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「セクシー田中さん」原作者を追い詰めたSNSの“安直な正義感” 当事者以外が善悪をジャッジする危険性

デイリー新潮 2/28(水) 6:06 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb4ed65be8d065438ce90341d05bdf1de55bfba

 

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ドラマ「セクシー田中さん」の原作者である芦原妃名子さんが急死した後、ドラマ化された日本テレビはトラブルに関する特別調査チームを立ち上げた。

トラブルは脚本家のSNS発言が発端で、芦原さんが原作の改変に関して不満を抱いていたことが明らかになり、ネット上では脚本家や日テレに対する批判が高まった。

この事態は芦原さんのSNSでの説明投稿後、逆転し、芦原さんは自殺したとみられる。

ネット世論は喪に服さず、過激化している。

SNSの誹謗中傷が社会問題となっており、清水陽平弁護士によると、運営側の問題や法整備の遅れが拡大の要因とされている。

(要約)

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ドラマ「セクシー田中さん」公式Xより 

 

 ネット空間における「炎上騒動」は日常茶飯事でも、尊い命が失われたとなれば看過できない一大事だ。誰もがスマホ片手に野次馬となれる時代。悪気なく発信した一言が、見ず知らずの人を極限にまで追い詰めてしまう。そんな“SNSの深淵”を探ってみると……。 

 

【写真を見る】ほとんど知られていない 実は「のだめ」ドラマ化のトラブルがきっかけで生まれた「井上真央」主演の“人気ドラマ” 

 

 *** 

 

 人気漫画「セクシー田中さん」の作者・芦原妃名子(ひなこ)さん(享年50)が急死してから2週間が過ぎた今月15日、同作をドラマ化した日本テレビは社内に特別調査チームを立ち上げると発表した。原作の版元である小学館や外部有識者にも協力を仰ぐと説明したが、原作者と日テレの間では原作改変をめぐりトラブルが起きていたと報じられてきただけに、ネット上では「対応が遅い」「第三者委員会でなければ原因が隠蔽(いんぺい)される」などと批判が鳴りやまない。 

 

 今回の騒動を振り返れば、その発端となったのは当該ドラマの制作スタッフで脚本家の相沢友子氏(52)の「SNS発言」だった。ドラマの最終回が放映された昨年12月24日、彼女は自身のSNSで〈最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました〉とつづった。その後の投稿でもあくまで自分は第1話から第8話までしか担当していないと強調し、第9話と最終回が原作者の手によるものだと説明した上で、〈この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように〉と書いたのだ。 

 

 これらの発言を受けて、当初はネットを中心に脚本家を擁護しようとする声が広がった。 

 

 ところが後日、原作者である芦原さんが自身のブログなどでドラマ化の経緯を丁寧に説明すると、状況は一変する。日テレ側と事前に交わした「漫画に忠実に」という約束が守られず、多忙な連載執筆を抱えながらも脚本に手を加えなければならなかった日々が明らかになり、ネット世論が逆転。脚本家や日テレ側に対して「もう世に出るな」「わびろ」などの誹謗中傷が繰り返される事態に発展してしまう。 

 

 ネットはいわゆる大炎上となったわけだが、これを受けて芦原さんは自身のSNSで〈攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい〉とメッセージを残して、経緯について説明した投稿などを削除。自ら命を絶ってしまったとみられる。 

 

 

 突然の訃報は多くの人に衝撃を与えたが、ネット世論は喪に服すどころか過熱の一途をたどる。SNSは“芦原さんはテレビ局に殺された”と言わんばかりの声であふれたのである。 

 

 当の相沢氏もSNSで〈芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました〉と吐露して、〈SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています〉と釈明し、アカウントを閉鎖するに至ってしまう。 

 

「今やSNS空間は、腹を空かせたどう猛なワニやピラニアが無数に生息する沼と化しているのです」 

 

 とは、さるニュースサイトの編集者である。 

 

「少しでもエサになりそうなトラブルが投下されると骨の髄までしゃぶり尽くす。当事者でもない第三者であるネット民の標的にされたアカウントは、投稿の削除や閉鎖に追い込まれる。今回のケースでは原作者が受けた理不尽な思いを晴らしてやろうと、日テレや脚本家へ誹謗中傷が繰り返されたわけです」 

