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「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」

現代ビジネス 2/5(月) 7:03 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/41d72e34f6a63c1333192ff7a6cc67d2c4c2b0df

 

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2023年7月に出版された『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、30年以上にわたり500名以上の戦争体験者や遺族へのインタビューをもとに作られた本である。

一部のインタビューと、SNS上で物議を醸した櫻井よしこ氏の発言をもとに、特に印象的だった25の言葉を集め、その言葉にまつわるエピソードを紹介している。

本の一部は、インタビューで残された故門司親徳氏の言葉を取り上げ、トラック島での戦闘体験や特攻について語られている。

 

 

門司親徳氏は昭和19年にトラック島での米軍機の大規模な空襲を経験し、その後特攻の一部始終を目撃した元海軍主計少佐である。

門司氏の体験記では、トラック島の空襲における実体験や特攻について詳しく記されており、その中で特攻隊の編成や戦局の困難さについて語られている。

また、特攻隊員を「軍神」と賞賛する風潮や、特攻が唯一の戦法とされた状況に対する批判も述べられている。

 

 

本書では、門司氏を含む戦争体験者や遺族の声を通じて、当時の戦争体験やその後の歴史的な出来事について詳細に描かれている。

(要約)

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写真提供: 現代ビジネス 

 

 私が2023年7月、上梓した『太平洋戦争の真実 そのとき、そこにいた人は何を語ったか』(講談社ビーシー/講談社)は、これまで約30年、500名以上におよぶ戦争体験者や遺族をインタビューしてきたなかで、特に印象に残っている25の言葉を拾い集め、その言葉にまつわるエピソードを書き記した1冊である。日本人が体験した未曽有の戦争の時代をくぐり抜けた彼ら、彼女たちはなにを語ったか。今回は、SNS上で物議を醸した櫻井よしこ氏の「あなたは祖国のために戦えますか」とのX(旧Twitter)のポストをふまえつつ、そのなかの一章をリライトした。 

 

【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…! 

 

門司親徳(1917-2008)。左は昭和19年、フィリピンにて。右は平成14年、大磯の私邸にて(右写真撮影/神立尚紀) 

 

 1月19日20時15分、保守論壇の評論家でジャーナリストの櫻井よしこ氏がX(旧Twitter)に投稿した、 

 

 〈「あなたは祖国のために戦えますか」。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです。元空将の織田邦男教授は麗澤大学で安全保障を教えています。100分の授業を14回、学生たちは見事に変わりました。〉 

 

 というポストが物議をかもし、「炎上」状態になったのは記憶に新しい。 

 

 「祖国のために戦えるか」という問いは「祖国のために死ねるか」とほぼ同義だと解釈できる。だとすれば、いきなり「死ねるか」と問われてNOと答えるのは若者ならずとも当然であろう。 

 

 もっとも、これは昭和49(1974)年公開の東映映画『あゝ決戦航空隊』のキャッチフレーズに「若者に問う! 君は国のために死ねるか!?」(現在のDVD版パッケージでは「若者に問う! 君のこころに祖国はあるか!?」と改変されている)とあったように、何10年も前から使い古されたフレーズではある。 

 

 桜井氏のポストを見て、私は、かつてインタビューした旧軍人、遺族のなかで、特に印象に残っている故門司親徳・元海軍主計少佐(1917-2008)の言葉を思い出した。 

 

 「安全地帯にいる人の言うことは聞くな、が大東亜戦争の大教訓」 

 

 というものである。 

 

 門司の言葉には、壮絶な実体験が色濃く反映している。 

 

 

昭和19年2月17日、トラック島で米軍機の空襲を受ける日本軍艦船 

 

 80年前の昭和19(1944)年2月17日から18日にかけて、中部太平洋における日本海軍の一大拠点・トラック島(現・チューク諸島。環礁と248もの島々からなるが、当時はこれらを合わせてトラック島と呼んでいた)が、米海軍の機動部隊艦上機の大規模な空襲を受け、基地機能を喪失するほどの損害を被った。 

 

 艦上攻撃機「天山」を主力とする第五五一海軍航空隊(五五一空)主計長としてトラック空襲に直面し、のちにフィリピンで「特攻の生みの親」とも称される大西瀧治郎中将の副官として特攻の一部始終を見届けた門司は、 

 

 「『特攻』を語るならば、必ず、トラック大空襲から語り起こさないといけない」 

 

 と、しばしば口にしていた。門司は、東京帝国大学から「短期現役主計科士官」として海軍に入り、空母「瑞鶴」乗組で真珠湾作戦に参加したのを皮切りに、呉鎮守府第五特別陸戦隊でニューギニア・ラビの敵前上陸に参加、敵軍との交戦で壊滅状態になった部隊をまとめてラバウルに後退するなど各地を転戦。トラック島空襲当時は主計大尉だった。東京帝大-海軍の同期には鳩山威一郎氏(元外務大臣)、中曽根康弘氏(元総理大臣)らがいる。戦後は日本興業銀行勤務を経て丸三証券社長をつとめた。 

 

 「太平洋戦争は、真珠湾、マレー半島への日本軍の奇襲攻撃、それに続く快進撃に始まり、ミッドウェー海戦の敗戦でその勢いが止まり、ガダルカナル島失陥からは完全に守勢に転じた。それでもなんとか必死の防戦で重要拠点は守り通してきたのが、トラック空襲を境に、敵を迎え撃つことすらままならなくなった。あとは、坂道を転がり落ちるだけです。神風特別攻撃隊の出撃まで8ヵ月。この間の戦争の推移が、そのまま特攻隊に自然につながってゆくように、私には思えてならないんです」 

 

 昭和19年2月15日、トラック島の第四艦隊司令部が敵機動部隊の無線を傍受し、索敵機2機も未帰還になったことで、トラック全島に緊張が走った。近海に敵機動部隊がいると判断した司令部は、2月16日午前3時30分、トラック方面の各部隊に、戦闘配備にあたる「第一警戒配備」を下令した。隊員たちはそれぞれ戦闘配置につき、飛行機は燃料、機銃弾、あるいは爆弾、魚雷を積載し、敵艦隊発見の報告があればただちに出撃できる状態で待機する。 

 

 「ところが、この警戒配備が、なぜか解除されたんです。敵機動部隊が近くにいるのはわかっているのに、変だな、とは思いましたが」 

 

 飛行場に待機した零戦の機銃弾は、上空哨戒につく数機を残しておろされ、攻撃機の爆弾や魚雷もはずされた。非番の者には外出も許された。 

 

 そして2月17日――。 

 

 「早朝、まだ仮設ベッドに寝ていたわれわれは、突然の『空襲警報! 』という声に飛び起きた。空はもう明るくて、よく晴れていました。その空を見上げて飛行隊長・肥田真幸大尉が、『グラマンだ! 』と叫んだ。指さす方向を見ると、敵の艦上機はすでにトラック上空に飛来している。完全に奇襲を食った形になりました」 

 

 警戒配備が解かれていたので、トラック島の零戦隊の大部分は機銃弾も積んでいなかった。やがて燃料、機銃弾の準備のできた零戦から順に離陸し、敵機を迎え撃ったが、離陸直後の不利な態勢を襲われ、被弾して火を吹き墜ちるものも多かった。 

 

 空襲は翌2月18日も続いた。撃沈された日本側艦船は、艦艇10隻、船舶33隻にのぼり、そのほか12隻の艦船が損傷した。まさに真珠湾攻撃のお返しをされたかのような大損害で、失われた飛行機は、南方の戦線へ補充するため基地に保管されていた機体もふくめ、約300機にのぼる。 

 

 こうして、トラックは、海軍の拠点としての機能を事実上失った。壊滅したトラックに戦力を補充するために、最前線ラバウルに展開していた航空部隊はすべてトラックに引き揚げさせることになり、2年間にわたり南太平洋の最前線基地として、ソロモン諸島やニューギニアからの米軍の侵攻を食い止めてきたラバウルも、ついにその戦力を失った。これは、海軍が、南太平洋での戦いを事実上放棄したということでもあった。 

 

 

台湾沖航空戦で大敗を喫した第二航空艦隊司令長官・福留繁中将(左)と、「ダバオ事件」「セブ事件」で第一航空艦隊司令長官を更迭された寺岡謹平中将(右) 

 

 門司の瞼には、トラックの環礁内で、敵機の爆撃を受けて火焔を上げる油槽船や、みるみるうちに沈んでゆく貨物船の姿が焼きついた。晴れた空と青い海がひどく澄んでいて、そこで繰り広げられる一方的な殺戮が、ことさら凄惨な光景として胸にこたえた。 

 

 夜になって、緊張と不安のなか、空襲を敵上陸の前触れと早合点した司令・菅原英雄少佐が玉砕(全滅)命令をくだした。 

 

 「我が隊は最後の一兵までこの島を死守し、玉砕する」 

 

 というのである。門司が司令に、 

 

 「玉砕は戦った結果だから、ここは、あくまで戦えと言うべきですよ」 

 

 と食ってかかる。司令もふと我に返って、もっともだと思ったらしく、 

 

 「この期に及んでも帝大出は理屈を言う。こんどからはそうしよう」 

 

 と言い、一瞬、その場の緊張がほぐれたと、飛行隊長だった肥田真幸・元大尉は回想するが、敵が上陸してくれば、いずれ全滅するのは間違いない。隊員たちは「えい、クソ!」と、簡単に玉砕の覚悟を決めた。 

 

 ところが、米軍はトラックには上陸してこなかった。もはや戦力を失ったトラックは捨ておいて、次なる目標に向かおうとしていたのだ。 

 

