( 140166 )  2024/02/17 14:25:34  
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1990年に日産自動車が発売した「プリメーラ」はコンセプトモデルと異なるデザインでありながら、実用的なデザインと先進的なエンジニアリングを組み合わせた印象的な車であった。

これについて語る記事が詳細に述べている。

プリメーラは「実直なデザインの3代目『オースター』の後継モデル」として企画され、高い品質とヨーロッパ市場向けの実用的なクルマ作りをしていた。

エンジンは性能と燃費を両立させたSR20DEやSR18DEが使用され、走行性能も優れていた。

足まわりの設定や車体の軽さによる軽快なハンドリングも評価され、1995年まで生産された2代目プリメーラは、クルマ好きの心を刺激する魅力があった。

(要約)

( 140168 )  2024/02/17 14:25:34  
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1990年2月「快適性と走行性能を高次元で両立させたコンフォート・パッケージセダン」をうたい発売された(写真:日産自動車) 

 

 高性能とかグッドデザインで記憶に残るクルマは多い。そこにあって、1990年に日産自動車が発売した「プリメーラ」は、控えめなスタイリングと、まっとうなエンジニアリングで印象深いという、例外的な1台だ。 

 

【写真】今もクルマ好きの胸を熱くする初代プリメーラのスタイリング 

 

 1989年の東京モーターショーで「プリメーラX(エックス)」なる名前でもってコンセプトモデルが発表され、翌年に量産車が発売された流れは、私の記憶に鮮烈に残っている。 

 

20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。 

 

■コンセプトモデルとは似ていないけれど 

 

 印象に残っていた理由は、「2台はあんまり似てないなぁ」というものだったから。ショーに出展されたコンセプトモデルは、ものすごいボリューム感のハイデッキとロングテールが印象的。なめらかさが強調されたボディはウインドウとの段差もなく、空力実験車然としていた。 

 

 インテリアも有機的なフォルムのダッシュボードと小さな計器類の組み合わせが、たいへん斬新。バランスがとれたプロポーションでなく、いってみれば異形。目的は「新しいクルマが出る」という印象を与えることだったのだろうと思う。 

 

 しかし、量産型プリメーラは、「同じクルマですか?」と思わず言ってしまったほど、まっとうなデザインだった。前輪駆動の使い勝手のいいセダンのお手本のようなパッケージである。 

 

 実際にプリメーラは、実直さを絵に描いたような機能主義的デザインの3代目「オースター」の後継モデルとして企画された。英国工場で生産されることも共通点だった。 

 

 とはいえ、質感の高さはオースターより格段に上がっていた。プリメーラXでは強調しすぎの感があったが、トランクが厚いハイデッキの機能的ボディでありつつ、ボディとウインドウの段差を極力なくしたフラッシュサーフェス化が図られているのも特徴的。 

 

 

 インテリアも、デザインはおもしろくないけれど、作りはよい。合成樹脂のパーツの組み付け精度は高いし、シースルータイプのヘッドレストレイント(ヘッドレスト)を備えたファブリック張りのシートも設計がよく、長時間座っていても疲れにくかった。 

 

 見惚れるようなスタイリングではないものの、日常的に使うパートナーとして高い点数をあげたくなる出来映えで、ヨーロッパ市場向けだと、実務的なクルマ作りをするんだなぁと感心したものだ。その意味では輸入車感もあった。 

 

 上記“輸入車感”は、1991年に追加された「5ドア(2.0e GT)」の存在が大きい。セダンだけれどハッチゲートを設けるこのスタイルは、「コロナ5ドアリフトバック」や、「ビスタ/カムリ」など、1970年代後半から1980年代にかけてトヨタが好んでいた、けれど日本では珍しい車型だった。 

 

 実際のリフトバックは、ワゴンほど荷室の積載量は大きくないし、車重は増えるし、騒音も大きくなるし、エアコンの効率も落ちるし……と、あんまりいいことはない。 

 

