( 139000 ) 2024/02/14 12:54:04 2 00 鴻上尚史が語った『セクシー田中さん』問題の本質 「脚本家が悪い」空気の中で投稿した真意は?AERA dot. 2/14(水) 11:31 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/d285acedd74f8417d3c049a24da98f5456207e24 |
( 139003 ) 2024/02/14 12:54:04 0 00 鴻上尚史さん
いまだ収束の兆しが見えない『セクシー田中さん』問題。原作の提供や脚色の経験がある、作家で演出家の鴻上尚史さんのXでの投稿が注目を集めている。問題の本質は、「原作者と脚本家ではなく、出版社とテレビ局です」と鴻上さんは話す。その真意を聞いた。
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――なぜXにあのような投稿をしたのでしょうか。
ずっと心を痛めていたんですが、論点が原作者と脚本家の話、つまり、原作をリスペクトするべきかどうかとか、原作に忠実に脚本を書くことなどできないといったようなことがたくさん話されていて、この問題の本質からどんどん離れて行ってしまっているように思ったんです。Xで書きましたが、問題の本質は「原作者と脚本家」ではなく、「出版社とテレビ局」です。でも、一向にそのことを指摘する人が出てこない。だから、書きました。
――どうして問題の本質に言及する人が出てこなかったのでしょうか。
私のように原作を提供したり、脚色したりする経験があって、なおかつテレビ局や出版社に忖度しないで意見を言える立場の人が少ないということが一因だと思います。漫画家さんは、小学館と関係がなければ言いやすかもしれませんが、連載していたら難しいですよね。脚本家さんはいつテレビ局からお呼びがかかるかわからない。こちらも意見を言うことが難しい。それに今ネットでは「脚本家=悪」という空気があるので、余計に発信しづらいと思います。私がXに投稿した後、知り合いの脚本家の何人かから連絡があって、「よく言ってくれた」と言われました。それだけ、出版社やテレビ局に関係のある漫画家や脚本家には言えないことなんだと思います。
■「出版社とテレビ局」の問題という認識が広まってほしい
――鴻上さんは問題の本質を「出版社とテレビ局」とおっしゃっています。
原作者の中には様々な理由から『テレビ局側にお任せします』という人もいれば、全部チェックさせてほしい、変更はしないでほしいという人もいます。一方で、脚本家もプライドを持って作品づくりをしています。場合によっては原作を変更する必要があるかもしれない。どれが良いとか悪いということではありません。
問題は、出版社が原作者の意向をどのようにテレビ局に伝え、それをテレビ局が脚本家にどう伝えたのか。そして、原作者の要望と違う脚本が上がってきたときに、テレビ局はその理由を出版社にどう伝え、出版社はどのように原作者に伝えたのか、原作者を守ったのか。考えるべきはここにあると思っています。
――小学館と日本テレビはどのような対応を取るべきだと思いますか。
今回の問題で不安に思っている漫画家や、混乱している脚本家もたくさんいると思います。出版社もテレビ局も、これから先、漫画家や脚本家と友好な関係を築いていきたいのであれば、きちんと経緯を説明した方がいいのではないかと思っています。(このインタビューのあと、脚本家さんの文章が発表されました。その中に「私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました」という言葉があるのですから、テレビ局はちゃんと説明した方がいいと思います)
――この問題は今後どうなっていくでしょうか。
テレビ局の対応次第でしょう。今回の問題はわかりやすい「犯人」が出てくるようなものではない。ネット上では「犯人」や「敵」を見つけることに躍起になっている人がいます。私のXの投稿にも、きちんと読んでくれて、問題は「出版社とテレビ局」という意見に賛同してくれる人もいましたが、「脚本家が悪いに決まってるじゃないか」などというコメントもたくさんありました。
とにかく、一人でも多くの人に、今回の問題は「原作者と脚本家」の問題ではなく、「出版社とテレビ局」の問題だという認識が広まってほしいです。それだけでも大きな変化だと思っています。
(構成/AERA dot.編集部・唐澤俊介)
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( 139002 ) 2024/02/14 12:54:04 1 00 この文章は、"Xのポスト"という事件についての様々な意見や批判、推測、および原因や責任の所在についての考察などが述べられています。
まとめ | ( 139004 ) 2024/02/14 12:54:04 0 00 ・鴻上尚史さんのXのポストって、多分数日前だったのだろうと思うけど、今は、原作家・出版社・TV局の構図を認識されつつあると思う。 脚本家はTV局に隷属した存在なのだろうと。
ただし、今回の事件に限って言えば脚本家がSNSでよけいな事を投稿しなければ、いつもの原作者が悲しむ原作クラッシャーで終わった話だと思う。 この点だけは、この事件の脚本家が責められても仕方がない。
そして脚本家があれだけ思い上がれるほどに、そして会見をせずに風化を狙うほどに、TV局の腐っている事も知れ渡りつつあると感じる。
・「原作改変に関するトラブル」という括りで言えば、まさに鴻上さんの言う通りでしょうが、今回の事件に関して言えば、映像制作の裏では色々あったかもしれませんが、その事を放映終了後に脚本家が突然、恨み節のような意味深な投稿を行ったことが引き金であり、その「攻撃対象が原作者」と取れる文脈であったことが大きな問題で、単なる「原作の映像化問題」という一般論に矮小化するのは違うと思う。
今までも原作の映像化において、様々なトラブルがあったことは確かだろうが、今回のように「原作者が追い込まれ自死に至った」のは、「脚本家の投稿が引き金」であることは疑いようのないことだし、あらゆるメディアが、その発端となった脚本家の投稿を報道しないことに、経緯を理解している多くの視聴者が、不信感と怒りを感じるのは当然だと思う。
だって、どう考えても不自然でしょ?