 このとき、敵機動部隊が近くにいるのがわかっていながら警戒配備を解いた理由について、公刊戦史の『戦史叢書』に書かれていない、しかし門司をはじめ現場にいた将兵のあいだで広く知られていた「公然の秘密」がある。それは16日晩、痔疾のため内地に送還される第四艦隊司令長官(トラック島最高指揮官)小林仁中将の歓送会があり、主要指揮官がそこに出席、17日未明に奇襲を受けたときにはそれぞれが芸者と寝ていて、自分の島に帰れなかったというものである。しかも、せっかく出された警戒配備を解除したのは、この宴会のためだったという。この日の空襲で、芸者6人も爆死した。警戒配備が敷かれ、防空壕に入っていたら助かった命だった。 

 

 日本国内で、軍令部を中心に「人間を乗せた体当り兵器」(特攻兵器)の開発がスタートしたのは、トラック空襲の直後のことである。 

 

 門司はその後、昭和19年7月に前線の基地航空部隊の主力である第一航空艦隊(一航艦)副官となり、フィリピン・ダバオに司令部を置く一航艦に着任した。 

 

 すでに6月15日には米軍がサイパン島に上陸している。サイパン、テニアンを敵に奪われたら、東京をふくむ日本本土が、米軍が新たに開発している大型爆撃機・ボーイングB-29の攻撃圏内に入る。いわば、将棋でいえば詰んだも同然になる。ところが、6月19日から20日にかけて、日米の機動艦隊が激突した「マリアナ沖海戦」と呼ばれる戦いで、日本側は見るべき戦果を挙げられないまま、空母3隻と搭載機のほとんどを失い、大敗を喫していた。 

 

 門司がいたダバオも、昭和19年9月9日から10日にかけ、米機動部隊艦上機による大空襲を受けた。 

 

 10日朝、見張所からの「敵水陸両用戦車二百隻陸岸に向かう」との報告に、浮き足立った根拠地隊司令部は、「ダバオに敵上陸」を報じ、一航艦司令部もそれにつられる形で混乱を起こした。折あしく一航艦では、敵機の夜間空襲による損害を防ぐため飛行機をフィリピン各地に分散していて、ダバオにはこの日、飛べる飛行機は一機もなく、敵情については見張員の目視に頼るしかなかった。 

 

 司令部は玉砕戦を覚悟し、敵上陸に備えて通信設備を破壊、重要書類を焼却するが、10日の夕方になって、第一五三海軍航空隊飛行隊長・美濃部正少佐が、修理した零戦で現地上空を偵察飛行してみたところ、敵上陸は全くの誤報であることがわかった。見張員が、海面の白波を水陸両用戦車が来たと見間違えたのだった。これは、昔、平氏の軍勢が水鳥の羽ばたく音を源氏の軍勢と間違えて壊走した「富士川の合戦」を思わせることから、「ダバオ水鳥事件」と呼ばれる。 

 

 敵機動部隊は9月12日、こんどはセブ基地を急襲する。ダバオに敵上陸の誤報で、敵攻略部隊に備えてセブ基地に集中配備された第二〇一海軍航空隊零戦隊は、この空襲で壊滅的な損害を被った。「水鳥事件」で司令部が通信設備を破却してしまっていたので、その後の分散指示が出せなかったのだ。フィリピン決戦に向けて用意されていた虎の子の零戦は、こうして戦わずして戦力を失った。「セブ事件」と呼ばれる。 

 

 この一連の不祥事で、一航艦司令長官・寺岡謹平中将は在任わずか2ヵ月で更迭され、後任の長官には大西瀧治郎中将が親補された。 

 

 

寺岡中将に代って第一航空艦隊司令長官となり、特攻隊を編成した大西瀧治郎中将 

 

 大西がフィリピンに赴任する途中の10月12日、台湾は艦上機による大規模な空襲を受け、同日、九州・台湾・沖縄を管轄する第二航空艦隊(二航艦)司令長官・福留繁中将は指揮下のT攻撃部隊に対し、敵機動部隊への総攻撃を下令した。 

 

 総攻撃は10月12日から16日にかけ、総力を挙げて行われ、空母10隻撃沈、8隻撃破などの「大戦果」が報じられたが、16日になって索敵機が、撃滅したはずの敵機動部隊が無傷で航行しているのを発見した。日本側の戦果判定の多くは、薄暮から夜間にかけての攻撃で、味方機が被弾炎上するのを敵艦の火災と誤認したものであった。「台湾沖航空戦」と呼ばれるこの戦いで、日本側が失った飛行機は約400機。沈没した米軍艦艇は1隻もなかった。 

 

 昭和10月17日、米軍攻略部隊の先陣は、レイテ湾の東に浮かぶ小さな島、スルアン島に上陸を開始した。いよいよ、敵の本格的進攻が始まったのだ。 

 

 大西中将が、ダバオから一航艦の司令部が移転したマニラに飛んだのは、10月17日午後のことである。その晩、寺岡中将と大西中将との間で、実質的な引継ぎが行われた。辞令上は、大西の一航艦長官就任は10月20日付だが、この時点で指揮権は大西に移ったと考えて差支えない。 

 

 18日の夕刻、連合艦隊司令部がフィリピン防衛のため、「捷一号作戦発動」を全海軍部隊に下令した。作戦によると、栗田健男中将率いる戦艦「大和」「武蔵」以下、戦艦、巡洋艦を基幹とする第一遊撃部隊が、敵が上陸中のレイテ島に突入、大口径砲で敵上陸部隊を殲滅する。戦艦「扶桑」「山城」を主力とする別働隊と、重巡洋艦を主力とする第二遊撃部隊が、栗田艦隊に呼応してレイテに突入する。その間、空母4隻を基幹とする機動部隊が、囮(おとり)となって敵機動部隊を北方に誘い出す。基地航空部隊は全力をもって敵艦隊に痛撃を与える。……まさに日本海軍の残存兵力のほとんどを注ぎ込む大作戦だった。 

 

 だが、航空部隊が敵艦隊に痛撃を与えようにも、フィリピンの航空兵力は、10月18日現在の可動機数が、一航艦の35~40機、陸軍の第四航空軍約70機しかなく、台湾から二航艦の残存機230機を送りこんでも、あわせて約340機に過ぎなかった。 

 

 大西中将は、一航艦のわずか数10機の飛行機で、栗田艦隊のレイテ湾突入を支援し、成功させなければならない。そこで、敵空母を撃沈できないまでも、せめて飛行甲板に損傷を与え、1週間程度使用不能にさせることを目的に採られた戦法が、250キロ爆弾を搭載した零戦もろとも体当り攻撃をかける「特攻」である。 

 

 一航艦で編成された最初の特攻隊は、関行男大尉を指揮官に、10月21日を皮切りに出撃を重ね、25日、初めて突入、敵護衛空母を撃沈するなどの戦果を挙げた。だが、特攻隊や囮部隊の犠牲を裏切るかのように、栗田艦隊はレイテ湾突入を断念、敵上陸部隊を目前にしながら反転し、作戦は失敗に終わった。だがここで、延べわずか10機の爆装零戦による体当たり攻撃が、栗田艦隊による砲撃戦を上回る戦果を挙げたこともあり、以後、特攻は恒常的な戦法として続けられるようになる。 

 

 門司は言う。 

 

 「中央で特攻が既定路線となっていたことを知ったのは戦後のことですが、いずれにしても、ずっと前線にいた目から見ると、トラック空襲で第四艦隊司令部が見せた失態が尾を引いて、その挙句に特攻に行きついた面があることは間違いない。 

 

 そしてレイテ沖で日本海軍は艦隊の大部分を失って、その後はずっと特攻こそが唯一の戦法であるというふうになってしまった。込み入った作戦を考える必要がないから、自分が出撃する立場にない軍令部作戦部の部長や参謀にとっては楽だったのではないか。ただ、そうなれば参謀など必要ありません。 

 

 新聞やラジオも特攻隊員を『軍神』と褒めそやし、しまいには『一億特攻』などというスローガンが掲げられるようになった。『一億特攻』と言いますが、仮に日本人が最後の1人まで特攻で死ねば、いったい誰が日本を守り、天皇陛下をお守りするのか。米軍の庇護のもとに存続するのか、あるいは日本という国は亡びるのか、そんな当たり前のことを考える余裕もない集団ヒステリー状態に導いてしまっていたわけです」 

 

 

( 136016 )  2024/02/05 12:38:00  
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・櫻井よし子さんの自衛隊批判についてのコメントや、戦争や特攻についての感想や意見が多く寄せられております。

戦争や特攻に関する実体験や家族の体験に基づく考察、また政治的な発言や国家の在り方についての懸念が多く含まれています。

特に、個人の命を大事にする考え方や戦争を肯定しない立場を示すコメントが多く見られました。

また、国家や政治家による戦争の誘導や意義の社会的影響に対する懸念も表明されています。

(まとめ)

( 136018 )  2024/02/05 12:38:00  
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・2021年に90歳で亡くなったノンフィクション作家 

半藤一利さん 

『日露戦争を若くして経験した人たちが 

ちょうど四十年経つと、社会全体のリーダーになる。 

そうすると、この人たちは 

栄光だけを背負っているわけです。 

だけど、どんなに苦闘してきたかという、 

負の部分はあまりないですから 

ものの見方がそう言ってはいけませんが、 

「勝利病」にかかったような固定的な 

ものの見方をする人が多くなるんですよね。 

それをそっくり言いますと、現代もまた同じではないかと。 

戦後 日本をつくるために 

日本がどのくらいの努力をして苦闘して汗をかいてどのくらいのものを生み出してきたかということは抜きにして、 

ただ 

その上に乗っかっていたような人たちが、 

ちょうどいま、日本社会全体の中心になっているんです。" 

もうできあがったものとしての、 

大変調子のいい日本だけを知ってる人たちが 

ちょうど来ているところなんですね』 

 

 

・この記事の一つ一つに驚きを感じ、感銘を受けました。知らなかった内容もありました。トラック島の大敗北は知っていましたが、こんな状態であったなど酷すぎます。『安全地帯』に居る人間の認識の浅さと身勝手さ、それがどんな事態を引き起こすか。特攻もこうした結果によってだと断じても良いと考えます。 クリント・イーストウッドにしても記事の主計将校の言葉は、とても重いと感じます。志賀俊雄少佐の心意気も感銘です。 田中角栄元首相の『戦争を知るものが居なくなった時が怖い』という言葉を改めて認識したいです。 

 

 

・美空ひばりの歌に「一本の鉛筆」がある。その中に、戦争は嫌だ、という歌詞があります。この一言です。沖縄の問題にしてもそうです。憲法を遵守して日米安保条約を破棄して徹底して平和外交で行くべきです。その道の方が軍備を作るよりも険しく苦難な骨の折れる道だと思います。亡き父は、中支で戦争をしました。夜間野営地で近くの池や川から水を取り夕飯をしたが、朝起きてみると全員が下痢をした。池や川には死体が一杯浮いていたそうです。そんな惨いことを二度とすべきでは有りません。平和が一番! 

