( 140115 )  2024/02/17 13:32:42  
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「。」は怒ってる?「バカ」は愛情の裏返し? ここまでひらいてしまった“マルハラ”にみる世代間のズレ

東洋経済オンライン 2/17(土) 9:21 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/230788ba1e1a5dc78ea94ca9b92de064a6d31c4c

 

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日本の若者はスマホで受け取ったメールは句読点がなく、これによって意図が誤解されることがある。

例えば、「。

」を付けると怒りや不快さを表すと若者たちが理解している。

また、コミュニケーションの減少により、顔や声が見えないため、感情の表し方が乏しくなっていると指摘されている。

マスク着用が続くことも顔の見えにくさがコミュニケーションに影響を与えている可能性がある。

日本語は声で聞きたい言葉がたくさんあり、その味わいは機器からは垣間見えない。

また、親がよく使う言葉の意味が若者たちには理解されていないことがあり、それは残念だと述べられている。

(要約)

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会話が通じない「落とし穴」になりがちな、日本語の興味深い例をご紹介します(写真:Luce/PIXTA) 

 

スマホ社会の現代日本。 

若者たちは黙々と動画やゲームの画面と向かい合い、用事は絵文字を含む超短文メールを素早く打つばかり。 

時間を割いて他人と会って話すのは「タイパが悪い」とすら言う彼らと、「生きた」日本語の距離がいま、信じられないくらい離れたものになっています。 

言い換えるならそれは、年配者との間の大きなコミュニケーションの溝。  

「日本人なのになぜか日本語が通じない」という笑えない状況は、もはや見過ごせませんが、「その日本人同士と思うところが盲点」と、話すのは、言語学者の山口謡司氏。 

 

【こんなにある】声で聞きたい日本語 

 

『じつは伝わっていない日本語大図鑑』と題された一冊には、日本人ならハッとする指摘が満載。 

 

その中から、会話が通じない「落とし穴」になりがちな日本語の興味深い例を紹介してみましょう。 

 

■メールに句読点を打たない若者たち 

 

 今の若者からスマホで来るメールは、ふつう句読点が打たれておらず、受け取った年配者は違和感を覚えることが多いのではないでしょうか。 

 

 言ってみれば、中高年の人々は「ガラケー・メール派」とでも呼べる世代で、メールの文面には、あたかも書類や手紙を書くように「、」や「。」をきちんと打ちながら綴る習慣がついています。 

 

 できるだけ短くした中にも自分の意図が正しく伝わるよう工夫して。 

 

 一方、現代の若者は「LINEネイティブ」であり、そこでは彼ら独特の書き方を実行してきた経緯があります。 

 

 すなわち、句読点を使用しない文です。 

 

 じつは、この一見「垂れ流し」とも見える文でも、むやみに「チャン」や「クン」などのカタカナを使わない――など、一定の了解事項が込められていることを、旧い大人たちは、ほとんど気づいてもいません。 

 

 なかでも「。」は要注意。 

 

 たとえば、若い部下が、休みの希望やその他の業務上のあれやこれやで、「~してもいいですか」と許可を求めてきたようなとき、「了解しました。」と「。」を打ったらどうなるか。 

 

 若い彼らにとって「。」は、怒りや不愉快さを表すもの、とされています。 

 

 これを「マルハラスメント」と言うそうで、略して「マルハラ」とも呼ばれています。 

 

 よりわかりやすい例を挙げると、食事会かなにかの開催で、幹事から「〇〇店はどうか」というLINEが来たとして、「いいと思う。」と返したのでは、「あまり賛成していない」というマイナスイメージに取られてしまうのだと。 

 

 

 本音として賛成ならば、「いいと思う」と、「。」をつけないのが、若者の正解。 

 

 より賛意を表したいなら、「いいと思う」のすぐ後に、相手が喜ぶような絵文字を添えるのもアリなのだとか。 

 

 少なくとも、それが現代若者のLINEルールなのだということを、年配者は知っておく必要があります。 

 

 会社においても家庭においても、コミュニケーションの食い違い・行き違いをできるだけ避けるためにも。 

 

 しかしながら、スマホ社会において、人と人との会話というものが、音声を伴わずして、字面(じづら)だけで取り交わすやり方が主流となっている現状に、日本人と日本語の今後に、一抹の不安を抱かざるを得ません。 

 

 小さな平たい画面上で、手短に打った文字に、送り手の感情はどこまで載せることができるのでしょう。 

 

 気持ちが伝わらなければ、無味乾燥なワードの羅列でしかない、と言ったら言い過ぎでしょうか。 

 

■その人の顔が浮かび、声が聞こえる言葉 

 

 それでなくとも、いまや一人で黙然とスマホのゲームや動画に長時間費やす人々は増える一方。 

 

 他人と笑い合い、時には言い合いもする豊かな直接コミュニケーションの機会が減り続けており、一部では、若者の喜怒哀楽の表し方が乏しくなっているという危惧の指摘もあるほどです。 

 

 若者が喜怒哀楽のこもごもを上手に表出できなくなった一因として、コロナ禍でマスク生活が長らく続いた(続いている)ことも、少なからず影響を与えているのかもしれません。 

 

 マスクを着けたままでは声がくぐもってクリアに聞こえないし、目以外、顔の大部分が隠された状態では、表情をうかがうのはなかなか難しい……。 

 

 よく知られていることに、欧米人のマスク嫌いがありますが、口が覆われてしまっては、誰と話しているか不安で気持ち悪いと、聞いたことがあります。 

 

 そういえば、アメリカン・コミックの人気ヒーロー、バットマンやキャプテン・アメリカたちが着けているマスクは、目出しの上半分だけで、口は覆われていないもの。 

 

