( 142915 )  2024/02/25 15:00:00  
00

「6浪が理由で就活惨敗」追い詰められた彼の顛末 どん底だった20代、32歳で長年の夢をかなえた

東洋経済オンライン 2/25(日) 5:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/3c835e3c97bab03a630645b2c018e85ced18f74c

 

( 142916 )  2024/02/25 15:00:00  
00

海洋氏は6浪して私大の工学部に入学後、30歳で海洋系の大学に入学し、32歳で航海士になった経験を持つ。

彼は浪人生活を経て、年齢が就職でネックになり内定が取れなかったが、航海士になる夢を叶えた。

中学や高校時代にはバスケットボールに打ち込んでいたが、怪我や浪人生活で苦難が続き、最終的に夢を叶える過程が紹介された。

(要約)

( 142918 )  2024/02/25 15:00:00  
00

浪人や就活、さまざまな苦難を乗り越えた海洋さんの現在は。写真はイメージ(写真: bee / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は、6浪で私大の工学部に入学したあと、海洋系の大学に30歳で入学。32歳で航海士になった海洋さん(仮名)にお話を伺いました。 

 

【写真】海洋さんが32歳でかなえた夢 

 

著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 

 

■年齢が原因で内定取れず 

 

 多浪を経験した人が一度は気になるのが、「就活」の問題だと思います。 

 

 新卒一括採用の仕組みがまだ根強い日本企業では、年齢を重ねるほど、採用が不利になると言われています。今回お話を伺った海洋さん(仮名)も、6浪を経験した後の就職活動で、年齢が原因で内定が取れませんでした。 

 

 しかし彼はその絶望を乗り越えて、32歳で長年の夢であった航海士になるという夢をかなえました。 

 

 今回は、彼がどん底に陥った20代前半までの6年と、そのロスを取り戻すため猛烈に頑張った20代後半~30代前半にかけての8年について深掘ります。 

 

 海洋さんは東京都23区の下町に生まれました。 

 

 「両親は戦前生まれで、どちらも地方の出身者です。母は専業主婦で、父は大学進学とともに東京に出てきて、卒業後は有名電機メーカーで開発エンジニアとして定年まで働いていました」 

 

 父親は大企業に勤めていたものの、姉と兄が1人ずついたことで教育費がかかったこと、東京でマンションを購入して住宅ローンを抱えていたこともあり「すごく裕福だった感じはない」と語る海洋さんは、普通の公立小学校に通っていたそうです。 

 

 

 小学校時代の成績は、中学受験を経験した姉と兄には負けていたものの、男子20人のうちで3位と好成績だったようです。 

 

 小6で身長がすでに170cmあった海洋さんは、スポーツも万能。進学した公立中学校では、240人中10位以内と上位の成績をキープしながら、バスケットボールに打ち込む生活を送ります。 

 

 「荒れた学校だったのですが、人懐っこいところがあったためか、いびられることもなく、平穏に中学生活を送れました。中3のときには、周囲に推薦してもらって生徒会長になりましたし、バスケで高校の推薦ももらっていました」 

 

■MARCHの付属校からスカウトされたが… 

 

 海洋さんは中学2年春に身長181cm。周囲と比べてひときわ大きかった彼は、「伝説の巨人」と言われていたそうです。 

 

 その体型を武器に区のバスケ選抜に選ばれていた彼は、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の付属校からスカウトされ、「将来はバスケットボールで実業団に入ろう」と考えていたそうです。しかし、順風満帆だった彼の人生を左右する出来事が起こります。 

 

 「高校進学後のことも考えて、引退してからも部活に出続けていたのですが、夏休み明けに膝を大怪我して、松葉杖が必要になってしまったんです。それで、推薦先の学校の監督が来て、『中学のときに膝をやったらもう(選手生命が)ダメになるから、今回の話はなかったことにしてください』と言われました」 

 

 中学3年の2学期に入って早々、奈落の底に突き落とされた海洋さんは、慌てて高校受験向けの通信教育を開始しました。 

 

