( 141390 ) 2024/02/20 23:59:20 2 00 「286万円のダイヤ入りキー」でわかるバブルの申し子! 打倒セルシオを狙うも1代で消滅した「インフィニティQ45」という悲運の高級車WEB CARTOP 2/20(火) 13:10 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/1d132d9ada39e862d381965bbb6fa7609fa4dd9d |
( 141393 ) 2024/02/20 23:59:20 0 00 日産の高級ブランド部門として1989年11月に産声を上げたインフィニティQ45。これは、トヨタ・セルシオを追従する形で登場した高級セダンだったのだが、チャレンジした方向性が日本市場に合わず、ヒットしなかった。しかし、北米ではQ45の名前はその後も残った。
日本がバブル絶頂期の1989年、国産車からそれまでにない高級車が立て続けに発売された。その先駆けが、1989年10月9日に発売されたトヨタ・セルシオだ。北米市場をメインに展開するトヨタの高級車ブランド、レクサスではLSと呼ばれた高級サルーンであり、その車内の静かさは、世界の高級車を驚愕させたとともに、日本でのセルシオはクラウンを超える立ち位置にあり、バブル景気もあって大ヒット。それこそ若者でさえ、長期ローンで買い求めた時代でもあった。
【写真】インフィニティQ45の七宝焼エンブレム!
そしてもう1台、1989年11月8日に発売されたのが、日産自動車が北米での高級車部門としてスタートさせたインフィニティブランドのフラッグシップサルーン、インフィニティQ45であった。
国内ではインフィニティの七宝焼きのエンブレムが燦然と輝き、NISSANの表記は控え目に付けられていたものだ。
そんなインフィニティQ45は、当時の高級車の常識を覆すグリルレスのフロントセクションが特徴で、しかも内装にこれまた高級車のお約束でもある木目調パネルをいっさい使わず、日本の伝統工芸である漆塗りパネルを奢る、和のコンセプトとしていた。シート地にもウールやレザーがふんだんに使われ、車載工具にまで徹底的にこだわった1台だったのだ。
ボディサイズは全長5090×全幅1825×全高1430mm、ホイールベース2875mmと、セルシオよりやや大きい、北米市場を意識したプロポーションだ。パワーユニットはVH45DE、4.5リッターV8DOHC、280馬力+4速AT。駆動方式はFRの2WDであった。
バブル期を象徴するのは、520万~630万円の車両本体価格だけにとどまらず、18金のキー(52万円)やダイヤ入りキー(286万円)までもが用意されていたこと。
もちろん、高級車としての走行性能も一流で、キャビンまわりのピラーなどに高密度硬質発砲ウレタンの注入、主要スポット溶接部のスポットピッチ短縮化などを行ったほか、エンジンのアッセンブリーバランス取り、パワートレインの徹底した防振対策によって安全性・静粛性・品質へのこだわりを見せ、さらに出荷前に高速走行チェックを含む約40分の走行検査を全車に実施していたほどであった。
が、そうした日産の高級車への挑戦、Q45に対する熱意とは裏腹に、グリルレスのフロントフェイスはかなり独特で、少なくとも日本では賛否両論。デザイン的にも高級車然としていて、車内の静かさなどにも大きな特徴があったセルシオとほぼ同時発売というタイミングの悪さもあって、バブル期とはいえ高級車を買い求める保守的ユーザー層のウケはいまひとつ。
バブル崩壊とともに、日本市場においては1代限り、1997年に生産を終了することになる。これが1989年に勃発したレクサスVSインフィニティの結末ということだ。
というわけで、ハイソカーブームの火付け役ともなったバブル期の1988年1月に発売され、大ヒットした日産シーマやセルシオの影に隠れてしまった悲運の高級車がインフィニティQ45だったわけだ。とはいえ、北米市場では3・4代目シーマをベースにしたQ45が生き延びている。
もし、1989年にシーマのようにグリルレスデザインではない高級車然とした、保守派ユーザーにもなじめるフロントフェイスでQ45が日本国内で登場していたら、状況は変わっていたかも知れない。
もっとも、ハイソカー、デートカーとしてバブル期のタクシーやBMW3シリーズ(六本木のカローラ)などで大混雑した東京・六本木の道でブイブイ走り、停めるには、シーマのボディサイズ(全長4890×全幅1770×全高1380mm)で、フロントグリルがあって高級車らしく見えるほうが適切だったともいえたりして……。
青山尚暉