・悲劇の発端は脚本家が原作者を非難するようなSNSを発信したことなので、そこへの非難があるのは自業自得で仕方のないことだと思う。 ただ今回のことがあったからこそ、原作者がいかに弱い立場なのかが明らかになり、原作者、出版社、テレビ局、脚本家の関係性が問われることになり議論となった。これが原作者を守る方向に進むきっかけになるのであれば、悲しいことではあったが、芦原さんが身をもって多くの原作者を救ったことになるのかもしれない。 今回の全てが、過ぎたらただ忘れ去られるようなことにしてはならないと思う。
・脚本家について、SNSであのような投稿をしたこと事態は明らかに非があると思うが、原作からの改変については、いまだどのような形で仕事を受けたかが不明で、そこが明確にならない限り責任を問うポイントにはなりえないですよね。 原作クラッシャーなどと呼ばれているようですが、あくまで送させているのは制作側でしょう。原作に忠実に作りたいと制作側が考えているのならそもそもそのような異名を持つこの方に脚本を依頼しないでしょう。
・問題の本質はその通りだと思います。 ただ、あの脚本家の余計な投稿がなければ、少なくとも、このような不幸な結果にはならなかった。 その事を深く受け止めないこの脚本家の人としての資質も問われて当然だと思います。
・原作好きとしては、今度からはドラマ化映画化されたら脚本家の名前もチェックした方が良さそうですね。。。
少なくとも例の方が脚本されたものはもぅ避けるかな・・・ 何か作品が出たら口コミで判断、相変わらずの内容だったら腐ってんな、の一言で。
素晴らしい脚本をされてる方たちがいるのも事実なので、その辺をまとめた記事とかも読んでみたいし、作品を観てみたい。
何となくこのまま流れて、結局何も解決しないままに世間が忘れるのを待ってるような対応で嫌な感じですけれども・・・
・Pの配置に問題があったと言う話もある。
現場に人手も時間も予算も、充分に与えられないまま、経営陣からとにかく視聴率や再生回数を稼ぎやすいドラマを作れと無理強いされていたとしたら、上からの無茶振りに応じるために不正を繰り返したダイハツの問題と、同じ構造に見える。
番組制作の結果、関係者に自死者を出したと言う、重大な結果を考えて、電波事業者として、適切な番組制作が行われていたか、総務省は第三者による検証を厳命してほしい。
・『漫画に忠実に』等々ドラマ化にあたっての諸条件が守られず、漫画連載を抱え多忙な原作者がドラマ脚本の加筆修正・オリジナル脚本の作成(加筆修正にとどまらなかった)にまで労力を割かざるを得なかった事から問題が生じましたが、原作者脚本家ともに納得できた形ではなかったにせよドラマは最終回を迎えています。ここまでなら問題自体は生じていますが原作者は自殺していませんでした。 つまり、問題が露呈しなければ、騒動に発展することはなかったし、原作者が自殺することもなかった可能性が非常に高いということです。無論、メディアミックスの問題は問題として解決されなければなりませんが、原作者が自殺した事の本質を問いたいなら、問題の原因と、自殺が起きる発端となった原因は分けて考えた方がよろしいかと思います。
・少なくとも、いや確実に脚本家に問題はあると思う。ただその上で間を取り持ち原作者さんの意見をしっかり通さなかった小学館と日テレの罪は大きい。
、、、映像化に際して忠実にって言われてるのに大幅に変更したとか、9、10話は原作者が脚本書かなきゃならなくなったとか、客観的に見ても異常だし、原作者さんが自分の作品を納得いかない形で終わらせたくない想いとか色々感じられて辛い。正直、自分含めて脚本家が終わってると考えている人が多いと思う。それが日テレの意向なのか、小学館は何をしていたか、全部はっきりさせないことには単行本も含めて小学館発行の物は買いたくない。
・脚本家もプライドを持って作品づくりをしています。場合によっては原作を変更する必要があるかもしれないって、そこが問題なのだ。原作者が原作に忠実に再現するように要望したら、その意向に沿うことが必要であり、脚本家のプライドで原作者の意向を変えてはいけない。今回の事件は脚本家のプライドが原因であり、そこを矮小化するのは事の本質をわかっていない。まさに脚本家の上から目線を証明する見解である。
・いま一度、芦原先生のツイートを見直すと、プロットや数話分の脚本を見た【後で】6月に合意したとあります この見本の発注時点から脚本家にフィードバックがあったのでしょうか 合意の内容は提出されたものの直しであって意向に沿うものの提出を約束するものではなかったのでは、という指摘もあります
原作に脚本が沿わない問題は問題としてありますが、その恨み全部をこの脚本家に向けるのは違うんじゃないかと思われます
・私には脚本家も自分がサポートに回った後の脚本の批判が自分のところに来て面食らってるように思えました。それでたまらず書いたSNSがまた火種になって。でも原作者もこのSNSの意図を取り違えてはいなかったように思うんです。辛かったのは、ずっとまんべんなく自分の考えや発言が討論の機会も無く決定的な否定も無くだらだらと当然のように無視され続け伝わらなかったことではないかと想像するのです。自己肯定感を題材にした作品を描くこの作者であればなおさら耐え難いことではないかと。
・組織対組織の構図に落とし込んでしまうと、責任の所在があいまいになるだけ。責任は個人にあり、社は連帯責任を負う。 この場合、日テレはプロジューサー、小学館は交渉担当者が一義的に責任を感じるべき。一人の命が失われたのだから、第三者委員会を立ち上げ、構造的問題を掘り下げ、漫画を原作とし映像化する場合の約束事を作ってほしい。
・正確に言えば「今回の騒動に関しては」脚本家のSNS投稿が悪いというだけで、原作者の許可無き改変問題は、出版社とTV局に責任があるということではないでしょうか。
8話まで全て脚本修正されていたのに、原作者の意図を理解できなかった脚本家が、原作者に責任転嫁したのが発端ですからね。
・今回は原作者の要望が脚本家に届いておらず、間にいた出版社とテレビ局が悪いとの話でした。それは確かにその通りですね。脚本家だけのせいでは無い。でも脚本家も要望を知りませんでした。原作者と会って話がしたかった。との発言をすれば事態は違ったはずです。それに社会に一般では脚本家とテレビ局を分けて見ません。そっちの雇用がどうなってるとか取引先には関係無いことです。仕事に携わってそれは私じゃないから知らないとか普通は言えない。内部で話し合って下さい。社会人としての姿勢に問題があると思います。
・そもそも古来より、映画やテレビでの脚本家ってのは、原作ものがある場合はそれをいろいろ自分なりの手なおしをしていくもんだと思ってたから、単純に原作通りをしないとダメとはならないと思う
それが前提だが、今回の件は原作者の意向があったわけだから、そこをきちんと踏まえないとだめ
それでこの件については、原作者がプロデューサーと話し合いの場があったという事だが、ここが問題で、鴻上氏の言うように、出版社(もしくは代理人)が間に入らないとだめな案件だった
後はこういう場合は契約関係ってどうなってるんだろう?? 当然原作者の意向は契約に含まれるはずだが、まさか口約束??
