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「叫ぶ、走り回る、飛び跳ねる」 公共交通機関の“障がい者”に向けられる冷たい視線! 今必要なのは、迅速な支援・啓発である

Merkmal 2/18(日) 17:31 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/dc6b2f564bf558af9bc9d55fafc46d5b986aee8d

 

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国土交通省は、公共交通機関を利用する際の「心のバリアフリー」をスローガンに掲げ、障がい者の社会的バリアーを取り除き、差別をなくし、適切なコミュニケーション力を持つことが重要だと提唱している。

具体的な取り組みとして、知的障がいや発達障がいを持つ人々が公共交通機関を利用する際に必要なサポートや理解を促進する取り組みが行われているが、認知度の向上が課題となっている。

(要約)

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電車内の優先席(画像:写真AC) 

 

 国土交通省は、公共交通機関を利用する際の「心のバリアフリー」をスローガンに、以下の点を提唱している。 

 

・障がい者の社会的バリアー(心を含む)を取り除くのは社会の責任。 

・障がい者やその家族が差別を受けず、合理的配慮が受けられるようにする。 

・国民が障がい者の困難や痛みを理解し、適切なコミュニケーション力を持つ。 

 

上記の背景には、「障害は心身機能との社会的バリアーとの相互作用」という考え方があり、社会全体が障がい者の生きづらさや困難を理解することが重要である。 

 

 具体的に「社会的バリアーとの相互作用」を、「歩くことや心と脳にハンデがある方」の事例で考えてみると 

 

「歩けなくても、車椅子のバリアフリーがあれば好きな温泉にいける!」 

「脳や心にハンデがあっても、周囲の人や公共交通の仕組みに配慮があれば、一人で買物に行ける!」 

 

などが考えられる。 

 

 しかし、現実は厳しい。知的障がい児を育てる親から筆者(伊波幸人、自動車ライター)に寄せられたコメントを紹介しよう。 

 

「我が子は知的障害が有る為、中学校から支援学校に通っていましたが、(中略)叫んだり走り回ったり飛び跳ねたりじっとする事が出来ない。障害はを持った子供やその親に対して、向けられる世間の目は冷たいです。その視線に耐えかねて途中下車する方も多いです」 

 

「心のバリアフリー」に加えて、カーテンなどで周囲を区切ることでリラックスできる「心のバリアフリースペース」も必要ではないだろうか。以下、公共交通機関が抱える「心のバリアフリー」問題について報告する。 

 

「発達障害、知的障害、精神障害のある方とのコミュニケーションハンドブック」(画像:国土交通省) 

 

 2021年3月、国土交通省は「知的・発達障害者等に対する公共交通機関の利用支援に関する検討会」を開催した。そこでは、知的障がい者・発達障がい者などに対する次のような課題が提示された。 

 

・不慣れな環境での当事者の困りごと「できない、わからない、一人では不安」 

・当事者に対する事業所の困りごと「対応の仕方が分からない」 

・周囲の方々の困りごと「知的・発達障がい者の特性に対し、理解が進んでいない」 

 

 当事者の問題としては、切符購入や改札入場、ホームや車内のルールがわからず混乱することがある。次は実際の声である。 

 

「切符、駅の改札というものの理解。連想することが苦手なので、なぜ切符や改札という名前なのか理解が難い。電車を見て追いかけるように走り出さないことが最大の課題」 

 

 つまり、公共交通機関という概念全体を理解するためのサポートが必要なのだ。支援者は常に危険性を認識し、支援対象者の特性を踏まえた社会との関わり方について理解を促す必要がある。そこで、同検討会では「公共交通機関の利用体験実施マニュアル(案)」を作成し、利用者の体験を通して公共交通機関の利用促進を図っている。 

 

 一方で、事業者が障がい者の特性を理解しにくいという問題もある。国土交通省は、事業者や一般向けに「発達障害、知的障害、精神障害のある方とのコミュニケーションハンドブック」を作成し、配布している。 

 

 内容は、障がいの特性、対応の基本、実際のトラブル場面での対応などである。著者がこのハンドブックを発達支援の現場にいる友人に見せたところ、 

 

「実例も載っていて、分かりやすくまとめられている。自分も参考になるよ」 

 

との評価だった。一般の人にもわかりやすいので必読である。 

 

 

ヘルプマーク(画像:写真AC) 

 

「発達障害、知的障害、精神障害のある方とのコミュニケーションハンドブック」では「困っているひとがいることに気づく」ことの重要性が強調されている。具体的な状況としては 

 

・急に奇声を発し、走り回ったりしている人がいる。 

・自分の興味のある他人の物や公共物に触り、トラブルになる。 

・困っていることを説明できず、モジモジしてウロウロとしている。 

・フラフラ、ぼんやりしていて、人にぶつかっている。 

・パニックになっている。 

 

上記のような場面に遭遇したとき、ハンドブックでは「笑顔でゆっくり、短く、具体的に優しい口調で話しかける」よう求めている。 

 

 特にバスや電車が遅れているときなど、状況が理解できないこともあるだろう。臨機応変な対応を求めることが難しい状況もある。特にパニックになっているときに、命の危険を感じる場面では危険の回避を最優先に実行して「落ち着ける環境に誘導する」。具体的には、静かで他人の目を遮る空間がいいだろう。 

 

 声のかけ方については、「声かけ変換表」が非常に参考になる。いくつか抜粋してみよう。 

 

・早くしてください → あと何分かかりますか? 

・静かにしてください → 声を「これくらいの大きさ」にしてもらえますか? 

