( 138046 )  2024/02/11 12:38:52  
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ADHDは通常、男性に多く見られ、じっとするのが苦手などの多動のイメージがあるかもしれませんが、子どもの頃には特性が目立たず、大人になって初めてADHDだと診断される女性が多いと言われています。

女性のADHDの特性や困難、そしてある女性の体験が報じられています。

雨野さん40代でADHDと診断され、自分の特性と向き合うことで変化が起きたことが語られています。

(要約)

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ADHDといえば、男性が多く、じっとしているのが苦手などの多動のイメージがあるかもしれません。しかし、子どものころには特性が目立たず、大人になってADHDだと診断される女性たちが多くいるといいます。そこにはどんな困難があるのでしょうか。 

 

【写真を見る】自分も周囲も気づきにくい「女性のADHD」 “なんか死にたい”追い詰められてわかった向き合い方 

 

■なぜ気付かれない?『不注意優勢型』は「子どものころは目立たない」 

 

神奈川県に住む雨野千晴さん(42)は30代半ばでADHDと診断されました。子どものころは、親も、自分もADHDであることに気づかなかったといいます。 

 

ーーどうしてADHDに気づかなかったのでしょうか? 

 

「私はADHDの『不注意優勢型』で、子どものころはあまり目立たないんです。私は、授業中はきちんと座っていられました。実は、違うこと考えていたり、落書きとかしているんですけど。親がフォローしてくれていたから、忘れ物もあまり目立ちませんでした」 

 

ADHDというと、ソワソワしている じっとしていられないといったイメージをもつ人が多いかもしれませんが、実は忘れ物が多い、片付けが苦手などの「不注意優勢型」も存在し、女性に多いといわれています。 

 

その特性は、他にも様々な要因が考えられるため、自分も、家族も、医師も、子どものころに発達障害だと気づくのは難しいといいます。しかし、大人になり、自立していくにつれ特性が表面化してくるのだと雨野さんはいいます。 

 

■「なんか死にたい」事務作業が壊滅的にだめ 失敗は自己否定に  

 

進学校に通っていた雨野さんは、大学に進み、教員免許を取得します。そして、卒業して数年後には小学校の先生として働き始めました。そこで大きな壁にぶち当たりました。 

 

「授業ではそんなに困ることはなかったんですが、事務作業などの仕事が壊滅的にだめでした。でも自分では認めたくなくて、隠したり、ごまかしたりしていました。素直に謝れなかったり、誰かに手伝ってほしいとは言えませんでした」 

 

子どものころにADHDと診断されなかったことの影響かは定かでないとしながらも、雨野さんは自分の育ちの影響で自己肯定感が低かったと振り返ります。そして、仕事の失敗は自分の否定へとつながったといいます。 

 

 

「職員室の先生には良い格好したかった。「ダメ」って言われたら人生終わりだと思っていました。でも、先生たちには『この人は言ってもだめだから』と、私がミスしたり、変な動きをしたときには直で管理職に報告をされたりするようになりました。 

 

それで、人生ではじめてなんですけど、動悸がして、話そうとするとのどが詰まるみたいな感じになって。学校からの帰り道で毎日「なんか死にたい」みたいに思って泣いていました…」 

 

雨野さんは追い詰められてやっと、ADHDの診断に至りました。大人になって向き合うことになった自分の特性でしたが、あることをきっかけに受け入れることができたといいます。 

 

■自分がありのままの自分を受け入れることで周りにも変化が  

 

雨野さんを変えたのは、長男の誕生でした。 

 

「赤ちゃんって、いるだけですごく愛されるんですよね。それが分かって、自分も他の人もそういう存在なんだなと、すごく腑に落ちて。自己肯定感がちょっとだけあがったように思います。 

 

それで、育休後は、ADHD傾向があると相談して復職しようと決めました。職員室で挨拶するときに『こういうことが苦手で、こうがんばっていこうと思っているので、ご迷惑をおかけしますがお願いします』と挨拶しました。そしたら、職員室の先生方が『うん、うん』と首を縦に振りながら優しく聞いてくれました。 

 

たぶん育休前も、本当はいじわるな人は1人もいなくて、自分がそういうふうに思っていたからそう見えていただけで、自分が変われば周りが変わって見えるんだなと思いました」 

 

ーー自分のありのままを伝えることで、仕事に変化はありましたか? 

 

「物を忘れなくなるかというと、全くそんなことはなくて。大事なものが入っているのに、体育館に置きっぱなし、などなどあったんですけど、周囲に自分の特性を伝えてあるから、みんなが職員室に郵便屋さんみたいに届けてくれるようになりました。 

 

あと、4年生の図工を3クラス持ったのですが、図工ってADHDの人は怒られがちなんです。材料がないとできない授業が結構あるのですが、忘れてくる子はだいたい同じなんです。だから決まりを作ったんです。私も忘れちゃうから、忘れるのは仕方ないから、授業が始まる前の休み時間に『先生、忘れました』と言ってくれたら、貸すからねって。 

 

 

1年の授業の最後のときにみんながお手紙をくれたんですが、ほとんどの児童が『車を作った授業が楽しかった』とか『この絵を描いたのが楽しかった』と書いてある手紙でした。でも、忘れ物が多かった子は『先生は忘れものをしても大丈夫だよって言ってくれました。図工が好きになりました』と書いてありました。 

 

1年の最後のお別れの手紙で忘れ物のこと書くなんて、どれだけこれまで忘れ物のことで責められたり、自分がだめって思っていたんだろう…って。このことを思い出すといつも泣いてしまいます。 

 

自分が同じようなところがあるとお伝えすると、救いになると思ってくれる人がいるのかなと思いました」 

 

■弱みは強みに うっかりも、みんなでシェアすれば笑顔に 

 

雨野さんは現在、自分のうっかりをSNSで投稿して笑いに変えるグループを運営しています。一人だと気が沈むうっかりも、みんなでシェアすれば笑顔になれると感じているといいます。 

 

「『うっかり女子会』というグループでは、入ったばかりの時は落ち込んでた人が多いんです。でも少しすると、みんな自慢のように『これ無くした』『こんなに焦がした』…などこぞって投稿しています。何か失敗しても、あそこでみんなに報告できるって、誰かに笑ってもらえると元気が出るって」 

 

自分と同じような悩みを持つ仲間との交流などを通して、雨野さんは、自分の特性との向き合い方がかつてと大きく変わったといいます。 

 

「自分の弱みとか、できないというところも、視点を変えたら強みになったり、工夫すれば大丈夫なんじゃないかと思えるようになりました。 

 

まず自分が何を持っているのか、良い悪いを置いておいて、自分がジャッジなく自分を見てあげて、自分はそういう人なんだねと思ってあげるのが大事だと思います」 

 

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