 「週の半分は徹夜しながら勉強した」という彼はひたすら暗記科目を詰め込み、生徒会長で内申点も高かったことから、学区内の都立進学校を受験して合格しました。自分の力で軌道修正を図った彼でしたが、またしても思わぬ事態が起きます。 

 

 都立進学校に入学した彼は、膝が完治したと思ったこともあり、バスケ部に入ります。 

 

 「選手層が厚くない都立高校の部活なら、バスケを続けることができると思っていました。結果、入部してすぐにレギュラーになれたのですが、やっぱり治ってなかったですね。ゴールデンウィーク明けにまた膝をやってしまい、入院することになりました」 

 

 この入院が、本格的に彼の歯車を狂わせます。 

 

 「手術のために3週間くらい学校を休んだことで、授業についていけなくなってしまいました。入院期間に高校数学のコアとなる一次関数の授業が始まっていたのですが、その授業に出れず、関数のことを理解できなかったので、さっぱりわからなくなってしまいました」 

 

 

 理系の進路を考えていた海洋さんにとっては、数学初期の単元で理解ができないことは致命的でした。当時はまだ丁寧に数学の解説をしてくれるアプリもYouTubeチャンネルも何もない時代。優等生だった彼は一気に劣等生になってしまいました。 

 

■できる子から、できない子に転落 

 

 「授業が苦痛で仕方なくなり、ほかの科目もやる気がなくなりました。今までは『できる子』という扱いを受けていた自分が、最下位から3番目の『できない子』集団に入ってしまったのです。中学でプライドが高く、天狗になっていたから余計やる気がなくなりましたね……」 

 

 「勉強ができなかった思い出と、バスケ部の思い出しかない」と語る海洋さん。高校3年間で両膝を計3回怪我したものの、最後は主将でチームをまとめ、東京都ベスト16まで勝ち上がるなど、バスケに明け暮れる生活を送りました。 

 

 バスケに打ち込む中で、将来の夢が見つかる貴重な経験もあったそうです。 

 

 「部活を頑張りながら、アルバイトで稼いだお金で自動二輪の免許を取得しました。趣味が高じて高校2年生のとき、バスケ部の友達とバイクで北海道に行ったことがあったのですが、これが大きく自分の人生を決定づけるきっかけになりました。 

 

 青森から北海道に行くときにフェリーに乗ったのですが、乗船するときにタラップにいた船長さんが挨拶してくださったんです。そのときに、船長さんの着ている制服が格好よかったことと、船旅がとても楽しかったことが印象に残って、船乗りになりたいと思ったんです」 

 

 それから船乗りになるために情報を集め始めた海洋さん。航海士になるために大型船の海技免状取得の近道である海洋系大学を目指そうと思い、東京にある海洋系の大学を志望するようになりました。 

 

 しかし、部活に打ち込んでいたこともあり、勉強が後回しになってしまい、高校3年生のときの模試の成績は偏差値40、受けたセンター試験の結果も3割でした。 

 

 前期と後期で国公立大学を受験するものの、ほとんど何も解答できずに不合格だった彼は、駿台予備学校の国立理系コースに入って浪人を決断します。 

 

 海洋さんに、浪人を決断した理由について聞いてみると「海洋系大学に行きたかったから」とためらいなく答えてくれました。 

 

 

 高校時代の遅れを取り戻そうと、意欲を持って授業に臨んだ海洋さん。しかし、毎日しっかり授業に出たものの、ここでも授業についていけず「センター試験の前になったら成績が上がると思い込んでいた」ために、この年のセンター試験も4割台の得点率に終わってしまいました。 

 

 「プライドが高かった」ため、海洋系大学の前期後期と早慶の理工学部を受験したそうですが、全落ちして2浪が確定します。 

 

 「親からも2浪までは予備校代を出してやる、と言われていたのでそのまま駿台で頑張ろうと思いました」 

 

■飲酒運転のトラックに突っ込まれる 

 

 2浪目に必死に勉強を頑張った海洋さんは、なんとか代々木ゼミナールの模試で偏差値が50台後半を超えるようになります。この調子でいけば志望する大学に入れるかもしれないと思ったそうですが、年の瀬に大きなアクシデントが彼を襲いました。 

 