・走ってはいけません → 歩きましょうか。 

 

 否定的な言葉を使わず、お願いしたい行動を「具体的に示す」ことが重要である。説得や危険回避の場面で興奮するのは理解できるが、「興奮や大声」は「パニック」を助長する。だからこそ、ゆっくり落ち着いて話すことが大切なのだ。そのためには、周囲の理解が極めて重要になる。 

 

 児童発達支援の現場で保育士として働くトミさん(仮名)は、こう語る。 

 

「バスが遅れると、理由が分からずパニックになります。違う時間にバスが来ると、自分が乗るバスと別だと認識し乗れません。その時の関わり方、知らせ方が課題です」 

 

周囲が興味本位で集まったり、目線を向けたりすることを控え、当事者にとって落ち着ける空間、時間、雰囲気づくりに協力してほしい。 

 

 さて、ハンドブックは実際には効果的なようだが、その認知度はどうだろうか。調査した。 

 

 

バス内の優先席(画像:写真AC) 

 

 当事者の支援者36人にハンドブックを知っているか尋ねたところ、ハンドブックを知っている人は36人中5人だった。 

 

 まだまだ認知度が低い可能性がある。ハンドブックにはヘルプマーク(周囲に配慮が必要なことを示すマーク)も紹介されている。しかし、ヘルプマークの認知度にも問題がある。精神障がい者施設を運営するスタッフのコメントを紹介しよう。 

 

「ヘルプマークなどはあるが、周りの人の認識があるのか不明です。つい先日も、ぶつかって転んでしまいました」 

 

 駅やバス停のポスター、心のバリアフリー席などは、公共交通機関が配慮すべき課題である。当事者とその家族の心労に、当たり前のように配慮する社会でありたい。 

 

伊波幸人(自動車ライター) 

 

 

( 140647 )  2024/02/18 23:21:15  
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(まとめ) 

ここに挙がったコメントからも分かるように、障がい者に対する理解や対応には様々な課題や複雑な感情が浮上しています。

一部のコメントでは、障がい者に対して寛容であることが望ましいという意見もありますが、実際には怖さや不安から距離を置くことも珍しくありません。

特に、知的障害のある方に対する理解や対応は、それぞれの特性によって難しい場面も多いようです。

 

 

一方で、補助や支援者の存在や、適切な情報提供や教育があれば、社会全体がより理解と協力を深めることができるとの声もあります。

特に、公共交通機関を利用する際は、ヘルプマークや適切な対応方法など、具体的な支援や知識が求められているようです。

 

 

現実に直面した時、理想論ではなく一人一人ができる限りの配慮と対応を心がけることが必要であり、相互の理解や配慮がより重要とされています。

難しい課題ではありますが、これらのコメントからも多様な視点や感情が浮かび上がっており、社会全体で障がい者への理解と支援を築いていくことが求められていることが伺えます。

( 140649 )  2024/02/18 23:21:15  
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・困ってそうとかなら、助けてあげられる場合はあるかもしれないけど…けっこうハードル高いですよ。 

普段を知らないから、こだわりに触れれば、突然激昂されたり、さらにパニックになったり、依存されたりする場合もある。 

 

性的な形でつけ回されたりして、それをわかりやすく注意しても、やめた振りはしても、やめませんし… 

接近してくるし、すごく怖い。でも助けてもらえることもないし、駅員さんもわかってるけど、なかなか対処できない。 

 

知的などの障害がある人の移動は、同行者がいた方がいいと思います。 

危ない時もあるし、慣れた人じゃないと無理な場合もある。 

 

たまたま乗り合わせた人で対応できることならいいけど、そんな簡単なものじゃないと思います。 

 

 

・差別じゃなくて「怖い」から警戒してるんだと思う。昔電車に乗っていたら入ってきた男性がいきなり奇声を上げてうろつき始めドアを叩き始めた。話も通じそうにないし、走行している電車だから逃げられないし…。見慣れた家族には「大したことない」と感じる行為でも見知らぬ人には恐怖でしかない。「うちの子を差別しないで」って気持ちがあるなら「あの人は本当に差別してるのかな?」と思いやる気持ちを持ってほしい。 

 

 

・グレーの子がいるから療育通ってるけど、知的障害がある子は大声あげたり、突然走り出したり、近付いてきたり、殴ろとしたりする事あるし、周りの子どもも親もびっくりする。特性と言われても、成人と変わらない体の大きさになったら、チカラ加減も出来ないし、ダメと言われても理解してもらえない、静止したら癇癪起こす事もあるし、接点なかったら怖いと思う。 

 

 

・綺麗ごとでは物事は進まない。 

電車通勤であるが、時々、ヘルプマークの人とかち合うときがある。奇声や自由すぎる振る舞いをみて、正直、こちらが怖くなる時がある。理解しろって言ったって、自分の安全が確保できるかわからないから、注意喚起も含めて厳しい目でそちらを見る、というか監視せざるを得ない。 

一人に大多数を合わせるのではなく、大多数に従って自分の行動を律するのが社会で生活する上で必須な事だと思う。口先だけで”理解しましょう”と言うのは簡単だけど、ある意味、無責任だと思う。 

 

 

・身体障害者と知的障害者は対応の仕方が全く違うと思います。 

学生時代に手話を習ったことをきっかけに、聴力障害者や視力障害者を見かけた際は積極的にお手伝いをさせて頂きました。 

その延長で知的障害者の方にもお声がけしたところ、突然右手を噛まれて大出血しました。 

噛まれ方次第では、指が切断されかねませんでした。 

実体験から言えることは、綺麗事を語るのは構いませんが、知的障害者を舐めてはいけないということです。 

だからといって差別することもいけません。 

お手伝いするのは相応の覚悟が必要で、言葉だけの思いやりなら無視したほうがお互いのためなんですよ。 

20年経っても右手の傷跡が癒えないオッサンの戯言です。 

 

 

・冷たい視線と言われてもたまたま居合わせたその人のことを何も知らないので、危ない人なのか周りに危害を加えないか警戒する権利も認めてほしいです。特に女性や子供は加害性のある人の標的になりやすいので。子どもの乗ったカートを叩かれたこともあります(もちろん本人も付添人も謝罪なし)。過去に怖い思いをしたから警戒してるんです、そして何かされても障害があれば無罪になるのだから‥。 

 

 

・大人の障がい者も障がい児も仕事で関わったことがあります。電車に乗っていて奇声をあげたり唸ったり飛び跳ねている方を見ると、私は「自閉症の方だな」「知的障がいの方だな」とか「人に危害を与える人では無さそうだな」とか分かるのですが、知らない方からしたら怖いだろうなと思います。困っている時の手助けについては、特に自閉症の方は声の掛け方や触れ方によっては更にパニックになってしまう場合もあり、知識があったり接したことがある人でないと難しいケースが多いような気がします。 

 

 