 

 

・命を軽くあつかう人の言葉は,信じてならない… 

確かに。 

安全地帯にいる人は、勇ましい言葉を使う。 

確かに。 

周りで亡くなる人を見て、話す人の話は重い。 

戦争も災害もそうだと思う。 

忘れたい話はあるだろうし、それを語るのは苦しいだろう。聞く我々も心して聴かないといけないと感じる。 

亡くなった私の父も、元兵士。 

戦地で負傷して回復はしたが傷跡は残っていた。一切戦争の話は聞いたことがない。 

言いたくなかった、いや言えなかったのだろう。だから、戦争の話は本で読んで知った。 

ある種客観的に見れたと感じる。 

勇ましい話は、だから警戒する。疑わしい。 

 

 

・齢100を数える茶道裏千家の千玄室さんは特攻の生き残りとのことでインタビューに答えられていた。同期には千ちゃんと呼ばれ、ある日お茶を所望され立てた茶を口にし「旨いな。戦争で生き残ったらまたお茶を頼む。」と。次の瞬間、生存する可能性がない現実に引き戻され、胸に去来するものがあったのだろう。次々と故郷の方角に向き「お母さん、お母さん。」と啜り泣き始めたと。 

自分が犠牲になることで親兄弟が助かるかもしれない。だから死ぬ。決して国の為ではない。戦争は絶対にしてはならないと仰っていた。桜井女史の言葉は信用ならない。軽すぎる。 

 

 

・これなあ、いろんな意味で考えさせられる騒動だよなあ。個人的に思うのは、戦場で戦うというよりも、つねに米国や日本政府を批判するくせに中国や北朝鮮に対し同様な文句や批判をしない人々の多さ。なぜ米国大使館とかにデモ行進するのに中国大使館とかに人権問題で批判しデモをないのか。米国への批判の声は大きいがそれ以外は?そうした点からも考える必要があるのではないか。 

 

 

・軍用機操縦員を育てるのにどれほどの時間と経費を要するか、ウクライナのF16操縦員訓練に長期間を要していることが証明している。アメリカは撃墜されたらパラシュート脱出するよう命じ潜水艦や小型艇で救助回収に努めた。対して「安全地帯」にいる日本軍司令部は「捕虜になるより自決しろ」と命じ、あげくの果てには自爆攻撃を命じた。人道的にはもちろんだが経済的にも軍事的にもどちらが正解か明らかだ。さらに前線に行くことも無かった上級将官は、運よく生き残った兵士には想像もつかないほど高額の軍人恩給を得ている。 

今、戦争を回避すべく尽力すべき言論人がこのような「安全地帯からの愚論」を吐く。逆に戦う価値を認められなくなるのではないか? 

 

 

・桜井氏が思想的にも人としても問題外なことはわかりきっていますから、今さら何を言おうと戯言で終わりです。ただ桜井氏を未だに出演させるテレビ局があることが信じられません。何らかの意図があるのでしょう。 

それはさておき、現場を知らずに妄想をのたまう政治家、官僚がのさばり、破滅に導く構造は今も同じですね。教育界はそのよい例では。先生がどんどん退職し、先生になろうとする学生がFランク大学の学生しかいなくなり、教員採用試験の倍率も1倍台。肝心の子どもはいじめと不登校だらけ。こんな壊滅状態を作ったのは間違いなく現場を知らない政治家と文科省、総務省です。全く政治家、官僚は学ぶことができない人たちです。 

 

 

・先の戦争に召集され、遠く異郷の地で病死や餓死した人の多くは、祖国を呪詛して死んでいったことが、戦争体験談の中に出てきます。 

ミッション系の学校から召集されたクリスチャンがメンタルをやられて禁じられている自殺をした例もあります。 

フィリピンの陸軍部隊では反乱が起きた例もあるし、フィリピンから台湾へ敵前逃亡した富永恭次は、兵士達から「命惜しんだ富永が」と嗤われました。 

いわゆる英霊と言われる人達全員が祖国のために喜んで死んだわけではありません。本気で祖国のためを思って戦死した方もいましたが、今日の祖国の有り様を見たら「こんな国にするために死んだんじゃない」と激怒するはずです。自民党の先生はやたら、靖国だの愛国心だの言いますが、裏金チューチューしていてよく言えたものです。 

政治家が「祖国のために死ぬのは自分達で最後にしてほしい」という戦死者の思いに応えるのが真の愛国心だし、祖国を守ることです。 

 

 

・合成の誤謬と言う言葉があります。 

一つづつは正しいように見えても、全体から見ると間違いとなる。 

一億総特攻などは誰を守るための戦いなのか、なぜ戦うのか、冷静にに考えてみたら、誰でも分かります。勇ましいスローガンには裏があります。 

日本は戦争に破れて、今があります。誰も否定出来ない事実ですが、認めたくない人もいます。 

あの戦いに駆り出された多くの若者や亡くなった人々に対して、状況判断を誤り戦争に突入した当時の指導者達、しっかりと責任を取ったのでしょうか?歴史は繰り返すと言われていますが、正義を振りかざして、またあの時代に戻そうという危い考えはまっぴらごめんです。 

 

 

 

・3月で101歳になる父も、駆逐艦の乗組員だった。過剰な表現もあるのだろうが、空が暗くなるような大群のアメリカ軍攻撃機に翻弄され、艦上は修羅場だったそうだ。戦争を回避するのが有識者の良識と教えてくれた。 

 

 

・〉このとき、敵機動部隊が近くにいるのがわかっていながら警戒配備を解いた理由について、公刊戦史の『戦史叢書』に書かれていない、しかし門司をはじめ現場にいた将兵のあいだで広く知られていた「公然の秘密」がある。それは16日晩、痔疾のため内地に送還される第四艦隊司令長官(トラック島最高指揮官)小林仁中将の歓送会があり、主要指揮官がそこに出席、17日未明に奇襲を受けたときにはそれぞれが芸者と寝ていて、自分の島に帰れなかったというものである。しかも、せっかく出された警戒配備を解除したのは、この宴会のためだったという。この日の空襲で、芸者6人も爆死した。警戒配備が敷かれ、防空壕に入っていたら助かった命だった。 

 

 

初めて知りました。 

こんな理由でトラックの日本海軍は壊滅したのか。 

単純に戦力差があって対抗できなかったのかと思っていた。 

 

 

・長いけど、読み応えがあった 

 

たしかにその通りだよ 

戦争を美化して語るのは、戦場に行かなかった者ばかり 

 

私も随分沢山、戦争を語る当時を生きた人の話を聞いてきた 

だけど、好戦的な話をする人は、間違いなく戦場にも行かず、空襲の中を逃げ惑ったこともない人ばかりだった 

そして、御国のためだ、何処かの国が攻めてきたら戦わなければならないと言い放ったよ 

 

だけど…… 

戦場で死んだ兵士の半分以上は、味方からの誤射や誤爆、栄養失調などの補給不足でだから 

保守で戦争を語る者は、そういう不都合な事実を隠し続ける 

 

戦場で死ねるか? 

若い人は堂々と、死ねないと答えるべきだ 

それが戦後日本が戦争の教訓の末にたどり着いた叡智なんだからさ 

 

 

・現場の視野の狭さや暴走に的確な判断をするのは、安全地帯というか客観的に見ることが出来るところからするのも必要だと思う。戦後に左へ走った人の中には、敗戦により戦前戦中から180度転向して何の反省も自戒もない指導者や教員に反発を感じた人も多かったのではないか。 

 

 

・「安全地帯にいる人の言うことは聞くな、が大東亜戦争の大教訓」  

これは本当の名言だと思います。  

 

流石は神立さん、長年実地で多くの関係者から取材を積み重ねて来られただけあって見事な記事でした。 

そして先番の櫻井さんの発言に強烈な違和感を感じた自分の気持ちが裏打ちされたような思いもあり心を打たれました。  

 

温故知新。台湾有事だのに絡めて日中開戦を煽るような無責任な人の言う事は真に受けてはいけないと思います。  

いざとなった時に大勢の犠牲者を出すのは中国海軍と福建人、台湾人、日本自衛隊であり、 この三国が経済的にも人的にも大きな損害を蒙る訳で、土壇場で在日米軍が犠牲を厭わずに中国海軍と戦闘はしないし、 

それまで台湾有事を煽っていた論客説客の人達も逃げを打ったり沈黙したりすると見ています。 

 

 

・なぜ炎上するのか私には理解不能 

国の為に必要なら戦うのは当然、ただ子や孫に戦地で頑張れとは言いたくない。 現在の年寄りは自身を老人とは思っていない。私自身もそうだから。 

提案したい、私は75歳だけど、叶うならば先頭に立って敵陣に攻め入りたい。国の為になるならと言うより子や孫の為だ。 

是非、老人部隊を作って欲しい。それなりに頑張れ、成果は出せると思っている。戦死の時は遺族に、遺族年金としてそれなりの+αでの対応を願っている。 

 

 