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( 141392 ) 2024/02/20 23:59:20 1 00 この文書は、インフィニティQ45に関するさまざまな意見や経験が述べられています。
多くの人がセルシオや他の競合車種との比較を通じて、インフィニティQ45の魅力や欠点について議論しています。
一部のコメントでは、日本の自動車産業や日産の戦略、バブル期の状況などが触れられており、その当時の雰囲気や市場動向もうかがえます。
全体を通して、インフィニティQ45に関する個々の体験や意見が豊富に共有されており、当時の車づくりや自動車市場の一端を垣間見ることができる内容となっています。
(まとめ) | ( 141394 ) 2024/02/20 23:59:20 0 00 ・グリルレスだけじゃなく コストの掛け方がトンチンカンだった。 シーマの成功が無ければ もっとまともなクルマになったはず
80年代に入ってから 左寄りの日産労組が力を持ち始め 経営と対立するようになってから 車作りもおかしくなった。
デザインも 変に頑なで 直線基調のペキペキボディばかりを作ったかと 思えば垂れ下がった尻下がりのトランクの レパードJフェリーやブルーバードで 迷走してました。
そして今の有り様。
・高級とは何かを学ばせる為に開発責任者を海外の高級ホテルで半年暮らさせて出て来た車がグリルレスで七宝焼きや漆塗り、頻繁に故障するアクティブサスペンション。全長は長いのに短いトランクなどバランスの悪いプロポーション。901運動の成果か山道でのハンドリングは良かったが、こういう車を買う人がスポーツカーのような走らせ方をする訳もなく、保守的セレブリティの嗜好を完全に見誤っていた。ミニバンの嚆矢となった初代プレーリーなど優れた商品を開発する人材はいても経営陣が活かせない日産の体質は変わらなかった。この10年後には2兆円を超える有利子負債を背負い込んでルノーへ身売りすることになる。
・一時期乗ってました。セルシオのほうが圧倒的に優秀だったけど、厚みのあるボディの質感は悪くなかった気がする… ただ、この車は古くなると薄いラバーで覆われたインパネやスイッチ廻りの劣化がひどく、表面のベタベタがどうにもならなかったのと、アクティブサスが壊れたら修理代が最悪で、最後はコイルサスに変えて乗っていました。革のシートもめちゃくちゃ固かった気がする…
・私が若くラリーを齧ってたころ、父がV8クラウンからセルシオに乗り換えました。納車は私が引き取りに行きましたがトヨタの構内から幹線道路に出るまでの僅かな距離で、これは物が違うと感じました。
インフィニティですか。 ボディーは緩い、ダンピング不足、ブッシュはブカブカ、そんな印象しかないです。 記事にあるような対処療法でなんとか仕立てたもんかなって思います。
・車の性能も、セルシオに比べたら雲泥の差だったとか。アクティブサスペンションもあまり機能せず、車の基本、走る曲がる止まるが全然だめだったらしいね。でも、私はそれなりにいい車だと思っている。
・前期はグリルレスでオーバーヒート多かったとか、、プレセアはオーバーヒート聞いたことないんだけどな。 後期のグリルってインパルのグリル見てからデザインした(笑)?とか当時は思ったけど、日産がそんなことするわけないわね。 それよりデザインはよいのにボンネットダンパーヘタってるとボンネット閉めるときにくの字に曲がるとかユーザーはそういうネガティブな情報に左右されると思います、、 VHだけでなくVGやRBのターボ載せた低級グレード作ればシーマやセドグロみたいになったのに、、って思ったけど高級車に低級グレードとかダレトクってやつですね。
・父親が乗っていたのを借りて走りましたがアクセルを床まで踏むと猛烈な勢いで加速しましたその時に聞こえるV8のクォーンって吹け上がる音が凄く印象的でした グリルのない初期型は内装はシンプルで良かったけど高級な七宝焼きエンブレムとグリルのない顔は本当に残念です あの当時はでっかいフロントグリルが必須だったような気がします。
・日本人はお金儲けが良くないことのように言われてしまうのが美徳でもあり残念な点だったりします。もう少し好景気が続いてくれれば、伝説の名車も増えたんだろうなと思います。がんばれ日本。
・実はこの車のインパネ類の成形品にシルクスクリーン印刷を仕事でしてました。 流石に個性ありすぎで、プレジデント共通部品でしたが月々の受注は右肩下がり。 その当時の話題にもなったアクティブサスペンションもいまいち。 七宝焼のエンブレムといい、間違った個性を出してしまいましたね。 せっかくのシーマブームを沸かせた日産の負の遺産的インフィニティQ45。 その当時から、フロントデザインは失敗だと言われていました。 普通に高級グリルをデザインして万人受けを狙ったほうが正解でしたね。