・原作ありきの作品が別ものになる現象の本質はテレビ局側の体制が大元では。 使いたい(推したい)人物の所属事務所との関係、スポンサー側(予算)との関係、話が原作者まで行くまでの窓口の多さ。そして「メディア化すれば原作も多少なりと売り上げが上がるんだから」と言う時代錯誤の上から目線。
今回の事に関して言うのであれば、脚本家の当てこすりから始まってるのだから「脚本家が悪いと言うのはおかしい」って言うのも納得する人は多くないでしょう。 当の本人の言う「初めて聞いた話ばかり」が本当なのであれば、本人が事実解明に動いて初めて「脚本家も被害者なのかも」と思えるんですけどね。
・問題の本質は単純に、炎上するようなコメントをSNSに投稿するなということ。仕事の内情や不満をSNSに投稿してはいけない。 脚本家は不満もあっただろうし、言いたいこともあっただろう。それは制作側に伝えるべき。それが仕事の流儀。 しかしドラマの脚本のゴタゴタをSNSで暴露して嫌味たっぷりに
「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました」。「この苦い経験を」。
こんな投稿を先にしたら炎上するに決まっている。こんな一方的な投稿を脚本家がしたから原作者もそれに対応して長文のコメントを発表した。きっかけは脚本家のコメント。
・脚本家には最終決定権はなく、それはディレクター、プロデューサーが握っている。もっと言えば、原作に忠実に書けという指示があれば作家の能力の範囲内でそう書くし、大幅に脚色せよ(多くはストレートに分かりやすく単純化して誇張させてパンチを出せ)という指示が出されればそう書くしかない。また、それが成功すれば実績にもなる。脚本家が「初めて知った」というのは、プロデューサーから後者の指示があったことを、暗に婉曲的に言っているんだろう。脚本家の立場なんてその程度でしかない。鴻上さんに聞きたいのは、犯人探しはするなと仰るが、犯人がプロデューサーだったとしても、プロデューサーも上からの視聴率ノルマがあってそうせざるえなかったから責めるなという意味なのだろうか。やはり、この問題は日テレと小学館のトップがきちんと説明責任を果たすべきだろうと思う。なぜなら、著作者人格権が侵害されていた可能性があるからである。
・落ち着いて考えれば、個人対個人の問題じゃなく組織対組織だってのは分かります。 出版社対テレビ局だってのは。 関係者のコメントを見るまでもなく、ネット民だってそこに気づいてます。(個人叩きをしてる人は面白がって、個人の鬱憤をここぞとばかりに晴らしてる、いつまでたっても組織が明らかにしないのにしびれを切らしてるなどの理由だと思います。意味ない生産性のない行動だと思います。) やり過ごせると思ってるのは当該出版社とテレビ局だけですよ。 当該出版社とテレビ局だけじゃなく、出版社全体とテレビ局全体に対する信用がなくなってきてます。 危機感持っていただきたいです。 そして、鴻上さんのような立場の方の発信ぜひお願いしたいです。
・一般論としてはおっしゃる通りなのでしょうが、今回の件は脚本家の方がsnsで原作者を貶めるような発信をしていますので(本人も後に反省の弁を述べてアカウントを削除)、批判は仕方ないかと思います。それから、原作者の方が自殺されています。分かりやすい犯人はいない、とおっしゃいますが、原作者を自死に追いやったトリガーが何かは気になりますね。再発防止のためには、犯人探しというよりかは、原因の究明はやってほしいですね。
・今回の件は原作壊変も要因ではあるが、脚本家のネットリテラシーの低さが発端。叩かれてしまうのは仕方ない。まずはネットリテラシーの教育が必要なのでは?その次に権利関係などの整理や業界のルールの整備が必要だと考える。
・どの記事だったか動画だったか忘れたけれど、TV局側の事情を説明したものもあったな。 プロデューサーが仕事をしていないのだけれど、ではそのプロデューサーの能力や資質だけによる事が原因なのかといえばそのようなことはなく、その人的リソースが不足しているとのことだったな。 要はチーフプロデューサーを含めた担当者数が3-4名程度しか居なくてそんな状況では全てについて満足なフォローや対応ができないとのことだったな。
実際このドラマのチーフプロデューサーが手掛けたドラマ作品を見てみると近年は年に4本のドラマ制作に携わっていて、ドラマ制作のスケジュールに追われているのだろうな…なんて想像もつくし。社員だし。
あと気になったのはドラマ制作のスタッフとして名前が乗る人物がいつも同じ事かな。 メンバー固定は安定した制作ができるものの閉鎖的な村や島を作りやすい弊害もあるんだよね。
・問題の本質は、原作者と脚本家でもなく、出版社とテレビ局でもなく、問題を誰かの責任にしようと暴走する群集心理だ。
人生から問題を取り除こうとするから悲劇が起きる。自分の思い通りにプロジェクトが進まないことも、創作物が酷評されることも、自尊心が傷つけられることも、誰の人生だって起こり得る。
原作者が心を痛めたのは、自分の本意とはかけ離れた方向に群集が動かされてしまって、他者を傷つけてしまったことだと察する。
にも関わらず、やれ脚本家が悪い、やれテレビ局が悪いと、いまだに問題の責任を誰かに押しつけようとする群集が、一般人だけでなく権威者の中にもいることに絶望している。
人生から困難を取り除こうとするな 困難を乗り越えてこそ人生が輝くんだろ?