・知覧特攻平和記念館へ行って来ました。 

特攻隊員の最後の手紙がたくさん展示され、私は何時間も拝読させていただきました。 

その多くは、自分のことを語らず、残された家族へのこれまでのお礼と家族を守るために出撃するという内容でした。 

明日、出撃するにもかかわらず、残された家族(婚約者を含む)のことを心配する手紙は涙なしには拝読することはできませんでした。 

彼等は祖国のためではなく、家族を守るために出撃したのです。 

私は男性ですので、徴兵されれば、家族を守るためなら戦地へ赴く覚悟はあります。 

結果として祖国を守ることになりますが、まず守るのは家族です。 

安全なところにいて、戦争になっても戦地に赴くことない桜井氏にそのような偉そうなことを言って欲しくはありません。 

 

 

・しっかりとした軍隊を持ち、訓練をし、豊富な弾薬や食料がなければそもそも戦えないでしょ。裏金作りに奔走している奴らの命令で死ぬなんて、余りにも馬鹿げている。産んでくれた親に申し訳が立たない。気力だけじゃ守れるものも守れない。「戦う」には準備がいる。簡単には戦えない。当然、家族の為に命を捨てる覚悟はある。そんな国民の良心を煽らないでほしい。 

 

 

・櫻井氏の発言は、政治的としか言いようがありませんが、 

これまでは、実際に戦ってきた人がいたので、 

その重みの前では、櫻井氏のような方では軽すぎて、話題になりませんでした。 

今はもうそれが政治的発言となり得る、重しの取れた世の中となってしまいました。 

 

旧軍にいた人が新兵であっても、そろそろ百歳になる現代です。 

私の父は空襲の記憶があり、父方の祖父の官舎近くにある基地が攻撃を受け、 

基地の燃料タンクから官舎の建物まで穴だらけだったそうですが、それでも小学校入学前の五歳。 

母はまだ一歳で、母方の祖母から、グラマンのパイロットと目線が合ったという話を聞きましたが、 

その時祖母の背中に負ぶさっていた母には、当然ながら記憶はありません。 

 

しかしありふれた体験でも、直接聞けた私はまだマシで、 

直接聞くことがもう出来ないこれから先の日本は、門司氏の残した教訓を真剣に考え続けていかねばなりません。 

 

 

・まあ突然侵略軍が渡海しすぐそこに迫り戦いたくても完全武装で反抗する者は排除の相手に対し武器は無し、有っても武器弾薬の扱い方は無知だしひとまず逃げるだろうね、、 

 

運よく侵略軍が電撃戦で戦わないか緒戦で自衛隊が侵略軍を撃破して逃げた我々が後方に問題無く退避出来てある程度の期間侵略軍来襲せずで俺も戦うと志願したら短期の即席訓練で銃を与えられ戦う事になるだろうね、、 

 

完全武装の戦闘のプロ相手に即席素人兵士が慣れない銃器片手にどれ程に戦えるか、 

まあ余程運が良くないと生き残れはしないだろう、、 

 

剣道2段、柔道3段の俺でもこんなシュミレーションしか浮かばんがどうしましょうかね?櫻井さん、、 

 

祖国愛の証明は死ぬ事と見つけたり~と最後に叫んで死んだら良いのでしょうか?? 

現代の殺戮兵器を前にして死ぬ時にそんな暇と余裕があったら良いのですが、、 

 

 

 

・非常に内容が良く、主張もしっかりした記事でした。 

それに引っ張られてか、コメント欄も内容が良いものが多いように思います。なので少し違った視点で。 

マルクス(青年ヘーゲル派)とクラウゼヴィッツ(ドイツ観念論)に強い影響を与えたヘーゲルが、弁証法の基本三原則としてこのようなことを言っています。 

 

量が質に転化する(量質転化の法則) 

 

真珠湾から1年程度は、日本軍の質に押されていた米軍ですが、やがてその圧倒的な物量を質の向上に転化させます。 

やがて台湾沖航空戦では、日本軍は400機もの損害を出し、空母一隻沈めることができませんでした。米軍は質でも、日本軍を圧倒することに成功しました。 

量の増大が質の向上に繋がるのです。例えば水の温度がある点に達すると(量の変化)、水蒸気になるなど「質」が変わります。 

もともと物量に10~20倍の差があった日本は、戦争でアメリカに勝つことは不可能だったのでしょう。 

 

 

・戦争=死、という概念自体が、前時代の日本的発想だと思いますね。 

太平洋戦争当時でも、欧米人は、戦争に勝つことだけを目的としても、死して国を守るとか玉砕の発想はなかったと聞いてます。 

戦争に精神論を持ち込まず、科学的、合理的思考で、国益に適った政治的武力衝突が国家間の戦争の筈ですが、それがそうでなかった。 

現代の価値観で言えば、イスラム過激派の聖戦の発想と同じだと思います。 

仮に戦争にそういう概念があるのが当然だとしたら、国際法での国家の交戦権など認める筈がないと思いますね。 

日本の太平洋戦争の、開戦に至った背景や経緯は別にし、太平洋戦争自体を美化するのは、これからの日本を再び不幸に導くだけだと思います。 

 

 

・日本の戦争映画で特攻を取り上げる時って、被害者であった特攻隊員とその家族の話ばかりですよね 

でも彼らは戦時中の洗脳の中で言葉と遺品を残した 

だからこう言った方々にフォーカスした映画や物語がどれだけあっても、本当の意味での戦争嫌悪感は生まれないし、櫻井のような無神経な意見が出る 

戦争を望み、特攻を立案推進した者たちの卑怯さ卑劣さ愚劣さが主題の映画はほとんどなく、悲劇だけで作られた映画は特攻立案者たちにとって都合のいいインプットにしかならない 

戦争の悲惨さを伝え、特攻の悲劇を二度と繰り返したくないという気持ちを呼び起こす映画であったとしても、戦争や特攻の立案者、推進者への憎しみ、恨み、断罪の気持ちにつながる情報はそもそも排除され存在していないから、彼らはまんまと逃げおおせる 

実際、中島正などいい例だ 

特攻の悲劇の果ての市民は働き手を失い辛酸を舐めた 

だが何故、中島は戦後も裕福に暮らせた? 

 

 

・先の戦争の一番の悲劇は赤紙一枚で徴兵された職業軍人ではない市井の人々が悲惨な戦死をとげた事です。戦争は避けるべきですが国防のため時に軍事行動をおこし国を守らざるえない事があります。その時、職業軍人の方々に盾となり国防を担っていただき決して一般の人々を徴兵し戦地に送らせる事がないようにすることが肝要です。それゆえ国防を担う自衛隊の方々はリスペクトされるべき存在です。平和憲法を盾に「戦争放棄」をしてきた日本は「戦争」が現実問題として存在し巻き込まれる可能性が高い事を国民一人一人が強く認識しなければなりません。 

 

 

・関連して、ある本を思い出した。 

 

出撃しても生きて帰ってきた特攻兵がいた。それも9回も。92歳で亡くなった佐々木友次さん。 

特攻は兵士の誇りを傷つける作戦だった。体当たりの命令は、訓練してきた急降下爆撃などの高度な技術を否定する。 だから、彼たちは命令に逆らって、米軍の戦艦に爆弾投下して帰還した。 

しかし、軍は生還した兵士をねぎらうどころか冷遇する。再出撃して、こんどこそ死ねと迫る。ヒドイのは命令した上官が、米軍が迫ると台湾に逃げ出した。 

これが戦争の現実、日本軍の真実だ、と。 

 

鴻上尚史著「不死身の特攻兵」(講談社現代文庫)。 

 

 

・この記事を読んで愕然としたことが2つあった。一つは、トラックで将官の宴会のために警報が解除されていたこと。其の為に何人もの人々が無駄死にしたかと思うと、本当にやりきれない。もう一つは、私は死ぬ立場に無かった等と戦後にのうのうと生き恥を晒して臆面もなくのたまった輩だ。こんな輩に命令されて無理やり特攻させられた英霊は、本当に浮かばれまい。やはり大東亜戦争は、残念ながら負けるべくして負けたのかと思わざるを得ない。 

 

 

・戦争を第二次世界大戦だけで語るのはそれはそれで危険なのでは。 

 

戦前の日本の侵略戦争に付き合うつもりはさらさら無いけど、今のウクライナの立場でブチャの民間人虐殺を見たら、志願兵になるか怖いけど悩みはする。 

だって日本に置き換えれば、沖縄、九州を独裁国家に取られてその地に住む普通の日本人が虐殺、拷問、抑圧を受けているわけだから。 

実際にはやっぱり行けないなとは思うけどね。 

 

安全圏にいる人間の勇ましい言葉には騙されるなというのは一理あるとは思うけど、じゃぁ自分がウクライナ人だったらどう行動するかを一回でも想定しないでいいほど東アジアの国際情勢って平和なのかな? 