・この車のデザインが駄目な理由は、これよりずっと安いフォードトーラスに似ているからです。デザイン力の無い日本、丸ごと海外に委託した方がまだましな物が出来るのではないですか。
・初代「セルシオ」は衝撃的でしたね。 叔父が71のチェイサーからセルシオに乗り換えたので乗せて貰ったけど、確かにこれが高級車だと思いましたよ。 「インフィニティQ45」はグリルレスでいまいち人気が出なかったけど、同じボディーにグリルを着けた「プレジデント」はカッコ良かったけどね。 バブル期に開発されたクルマはどれもカッコ良かったし、欲しいと思うオーラを持っていたけど、それ以降に開発されたクルマは、年々コストカットの嵐で、値段の割にしょぼく下品になっていったよな。
・今見てもカッコいいと思うし好きだな、これ系のプレジデントとか。 当時の高級車にケンカ売ってたんでないでしょうか。がんばってグリルをデザインしてもパルテノンや腎臓みたいな歴史も格もないんだから、どうぜグリルなんて無くてもイイんだし日本の伝統工芸貼り付けちまえ、ってな。外装デザインもなんとなく入母屋破風みたいな雰囲気を感じたり。 中身だって、欧州の高級車がシングルカム主流だったとこに4バルブDOHCぶち込み、アクティブサスやらハイテク装備のハンドリングセダンにしちゃって。 正解かどうかは知らんが、そういうの好き。
・昔も今でも大好きな車です。 セルシオ、NSXとともに日本から世界に挑戦した歴史ある車。 グリルがなくてあの七宝焼エンブレムが美しい。リアエンブレムもオプションで発光してみたり、純正工具もカッコいいし、トランクにつけるテレビアンテナも素敵だった。 インパラのハッタリグリルは無理でした。 意味がないのにグリルをつけた後期がなんとも虚しい記憶です。 当時の技術の日産の技術を詰め込んだスペシャリティセダン。後のプレジデントにうけつがれ、Q45の名前はシーマ(Y33から)に受け継がれましたが、当時の31シーマよりもドキドキした憧れの車です。
・デザインの好き嫌いはあるだろうけど発売当時に運転をした友人は「セルシオよりこっちが良い」と絶賛していましたね。 残念ながら自分は仕事関係でQ45ベースのプレジデントの後部座席に乗った事はあるけど自分で運転した事が無いんですよね。 個人的な好みだとプレジデントはカッコ良いと思ってましたよ。 あの当時の日産ってレパードJフェリーもそうだけど変にトヨタを意識して真逆の個性を出そうとしたのかもしれないけど好きな物を好きなように作れば良かったのにって思いましたね。 車を選ぶ要素でデザインってめちゃくちゃ大きいと思う。 90年代からの迷走と低迷はそこでしょ。 GT−Rの例えを出すまでもなく技術は世界トップレベルなのに勿体無いですよね。 あの時代の迷走が無ければインチキ臭いコストカッターを招き入れたりする事もなくシルビアやパルサーみたいな若者向けの車も消える事が無かったのかなって思うと残念ですね。
・前期2台・後期バネサス乗ってました。 走りは楽しい車でしたが、前期2台はアクティブ故障・サンルーフ故障・BOSEサウンドのアンプが各スピーカーにあり次々と音が出なくなる などなど故障続きでした。 後期はノントラブルで良い車でしたよ。
その後はUCF20の後期Bユーロに買い替えましたが内装の質感はG50の方が良かった。
・発売後、20歳の友人が購入したのを思い出します。初めて乗せてもらった時の衝撃は鮮明 に記憶にあり、第一が乗り心地️ 後部座席にあえて乗りましたが走行中の フワフワ感️確かサスペンションが 油圧アクティブだったような 今でも忘れません。
・Q45インパル仕様で乗ってました。 パワーはあるし、アクティブサスはカープでロールせずに安定して曲がっていき、走りはそこそこ良かった記憶が。 ただ、ボディの色の設定が日光が強い米国向けだった為に、日光が弱い日本では輝きが弱くくすんだパールにしか見えなかったのが残念。 ベンツのS560の方が良かったかな。
・この車たまに見かけますが独特のオーラがあり2度見してしまいます!ただ当時は個性的すぎたのとセルシオと比較すると完成度が全然違ってたので完敗でしたね。 このインフィニティの兄貴分のプレジデントは立派なフロントグリルで凄い高級感があり近寄りがたい存在のおかたが好んで乗ってましたね(笑) 286万円のダイヤキーはプレジデントのオプションじゃなかったですかね?