 それと結びつけるのは少々うがちすぎかもしれませんが、口の動きと声音から相手の感情を読み取ろうとする傾向は、日本人より強いのは確かなようです。 

 

 とにもかくにも、コロナ防止という社会情勢が強いたマスク着用の影響は、はじき切れないにせよ、スマホ普及と反比例状態の「生きた」会話の希薄さが、LINEにおける「。」添付の有無問題を生じさせているのだとしたら――。 

 

 

 私たちが大事にしている日本語は、そんなに底の浅いものなのでしょうか。 

 

■「お前は息子でも何でもない」に込められた意味 

 

 たとえば「ばか」という言葉。 

 

 漢字で書けば「馬鹿」、あるいはカタカナの「バカ」。 

 

 スマホ画面では単なる2文字でも、そこに送り手の顔が浮かび、声が聞こえる気がするならば、さまざまな感情が受け手に伝わってくるはずです。 

 

 本当に罵っているのか、あるいは言葉と裏腹に甘えや愛しさを込めたものか……などなど。 

 

 文末に「。」があろうがなかろうが、機器相手ではなく、きちんと生身の人間相手と密な関係を構築している人には、きっと理解できるのではないかと思います。 

 

 そういえば最近、言葉に関する次のような話がたいへん印象に残りました。 

 

 昨年秋に亡くなった歌舞伎役者の父親(市川猿翁=三代目猿之助)を偲ぶ会で、息子の俳優・香川照之さんが初めて明かした告白です。 

 

 両親の離婚で、母親に連れられて幼いころ家を出た香川さんは、父親とは45年間絶縁状態にあったと伝えられていましたが、じつは25歳のとき、無性に父親に会いたくなって突然、楽屋に訪ねていったそうです。 

 

 「僕を見て父はひどく怒り、『お前は息子でも何でもない。帰りなさい!』と。 

 

 でも、その言葉は僕には『お前を愛している』としか聞こえませんでした」 

 

 まさに気持ちが言葉を凌駕している、としか言いようがありません。 

 

 こうした例もあることを踏まえれば、なおのこと――、「。」を打ったり、絵文字を添えるだけで、人と心からのコミュニケーションが取れていることになるのか……と、どうしても思ってしまいます。 

 

 今どきの新入社員は、電話恐怖症だという話をあちこちで耳にします。 

 

■声で聞きたい、味わい深い日本語 

 

 知らない他人と言葉を交わすなんてそんなコワいこと……。 

 

 まして顔も見えないのですから、まぁ嫌がる気持ちもわからないではありません。 

 

 「LINEやメールで十分なのに、なんで電話を使ったりするんだろ」。 

 

 そう言った若者も知っています。 

 

 けれども、『声に出して読みたい日本語』ならぬ、「声で聞きたい日本語」とも言うべき言葉が、わが国にはたくさんあることを、ぜひ見直してみてほしいのです。 

 

 

 人肌の温もりがあり、そこはかとないユーモアがあり、憎めない言葉たち――。 

 

 それらが持つ味わいは、無機的な機器からは決して立ちのぼってはくれないと思われます。 

 

 日本の家庭では、そうした言葉は、お母さんの口から発せられることが多いかもしれません(我が子を諫めるとき、お父さんへの愚痴がつい洩れるとき、ほか)。 

 

 しかし、若い方たちは、どこかで聞いている言葉なのに、なんだか意味がわからないまま聞き流していることが多いようで、それは本当に残念なこと。 

 

 ほったらかしにせず、ぜひ意味をくみ取ってほしいです。 

 

 もちろん、理解されていないのに気づかず、独りよがりで言い続けているのは、日本の年配者の典型的な悪い癖なのですが、ここにそうした頻出例をいくつか挙げてみますので、世代をまたいでぜひ参考にしてください。 

 

 手始めに、2問ほどクイズを――。 

 

【よく聞くお母さんの言い回し:力試しクイズ】 

問:次の□の中は数字です。正しく入れてみましょう。 

★仏の顔も□度 

★□の□の言う (※答えと意味は、記事の最後に) 

 

 それでは、他の憎めない言葉たちも、紹介します。 

 

■よく聞くお母さんの言い回し・例&意味 

 

 ●言わずもがな……言うまでもない。言わなくてもわかることだ。また、言わないほうがいい、の意も 

 

 ●御(おん)の字……うれしい結果や良い結果に、「しめた」「ありがたい」などと思うこと 

 

 ●おんぶに抱っこ……人に甘えて全面的に頼ること。特に金銭面でのことに言う。幼児が「おんぶして」「抱っこ」して、と甘えてくることから 

 

 ●それ見たことか……それ見ろ、私が言ったとおりじゃないか。自分の予想から忠告をしたのに聞き入れなかった相手に対し非難する言葉。思惑がはずれてしょげている相手をなじって、言う 

 

 ●煮て食おうと焼いて食おうと……どのようなひどい扱いであろうと。気のすむように。好きなように  

 

 ●言い得て妙……ある事柄を見事に言い当てている表現だ。実にうまく言っている 

 

 ●付けが回ってくる……「付け」とは未払金のこと。その請求書が来るということから、放っておいた無理や不都合なことの始末、また悪事の報いなどがめぐってくる意 

 

 ●つうかあ……「つう」と言えば「かあ」。つうかあの仲、などともいう。お互いに気心が知れていて、ちょっとの言葉だけで言いたいことが相手に伝わること。気持ちが通じ合う仲良し 

 

 

( 140117 )  2024/02/17 13:32:42  
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最近のテキストコミュニケーションにおいて、若者と年配者のコミュニケーションスタイルや感情表現の違いに関する議論が盛んに行われています。

若者はテキストの句読点の有無で相手の感情を読み取り、怒りや不快さを表すものだと捉えておりますが、「マルハラスメント」としてそれを批判する声もあります。

一方で、年配者からは若者の感覚に対する理解不足や教育不備に対する危機感や指摘がなされています。

 

