( 137800 ) 2024/02/10 14:18:43 2 00 紫式部「清少納言の作品」を“猛烈批判”その心の内 「奇をてらうばかりで中身がない」と酷評した東洋経済オンライン 2/10(土) 9:11 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/6d59c110cdf7eadbdb14556cf56585a3d2b1bd2c |
( 137801 ) 2024/02/10 14:18:43 1 00 今年の大河ドラマ『光る君へ』は、主人公が紫式部で吉高由里子さんが演じている。 | ( 137803 ) 2024/02/10 14:18:43 0 00 清少納言。大河ではファーストサマーウイカさんが演じる(写真:NHK公式サイトより引用)
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は紫式部が、清少納言など、同時代に生きた女性歌人たちに対して抱いていた想いを紹介します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 『紫式部日記』には、紫式部の名もなき同僚(一条天皇の中宮・彰子に仕える女房たち)に対する想いが記されているだけではなく、和泉式部や赤染衛門、清少納言など、現代のわれわれも「知っている」著名人についての評価も書かれています。紫式部は彼女たちに、どんな想いを抱いていたのでしょうか。
【写真】紫式部が歌の才能を認めた、赤染衛門。大河ドラマでは凰稀かなめさんが演じる。
■和泉式部はどんな人だったのか
まず『紫式部日記』で登場するのが、和泉式部です。和泉式部は、彰子の女房でした。紫式部と仕えていた人は同じだったようです。
辞典類には生没年不詳と書かれることがありますが、978年頃に生まれたのではないかとの説もあります。そして、1027年までは生存していたと推測されているので、やはり紫式部と同時代に生きていたことが推察されます。
和泉式部の父は大江雅致、母は平保衡の娘。和泉式部の母は、朱雀天皇の皇女・昌子内親王に仕える女房でした。
和泉式部は、橘道貞と結婚します。夫が和泉守に就任したことから「和泉式部」と彼女は呼ばれました。
和泉式部と夫との間には、女児(小式部内侍)が誕生しました。しかし、和泉式部と夫・道貞は不和となり別居します。
その後、和泉式部は「奔放」な恋の道に走ります。冷泉天皇の第三皇子・為尊親王の寵愛を受け、身分違いの恋として、親からは勘当されてしまいます。為尊親王と死別すると、今度は、為尊親王の弟・敦道親王と恋愛関係になります。
敦道親王がまだ独身ならばよかったのかもしれませんが、本妻がいました。親王と本妻との関係は、和泉式部が原因で破綻。敦道親王も早世します。
その後、和泉式部は、一条天皇の中宮・彰子に仕えることになります。そして、藤原保昌と再婚することにもなるのです。
しかし、和泉式部には悲劇も襲いました。1025年には、娘の小式部内侍が亡くなってしまいます。
晩年の和泉式部についての詳細はわかりませんが、彼女もまた女流歌人として多くの歌を残し、『和泉式部日記』も残しています。
紫式部と和泉式部は、性格の違いはありますが、歌や日記を残している2人の生涯は重なる部分もあります。
■紫式部が歌の才能を認めた赤染衞門
では、この恋多き女性・和泉式部を紫式部はどう評しているのでしょう。紫式部は、「ちょっと感心できない点もある」と記しています。これはおそらく前述の親王たちとの熱愛を指すのでしょう。
一方で、和泉式部が素敵な手紙を書いたとして、評価もしています。紫式部は、和泉式部が書いた手紙を「何気ない言葉も、香気を放つ」と絶賛するのです。和歌の才も「お見事」としています。
とは言え「頭の下がる歌人だとまでは思わない」と書いているので、手紙と比べたら、歌の評価は低かったようです。
それと比べて、紫式部が歌の才を誉めているのが、赤染衛門です。赤染衛門もまた紫式部と同じ時代の女性。赤染衛門は、赤染時用の娘でした。
赤染衛門は、大江匡衡と結婚。江侍従ら子供をもうけます。赤染衛門もまた中宮彰子に仕え『赤染衛門集』と呼ばれる歌集を残しています。
赤染衛門は、夫の尾張国赴任にも同行しています。夫や子供への気遣いある女性だったようです。この赤染衛門を紫式部は歌の「権威とはされていませんが」、ふだん、何気ない機会に詠んだ歌など「頭の下がる詠みぶり」としています。