この問題のせいで、日本の素晴らしいコンテンツが映像化されて世に広まる機会が狭まってしまうとしたら、それこそ原作者の本意と乖離する悲劇だろう。
・著名人の中で初めて本質を捉えてる人がいた。 この意見に完全同意します。 一般人も著名人も原作リスペクトの話と犯人探しに躍起になりすぎです。
ただこの記事では触れられていませんが、脚本家がSNSでお気持ち表明したのだけは良くなかったですね。 どんな事情があろうとSNSで個人を攻撃するのだけは絶対にダメです。特に著名人は。 原作改変とか業界の構造とかとは全く別の所で、人として、社会人としてダメです。
この件があるから脚本家への非難が集まり本質を見えにくくしていますが、あくまで本質は「出版社とTV局」の問題です。
・問題は確かにそこなんだけどそれとは別になぜ脚本家は原作者の攻撃をxで拡散したのか。 そんなことをすれば原作者への攻撃となることはわかっていたはず。 また原作者からのxへのポストを受けなぜ数日放ってしまったのか?迅速に反応して謝罪を入れていたら彼女は自殺しなかったと思う。 問題は話がこじれたことではなく、その後の対応、そこなんだと思います。
・鴻上氏の言いたい事はよく理解できるが、そもそもの発端が公となったのは何だったかが抜けている。 そもそもの発端は脚本家が原作者が横やり入れやがったみたいな投稿をした事がスタートで、その事に対して芦原先生が実はと言う形で投稿しこのような事になった。 それにほとんどの脚本家への批判投稿の中でも悪くない投稿だと自分自身も同意見だが「勝手に改変しているのが悪であって、改変そのものが悪なのではなく、しっかりと打ち合わせして納得の上での改変であればいい方向に行ったのではないか」という事もあがっている。 漫画と実写とでは表現できる方法等に違いがあるのは皆分かっている事なのだから、だからこそ「しっかりとしたすり合わせをしてないのか?」と皆の批判が脚本家に集中するのが分かっていると思うんですけどね。 普通の会社とかでも企画やる時にすり合わせしないのと言う事がありえないのだから、やり方がおかしいとなる。
・非常に才能あるクリエーターが自ら命を絶ってるんですよ。 テレビ局も脚本家も上から目線だし、原作を使ってやってる感が強くて、漫画家というか、クリエーターに対するリスペクトが全く足りない。 出版社も儲けさせてもらってるのに、対応が甘かった。 今更感の「現場の編集者」が頑張ってますのコメント出しても、何も変わらないし、Xで原因を作った当事者の脚本家は他人事のような追悼のコメント出して炎上してますよ。 日テレのチーフ女性プロデューサーはいまだに雲間に隠れてるし、こういう事態が発生して、原作者の命と引き換えではつらすぎますよ。 日テレは他人事のようなコメント出したままにしないで、きちっと内部調査をして記者会見します、その場合チーフプロデューサーや脚本家も同席させますと、発表してほしい。
・この人の言いたい事はよくわかるのだが、脚本家が悪いとしている人たちが指摘してるのはそこじゃ無い。 脚本家の挑発SNS投稿が発端だという意味での脚本家が悪いという話しだ。 だから責める視点がちょっと違うのである。 脚本家にもプライドがあろうが、他人の褌で仕事もらっているのに原作者に敬意がない事を問題視している。原作改変を問題視してるわけじゃない。都合により原作は改変せねばならない事など皆んな知っている。 しかし原作者への敬意はまた別だ。 投稿には出演者やお仲間と遊ぶ画像並びにハッシュタグはあるが、そこに原作者の名前もなく、あたかも原作者が出てきたから作品が変になったかの様な匂わせがあった。この点が原作者への敬意がないと感じ燃えたのだ。 この点に置いては出版社もテレビも関係なく脚本家の性質の問題視と言うわけだ。 そこを無視するとまた炎上するかと思う。
・今回の件では、件の脚本家の対応はオカシイんですが、脚本家全部を悪としてごっちゃにするのは違いますよね。逆のパターンだってあるはずですし、実際には会社跨ると難しい問題いろいろとありますので、話としてはシンプルなハズなんですが、なかなかそうもいかないのも現場ではあるんでしょうね。そこを改善していかなくてはですね。
・原作者さんの為にとの素直な方もいると思いますが、脚本家さんの投稿から、脚本家が悪いとなっています。 また、そこに脚本家を叩きたい人が湧いてきています。
今は、どんなに冷静かつ客観的な意見を出しても、脚本家が悪いと感情的な人達には届きません。
なにせ、脚本家の投稿に原作者さんが反応し、双方の言い分に違いがある中で原作者さんの自死になっていますから、脚本家が悪いという流れは仕方がないのでしょう。
放送局や出版社は社としての事実関係を公表していないため、最後は、原作者さんが悪者にされるのではとの心配もあると思います。
放送局や出版社が事実を明らかにするのが本当に良いのか(原作者さんの多少の勘違いなどの可能性は否定できない)は分かりませんが、公正かつ客観的な事実が明らかにならないと、収束しないのでは。
・実際に悪くない人が亡くなっている以上、犯人というか責任を取る人が必要だと思う 政治もそうだが誰も責任を取らないので同じようなことが繰り返されるというのは何度も見ているはず テレビ局の人間も出版社の人間も脚本家も責任を取らされるという自負で仕事をすれば慎重に行動するだろうし安易なSNS発信もしなかったと思う
・「出版社とテレビ局」というより「テレビ局と芸能事務所」ではないのかな? この件については、芸能事務所の関与に言及した記事がほとんどなく、また芸能事務所の名前を出して疑問を書き込もうとしたら投稿できなかったりしたこともあった。 日テレや出版社だけでなく、他の記事も何故かあえて触れないようにしているようにしか思えなかった。
・今回のことで脚本家という職業そのものを叩くのはおかしいし、実際そのように考えている人はまずいないと思います ただ・・・ ある脚本家の言動が原作者に対するリスペクトに欠けているように見えた、そしてそのコメントに賛同するような同業者がいた、事件が起きたにもかかわらず、脚本家の協会の動画でも原作者に対するリスペクトに欠けた意見を述べる人がいた これらが重なって脚本家全体の印象が悪くなってしまったのではないでしょうか それと、番組制作のいざこざを軽率にSNSにあげて、不必要に話を大きくしたきっかけを作ったことも批判されたのだと思います
今回の悲劇はもちろん業界全体の問題なのでしょうが、結局は個人がどう考えて動くかが大きいのではないか、とも思います まともな脚本家、編集者、プロデューサーなどのほうが多いのだと信じたいものです
・脚本家さんが制作側から、原作者の意向を何も知らされてなかったとして、何もかも初めて聞く話ばかりだったとして… 原作者さんが疲弊するほど何度も修正されることに対して、脚本家さんは何の疑問は持たなかったのだろうか。 脚本家さんだって、自分が作った脚本を変えられるのは嫌だったでしょうに。 同じように原作者さんだって、原作の世界観を変えられるのは嫌なんだと気づいて欲しかった。 そのために、せめて原作漫画をきちんと読んで欲しかった。 そしたら腹立ち紛れのような、あんなポストを投稿しちゃうこともなかったのに…。