・今見るとそんなに悪くないのだけどね。 今の車の顔より私はよっぽど良いと。 全体のバランスも良いですよ。当時は同じデザインのモデルチェンジしたプレジデントの方が好きだったけどね。 当時、オヤジ好みのメッキ装飾のグリルをいきなり無くすから拒否されたんですよ。発表された時のこりゃ無い感はホントヤバかった。 さらに後から取って付けた小さいグリルが哀愁を誘っちゃうし。どうせ冒険するならY32のグラツーや、ジャガーみたいに丸目四灯で最初に出せば良かったんじゃない?
・あまり触れられないが、セルシオとインフィニティQ45の両車に何故か共通したアイテムがあった。 それは、ドアガラス。どちらもその頃のアウディが採用していた空力に有利なのか、ドアガラスの支持剛性確保なのか、どちらにもそれが取り込まれていたのは面白い。 因みに、これ以外ではやはりその頃のカペラにも採用されてたよなあ。 結局このタイプのウィンドウガラスは今は見かけないので、不思議ではある。
・懐かしいですね。 アラフィフです。 個人的に昭和から平成の時代にいい車だなぁと思ったのがソアラ、ユーノスコスモ、そしてこのインフィニティとシーマそしてセルシオ。 バブル絶頂期の車でしたね。 所有したことはありませんが憧れでした。
・デザインで損した車かな、漆、七宝焼の作り込みや+500ccの排気量、アクティブサスでQ45の方が高そうに見えたし。 車載工具も専用の箱にインフィニティのロゴがスパナとかに刻印されてて金かかってんなぁと思った。
セルシオは高級感あったけどQ45は高級だったと思う。 当時はV8の4リッターのクラウンもあったしね。 シーマがバカ売れしたから日産も期待したでしょうけどグリルがないと売れないのは今も変わらないですね。
・Q45を所有していた方はほとんどいないだろうから仕方がないが内装の作りや本革の質、ボディ合成はセルシオ20よりも間違い無く上でしたね。 残念ながらハンドルの切角や運転しやすはセルシオ20の方が断然に上でした。 結局は当時のベンツ(W140)が最上で最高の車でしたね。高速走行の安定性・静粛性では今の車でも勝てないでしょ。
・平成1ケタの頃で詳細忘れましたがこの車(たしかエアサス仕様)の中古がべらぼうに安く売られており冷やかし半分でお店に問い合わせたら、お店のオヤジさんがめんどくさそうに故障多いし税金高いからおすすめしないよと言われ、別に展示してあったローレルのディーゼルを勧められたのを思い出しました。
・その当時、街中にはセルシオが圧倒的に 走って見掛けたものだが、 インフィニティQ45はまず見たことが ほとんど無かった。すごく話題性が あったクルマだけにもったいないな。 だが中古車市場では人気があり また高価になっている。 タマ数がなく希少だから余計に必然的に そうなるのだろうな。
・マイナーチェンジでグリル装着しているもののダミーでアフターパーツを購入した方が高級感、スポーティー度は上だった。 プレジデントグリル流用したヤン車が似非VIP気取りで爆音、メッキホイール、フルスモークで悪目立ちしてたな。 セルシオに唯一勝っていたのは欧米諸国の映画登場回数の多さ。 ハリソン·フォード主演「今そこにある危機」の麻薬カルテル乗っ取りを目論んだ人物のような犯罪組織の幹部クラスにストリートギャングのボス等々悪役の車での存在感はピカイチ。 アクティブサスペンションは硬めでBMW7シリーズに匹敵する走行性能を秘めていたのは901運動の副産物というのも皮肉ですよね…。
・確かサニーベースでプレセアって車がありましたが、こちらも似たような感じでグリルレスから始まり、二代目でしっかりグリルを付けて登場させてましたね。 値段は全く違ってもグリルレスにすると自然と顔つきが似てきますね。
・当時を思い出すと、高級ってそういう事じゃないんだよなーってほとんどの人が思ってたんじゃないかな。横幅を大きくすればそれなりに迫力あって人気も出たんじゃないかと思うけど、とにかく当時の日産は車長ばかり長くてセルシオなんかと比べると細長くてヒョロっとしてた。内装にもこだわりがあったみたいだけど高いサニーに乗ってるみたいで何の感動もなかった。今だったら変なクルマとして逆に乗りたい気分にはなるけど、そういうところが日産の悪いとこだよなってしみじみ思った。
・外装と内装が気に入り後期のバネサスの中古が60万ぐらいの時に購入しましたが乗ってみるとバネサスだからか乗り心地はあまりよくない、これでも高級車かと思うた。古かったのでやさしく運転してたのでスポーティといわれてたせいのうも実感しなかったしエンジンもでかいから税金も高いしセダンだから荷物もあまり乗らないし、ちょと購入失敗したなという経験があります。
・不人気だった事もあり中古車市場では物凄い安値で取引されていたので、20歳代だったにも関わらず購入した初めての高級車だったけれど、走らなくなる事は無かったものの、とにかく故障が多かったなぁ。