そして、ついに、紫式部のライバルとしてよく名前が上がる「あの人」の評価が書き連ねられます。
そう、清少納言です。清少納言は966年頃の生まれだと言われており、紫式部と同じ時代を生きた女性でした。
父は清原元輔。清少納言は、橘則光と結ばれ、子の則長をもうけますが、夫とはその後、離別。清少納言は、一条天皇の中宮・定子(内大臣・藤原道隆の娘。道隆の弟が道長)に仕えることになります。
清少納言と言えば随筆『枕草子』を書いたことで有名ですが、ではそんな清少納言を紫式部はどう評価しているのか。
■清少納言の作品を「中身がない」と酷評
実は「清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようですね」と酷評しているのです。
「利口ぶって漢字を書き散らしているけれど、その学識の程度もまだまだ足りないことだらけ」とも書いています。
さらには「彼女のように、好んで人と違っていたいと思っている人は、最初は新鮮味があっても、その後はだんだんと見劣りし、異様になっていくものです。風流を気取った人は、寒々として風流に程遠い折にでも、感動してしまうものですから、的外れで中身のないものになってしまうのです。中身がなくなってしまった人の成れの果ては、どうしてよいものでしょうか」とまで書いているのです。
紫式部は清少納言の作品のことを、奇をてらうばかりで、中身がないと感じていたようですね。
紫式部は幼少の頃より、漢籍に親しみ、漢文を読みこなしてきたと言われていたため、それなりの自負心もあったでしょう。その自負心が、清少納言批判に転化したのではないかとも思われます(一方で、清少納言への嫉妬もあったとも言われています)。
紫式部と清少納言は、年齢や宮仕えの時期も10年近く違うため、面識はなかったとされます。
それにしても、紫式部の清少納言への口撃は、清少納言の『枕草子』を全否定したいかのようです。
清少納言の『枕草子』は、一条天皇の中宮だった亡き定子を追懐するものでした。紫式部が仕える彰子(同じく一条天皇の中宮)としては、それが我慢できないものだったのかもしれません。それが、清少納言批判につながった可能性もあります。
紫式部は、あれやこれやの人物批評の後に書きます。
「何一つ思い当たる取り柄もなく、生きてきた人間で、そのうえ、特に将来の希望もない私は、慰めにするものもありません」と。
■漢籍や古い歌が積み上がる紫式部の部屋
紫式部の部屋には、漢籍や物語、古い歌などが積み上がっていたようで、それを見た家の女房たちは「奥様はそんなだから、ご運が拙いのよ。どうして女性が漢文の本など読むの。昔は漢字で書いたものは、お経でさえ、読むのを、人がやめたものなのに」と陰口をたたいていたようです。
式部はそれを聞いて「運の拙さは、女房たちの言う通り」と自嘲気味に書いています。
(主要参考文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973) ・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985) ・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010) ・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
濱田 浩一郎 :歴史学者、作家、評論家
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( 137804 ) 2024/02/10 14:18:43 0 00 ・清少納言と彼女のパトロンである定子は道長のライバルでもあるので、道長派の紫式部の言葉は本心かどうかは分からない。だがかなり酷評していた事で、当時はともかく、戦後派の文壇の人たちにもかなり印象悪く、田辺聖子氏が苦言を呈していますね。
清少納言も梨壺の五人を務めた父、清原元輔のような歌の素養はない、としているが、中古三十六歌仙などにも選ばれているので、定子のサロンの中心人物としてふさわしい人物だったと思える。
なお紫式部は痩せても枯れても藤原北家の眷属。清少納言は本当に叩き上げの文学一族でもあり、彼女が平安時代を代表する作品を後世に残し、現代も評価され続けている点を見れば、中身がないとは言えないと思う。