・動き回る人がいれば怖い。大声はうるさい。 

事件を起こしそうなおかしな人(薬物中毒を含む)とそうではない障がい者の人との区別を一般の人が見分けるのも難しい。 

専用車両を作るほどの割合でもないし、専用スペースといっても一人で乗っている人がそこの収まる保証もない。難しい問題と思います。 

ただ言えることは、一般の人・障がい者いずれもの「一方的な主張」だけが通るべきものではないと思う。 

理解・理解というけれど、一般側にも正規の主張もある。 

そして、今の自民政権ではここまで難しい問題に適切な対応が期待出来そうにない。そこが一番問題かも。 

 

 

・発達障害、知的障害、精神障害のある方とのコミュニケーションハンドブック・・・身内にでもいなければ(我が家にはいます、通院はもちろん、資料も入手してあります、ヘルプマークも持っています。)移動には、電車もバスも使うと思うので、書籍ばかりではなく、ポスター的なもの、わかりやすく作成したものを掲示してあるとありがたいかと。個人的には、外出時はあまり無理なスケジュールをたてないよう、本人が落ち着いて行動できるよう工夫しています。人様の善意におすがりするばかりではなく、個々に出来る対策もあるはずです。 

 

 

・マニュアルを作ってもそれこそ障害者の苦悩やサポート時の正解行動も多種多様で、返って混乱させるなどの逆効果にだってなり得る。 

ましてやその人が年齢的に大人となると暴れたりされたら敵わない人もいるし、障害があると察しはできても危険行為をしてしまう時があるのは変わらない訳で、自分の身に被害が及ぶ事を懸念し避ける人達の心情を否定する事はできない。 

 

理想論や綺麗事で物事を進めるのは簡単でもそれを適切に実行するためには知識だけでなく相当な経験も必要になると思うから難しいのが現状ではないだろうか。 

 

 

 

・やっぱり怖いのよ。 

暴れたりすることもあるでしょ? 

いきなり道路飛び出したり? 

こどもの頃上級生の知的障害の子に殴られたことがある。 

同級生はカバンを舐められてよだれまみれになって泣いてた。かわいそうに。 

30年近く経つがわすれもしない。 

悪いが寛容に簡単に言われても被害に遭いたくないので厳しい。 

 

 

・公共交通機関では跳ねたり騒いだりする場ではないですから、そういう場の状況を理解できずにいる障害の子を素人が支援するのは難しいと思います。 

特にパニック時などはひとつ対応を間違うと状況は悪化する。 

優しい言葉のつもりでも、相手の理解度と状況にとっては鋭く尖った刺激にしかならない場合もあるので。 

他者の助けが必要になる人はなるべく支援者などと行動を共にしてほしいと思う。 

支援者と行動している人については、跳ねていようが叫んでいようが、あんまり何とも思いませんが、一人でそれをしている人をみたら非常に不安にはなります。 

 

 

・正直、大声で奇声を発している人には恐怖感しかありません。かつて職場に躁うつ病の人がいて、薬が切れたときに手が付けられない状態になり、ハサミやカッターナイフ、千枚通しなど凶器になりそうなものを隠した覚えがあります。それと同じで、心のバリアフリーとは言われますが、できることなら近寄りたくないというのが本音です。 

 

 

・冷たい視線を送りたい訳じゃないのですが、正直、奇声や予測できない行動をとられるのは怖いんです 

自分の会社には障害者雇用枠があり、奇声をあげる方もいます 

ですが、顔見知りの方の奇声は、「多分ここまで」という範囲が分かっているから怖くないんです 

 

障害がない方でも、公共の場でいきなり殴ってきたり、ぶつかってきたりする方がいるご時世なので、見知らぬ方が奇声をあげていたら、自分の身の安全のために、距離はとります 

 

 

・障害者の方の通所施設が沿線にあるバスを利用した際に、超満員の車内にその施設の人たちが乗ってきました。 

こだわりがあって、同じ席に座りたい人がいるというのは知っていましたが、「そこは私の席です!」と大声で叫んで、混んだ車内で人に体当りしながら座席へ向かい、元々座っていた学生さんをどかしたのを見て、かなり引いてしまいました。 

なるべく親切にはしたいのですが、恐怖を感じたり、明らかに迷惑なことをされると、嫌だなあと思ってしまうので難しいですね。 

 

 

・現役時代、支援者でした 自分が支援している方でしたら、何がどうなると、どんな状態になるか ある程度予想がつきますし、回避したりも少しは出来ますが 

今、まさに、家族や支援者が同行しなくて行動できる方が、丁度運悪く混乱の状態にある と言う時はもう何ともしようがないので… 

 

同行者がいないと行動が難しい方は誰かいるからまだ少しはいいのだけど、ある程度行動出来る方は、ご本人様も、周囲も困ってしまう事があるでしょう 

勿論同行者がいれば何でも解決と言う訳にはいかないね 

 

 

・見た目に解る障害とそうではない障害の中でも私は疑問に思う。私にもヘルプマークは合っても突然近くで大声だされると心臓を抱えたくなる位立ちすくんでしまいます。同じ障害でも 

障害でなくとも人を驚かせるつもりはなくとも一歩間違えると倒れてしまうんです。普通の方でも障害者と見た目に分かつても突然大声だされたり叩かれたりしたら危険も伴う。 

自分なら心臓が留まりかねない。 

苦しみは皆同じで健常者に強制する物ではないと思います。ただただ 

その行為を止めてくれる人が近くにいるだけで良いと思う。それが介添人でも他の方でも。 

 

 

・ひとつだけ教えて欲しいです。 

 

バス・電車内で叫んだり飛び跳ねている状態をどうやれば止められるのですか?それを教えてくれれば明日からやりますよ。 

 

本人は叫んだり、飛び跳ねることで自分を落ち着かせようとしていると聞きますが、我々健常者ないし定型発達の者でもイライラしたり、落ち込んだり、腹が立って仕方がなかったり、悲しくて仕方がなかったりしますが、それを他人にぶつけることがないように生活しています。他人からは見えていないだけで心の中は大嵐だったりしますので・・・ 

 

とりあえず「こうすればおさまる」という対応を教えてくれれば明日からそうしますから。 

 

 

・でも社会って全体的に、多数派のために整備されているので、少数派にハードルがあるのはある程度仕方のない事です。 

色々と余裕があれば少数派にも配慮できますが、今の日本はそんなに余裕のある社会じゃありませんから。景気の良かった時代なら他人に寛容に出来ていた人たちも、今や地元に保育所を作ろうとすると反対運動が起きたり、公園で遊ぶ子供が煩いなどと堂々と苦情を入れる社会になりましたし。 

