( 135329 )  2024/02/03 00:40:50  
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宿題忘れた児童に教諭「提出期限延ばしてほしいなら土下座」市教委「不適切」=静岡市清水区

静岡放送(SBS) 2/2(金) 12:12 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/480bdd30ba37153c8bcfaa195cd3b7698105ec5e

 

( 135330 )  2024/02/03 00:40:50  
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静岡市清水区の小学校で、宿題を忘れた児童に対して女性教諭が土下座を強要したとも受け取れる発言をしたことが発覚し、静岡市教育委員会はその指導を「不適切」としています。

教諭は児童に対し、提出期限を延ばしてほしいなら土下座してお願いしに来いと発言し、3人の児童がその場で正座して頭を下げたとのことです。

保護者からの連絡によって発覚し、市教委はその言動に対し遺憾の意を表明しています。

(要約)

( 135332 )  2024/02/03 00:40:50  
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静岡放送 

 

静岡市清水区の小学校で、宿題を忘れた児童に対して、女性教諭が土下座を強要したともとれる発言をしていたことが分かり、静岡市教育委員会は「不適切な指導」だったとしています。 

 

【写真を見る】宿題忘れた児童に教諭「提出期限延ばしてほしいなら土下座」市教委「不適切」=静岡市清水区 

 

静岡市教委などによりますと、清水区の清水庵原小学校で1月下旬、担任の女性教諭が、宿題を忘れた児童に対して、帰りの会で「提出期限を延ばしてほしいなら、土下座でもしてお願いしにおいで」と発言したということです。 

 

市教委による聞き取り調査に対して女性教諭は、帰りの会の後に児童3人が教諭や他の児童のいる前で正座をして頭を下げたとしています。 

 

保護者から学校と市教委に連絡があり、発覚。市教委は担任の言動について「不適切であり、遺憾」としています。 

 

学校は近く、学級の保護者に対して経緯の説明を行う予定です。 

 

静岡放送 

 

 

( 135331 )  2024/02/03 00:40:50  
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(まとめ)多くの人が、昭和時代の体罰や厳しい指導を経験してきたという記述がありました。

一方で、今の時代には土下座や体罰は適切ではないとする意見もあります。

親や教師の役割、教育現場の状況、社会とのつながりなどについて、さまざまな意見が見られました。

また、宿題への取り組み方や教育の在り方についても、様々な意見がありました。

社会人としての責任や約束を守ることの大切さについても多くの指摘がありますが、その教え方や指導のあり方について、さまざまな見解が示されていました。

( 135333 )  2024/02/03 00:40:50  
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・うちの子は土下座させられたと親が騒ぐのだろうか。 

先生に言う前に宿題やらせなさいと思うけど。 

授業中騒いでいた男の子が廊下に出されたら、その子の親校長の所行って、子供の授業を受ける権利を奪われたと騒いでいたけど。 

きちんとやっている子の権利まで気が回らないのかな。 

箸の持ち方指導したら余計な事するなと言う親が居たり。 

結局何も言わないのが良くなり、何も指導してもらえない子供達が社会に出てくる。 

それでいいのか考える時ではないでしょうかね。 

 

 

・昭和の時代はルールを破ったり忘れ物したらおでこにハンコや廊下に立たされたり運動場を数周走らされたり 長い物差しでお尻を叩かれたりするのは当たり前の時代でした。高校生の頃なんか髪が肩に掛かったり 校則に違反すればハサミで髪を切られるのは当たり前だった。今思うのは、令和の時代でこれをしたら絶対ダメなのはわかります。でもこんな時代を過ごして来たからこそルールを守らなければならない事を身の痛みを持って大切なことなんだと身につけてきた様な気もする。体罰を受けたからこそ 人の痛みや加減もわかる様な気もする。だからといって体罰がいいとは決して思わない。 

 

 

・土下座は今の時代には確かにそぐわないようには思う。 

昔はよく廊下に立たされたものだが、土下座をさせられた記憶はないように思う。 

体罰とは言い難いが土下座が良いのか悪いのか正直判断が付かないし生憎意見の持ち合わせがない。 

宿題を忘れた罰則としての土下座が不適切との市教委の判断であればそれを尊重し従わねばならないと思う。 

ただ、宿題忘れの何らかの罰則は必要不可欠でもあると私は思うが。 

 

 

・宿題出すのをやめたらいい。家で勉強させたければ、親が見ればいい。もう学校の教師の仕事は授業だけ。宿題はいわば教師のサービス。熱心な教師ほど丁寧に宿題チェックや丸つけをし、やって来ない子には昼休みや放課後に自分の時間を使ってやらせるなどし、余分な教師の仕事を増やすことになっている。 

 

 

・とある学校の先生をしてます。 

宿題を忘れた人に、宿題を忘れたパターンを聞いてます。 

①やったけど持ってくるのを忘れた 

②宿題があることを忘れてた 

③分かっていたけどやらなかった 

どのパターンもいいことではないので、なぜそうなったかも根掘り葉掘り聞いて、改善策を一緒に考えてます。 

本心は面倒だと思ってます。 

昭和なら土下座、正座、ケツパンという指導も普通にあったんですけど、、、。 

土下座は強要されるものではなくて、自らの気持ちを表すものだと教えてあげないと! 

 

 

・こんな事は私が小学校頃は日常茶飯事でした。 

宿題を忘れただけで殴られる、廊下で正座、机を廊下に出されて一日中座ったまま。当たり前でした。 

ひどい子は、もともと太り気味の子でしたが、学期の身体測定で体重が増えていれば殴られる、爪を伸ばしていれば殴られる。殴られて鼓膜が破れた女の子もいてました。今でも鮮明に覚えていて、憎しみしか残っていない。だから自分の子供には絶対に先生を信じるな、絶対先生になるなと育てています。 

いっさい社会に出た事ない、学校という封鎖空間でしか育っていない、一般常識からかけ離れた生き物です。 

 

 

・今どき土下座は…と思いますが 

こういう子の親達は先生にまかせきりが多いのかなと思います。うちの子の担任は児童に対して熱心に指導してくれてましたが、先週生徒指導していた際にもう心が折れたと生徒たちの前で号泣して次の日から学校に来なくなりました。 

これで2人目です。 

ただでさえ勉強が遅れているのにもう不安でたまりません。 

なんで真面目な先生や生徒たちが被害にあうの? 

こういう子達の特別な学級をつくってほしいと心の底から思います。 

 

 

・昭和の時代は、廊下に立たされたり、正座とか、酷い時にはバケツ持って立たされたりとか平手打ちとか、罰当番とか平気でありました。 

それがよいとは思えないけど、それでは、いったいペナルティとして何をさせるのが適切なのか!?どう指導したらよいのか!? 