・グリルレスと言ってるけど、後期は、格好良いグリルだったよね。 それとインパルのグリルも格好良かったよね。 しかも、2年遅れでプレジデントが出て爆発的に売れたと思うから、グリルレスが原因では無いと思うのだが。
・インテリアはQ45の方が好みだったがセルシオのエアサスが絶品な乗り心地だった為にセルシオを購入した昔の話。今の高級車とは全く違う柔らかな乗り心地の車が今ではなくなってしまったね。
・当初は、グリルレスの高級車もアリだと思い、コンサバなセルシオよりもQ45を推していたが、見慣れて来ると、セルシオの方が良い様に思えて来て………。 で、現在、クラウンがとんでもない顔付きになっていることを考えると、Q45の顔は早過ぎたのかな?
・自動車整備の専門学校に通っている時の実習で、ストールテスト(Dレンジでブレーキを踏んでアクセルを全開に踏む)という点検をする時に先生がおっしゃいました…
「この点検をしてはいけない車種がある…それはインフィニティQ45と日産プレジデントだ!」 ブレーキ性能にエンジン出力が勝ってしまい、発進してしまうかATが破損するそうです… 車の修理に携わって20数年…1度も試した事はありませんが… いや…Q45を修理で扱った事がないです…
・日産の高級車ってなぜか残念なデザインが多いんだよな~。
最近はパーツの流用なのか、車種が違うのに似すぎたデザインが多くて訳がわからない。
ノートと車種名忘れたけど、近寄ってエンブレム見ないとわからない。 フーガとスカイラインも似てきたし、魅力がある車が全然無いのはデザイナーが悪いのかな?
昔はパオやフィガロなど遊び心があったけど、色々制約が多いのかな?
ダイハツ、トヨタも不正しまくっているし昔の車が懐かしい。
昭和のおじさんには昔の車のデザインで今の基準に合わせたそのままの車が出たら迷わず買うかも?
今の車は単なる移動手段でしかないかも。
・某ディーラーセールスマンの時に会長に新型セルシオを納車し、下取りを常務の自宅へ納車してくれと言われて25万㎞乗ったセルシオを入れ替えました。その際に孫取りの10万㎞少し乗ったインフィニティーを戴きました。道中、セルシオで子供を塾に送って帰りにインフィニティーで迎えに行きました。 その時の子供中3の子供が発した言葉が今も忘れられません。「さっきのと似てるけど、この車は酔う」と。何も知らない子供でも違いが解るくらい車の質は違ってしたね。
・今思えばかっこよかったと思うけどなぁ。 あの時代のクルマはホントにどれもかっこいい。それに引き換え、今のクルマはやけにスタイリッシュというか、個性がなくて、あまり心を惹かれない。
・シーマで成功した日産は1988年〜89年をピークに衰退を始めていく。90年代は二代目シーマ、スカイライン、ローレル、シルビア、セドグロの不審と続き後にルノー買収へと続くが、なぜこれほど世間の要求に背を向けた車づくりになったのか、NHKでも特集して欲しいくらい。 初代エルグラの登場までまさに冬の時代でしたね。本社が銀座で、夜遊びが原因だと言う人もいたけどね。
・当時アメリカ人も首振る燃費の悪さだったような気がします。グリルも高級車イコールデカグリルみたいなイメージがあり確かにグリルレスは安っぽい感じはしましたね。 日本は排気量で自動車税が決まるので3000ccくらいで納めておかないと手を出しづらいっていうのもあったかな。
・おぞましいグリルレスの不細工顔を薄める為に大衆量販車のグリルレスプレセアを出したり、マイナーチェンジで小さいグリルをつけたり、色々動いたけど、最初のデザインがなってないのよ。でも記事では1代で終わったって書いてあるけど、シーマベースのインフィニティQよいちを何代が売っていたよね。
・中古でシーマかQ45を探したが、 ヤン車ノーマル戻しが多く、 状態が悪く諦めたなぁ、 あとあと手間がかかるのはダメだったから諦めた。
結局女性1オーナー車のフルノーマルV8クラウンを買った。 オイル上がりで廃車になるまで乗ったが、 最後は輸出されたそうです。
・Q45後期のグリル付きは良かったぞ この頃の車は後期のほうが人気だった セルシオもクラウンもプレジも色んな高級車があったが後期になるとライト周りが大きく変わって乗り換えてた
・これに乗った事がある。一番印象に残ったのは油圧アクティブサスペンションのおかげでロールしない。で、それがどうしたと言うのが感想。ロールしたら危ないという危機感が無い。タイヤが無限大に滑らないなら有りかな。
・当時の日産が米国で好調だったかどうか記憶に無いが、デビューした瞬間に日本じゃ無理だと思った。 グリルレスも弱点として大きいが、全体のデザイン自体がインパクトに欠けて地味に見えた。
一時期流行ってたVIPカーのジャンルでも不人気だったのでは?