・源氏物語はちゃんと読み切ったことはないけど、学生時代に買った国語だか古典だかの資料集で全話の概要が載っててそれは楽しく読み込んでました笑 光源氏の絶倫っぷりがすごいすごい… 恋愛小説としては当時としても画期的…いや古典書物でこんなに長編で現存してるのは唯一かなと思うくらい…当時の熱狂っぷりが垣間見れる物語ですね。
・源氏物語と枕草子を通して、お二人のどちらが好きか議論されていますが、土俵違いでしょう。
源氏物語は創作であり世界観を読ませるもの。紫式部の性格を窺い知るのであれば、”紫式部日記”でしょう。こちらは紫式部が自分の感じたことを綴っています。
枕草子は随筆であり、ウケ狙いはあるものの清少納言の性格や素養が窺い知れます。
作品としてどっちが好きかはご自由に論じてもいいでしょう。 でもお二人の性格を比べるなら”日記”と”随筆”でしょう
・海外の純文学を心から愛している人が、日本で評判のコミックエッセイを読んだら、こんな感じになるんじゃないかと。
文学的センスの違いなんじゃないかな。 でも、「随筆」というあたらしい文学的概念が始まったのはすごいと思うけど。
・清少納言と紫式部は共通する部分を多く持ちながらも、その現れ方が正反対な二人なのだと感じます。
清少納言は「をかし」のみが着目されがちですが、「あはれ」についても(それなりに)多く書き綴っていて、源氏物語の直接的なあはれよりもエモみの深さを感じることが多いです。 対して紫式部も「をかし」を実はかなり多く綴っているのですが、実際には上記のあはれに通ずる描写を「をかし」と表現することが多いのです。
これはカップリングの左右問題にも似た話で、致命的に「これは違う」となってしまう。本質的には同じものを愛しているのに、表現の違いが紫式部には受け入れられなかったのでないでしょうか。
作風も紫式部が団鬼六のねっとりとしたポルノ小説だとすれば、清少納言は岩谷テンホーのみこすり半劇場のようなスタイル。やってることの根本はどこか同じなんです。
・道長が紫式部をリクルートしたのは、定子のサロンを越えるようなものを我が子彰子のまわりに作りたかったからでしょう。だから紫式部自身も、定子のサロンの中心にいた清少納言を殊更意識せざるを得ない一面があったように思う。反面、和泉式部や赤染衛門は道長=彰子サイドの人間なので悪くは言ってない。
・創作者が他の創作者を批判する時は脅威と感じている時だと思います。 自分より格下だと思えば無視をすればいいだけです。 手塚治虫先生もそうですね。 それと大河ドラマが紫式部が主人公ってもう「歴史劇」ではなくて「時代劇」ですよね。 1000年も昔の話がどこまで史実に沿っているんだろう?と思います。
・エッセイだから、春は夜明けが素敵!って書いたから何なの?みんなそう思ってるよ、創造性がないって思う人もいるのかもね。 でも自分のように文才がなく気持ちを言語化できない人間から見ると、「そうそう、私もそう思ってた!」を明快に言語化してくれる人ってすごいと思う。
・「好んで人と違っていたいと思っている人は、最初は新鮮味があっても、その後はだんだんと見劣りし、異様になっていく」、なるほど、耳がいたい。派閥形成のために漢詩の会を開くような文学という情報発信が、重要な時代。今の情報化社会と近いところがあるのかもしれない。 人と同じでは、情報の価値は低い。そればかりか新しさを保つためには、情報の更新頻度や商品のデザイン・サービスのモデルチェンジを一定の間隔で求められる。それを繰り返すうちに、本質からずれていく。 清少納言の時代、読者はほぼ一定。そこで長期連載するとなると、致し方ない気もしなくはない。紫式部のこの言葉がいつのものかわからないが、式部自身も悩んでいたのかもしれない。源氏物語も長期連載だが、作風が大きく変わる。助詞の使い方から作者が変わったと説もあるほどだ。悩み苦しみ、試行錯誤している、同じ連載作家同士だからの批判かもしれない。
・夫を批判されたのが悪口の原因って言われてるみたいですけど。その箇所というのが、「ド派手な衣装で参詣したって噂になってたけど。その後昇進したからご利益はあったみたい」って内容で、これってそもそも悪口ではない様な? というか、夫は派手好き、自身はちょっとアレな小説で話題を集め、同業者の悪口を高級紙に書き残した紫式部って、どんな人物だったんだろう? 清少納言は、世間のイメージとは裏腹に、非常にシャイで、主である定子への忠義心に篤い人物だったみたいですが。