宿題や課題をやらないと、どういう結果になるのか? 体罰はもっての外だとは思いますが、児童・生徒に考えさせる機会は必要だと思います。 

ある意味、これは社会に出る前の義務教育段階で理解させないといけないことだと思います。 

 

 

・宿題というのは何も学力を上げる手段というだけでなく、「持ち帰った課題を決められた期限までに自身の力で取り組み、成果を報告すること」や「単に約束を守ること」を身につけさせる目的もあると思う。実際社会に出てからも学校での宿題とは違う意味でタスクを預かり期限にアウトプットすることは普通にある。もしこれが子供のうちにできていなければ大人になって使えない人材、信用できない人間になる可能性が高い。学校で課される「宿題」が何の意味も持たないなどということはない。 

 

 

・テストで悪い点を取るのは、悪い点を取ろうとしているわけではありません。 

ですから、点数が悪かったら罰を与えるだけでは良くなりません。具体的な対策が必要です。 

 

提出物を忘れるのも同じです。 

意図的にボイコットしている場合を除くと、忘れようとして忘れているわけではありません。 

だから、忘れた場合に罰を与えるだけでは解決しません。 

 

記憶力や注意力に問題があるのであれば、それを補完するための具体的な対策が必要です。 

 

 

 

・昭和の時代は似たような体罰は結構あったし、受けたこともある。 

親も文句を言わなかったし、それで子供がトラウマでどうにかなったということもなかった。 

その頃がいいとは言えないが、そういう時代だったんだろう。 

時代とともに人権が尊重されるようになったが、むやみに権利ばかりを主張したり、自分の落ち度は棚に上げてクレームを言う風潮も嘆かわしいことだ。 

宿題は「気が進まなくても、しなくてはならない」という意識を育てるためにはある程度必要だ。宿題をなくせば解決する問題ではない。 

そうでないと、社会に出ても「嫌なことはしなくてもよい」という横柄な人間ばっかりができてしまう。 

 

 

・現在、不登校ぎみ。もちろん、宿題をやらせてますが、気持ちが不安定で難しい日もある…….。そんな子供に対して、学校に来れただけでも頑張ったからって、子供のペースに合わせてくれます。もちろん、最終的には全てやらないといけませんが、催促はせず、提出できた時はしっかり褒めてくれ、その後もしっかりフォローしてくれる。迅速かつ丁寧な対応をしてくれ本当に申し訳ないと思いながら感謝してます。今まで担任してくれた先生は、皆が生徒1人1人に向き合ってくれる方でした。本当に恵まれてるなと日々感謝してます。 

やらなければやらない事をやらないのは問題だと思う。いきなり土下座は考えにくいから、それまでに色々あったのかもしれない。けど、もう少し違う方法はなかったのかな?と思う。  

どちらにしても最終的には親の責任だと思う。 

 

 

・義務教育という観点から考えると生徒たちを取り残さないように勉強させることが必要なのでしょうね。義務教育でなければ授業に遅れる子はそれでいいとなるのも問題があるけど。 

昔体罰が有った年代から言わせてもらうとその原因が自分にあることを自覚させられるものでした。 

また親がしゃしゃり出て先生をつるし上げることもなかったし逆に自分の子供を叱る親が多かった。先生はリスペクトされる存在だった。 

体罰や子供の自尊心を削ぐような言動は慎むべきですが、ある程度は愛情を持って叱ることも子供には必要だと感じます。 

 

 

・体罰はダメと言われるようになってもう長いですが、言ってダメなら叩くしかないと思います。いきなり暴力で抑え込むのはダメですが、口頭で注意されているうちに改めれば体罰は行われないのです。教師はどうせ殴れないんだからと反省もせず調子に乗ったり、注意しても自分の立場が悪くなると考えて注意すらしなくなる教師。そういう環境で叱られることに慣れないまま社会に出てくるからなんでもハラスメントになって生きづらい社会になってしまう。悪いことをすれば叱られる。そんな当たり前のことくらい教えられる教育現場にしてあげようよ。 

 

 

・宿題には決められた日までにやってくる、与えられたノルマをこなすなど勉強以外の要素も多く入ってくるので、この性質は社会人になったときに役立つと思います。みんなで協力して何かを作り上げる場合、どうしても締め切りやノルマなどは守っていかないといけないので。 

 

また、小学校での読み書き計算などはやっておいて損はない。反復していくことで身につくので、本人のためにもやったほうがいいとは思う。 

 

なので、宿題にどういうメリットがあるのかということを保護者にも周知徹底して、協力してもらうしかないと思います。ハイレベルな生徒には考えるタイプの宿題、反復が必要な子には反復の宿題など、宿題も2タイプから選べるなどがあればいいのかもしれません。先生自身のキャパオーバーになることもあるかもしれませんが、、、。 

 

 

・昭和では良く合った光景です。私の中学は不良学校でしたので、早朝竹刀片手に学生指導している先生もおりました。今やっているじゃないですか。昭和と令和の違いのようなドラマ。本当にあんな感じで。先生は厳しかったです。 

だから、今の時代のように、先生をなめる生徒も親もいなかったように感じます。 

 

 

・学校は社会生活を学ぶ場だと認識してるので、正当化できる理由がなく期限に守らない、しかも長期間に及ぶならどうなるのかを教える必要が教員にはあると思います。 

体罰はダメだとは思いますがきつめに怒るのは必要です。 

これで親が怒るのであれば社会に出てからも親が出てくるのでしょうか。 

社会はそんなに甘くありません。 

1つのミスで取り返しがつかない事もあるのをしっかりと教育が出来る学生時代に築いていく必要はあります。 

 

 

・やり過ぎとの声も分からなくはないが、そこまでしてもやらない生徒は少なからずいる。 

何でもかんでも体罰だーと言うのでは無く、その状況や場面を確信した上でのはなしにするべき。 

最近は教師が怒らないからと、舐めてかかる生徒も多いし、じゃあ先生の事はは誰が守るんですか?と言いたくなる。 

もちろん度が過ぎるのは良くないが、ある程度の指導や躾は絶対に必要と考えます。 

 

 

・温室で大事に大事に育てた花は、完璧に環境が整えられた無菌状態の温室の中ではのびのびと育つでしょう。 

 

しかし、その花は生涯温室で育つわけでは無く、花が咲くころになると出荷され、初めて外の世界で過ごすことになり、外の世界は暑かったり寒かったり日が差さなかったり水が無かったりと温室とは環境が大違いになります。 

変な病気に掛かったり虫に食われることだってあるでしょう。 

 

そんな厳しい環境の中でも花を咲かせる事ができるのか、花を咲かせて種子を残して次の世代のバトンが渡せるようになるのか。 

 

そう考えると、昭和の頃のような体罰上等な時代も問題と思いますが、今みたいな障害物をすべて取り除いた無菌状態で育てる風潮が強まる事にも不安を覚えます。 

時代で変わるので難しいですが、極端にならないバランス感覚が必要なのだと思います。 

 