・命を絶たれた理由があきらかになっていないことを忘れてはないでしょうか。
たしかに原作改変への不満を糾弾したのちに亡くなられましたが、不満はもとからあったわけで、 それが不幸な行動につながったのは告発ツイートへの反応が直接の引き金となったはずで。
それは関係者かもしれないし、マスコミからの取材攻勢かも、SNSの誹謗中傷かも、それらすべてが重なってのことかもしれない。 あるいはあまりに大事となり、表沙汰にしたご自分を責めたかもしれない。
「誰かを責めたかったわけではない」。この言葉を最後に糾弾ポストを消してこの世を去られた原作者さんの想いが 今一番おきざりにされているように感じます。
・皆それも言ってると思うけどねえ。 出版社とテレビ局が結局はっきりとしたことを何も言わないし、そこのやりとりに問題があるなんて出尽くしたほど言われてるよ。 それとは別に、脚本家のこれまでを見て悪い意味で原作クラッシャーなことも言われてるけど、これは別にとばっちりではなく、彼女が元々持っていた問題点。 それがきっかけで起きたことなんだから話に上がるのは当然。 あと、やっぱりSNSで大人気なく攻撃したこと。原作者からのアクションがあってもシカトしてプレッシャーを与えたこと。あとドラマに関する掲示板に、脚本家もしくはその身内でしか知り得ないことを原作者への攻撃に絡めたコメントとして複数回投稿されてたことも、脚本家に注目が集まってる大きな理由。 これをスルーしてテレビ局と出版社の話だけしろは無茶というもの。
なんというか、やった側の攻撃が手慣れすぎてる。
・発端は脚本家が知ってか知らずか原作者をディスったことであって、苦い経験を飲み込んでしまっておけば死ぬという事態にはならなかった。パンドラの箱開けたのは脚本家。そこからいろんなものが飛び出しただけであって、テレビ局出版社が問題なのは当たり前。今までなし崩しで来たものが犠牲をもって多少良くなる程度の騒ぎにしかならないだろうことが残念。
・脚本家のSNS発信は不用意だった。それは間違いない。しかし、事の本質はそこでは無い。SNSどうたらは、あくまでA氏の個人的資質・考え方の問題。
「脚本家が己の意のまま、原作者の意図を無視し勝手に改変した。けしからん!」「オリジナルも書けないくせに!」という意見が大多数のようだ。
でもね、映画・アニメ・ドラマその他、二次創作って別に脚本だけで出来上がるものじゃない。美術・キャスティング・音楽・衣装 etc. etc. 数え切れない位のスタッフが関わっている。全ての責任・スタッフの任命登用は、統括するプロデューサー、ひいては制作総責任者そのものにあるという事だ。
非難の意見はそこが完全に抜け落ちている。感情論だけでは何も解決しない。
・裏では色々あったのかもしれませんが、率直な意見として批判覚悟で言いますが 8話まではドラマとしてきちんとまとまっていて、最後どのように各キャラが 成長や決断をしていくのか・・・という期待があったのですが、最後の2話では 急にまとまっていたストーリーが解けてしまってテーマがボヤけてしまい ラストシーンもなんかボヤぁ~っとしてしまって、アレ?っと思っていました 後に最後の2話だけ原作者さんの脚本だと知って、それでテイストが違うのか とも思ったのですが、ご自身の原作がまだ続いているため、ドラマで結末を 形付けて欲しくなくて、あのようなモヤっとした終わり方にしたかったのですね ちなみに原作を全く知らない者の意見ですので、ご容赦ください
・問題の本質は局と出版社だし、今後の改善が出来るのもテレビ局と出版社しかありません。 が、どちらもダンマリですね。 芦原先生の願いは連載を続けたかった。 そのためにドラマ化では世界観を壊されたくなかったし、終わってから、ドラマのセクシー田中さんって原作者が現場掻き回して内部ゴタゴタだったんだねーなんて言われて汚されたくもなかったのだと思います。 でも、先生の頑張りや思いが全て台無しになるような何かがあった。 SNSで発信した脚本家もそれに反応して尊厳を傷つけられたんですねーとコメントしたお友達もテレビ局も出版社も、芦原先生とその作品へのリスペクトが皆無だったから成し得た酷い所業と思います。
・自分だけは「大所高所」に立って意見言ってますよ、と良識人ぶりたいのだろうが、今回の問題に限っていえば、そもそもが脚本家の心無い投稿が問題の発端であり、それはどう繕っても覆らない事実なのです。誰に忖度しているのか分かりませんが、もう一度アンテナを張り直してはいかが。
・原作と脚本の乖離や、原作者の意向が脚本家に正しく伝わってない、脚本に反映されていないという点においては出版社とテレビ局側の問題だと思う。 脚本家が拗ねて原作者への当て擦りみたいなコメントをSNSで発信したのは、脚本家本人の人間性が問題。もちろん、だからと言って私刑に晒すのは大間違い。ただ、なんてまあ大人げない、、と一連の報道を見て、感じた。
・鴻上さんの意見は一般論としては、その通りで、対策も、ある意味立てやすい話。
例えば、漫画原作なら、 出版社とテレビ局との間で「原作者の意向をどの程度反映させるか」の契約のテンプレを数パターン作っておいて、 (絶対原作に忠実/難しいシーンのみ代替案可/設定厳守で各シーンは一定融通あり/設定の一部変更可/タイトル使っただけの別物でOK、など)、
原作者の意思や、作品傾向や、ドラマ制作側の都合を勘案して、契約パターンのどれかに決める、とかすれば、 トラブルは大分防げる。
その上で言うのだか、 「セクシー田中さん」の事件では、脚本家が一方的な言い分をインスタで流し、原作者のイメージを落とした事が最大の要因だ。 そこに触れない一般論だけでは、事はフェアに処されないと思う。
・>> 問題は、出版社が原作者の意向をどのようにテレビ局に伝え、それをテレビ局が脚本家にどう伝えたのか。そして、原作者の要望と違う脚本が上がってきたときに、テレビ局はその理由を出版社にどう伝え、出版社はどのように原作者に伝えたのか、原作者を守ったのか。考えるべきはここにあると思っています。(←ここまで記事引用)
確実に言えるのはこんなこと、先月来原作者自死直後から当ヤフコメ含めて皆さんネット上で多く語られてきたこと・ということです。決して「誰も話題にしない」などということはありません。この内容で著名人からの発信記事を出すには「相当遅きに失した」感があります。「大手テレビ局」や「出版社」の問題など、私自身も投稿したし、鴻上氏でなくても演出家や執筆業でなくも私のようなど素人でも皆が思っていることと思いますがね。