・アクティブサスの故障が多かったぁ オイルは黄緑色でポタポタ漏ってたなぁ でも乗り心地は凄く良かった。燃費は悪いけど プレジデントの外装違う車トいう印象
・18歳の時に3年落ちの中古をローンで買いました!後期モデルですが。任意保険料がめちゃくちゃ高かったですね。アナログの時計が気に入ってました。トランクにCDチェンジャーが付いていて当時は便利だと思ってましたよ笑
・インフィニティQ45は、一代で終わらせたのも一つの原因 まだまだセルシオに対抗出来たはず なのに何故か負け認め外国のみで販売した結果が日産破綻でルノー傘下で今もルノーの言いなり セドリックやグロリア復活させないと日産の未来無し シマーもダサいデザインになって失敗 ゼセドリックやグロリア廃止でまたまつ失態 これでは、日産の未来無しこの先ルノーの傘下そのうち乗っ取られるね 今現在力入れてる車種ほとんどが、eパワーの小型車のみ高級路線には、一切開発してないエルグランドも昔のまま放置 今年出してももう手遅れだ エルグランド初代の人気は、出ないと思うもう日産の名前無くしたら??やる気ない日産だろ やっちゃえ日産ではなく やる無し日産だよ 国民誰もがおもってるよ
・クラウン対セドリック ソアラ対レパード セルシオ対インフィニティ
高級車の分野では日産はトヨタにかなわない。 工作精度や塗装品質は明らかにトヨタの方が上である。 日産は高級車は諦めて、スカイラインやフェアレディZ等のスポーツカーや 大衆車で勝負をした方がいい。
・これが出る前に、トヨタ日産シーマに歯ぎしりって言われてて、トヨタを本気にさせた結果セルシオが生まれた。セルシオはエンジンかかってるのに、またキーを回してしまうほど静かだった
・やはり昔の車は、全幅が小さいよね
走行安定性や直線性を意識して1850mm以上とる車が多いが、日本の道や速度制限を考えれば、1800m以下で充分なのがわかるよ
・友人の兄弟がレクサスとインフィニティ発売直ぐに購入し乗ってたんだよね 高速だとインフィニティの方が安定し良かったけど軍配はレクサスに上がったがインフィニティはプレジデントと名前を変えて販売されてたでしょ
・俺もこれ乗ってた、アクティブサス壊れて100万スピーカー壊れて80万、金かかったけど良い車でしたセルシオより良い車です、本革の香りが独特で好きだったな。
・セルシオに比べ不人気だった故、買い取り価格低迷、結果中古車屋には程度の良い格安のQ45が大量に出回りそれ等を下品に改造し乗り回したり、いかにも反社と言った輩が乗り回すことでブランドも地に堕ちた、っていうかクラウンに対抗していたセドグロもインフィニティと同じ理由で「輩」に好まれていた日産の失敗は中古車の価格をコントロールできなかった事、損をしてでも高級車の中古での値段をコントロールしないといけなかった、一旦地に堕ちたブランド価値はそう簡単に取り戻せないからな
・アメリカを意識するとほとんどが売れない。 レパードJフェリー、U13ブルーバード、NXクーペ等。北米のデザインを採用したけど売れず。
ソアラも3代目になってアメリカを意識したのか?失敗でしたね。
・日産の独りよがりのものづくりの悪いところが出た。技術はあっても企画力やマカーティング力が無ければ勝てない。逆に企画力がなくてもマーケティング力がずば抜けてたから世界一になれたメーカーもある。
・当時の2時間テレビドラマで人気のあった 「名古屋嫁入り物語」では、 スポンサーが日産だった為、 名古屋での嫁入り道具として、この 「インフィニティQ45」を見せびらかすと言う 「暴挙」をやってました。 父親役の植木等さんが 「インフィニティだぎゃあ!」 と、最高級車として近所に見せびらかすのですが、 名古屋圏で日産車は有り得ません。 いくらスポンサーの都合とは言え、名古屋で トヨタ車以外を見せびらかすなんて、 やっぱり名古屋人の実情を知らない 東京人の発想なんだなぁとしみじみ思いました。 まあ、当時の名古屋なら、国産の最高級車は セルシオ以外には有り得ませんでした。