 

・先生の機嫌でやってるわけでなければ、自分の子供が悪いことをして怒られることはありがたいことだと思う。親がいくら言ってもきかない子供はいっぱいいるとおもう。 

最近は先生が変なモンペのせいで萎縮してしまって国もそれを擁護してしまってると思う。小さいうちはある程度厳しくないと社会に出てから迷惑をかけたり、打たれ弱くて少しのことで引きこもったり本当に子供のことを考えているのならば最低限のしつけは必要だと思う。 

 

 

 

・娘が小3(10年前)のとき、忘れ物したら黒板に名前を書いてました。 

たまたま放課後に用事があってたずねたとき、 

先生に「絵を貼ってるので良かったら、見てあげてください」と教室に入れてもらったら、 

名前と何を忘れたか書いてあった。なぜか先生の名前と「給食エプロン」と書いてました。 

一日で3回注意されたら、帰りのHRで前に立たされるとかもあったけど、誰は一人文句言わなかったし、子供達も先生に懐いてたけどなぁ。 

きっと今ならこういうのも問題かな? 

 

頑張った子、すすんで掃除やお手伝いをしたら、すごく褒めてくれることもありました。 

 

 

・中年ですが、私が小学生の頃でもこんな事はなかった。ですが、私が小学生の時以上に今の小学生はやりたい放題な気がする。親が怒らない、教師はもっと、怒れないって、環境で子供が言うことを聞かなかった場合どうすればいいか困ると思う。 

今回の教師も、教師になりたてでこういうことをしていたのでないのであれば、我慢の限界がきたのでしょうね。 

個人的には、学校の先生というのは、どの職業よりもストレスが溜まると思う。 

 

 

・社会に出てからも約束の期限を守るというのは非常に大切なことで、頼んで延びることもあればそうでないこともありますが、 

それこそ土下座すればなんとかなるなんて場合も現実的にはあって、 

その是非はともかく、社会勉強の一端と考えると方向的にめちゃくちゃ間違っているわけではありませんよね。 

 

昔話ばかりしてもしょうがないですが、私が小学生だった40年ほど前はこんな教師ばかりでした。 

授業の途中でも気に食わないことがあると職員室に引っ込んでしまい、先生のご機嫌を直そうと児童たちが列をなして一人一人謝るなんてこともありました。 

そんなクソみたいな経験からも学ぶことはあった。 

この記事の土下座もうまくすれば双方にとっての教材にもなり得たところ、こんな騒がれ方をしてしまったらもうわやくちゃですね。 

 

 

・土下座という方法を取れば問題視されることは今時誰でもわかる事だと思うから、教師のした事について処分が下される事については仕方ないとは思う 

 

ただ気になるのが、教諭が毎回このような対応をしていたのか 

この児童が宿題を忘れたのはたまたまこの日だけなのか 

そもそも宿題を忘れたのかやってきてないのに忘れた事にしたのか 

そういうところも明らかにしてから処分を決定すべきだと思う。 

 

 

・自分の時代は体罰は当たり前、授業中に廊下に立たされるのも普通でした。 

ヒステリックに竹刀で殴る先生、素手で叩く先生など小中学校には色んな教師がいました。 

今なら社会的事件になりますね。 

宿題をやって来なかった子には罰則は与えず、成績で評価するのがベストではないでしょうか? 

先生に土下座しても何の意味もないですから。 

教師も感情的にならずに、授業に集中して貰いたいもんですね。 

 

 

・保育士ですが、20年前になりたての頃、先輩がいつも娘の学校の担任の文句を言っていました。 

娘には担任の言うことは聞かなくて良いと言っていると。 

 

しかし、保育士としては親が文句を言うようになったら、子どもはついて来なくなるから気をつけるのよ!なんて言っていました。 

 

先輩は、うちの〇〇ちゃんは優秀で…が口癖でした。 

 

それが6年生になるなり、毎日学校から呼び出し。 

一応携帯は普及していましたが、学校から職場に電話が入る日が続きました。 

 

まず遅刻が当たり前、しかも真冬でも濡れた髪と半袖で登校し、門を乗り越える、授業中もテスト中もいつも机を掘っているそうで、やめなさい!と母親が言っても、先生の言うことを聞かなくて良い、塾に行っていれば学校のテストなんて意味がないと言ったのはお母さんでしょと言い返されるそうで、愚痴を言っていると学校から電話が来る日々。 

 

育てたように育っているなと思いました。 

 

 

・今の先生方は大変です。私が小学校の教員免許のために実習したのが40年程前。ちょっと時間ががあると副教材作りになっていたりして自分でしなければならない事の多さは今よりはほんの少し少なかった感じはします。PTAも以外と穏やかで~23区内のためでしょうか、今のようにモンスターはいなかった様です。少しの学習遅れの子供は普通教室で見てましたし。宿題自体が日常的に有った訳では無かったからかも知れないです。でも、新卒・新任の先生はテンパってる事が多いと職員室では話が出てた位なので大変なのだろう、と感じてはいました。 

 

 

・最近は、モンスターズペアレントが存在してますからね。ちょっとしたことで、親に告げ口され、学校側に怒鳴り込む等の手段に出ますからね。  

 社会人になれば、提出書類の期限とかもありますから、自分だけの責任で済むうちに必ず期限に間に合わせる努力は必要ですが、他の児童の前で、頭を下げさせられる屈辱はあるでしょうね。個別に呼び出して、注意するだけで良かったかもと、第三者としては思います。 

 

 

・宿題をやる、って実はすごいマルチタスクなのだとか。 

まず宿題出されたのをメモして、自宅で思い出してみて、やる範囲を理解して、漢字ならお手本を見て書く、枠の中に収まるようにかいたり。忘れずにランドセルにいれて、出す。なんの苦労もなく当たり前のように出来る子が多いかもしれませんが、物事を順序立ててするのが苦手とか、一度にたくさんのタスク(見て書き写して、枠からはみ出ないようにとか)が難しい子もいるみたいです。何度も宿題出さない子の中にはそういう子もいるのではないでしょうか。 

 

 

・宿題忘れると罰や体罰があった世代ですが、期限のある提出物を出さない生徒が明らかに悪い。教育では不適切な指導とされているが、社会に出て顧客や取引先に提出物を期限を過ぎても出さない場合、本当に土下座して謝罪しなければならない事もあります。大きな責任や負担が少ない内に多少意地悪な教育も視野を大きくもって保護者や生徒も考えなきゃいけないと感じます。社会にでればもっと意地悪で性格の悪い方や会話のできない方は意外と多いですからね。先生が悪いが通用するのは学生までですからね。 

 

 

 