・ではもう一歩踏み込んでなぜ「原作者と脚本家」の立場が弱く「出版社とテレビ局」がそのような力を持っているのかを考えてみるべきだと思うな。「なぜ」そのような構図になっているのかを考えないと問題は解決しない。 僕は「原作者と脚本家」のようなフリーランスは孤立しがちで、なかなか組織には対抗しにくいことが原因だと思うが、これはフリーランスの人たちだけの問題じゃない。日本全体で左派の力が後退し、それがこの国に様々な歪みを引き起こしているように思うな。国民の多くがもう少し左派の役割を理解し、意識していればこのようなことにはなっていなかったと思いますよ。
・本質がどうであっても、遺族や原作者親しい人、ファンが何に対して憤りを感じるだろうかと考えたら、やはりドラマ制作サイドや小学館がどんな空気感で、具体的にどんな言動や態度で原作者を扱っていたかでしょう。 それに対して現段階で表に出ている情報は脚本家のSNS、他は当たり障りのない発信のみ。 これでは誰も何も判断できないから想像するしかなくなるんです。
状況がわからない以上、本質を語るよりこちらが先かと思います。まあ意地でも喋らなさそうですが。
・もう社会問題として、だんまりで世間の関心が薄まるのを待っている日テレに鉄槌を食らわすべき。政治家は放送免許の取り消しを視野に入れて問題化してもよいのでは。 はるかに影響の大きいダイハツでさえ、生産をていしして対応している。 日テレから改善策が発表され、改善された🅂ことが確認されない限り放送免許を取り上げるべきでは。 それほど深刻な問題だとおもう。
・確かに問題の本質は鴻上さんのおっしゃる通りだと思うけど、今回の件は脚本家自身が今回の問題の本質を理解せず、原作者さんを攻撃するような内容をSNSで発信したことが発端だったと思います。
・原作原理主義の人たちが、わかりやすい「.犯人」として脚本家を叩いている気がする。 原作を改変することを認めるかどうかは、原作者が決めることで原作原理主義のファンが決めることじゃない。 今、脚本家を叩いている人はもし脚本家に何かあったら、ヤフコメやポスト削除して逃げるんだろうけど、人を傷つけることに鈍感すぎる。 鴻上さんの声が脚本家に届けばいいと思う、
・原作原理主義の人たちが、わかりやすい「.犯人」として脚本家を叩いている気がする。 原作を改変することを認めるかどうかは、原作者が決めることで原作原理主義のファンが決めることじゃない。 今、脚本家を叩いている人はもし脚本家に何かあったら、ヤフコメやポスト削除して逃げるんだろうけど、人を傷つけることに鈍感すぎる。 鴻上さんの声が脚本家に届けばいいと思う、
・鴻上さんのおっしゃるとおりだと思います。 「誰それが悪い」という問題を超え、「組織の強い力が弱い個人を踏みにじる」という構造的な問題だからこそ、人々の関心も高い。 脚本家と小学館は一応ではあっても自ら説明をしましたが、 日本テレビは心無い短いコメントを発しただけでまだ何も説明していません。 個人を踏みにじって平然としているようなテレビ局は、長い目で見れば信頼を失うと思います。
・俺も同感。件の脚本家は「原作クラッシャー」の異名をとる、原作漫画をアレンジして別物に仕上げるので有名な人。それはそれで原作者も納得ずくであれば問題なかっただろうが、今回の件では原作者が改変しないことを条件にドラマ化を了承したにも関わらず、この脚本家を起用したのが問題。 日テレは原作者の意向を無視して原作を壊変しまくった前科がある。日テレはもちろん、こんなとこからのドラマ化の話に乗った小学館にも責任がある。
・場合によっては原作を変更する必要があるかもしれないって言う発想が脚本家業界側の視点でしか語ってないんだよな。 それ以前の話として日テレと作者側の契約に「原作に忠実」っていう文言が入っている以上制作サイドは原作に忠実に作らなければなならないとう義務を負っている。 ホント1回ガチで契約不履行で訴えられて超高額賠償金取られればいいんだ。
・脚本家は仕事貰わなきゃいけないから、テレビ局の論理に過剰適応できる人が生き残る。その過程でそれが血肉になってしまって独立した存在であるという意識がなくなってしまうのだろう。そうさせたテレビ局側は担当が変わっていくし、一人の創作人をスポイルした自覚もない。だから今回も寝耳に水といった心地だろうよ。
・今回の点で一番不可解なのは「小学館(上層部)」です。 本来原作者を守るべき小学館が、「仮に」敵に廻っていたなら? どうなるだろうか? 特に他の作家が過去にあった事案でSNSに不満を掲載したら 上層部が「こういう発言させないためにもSNS管理しないでどうする」 と言う事を言ってることで其の疑惑が強まっています。
コンプライアンスが機能していないこともそうですが 26日に出した芦原さんのコメントを28日に下げた理由が 「原作者を守るべき小学館が恫喝していた」らどうなるでしょうか? 芦原さんが絶望するのに足る理由が十分できてしまいます。 実際休載も芦原さんの都合ではなかった場合、 「会社ぐるみでのイジメ行為」に該当する可能性が浮上します。
これが単なる自死ではなく、組織ぐるみの行動なら 確実に社会問題として風化させてはいけないと思います。
・脚本家が事実を知っていようがいまいが、あまり関係なくて、最後に自分が外された事の愚痴を不特定多数が見てしまう様な場所に書き込んだことが問題なんだよなぁ。 そんなことしなきゃ原作者も反応する必要も無かった。
・彼の意見は一見尤もらしく聞こえる。が、良く考えると結局最終的には原作者と脚本家の問題である事に何ら変わりはない。影響力が強い方なので公の場で論点をずらさないで欲しいと思う。
・相沢氏の件のツイートを、“原作者の意向をTV局から知らされていなかった”という前提で読むと、
「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望」という文も「寝耳に水で驚いたんだろうな」と理解できるし、「過去に経験したことのない事態で困惑しました」も「そりゃそうだろうね」と思える。
日テレがちゃんと伝えていなかったのが本当ならば・・の仮定の上では、彼女のツイートには特に問題がない。この件に日テレはダンマリなので、これは事実の可能性が高い。
最も悪い者をあえて定めるならば、それは確実にドラマの制作陣、特にチーフプロデューサーだよ。相沢氏は、ただの雇われ脚本家だ。
・製作上の都合であっても、どうしたら原作の設定に無い要素まで盛り込んで良いと判断できてしまうのかが謎。 それをやめて欲しいと言う原作者はダメなのか?それが当たり前では無いのか? そんなに勝手をやりたいなら、テレビ局がオリジナルを作ったら良い。 ドラマの本数は減るだろうが、駄作も追々減るだろう。
・物事は極めて単純で、原作の趣旨から離れ、原作者の意図に沿わない脚本ならそれは原作の冠すなわち題名を外して放映すべきで、脚本家の新作として取り扱えばいい。原作の名前だけで視聴率が取れるともくろんだ局の責任も大きいことは言うまでもない。
・> 問題の本質は「原作者と脚本家」ではなく、「出版社とテレビ局」です
この人も業界に染まっていて偏っていることに自覚がない。 「出版社とテレビ局」の問題も本質ではあるが 原作をないがしろにするのが当たり前の脚本家の常識も 問題の本質の一片です。 脚本家にも問題があることを避けては根本的な解決は望めない。