・286万だして車体価格の半分の値段するキーを作るのか(笑
当時の雑誌ではQ45かセルシオか なんてやたらと載ってたものの イザ発売されたらセルシオの圧勝。
「ジャパン・オリジナル」 のコンセプトの元 七宝焼きのエンブレムやオプションで漆塗りに金粉まぶした「KOKONインスト」なんていうパネルを出したりと徹底的に和のテイストを入れてアピールしたものの、細部まで徹底的に源流対策を行ったセルシオの壁はさすがに高かった訳で…(汗)
・「七宝焼」エンブレムのアレですな。 当事はグリルレスデザインがやはり敗因、言われてた。 エクステリアイメージは「現象」とまで言われ大ヒットしたシーマと類似していたし、シーマ市場に波風を立てる覚悟が当事の日産に有ったならもう少し「語り草」になった車だろう。 一時代後の中古車市場ではセンティア/MS9と同価格帯でかなり購入寸前まで行ったけど、結局グリルレスがネックでMS9買った(笑)
・>もっとも、ハイソカー、デートカーとしてバブル期のタクシーやBMW3シリーズ(六本木のカローラ)などで大混雑した東京・六本木の道でブイブイ走り、停めるには、シーマのボディサイズ(全長4890×全幅1770×全高1380mm)で、フロントグリルがあって高級車らしく見えるほうが適切だったともいえたりして……。
セルシオを買ったユーザーに選んだ理由を聞いたら「こっちの方がベンツみたいでカッコいい」だったっていう、当時の逸話。
・当時高級車で斬新なグリルレス。でも売れずに日和ってマイナーでグリル付きに。結果カッコよくなったけど、当時購買層のオヤジ世代はセルシオだったな。
・1度だけ助手席に座らせてもらったのですがスピードを体感させない乗り心地で高級車のスゴさを教えて貰えました。 燃費は悪いらしいのですが、ガソリン代を気にする人が乗る車ではありませんよね。
・初代はデザインでコケたのが 余りにも痛かった。 触れ込みの1つのアクティブサスも 評論家から酷評されるなど セルシオに水を開けられた。 その後はFY33シーマと統合する形 になってしまった。
・学生時代がバブル期で、六本木で交通量調査のアルバイトをしたことがあるけど、確かに夜になるとBMWかタクシーくらいしかみなくなった異様な光景。
・> グリルレスのフロントフェイスはかなり独特で、少なくとも日本では賛否両論。
グリルレスだけでは無いと思うが、大きな敗因だったと思う。 当時は高級(セダン)車においては、やはりグリルが必要だったのかと…
・インフィニティかぁ…。 バブル絶頂期、さもない町工場で働いていた友人は『社用車』として1人1台あてがわれ、完全に私用として乗り回していた。 セルシオじゃないことに文句タラタラでしたが…。 夢のような時代でしたね
・昔しりあが乗っていて、リアにフィルムを貼ってほしいと言われ、家まで乗った事があるけと、さすがパワフルな車だと思いましたね。記憶的にはそれくらいで後の記憶は全く(;^ω^)
・映画 極道の女たち でも岩下志麻さんがインフィニティに乗り込むシーンがたびたびあったよね。 なんか 後席低くて圧迫感ありそうに見えて、あの当時の高級車って路線は違和感あった。
・日産が良かったのは初代シーマまで、それまでの3ナンバー車は5ナンバー車のボディーでバンパーだけを出しただけの規格でシーマが初めて3ナンバー車規格のボディーで大ヒットした。それ以降バブルもともない大型車の競争になりセルシオを出したトヨタの1人勝ちでその弟分のマークII、クレスタ、チェイサーもバカ売れした。
・グリルレスなんて、たまにあちこちで登場するよね、、日産に関わらず。 スカイラインの鉄仮面や八代目のもグリル無いでしょ。受け入れられないとかならスカイラインも消えたのかな、、いや、あるよね。 (それとも隙間の横長の吸気穴があればグリルと呼べるのかな?いや、あれはグリルありだ!と)
・プレジデントはカッコ良かった。Q45はオーナーカーとしての位置付けだと思うが、意外とプレジデントがオーナーカーとして選ばれたように思います。