・土下座はちょっとやり過ぎなのかな…とは思うけど、もしうちの息子がこの立場だったら「期限を守らないあなたも悪い」と伝えて、別に学校に苦情は言わないかな。 

我が子のクラスでは、宿題出さないのに対してもう高学年なのだから自己責任、と提出を促さなかった担任に、「ちゃんと見てやってくれ。宿題出せって言うのが先生の仕事だろ!」と怒鳴り込んだ親が居たが、そもそも宿題させて、ちゃんと提出するように躾けるのが親の仕事だと思う。 

 

 

・学校は教育の場ではなくなり、子供や保護者に気を遣い、いかにしてクレームを生じさせないようにするかだけを考えて対応する場になっているように感じます。 

そのため、子供同士のケンカで、口うるさい保護者の子が悪くないと判断されるのを何度も目にしました。また、そうして育った子がクレーマーになるといった負のスパイラルにつながっているようにも思います。 

 

 

・背景事情が分からなければ、何とも言いようが無い。 

常習者なのか、1回だけなのか、だけでも判断は大きく変わる。常習者なら段々厳しい措置にエスカレートしても仕方無い。 

事前に親と相談して、親が「私が先生に大袈裟に謝れば、大変効果があると思います」とか助け船を出されたら、打ち合わせ通り先生が説明し、親が大袈裟に謝るなど、子供に「二度と延ばせない」と痛感させるほどの「大事」にする方が正しい。 

1回だけの場合なら「やり過ぎ」との批判は当然あり得る。 

 

 

・昭和の時代のしつけの良し悪し分かるけど、昔も意地悪な根性曲がった嫌な先生っていませんでした?宿題忘れてしばかれて倍に増やされるとかは、よくあったしまだ笑えたけど、1人だけみんなの前で吊るし上げられネチネチ嫌味を言い、最後に謝らせる。みんなの前で土下座しろって言うやつなんて、絶対嫌なやつだよ。宿題忘れたなんて、大したことじゃないけどルールを守れないのは今後の人生に響くよってことは親が教えればいいけど、こういう性格悪い教師は、私が生徒でも親でも何で、なんなんじゃと思うわ。 

 

 

・自分が子どもの頃は学校で悪いことをすれば土下座、ビンタ、頭にゲンコツは当たり前だった。だが自分が悪いことをしたという自覚があったので、家に帰って親に報告することもなかった。下手に報告すると今度は親父に殴られてやぶ蛇になるから。 

勿論暴力はいけないが、ケガを負わせない程度の体罰は必要なことだと思う。物事の善悪を身を持って覚えさせることも教育の一環ではないか。 

 

 

・よく教師の体罰的な物がニュースになるが、あれもダメこれもダメばかりではなく、忘れ物をする子供にはこう、立って歩く子にはこう、みたいなのも提示していかないと、教師は何も出来ない何も言わない何も言えない…みたいになって、無気力になってしまうと思う。そういう問題が起こるたびにでも教育委員会や文科省などで、対応策を考えていった方がいいと思う。 

 

 

・大金を使って毎年「学力テスト(国レベル、都道府県レベル…)」が実施されていて、静かな学力競争の様相が広がっています。学力向上の一つとして「家庭学習」が位置づけられて、この学校・先生も追い込まれているのでしょうか。 

 子どもにとって楽しい学校、学級であってほしいですが、先生にとっても楽しい学校、職場であってほしいてすね。 

 

 

・この先生の言い方だと「まだ宿題をやらなくても大丈夫な状況をいかに作り出すか」に焦点を当ててしまってるので指導としては良くないと思います。 

「宿題をやらないとどんな不都合があるのか」「宿題を提出するためにはどうすればいいのか」を一緒に考えて導くのが教師の在り方なのではと思います。 

 

それにしても、以前忘れ物が多い児童のランドセルに貼り紙をして帰宅させた教師がいたり、宿題や忘れ物に対してそこまで感情的になってしまう環境にある教師は本当に大変だと思う。 

困るのは児童本人で、教師じゃないのにね。 

 

 

・教育というのは遙か大昔からされていたことで、土下座をさせる行為の善し悪しは近年の教育トレンドでは無いという程度の事だろう、実際に宿題を忘れて厳しく叱られた子供と、優しく諭された子供では、どっちが立派に育つかなんて検証もされていない。 

 

ただ教育の結果の善し悪しを数字という可視化できるもので評価するのであれば平成初期から比べて不登校が加速的に5倍に増えて、社会全体では自殺者は減っているのに子供の自殺者は増え続けているという今の教育現場が過去の教育より優れた教育だと盲目的に評価する事はできない。 

 

教育を進化発展させる途中で、思いやり、忍耐、責任感、協調性、連帯感など目に見えない大切なものを不要として削り取ってきた可能性も振り返って、必要なものは再度教育に組み込む等して教育を常にアップデートしていく必要もあると思う。 

 

 

・土下座は指導ではない。人格の尊厳を犯す行為。宿題という約束を守らせるために、土下座は不適切。宿題をしないと自分が困るという体験も教育の一環だと思うので、教育現場としての姿勢を保護者ともっと連携出来ていたら、と思う。現場は宿題をしていない人をやるようにしていかないと、放置してるとみなされるプレッシャーがあると思うので、過度な指導をしてしまうのかもしれない。宿題=約束を守る、守らないと困る、という発想が子供の内側から湧いて来るまで待てる教育現場の風土もあってもいいのでは、と思う。 

 

 

 

・どういう経緯、事情があったにしろ、「教諭が児童に土下座をさせた」というだけでアウトになるという認識が教諭側にないのが問題だ。ましてや土下座の強要など、あってはならない。 

 

学校側は経緯を説明するとあるが、こうした経緯は時として「言い訳」と取られる可能性が多々ある。児童がどういう行動をしていたかだとか、家庭との意思疎通ができていたのかだとか、気になることは多いが、基本的に学校側は謝罪せざるをえないだろう。 

 

学校側が取れる改善策として、コンプライアンス研修の徹底などとよく言うけれど、それは不十分だと思う。 

適切な児童への懲戒処分の実施法について、正しい認識を持たせることこそが一番重要なはず。小学校においても、児童に懲戒を行うことは法的に可能だ。 

ただし、何が許されて何が違うのか、学校や教諭に正しい認識が必要だ。 

 

 

・自身も子を育てる親として、この件の一番の原因は宿題をしてこなかった生徒。 

そして、この生徒の親にも反省すべき点が大いにあると思います。 

そして、現在のデジタル社会はこの様に直ぐニュースになります。それを見た子供達は問題の本質を理解せず、自分を棚上げして「土下座」だけにクローズアップして騒ぎ立てる風潮にも原因があると思います。これは子育てでも言える事で、直ぐにパワハラやDVだと、子供が親を警察に突き出す時代です。 