精神論だけを振りかざしても無い袖は振れません。 

共存すら許されなかった昔に比べれば、社会の理解も協力も着実に上がりつつあります。それ以上は余裕のある人たちに頑張ってもらいましょう。 

例えば、裏金作っても3000万までなら追徴課税も逮捕もされない人達とか。 

 

 

・正直に言えば「怖い。」 

 

分かっている人(世話人とか)ならただの「障害者」でどういった行動をするか知ってるから怖くないと思う。 

知らない人から見たらその人が何が原因でどういった行動をするかわからない。 

 

もっと極端に言えば、その障害者から危害を加えられて死んだ場合、「責任能力が無い」で無罪になったら被害者は浮かばれない。 

 

自分の自宅近くに障害者の作業所が出来た時は自分の子供が小さかった事もあり、非常に怖かった。 

 

綺麗事はいくらでも言えるし、理想はそうだと思うが、自分の身や家族の身を考えるとやはり避けれるなら避けたいし、公共交通機関乗車時にずっと身構えていないといけないのは疲れる。 

 

 

 

・既にあるのかもしれないけど、一定程度の障がい者が集まる「旅行クラブ」みたいなのは無いのかな。 

ある程度の人数が集まって国に申請すると補助金が出て一部車両を貸し切りにできたり、フィットした観光バスを使えたり… 

 

もちろん何でもありでは無く、そういう団体をフィットさせるマネジメントも必要だけど、そんなシステムがあると親御さんも少し心を楽に旅行に行けるかも。 

 

 

・某私鉄のターミナル駅のホームで、いつも決まった時間に大声で駅のアナウンスを真似ながら行きつ戻りつしている30代ぐらいの男性とかちあう。以前、どうも決まったドアから乗ると決めているらしく、知らずに乗ろうとして横ざまに突き飛ばされた事がある。以後、冷たい視線じゃなくて用心する視線で見るようにはなった。 

 

 

・公共の場で奇声をあげたり走り回られたら、やはり驚くし嫌な気分になる。 

特に、電車待ちの列に割り込まれたりしたら声をかけるし、理解されないと「そういう人か」と思ってしまう。 

できれぱ付き添いの人にいてもらいたいのが本音。 

綺麗事だけじゃどうしようもない。 

 

 

・通勤バスにいつも乗る方がそうで、一人で乗ってきて大きな声をあげたりバスのアナウンスを大声で繰り返したり音を立てます。 

確かにそれだけなんで、おそらく怖がる必要はないとは思いますが、若いお嬢さんは怖がっていました。 

目を合わせず知らんぷりしておくのが一番良いとは思いますが、暴力を振るわない興奮して暴れないなんて私達にはわかりません。 

大丈夫かもしれないの啓発は、おそらく心には響きません。 

確約がない限り難しいんだと思います。 

 

 

・従姉妹に知的障害者がいるから偏見はあまりないけれど、街なかで障害者にあったら「極力関わらない」ようにしてます。 

 

パニックになっていたり、大きな声で何かに威嚇していたり、物にあたっていたら、相手は性別問わず力加減が出来ないし、執着すると自制もきかないので怖いです。 

障害者も全員な訳ではないし、機嫌が良さそうなときは見守るけれど、やはり積極的には関わらない。対応する方は大変だと思って見てます。 

 

支援や啓発は大切だけど、理解も力加減も出来ない障害者に、あまり知識のない人が勝手に手を差し伸べるのは危険な事もあると思います。迷惑と思う人も家族がどうにかしろ。って思う人もいるでしょうが、実際には障害者の行動範囲や寿命ものびてるし身内や支援者がずっと付き添う事は難しいです。 

危害や“敵対心”を与えるとパニックになると思うので“偏見なく見て見ぬふり”してあげるのも理解の1つだと思うのですが… 

 

 

・差別してるんじゃなくて、ただ単純にビビるんだと思いますよ。 

突然大きな声を上げて走り回られたりすると びっくりするじゃん。 

子供だったらうるさい子だなって終わるけど、自分より大きかったり勢いあったりしたら本能的に恐怖を感じますよね。 

障がい者の人たちも他人に危害を加えたくてそういう風にしてるわけじゃないことは分かってるんだけど、なにがあるかわからないと思ってしまう。 

昔バスの降りるボタンを押した時に、押したかった障がい者の大人の男性に殴りかかられたことがあって 、保護者みたいな人が付き添っていたから止めたけど全然力が足りてなくて抑えきれてなくて怖かったよ。 

 

 

・障害者の差別がない世の中。理想はその通りだと思うけど、自分の身を守らないといけないこの頃、いきなり奇声あげたり、走り回ったり、それを障害者だから仕方ないではすまされないと思う。 

まぁ大音量のイヤホンで迷惑かけてる人と違いはないけど。 

そういう人が苦手な人の権利もあると思うんだけどなぁ。かかわらないことも優しさの一つかもしれないよね。 

 

 

・身体的な障害者とはお互いディスカッションして分かり合えるかもしれないけど 

知的障害のある人とはディスカッションもなかなか難しいしどうしても分かり合えないよ 

啓発と言うのは一方通行の押し付けではなくお互い理解し合うと言うのが成立しないと難しいからね 

健常者も理解する障害者も理解するそれで初めて理解が成立するからね 

 

 

・以前、地下鉄で電車を待っている時ぶつかられて前によろけました。どうやら行きたい車両だけを見て走っていた男性でした。別の日にその男性は違う車両から移動してきてドア前に立っていた女の人を突き飛ばしてその位置に立ち車掌さんの真似を始めました。別の男の子は車内の人の肩を後ろから叩いて振り返ったら指で頬を突く遊びを繰り返してました。私もされましたが、どうして良いのかわからず 

固まりました。女の友人は空いている電車で座っていたら男性が太ももの上に座って来て恐怖だったそうです。ちゃんと女性を選んでいるのも怖いです。 

この類の話は枚挙に暇がないですよ。 

 

かなり前ですが、ホームに入ってきた電車の前に突き落とされて亡くなった方もいます。 

 

ご本人、ご家族さまも大変でしょうが温かい目で見ることは難しいでしょう。 

 

 