・枕草子は高校の時に古典でやったくらいだから全部知ってる訳では無いけど マザコン光源氏の母に似た理想の女性の藤壺に似てるかも、と思うと手を出さずにはいられない人間臭い イケメン元皇子の光源氏やドロドロの嫉妬で生き霊になっちゃう ヤンごとない高貴な六条の御息所をリアルに書く紫式部から見たら さぞかし清少納言はスノビッシュな平安時代のエッセイイストだったのかと思う。しかも仕えていた主人はライバルだから 出仕の時期は少しズレるとは思うけど 面白くなかったでしょうね。でもそんな悪口を残す人だから あの様な人間の業がドロドロの物語を美しい御所、後宮を舞台に描けたのだと思う。
・きっと、清少納言は今でいうミーハーで浅く広く見識に富んだ才知溢れる女性だったのでしょうか。 香炉峰の雪の御簾をかかげる逸話は洒落ているし、日常の過ごし方にセンスのある可愛らしい女性だったのではないかと思っています。 紫式部はこだわりが強く、真面目でどちらかというと地味な女性だったのかなとそんなイメージを抱きます。
・(漫画)原作者と脚本家の対立がニュースになってるが、紫式部と清少納言の関係もそれと似た様なものかもしれない。
エッセイ漫画というジャンルがあって、女性の独壇場なのだ。それができない男目線で云うと「自我の垂れ流し」となる。
紫式部には男性を意識する視点があって、それができている女性の和歌は評価する。いわゆる「あて書き」の才能かな。
・>紫式部の部屋には、漢籍や物語、古い歌などが積み上がっていたようで、それを見た家の女房たちは「奥様はそんなだから、ご運が拙いのよ。どうして女性が漢文の本など読むの。昔は漢字で書いたものは、お経でさえ、読むのを、人がやめたものなのに」と陰口をたたいていたようです。
もし平安時代に女性の漢学者が活躍できる場があったら、内向的で学究肌なところのある紫式部の人生も違ったものになっていたのだろうか。同じように藤原道長に見出され、中宮彰子の家庭教師になったとしても、その生活は史実より心楽しかったかもしれない。
・個人的には源氏物語の方が好きです 日本文学とは何かって聞かれたら、源氏物語を読めばわかると言えるほど、源氏物語の後世に与えた影響は大きい。 また、源氏物語自身が漢文や先行の日本文学の影響を受けて創作された作品。 日本文学の「もののあはれ」という美的概念は、源氏物語が無くては成し得なかった。 今の純文学は西洋の影響を受けたような作品が多いように思われる。 伝統的な日本文学とまた出逢いたいものです、、、
・現代のSNS以上にバズると影響があるからビジネス感覚も入ってる。つまり後世に残っているのは恣意的なものが多々あり。 清少納言の主は式部の仕える主筋のライバルでしたし、彼女たちは主上の寵愛を主に向けさせるのが大事なお仕事。 中宮定子が去った後でも式部の主は強引な道長への反感込みで何かと比べられてdisられたのでお仕事として定子時代を否定したかった説を支持。
・どっちの作品も一部しか読んだことは無いが どちらもスゴイ才能ですよ 紫式部が清少納言の酷評というか悪口を書いたのは その前に清少納言が紫式部の元旦那の悪口を 書いているからですよ それを読んでいたからという説が僕は一番ありだと思います いくら元旦那とはいえ自分の元夫を悪く言われては黙ってはいられないでしょう みんなもちゃんと読んでますか
・正直なところ、源氏物語は何度か挑戦したが、結局読み通せなかった。 いかにも女性が書いた物という印象が強い。「あの出来事にはどう感じた」 とか、人間の主観(感情)ばかり延々と書き綴っていることに驚く。男なら、 当時の社会状況を入れただろう。藤原定家が書き残した漢文の日記によると、 御所の外には死体がころがっていて、その日の風向きによっては、その匂いが 御所の中まで漂ってきたとか。紫式部たちはその匂いを嗅ぎながら、風流の 世界に浸っていたことになる。やはりこれは男には無理だ。
・前にも同じことを書いたのだけど、もしどこかのお寺とかでたまたま出会って、顔と顔を突き合わせて話したら、この二人、案外互いに認め合うことができるかもしれない。 自分の願望です。
・当時の人にSNSを使わせても現代と同じような事が起きたという事でしょう。 戦争がなくならないのと同じで、テクノロジーの進化や法律で環境が変わっているだけで 人間自体は本質的にそんなに変わってないという話。
・和泉式部は当時から「浮かれ女」と言われはしたない女性と見られていましたが娘の小式部内侍が亡くなった時にはとても嘆き悲しんだ歌を詠みました。良くも悪くも愛情深い女性です。