子供の顔を伺う親や教師、子供達を腫れ物に触るように扱う今の風潮は、本当の意味で子供の未来を考えてはいないと思います。 

 

 

・「どげさしろ」は不適切だが、全国ネットで取り上げるほどの問題だろうか。今の教育指導では「なぜそうなったのか」を生徒から聞き取るところから始めるのがセオリーで、最終的には生徒に努力を求め支援するのが正しい。場合によっては家庭環境や何らがしかの問題が隠れているやもしれません。その根本問題を見つめ解決しないと同じ事を繰り返す可能性がある。そこに生徒の成長があると考えます。教育委員会も「不適切」と上から目線で断じるのではなく、先生を育てる方策に転換すべきです〔教育委員会は今だ超縦社会ですから〕。じゃないと先生になりたい学生はますますいなくなりますよ。 

 

 

・人生では理不尽なことが起こるもの。土下座を強要することで子どもたちに理不尽さを体験させるのは、ある意味で教育上必要。緊張感を持って物事に取り組む態度を養うためにも、時には厳しい指導が不可欠だと考えます。社会に出てから直面するかもしれない理不尽さに対処する力を身につけさせる一環として、このような指導が行われることは、子どもたちのためになると信じています。 

 

 

・まあ、土下座は少しやり過ぎ感もありますがこの記事の状況で子どもがそれでものすごく傷ついた可能性は低いと思われます。ちょっと恥をかいたぐらいでは? 

ここの教育委員会による不適切の基準が明文化されていたとしても教育の現場は臨機応変となるのでしょうし、先生も挙げ足ばかりとられては身動きとれないと思います。いっそ宿題をやってこない場合は放課後居残りでやり遂げてから帰宅の一択にしてしまうとか、見えやすいルールを生徒らから募集してはいかがでしょう。 

 

 

・ある意味。宿題を忘れた子たちに機会を与えるための方法であったのだろうけど、やり方が昭和過ぎたのかもしれない。 

私が学生の頃、ある米国人講師は論文課題の提出が遅れた生徒には一切機会は与えず、問答無用で単位を与えなかった。 

他の日本人講師は猶予を与えていたのだが、こういった毅然とした対応も良いと思った。 

 

 

・宿題という制度をいい加減やめて欲しいです。 

今の時代、勉強させたければ塾やタブレットの通信教育、書籍や習い事などいくらでも家庭での選択肢があります。 

共働きの世帯も増えてる中で、家で親が子供の宿題までみる余裕もありません。 

宿題やらせないと学習が追い付かないのなら、学校で7時間目に宿題という時間を作ってほしいです。 

宿題なんて、児童、親、先生の誰も浮かばれない、昭和からの遺産だと思います。 

 

 

・宿題はもう家庭学習として各家庭に任せていくというようなことを職員で決めたが、その結果を伝えるだけでなく、まずは保護者に相談するという。それは嫌だと言う人がいれば、その案もなくなる。なぜいちいちお伺いを立てなきゃならない時代になったのかなぁと思う。こうしますよ、でよくないですか?だかは、親は反対したもん勝ち、言ったもん勝ち、そんな風潮が蔓延しています。学校は(管理職の保身が大きい)ますます託児所と化す。 

 

 

・宿題、大事だと思うよ 

人生やりたいことだけやれば良いって訳じゃないし。嫌でも大人になって、やることやらなくて良い事を自分で決めるようになる 

 

だから、出来なかったり、やらない子には代替え案を出してでも取り組む方法を考えないと 

 

土下座は全くダメだけど、例えばみんなの為の係の仕事をしてもらうとか、先生のお手伝いをして貰うとか何か手はありそうだけどね 

 

 

・先生も人間なのだから、生徒の態度や周りの反応などでこうなってしまうことだってあるだろう。 

大人だから、先生という立場だからと、なんでもかんでも先生側を責めるのは違う。 

確かに土下座は今の時代こうなってしまっても・・というところがあるかもしれないけど、根本としては提出しないといけない宿題を提出しない子もこの土下座させるまでの過程において重要なところ。 

今回土下座をさせる前のところもかなり気になる。 

いつも宿題をしてこない子なのか・いつも宿題をしている子なのか。 

そういうところは目を向けず、ただ土下座させたで「ひど!!」って先生側を強く責めることはないかも。 

 

 

 

・小学生息子は「宿題なんてなかったらいいのに、何でだすんやろ」ということがあります。 

親としては「先生も大変だから本当は出したくないと思う、わざわざ出してくれることに感謝しないと」といっています。 

やっただけ身に付くことや、やらなかった場合は先生を無視してるのと同じだから失礼なことだとは伝えてます。 

ただ、そんなことを言いながらも音読の宿題やストレッチ課題などはやってなくても自分でやった風にしてスタンプを押して提出していたりして。良くないな~と思いながらだんだん言うのに疲れて放置してしまっています。 

これで先生に注意されても本人ときちんとやらせない親の責任ですね。 

 

土下座はやり過ぎな気もしますが、当事者児童の普段の様子やこうなってしまった経緯も気になるところです。 

 

 

・背景がよく見えないので、難しいけど、ホントにやらせちゃったのはマズいんじゃないかな。 

ただ、常習犯だったり既に期限が伸ばした後だったりするなら、この先生の発言自体はいいんじゃないかなーとも思う。 

教師は子供が宿題をやってきたら、期限を過ぎてても評価しないといけないなんて決まりは無いでしょ? 

期限を守らないとどうにも取り返しがきかない場合もある、って認識させる必要もあるとは思う。 

 

 

・何が良いのかよく分からないというのが個人的な意見です 

理想的な指導というのもあるのだと思いますけど大前提として大事なのは指導方法ではなく指導の結果だと思います 

生徒1人1人に適した指導方法というのは差異があると思いますし理想的とされる指導では効果が薄い生徒もいるかと思います 

なんですけど、それを実践するのも不可能だと思いますし体罰等の問題を考えると指導方法の範囲を絞らないといけないですしと頭の中でぐるぐる回るばかりです 

 

 

・昔はこうだったという話しを持ち出しても、今はそんな時代じゃないと言われますね。 

それを承知の上で言わせてもらうと、小学校の頃は宿題をやらなかった子は先生に叱られる、態度が悪かったら頭どつかれるが当たり前でした。 

立たされてみんなの前で男性教諭に張り倒されてる男の子何人もいました。女の子にはそこまでのことはなかったですけど。 

でも、先生にこっぴどく叱られても親に報告なんかしてなかったと思います。 

もし、報告してたら親が謝りに来るぐらいだったでしょう。それぐらい先生は偉い立ち場の人でした。 

今は先生方の苦労はその頃とは雲泥の差ですね。大変だと思います。精神的に病んでしまう先生がいるという話もあります。 

この度の先生の土下座という言葉だけ取り上げたら、確かに良くないと思いますが、大騒ぎする事でもないように思いますが。 

先ずは宿題の期限は守りましょうよ。 

 