・冷たい視線というより単純に怖いからですね。 

大人の体格で暴力的なものを含めてどう言う行動を取るのか全く予測できないというのは、どうしても距離を取らざるを得ないです。 

一括りに障がい者として一般常識の範囲外にいる方への配慮を求められても理解を得るのは難しいと思います。 

 

 

 

・電車でたまに奇声を発してる人見かけますね。最初一度はチラッとそちらを見て理解してしかたないねとスルーする人がほとんど思います。それでいいんじゃないですかね。日本は世界一お行儀に厳しい国だと思いますが、自分に厳しく他人には寛容にを心掛けたいです。 

 

 

・身体的な障害なら可能な限り手助けしたいと思ってるけど、知的な障害は正直怖さが勝ってしまって距離を置いてしまいます・・・ 

家族はもう毎日のことだら慣れてるかもしれないけど、いきなり出くわしたら怖いよ。実際そういう人にニヤニヤしながら肩を掴まれたこともあったし(近くに保護者がいたけど特に謝罪もなかった)。 

距離を置くことがお互いのためになることもあるから、そのことを否定はしないでもらいたいですね・・・ 

 

 

・身体的に障がいがある方なら 本人が何に困っているか 尋ねて 何らかの援助は可能だと思う。精神や知的に障がいのある方は その障がいには特性が様々で 本人の理解の程度も違いますし 特性に添った支援や声がけでないと 本人がさらにパニックになったり 困惑したり してしまいます。時に それによって 手が出てしまうかたも います。 

ハンドブックは必要ないとは言いません。社会には こういうかた達も 公共機関を使う事があるという理解を拡げることにはなります。声がけしても 難しいようなら どう対処したらいいのか そこまで記載されてるのでしょうか? 

ちなみに 自分は 知的障がいのあるかたの支援員をしているので いろんな方達と毎日接していますが それでも 理解し難い場面に遭遇するのは 多々あります。 

 

 

・自分は肢体不自由の障害者で中高と養護学校にいたので当然そういう 叫ぶ走り回る 飛び跳ねるタイプの子も学校の内外で沢山見てきたけれど 

公共交通機関の件で言えば 様は「座席」の問題なので 

 

以前はそういうタイプの障害を持つ子をお持ちの保護者は、そういうタイプの障害者の場合、我々肢体不自由とは逆で【運動機能は健常者】というのがあるため 、混んでいればあえてその子を立たせる親がいた 何故かと言えば混んでいれば叫んでも飛び回れない そういう良い意味で利口な保護者が多かったが 

 

今そういうタイプの親をたまに通院時とか見てると立てる状態なのに混んでても我々みたいに席に座らせて結果そういう状態を親自身が作ってしまっている場合もあって、乗客の一般大衆の方から見ても、以前のそういうタイプの障害者の親より「工夫出来ない保護者が以前より多い」という事を見透かされてしまっているから冷たい目になるんやと思う 

 

 

・バス運転手やってます。 

 

自分のバスに乗ってくることもありますが、正直トラブルも多いです。他のお客さんとトラブルになってバスを止めたこともあります。 

 

私自身も色々やられたりしました。内容は控えますが‥‥(以前コメントしたら、嘘つき呼ばわりされたり脅迫されたりしたので) 

 

そういう障害がある人達専用の車やバスがあるといいですね。 

 

 

・どこかの海外のスクールバスや電車通学には、1人の子に対して1人補助員とかヘルパーが付くって聞いた。できれば助けてあげたいと皆んな思うけど、奇声や暴れたりしているのを落ち着かせるのはプロでも結構苦労するので、一般の人、しかもその場限りの人はやはり大変だよ。 

 

 

・例えば混み合った駅のホームで大声で叫んで走り回っている人がいた時に本当に「笑顔でゆっくり、短く、具体的に優しい口調で話しかける」ことで解決するのかがやはり腑に落ちないところです。一般人を啓発してそれがある程度にでもできるのであればご家族が苦労されることもないように思えるし、そもそも障がいの特性や程度にもよると思うのですが...。 

 

 

・差別ってなんだろうなって最近ときどき思います。 

 

障碍者が公共の場で叫んでいいなら、誰でもみんな叫んでもいい? いいよという人はいないでしょう。やっぱりその間のどこかに線が引かれているのです。その線が「差別」なのかな? でも、その線がなければ、誰もがみんな叫んでいいか、誰ひとり叫んではいけないかのどっちかじゃないと理屈に合わない。 

 

現実は理屈で割り切れないし、誰もが叫びだすなんてありえないけど、目の前で叫びだした人が、障碍者なのか、叫びたいだけの人なのか、それとも薬物とかなんかヤバい人なのかは第三者には区別できないから、距離を置いたり身構えたりするのは仕方ないと思う。 

 

でも、我が子にそういう障碍があったりしたら、やっぱり悲しいだろうな。 

 

 

・気の毒かもしれないが、それが障がい者の現実だろう。求めるものでも義務感にかられる必要も無く、ただその時点の方々の対応が周りを不快にしなければ良いわけで柳のような対応で良いのでは?助けたい人、無関心な人がいて当たり前。ただ、暴言や偏見、暴力などは周りを不快にしますね。それ以外はなんでもOK。好きにして良き。 

 

 

・「笑顔でゆっくり、短く、具体的に優しい口調で話しかける」よう求めている。 

 

これ、人によっては興奮材料。簡略化した絵や文字、ステッカーや写真を指差しで示した方が、伝わり易く興奮し難いと思う。 

タクシー会社でも、ヘルパー資格を取っている所もあるけど、乗務員育成の中で施設実習等して理解に務めてはどうだろう。 

 

「叫ぶ、走り回る、飛び跳ねる」 は、障害者だけでは無く、見た目が違うだけで親が放任、もしくは無関心の子も同様。 

 

こう言った事は、老人や障害者に留まらず、何時自身にも降り掛かるか判らない事だと思うよ。 

 

 

 

・電車やバスの中で1人で喋ってたり急に 

大声を出したりする人に遭遇したら 

近づいて来ないでと思ってしまう。 

「怖いから」この感覚は、皆同じだと思う。 

差別とかではなくて、何かされないか不安で怖いから声かけなんて難しい。 

声をかけても理解してもらえるかわからないし、遠巻きに見るしか出来ない。 

実際に何かされたりしている所を見た事はなく、きっと何の悪気もない行動なんだとは 

理解は出来るんですが。 

 

 