 

また、テキストコミュニケーションの限界に関する話題も見られ、感情やニュアンスが伝わりにくいことによるコミュニケーションの障壁についての指摘や、若者と年配者の間のコミュニケーションスタイルの違いに関する個人的なエピソードや意見も見受けられます。

 

 

また、マスメディアの報道姿勢や記事の取り上げ方についての批判も見られる一方で、若者に対する共通認識やコミュニケーションルールの変化についての理解や配慮を求める声もあります。

 

 

(まとめ)

( 140119 )  2024/02/17 13:32:42  
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・何か最近は「対立」を煽る構図ができていて釈然としない。 

確かに最近の若者が相手の顔色を窺いすぎる傾向はあるかも知れない。 

文章は、文脈通りに読めばいいわけで、怒りかどうかまで気にしなくてもいいのにね。 

 

でも、その一方で、日本語の「月が奇麗ですね」の背後の意味、あるいは短歌や俳句など限られた音数でイメージさせる背後の意味など、こういう感覚も大切にしていって欲しいですね。 

 

 

・テキストコミュニケーションは感情が伝わらないので難しい 

リモートワークが普及して結構これにぶつかった人多いんじゃないでしょうかね 

自分の職場はコロナ前からチャットツールによるやりとりがメインなので、そこの難しさは感じ取ってはいましたが、ちょっとした工夫でやりやすくなるものです 

「。」が怖いという気持ちはわかるけど、これをハラスメントとして批判するのはどうなんだろう 

送ってきた相手の感情がわからないなら、批判する前にその感情をくみ取る努力くらいしたらいいと思う 

「。」が怖いって実感があるなら、自分は使わないでおけばいいだけで、相手を批判するのは間違っている 

というか、なんでも相手の責任にしていたところで状況は変わらないでしょ 

 

 

・こういう主張をいい大人がしていることに危機感を感じる。 

この件は、世代間の問題ではなく、ただ単に教育不行き届きの問題である。 

しかもも、ちゃんと勉強している人は、マルハラなんて全然思っていない。本来大学に行くべきではない程度の学力の学生がどうかは知らないが、要するに学ばなかった若年層がそういう思い込みをしているのだから、正してあげるのが親切であり、教育に関わるものなら、ああそうですか、というのではなく、いやいやそうではなくて、と教える義務があるだろう。義務を放棄して一端の「論」に見せかける愚行を改めなさい。 

 

 

・マルハラって言うほうがハラスメントしてる気がする 

 

以前のやり方に問題があるならいざ知らず、特に問題もない以前のやり方を否定したりするだけで、何でもかんでもハラスメントって言った方が正しいみたいな風潮は良くない 

 

 

・友達と社会の違いでしょ。 

40代だが、 

社会的な付き合いの相手には読みやすいように句読点をつけて硬くなりすぎないように絵文字も使う。 

嫁相手には会話風とか単語だけとかスタンプだけとか超雑なやり取り。 

句読点もつけない。 

年齢ではなく相手によって変える事ができるかだと思う。 

 

 

・単純に、顔を合わせて会話していても、 

不機嫌そうに見えたけど、ただそのとき相手は腹が痛かっただけ、 

みたいなことは普通にある。 

そこで、不機嫌だからもうこいつとはかかわらない、と思うのだろうか? 

そこで一言、相手の状態を確認するのくらいは最低限の 

コミュニケーションではないのだろうか。 

文体が自分の感覚と違うから怖いとか思うのは、ただコミュニケーションを 

とる能力が欠如しているだけとしか思えない。 

 

 

・この件、15歳の娘に聞いてみたら「マルハラとか言ってる人は社会では生きられない。ただ友達にはあまり句読点は使わない」との事でしたよ。若者でもきちんと教育を受け、様々な世代や性別の生の人間とコミュニケートしてきた子ならわかるはずです。コミュニケーションて大事ですね。 

 

 

・最近の若者は〜と古から年寄り?達は言うけれど、個人的には「若者」と一括りにしてしまうと相手を見る目が濁ってしまってコミュニケーション上良くないんじゃないかな、と思ったりする。 

 

少なくとも私の周りの若者は仕事できちんと句読点を使うし電話にも対応してるよ。 

仕事とプライベートで使う言葉が違う事くらい殆どの若者は弁えてるし、プライベートであっても、同世代の文化を共有してない年配者が句読点使っても別に何とも思わないでしょう。 

 

あと電話が苦手なのは今の若者に特化した事ではなくて、10年、20年前から同じ事言われてるよね。私が昔々新入社員だった時も電話は苦手だった。よく知らない相手と声のみでコミュニケーション取るのは多少の慣れが必要だと思う。 

 

それから最後のクイズや言い回し例、これって今の若者は意味わからないのかな?!若者がいたら教えて欲しい。 

 

 

・育った年代がちがう、年齢が離れている、しかしお互いがそれらを理解しあえる事がコミュニケーションと言えるのではないかと思う。 

同じ時代に生きているのだから、「、」や「。」で隔絶を作るのは良くない。 

 

 

・マルハラが囁かれる背景には若者の読書離れが根底にあると思う。 

行間を読む能力が育ってないから、幼い捉え方になる。 

芥川賞などでも若い作家はたくさん出ているけど、本を読まない人との二極化が著しいんだよな。偏見かもしれんが、詰め込み型の勉強ばかりして、文学作品を読む時間がないのかもな 

 

 

 

・ただの流行なので真面目に考えなくても大丈夫でしょう。数年前は面倒だから了解を「り」と略したりしてましたが、今のティーンはそれを古いと言ってますから。仮に面倒という理由が本当なら次の世代へも受け継がれていきます。でも実際は受け継がれなかったわけですから、本当は面倒だからではなく単に流行ってたから乗っかったってことなんでしょう。 