 

・小学生の親=まさに30~40代と私達の世代。自分の同世代にもモンペアと呼ばれる人たちいます。 

怒られた我が子が嫌な思いをして可哀想許せない!が瞬時に先生への怒りになります。 

なぜ怒られたか、怒られた理由をわからず放っておき、わからないまま大きくなれば、長い目でみてどんなことになるか、それすら想像できず、今起きたその部分しか見ていない。 

 

子供の親世代の視野の狭さと想像力の無さが本当に深刻です。 

 

 

・男教師も女教師にも言えることですが、感情面で未熟な人は教育の名を借りて、ヒステリックになって大人が子供を諭すというより子供同士の喧嘩というか腹いせに怒鳴り散らす力任せに対応する場合があるようです。これでは話になりません。問題になる、ならないはこの部分が結構関係するのではないかと。本人だけでなく周囲の子供も結構冷静に見ています。自分も小学生の頃、同じことを言われても異常に腹立たしく見るのも嫌と嫌悪感を感じた先生がいましたが、今考えると感情を制御できない(感情の起伏がジェットコースターのような)先生でした。今回の場合がどうとは言えませんが。 

 

 

・土下座させるのが良いとは思わないけど、 

親の言葉も 

教師の言葉も何も心に響かず 

平気な子供も確かに少数派だけど居ると思います。 

 

 

叱っても叱ってもヘラヘラして響かなかったら、教える側としてはどうしたら良いのか… 

 

直ぐにハラスメントと言われる時代、教える側の大変さもみんなで考える必要があると思います。 

 

 

・今の学校の授業が何限目まであるのか知らないけど、最後の一枠を「宿題の時間」にしてやる気のある生徒はその時間内に担任に質問しながら済ませて提出できるようにすればいい。 

やる気のない生徒はダラダラしててもいいけど期限までに出させる。 

そしたらうちに帰って遊びたい生徒たちもその時間に済ませれるだろうし、宿題ストレスも無くなる。 

ある意味「同調圧力」をうまく利用するわけだが 

先生は生徒とのコミュニケーションを取れる場として上手く活用すればいい。 

 

 

・昔は先生、親、地区に住んでいる大人が連携して子供を育てていた。 

親からは先生の言う事を聞きなさい、言うことを聞かないうちの子にはげんこつをしてもいいなんて話もあったし、暗くなって出歩いてる子供に早く帰りなさいという近所の大人もいた。 

 

だからこそ、そんな鬱屈に反発するような尾崎豊の曲や、ぼくらの七日間戦争のような映画が生み出されたわけだ。 

だがそれがいつからかお互いに責任を擦り付け合うようになった。 

親の教育が悪い、学校の指導が悪い、自分の子供じゃないのだから放っておけとなる 

 

そして親や学校は自己弁護する 

学校は忙しく、教師の負担が大きすぎて対応しきれない。 

家庭でも教育してくれ 

親だって働いてるのだから対応しきれない 

子供を教育するのが学校だろう 

 

次に大人は子供の自主性という名を付けて責任逃れをはじめた 

今では子供でも大人と同じ責任を背負うべきだという意見すらでている 

教育とは何? 

 

 

・ちょうど時を同じく『不適切にもほどがある』のドラマと重なりました。 

土下座は正直、この時代ではダメだと思うものの、生徒児童に対しどれだけ本気だったのかは大切だと思う。 

世の中に出れば大なり小なりペナルティはある。仕事で期限を守れない人は信用がなくなっちゃうし、お客様なら取引なくなる案件。そうなる前に子どものうちに教えておくというのも大切だろう。 

教えるのっていつの時代でも難しいのだろう。 

 

 

 

・1度や2度の宿題忘れなら誰にだってある。この児童はどのくらいの頻度で宿題忘れをしてきたのだろう。これが初めてで、その上で土下座ならやり過ぎですが、常習的で、何度指導しても改善されないのなら、教師も人間です。きつい一言は言いたくもなるでしょう。もちろん土下座は精神的苦痛を伴うため、行き過ぎた指導だと思っています。 

宿題をしてこない、教室の秩序を乱す等の問題行動を保護者に説明するのは難しいです。理解を得られない可能性は十分あります。土下座はいけませんが、教師の苦悩も理解できます。 

 

 

・宿題には「期限内に提出する」という課題を与えて「提出期限を守る」という訓練を繰り返すことで「課題を克服することの重要性」を教えたり「訓練を通して課題が克服できるようになる」との成功体験を教えるという教育的効果があるのだから、社会人になる前の義務教育の中で必要不可欠な教育の一つと思う。 

 

宿題の期限内提出のできない生徒への土下座を強要する体罰的な懲罰は意味がない。 

 

人には承認欲求や自己顕示欲があるし、疎外感や劣等感や羞恥心や克己心といった感情もあるのだから、できている者への賞賛を繰り返しつつ、しない者やできない者との待遇差を都度明らかにしたり、できない者が「何故できないのか?」「どうすればできるようになるのか?」に焦点を当てて個別対応する方が良いように思う。 

 

暴力や恐怖を使って無理強いさせることで得られる教育的効果は決して多くはないどころか、子どもの成長期における人格的な歪みになる。 

 

 

・小学生ぐらいだと、言葉を操るので、考える力があるように見えてしまう。だが、教えてもらっていないことの答えを出すのは苦手。特に、模倣から入るべきという言葉もあるとおり、ゼロから考える力は弱い。だから、忘れ物をした時に心に残るようにしたいのはわからないではないが、防ぐ方法を教えて欲しい。忘れ物や整理整頓など、きちんとやることは大人になってから重要。親の躾もあるのだけど、学校で行う機会も多い。価値を解らせるためにペナルティをかしても、そもそも価値がわからないので、嫌な気持ちになるだけだろう。なので、きちんとした大人になることが大切であることの教育を親も学校もしてほしい。 

 

 

・私は、小学生の頃、遊びに夢中になって、何時も宿題を忘れて、両手にバケツを下げて廊下に立たされてました。その先生のおかげで県下有数の進学高校に合格、職場でも上級幹部までなれました。 

女性の先生で亡くなられましたけど、今でも廊下にち立たさたことで、自覚し頑張れたと、本当に先生に感謝しております。 

なんで宿題を忘れるのかが問題では? 

