓の時代を長く体験した人類が欲する食材でもある。炭水化物のジャガイモを食べることが、ある種の背徳感を伴うからこそ、おいしさは増す。 

 

 

■ポテトコロッケが流行したことも 

 

 クリームコロッケを多くの人が主菜と認識するのは、ホワイトソースにまとわせる具材として、高級素材イメージもあるエビやカニが選ばれることが多いことや、フランス料理のベシャメルソースが実はホワイトソースであることから来る、ソースへの高級イメージがあるからではないだろうか。 

 

 その一方で、ポテトコロッケは地味な存在だった。何かと脚光を浴びる外国由来の食といえば、ラーメン、とんかつ、餃子あたり。ラーメンは肉や魚介から取った出汁が大事で、とんかつは肉メインの料理、餃子もどちらかといえば肉が中心の料理。しかし、ポテトコロッケの主役は、タンパク質が微量なジャガイモだ。 

 

 とはいえ、ポテトコロッケも流行したことがある。それは1989年、神戸コロッケが誕生し、その後各地に拡大したときだった。商店街が大盛況だった昭和半ばも、実は流行したとみなしてよいかもしれない。大正-昭和初期の三大洋食も流行だ。近年は地味な存在として落ち着いていたが、ひそかに人々の心をとらえ続けたと言える。 

 

 だからこそ主菜と認識していた人は、「おやつ」と言われると「心外だ!」といきり立つのだろうし、おやつと認識していた人も、青春時代を思い出す。論争が起きてはじめて、その大切さを知る。まるで故郷のようだ。いや、もしかするとコロッケは、多くの人の心の故郷なのではないだろうか。 

 

阿古 真理 :作家・生活史研究家 

 

 

 
 

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