 

 やり玉に挙げられたのは、脚本家やテレビ局だけではない。原作者と共にドラマ化の交渉にあたった版元の小学館にも、ネット民たちから批判の声が殺到したのだ。 

 

 同社の関係者が明かす。 

 

「社内でも“作家さんや読者からの問い合わせにどう対応すべきか”“事態の詳細を知りたい”という声が上がり、今月6日に社内説明会が開かれました。役員からは、亡くなる直前まで芦原さんが行っていたSNSの投稿については“自身で説明したいという強い意志があった”とした上で、“ネット上の多くの反応が芦原先生を苦しめてしまった。SNSでの発信が適切ではなかったという指摘は否めません。会社として痛恨の極み”との見解が示されました」 

 

 この説明会では、企業のリスク管理を研究する桜美林大学の西山守准教授が「仕事上の問題をSNSに投稿することは誰も得しない」「犯人捜しは事態を悪化させる」と指摘したウェブ上の記事が紹介され、義憤に駆られての投稿、それに対する批判の応酬が悲劇を生んだとの説明もなされたという。 

 

 改めて西山氏に聞くと、 

 

「テレビ局や出版社の間で、SNSやネットメディアの怖さが軽視されて、騒動のきっかけとなった脚本家の投稿が放置されてしまったことは問題だったと思います。多くの人の目に触れる前に削除すれば、当事者間で解決することもできたかもしれません。投稿が多くの人の目に触れたことで、今は第三者の怒りの声ばかりが暴走してしまい、かえって真実がうやむやになってしまっているように見えます」 

 

 第三者であるネット民は、善意の皮を被って問題に首を突っ込み、自分の不満のはけ口にしているようにも見える。 

 

「SNSで声を上げた人たちは、芦原先生の代理として攻撃したつもりだったのかもしれません。けれど、芦原先生はSNSで攻撃するつもりはなかったと言っておられたし、それ以前にも“素敵なドラマ作品にして頂いた”として、キャストや制作陣、そして視聴者に感謝の言葉を書かれていました。そのことを踏まえれば、第三者が脚本家やテレビ局、版元に至るまでを批判して攻撃するのは、先生のご遺志に反するのではないでしょうか」(同) 

 

 

 本来は部外者であるはずのネット民たちの安直な正義感が、原作者を追い込んだ可能性は否めない。 

 

「芦原先生からすれば経緯を説明したにすぎないのに、それを勝手に解釈した第三者たちがネット上で攻撃を始めてしまった。ドラマにかかわった人たちに感謝の思いを届けるどころか迷惑をかけてしまったと、先生に自責の念を持たせてしまったのではないでしょうか。SNSの声って人を殺すほど相手を傷つけるものなんです」(同) 

 

 原作者の急死を経てもなお、SNSの名もなき人々の声は収まるどころか肥大化していく。 

 

「今回の問題で危惧されるのは、芦原さんはテレビ局や脚本家が原作を改変したせいで亡くなったんだ、とたたく投稿が多く見受けられ、一部メディアの論調もそちらに迎合しつつあることです」 

 

 と指摘するのは、インターネットリテラシーに詳しい国際大学GLOCOM客員研究員の小木曽健氏だ。 

 

「冷静に考えれば、芦原さんの遺書は公開されておらず、ネットユーザーの投稿内容は大半が臆測や個人的な見解です。むしろ芦原さん自身の最後の投稿内容を見れば、自身が経緯を説明したことで炎上が起きて事態をコントロールできなくなった、その騒動による心労で傷ついた可能性も大いに考えられます。その場合は、テレビ局や出版社だけではなく、騒動初期にネットで攻撃的な投稿を繰り返した人たちも、芦原さんの死と無関係ではないということを認識しなければなりません」(同) 

 

 さらに小木曽氏はこうも言う。 

 