数年後のティーンは、や。を打たないのはZ世代の人たちだけと笑っていると思いますよ。 

 

 

・このマルハラって最近ネットでよく見かけますが、 

実際のところネットが騒ぎすぎ名だけじゃないの? と思うことがある。 

自分はその世代じゃないので真相を確かめようもないが、マナー講師が教える「謎マナー」みたいにごく少数の若者が言い出したことを大げさにネットで広めてるのでは・・・ 

 

 

・単なる一過性の事象に過ぎませんが、若者30代前半から下の世代の語彙力、コミュニケーション力、そして単純に学力。その格差がヒドイ。平均的な底上げを真面目に考えないと、これからの日本が心配です。 

 

 

・ガラケー前を知る世代ですが、単位がビットやバイトだった頃は、通信やメモリの負荷を考えて句読点はなるべく打たないようにしてました。 

怒っているとかはわかりませんが、時代や世代で特徴があって楽しいですよね 

 

 

・。をハラスメントって言う様な義務教育さえ怪しいレベルなら、切り捨てて良いと思いますよ。 

この様な事を言い出すような人材は、何でもハラスメントって言うような手合いなので会社に不必要。 

TPOに合わせて使い分ける事すら分かるけど、仕事と私事が切り替えれないなら社会生活出来ないでしょ、それを自分に周りが合わせろなら弾いて良い人材。 

 

 

・そんな事までいちいち気にして業務連絡できるかっつーの。 

どんな文面入れたって、受け取る側がどう受け取るなんて分からんもん。必要なことだけ入れりゃいいだけ。 

 

古代哲学者のプラトンが『最近の若い者は…』と言っていた残されているように、いつの時代でも世代間でギャップがあるのが当たり前なんだから。 

こういうことはこれからも形を変えて、あり続けるよ。 

 

 

・歴史ある日本語。それに、句読点はきちんと小学校から教えますよね。勝手に改変した日本語を使う側になぜ正しい方が合わせねばならないのか理解に苦しみます。最近ニュースや情報番組でマルハラの話題をよく目にしますが、観ている時に子供が「丸つけちゃダメなの?じゃあ三角なら良いの?」って聞いてきましたよ。若者が丸を怖いのは怖いのでしょうが、だからと言って寄せに行くのは良くないと思います。 

 

 

・記事にして騒ぐ事じゃないだろう。 

 

どの時代でも若者は年長者に反発しいわゆる若者言葉という「符牒」を使って来た。それが定着する稀な例もあるが、若者に媚びる年長者がその符牒を使い出すと一気に廃れる。 

 

仲間内だけで伝わるから符牒なのであって、反発相手が使い出すとむしろ嫌なのだ。誰もが心当たりがあるのではないか。若者のコミュニケーション手段が言葉よりラインになっているからこういうのもあるだろう。 

 

「。」を使わないのが年長者含め定着するかどうかは分からない。だからそんなの定着するまで放っておけばいい。定着するという事は年長者も普通に使っているという事なのだから。そもそもグローバルでは負け組のラインがずっと使われているかも分からないし。 

 

こんなのに合わせるのは(例えが古いが)、年寄りが若者に「チョベリグ!」とか言ってるのと同じだ。年長者は年長者らしく若者にゆったり余裕を見せていればいい。 

 

 

・まず国語教育の問題。 

文章の最後を。で締めるのは感情表現でもなんでもない。 

そして意識の問題。 

自身が怒られるような事をした、もしくは上司がいつも怒っている、どちらかのイメージが頭にこびり付いている、ということ。 

つまり教育と意識に問題が無ければ取るに足らない「当たり前のこと」でしかない。 

老若男女問わず、こんな事に無駄な時間を割くくらいなら関係を断つ方がいい。 

 

 

・slackなどのツールでメッセージを送ってこられるとどんな文面でも怒っていると捉える自分。 

喋ってると気をつけてという表現でも、ニュアンスを感じとれるが、文面にされると悪い気になる。そのやり方に自分はついていけない。古いとか言われるかもしれないけど、コミュニケーションツールの使い方にも弊害がある。 

 

 

 

・1年ほど前までとある旧帝大のLineグループにいました。文末に「。」を付ける人は付けていたし、そうでない人はそうでなく、全くの自由でしたよ。 

 

句点を付けるのがハラスメント(すなわち加害)だと本気で信じている人たちは、実際どのくらいいて、どんな人たちなんでしょう?世代間の対立を煽ることの味をしめたメディアも反省すべきかと思います。 

 

 

・マスコミは世代間ギャップを煽るのが好きだねぇ。 

むしろ、コレこそハラスメントなのでは? 

 

正直、若い世代の方が「若者」と一括りにされて嫌がりそうだけど。 

若者全員が 

「句読点付いてるー!怖いよー。ハラスメントだぁ!!」 

って喚いてるわけじゃないだろう。 

自分の周りには、相手とTPOにあわせられる分別ある若い人の方が多いしね。 

 

 

あと、気になったのが、今は中高年が若者の感覚合わさないとダメなのか? 

90年代のギャル世代だが、当時、ギャル言葉を無理して使おうとする中高年が痛い…と思ってたんだが。 

アレは友人同士で使うから楽しいんであって、友達でもない人とは普通の言葉遣いの方が落ち着くもんなんじゃない? 