 「年末に車でお歳暮を親戚のところまで届けに行くとき、飲酒運転のトラックに突っ込まれて頭と首を打つ大怪我をしたんです。赤信号で止まっていたときなので完全に相手の過失でした。怪我の療養で受験どころではなくなり、人生どうしてくれるんだと思いましたね……」 

 

 受験ができずに終わった2浪目。事情が事情だけに親も3浪を許可し、代々木ゼミナールの単科コースで数学・物理の授業だけを受講し、あとは宅浪をしていたという海洋さん。しかし、事故の後遺症は当初の想定よりも深刻だったようです。 

 

 「事故のむち打ちの影響で、肩こり・頭痛、目がぼやけることも頻繁に起こるようになりました。勉強が何も手につかず、精神的にも日陰に閉じこもっていました。アルバイト中心の生活で、この年も受験はできませんでした」 

 

 翌年には代ゼミの本科コースに入りおなし、浪人生活を延長しますが、この年も勉強が手につかずに不合格で終わります。 

 

 そのまま就職する勇気もなかったため、5浪目はアルバイトをしつつパチンコで生計を立てるようになりました。さらに、この年、銀行に入った中学の同級生に彼女を取られてしまう憂き目にも遭います。 

 

 「その男と彼女の浮気現場に居合わせたんです。そのとき、男からも『大人になれよ』と言われました。中学時代の自分を知っている人間に、髪が伸び放題で風呂も入らず、酒浸りになっていた今の自分を見られて、すべての心が折れてしまったんです。本当に人生でいちばんひどい生活をしていて、精神的にもつらい時期でした。あのとき、彼女がゴミを見るような目で私を見たのが忘れられません」 

 

 

( 142917 )  2024/02/25 15:00:00  
00

(まとめ) 

これらのコメントをまとめると、多浪や浪人経験を持つ人に対する意見は様々です。

一部の人は努力や成果を称賛し、肯定的な意見も見られますが、逆に浪人や多浪を批判する声もあります。

また、親の支援や環境によっても結果が変わることが指摘されている他、現役と浪人の差や選考の公正性についての指摘もありました。

一方で、作り話説も浮上しており、読者の間でも議論が巻き起こっています。

結局は人生一度きりであり、それぞれの選択や結果に責任を持つ必要があるという声もありました。

( 142919 )  2024/02/25 15:00:00  
00

・企業側も年齢でその人を判断するのは良くないけど、新卒採用に関しては年齢を見られるのも仕方ないと思う。結局就活は他の学生との相対比較になるから、その年齢差を打ち消すだけの力がなかったんだろう。紆余曲折あったとはいえ、航海士になる夢を叶えたのは素晴らしいと思う。特に良い父親に恵まれたなと感じる。 

 

 

・キャリアは梯子ではなく組み立てるもの。時間をかけながらでも登っていくのはすごい能力の一つです。幼稚園、小学校、中学校、高校とお受験塾にいってお勉強して難関大学に入ってもその先鳴かず飛ばずの人もまあまあいます。この方は博士号も獲って、多くの人現役組が役職定年になるときに航海士養成の学校で教員になられた。おそらくね、他の現役組が定年退職した後には大学校の校長とか、団体の役員とか、大学教員などで70歳過ぎても活躍することでしょう。 

 

 

・浪人ではないけど、自分も就職まで数年、ブランクがありました。就活では苦労しましたが、良い会社に就職できました。 

ブランク期間は、バイトをしながら色々な地を巡ったり、好きな勉強をしたりしました。 

早い段階で就職をしてしまうと、その世界(レールの引かれた人生)しかしらないため、どうしても社会に、会社に染まってしまう。 

けれど、ある程度色んな経験をしていると、自分の軸ができたり、メンタルが強くなるし、物事を客観的に見られるようになる。 

付かず離れずの距離で働け、自分らしくいられる。 

遠回りしたけど、よかったと思う。 

 

 

・この記事の人のケースは、今、航海士として働き、今は航海士養成の仕事に就いているので、「終わり良ければ全て良し」の典型だと思います。 

はまいさんの取材記事の中には、単なる自己満足で多浪人生を歩んだ面が否めない人もいましたが、この記事の人は内的外的理由で就職も人生も失敗が続いた中で、過去に抱いた夢に回帰した点に違いがあります。 