 

日本人の最近の戦争が第二次世界大戦だからソコ基準になるのは分かるけど、戦争=第二次世界大戦だけで考えるのは、海外や現代の戦争を無視するのは想定外を作りすぎているように思う。 

 

 

・「祖国のために戦えるか」という問いは「祖国のために死ねるか」とほぼ同義 

この解釈と筆者はしているわけですが、現代においては同義ではありません。 

現代ではいかに生き残るか、戦い続ける継戦能力が重要です。 

 

また、若者だけが戦争に行くかのような印象操作も現代では当てはまりません。先進国では35歳前後でも軍に入隊することが可能です。今の軽くコンパクトで、コンピューター等使った戦闘に変わっています。ウクライナでの戦闘はドローンが主流の戦いで体力以上に機械を扱えるかが重要なことも明らかです。 

 

そして、現代は直接戦闘だけでなく情報空間での攻防が重要で、インターネット上だけで言えば日本は外国から攻撃を毎日受けているとも言えます。 

 

日本人が日本のために戦うとしたら、日々の生活において的確な情報を精査して解釈し、発信することですね。 

 

 

・「恐怖は感じませんでした。私たちは笑っていました」「アドレナリンですよ。目標を達成して生き延びる、まさにサバイバルでした。弾薬や食料が尽きても、生き延びるだけです」 

戦死者より多くの帰還兵が心的外傷後ストレス障害(PTSD)で自ら命を絶ったとルイス氏は打ち明けた。「これは一生つきまといます。忘れることはありません。ふとしたきっかけで必ず戻ってくるのです。それと一緒に生きる、生きていかなければならないんです」 

元英陸軍第3空挺大隊兵士の発言 

 

『あなたは祖国のために戦えますか』 

他国が攻めてきたら言われなくても戦うよ。 

でも戦争を経験したことのない、「花畑」で生きてきた気楽な78歳の老人に言われても答えようがない。 

ただPTSDで自ら命を絶った、帰還兵の話を聞くと、戦争は人間の精神をも再起不能なまでに破壊してしまう。その事はよくわかる。 

そりゃ狂うよ。日常が反転して殺人が正義になるんだから。 

 

 

・櫻井よし子さんは戦後生まれです。 

ご自身も戦争を経験せず、戦場に行ったこともなく 

「祖国のために戦え」と若者を焚きつけます。 

当時の職業軍人や戦争指導者と違って、赤紙で招集されて戦場をさまよい 

戦友を失いながら祖国に戻ってきた人たちは、みんなこう言います。 

「戦争をしてはいけない」と 

「祖国のために戦え」などと言う人はいません。 

その反省をもとに平和憲法は制定され、国民に歓迎されました。 

いま、戦争を経験せず、戦場には行くことのない政治家が 

憲法を改正しようとしています。 

いまの自民党のように、国や国民を大事にしない政治家や支援者が 

「祖国のために戦え」と若者に焚きつけることに怒りを感じます。 

 

 

 

・いつの時代も国を想わない感心のない人が増えて 

その陰で売国行為をする政治家が国を売り 

全体として戦争に誘導されて 

一般市民が犠牲者になる流れがある。 

 

大東亜戦争 太平洋戦争に導いた人間の主要は 

近衛文麿。 

現在も何人も彼と同じように国を売り私服を肥やす 

政治家がいる。 

 

国民はしっかり政治家を見て的確な投票を 

するのが国防や平和の大事な事。 

 

低い投票率や無関心は 

国民生活を悪化させるだけでなく 

戦争に誘導される事にもつながると 

頭に入れて置かないといけないと思う。 

 

 

・歴史的な事実、戦争準備から終結までの「設計」のまずさなどをいかに反省し「戦争」だけではなく、様々な政治の在り方に反映させていくかが大切。外に攻めていくのではなく、外から攻められて、身近な近しい人たちが危険な目に直面している場合とは、状況も個々の対応も異なるはず。味噌も○○も一緒に考え、やはり戦えませんというのなら、ある意味「立派」な事。しかしその結果についてはいくら無責任な政府であっても、後世に日本人が生き残っていても、胸を張らせるようなことがあってはいけないことであろう。もっとも「裏切り者」は最初に処分される立場に立たされるだろうが。 

 

 

・国民の誰もが、平和を望み戦争を忌み嫌う。これが今の日本人であり、いつまでも今のままが続くことを願っている。しかし現実はどうなのだろう。ミサイル発射実験を続ける北朝鮮、尖閣諸島の領有権を主張し日本の船舶を排除する中国、先の大戦では敗戦のどさくさに紛れ日本固有の北方領土を盗んだロシアがいるではありませんか?もしこれらが日本に侵略してきたら、じっとそれに耐えますか?今の状態では、北朝鮮のミサイルが日本国土に落下しても、政府は遺憾の談話しか出せません。自分たちの大切な国土と国民の生命を守ることは、願っているだけではできないのです。どうして国を守っていくかの議論は避けて通れません。 

 

 

・祖国のために戦えるか?とは死ねるか?と同義であるが、少し昔なら、祖国ではないものの、ふるさとの人々のために死ねると答えることができたかもしれない。 

しかし今は多くの人が大都会に住み、隣近所は何をしているか分からないし、なんなら国籍も違う人々である。その人たちのために死ねるかと問われても答えられないだろう。個人と国家の間にある程度の共同体やコミュニティーが中間的に存在して初めて人は命を懸けることができる。個人と国家以外の中間的つながりを破壊された現代においては、例えば共産主義のような宗教的なイデオロギー以外に人を戦争に駆り立てられるものは存在しない。 

とはいえ、そこは社畜気質の日本人だから、時には会社のために過労死するように命を懸けてしまうのかもしれない。 

 

 

・戦争が始まることを想定した〝命、差し出せますか〟という、脅しとも踏み絵とも取れる言葉も注意だが、それ以前の危機感を煽る言葉にも注意が必要だ。 

 

麻生太郎は、「戦う覚悟」を求めると同時に「台湾有事は日本の有事」と言って危機感を煽っている。これも国民の生命を守るための言葉ではなく、米国の東アジア戦略や軍需産業の儲けなどを勘案した言葉であり、自分の政治家としての地位を高めるためのものだ。 

 

軍事や戦争を自分の利益に使う人たちには気をつけたい。彼ら・彼女らは国民の生命や生活を簡単に切り捨てかねない。 

 

 

・戦わずに済む方法を全力で考えるのが第一。そして自ら戦争を仕掛けないこと。もちろん防衛が不要などとは思わない。しかし櫻井さんの過去の言葉から彼女の「戦う」は防衛にとどまらない気がする。過去の日本が起こした侵略戦争を肯定し、攻めることも含めた「戦う」である気がする。 

 

 

・自分を安全圏に於きながら威勢のいいことを言う人を信用するな、と言う言葉は至言である。テレビのコメンテーターの連中など正にこの言葉通りの人達であろう。 

桜井を始めとする右翼の連中にはこの種の人達が多いようだが、いずれも金の為に勇ましい姿を演じている連中で、とてもじゃないが真面な人が信じられる人たちではない。 

そう言ってしまえば、その代表者はテレビであり新聞社である。いつも自分たちは安全圏に身を隠しながら、いっぱしの正論を吐いている。そして身が危うくなると一夜にして宗旨を変えるのが常である。信用するな。 

 

 

・戦争の際になぜ戦うのかと言われれば、大半は祖国の為ではないだろう。 

職業軍人であれば、それが義務だからであろうし、徴兵時の軍人であれば、家族と友と隣人と、今ある社会を守る為だろう。 

それらをまとめてしまえば祖国という言葉に集約されてもおかしくはない。 

譲れない物、者がある。だから戦争起きる。 

一歩も2歩もさがって、本当に譲れない物、者なのか考える余裕があれば起きないかもしれないが、大抵の場合、その余裕はない。 

 

 

・大切な人を守るためにはいざとなったら(たぶん)戦うと思うけど、御国のために戦うかと言われたら戦わない。御国は自分たちのために必要だけど御国のために自分たちがいるわけじゃない。 

それと過去政治の失敗を戦争という形で国民に負わせる国が多いことも事実。国は当然責任など取らない。ざっくり御国のために戦えるかなんて安全地帯にいる人間の言うことだと感じる。 

 

 

・大東亜戦争になぜ日本は突入したのか。 

戦争に入る前から勝てないと分かっていた。 

泥沼化し、消耗戦になり、日本が倒れると考えられていた。 

 

祖国の為にと言うならば、戦争を避けるべきだと思います。 

 

それを、独自の理論から 祖国の為にという美辞麗句を作り、それがいい事とする人達の言う事は絶対に聞いてはいけない。 

 

本当にこの国とそこに生きる人達を大切に思うのなら、戦争はどんな事があっても避けようとすると思います。 

 

国の為に戦うというのは、銃を持ち、人を撃ち殺し、自分も死ぬことではなく、 

そうさせない事こそが必要だと思います。 

 

 

 

・安全地帯にいる者の指示を聞くな、正しくその通りだと思う。さらにこの国では安全地帯にいた者は、自ら自決した者を除いて敗北や日本国民310万人死亡の責任すら取っていない。日本国民は為政者、軍部首脳を自ら裁かなかった。その上東京裁判すら公式には否定した。そういう国なのだ。先人たちの立ち居振る舞いからは軽々に若い人に「祖国のために戦えますか」などと問える状態ではない。為政者は、国政を誤れば国民に裁かれ末代まで汚名を着せられる、この緊張感なしに若い人に「国のために死ねるか」などと言ってはいけない。 

 

 

・私は自衛隊に30数年いて、佐官で定年退職したが、訓練でもなんでも前線に行くのは若い人ばかりで、階級が高くなると、前に出ない。また、若くてもCGSなどの上級学校に行っても、前線に行かない。 

 機密戦争日誌を読んだが、中央で勤務している人は死なないし、前線にも行かない。米軍艦砲射撃の凄さすら知らない。しかし国防には若い人が必要な面が多い。『あなたは祖国の為に戦いますか』という問いには誰も答えられない。 

 

 

・私の伯父も二十歳を前にして、テニアンで亡くなった。あまりに多くの若者が、祖国のために、もう十分戦ったと思う。櫻井よしこ氏がどういった立場で「あなた」に指図するのか知らぬが、そう思うなら、自ら率先して戦うと云えばよいだけ。私も還暦を過ぎて使い物にならないだろうが、一朝事あれば弾除けの土嚢代わりぐらいにはなると思う。櫻井さんよ、その時は祖国と祖国の若者を守るために、一緒に命を捨てよう! 