・原作者自身件の投稿で脚本家も含めドラマスタッフ関係者とは会っていない要望を伝えるために十分な時間を取ったのは小学館とのやりとりだけと言っている
この件で必ずしも主題になってる様子でもないが十分な要望を聞き伝えるはずの小学館→日本テレビの関係性ってどんなものだったのだろう?貴重な原作を与えて頂くと日本テレビが頭を下げてたのか貴重な宣伝媒体を使わせて頂くと小学館が頭を下げる立場だったのかもし後者ならその密なやりとりに意味はないそこに徒労疲弊していた原作者そんな側面はなかったか
想像の域を出ないが最後の投稿「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」小学館との密な関係の中貴重な宣伝媒体に失礼があってはならない作家個人の問題ではなくなると長年に渡りその関係性を職業作家の矜持初歩と説き伏せられてきたのなら原作者が何に慚愧懺悔を思ったか拙速に語られがちなものとは意味意図が変わってくるよう思う。
・当初から戦犯の筆頭は日テレという認識は多くの人が持っていたと思うよ。 日テレが原作者の意向をしっかり脚本家に伝えていないことが、事件の大きな要因であることは疑いようもない。 しかし事件のトリガーとなったのは、脚本家が原作者さんを蔑ろにしたSNS。 これを無視するわけにはいかないんじゃないのかな。
・>問題の本質は「原作者と脚本家」ではなく、「出版社とテレビ局」です。でも、一向にそのことを指摘する人が出てこない。
業界を知る人ほど その出版社とテレビ局に睨まれては今後の仕事に影響があるからでしょうね。
傍からみれば誰がどう見たって 嘘偽りの声明で自己保身しか考えていない無責任な「出版社とテレビ局」が問題だとわかる。
まあそれに乗っかることの発端となった驕りたがぶった脚本家も大問題だが。
・その通りだと思います。 立場上、原作者は出版社に強く 要望を伝えるのは難しく、 脚本家はオファーが失くなるリスクがるから テレビ局に強くは言えない。
小学館は日テレに芦原さんの意向を 正確に伝えたとコメントし、 脚本家の相沢さんは芦原さんの経緯説明に 「初めて聞くことばかり」とコメントしている。
(小学館、相沢さんともに嘘がなければ)日テレが相沢さんに伝えなかったことになる。
相沢さんがそのようにコメントしたのは 日テレから仕事のオファーがなくなるのも 覚悟の上なんだろうな…。
いずれにしても時間が経過すれば風化する 問題ではなく、日テレの説明が待たれる。
・本質は鴻上さんのおっしゃる通りだと思いますが、今回の件の発端は脚本家の方のSNSへの投稿であることは間違いないです。 脚本家とテレビ局(メインプロデューサー)の暴走を止められなかったことが一番の原因なんでしょうね。
・原作者→出版社→TV局→脚本家 脚本家→TV局→出版社→原作者 の伝言ゲームになっているので、どのポイントで話がずれて伝わっているかなのだと思います。 特に厳しい指摘のときは「〇〇って、向こうがしつこいんですよ~」と自分が悪くならないように伝える人が、間には出てきてしまうのも、世の常かと。
・スタローンのLast bloodが放送されたばかりですが、ランボーシリーズの第一作はFirst bloodでしたね。 出版社とテレビ局の問題はありますが、今回の自殺という件では、脚本家氏が安易にSNSというツールを使って攻撃したことがFirst blood なんじゃないんですかね。
・鴻上さんの意見に完全に同意する
脚本家のSNSは良くなかったけど 間に居た出版社とテレビ局が「責任は原作者にある」と 脚本家に吹き込んだから ああいう文章になったと考えるのが自然 脚本家の謝罪にもそれは表れている
特に「主犯」の日テレとプロデューサーが 何も語らないのが卑怯だし許せない
・脚本家が悪いのは、公の場でコメントあげたことじゃないですかね。
テレビ局は脚本家に大きく変えてもらわないとテレビウケしないと分かってるから、脚本家に改変させるんだよね。 普通は原作をリスペクトしてやるものじゃないんですか?
今回の件って単純に約束を守らなかった方が普通に悪いよ?
・鴻上氏は、原作者と脚本家の問題ではなく、 現在のTVドラマ制作の構造的問題だと言っている。
が、多くの人は、
“そもそも脚本家があのSNSの投稿をしたのが発端、 だから一番悪いのは脚本家”
という論調が根強い。
しかし、あの脚本家の発言の発端こそ、 今回の局と出版社の問題だと思えないのだろうか?
ただ脚本家のしたことだけを批判している。
その裏側や奥底にある問題を考察せず、
脚本家のSNSの発言で原作者が傷ついて自殺した、 だから脚本家が悪いという
“短絡的な思考”でコメントした人がたくさんいる。 そしてその多くは、 恐らく今回の件がどの方向に向かうかにさほど興味はない。
現代が恐いのは、こういう “気軽な他人事の意見”でも、 たくさん集ればうねりが出来てしまうということ。
気軽にコメントできるこのシステムを変えない限り、 こういう悲劇は繰り返されるように思う。
・自分がもし脚本家で、テレビ局から「好きに作ってくれ」とか「恋愛要素を入れて作ってくれ」と言われて作り始めたのに、毎回の修正依頼、挙げ句の果てには脚本作りから下ろされて、その理由が「原作者のわがまま」と聞いたら…
自分でも恨み言の一つや二つ言いたくなるかもしれません。
真実は分かりませんが。
・なんで話の発端である脚本家がファンネルと一緒になって原作者を集団で個人攻撃したことについては触れないの?
脚本家が悪い、と言っている人の中で出版社や局側の問題を認識してない人間なんかほとんどいない。 原作者が自殺した理由は『契約を無視した原作改変』だけじゃない、個人攻撃の部分に触れない時点で問題の切り分けができていないのはあなたの方だ、という指摘の方が遥かに多いのに、それを意図的に無視しているのがこの人。
で、今回の主張もそれは同じ。結局出版社やテレビ局と同じで勝手な設定持ち出して問題の半分以上を隠して矮小化させてるだけ
この人が自分で啓蒙しているつもりの、脚本家『も』悪いと言っている人たちのほうが遥かに広い視野を持って、高い解像度の中で問題を認識してるよ。
・本質はそうですが、この問題は脚本家の著作人格権を批判したともとれるSNS投稿でしょう。 脚本家が著作権を知らない事は考えられないので、あの投稿は悪質だと思いますが。 何も知らなかった、知っていれば等と問題をすり替えようとしているのも非常に姑息に感じます。
・問題が薄れていく。自殺の最大の要因だと思えるは脚本家による原作者への誹謗中傷とも思えるSNSへの投稿じゃないのかな。それが証拠に皆で寄って集って脚本家のコメントが無かった雰囲気で議論している。
・みなさん言われているように、脚本家が爆弾投下したことからスタートしている。最初に攻撃しなければ、この案件はなかった。 知らぬ存ぜぬは通じない。
テレビ局が悪なのは勿論だが、人1人死んでるんだぞ?私は悪くないとか言える立場か?