今のダメな生活を立て直そうと懸命に頑張って、立派に立て直した6年間の軌跡は、記事として紹介する意義はあると感じました。 

 

 

・人それぞれ。 

ワタシも、就活惨敗。 

学内推薦を受けて、一人合格の上場企業を 

二人で受けてもダメ。 

当たり前です。 

相手は、身長185 95kgの柔道経験者。 

身長168の文系クラブのワタシとでは勝負にならず。 

親からの勧めで、ダメ元で受けた中堅メーカー 

が拾ってくれました。 

そのメーカーがその後、大成長。 

今や、押しも押されもしない大企業になり、 

このたび、無事に定年年齢になりました。 

 

諦めずに、初志貫徹したこの方は偉い。 

元々、初志などなく、家族を守るため、イヤな事 

やパワハラ、モラハラにも耐えに耐えて頑張った 

オレも偉い。 

 

世の中、生き方一つ、考え方一つで変わるもの。 

人生は千差万別。 

成功だったか、否かは、他人はもとより、 

本人でさえ、わからない。 

 

 

・現存する世界最古の教育機関(創立は西暦でいうと970年!)とされる、エジプトのアズハル大学が謳う3原則 

①入学随時(いつでも何歳でも誰でも入れる) 

②出欠席随意(どの授業に出るかは自由) 

③修業年無限(何年間でも好きなだけ研究ができる) 

 

学生は、裕福な身分出身ばかりというわけではなく、附属の寮に住み質素な暮らしで研究に打ち込んだとされます。大学の運営費は、有力者からの喜捨(寄付)。まさに、理想の教育機関とは、このようなものだと思います。 

 

学問は、それ自体に価値があり、投資リターンとして換金できないものです。ただの趣味でもいい。就職のため、将来のためにならなくてもいい。べつに大学に入るのに何浪してもいい。一生学生をやっていたっていい。人間を労働から自由にし、生活になんの役にも立たないような哲学や芸術にも、好きなだけ打ち込めるような社会を目指す必要があるのではないでしょうか? 

 

 

・人一倍浪人したけど、共感できない。事故までは同情できるけど予備校を本科で何度も入るくらい親の資金力に甘えていた。その上酒浸りなんて言語道断。 

 

私は、バイトを並行して行い、宅浪をベースに模試代、単科講習代、受験料を稼いでいた。大学に入ってもバイト漬けで授業料の一部以外の必要経費を賄っていた。また就職も自分の年齢を考慮して、先手先手で対応した。ロスジェネ世代真っただ中だけど、満足いく就職先に入れた。 

 

学費を稼いだことを素晴らしいことの様に書いているが、6浪もすれは当然すぎる。さも人一倍苦労をしたかのようなストーリーだけど、ただの甘えのストーリーにしか見えない。 

 

 

・中学受験して頭が良いと錯覚してMARCH行けるやろと思ってたら全落ちし、一浪しても行けなかったものです。 

大学いってどうあるべきかを考えれば理想に近づけると思います。 

どこで頑張ってどこで花を咲かせるかなのかなぁと思います 

 

 

・年齢で難しいと同僚との話にもなっだけど未経験ながら、マンション管理の仕事か、管理人さんではない、不動産販売の仕事を目指して宅建の勉強を始めた。国家資格なので、年齢いっててもチャンスはあると知恵袋では回答をもらった。しかし、問題は国家資格受かるか、そして雇ってくれても、基本向いている仕事には思えない事である。ただ年齢的に雇ってもらえるチャンスがある仕事が著しく減ったので、力仕事ができなくなった以上、悠長な事は言ってられないのである。やってみる前から年齢をいいわけに始めから諦めたくはない。 

 

 

・自分の弱さにちゃんと向き合う姿勢が好ましく感じました。 

若い時の挫折は一生の財産、よく頑張られたと思います。自分なら絶対ムリ、楽な道を選んでいたでしょう。 

良いご両親の元に生まれたことも運が良かったですね。 

 

 