土嚢代わりでは九段の坂は上れないだろうが、神保町あたりで待ち合わせて今生では会えなかった伯父に、どれだけ祖母や祖父や伯母たちがあなたのために涙を流していたか、伝えたい。あなたの弟が私の父となり、あなたの夢を語って、私がその道を志したか話したい。 

 

 

・坂井三郎氏の話として、特攻に行けと言った大佐は、戻ってきたら酔っ払っていたそうです。そんなものでしょう。 

決死の作戦は、生きて戻ってこられる大義名分があるからこそ、やりがいも生まれるが、絶対に生還できない任務では士気は上がらない、実際そうだったとも言っていたそうです。やっぱりなと思いました。 

人に「死んでこい」と指示を出せる人のことを、信用などしてはいけません。 

 

 

・「安全地帯にいる人の言うことは聞くな、が大東亜戦争の大教訓」はまさしく至言です。 

 

威勢のよいことを言う人達は、他人にああしろこうしろと言う前に、まずやってみせてほしいです。 

 

さしあたり櫻井よしこ氏や氏に賛同する人々で「愛国連隊」でも作って今すぐ沖縄なり対馬に引っ越して軍事教練を受け、いざ敵が攻めてきた時には真っ先に突入して散ってくれたら、彼女の言うことも少しは聞く気になるかもしれません。 

 

 

・当時のように、占領されたらやられ放題だと聞けば死を覚悟して戦いに参加する とは思うが現在では環境が違い過ぎて、多くの情報に惑わされ果たしてどこまでの覚悟を自分ができるか正直自信が自信がない。 

 

戦争になるくらいなら台湾の応援どころか尖閣すら差し出す論調が大半になり自分もそれに甘んじてしまいそう。 

 

 

・歴史のifは語るものではなく、大勢は変わらないかもしれないが、第四艦隊司令長官が小林仁ではなく、前任の鮫島具重、或いは井上成美のままならば。 

 

鮫島は今村均と並ぶ人格として知られ、井上は理知の堅物ながら自他共に情を隠さぬ人物、トラック島から退くにしても多少の不様は避けられたのでは。 

 

祖国の為に戦えるか、その問い自体は良い。 

しかし祖国の為に戦えるか、義務の問題ではない。 

意義が重要なのだ、愛しいものの為ならば。 

 

こ恥ずかしいと笑うかもしれないが、親愛なる。 

想えば熱をもって、涙をもっても、力を尽くす。 

なんでもいい、それが今の祖国と結びついているか。 

残念ながら今の私には、それが無いのが現状だ。 

 

故に、私は祖国の為には戦えぬ。 

 

 

・櫻井さん言葉が足らないんじゃないのかね、切り取ってるから炎上になるんじゃね? 

 

防衛防御するにあたり、祖国を守ろうという意識はあるか? 

 

ということだろうが、高いギャランティを求めて海外に寿司職人だって行く時代、安全保障を学ぶ前に、日本に価値を見出すか、祖国愛を育めるか、戦争云々よりも、まずは政治への信頼度を国民が高めていくことができるかどうか、これが大事だ。 

 

 

・祖国の為とか国の為に戦うのではなく家族や愛する人達の為に戦うだけなんですよ。 

実際に先の大戦で私達祖先が命を賭けて戦った理由はそれだと思いますよ。 

それを国家がお国の為や天皇陛下の為と教育し、表向きその為に戦ったのは事実ですけど、個人の本当の心の中にそれは無く家族や愛する人達の為にだったと思います。 

ただそれを口に出来なかった時代だったという事ですね。 

戦争は過去も現在も他国に侵略されて敗北したら、進駐軍に自国の女性はもちろん性被害に遭います…男性はその姿や光景を見て絶望し敗戦した敗北感を更に感じる事となるです。 

一旦武力で侵略してくる相手には、もう話で解決出来ません、男性はその状況下になった時 

自然と戦うしかないし、戦えるか?と問う事自体間違ってます。 

 

 

・よくある映画や物語のように天皇陛下や政府のために戦ったんじゃなくて、自分の妻や恋人、子供や親、愛するひとを守るために戦い命落としたり、傷ついたんですよ。祖国=自分を守るべき人のこと!そこをちゃんと教えないと、自分の祖父や曾祖父がまるで戦争犯罪人みたいな教育をするのをやめないといけない! 

 

 

 

・トラック島の不祥事は酷い 

司令官送別会をやるのに警戒発動中はまずい 

という仰天の対応が大惨事になった 

負ける軍隊にはそれなりの理由がある 

それには裏話があり 

米軍は暗号傍受で司令官交代を察知しており 

それを狙って攻撃してきたらしい 

だがそれは交代による指揮命令系統の不備を 

期待する程度だったはずで 

それ以上の失態を演じたのが海軍 

恥ずかしくて戦史に書けない大失態だろう 

 

加えて言えば連合艦隊は避難のために 

出港していて被害は無かった 

つまり別の命令系統、判断で動いていて 

港内の輸送船は大損害を被っている 

警戒発動に対して全く別の対応があり 

共有されていなかった 

 

祖国の為に死ぬのは美しい 

いまの若者だって目の前で家族が殺されそう 

になつたら身を捨てて立ち向かうだろう 

だがこんな司令官、組織の堕落のために 

命を捧げるか、と言えば間違いなくNO 

それは昔の兵隊だって同じはず 

桜井さん、知るべし 

 

 

・この記事をその駒澤大学の学生さん達に読んで貰いたい。他にもゴロゴロとこの手の話はある。 

一方の話だけでは、見事に変わったと言っても、上手く洗脳出来たと言ってるのと変わらない。 

両面を見せて自分で考えてほしい。 

 

9条に守られているのでは無い、9条を守ると言うべきだろう。 

9条を守るために死ねますか?と聞きたい。 

 

核を持てば勝てますか?報復は出来るかも。それが国を守る事になりますか? 

国民が皆死んで国は残りますか?死ねと人に言える人だけが残る国はいい国だと思いますか? 

 

戦う事にさしたる覚悟は不要です。我を忘れれば簡単にネズミでも猫を噛みます。 

そんな状況でも手を出さない覚悟をガンジーは持っていました。ガンジーは臆病者ですか卑怯者ですか?9条を守る覚悟はありますか? 

 

 

・「あなたは祖国のために戦えますか」 

今の若者はこんな質問をされたことが無い人が多いと思うが、「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」について考えてほしい。 

 

戦争をしたいと考える人はいません。 

戦争をしたくないから戦争の事を考えない・・・それでは戦争は回避できません。 

「戦争について考える」「戦争に備える」ことが戦争にならないことに繋がるのです。 

そういう意味で、この質問はとても深い意味があると思います。 

戦争について考えたくないのは分かるし、この記事はそういう人達にとってはいい逃げ道になっているのだろうと思いますが、櫻井さんが言いたいこととは全く意味が違います。 

YESかNOで即答しなくてもいいですから、よく時間をかけて自分が子供に質問するとしたらどうなのか・・・そういうことも含めて考えてみましょう。 

 

 

・戦えるかと死ねるかはまったく違う。 

人の死は誰とて強制することができない。死ねと言うことは、殺人と同じである。 

私はこの国に生を受けた以上、国や家族を守るため戦うのは当然と考えるし、その結果死んだとしても悔いはない。 

先の大戦でなくなった若者は全て同じ感情だと思う。 

 

 

・東日本大震災の津波による福島第一原発事故でも、祖国のために自らの被爆を覚悟して志願する人はいましたよ。 

日本が有事に巻き込まれ敵国に攻め込まれれば、戦う人達は出て来ると思います。状況に応じて降伏する手もありますが、降伏したところで命が取られない保証は何処にもありません。 

しかしその自発的な意思と、言われて戦うことは違います。 

東日本大震災でも多くの作業員が搾取されたように、有事になればまた人から搾取しようとする輩は現れます。 

そしてそれは安全地帯にいる国会議員や官僚などの当事者の人達もそう。 

有事を一切考慮することなく頭から可能性を否定して平和を叫ぶばかりの思考停止の人達に対して、櫻井氏のメッセージは意味があると思いますが、櫻井氏も有事に際してどう行動しようとしているのか。 

自助・共助・公助の論理と同じです。 

 

 

・保守系や右翼と称される人達は、どの様な幼少期と小中学校での教育と、最大親御さんの 

教育を受けたのだろうか? 

普通だと思春期迄の心の成長は、周囲の環境で決定され、余程の事情が無い限り攻撃的な人にはなら無い筈。だとすると、その後に経験して行く訳ですが、自分勝手な考えや行動を取れる人間に行き着く環境が、今尚この日本には数多く存在する証拠である。 

後、何十年すれば滅亡するのだろう? 

 

 

・昔は衛星もないし、情報共有の仕組みもない。 

 

近代化された戦闘は、西洋の武器や仕組みを取り入れたウクライナと、旧来のやり方でやっているロシアとの損害の大きさ(ロシアのがめちゃめちゃ多い) 

からもよくわかる。 

 

その近代化を邪魔しているのが、中国にメリットあることばかり言っているサヨク。そもそもウクライナは核を放棄しなければ、このようなことはなかった。 

 

安全地帯にいる人間のいう事を聞くな、というよりマスコミの扇動に乗るなというほうが教訓としては近く、櫻井よしこを攻撃したいサヨクが都合よく切り取っているだけ。 

 

戦う覚悟は必要、それがなければチベットや、香港になる。 

ただし、防衛の近代化をして、犠牲を最小限にする、乱暴者国家に牽制をする。櫻井氏は当たり前のことを言っているのに、サヨクは言葉を切り取る。 

よほど、侵略者にとって邪魔な存在なのだろう。 

 

 

・古今東西、報道人も含む、国側の人間がいう「祖国」とは、現政府の体制の事であり、有り体にいえば「俺たち体制側の特権階層の既得権益を守る為に、下々の者は戦って◯ね!」という意味なのね。特に若者には美辞麗句に騙されずに、有事の際は後ろも見ずに、海外にでも逃げてほしい。学生時代のクラスで想像してほしいが、頭が良かった子、運動ができた。リーダーシップがあった、思いやりがあった、身体が丈夫だった、手先が器用、勇敢だった。戦時となれば、こういった人より優れた点があった子から真っ先に犠牲になる。こういった子たちこそ、卑怯者と罵られようが、海外で難民として屈辱を味わおうが、なんとしても生き延び`どんな形であれ必ずやってくる戦後復興`の為にこそその能力を発揮するべきだ。 

 

 

・かの有名な牟田口さんも,芸者連れでインパールへ激飛ばしにきたそうだし.今の大会社でも,何処にでもこの構造は有りますね.特に,現実離れして世の中見なくなるとこうなりやすい.桜井さんの,こういう”したり顔”は,我々いつまで見ないといけないのかなと思う. 