・清少納言のちょいギャルな感じが好きなのよ。 枕草子って結構キラキラ系エッセイの祖だと思うんですよね。
源氏物語はハーレム系小説の祖だと思う。
その時代の乙女のキラメキを詰め込んだような
・源氏物語と枕草子は畑が違うから、エッセイが好きかフィクションが好きかの問題であって、比べるものじゃないな。
源氏物語って男性主人公がモテモテで、ある意味現代のハーレムものみたいに思うから、何で女性がこれ書いてるんだ?と不思議に思うんだけどね。
・例え定子が健在で同じ宮中に清少納言がいたとしても紫式部を歯牙にもかけない気がする。軽視とか嫉妬とかじゃなくて清少納言は「自分の興味は日常だから」。彼女にとって関心は美しく聡明な定子、同僚の女房、季節の移り変わりなど割と「視野が狭い」。紫式部は色々気にしてしまうから「視野が広い」。だから紫式部が「清少納言を浅はかだ」と思うのは致し方ない。
・清少納言を今風に表現するならインスタでも元Twitterでもキャラクターを使い分けながらバズっているキャリア女性でしょうからね。コツコツ小説を書きながら不得手なコミュニケーション必須の女房勤めでストレスの多い紫式部にとっては本能的にも立場的にも不快な相手だったのでは。
・紫式部と清少納言を両方読めた人々は幸せでしたね。 大した読み物がない時代に、幸運だと思います。 お互いの人間性の違いを批判し合うのも、人々には滑稽に思われたのではありませんか。 源氏物語はAVで忠実に描いても、見応えがあるぐらいの、上流社会を描いたエロ小説の超大作です。 清少納言の「いとおかし」「趣がある」なんてクソ食らえよ。 吉高由里子なら言いそうに思えてきました。
・身分の上下にしか関心がない閉鎖的な社会で、そういう社会を受け入れて、平凡な日常に小さな驚きやささいな幸せを見つけて良しとする良妻賢母型女性か、身を焦がすような恋愛で人生を全うしたい恋愛至上主義者かの違いかもしれないな。男の裏切り、のし上がっていくために女を利用する男、源氏物語の中でそういう男に物申していたのかもしれない。紫式部のほうが男と女の違いに不満を持ち、文献にしたというところは一枚上手というか。
・そりゃ会社の権力争いみたいな構図なんだからそうなるよ
自分の仕える主人(会社なら上司)同士が対立構造なら 自ずと相手に難癖つけて自分を上げる書き方するでしょ。内心尊敬してても表立って褒めるなんてできない そういう場での謙遜は味方から叩かれる
上司が失脚したら、また上司に疎まれたら 失職どころか 基本的人権の思想もまだない中世、 下手したら島流しや汚名着せられて処分されるような事も十分あり得る立場なんだからさ
よっぽど実家が太いとか後ろ盾が無い限り 当時の最高権力者道長の部下に近い立場で 道長の政敵に塩を送ったりなんてできないでしょ。自分が失敗したら一族郎党路頭に迷うんだよ
安全な場での女性同士の軋轢みたいな書き方、なんか嫌だね そんな生優しい世界じゃ無い 宮廷は権力かけた生存競争の場なんだからさ
・天皇の寵愛を奪い合う主人を持つ同士の争いだからね。今の時代でも、党派や派閥の違う政治家同士がいがみ合い、貶めあっているのと同じような感じかと。
・枕草子は最後まで面白く読めたが光源氏や紫式部日記は途中で読むのをやめました 枕草子を読むと、清少納言の才気煥発な面や性格の明るさを感じそこが面白いのだが、同時代人には 身分が低いくせに生意気だ と捉えられたのかも知れませんね。本人も憧れの都で逆上せていたのかも 紫式部の著作は文学的な価値はともかく、どうも楽しさを感じず途中で投げ出したまま。都人らしく鄙を露骨に馬鹿にしているのも個人的には性格の悪さを感じますね。まぁ当時は五機とその周縁部以外はそういう扱いだったのでしょうけどね
・枕草子は確かに自慢気な文章もあるが現代でも通用するエッセイだと思う。 紫式部が批判するのも宮中の女房達の世間話のたぐいだと思う。 ちょっと前のオフィスで言えば給湯室の会話。
・まさに〝春はあけぼの…夏はサマー〟って 感じかな。ウイカききょう,これは面白いほどにハマるかも。楽しみだね。
・ただのコンプレックスの表れ。
随筆・エッセイなんてものは、個人の考えを徒然に、筆の遊びに書きなぐったものだから、受け取り方に好き嫌いが出るのが当たり前。
徒然草なんて、芥川龍之介に酷評されているくらいだし。