 

・いろんな人生あるなー。 

めちゃくちゃ勉強が出来ていい大学を出た後に航海士になったけど、 

あまりにも仕事が出来なさすぎて上司や同僚から怒られまくり、追い詰められるくらい反省して改善点を日々書き出しても良くならず、 

病院へ行った結果ADHDとASDを併発していると判断された。たしかに思い当たる節が多かった、発達障害の人は船乗り業は相性最悪だから辞めた方がいい…という人の記事を最近読んだ。 

自分も適職診断を早めにやっておきたかった。 

 

 

・6浪だと浪人の期間何をしていたが問題になる。 

もし、浪人の期間にどこかで働いていたのなら、例え吉野家すき家コンビニでのアルバイトであっても過去の職歴を履歴書に記載する必要があるし。両親の援助で6浪をしていたのなら、受験勉強以外で何をしていたかを履歴書に記載する必要がある。それができない人が意外と多い。もし、大学の就職課で履歴書の添削を受けていれば、就職課の職員から「6浪の期間何をしたか詳しく書いてね」と言われるはず。 

 

 

・昔は1浪1ダブ迄、と言われたように、2年遅れ迄ならそんなにペナルティーは無かった。 

それにしても、6浪…どんだけ時間と金の無駄使いしてるんだ。小学生時代から真面目に勉強しとけ。 

 

ま、この事実見ても分かるように、高校迄の勉強は時間さえかければ誰でも出来るって事だ。 

小中高の12年間、この人より真面目に勉強しましょう。そうすれば、一般的に難関と呼ばれる大学でも入れる学力が身に付きます。 

 

 

・若いうちに理不尽にも他人のせいで誰にも理解されない後遺症に向き合わないといけないストレス。想像を絶すると思います。やさぐれるのも仕方ない気がします。 

 

このお父様が浪人を経験されているかわからないが、本当に人格者で本当によかったです。 

 

 

・>>高校3年生のときの模試の成績は偏差値40、 

>>受けたセンター試験の結果も3割でした。 

 

センター3割と言うのは「この答えは間違いなくこれ!」と自信を持って答えた問題はほとんどなく、大半はヤマ勘での解答であり、事実上0割と同義だと思う。恐らく高校に入ってから得た知識ってほとんど無かったのでは?  

 

厳しい言い方になるけど、高校時代に部活一筋の人って、どこか大学受験を甘く見ているような気がする。例えば、もし高3の7月に「これまで野球を一度もやったことがないんだけど、どうしても甲子園に出場したいからピッチャーをやらせてくれ!」って、高3の生徒が部室にやってきたらどうします? きっと「野球をナメるな!」と憤慨しますよね? 自分達は高1の春から毎日、厳しい練習をしてきたのですから。大学受験もまったく同じで、高3の夏になってから始めたのでは遅すぎます。 

 

 

・近年の事かなと勝手に思ったら少なく見ても90年代の話。今ならまたいろいろと状況が変わっていると思う。 

 

他人の成功話や這い上がり話はその人の話だから、自分は自分の戦いなり歩みをやるしかない。 

忘れてはいけないのは、こういう最後は良かったね話にならなかった人も沢山いる。 

そういう話はこういう記事にもならないから、何とかなるとそこだけに意識がいってしまう。 

 

水を差すな!って、思う人もいるだろうけど、何とかならなかった人も生きていかなきゃいけないわけで、存在しないモノ扱いで放置されて折れてく人も少なくない。 

 

えっと…どうしたらいいの? 知らないよ!逆転できて良かったね!バンザーイ!!って、祝福受けてる人の陰にそういう人たちもいる。だから、難しくても、ぼんやりでも、ハッピーエンドにならない先も描いとく必要はある。 

正直思いつかないだろうが、頭真っ白で思考停止は防げるでしょう。 

 

 

・宅浪中は酒浸り 

大学時代も酒浸り 

留年しても酒浸り 

卒業しても酒浸り 

就職しても酒浸り 

転職しても酒浸り 

そして今日も酒浸り 

 

今の自分はよく生きていると思う。 

6浪で酒浸りになる気持ちは痛い程わかる。 

 