 

 

・日本が敵地に攻め入ることは現法制や自衛隊の軍備や国民の意識では数十年は無理な事は理解できるでしょ 

敵の攻撃や敵の上陸後の戦闘に対して自衛隊は国民の安全を保持しながら戦うことは絶対にできません 

祖国=皆さんが暮らしてる国内=家族、友人、国民 

敵が攻め込んで来た時に戦いますか、逃げますか、敵の言いなりになりますかの選択でしょ 

こんな単純なことに何で目くじらたてて騒ぐんだろう? 

目の前で家族に被害が迫った時に貴方はどうしますかと問いかけでしょう 

目的を持って国の命令で進行してきた敵兵と酒を酌み交わして 

仲良くなる、戦闘真っ最中の地域に行って憲法9条を掲げて説得すると言ったお花畑の若者が一時期もてはやされたが 

これでいいのか?ってことだろ。 

 

 

 

・日本が敵地に攻め入ることは現法制や自衛隊の軍備や国民の意識では数十年は無理な事は理解できるでしょ 

敵の攻撃や敵の上陸後の戦闘に対して自衛隊は国民の安全を保持しながら戦うことは絶対にできません 

祖国=皆さんが暮らしてる国内=家族、友人、国民 

敵が攻め込んで来た時に戦いますか、逃げますか、敵の言いなりになりますかの選択でしょ 

こんな単純なことに何で目くじらたてて騒ぐんだろう? 

目の前で家族に被害が迫った時に貴方はどうしますかと問いかけでしょう 

目的を持って国の命令で進行してきた敵兵と酒を酌み交わして 

仲良くなる、戦闘真っ最中の地域に行って憲法9条を掲げて説得すると言ったお花畑の若者が一時期もてはやされたが 

これでいいのか?ってことだろ。 

 

 

・国民は、歴史の中で国を動かす欲深い馬鹿な主導者達に戦禍に見舞われ、戦地に行かされ死んで行った。直近では多くの若者達が、自らの身体を捨て国を守る為に突撃、食べ物もないジャングルで飢え、敵弾でなく病で死を迎えた。彼らは日本の未来の姿を思い、家族の幸せを願い身を捨てたのだ! 

その未来の国を主導する政治家達は、彼らや、戦禍にあった国民の願いを踏み躙り、私欲、国民から金を漁って生きている。 

彼ら、当時の国民達は何の為に身を捨てた戦いだったなのか?… 

そしてまた、"国の為に死ねるか"?って国民や、若者に言葉を放つ人間がいる! 

私欲しか考え無い主導者が動かす国の為に、死ねる国民がいる筈は無い! 

災害で困難に見舞われいる国民さえ救え無い主導者達の国なんだから…どの口が言うのか? 

 

 

・ウクライナの人達はロシアの侵略を受けて戦ているが、彼らは「祖国を守るために戦っている」のではなく「死ぬために戦っている」のだと言えるのか。 

「祖国を守るために戦う」とは他国の侵略を許さないと言う日本人としての気概を示すことであって、日本人全員が「死にたくないので戦わない」なんて言ってたら、中国、ロシアは安心して尖閣・沖縄や北海道に軍隊を送り込めることになって、戦争の危険が高まることになるとは思わないのか。 

 

 

・ご自分は招集されないと思っている人ほど「祖国の為に戦えますか?」「国を護るには血を流す覚悟が必要だ」などと勇ましい事を宣う。こんな問いには「貴方が征くなら私も征きす。」と答えれば良い。戦地では健康なら高齢者でも出来る仕事は有るしね。 

 

 

・よく太平洋戦争と比較して話を展開されますが前提条件として違うのは、今の日本は専守防衛。 

つまり、戦争に行くのでは無くて、戦争が来る、戦争が始まったら、即、本土決戦なんです。 

国を守る為に命を張るとか悠長なことじゃなくて、自分と自分の家族を守る為の戦いになるのでしょう。 

よく、自分は戦争に行かないくせに、とか言いますが、それこそ人ごと発言で、自分の生活を守る為には戦わざるを得ないのが現実でしょう。 

そうなったら、直接銃を持って戦わないかも知れませんが、物資の運搬をして、兵站の確保など、やれる事はあるでしょう 

自分事として、今ある戦争、国防を考える必要は全ての国民にあるでしょう。 

 

 

・櫻井よしこさんがどんなイデオロギーを持っているかではなく、織田邦男教授がどんな講義をしたかによると思うんだよね。織田邦男さんはどんな考えを持ってるんだろうと思って調べてみたら 

 

 

『 自衛隊の教育、訓練を通じ、国家や公に尽くすことを徹底して教え込む。また実践を通じ、人に尽くす喜び、国家に尽くす生甲斐を体得させる。半年もすれば、みるみる眼の輝きは増し、若者は見事に変身する。』 

って言ってたので、こりゃダメだと思った。 

 

 

そもそも特攻も一撃講和論のための方法論の一つにしか過ぎなかった(まあ方法論としても批判があるが)のに、いつの間にかイデオロギー化して、しなくて良い玉砕をするようになっていった。 

 

自衛に関しても、方法論として語るべきで、イデオロギーとして安全保障を語る人は全く信用できないと個人的に思う。 

 

 

・確かに。ただ反日国になびいてる人が増えてる中スパイス的な役割の人もほしいかも。 

戦争したい人は日本にはいないし「国の為に戦う」も武器を取るだけではないし。 

中国やロシア・北朝鮮は実際に脅してきてる今、国民がどう考えるか?なのかも。安全地帯にいるのは 

右派だけでなく左派も・・・かもしれない。 

現にスパイは日本にウヨウヨいるって事だし。 

孫の世代にどこかの国の属国などは避けたいと思う。話し合いですむ相手なら嬉しいけど。 

 

 

・戦争を体験した者の言葉は重い。「安全地帯に居る者の言葉は聞くな」とこの記事の著者は言う。しかし彼は我々の未来を保証してはくれない。さっさと天寿を全うして、残された現実を引き受けるのは私達だ。その意味で彼の言う「安全地帯に居る者」とは我々にとっては彼ら戦争体験者もソレなのだ。 

 

戦争体験をどう語って、どう未来に活かすのか、彼はその点で無責任でいられるお気楽さがにじみ出ている。ウクライナも尖閣も台湾も沖縄も北海道の危機感も、彼には無縁だ。 

 

「たられば」 はナンセンスだとわかっていても、もしあのとき開戦しなければ日本はどうなっていたか。戦争は確かに地獄だった。だが非戦も地獄でない保証など無い。半島南北を見よ、まだ地獄が続いている。東西ドイツを見よ、まだ後遺症に悩まされている。日本は現在の日本ではあり得なかったはずだ。わたし達は戦った先祖に感謝している。 

 

 

・ハッキリ言えば日本はアメリカの保護のもといざ中国ロシア北朝鮮が不穏な行動を起こせば米軍と自衛隊合同で当たるべし。自衛隊の米軍の指揮下に入りことに当たる。日本男子は18歳ー50歳は最低6ヶ月の兵役につきいざというときは参戦する。日本が生き残れる道は米国の州に編入させてもらう事が最善。 

 

 

・どんな記事があっても 一面から捉えた主観が入ったもの。平和な日本の礎は過去の日本人が作ったもの とはわかっているが、平和なんだもん、自分に都合の良い一面で歴史をとらえますよそりゃ。戦争は、善悪で言ったら悪だとおもうでしょ?自分たちが悪くなくても人を殺してやり返すなんていう想像を積極的にする人いないよ。そういう日本を悪いと思いません。別な言い方をすると 状況が変われば考えも変わるってことです。それからでは遅い?仕方ないよ。 

 

 

 

・櫻井さんの発言に対する批判としてはこれはちょっと焦点が違うと思う。 

櫻井さんは祖国が不当な攻撃、侵略を受けた時、これを阻止、撃退せんとするのは国民として持つべき当たり前の気概のことを言っているのであって、旧軍の作戦、戦術上の失敗事例と一緒くたにして批判するのならタメにする論評と言わざるを得ません。 

 

 

・戦争で人を殺したい、国のために死にたいと普段から考える人間なんていない。有事の覚悟は他人にどうこう言われるものでなく、国家に強制されるものでもない。 

太平洋戦争では国家のため天皇のために命を投げ出すことを求め、死ぬことを美徳化した。 

精神論で近代戦争の遂行を放棄した指導者たちは命じたことに反して生き残った。戦争で亡くなった人の大半が戦死ではなく、愚かな指導者の犠牲になっている。 

東京裁判の歴史的意義は様々あって当然だが、一億総特攻で国体を守ることしか考えなかった人たちを日本人自身が裁くことをしなかった。だから、いつまでたっても精神論を持ち出す時代遅れの人がいなくならない。 

 

 

・この論争を人と話してみて、リベラルな人はコレは異常な発言であり、祖国の為には闘う問に「NO」と答えるのは極めて正常であるとの反応が多かった。国家は個人の為に存在し、その道具に過ぎないと言う考え方には共感できるが、その国家と言う枠組みが何でも良くあるならば、文化と深く結びつく国家は存在しえない。そして、連綿と続く文化の集大成が祖国であるあならば、それを護りたいと言う意識は至極まっとうに思えるが、国家=権力者と条件反射的に思考する人達との議論は不毛だった。 

 

 

・戦争アレルギーの人々が何を言ったところで、中国を筆頭に北朝鮮、ロシア、韓国という日本の領土を侵略し、占拠し、領空、領海に我が物顔で侵入し、ミサイルを向け、恫喝してくる国々が4か国も存在しており、その中国が現在追い詰められて暴発する寸前であるという事実の前には何も心に響きません。 

 

事実誰もが現代でそんな事(戦争は)しないだろうと高をくくっていたら、ウクライナは侵略戦争を受けました。イスラエルはテロからの泥沼戦争に陥りました。内モンゴル、新疆ウイグルでは人権侵害が今も行われています。そして日本の領土を自国領土だと高らかに宣言し、出て行けと恫喝しています。 

 

戦争は日本が起こすのではありません、中国、北朝鮮、ロシアという東側独裁国家から軍靴の音が聞こえているのですよ? 