・清少納言のことは、紫式部のみならず、戦後の学者たちまでもが、ボロクソ言ってましたからね。逆に言うと、それだけ他にはないような作品である顕れでもあると思います。
・枕草子で嫌なもの−梅干しを食べて酸っぱがる婆さんというような記述を見て吹き出した事がある。子どもの頃に祖母が梅干しを食べて口をすぼめて酸っぱーと言いながら食べるのを、そんなに嫌なら食べなきゃ良いのにと思っていたから笑
・大学時代バイクで学校に通っているお友達がいて、冬のバイクつらいよね、って言ったら、春はあけぼの夏は夜秋は夕暮れ冬はバイクいとをかし、だって。
・高校時代の古文の先生が「清少納言は陽気な毒舌、紫式部は根暗の毒舌」と例えてた。なので、今回の配役はかなり期待してる(笑)
・時の権力者がバックにいた紫式部は怪しい。何人かの合作が疑わてる源氏物語。それに比べれば清少納言や和泉式部は女性らしくて読みやすい。
・なんでウイカが清少納言と思ってたけど理由が分かりました。 実際とは違うかもしれないけど、ドラマでは紫式部から見た清少納言の設定にするんですね。
・1000年以上前の人が日記を残してくれた事で、当時の状況が今に伝わって来る。 有難いですね。。。
・枕草子を読んでいます。 光源氏のような色事師の遍歴とは違って、穏やかに読めます。
・それぞれの好みもあるのでしょうけど、枕草子は感じ悪いなぁとは思いますね。当時もそれぞれの好みがあったのでしょう。
・確か清少納言は旦那のことを"枕草子"の中でほぼ同じ趣旨で揶揄しているよね。意趣返しという意味もあったんじゃないのかな。
・人間は何百年経っても、本質的には何も変わらないと実感する。そりゃそうだよね。
・才能や著作は別として、ネットを一巡りしたらこういう人はいくらでも見つかるなあ。
・それぞれの作品は好き好きだろうけど、紫式部は女性のヒステリックな部分が見えて昔から苦手
・>最初は新鮮味があっても、その後はだんだんと見劣りし、異様になっていくものです。
これ、多くのユーチューバーにも当てはまらない?
・紫式部の旦那をディスったので、清少納言をこき下ろしたって説が面白くって、しっくりくるな。
・嫉妬や敵愾心が彼女たちのパトロンの代理戦争みたいな形で背負わせたのかな?って思ってる。まぁ推測でしかないけどね(笑)
・紫式部が清少納言を罵倒したのは、先に夫を清少納言に罵倒されたからでしょう。そう聞いたな。
・自分は大学論文のテーマに清少納言を選んだ 紫式部はなんか性格が好きじゃなくてやめたなー笑
・昔大学の国文学の先生が、枕草子は和歌をつくる時のネタ本のようなことを言っていた。
・源氏物語って聞くと歴史上のお堅い文学って感じがするけど、内容だけ見たら妄想爆発ライトノベルのんだよな(笑)
・紫式部は陰湿オタクの元祖みたいなもんだよな。清少納言は陽気なパリピ系だけど。そりゃ合わないって(笑)
・ファーストサマーウィカってハーフかと思ったら普通に日本人なんだね…
・紫式部も清少納言も一緒に呑んだら盛り上がりそうな気がするなあ。
・ウイカさんの美しさに注目です。
・赤楚衛二って字面を見ると赤染衛門を思い出す。
・奇をてらう、は今の芸能界全てじゃん。 松本、が究極の作品じゃないのかな。
・平安版のSNS誹謗中傷である。
・私のイメージだとウイカさんと吉高さんのキャスティングは逆だと思う
・大江山 いくののみちの遠ければ まだ文も見ず 天橋立
小式部内侍
・ウイカの方が主役で良いんじゃない
・清少納言も枕草子で、紫式部の悪口を書いてただろ。
・清少納言って女性なんだと、今初めて知りました(笑)
・「何一つ思い当たる取り柄もなく、生きてきた人間で、そのうえ、特に将来の希望もない私は、慰めにするものもありません」
本人は、後世にこんなに有名になるとは夢にも思わなかったでしょうね。
・実は「清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようですね」と酷評しているのです。
「利口ぶって漢字を書き散らしているけれど、その学識の程度もまだまだ足りないことだらけ」とも書いています。 ←女の嫉妬
・陰キャな人だから。陰キャでないと、あんな凄い小説書けない。凄い小説家ってだいたい陰キャよ。
・夢女子と推しの部屋の壁になりたい女は相容れないから仕方ない
・陰キャvsパリピ
・気をてらうばかりで中身がない いまでいうK POPみたい。
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