 

・就活する理由は自営業する能力がないからです。たとえ中卒でも自営業出来る人はそうします。 

就活の場合、会社側にも選択権があります。その企業の人事担当者の主観です。お互い相手の人生観など知りませんし興味もありません。幸い会社は世の中に無数にあります。縁のある会社に雇われれば就活は終了です。 

 

 

・最近、多浪の記事をよく見かけますが、結果として天職と思える仕事に付いてその後の人生を謳歌できている人の記事が多いため、素晴らしい、根性ある、と賛辞の言葉が並ぶことになりますが、この【結果】を出してないまま、ただ単にお金と時間を浪費しただけの人たちだって沢山いたことでしょう。 

 

どうせなら、多浪した結果どこにも合格せずに、その後の人生こういう感じだよ、という方の道のりも読んでみたいものです。 

ネタにならないから、誰も取り上げないか…… 

 

 

・多浪の浪人出来る環境に感謝でしょうね、何ら本人卑下する必要も無いし、努力、葛藤も認めるけど、 

まず色んな要因あったにしても、一浪、二浪迄はざらにいたとても、それ以上は家庭環境が許してくれません、経済的に生半可な状況でやっていけませんしね。 

医師国家試験とか司法試験とかと違い、何年たとうがその後に手に得る利点が、絶対権利がある訳では無い。 

 

 

 

・自分が担当責任者なら、彼の人生を聞かされてもやっぱり採用しよう!にはならないとおもうけど。 

年齢を抜いたとしても、甘え癖がなおってるのかが一番ネックじゃない?航海士ならパチンコとかに逃げようはないけど、酒はねぇ仕事としても顧客の大切な積み荷と一緒にのってる乗組員の命お互い預かるわけだし。 

 

 

・う〜ん、人生色々だよなぁ。 

自分は司法試験を同じくらいやって諦めて、同じように就職先がなく、同じようにもがいて雇ってもらえた時はびっくりするぐらい嬉しかった。金額云々ではなく働く場所を貰えたことが本当に嬉しかった。その時に思ったのがしょうもないプライドを捨てて早く働けばよかったということ。友達がどんどん就職して仕事の愚痴を溢すのさえ羨ましく同じ場所に居続けるしんどさはもう二度と味わいたくない。ただあの過去がなければ今の自分もないし、30近くまで働いてなかった事で、仕事の取組み方も真摯だったし、成長スピードも早かったし、普通に会社に入っていればこんな風に評価はされなかっただろう。ただ人より6年遅れてるっていう負い目があったんだろうし、だから必死に生きれたんだろう。 

そう考えると無駄ではなかったとも思うが、オススメしない生き方だな。 

 

 

・結果的に航海士になれてるので 

この人は超多浪の中では成功者と言える 

 

普通はいくら有名大学を出ていても評価されるのは 

2浪まで、それ以上は価値がない 

 

高校生になってから有名私立中学に入学できても 

意味が無いように 

有名大学もFランも大学は大学 

20代前半までに卒業できなければ就職では 

評価されません。 

 

 

・自身も一浪した経験がありますが、その際に中高の間勉強を避け続けていた英語を自分から勉強しようと思えるようになったのであの経験は良かったと今でも思っています。 

余計に金はかかったけれど・・・。 

 

 

・6浪で私大の工学部に入学したあと、海洋系の大学に30歳で入学。32歳で航海士になった海洋さん(仮名) 

 

→ この経歴は多分、ひとりしかいないだろうから、仮名にしたとしても、絶対に海業界ではバレてると思う。良い話だから良いけども。 

 

 

・本当に長い道のりだったけど、夢が叶って良かったと思う。残念なのは活躍できた年数が短かったことかもしれないね。それでも素晴らしい! 

 

 

・多浪のニュースやめてくれないかな? 