 

 

・仕事は仕事。プライベートはプライベートでいいでしょう。わかりやすく、誤解を生まないために句読点はあるのだから。友達同士で仕事をしてるわけではないんだし、その使い分けができないなら社会人に向いていない。 

 

 

・別にプライベートで「。」を使おうが、使わまいがどうでも良いが、ビジネス上でのSNSやメールで句読点一つマトモに使えないのは勘弁して欲しい。 

 

元々、LINEなどは口語の延長で、メールは文語の延長。口語と文語が混じったため、「。」をつけるだのの論争が起きる。 

 

良く英語はという人もいるが、英語も口語と文語は全然違うぞ。 

 

 

・この件は単にメディアが誇張しているだけではないかと思います。実際に大学生の子供たちに聞いたら、誰もマルの有無なんて気にしていない。部活やバイトのグループLINEを見せてもらうと、必要に応じて長文だし、句読点も普通にあります。むしろ先輩やリーダーに対する敬語は過剰に感じるくらいです。 

チャンとかクンは50歳の私でも使った事もないし… 

 

 

・デジタルネイティブ世代は「。」が怖いとして、それは同世代間の話じゃないですかね。 

世代間では常識も違うのだから、そこを意識すれば怖くはないかと。そういうものだとして、こちらも「。」を使ってこないことを気にせず、向こうも使うことを気にせずでいいんじゃないですかね。 

 

 

・なぜ人間ってこう自ら生きにくくなるような謎ルールみたいなのを作ってしまうんでしょうね。本来もっとおおらかに生きてるはずなのに、わざわざ裏側を予測して、さも相手はこう思ってるだろうから気を付けなきゃみたいなまわりくどいことして、勝手に疑心暗鬼になって心を病みやすくなってる気がする。正直こういう事、どうでもいい。 

 

 

・これは、ハラスメントと思う若者の感覚がおかしいので是正すべきこと。 

句読点を使うことがわからなければ、わかるように使えるように学習すればよいだけのこと。 

きちんと学習もせずに、これを時代のせいだとかハラスメント呼ばわりする思考こそが歪みかと思うが。 

 

 

・一言で言うと 軟弱 です。 

仕事柄外国人とメール、WhatsApp(LINEのようなもの)のやり取りもしますが若い世代の方が中年世代より達観してます。 

テキストメッセージでは細かいニュアンスが伝わらない事を教育されて育ってるのでテキストメッセージを感情的に捉える事がない。 

誤解が生じている可能性のある場面ではこちらの意図を必ず確認してきます。 

息子に聞いたら日本でもそのような教育はそこかしこで為されているとの事。 

それでも年少者側が不安を感じるような文にするべきではないし、年少者側から聞き返さなくても良い様な文にしなくてはいけない という事なんでしょう。 

海外の若者と比較するとあまりにも軟弱だと言わざるを得ない。 

まあ、国際社会に出て仕事をするような外国人の若者はコミュニケーション能力も高く、精神力も強いのかもしれませんが。 

それならそれでそういう国際人になる事を促すのが正解だと思います。 

 

 

・レベルの低い方に合わせてたら社会も文化も崩壊しますよね。 

老若男女に拘わらず、規範の理解は様々。 

駄目なものを受け入れる必要はありません。 

しかし「マルハラ」なんて言葉を受け入れるだけの物書きが普通に居るのは問題かもね。 

 

 

 

・多分、大半の若者は 

友達とのLINEと、目上の人とのLINEを 

区別していると思いますよ。 

本気で句読点を嫌がっている若者がいたとしても、どうして大人がそれに合わせなきゃいけないんだって思います。大人の文章を理解すればいいのに。お互いに寄り添わないとおかしいでしょ。 

 

 

・最近「。」ハラをやたらとネット記事で見かける。 

子供にそうなの?って聞いたら、相手が年いってたら普通に「。」付けてもそういうものなんだと理解しているとのこと。 

若者はバカじゃないんだから、年いってる人は普通に語尾に「。」付けることくらい知ってます。 

 

「働かないおじさん」「親ガチャ」と同じでネットで少しはやったワードで記事出せば、メディアは自分たちは若者のことわかってるポジションにいると言いたがってるだけのように思います。 

 

 

・最近の世の中は若者が中心の時代になってきてる。しかもその内容は実に未熟でこんな若者が将来日本を背負っていくと思うと不安しかない。 

。の話だって世代間でやる分にはいいけど、代の大人に変えろなんて意見ははなはだおかしい話。それをメディアはとりあげ面白くいじってる。色々いやだから働かない、そんな風習を作っていったら益々この人員不足なんて解決できないしぐうたらな人間の幕開けになるぞ。 

多少怒られ人として成長しなければ格差はどんどん広がり弱体化することになるぞ。 

 

それでもいいのか?この日本国?? 

 

 

・最近この手の記事をよく見かけるけど 

実際は、殆ど出てこない様な極々少数の意見を、あたかも大勢の人が言ってる様に拡大解釈してるだけの話 

だって、そうしないと記事に出来ないし見てもらえないからね 

日本のマスコミは総じてこんな感じなので、読み手側にも嘘を見抜く目が必要になる面倒くさい世の中だね 

 

 

・そもそも学校でどんな国語教育をしているんだろう?私は文章の終わりに「。」がないメールなど気持ち悪くて送れない。どう読めば「怒っている」と読めるのだろう?世代間のずれから誤解が生ずることはままあるが、これは明らかに若者の間違い。 

 

 

・50代男ですが、20代とのLINEでは自然と「。」をつけないように意識しているというわけでもなく、無意識的に付けないですね。LINEでは、ということなので、もちろんビジネスメールでは付けます。 

あと、主にアラフォー以上が使う「www」も、20代にとっては「嘲笑」なので、「笑」を使うように変わりましたね。コミュニケーションを取っていればわかることです。 

マスコミの言う世代間のズレの煽りに反しているようで「いや、なんでこっちが合わせるんだ」と怒るのも、すでに老害だと思うので、そんなことも気にせず、自分の範囲も狭めず、柔軟にアップデートしていけばいいだけだと思っています。 

 

 