 

 

・おまけに北方領土をタダ同然で半永久的にソ連にくれてやることになった。 

戦争がなければ、それ以外の21の千島列島もくれてやらずに済んだ。 

 

一、勝てもしないような戦争をしてはならない。 

  山本五十六は勝てるとは思っていなかった。 

二、互角程度かそれ以上の戦力差の戦争もしてはならない。 

  ウ露戦争を見てもわかる通り膠着化し、泥沼化して国が疲弊する。 

三、勝てそうな戦争もしてはならない。 

  先の大戦の例を見るまでもなく、敵に加勢する国の出現で逆転する。 

  英仏に対するナチスには米ソ参戦、日本にはソ連が参戦した。 

 

大教訓:現代の米国のように最貧国を一方的に殴るぐらいしか、楽に勝てる戦争はない。「勝てる "かも" しれない戦争」もやってはいけない。 

これ以上日本国土を失う危険を冒すことになる。もしも負けて北海道の一部や南西諸島を失った時、責任を取れる者はいったい誰なのか。誰も居りはしない。 

 

 

・特攻なんてのは基本的にフェアプレイではない。「国(家族も含めて)のために戦えるか」と訊かれれば誰だって一応戦えますよ。今でも職場で戦っているじゃないですか。職場でも戦いはフェアプレイが前提でしょう。特攻なんて禁じ手の反則を冒して勝てと言われたら、断るのが正しい人の道です。 

 

 

・明らかに他国に出兵して、他国を侵略するための戦争なら、この祖国のために戦いたくはない。これは平均的日本人の総意だろう。今の日本で侵略戦争をしようなんて、そんなことを言い出す人はまあまあいないよ(笑) 

 

が、もし中韓北ロ、とかが攻めてきたら? この国に住む人たちを人たちのために、喜んで、ではないけど、選択肢なく、祖国という領土、領空、領海の目ではなく、祖国そのもの、守るべき人々のために戦うね 

 

自国が侵略されたとき、あなたは祖国のために戦えますか?ってことなんじゃないの? 

 

問題は、それが本当に祖国のための戦いなのか? そこを胡麻化されたら難しいよね。専守防衛とか言うやつ 

 

 

・「大東亜戦争の大教訓」と言われても… 

 

桜井さんはあくまでも日本が他国に侵略された場合を前提にしているんだよね。 

もし、中国や韓国で同じ質問をしたら、ほとんどの若者は「祖国のために戦う」と答えるんじゃないかな? 

 

日本の周辺には、ロシアや中国のように話し合いが通用しない独裁的な軍事大国が存在する現実を踏まえた上で、もし、日本がウイグルやウクライナと同じ状況になった時に「あなたは祖国のために戦えますか」と問いかけているんじゃないかな? 

 

 

・日本人の戦争に限らず物事の対応のアホなところ。 

 情報や状況を数理的力学的に分析評価できない。1人100殺とか、漫画の世界。 

 戦争も喧嘩も体力重さ数が勝負。兵士の数が多く新しい武器をたくさん持っている方が勝つ。日本は無差別級とか小兵大兵を、負かす、ってのが大好きだけど、それも漫画。 

 人も兵器も補給と休養が大切。月月か水木金金、欲しがりません勝つまでは、なんて言っている時点で負け、ということがほんと分かってない。だから平時でも少子化晩婚化家族崩壊地域消滅。生き方の背骨が大人じゃ無い。 

 つまり漫画と現実、気持ちと理屈の組み合わせができない、お子ちゃまということなんじゃ無いですかね? 

日本人の精神年齢は12歳って言われてますがほんとだと思います。 

 

 

・>奇襲を受けたときにはそれぞれが芸者と寝ていて、芸者6人も爆死 

 

これ慰安婦じゃないかい ! 士官クラスは日本人で朝鮮人もいたかも。 

沖縄戦で住民虐殺を犯した鹿山正はオンリーを連れ回した話は有名ですな。 

 

天皇が東条英機に首相を任せたのは、2.26、5.15で軍部の狂暴化に恐怖を抱き、それを抑えるのは彼でないと出来ないとの判断。それも終戦工作に至っては天皇を挿げ替えてでも徹底抗戦に走ろうとした・・・>まだ読書途上につき不正確。 

 

 

 

・日本が他国に攻められた場合逃げるのか残って戦うのか。私は逃げるアテもないし残って戦うわ。当然素人だからドンパチ出来ないですがそれだけが戦争じゃないし。自分のスキル活かせる協力をするってことですね。別に勇ましさを誇ってるわけじゃないんで。 

 

 

・私が戦争を美化するような言説が嫌いだからという理由もあるのだろうが……この記事にはいちいち突き刺さる言葉が並んでいた。トラック島が攻撃されて壊滅的な打撃を受け、それが後々『特攻』という恐るべき作戦に繋がっていく……の件、そもそもが「上層部のドンチャン騒ぎのツケ」を支払わねばならなかったからという記述、三回読み直した。この話を聞いて頭に来ない日本国民がいるだろうか……。 

 

国のために盾となれ、国を守るために命を懸けろ……と声高に叫ぶ連中が、実は最も国の事なんか考えていないのかも知れないという不健全な疑いが更に色濃くなる。 

 

『平和ボケ』なる言葉は、長く平和な時代が続いたために弱腰の考え方になってしまう……的な意味で用いられる事が多いようだが、本当は「平和に慣れ過ぎて、平和の尊さやありがたさを忘れ、蔑ろにする考え方」なのではないかと思う。容易く戦争を唱える向きこそ『平和ボケ』だと考えている。 

 

 

・日米安保のため米国の戦争に、日本は参加しなければならない。 

でも、憲法九条のため大々的には米国の先兵となり得ない。そこで米軍は日本に憲法改正を迫っている。 

今や米軍の押し着せ憲法が、逆に米軍の足枷になってしまっている。 

そこで日本政府は米軍に協力するために憲法改正を訴えている。 

米軍の押し着せ憲法だから改正しようなどという変なロジックに騙されているお方がいる。実は日本国憲法改正を必要としているのは米軍だというパラドックスに気付いていない。 

右派の方々は米軍あっての日本の繁栄だということを良く理解しておられる。右派の方々は米軍に都合のよい憲法改正を声高にされている。 

櫻井さんと同様に私も戦地に赴くことは無いと思うが、仕事とはいえ大変残念なご発言だった。 

 

 

・まぁ、個人的には故郷(国)が他国から侵略される事態になったら 

それに抗いたいと思うのは当たり前の感覚だ。 

 

その思考は単純に「保守思考」と言う。 

 

私は鹿児島在住なので台湾有事は身近に危機感を感じてる。 

個人的に直接やれることはないので注視するしかないが 

この感覚って国防で結構重要な気がするんだよな。 

 

生まれ故郷を守りたい感情は誰でもあるでしょ、、、という話でもある 

 

 

・無条件に戦うというのは違うように思う。 

戦わないという判断ができる意思を残しておきたい。 

そして、その際どい判断ができる人間でありたい。 

 

 

・桜井氏には、反論があるならば正々堂々反論して頂きたい。 

自分の想像ではダンマリを決め込み、時間の経過で皆が忘れるのを待つ手法を取ると思う。 

 

保守を売りにする人々は、大体において取る手法。 

それが証拠に、時間の経過で桜井氏と統一教会の関係を、皆忘れてしまったんじゃないかな…。 

 

 

・「安全地帯にいる人の話は聞くな」 

 言わんとする意図は理解できるが、言葉としては論理の飛躍ではないだろうか。 

 相対的に、軍幹部、民間人、学者、メディア、政府中枢、天皇等は安全地帯にいる。これらの人の話を聞かないで誰の指示で動くのだろうか。 

 ネットの世界では短くてインパクトのある言葉が出回るが、時に誤解や間違った認識を広めることになる。中にはそれを知りながら意図的に広める者もいるだろう。よくよく注意しなければならない。 

 

 

・そもそも、「誰だって戦争は嫌」って言葉が嘘なんだろう。 

それが本当なら人類史に戦争なんてないし。 

嫌なのは自分が傷つき痛みを感じて死ぬことであって、好きなのは安全圏で気に入らない人が傷ついて死ぬのを眺めることなんだろう。 

だから権力者は戦争を命じるし、職場や教室でイジメが横行するわけで…… 

 

 

・攻めてこられたら、戦わざるを得ない。 しかし、自国民を殺さない為の工夫をしなくてはならない。 昔の様に、鉄砲もって突撃、自国の為なら死ねます。これではいけない。 死んではならない。 政治家は攻められても、自国民が殺されない工夫をしなくてはならない(自衛隊を含む)。 攻めてきた敵(国も含む)を一瞬で壊滅させる兵器。 人が前面に出ない、高度なドローンやロボット、無人船、ミサイル迎撃。   兵器開発はご法度ではなく、自国民を殺さない為のたゆみない開発。 あくまでも自衛の為ですが。 自衛隊の体力鍛錬は、災害対応で十分。 防御には体力はいらない様に。 相手国も開発すると言いますが、良いものをいかに安く作るか、貿易戦争と同じです。 

これからは、祖国のために死なないで戦う方法を考えよ。 

 

 

・私達はコロナワクチンで全く同じ事を繰り返しました。若者に死ぬかも知れないワクチン接種の志願を迫り、結果として副反応死で多くの若者の命を失いました。 

コロナ騒動自体が世界大戦を彷彿とさせ、ワクチンは現代の特攻そのものだと感じたのは私だけでしょうか? 

 

 

 

 
 

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