恵まれた多浪、教育虐待の末の悲惨な多浪、 

色々あるが、 

親が多浪をさせてくれたり、援助してくれている。 

色々な家庭があるが、今でも 

経済的理由などで浪人できない、 

更には大学進学を諦めないといけない人間もいる。 

あの、福岡大学に合格できない多浪自慢の 

女子アナは最悪なニュースだった。 

 

 

・思いがけず最後まで読んでしまった。 

つくづく、ご両親、特に父親の懐の深さを感じさせるものでした。 

お父様、大変お疲れ様でございました。 

 

 

・年齢で断られたんじゃなくてその間何してたのって話だろう。親の脛かじって楽な方に逃げってそういう人を採用したいなんて思わないでしょ。ただでさえ新規採用の社員の離職率が高いんだからさ。 

 

 

・多浪が許される環境がうらやましいわ 

 

ところで、東京海洋大学の編入は高専限定だけど 

ほかに可能性があるのは東海大学か 学費はどうしたの? 

航海実習とかあるからバイトは無理なんじゃないの? 

 

 

 

・ちゃんと 

軌道修正してドクターまでとってたいしたもんです。 

温かく見守ってくれたご両親、特に父親には、感謝ですね 

 

 

・>見栄を張って国立大や早慶にこだわっていなければ、もっと早く大学に行けたのだと思います。 

 

今は頑張れば現役で受かるかもしれないが、団塊ジュニア世代は浪人が当たり前の時代。 

今からは想像出来ないかもしれないが。 

 

 

・現役と6浪では同じ大学でも全然違う 

6浪だと単純計算で現役組の7倍効率が悪いってこと。採用されにくいのは当たり前 

 

 

・私も二浪してます。浪人して良かったことは一つもないです。私も弱い立場の人の気持ちが分かるようになったことが財産です。 

 

 

・この方が実在するなら尊敬しますが、あまりにもドラマティックすぎて脚色満載の釣り記事なのかと疑念を抱きます。 

 

 

・現在50過ぎ?で課程が今と違うのかもしれないけど、 

高校1年の春に1次関数なんかやらんだろ。 

自称進学校で中学の復習をしていたならまだしも。 

 

 

・あんまりそういうケースを知らないし、そういうことは実際にあると思うけれど…… 

「公正な選考」という視点からすると、浪人の年数を理由とする不採用ってNGだよね? 

 

 

・中学でエリートでもこうなるんですか 

それにしても浪人で予備校の金出してもらえるなんて羨ましいですね 

 

 

・航海士になっただけの話 

いつまで続けられるかが問題だよ 

船業界も淘汰が激しい、来年の今頃はどうしているんだろうな 

 

 

・前の職場に4浪の文学部ロシア文学科卒、院に進むが、何故かゼミは経済学部の教授って言うアホがいて、口癖は 

「俺の師匠は経済の専門家」 

つまり、自分はロシアも経済も素人って事よね。 

 

 

 

・どんなに努力しても、他人が評価するんだから、その浪人は致命的。 

現実は厳しいもんです。 

 

 

・私は慶應3浪です。2浪までは新卒扱いですが、さすがに3浪ですと民間就職惨敗でした。結果、公務員でした。 

 

 

・創作であろう長い記事だが、そりゃ、面接で 

落ちるよ、そんなけ浪人するならね、 

人生で一番いい時期を無駄に潰したんだからね 

 

 

・日曜の朝からいい記事読んだ 

自分もいろいろ思い出した 

頑張ろう! 

 

 

・こんだけ予備校に行かせてくれる親すげえ。 

あまり否定しない親でよかったよねえ。 

 

 

・この年代で大学進学している時点で優秀な層。 

 

 

・会社でゆっくりされても困るので仕方ないと思います。 

 

 

・ついに実名どころか具体的な大学名すら出さなくなったか。この人は実在するの? 

 

 

・>55歳の役職定年を前に航海士を育成する教員に転職し、 

 

随分前の話なんですね。 

 

 

・結局人生一回限り。なにをしようがそれは本人の責任。 

 

 

 

・春の入院のツケを夏休みに取り戻せない時点で、詰んでる。 

 

 

・つくり話し感。 

 

 

・フィバー中にパチンコ止める人はほぼいない。 

 

 

・え?なに? 

非効率なことしてる人の話を聞かされただけ? 

なんか嫌な気分になっただけだわw 

 

 

・作り話ですか? 

 

 

 

 
 

IMAGE