・ヘルプマークに、その人が持っている「特性」を表記していいと思う。 

そしたらある程度、こちらも身構えて対応できることがあると思う。 

 

自傷があって、失明するまで自分の目を叩き続けた人、コミュニケーションとして下半身を露出して相手の気を引く人、幻覚に悩まされてる人。たくさん見てきたけど、ぱっと見ではどんな症状かはわからない。 

 

 

・いやー、程度によっては補助の人付けて外出する方がお互いの安全の為にも良いと思う。 

 

自分の体験だが、障害者とヤバい人が衝突起こしそうになった場に居合わせた事がある。 

ヤバい人はトラブルで電車が止まると、車掌の謝罪放送に対してもの凄い大声で暴言を叫ぶ人だった。 

その人を避ける為に早い電車に乗るようにしたら、今度は独り言を呟き彷徨く人と一緒になったが、暴力暴言はないっぽいのでそのままその電車に乗っていた。 

ある日、ダイヤが乱れヤバい人が同じ電車に乗りこんで来た時、障害者の人に対してヤバい人が黙れと暴言を言い出した。たまたま次の駅で障害者の人が降りたので暴力雑多にはならなかったが、居合わせたこっちはヤバい人がいつ暴れるかヒヤヒヤしてたよ。 

 

上記のようなヤバい人はこういう理由で仕方ないって理屈が通らないから、ヤバい人からすぐ逃げる為にも補助の人は必ず付けた方が良いと自分は思う。 

 

 

・近所の中学生くらいの男の子が、時々大声を出しながら道路を小走りで走り回っています。その都度父親らしき人が後ろから追いかけています。大変だなと思う反面、小さい子にとっては怖いだろうなと思います。 

 

 

・怖がる気持ちも偏見も,生活圏での接点が希薄なら当然なくならないだろうし、また健常者側に関わり方を学び取るよう期待することも難しいと思う。 

ただ、知的障がいは普通自動車運転免許や原付免許の取得を困難にし得るため,自転車や公共交通機関で仕方なく通勤、生活する人は相対的に多い。 

そんな事情から、特別支援学校では自立支援の一環として公共交通機関の利用の仕方を引率指導しており、幼いうちは適応が困難でも,成長と共にトラブルを伴わずに利用できるようになる人も多い。 

確かに独語や随意運動、また不自然な視線や距離感、心理的な動揺などは年齢問わず特徴的だが、ヘルプカードを携帯する人は基本的に支援を必要としているので、あくまでも適切な距離をとりながら見守ってあげられたらと思う。 

 

 

・大声を出したり動き回ったりしてるのならもちろん見ちゃいますよ。こっちに来たらどうしようという思いも申し訳ありませんが持ってます。親は慣れていても普段接してない人からしたら怖いという思いを持つのも仕方がないと思います。うるさいと思ってみている人より驚いてみている人のほうが大半だと思います。 

 

 

・大声を出すというのはそれだけで他者を威嚇して萎縮させる、暴力的な行為なのですよ。 

DVだって大声で怒鳴るっていうのもあるし。 

 

見ず知らずの他人が、静かにするべき公共の場所で大声出してたらそれだけで恐怖心を抱くのは当たり前。 

 

こっちには、大声出すだけなのか、なにかあったら激昂して襲いかかってくるのかもわからないし。 

 

大変申し訳ないけど、1人で出てこないでほしい。 

 

 

・やはり壁はあるし、それを取り除くのは難しいです。自分とは違う、予想外の理解できない行動は受け入れるのはなかなか。 

理解とか受け入れるのには、そこまで寛容ではないです。必要なことなのでしょうが、難しいですね。 

 

 

・障害者に限らず、喋ってる人、体臭がきつい人、挙動が不審な人が近くに来れば嫌だし怖いので席や車両を移動する事は普通にある。それで差別なんて聞いた事も無い。 

実際に遭遇したら共生や、ましてや助けるのはちょっと厳しいかな。少なくとも他人であれば「避ける」事に関しては選択肢として全く問題無い、寧ろ最善だと思う。危害を加えたり、露骨な差別をされたならともなく視線までは責任持てない。 

事情があるとはいえ迷惑を掛けてるのは事実なんだから、そこは折り合いとして割り切って欲しい。 

 

 

・通勤するときに毎回最低でも3人は見かける。学校に特別クラスがあったから、そうなんだ、くらいの感じ。杖で角に追いやられたり、背中を叩かれたりといった経験もある。子どもの頃から見てきたから、そうなんだという感じ。会社で思い通りにいかず突然キレる人より受け入れられる。 

 

 

 

・申し訳ないけど 

知的の障害はコミュニケーションが取れないケースが多いばかりか支援者や家族でさえも手を焼いてる場面を目の当たりにしてる。 

更にはそれを理由に突然の興奮状態からの暴力行為や興味や好奇心からの性犯罪等がお咎め無しになる。 

 

軽度か重度がどれに当てはまるかわからないけど突然走ってきて大声上げながら突き飛ばされりゃ受け身も取れずに怪我するし誰でも恐怖でしかない。 

結局この件、警察が来たけど運が悪かったねって言われただけ。 

 

 

人として見れないし扱えない。 

 

 

・子供の頃、習い事のスイミングでいきなりプールサイドから突き落とされた事があります。普段から奇声を上げて暴れ回っている子だった。祖父が猛抗議してクラスを別々にしてもらったけど保護者からの謝罪は無し。 

自分は障害や特性の有無で差別をしてやろうなどとは思っていないが、他害の有無は普通に気になる。 

子供連れて外出している時は尚更。 

 

 

・跳ねたり走ったり、子供ならまだしも、大人の体格の人がやっていると怖いです。 

子供がまだ2、3歳の頃公園に団体でやってきた障害者のひとりが、声を出し売店のものをガチャガチャ倒し動き回っていて、とても怖かった。 

付き添いの人は若くて小さい女の人で、とてもじゃないけど制止もできておらず、対策もせずにこのような公共の場に連れ出すことに怒りさえ感じた。 

 

 

・身体的な障害を抱えている方の場合は理解と経験で何とかなるでしょうけど、知的の方の場合は難しいと思います。前に地下鉄駅に向かう階段で後ろから押されて命の危険を感じました。 

 

 

・他の人たちも言われていますが 

・怖い 

・障がい者かわからない 

・わからないから差別とは違うのでは 

 