・変なルールを勝手に作って怯えてるって、何かのコントですかって話。それを理解しろとか許容しろって方がおかしいだけ。少なくとも目上の人とフォーマルなやり取りする場合のリテラシーを身につけろとしか思えない。 

 

 

・いざ社会に出たら知らないことだらけの人のマルハラなんて聞いて呆れる。大人になるまでに知っておくべきことに必要な時間やカネを、スマホなどにすべて奪われた不幸ですね。本来なら若者が大人に近づくべきであり、社会が若者に媚び幼稚になる必要はないわけで。まぁこれからせいぜい苦労して克服ください。 

 

 

・言葉や使い方の世代間ギャップなどあって当たり前。 

若者からしたら「どうしてこのニュアンスが分からんかな、感受性の鈍い年代は?」じゃないですか。 

分からなくても気にしても別にいいんですよ、それが分からない相手とそれを気にする相手、ってことさえわかっていれば。 

 

新人が電話を嫌がるのも昔から。あんなもんただの慣れですよ。 

回数こなせば誰でもできるようになるのに 

気後れする役割をずっと避け続けてきた結果、いい歳になってもまともな電話の受け答えができないおじさんなんてゴロゴロいますね。 

 

 

・世代間の差があるのは分かるけど、なんでわざわざそれに合わせないといけないの? 

差がある前提で受け取る側も受け取ればいいじゃん。 

それをわざわざ勝手に怒ってるだなんだと解釈して、誤解もはなはだしい。 

 

 

 

・句読点にそんな意味はない。本来の使い方をしている側が使い方を変えるのはおかしくないか。 

相手を怒らせる、自分に何らかの思い当たる節があるのでは? 

まあ文面にそこまで感情乗せる人ってそんなにいないと思うけど。職場なら尚更。 

大丈夫。あなたが思うよりも周りはあなたの事を気にしてないから。気にせずやってくれ。 

 

 

・メディアが問題なんだと思う。 

「若者が。をつけると怒ってると感じる」ってまでは事実だからいいんだけど、それに対応できない人達を「遅れている」「時代についていけない人達」と取り上げる。 

「おじさん構文」も取り上げられバカにするような特集をテレビがやってた。 

メディアの人間が「新しいことに付いていかなきゃ」と思い込んでるんだろう。だから「若者=正解」という前提で企画をする。 

そんなん知るかよって話。 

そういや「おじさん」構文で中年男性をバカにしてたメディアが「おばさん」発言した麻生氏を叩いてるのが笑うよね。 

 

 

・アラフォーです。 

こちらがある程度長文で書いていて(。も、も使います)、相手の返信がスタンプのみだと、「返信めんどくさいのかな」と不安に感じるのですが。 

スタンプハラスメントということになりますかね? 

それとも、こちらが長文ハラスメントなんですかね? 

なんでもかんでもハラスメントというのはどうなんだろうね。 

 

 

・若い奴の文字の使い方は認識はしたが、つきあわされる筋合いはない。 

人数的には、「。」を付けないほうが少数派。つける方に付き合ってもらう、というか、慣れてもらうって感じかな。上の世代としては。 

 

 

・全く意味の無い話。内容も一切見てない。 

 

マスコミが世代間対立を煽るネタでアクセス稼ぎたいから少数意見を大げさに騒いで世間が騙されて世間の若者の意見と勘違いしてるだけで意味すらない。 

 

そもそも我々大人も大人の文章に固さ怖さを若い頃は感じただろう… 

時候の挨拶、ビジネス文章、接待にゴマすり…敬語謙譲語の言葉遣い弊社御社やらなんやら… 

社会人になった時にみんな戸惑い、違和感を感じたはずだ。 

今はそれが短文句読点なしで過ごした若者が大人の文章に戸惑う新人の意見を大げさに騒いでるだけでしょ?平気な若者も普通に存在する。 

若者にレッテル貼るのは昔から変わらないけどその言葉はみんな忘れた。 

唯一覚えてる「新人類」。今はすっかり大人側のおじさんおばさんだ。 

マルハラブームに乗っかり騒いでるけ本当に怖がるそんな若者はさほど居ないと思う。そいつらもすぐにおじさんおばさんになる。 

と毎回コメントする… 

 

 

・じゃあプッチモニはどうしろと。。。。。そうじゃない 

丸をつけると断言的というかピシャリと冷徹に言われた気になってしまうのかな。  

それもなんかセンシティブ過ぎる気がする。  

そこに先入観や思い込みが入ってしまうと、自身として損というか、機会損失的でもったいないと。  

言葉は進化するものだしそこから新たに発展するものもあるかも知れないから否定はしないけどね。 

 

 

・>理解されていないのに気づかず、独りよがりで言い続けているのは、日本の年配者の典型的な悪い癖 

 

それは若者も同じでしょう。「。」をつけたら怒っているなんて独りよがりの典型じゃないですか。そんなことを思っているなんてオジサン世代には分かりませんよ。そもそも職場にいる大多数はオジサン、年上だと思いますよ。「。」がついた文を送られて気になるなら、怒っていますかって聞きなさいよ。句読点を打たない文を送りたいなら職場でコンセンサスを得てからやりなさいよ。勝手に句読点を打たない短文でLINEを送られても困惑するだけです。それこそ、機嫌が悪いのかなと心配するわ。どっちが独りよがりなんだよ。 

 

 

・いい歳の大人と若者のラインって何を想定しているの。 

会社ビジネスの関係なら、若者構文よりもビジネスルールに則るし、親子家族でも、上下関係が若者構文よりも優勢となる。 

おっさんが若いキャバ嬢にライン送るくらいしか、若者構文上位になるのが想定できないのだが。 

 

 

・もうなんでもかんでもハラスメントにする、あるいはハラスメントにしたがる社会になってしまった。このままだとハラスメントでもないのにハラスメントだと騒ぐハラスメントをハラハラだと言い出しそう。 

 

 

・ネット上から一つ二つ探してきて「これ流行ってます!っていうことやろ? 