・インフィニティQ45が売れなかったのは、プレジデントとのキャラの違いが殆ど無かった事。
一方セルシオは、クラウンともマジェスタともセンチュリーとも違うキャラを持ってたから。
・セルシオに負けじとだした 日産のエアサス アクティブサス… これがヘタりはしないがすぐ壊れる 当時日産の営業も欠陥箇所だとは言っていた。 個人的にはスタイリッシュでカッコよくて好きだったけど^^;
・グリルが無いからノッペリとした印象だから売れなかったんだと思う。もしかして後で出たプレジデントの方が売れたんじゃないか?初めからプレジデント顔にしてたら倍以上は売れた筈。
・トヨタVS日産の熱い時期でしたね。CMは殆んど車の物ばかり 土日はどこの販売店も鳴り物入りのお祭り気分 今もこれくらい盛り上がればいいのに。時代は変わりました。
・プレジデントは凄くカッコ良いと思ったから グリルあれば全然イメージ違うんだけどね 走りや内装よりは、まず外見から選ぶからなぁ
・これ乗ってた! 燃費超ワルかった記憶、当時ベンツのS500に乗り換えて燃費良くなったと感じたなー️ 燃費ひどかったのはユーノスコスモ3ローター! シーマの3Lターボもやばかった… 懐かしい記憶️
・グリルレスが嫌な人には実はプレジデントJSという選択肢もあったんです。インフィニQ45とほぼ同じですよ。この頃までがトヨタと日産のセダン全面対決時代でしたねぇ、セルシオVSインフィニティ・Q45、(クラウン)マジェスタVS(セド・グロ)シーマ、クラウンVSセドリック&グロリア。
・エンジンはパワフルで良いが肝心のデザインが日本受けしない車だったな、それにサイズもデカすぎた。まだBM3か5シリーズのが良かったし、セルシオにしたのが固かったな、日産が没落して変になりだした時の車だろな。
・同じボディでプレジデントもあったけど、これをインフィニティQ45で売ればもっと売れたと思う。プレジは独特の雰囲気あって良かった。 日産はいつもちょっとズレてる。
・後期のグリルあるインフィニティは かっこ良かったなぁ 中古で買う寸前まで行ったけど 当時の彼女に猛反対されてなくなく やめたけど もう27年前の話だけど
・イチローも乗ってたな。 球場から寮までの道のり約700メートルを かっ飛ばしてました。 まぁ、「いちろ日産」の関係で、 乗らざるを得なかったと思うけど。
・日産のフラッグシップに関して、あのデザインでGOを出してしまう組織ってどうなのか? Z32やS13、P10、R32をデザインした同じメーカーの仕事とは思えない。
・>というわけで、ハイソカーブームの火付け役ともなったバブル期の1988年1月に発売され、大ヒットした日産シーマやセルシオの影に隠れてしまった悲運の高級車がインフィニティQ45だったわけだ。
ハイソカーってGX71とかその辺りで、セルシオとかハイソカーってイメージ無いんだけど
・デザインもだが車名もよくないと思った 日本には専用の車名を付けて欲しかった。 当時、何て覚えにくくて喋りにくい車名だと思った。
・プレジデントの顔でサイズもセルシオのサイズで売り出していたら結果は違ったかも。 ただ同時としては全長5m越えでは使い勝手もわるい。
・車両本体より、オプションにあった世界初のフルアクティブサスペンションの方が評価が高かったですね。
・高校の同級生の家の車がインフィニティで、のせてもらったとき、CDチェンジャーがついていたり、自動車電話がつけていたのが衝撃的だったな
・グリルの有無以前に見てくれのバランスが悪い。 走りは走らせないとわからないけど、見た目は大切だよ。
・オリックス時代のイチロー選手が乗っててスポーツニュースかなんかで乗ってる所をたまたま日産関係者が観て日産とのCM契約とかが決まったって当時噂になったな~
・今と物価が違うとはいえ、このクラスの車が600万で買えちゃうなんて安いですね。 輸入車はそれなりに高かったでしょうけど。 今作ったら倍ぐらいかな?
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