車の運転なら初心者や身体障がい者、高齢ドライバーに合わせマークの義務がありますが 

人権や個人情報、それこそ差別になるとかで 

さまざま難しいです 

 

自分としては、 

・行動を静かに伺い、自分なりに判断し 

  静止もしくは可能であれば車両を移動 

かな 

 

 

・支援学校の近くのバス停で待っていたら、1人の先生に引率された数人の生徒が歩いてきました、中学生くらいの生徒が「こんにちは~」といいながら肩ををつかんで身体揺すられました、同じような服着てたクラスメイトと間違われたようで、先生が平謝りしてました。 

 

 

・昔、通勤時の電車内で隣に座ってきた男性と、そのお母さんらしき人。 

男性は明らかに落ち着きが無かったが、席を移動するほどのものではないと思っていた。 

そうすると、突然男性からビンタされた。遠慮なしの全力のやつで、鼓膜までキンキン。 

その向こうに座っていたお母さんからは、『あぁ、ごめんなさいねぇ』って。さすがにふざけんな!と思ったわ。 

それ以来、その手の人が居たら全力で避けている。 

これは差別ではない、自分を守るためです。 

怪我とかさせられたらたまったもんじゃない。 

 

 

・「まだまだだな」と私が思うのは、障がい児と健常児を近くで教育すべきだと思います。 

「見たことがない」「接したことがない」人は、どのように接して良いかが分からないからです。 

子供の時から、大人たちが「差別」をしているようなものです。 

境界線は、その時から生まれてしまうと私は考えます。 

バリアフリーとは、そこから始めなければ、社会は変わっていかないと思います。 

 

 

・いやいや、声をかけるなんて難しいですよ。 

理解を、と言っても 

「チンチソ」とか大声で言いながらドアをどんどん叩いている大人を見たら、誰だって引くでしょう。理解しろと言うのにはかなり無理があります。ましてやその場で支援を、と言われて出来る人はよほどのプロです。 

私だったら、知らん顔して距離を置いてしまいますね。 

 

 

・国に余裕があり、皆が余裕があるなら、皆で見守りましょうとかなるけど、いまの日本にはそのような余裕は無いのではないか。 

寛容寛容言うけど、寛容になれるのは余裕があるやつだけだよ 

寛容な社会にしたいなら、寛容になれるほど余裕のある社会にするんだね 

 

あと、絶対にそういう子供を普通学級とかにねじ込むなよ 

だいたいそれでひとりふたり、ソイツ役みたいなのが出来てしまい、大変な目に遭うだけだ、俺なんかみたいにな。 

 

 

 

・むか~し 

公園で 知的障害のおじさん?がよく年老いた母親と来てた。 

全力でブランコで遊んでる姿が印象的で今でも覚えてる。 

ある時、同級生の女の子がおじさんに追いかけられた。 

これが大問題になって、先生から○○公園で遊ぶの禁止された。 

(実際無視して遊んでたけどね) 

そのあと その親子は見かけなくなった。 

 

この記事をみてふと思い出した。 

公共交通機関はみんなの物。みんなが快適に利用するためのもの。 

身体障碍の場合は助けるけど(荷物もってあげたりとか)。 

知的障害の場合は難しいよね。 

跳ねたり、叫んだりするようなら 自家用車で使ってほしい。 

一緒に乗り合わせたら 一気に疲れそうだ。 

 

 

・綺麗ごとじゃすまないんだけれどね。 

認知症の祖母の介護で如何に綺麗ごとを言おうと現実は辛いし重たいんだと実感しただけにね。あれは病んでいっそ楽になりたいって思うもの。 

それよりもアクティブな知的系なおのこと想像を絶する苦労があるのだろうと思う 

 

 

・冷たい視線ではなく警戒してる、または怯えてる視線だよ 

障がい者の対応に慣れてる施設の職員や医療従事者でも初対面の障がい者にはどうだろうか 

近親者に障がい者がいる人も同様で、このタイプはこうしようなんて判断するのは難しいと思うよ 

叫ばれたり突き飛ばされたり、抱きつかれたり付きまとわれたり何が起きるか予想つかないんだから 

 

 

・逆に理解が進んだからこそ、避けているのだろう。障害の種類によるが、自閉症にしろ、脳性麻痺にしろ、何が原因でパニックになるか判らない。そうなれば危害を加えられることすらある。責任は問えない。ならば、避ける方が望ましい。 

 

 

・電車とかだと事前情報なしにいきなり遭遇するから、差別とかじゃなく周りの人はそりゃ怖いよね。 

ヘルプマークや、さらに「こういう障害でこういう行動をしてしまいます」と分かれば周りも多少は心の準備ができるんだけど。 

ヘルプマークがあまり普及してなかった頃、ガラガラに空いてた電車だったので頂き物のホールケーキを横に置いて座ってたら、奇声を上げながら走って乗ってきた男性がそのままの勢いでグシャっ!とケーキの上に着席。「空いてるのになんでいきなり私の真横に…?!」と一瞬の出来事に驚きと恐怖で動けなかったことがありました。もちろんケーキもグシャグシャ。後々考えてみればその人は知的障害か何かあって、私がケーキを置いていた場所にいつも必ず座るなどのこだわりがあったのかな?とも思いますが、結局真実は分からずじまいだし、泣き寝入りするしかなかったのでモヤモヤしました。 

 

 

・路線は書かないけど身長180超のいわゆるパワー系知○と半年に1回くらいの割合で遭遇する。一度は駅間の長い急行で窓の開け方が分からないことから怒り出して暴れ出したことがあり、自分はそっと隣の車両に移ったが、ドアや窓を叩いたり吊り革を大きく揺すったりして奇声を発していた。 

こんなのに警察を呼ばずに優しく対応しましょうなどと言われてもそりゃあ無理だわ。日本は障害者に対して異常に優しいから、もし知障に殺されても運が悪かったで済まされてしまう。 

やはりヤバいのは病院などの施設にしっかり入れておくのが一番いいと思う。 

 

 

・子どもの声や赤ん坊の泣き声は気にしないようにしている。国の宝、将来の日本を背負って頂く国民。 

意識的にすれば良い 

 

 

ただ障害者は難しいかも。。公共交通機関ではなく自家用自動車やタクシーみたいなのが良いのでは? 