増すごみはこの言葉を流行らそうと必死やな。 

全く実生活で聞かへんのやけど。ここまで捏造がひどいと逆に清々しい。 

そういえば少し前に全てが捏造の旅行ガイドが評判が良いって話題があったよな? 

 

怒りを表現するために「あえて句点を付ける」って机上の空論の類やし 

それが伝わると思ってるなんてありえへんわ。 

 

 

 

・句点がハラスメント? 

マルハラ? 

句読点は日本語の文法の一部。 

それを理解できない世代に、何故ヘコヘコ気を遣う必要があるのか。 

句点をつけたら、こちらが怒ってると若者達が思うからやめとこうと、ご機嫌を取らねばならないのか。 

文の最後に句点をつけるのが当たり前の者からしたら、これはもう 

 

マルハラハラスメント 

 

としか言いようがない。 

 

 

・毎回世代で対立させるような記事やテレビやネットに辟易する 

怖いのがこういうのを真に受けて実際に「若い人って〇〇なんでしょ」や「何で年配ってこうなの」と意地悪な現象が起きてしまうのがキツい 

 

 

・>少なくとも、それが現代若者のLINEルールなのだということを、年配者は知っておく必要があります。 

それが若者のLINEルールと知るのはよいとして、それに従うかどうかは別問題。 

>会社においても家庭においても、コミュニケーションの食い違い・行き違いをできるだけ避けるためにも。 

 

プライベートとか飲み会の誘いの返事だけなら若者のルールに合わせても良いが、ビジネスの場におけるLINEについては「句読点を使う」が普通だろ。 

それこそ若者からの「マルハラスメント」、略して「マルハラ」だな。 

 

 

・文章に句読点をつけるなんて当たり前のこと。 

 

それは日本語だろうと英語だろうと(若干用法は違うけど)変わらない。 

 

同時代性の中に安穏と生きすぎているから偏狭な価値観しか持てなくなるんだと思う。 

 

 

・ハラスメントにしなきゃいいのに…。 

若い世代の傾向はあっていいから、日本人の共通認識は持ちつつ、使い分けたら立派な大人かも。 

 

 

・マスメディアは毎日、何か話題を見つけて発信し続けないといけない仕事なので『「。」は怒ってる』という現象を見つけてああだこうだ書かざるを得ませんが、実際に全国の高校生をつかまえて全員に聞いてみたら100人に2人とかじゃない?あとは、べつに気にしてないのと、「ああ、言われてみればそういう気がしてきた」みたいな。 

世代間ギャップ、ジェンダーギャップ、貧富ギャップはコメントが白熱するしビューがとれるというだけ。 

 

 

・マスコミのネタ.少数意見のいかにも大衆の意見かのよう盛る.世代間のズレや分断も,マスコミが使いたがるネタ.以前なら,日本語が乱れているって話にしていたことを,ネットには年齢層の低い層が多いことに迎合し,現代の若者目線で述べてみましたという変化形にすぎない.この手の話は,今も昔も変わりない. 

言語は時代に応じて常に変化しているってだけの話を記事にするために,世代間ギャップやコミュ障を含め盛っているだけ. 

 

 

・若い時はコミュニケーションの全てが仲間内だけのものですから、世間に出る際にその砕けた感じから抜け出す必要がある。 

そこのところの摩擦を感じてるだけでしょ 

そこに配慮するのは、下の世代をバカにしてるようにしか思えない。 

 

 

・「。」に関係無く、言葉の行間を読む能力は、どの年代も関係無く必要だなと思いました。 

「。」ついてるのが怒ってると勝手に認識して、怒られている人の対応するのもその人のセンスだと思いました。 

 

 

・>若い彼らにとって「。」は、怒りや不愉快さを表すもの、とされています。 

 

 これを「マルハラスメント」と言うそうで、略して「マルハラ」とも呼ばれています。 

 

じゃあ外国語の表現で日本語の表現に変換したら怒りや不愉快を表すものに対してもハラスメントって言うんですかね?どうせ何も言えないんでしょ?弱いものには強く出るくせに、強いものには何も言えない。「ハラスメント」って言葉を使って弱者を気取ってるけど、実はそっちが弱いものいじめしてるだけじゃん。 

 

というか、これこそAIを利用して変換ツールでも作ったらどうですか?上の世代が下の世代へ打つときは「。」が省略されて、下の世代が上の世代へ打つときは「。」が発生するみたいに。 

 

 

 

・「マルハラ」など社会人に必要なビジネスや手紙では何も意味がない 

子供同士にしか通用しない遊びの様なものと理解した方が良いから 

マスコミも迎合するのは控えられたら如何だろうか 

 

 

・アラフィフだけど、どちらかというと本当に怒ってる時ほど「。」をつけない気がする。 

たとえば謝られた時、気にしてない時の返事は「大丈夫。」とか「大丈夫!」 

怒ってる時は「大丈夫」と言い放つイメージ。 

 

 

・若者の文化を上世代が知る学ぶのも必要だけど、若者も上世代はそうなんだこうだったと知ることも必要。 

お互いが知ることで交われる。 

受け入れるか否かは別として。 

 

 

・「優しさにひとつ気がつく×でなく ○で必ず終わる日本語」 

 

この俵万智さんの一句のように、〇で終わる日本語には優しさがある気がするんだけど、世の若者は本当に怯えているのかな? 

 

少なくともうちの職場では別に何とも思わないって言われてるから気にしませんけどね。 

そして、なぜかすべてを若者に迎合しようとする世の中【マスコミ】には同調できませんね。 

 

 

・。が怖いって訳がわかりません。 

誰が言い出したのですか? 