 

 

・そもそも最も悪いのは宿題が期限内に提出で来なかった児童たち。期限を守ることが出来なかったら自分でどうにかするのが当たり前。「提出期限を延ばしてほしいなら、土下座でもしてお願いしにおいで」とこの先生は土下座を強要しておらず、土下座を選択したのは児童たち本人。土下座が嫌なら自分で他の解決策を考えれば良いこと。この親は、なぜ期限を守らななければならないのか、この次からどのようにして期限を守るか、を躾けましょう。 

 

 

・罰は必要です。 

交通違反のように100円の罰金制にしたら良いと思います。 

市町村環境衛生が主催の集落の集団清掃作業は出席しなかった世帯は協力金として3、000円です。 

だから社会を知る教育として、罰金制がいいと思います。 

名称が罰金じやだめだから、違約金の名称で。 

違約金は学級費に入れて、三学期に児童みんなに記念品を渡せばよいと思います。 

 

 

・期限をのばさないのが教育。先生が親の指導までしなくてはいけないのが気の毒。記事の書き方も話題性優先で不適切。土下座しろは不適切だけどね。先生も大変だから、期限を守らない生徒は提出物減点すればいいと思う。生徒とも親とも距離感てすごく大事なんだと思う。 

 

 

・支援級に在籍する子を持つ親です。 宿題の量が膨大で、3時間泣きながらやっても終わらないことを主治医に相談したら、「宿題って本来、子供それぞれにあうレベルで、合う教材を出すのが一番なんだよ。一斉に教える中で全ての子供が同じ速度で理解出来るわけない。学校の授業は学力が真ん中の子くらいに合わせて作られてるから、クラスの半数は理解できず、上澄みの方の子はつまらない。だから、本当はやさしい問題〜難しい問題まで、三段階くらい宿題をレベル分けして子に選ばせたら良い。そもそも、学校の授業に集中する方に気力をつかわせ、宿題は少ないのがいい」と。支援級の我が子はレベルにあう量に減らしてもらうよう言われた。すると集中して取り組めるようになった。 公立で宿題なくした学校もあるというし。土下座ではなくなぜ忘れちゃう、やりづらいか一緒に考えてやらないと、大人への恨みだけが残る子になる。ますます言うことを聞かなくなる 

 

 

・このニュースを見ると、この子本人の問題と言うよりも家庭の問題かと思います。 

宿題を出すと大体の家庭では、宿題をやっているか?の話はあると思う。 

忘れ物が無いか声をかけてあげるとの同じようにね。 

 

だとすると先生に配慮して欲しかったのはこの子の家庭がどうなっているか? 

あまり踏み込めないのはわかるので、電話連絡なりで確認してみるなどかな? 

 

 

・どういう宿題だったのか、この記事からは分かりませんが、私が教師だったら、帰りの会の後に教室に残らせてでも、その宿題を仕上げさせるような指導をしますけどね。 

それが、子どもにとっては、一番身に沁みると思います。 

 

 

 

・遥か昔に習字の時間割で使用する習字道具を忘れたら、冷たい床に並んで正座させられた挙げ句に教室外から持ち込んで来た移動式黒板で頭を叩かれました。 

黒板が重たくて置きたい場所に私達が正座していたので黒板の置き所が無かったんじゃとは思いますがね。 

そういうあからさまな指導でさえ、当時は「こんなもんか」と疑問符を唱える事もなく、めげずに正座したまま膝上でピアノの練習を楽譜反復脳内で再生しながら指を手を動かしていたものでした。(七転八倒させる為には有用だったのかな?) 

その後出世して郷里で校長名簿に名前なんて連ねてました。その人選については何か間違ってやしませんかねぇ? 

 

 

・土下座させて何の意味があるのでしょうか。先生は土下座させることで心を入れ替え、次からは真面目に宿題をやってくるとでも思ったのでしょうか。 

ただ、子供の尊厳を破壊し、生涯心に傷を負わせることになる、とは思わなかったのでしょうか。 

この子供がやがて大人になり、子を成し、その子供が学校に通うようになったら、当然、教員を見る目は厳しいものになるでしょう。 

 

 

・幼少期を思い出せば、児童の立場としては提出期限など伸ばしてくれなくても何も困らないからそのまま帰宅して遊びにいく一択だと思ったのだが世の中の多くは私より真面目なのだとしみじみ思う。 

もちろん泣くまで殴られたり、もみじをくらったり、罰掃除や室外で立たされたり、親に連絡されて親にもしこたま殴られたりが当然の時代だったが、性格は入学から卒業まで変化なく、私の存在が体罰の無意味さを証明していると思ったのか定かではないが学年が上がるごとに体罰頻度は減った(匙投げられた説)。 

宿題なんぞ子供が望んでやっていることではない。してほしければなぜ必要なのか子供を理解させ納得させるべきだし、それが教え導くということではないか? 

もちろん別にわざわざしてほしくなければ淡々と評価に反映でいい。こちとら小学校教師の評価など気にして人生生きているわけではない、と恥ずかしながら当時本気でそう思っていた。 

 

 

・たぶん、多くの人の意見とは違うと思うが、宿題を忘れてどうして謝罪しなければならないのかがわからない。 

たとえば、授業中にしゃべったり、勝手に移動して他の児童の勉強の妨げになったというのなら謝罪もわかる。 

しかし宿題と言うのは自分の学習を補完するものだから、それをしないという選択が土下座なら、テストで一定の点数以下の児童も土下座をさせるべきだろう。 

 

 

・とんでもな意見だとは理解していますが…。 

そもそも論だけど、宿題という文化そのものをやめればいいと思います。 

 

家庭内の判断に任せ、家で行う勉強は各々の家庭で完結させれば業務も軽減できるし、宿題に対しての指導などなくなるから別の指導に時間もさける。 

 

やらされてる宿題をいくら頑張ってもあまり効果はないような気もします。 

 

 

・昭和38年生まれの私だが幸いにも担任には恵まれた様だ。あと部活の顧問にも。父は私が4歳の時病死しているから母子家庭で母はフルタイムで働いていた。勉強が嫌いだから宿題をやらないなんて頻繁だった。担任はお前は本当にしょうがないな、女手でひとつで育てているお母さんに迷惑をかけるなよと言われた。廊下に立たされる事もあったし罰として廊下の雑巾がけをする事もあった。でも今はこれは体罰扱いになるの。何か変じゃない。宿題をしなかった私が悪いと小学生の私でも理解できたよ。でも土下座をさせる教師なんて1人もいなかったよ。 

 

 

・この時代に土下座は不適切ではあるものの、期限を守らせるってすごく大切だし、延期して欲しいのなら自分で伝えるというのも大事な教育。何年生かわからないけど、先生だってチェックが面倒な宿題を出したくて出してるわけじゃないし、何のために期限を設定しているか考えてもらいたい。 

 

 

・現役教員ですが、土下座強要なんてこんなこと許されるはずがない。家庭によって本当に様々な事情があり、忘れ物も子供自身の責任だと到底言えない場合も多々ある。子供がグレーで全体指示が入りづらかったり、理解力の面で難しい場合もある。 

どうしてそうなってしまうのか、どうすればうまくいくかを一緒に考え導いてあげるのが大人や教員の仕事であり、土下座といった、個人の尊厳をいたずらに傷つけるようなことをするのが正しい指導だなんて絶対に思えない。 

 

 

・土下座の強要じゃなくて、選択肢として土下座があったわけでしょ。 

ならば期限延期を望まなければ土下座しなくてもいいわけだし。 

ちゃんと期日を守ってる子供達に示しがつかないでしょ。お咎めなしなら真面目な子供達との信頼関係が揺らぐわ。屈辱を感じるようならば次からは気を付けるようになるんじゃない? 