 

 

・パニックという名のもと、殴られたり突き飛ばされりして大怪我させられたり亡くなった人もいるからね。 

普及啓発と言っても、パニックになる理由も程度も障害者によって様々。 

中途半端な知識で近づかない方がいいと思う。 

 

 

・大きな男の人に叫ばれたら怖いですよ。 

危害を加えられないか。 

そんなことしないっていうのは家族だから。 

初めて会った人が大声で暴れてたら怖いですよ。1人で外出させずに付き添いが必要では? 

 

 

・子育て、子づれ、老人、障碍者、いずれも社会弱者であり支援が必要です。 

なかでも、子供は社会発展の礎になるので最重要です。 

 

しかし、障碍者や老人の支援はそろそろいい加減にしないと、健常で働いて社会を維持しているものが疲れ果てます。もう限界に近いです。 

 

 

 

・心のバリアフリーというなら、養護学校とかやめてみんな同じ学校にしないとね、海外のように 

 

やっぱり、普段見ない人を見ると、注目してしまうのはある程度仕方がないよ 

 

 

・公共といっても、通勤通学の時間帯と他の時間帯で同じルールは現実的に不可能ですよね。 

こういうこと書く人って満員電車やバスがどれだけしんどいかピンときてないのでは。 

別に障害者に限らず、しんどい側が空いてる路線、空いてる時間を選ぶように生活変えないと。 

別にみんな差別心で冷たくしてんじゃないって。 

 

 

・私は愛する者に危害が加えられそうであったら躊躇いなく実力行使する。それが悪意ある犯罪行為か無意識の発作なのかは知ったことではない。 

 

 

・ハッキリ言って怖い。以前、背の高い障がい者に電車の中で肩を掴まれた。何を言っているのかさっぱり判らず、大勢の男の人に助けられた。理屈ではない。1人にさせないで。 

 

 

・最近は公共交通機関で題名のような子や大人はあまり見かけない。 

赤い札は分かりやすい。 

問題は交通機関、電車やバスの優先席に座る健常者の若者から大人が年配や子どもに全く譲らない。 

大股広げて座る男性の方が迷惑だ。 

一流高校や一流大学の通勤電車バスも優先席は譲らないから酷い。 

 

 

・何かあった時に責任能力がない人間には、責任能力をもつ人間と同じ権利はないと思っています。 

同じ権利を主張したいなら、同じ責任を負ってほしいです。 

 

 

・10年ぐらい前に錦糸町・亀戸・平井・新小岩駅辺りにおかしなおばちゃんがいた。 

ずっと独り言というか「あのバカ」だの「このバカ」だとと呟いている人がいて、ある日の朝に女性が絡まれていたから近づいたら「何だ?このチンピラ風情が。お前のような奴が日本を駄目にしてるんだぞ。」とか、何故だか一方的に罵られた。 

そのおばちゃんは上り電車に乗って行く人で私は下りの電車で通勤していて、下りは下りで養護学校の生徒さんらしき叫びながら電車内を走り回っている人がいたりしてカオスだった。 

男の私でも近づいてきたら身構えるんだから、女性だったら相当な恐怖を感じると思います。 

 

 

・娘が小学生の頃に精神障害の方が同級生の女の子の後をつけ回した事があって、先生、教頭と3人で取り押さえて警察に引渡した事があった。 

気の毒だけど話が通じる相手じゃ無いので、無理です。 

 

 

・挙動不審者の中には、若い女性の跡をつけたりするのもいるんですよ。 

 

それ自体は障碍とは何の関係もないけれど、おかしい行動をしていたら警戒するのが当たり前です。 

 

 

・以前テレビで同じようにチックの人を怖がらないでみたいな特集見たことあるが、そんなの知らないよ。電車乗ってていきなり刃物振り回して何もしてないのに刺される可能性のある時代。自分の身を守るために危険を察知して逃げるのの何が悪いの。 

あれこれあれこれ理解してばかりでうるさい。 

貴方等は私のことを何をじゃあ理解してくれんのよ? 

 

 

 

・・急に奇声を発し、走り回ったりしている人がいる。 

・自分の興味のある他人の物や公共物に触り、トラブルになる。 

 

上記のような場面に遭遇したとき、ハンドブックでは「笑顔でゆっくり、短く、具体的に優しい口調で話しかける」 

 

↑そうできたらいいのですが‥ 

無理です。怖いです。できないです。 

 

 

・健常者でも障がい者でも 

万一、犯罪行為を犯した場合に 

「責任能力無しなので無罪」と言うのは 

改正してもらいたいですね。 

 

 

・ハンドブックの認知度の低い事。 

折角作るんだったら中途半端で終わらずにしっかりと広めないとダメ。 

厳しい言い方ですが、 

ただのパフォーマンスにしか見えませんよ。 

 

 

・電車内を叫びながら物凄いスピードで走り回ってる等自分が危険と感じる障がい者の支援は無理。逆に何で一人で移動するのを許可してるのか分からない。 

 

 

・女性専用車両があるなら 

福祉車両的なのがあってもいいと思う 

所謂、優先座席のマークの人 

妊婦、怪我、年寄りと 

ベビーカーや車椅子や障害を持ってる人用の車両 

そしたら舌打ちとか睨まれたりしないやん 

 

 

・身体障害者と知的障害者のヘルプマークのデザインを変えて欲しい 

同じ括りでは無い 

身体障害者の方のお手伝いは出来ても、知的障害者の方のお手伝いは素人には難しい 

 

 

・理解理解と言うけれど理解したら受け入れて一方的に我慢すべき、理解した上で不快に思ったり距離を取ったりする事は許さないって態度は傲慢だと思うわ 

 

 

・厳しいですが他害をする可能性もあります。日頃対応している介護士でも対応苦慮して難しいのに一般人はさらにできないよね?って思いますよ。 

 

 

・申し訳ないけど「叫ぶ、走り回る、飛び跳ねる」はちょっとな・・・と思ってしまう。でも、親が常にそばにいて言い聞かせたりちゃんと対応してるならいいかな。 

 

 

・じゃあ聞くけど、記事にあるようなことをただの通りすがりの人がウチの子にしてた場合、親御は黙っててくれるのかな? 

こっちは騒ぎまくる当人も、だけど、嫌&怖いのは 

「ちょっとウチの子に何やってるんですかっ?!」て飛んで来る親御でもあるんだよね。 

 

 

 

 
 

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