私の周りでも、何となく分かるような気がするって位の反応です。 

この話しの冒頭だと、若者に合わせないと時流に遅れますよって聞こえるんですが。 

 

 

・若い人は若い人の仲間内でそういう解釈でやってるわけでそれにおじさん、おばさんも影響されるのはおかしい。なんでもZ世代を持ち上げるのはみっともない。おじさんはおじさんらしく、おばさんはおばさんらしくの何が悪い。 

 

 

・普通に教育を受けているまともな若者なら記事のような感じは無いではないですけどね。 

仕事とプライベートの切り分けが出来る程度の知能と常識はある。 

 

 

・マルハラなんか聞いたこともない。 

勝手にマスコミが面白く書いてるだけだろ。 

オジサン構文、オバサン構文でやたら絵文字使うとか言ってバカにしてるんだから、怒りの絵文字が無けりゃ普通の会話だよ。 

将来、自分達は若者に「句読点がないから文章の切れ目が分からない。ハラスメントだ」って言われるんだよ 

 

 

・マルハラって、年配者がハラスメントを受けているように思う。日本語のルールに沿って句点打ってるだけなのに、不快だ恐怖を感じるって言われても… 

 

 

・“バカ”、“アホ” については、西の人間と東の人間とで受け取り方の違いとしか認識していないが 

東の人間と話すときは気をつけている 

気心知れた、知れないに関係なくポンっとことばを発するのではなく、一度噛み砕く 

必要がある時代となったということ 

 

 

 

・なぜ年長者が若者に合わせなきゃダメなのか? 

若者が年長者に合わせるべき 

遠慮なんてするな、怒鳴り散らせばいい 

そうやって俺はパワハラ全盛期の中で新卒として教育されてきた。 

そりゃ辛い事も多かったけど精神的に強くなったしその中で俺は大きく成長した。 

だからこそ俺は今44歳で立派に無職だ。 

あ、ごめん。 

 

 

・わがままで扱い面倒な奴が増えた。 

他人だよりで能力無いのにプライドは高く、言われたことも出来ない、報連相も出来ない、言い訳だけの人が多い。そのくせ、給料は求める。日本の技術力が落ちるのも仕方ない。 

 

 

・>まさに気持ちが言葉を凌駕している、としか言いようがありません。 

 

順調ならこの辺りもAIは汲み取るようになるでしょう 

ただそれを嫌う人間が阻止する可能性があります 

 

 

・「。」といえば、ヤフコメなどを見ていると文末の「?」の後に「。」を付ける人をちらほら見かけます。 

「怒ってる?。」のように。 

いつも気になるんですが、使い方として正しいんでしょうか? 

 

 

・書類は本日中に送付してください。 

書類は本日中に送付してください! 

 

後者の方が怒ってるように見える 

 

 

・大学生何人かに聞いたけど、。ついていても怒ってるとは思わないと言われた 

 

一部の声の大きい人の意見をまるで全員のように書かないでほしい 

 

 

・もうわざわざ若い世代、シニア世代にそれぞれに合わせてどうのこうの言うのやめにしないか? 

正直俺は経験の浅い割に能書きの多いガキに合わせるのめんどくさいし、向こうもそう思ってるだろう。 

 

 

・句読点が怒っているという発送がどこから出てくるの 

か、言い出しは誰か(どこ、何)なのかは分かりませんが、句読点「、。」は小学校の時に国語の授業で教わるはずなのに。 

 

 

・70年代に似たような事起きてるじゃん。 

クスリ決めて学生運動やって麻雀に明け暮れたり族作ったり。 

既存の価値観が大きく変わる時にはよくある事。 

 

 

・これよく報道で見ますけど、こんな事位しか報道でやる事ないの? 

たかだか【。】位どっちでもいいだろ! 

若年層に気を使過ぎだし年輩者に偏見持ちすぎってだけだろ。 

お互いに失礼が無ければそれでいいわ。 

 

 

 

・これよく報道で見ますけど、こんな事位しか報道でやる事ないの? 

たかだか【。】位どっちでもいいだろ! 

若年層に気を使過ぎだし年輩者に偏見持ちすぎってだけだろ。 

お互いに失礼が無ければそれでいいわ。 

 

 

・これって仮に事実だとしても、若者同士でそう感じたりしてるだけで、世代違いの人が「。」付けて送ってきても、怒ってるだなんて思わないんじゃないの。 

 

 

・若い世代が勝手に作ったルールをそのルールが浸透してない世代に当てはめる方がおかしいと思う。 

 

 

・若い連中のこだわりや要望の多さ、先輩達の築き上げたものや考え方を若干見下してる感じとかもハラスメントに感じるのは俺だけか? 

 

 

・「。」は、マルハラ? 

 

そんなの知るか!! 

どんだけ今の若いのはメンタル弱いんだ? 

そんな事にまで付き合う必要はない。 

 

「。」を使って嫌われても一向に構わないし、 

嫌われて困る事は一切無い。。。 

 

 

・文意に合わせた顔文字、絵文字を探して打つほうが負担です。 

そこまで若者に迎合する必要あるんですかね? 

 

 

・何でもハラスメントを付けるのってどうなの?ハラスメントを付けることで被害者ぶるのはやめてほしい。 

 

 

・マスコミは、 

若い世代に迎合して振り回されないように 

してほしい。 

なお、内容によっては 

「!」のほうが怒って感じることも少なくない。 

 

 

・若者全員がマルを怒りの表現と思ってる訳ではない。 

マスコミが世代の分断を煽りたいだけだと感じている。 

 

 

・「。」つけないと中途半端でうっかり送信したと思われそうでマルつけるんですが、 

ダメなの? 

絵文字はキモい扱いされるし、どうすればいいの? 

 

 

 

 
 

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