 しかしながら、少なくともプリメーラに関しては、イギリスで評価が高いとか、ヨーロッパの本家「カー・オブ・ザ・イヤー1991」で2位という情報も手伝い、ボディスタイルの“輸入車感”が、いい印象をもたらしたともいえる。 

 

■「本物志向」のメカニズム 

 

 エンジンはSR20DEで、あとからSR18DEが追加された。 

 

 中心となったSR20DEは性能と燃費を同時に追求して開発された直列4気筒DOHCで、1989年に「ブルーバード(S12)」のマイナーチェンジで用意されたのが最初だ。大ヒットした「シルビア(S13)」も、途中からこのエンジンを搭載した。 

 

 SR型エンジンは、ヘッドやブロックにアルミニウムを使い軽量化を図ったパワーユニットで、カムシャフトの駆動がベルトでなくチェインというのも、本格志向のユーザーの心をくすぐったものだ。 

 

 実際には、R32型GT-Rを頂点とする直列6気筒のRB型など、当時の日産にはよりスポーティなエンジンがあり、SR型はいまいちというネガティブな評価もあるようだ。けれど、ストック(チューンしていない状態)で乗るかぎり、SRは十分に役目を果たしてくれていたと思う。 

 

 

 プリメーラに話を戻すと、サスペンション形式はフロントがマルチリンクで、リアはパラレルリンク式ストラット。1990年にはフルタイム4WDが追加され、さらにビスカスカプリングで前後のトルク配分を制御する「アテーサ(4輪駆動最適制御システム)」を持った仕様も登場した。 

 

 私は、当時このプリメーラが大好きだった。ひとことで言うと「たいへんバランスのいいクルマ」だったからだ。 

 

 当時の日産には、シルビアのほかにも「180SX」「スカイライン」「ステージア」「セフィーロ」など、後輪駆動車も多く、大勢が前輪駆動方式へと移る前夜みたいなものだった。 

 

 そこにあってプリメーラは、硬めのサスペンションセッティングによって、アンダーステアなどパワフルな前輪駆動のネガをつぶし、カーブではくいくいと気持ちよく曲がってくれた。 

 

 この足まわりの設定については、「硬すぎると批判された」と今は書かれている。しかし、当時の私の印象では、セダンが大型化すると同時に快適志向へと向かっていく中で、「このぐらい極端に振ったモデルがあってもいいだろう」というものだった。 

 

 日産の開発陣が「プリメーラにはこの乗り味がベスト」と信じて開発しているなら(実際にそうだったろうと思うけれど)、これを受け入れればいいではないか。 

 

 自動車も開発者の“作品”であると考える私にすれば、「イヤなら乗らなければいい」と言いたかった。 

 

 イギリス向けプリメーラの足まわりの設定はどうだったんだろうか。寡聞にしてそこは知らないのだけれど、いずれにしても日産は1992年までは当初の設定を守り、そこでサスペンションに手を入れた。 

 

■クルマ好きを刺激するクルマ 

 

 ボディのディメンションは、全長4400mmでホイールベースは2550mm。このコンパクトさもよかった。車重は1トンそこそこしかないので、安全基準などで車重がどんどん増している今、初代プリメーラを操縦すると、きっと驚くほど軽快だろう。 

 

 昨今、ヤングタイマーなどといって、1980年代や1990年代のクルマの市場での人気が高まっているようだけれど、車体の軽さがもたらす軽快なハンドリングも、当時の車両に対する高評価の背景にあるんじゃないだろうか、と私は考えている。 

 

 こうして書いてみると、1995年まで生産されて2代目にバトンタッチした当時のプリメーラ、「今また乗ってみたい」という気持ちがムラムラと湧き起こってきた。クルマ好きをいい意味で刺激するクルマなのだ。 

 

小川 フミオ :モータージャーナリスト 

 

 

 
 

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