事件は風化して行く。 だが、取り残された家族やファンは一生恨み続けるだろうね
言い訳の前に謝罪を!
・>問題の本質は、「原作者と脚本家ではなく、出版社とテレビ局です」 だとしても、脚本家のSNSでのあのコメントも問題だよ。 いかにも「自分は被害者です。芦原先生は酷いです」って内容だったもの。 普通の仕事だってさ、例えば取引先の担当の仕事ぶりが気に入らなかったとしても、それをSNSにあげて批判したりしないじゃん。 でも、それを平気でやってるんだから、脚本家の性格と頭もかなり悪いともうよ。 芦原先生は、原作が改悪されたことで自ら命を絶ったわけではなく、そのことで脚本家から批判され、世間にも迷惑をかけたと思ってしまったから、感じる必要のない責任を感じてあのような悲しい結末になってしまったわけでしょ。 しかも、脚本家協会の会長も、あからさまに原作者を下に見るような発言をしてるんだから、脚本家そのものの考え方にも大きな問題があると思うけどな。
・たらればよ…絶対にそうはなってはダメ!絶対に死を選んではダメですよ!でも、原作者よりも先に出版社やドラマ制作スタッフサイドで自死を選んだ人が仮にいたとして「原作者先生に無茶苦茶つめられたので…」なんて言ったら潮目は随分と変わっているんだろう。人の死というのは重たい。でも、生きてる人にこれ以上、死を選ばせるようにしてはいけない!過剰な報道になってこれ以上の犠牲者が出ないように願いたい。今のSNSってジョジョの第三部の某ラスボスの使った殺傷を高める技、弾丸トントンの原理じゃないか…
・脚本家の相沢友子が自身の虚栄心を満たすが為に、制作側内部のゴタゴタを原作者の芦沢先生への悪意に塗れた投稿をインスタに投稿し、取り巻き連中とあろう事かドラマ公式までもが、その投稿に賛同し 集団でのイジメを行っていた事は、一切お咎め無しの風潮が納得いかないし その事を誤魔化して報道するマスコミの姿勢にも納得がいかない。
・脚本家があんなバカな書き込みをしたのも、要は日テレのプロデューサーもその脚本家に同調してたからだろう。困ったもんだとか何とか言いつつ。 多分、小学館の担当者とこのプロデューサーのパワーバランスもテレビ局側の方が強かったんだろうね。 なので、この一応は人気の脚本家も増長したんだろう。 といった構図は何となく透けては見えるが、出版社は既にこの件について今後の公表はしないと明言した。 日テレに至っては、最初に2度ほど見解を出してそれっきり。多分、このまま世間から耳を塞いで風が止むの待つ腹づもりでしょう。 それが一番腹立たしいが、それが罷り通ってしまう世の中自体、どうかと思うよ。
・業界人の一般論で語られても…… 今回の件は、所謂「一般的な常識」と「業界の常識」がズレているところで起こっています。 そこへ業界の常識をかざすと、単純に一般人の心は離れて行くだけです。 エンタメの世界でそれは死活問題なのではないかと思いますが、どうなんでしょうね。
・初期の段階から負の連鎖が積もり積もって要ってたがあると思うけど そもそも引き金を引いたのは集団虐めの様にSNSに投稿した脚本家本人 でしょ? この人物が今でも自分には非は無いように振舞ってるのも問題だし 何の追及も無いのもおかしいわけで。
・誰が悪いって?話し合いも出来ていないのに悪いも何も無いでしょう? 本当にコレでドラマを作っているんだから凄いよね。客観的に聞いてて伝言ゲームで進めていく感じ?文章なら全員に知れ渡りそうですが、忖度編集が入ったせいか?都合の悪い部分を切り取ったのか?脚本家には伝わっていないと言う体になっている。 脚本家は何度も書き直した筈なのに疑問もなく流れ作業のように書き上げたようだ。 原作者や脚本家が矢面に出ることがおかしな話で小学館と日テレは何してるの?って感じですね。 コメント出せない日テレが元凶の可能性大でしょう。
・件の脚本家が非業の選択をするまで鎮静化しないでしょうね
こうやって物事の本質に迫るコメントが出ているにもかかわらず 矛先を変えようとしない一部の執拗さには辟易します 雇われ脚本家の一人を潰したところで問題の解決なんかしないと 思うのですが。 いや擁護はしませんよ、どーせ社会的な制裁は受けているでしょうし。
未だに沈黙してますね、局と出版社 件のCPも何処に隠れたのやら
作家を守れない出版社 作家を蔑ろにするテレビ局 どっちもいりません。
・今回の件に関しては、脚本家がSNSで原作者への攻撃を自身のアカウントで行ったからこそここまで批判されてるってことにみんな触れないよね それとも「脚本家だってプライドを持ってやってるんだから原作者攻撃をするのは仕方ない、そうさせた出版社と局が悪い」というのかな?
・脚本家の鴻上さんには脚本家を庇う気持ちはわかるけれど、渦中の脚色家の驕りのプライドがあの削除された投稿にギラギラしているのが見える故の結果、直接の原因だと思えます。 もちろん根本的な原因は出版社とテレビ局。 だれがどう脚色家を庇おうが、明らかなところだと思われますが…
・鴻上尚史何言ってんだよ!!脚本家の相沢友子が芦原先生の悪口をSNSで配信をした事が全ての原因でこの事件のスタートなんだよ!!今更、相沢友子が反省や後悔したって亡くなられた芦原先生は戻ってこないんだよ!!一番頭が真っ白になったのは芦原先生ご本人であり残されたご遺族の皆様方だ!!
・脚本家の地位はかなり低いというか 能力ある人は想像しているよりも少ないんだろう…
テレビ局やプロデューサーも悪いし,小学館の上の方も悪い 会見さえしないんだもの… それと,脚本家は自分が書いたものが 売れっ子の女優や俳優に台詞としてドラマの中で 演技されるわけだから恍惚感等を感じるんだろう で,勘違いする,,
・全部を知っている訳ではないのに、脚本家が根元だと断定して、そうだ、そうだと大人数で責める風潮、良くないとか思う。 それでも、脚本家が悪いとまだ書き続ける。 何かあったら自業自得と更に書くのでしょうか?
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