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1989年11月に登場した日産の高級車ブランド、インフィニティQ45は、日本市場での成功を収められず、バブル崩壊とともに生産終了となった。

一方、北米ではQ45はその後も生産され続けている。

Q45はグリルレスのデザインや和のコンセプトを取り入れた高級車で、当時の高級車の常識に挑戦した。

バブル期の高級車市場でレクサスとの競争が激化した中で、インフィニティQ45は日本市場での存在感を築くことができなかった。

(要約)

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日産の高級ブランド部門として1989年11月に産声を上げたインフィニティQ45。これは、トヨタ・セルシオを追従する形で登場した高級セダンだったのだが、チャレンジした方向性が日本市場に合わず、ヒットしなかった。しかし、北米ではQ45の名前はその後も残った。 

 

 日本がバブル絶頂期の1989年、国産車からそれまでにない高級車が立て続けに発売された。その先駆けが、1989年10月9日に発売されたトヨタ・セルシオだ。北米市場をメインに展開するトヨタの高級車ブランド、レクサスではLSと呼ばれた高級サルーンであり、その車内の静かさは、世界の高級車を驚愕させたとともに、日本でのセルシオはクラウンを超える立ち位置にあり、バブル景気もあって大ヒット。それこそ若者でさえ、長期ローンで買い求めた時代でもあった。 

 

【写真】インフィニティQ45の七宝焼エンブレム! 

 

 そしてもう1台、1989年11月8日に発売されたのが、日産自動車が北米での高級車部門としてスタートさせたインフィニティブランドのフラッグシップサルーン、インフィニティQ45であった。 

 

 国内ではインフィニティの七宝焼きのエンブレムが燦然と輝き、NISSANの表記は控え目に付けられていたものだ。 

 

 そんなインフィニティQ45は、当時の高級車の常識を覆すグリルレスのフロントセクションが特徴で、しかも内装にこれまた高級車のお約束でもある木目調パネルをいっさい使わず、日本の伝統工芸である漆塗りパネルを奢る、和のコンセプトとしていた。シート地にもウールやレザーがふんだんに使われ、車載工具にまで徹底的にこだわった1台だったのだ。 

 

 ボディサイズは全長5090×全幅1825×全高1430mm、ホイールベース2875mmと、セルシオよりやや大きい、北米市場を意識したプロポーションだ。パワーユニットはVH45DE、4.5リッターV8DOHC、280馬力+4速AT。駆動方式はFRの2WDであった。 

 

 バブル期を象徴するのは、520万~630万円の車両本体価格だけにとどまらず、18金のキー(52万円)やダイヤ入りキー(286万円)までもが用意されていたこと。 

 

 もちろん、高級車としての走行性能も一流で、キャビンまわりのピラーなどに高密度硬質発砲ウレタンの注入、主要スポット溶接部のスポットピッチ短縮化などを行ったほか、エンジンのアッセンブリーバランス取り、パワートレインの徹底した防振対策によって安全性・静粛性・品質へのこだわりを見せ、さらに出荷前に高速走行チェックを含む約40分の走行検査を全車に実施していたほどであった。 

 

 が、そうした日産の高級車への挑戦、Q45に対する熱意とは裏腹に、グリルレスのフロントフェイスはかなり独特で、少なくとも日本では賛否両論。デザイン的にも高級車然としていて、車内の静かさなどにも大きな特徴があったセルシオとほぼ同時発売というタイミングの悪さもあって、バブル期とはいえ高級車を買い求める保守的ユーザー層のウケはいまひとつ。 

 

 バブル崩壊とともに、日本市場においては1代限り、1997年に生産を終了することになる。これが1989年に勃発したレクサスVSインフィニティの結末ということだ。 

 

 というわけで、ハイソカーブームの火付け役ともなったバブル期の1988年1月に発売され、大ヒットした日産シーマやセルシオの影に隠れてしまった悲運の高級車がインフィニティQ45だったわけだ。とはいえ、北米市場では3・4代目シーマをベースにしたQ45が生き延びている。 

 

 もし、1989年にシーマのようにグリルレスデザインではない高級車然とした、保守派ユーザーにもなじめるフロントフェイスでQ45が日本国内で登場していたら、状況は変わっていたかも知れない。 

 

 もっとも、ハイソカー、デートカーとしてバブル期のタクシーやBMW3シリーズ(六本木のカローラ)などで大混雑した東京・六本木の道でブイブイ走り、停めるには、シーマのボディサイズ(全長4890×全幅1770×全高1380mm)で、フロントグリルがあって高級車らしく見えるほうが適切だったともいえたりして……。 

 

青山尚暉 

 

 

 
 

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