ペナルティが目的になったら問題だけど、ペナルティ自体は集団生活をする上での秩序維持に必要な事だと思う。 

 

 

・この教師の対応が適切だったとは思わないが、この子の保護者は宿題するように我が子に話をするのではなく担任が土下座をさせたことだけを騒いで責めているのか? 

 

まずは担任に対して「すいません。次回からはきちんとさせます。」の謝罪が先ではないのか? 

 

私も小学生の娘がいるけど、うちの娘は宿題やれと言わなくてもやっているのでやりなさいと言った事がないがもしやらなかったらまずは子どもにやるように話をする。 

 

これは学校での出来事だが、社会人になったら仕事の期日というものがある。そういうのを守る為の訓練が学校での教育だろう。 

 

この保護者は担任を責める前に先ずは家庭での教育が先だと思うが。甘やかしているのか、無関心なのかしらんが今のうちに最低限の躾はしておかないと将来子どもが困ることになると思う。 

 

 

 

・土下座を先生にしたのであれば、先生は見せしめにしたとしか思えません。クラスの子どもを宿題忘れたらと脅迫しているように伝わるのではと思います。 

世界はインクルーシブ教育やダイバーシティなど、多様化の波があるのに日本は遅れているのでしょうか。 

宿題をしないことで本人が困ることを保護者や本人に伝えることが難しいのでしょうか。 

 

出来ないことより出来ることに焦点を当てるといろいろな人が生きやすくなるのではないでしょうか。 

 

 

・48歳です。私が小学校の時は普通に一日廊下で正座とか給食おかわりできないとかあったなぁ。それがいいとは言わないけど先生を馬鹿にするような事はなかった。権力で押さえつけるのはよくないかもしれないけど世の中理不尽なこともあるって学んだような気もする。宿題を忘れても今の先生は怒れないような気がする。 

 

 

・放課後指導も働き方改革でできなくなった今、家庭学習こそ、社会格差、教育格差を埋めることができる大切なものだといって良いものだと思います。そういうものを埋めるため教師になった人もいるでしょう。だから一生懸命指導する。そしてこんな結果に結びつき、宿題なしにしよう、自主性にまかせようという動きにつながる。本当に良いのでしょうか?格差社会がどんどん広がっていくよ。 

 

 

・宿題しなくて叱責(土下座含)されるのは、10年ほど前だったけどうちの子供達の時もあった。 

帰って来て赤くなった膝を見せて「30分正座させられた」と言うから、「お前が悪いんや、1時間くらい座っとればよかってん」と妻は言っていた。 

うちでも、約束を守らなかったら普通に正座させるし、他人さんに迷惑かけた時は、相手宅までひきずってって土下座させて謝らせた。 

 

今は叱るのも難しいね。 

それならそれで、宿題しない、授業中に騒ぐ…と言う子どもには叱責も注意もせず問答無用で成績表に反映させればいい。勉強だけでなく生活態度にも点数つけりゃいい(もちろん期限延長とか温情もなし) 

でも、それはそれで「教師の怠慢」とか言うんだろうな。そういう親は。 

 

なぜ叱られたのか、根本を考えたら「叱ってくれてありがとう」「迷惑かけてすみません」と思うがな。 

学校も教育委員会も及び腰すぎないか?教師の立場も守ってやってほしい。 

 

 

・先生が悪い訳ではないかもしれないです。宿題忘れの常習犯なら、保護者に責任がある。まあ、勉強が分からなくて困るのは子ども本人ですから、この土下座をした子の保護者もそれで良いと思っているのでしょうね。忘れ物常習犯でしょうね。先ずは学校側と保護者の連携が取れていないのが問題です。根本をきちんと解決しないと、子どもたちの学力低下は止まらないです。 

 

 

・課題を提出しないなら減点をすればいいだけという考えにも一理あります。でも、こういう児童や保護者は、減点されても何とも思わない場合が多いでしょう。何とも思わないまま大人になって、約束が守れない人間が出来上がります。期限を守らないことの不利益や羞恥、苦痛があるから期限を守ろうとする動機になります。どういう指導なら適切だったのか、市教委には具体例を示して欲しいものです。「根気強く提出を促す」なんてことしか言わないのでは? 

 

 

・宿題をやらないで勉強が身につかないのは本人の自己責任。土下座を強要しても意味がない。 

親が管理と言うけれど、そもそも勉強しない子の親は「教育管理」もしない。高校受験を控えて初めて「うちの子掛け算もできない!」と騒ぐ保護者に唖然とした事がある。 

出来ない子に合わせて授業をするから、教室の雰囲気も悪くなる。進度別にする工夫は必要。宿題も「スポーツや音楽の習い事で出来ません」と言う親が増えて、非常に困っていると教師からも聞いた。 

 

 

・子どもの数が減っているのに教員のなり手がいない。 

これが学校現場の現実です。 

理由の一つは「公立学校の教員には時間外勤務手当がない」ということです。 

いわゆる「サービス残業」です。 

 

二つ目の理由は「モンスターペアレント(モンペ)が増えた」ことです。 

わたしが小学校の教員だった時代は「先生様」でした。 

家庭訪問に行くと、「先生様ですか! どうぞどうぞ」と招かれ、 

そこにはお茶とお茶菓子が用意され、帰りには手土産まで頂戴しました。 

 

この教員をかばうつもりはありません。非常に不適切な対応です。 

ただし、保護者も子どもに対し「宿題終わらせた?」と確認すべきです。 

 

 

・教師は過去のデータからの教えばかりですから、パソコン教育で充分と考えますが、生徒などの考えるチカラや想像するチカラなどを教師が支援させて、生徒自身で纏めるチカラ、人間関係や発言するチカラを鍛えさせるコーチングをさせればまだ良い方向に行くと考えます。 

 

 

・宿題忘れただけで土下座とか言う教師も教師だし、子供に土下座で宿題期限のばすって教えるんですか?って話。 

あまりに忘れる行動が多いなら親に伝えるべきと思う。だって小学生でしょ、まだまだ親の管理が必要でしょ。 

親目線、ちゃんと宿題を忘れない方向に導いてほしいし土下座なんてさせられたらキレるわ。ちゃんと正しく叱って指導してほしい 

 

 

 

 
 

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