「この問題には登場人物がたくさんいて、相当なボタンの掛け違いがあったのは間違いありませんが、表に出ていない事実もあるはずで、 当事者ではない人たちが善悪をジャッジするのは非常に危険だということ、この点をしっかり理解する必要があります。臆測に基づく騒動で芦原さんが亡くなった可能性を考えれば、不測の事態の『連鎖』という、もっと最悪の事態も想像できるはずです。“いったん立ち止まろう”という気持ちにもなれると思うのですが……」 

 

 日常生活に置き換えても、訳知り顔で物事を語ったり、事情も知らないまま罵詈雑言を叫ぶ人物がいれば、周囲から距離を置かれるだけだろう。 

 

「ネット空間において誹謗中傷や過激なコメントをする人は、世の中のごく一部で、大多数の人はそれらに同意しておらず、だからと言って反論することもなく、普通はただ黙って見ているだけです。でも、そうした大多数の人はネットの世界では姿が見えないので『存在しない』ことになってしまう。すると、あたかもネット全体が怒りや批判に満ちているように見えて、極端な考えが“主流派”であるかのような錯覚に陥ってしまうわけです」 

 

 むしろネットやSNSはそういう「クセを持った道具」なのだと冷静に見守ることが肝要だとして、小木曽氏はこう続ける。 

 

「日常で一線を越えたら罰が科されるのと同じように、ネットでもやってはいけないことは一緒なのです。匿名のアカウントでも、一線を越えた誹謗中傷を投稿すれば、最終的に身元が特定されます。『自分はこの投稿を自宅玄関に張れるだろうか』とぜひ読み返してほしいです。それがネットに投稿できる適切な内容の『判断基準』だと考えてもらえればと思います」 

 

 

 ネット空間における誹謗中傷が社会問題化したのは、2020年に女子プロレスラーの木村花さんが22歳の若さで亡くなった事件の影響が大きい。恋愛リアリティー番組「テラスハウス」(フジテレビ系)に出演していた彼女は、SNSなどで誹謗中傷されたことを苦にして、自ら命を絶ってしまった。 

 

 その遺族代理人を務め、日本におけるSNSの開示請求第1号案件を担当した清水陽平弁護士に聞くと、 

 

「今回のケースでは、脚本家の方などを名指しした上で侮辱的な内容を書き込めば罪に問われる可能性もあります。法改正で一昨年7月から侮辱罪が厳罰化され、拘留30日未満または科料1万円未満だった法定刑に、1年以下の懲役・禁錮、30万円以下の罰金が加えられました。とはいえ、実際にSNSで他者への攻撃的なコメントが減ったかというと、全くそんな印象は受けません」 

 

 いったいなぜなのか。その背景には、SNSの運営側の問題もあると清水弁護士は言う。 

 

「たとえばXならウェブフォームもありますが、削除依頼はなかなか認められません。警察に捜査してもらおうにも、データ管理をしているのは海外法人なので日本の警察の捜査は難しい。中傷する者を特定したいと考えても、イーロン・マスク氏がツイッター社を買収して以降、スタッフを大量に解雇したこともあるのか、対応が遅くスムーズに進まない状況が続いているのです」 

 

 加えて、こんな事情もあると清水弁護士が続ける。 

 

「匿名で批判をするのは簡単で優越感が得られやすいのですが、多くのネットユーザーは“自分の考えを述べているだけで侮辱はしていない”と考えている節があります。私が木村花さんへのSNSでの誹謗中傷に対して相手を特定した際も、投稿への後悔はあっても反省していると思えるケースはまれでした。自分の発言は問題ないと居直っているような方もいますし、書き込みした事実を特定できているのに否定したり、損害賠償を支払わず逃げている人もいます。SNSの誹謗中傷に関する法整備は、まだ発展途上なのです」 

 

 

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(まとめ) 

本事件では、脚本家の相沢氏がSNSでの発言や行動が発端となり、原作者との間で問題が生じました。

一部の人々はSNSの暴走や安直な批判を問題視していますが、実際の問題は日本テレビや小学館などの制作側の対応や原作尊重の問題であるとの指摘も多く見られます。

一般のネット利用者が責任を追及される一方で、メディアや出版社、制作側の責任や対応についても検証が求められています。

現場の問題や契約の遵守、原作者の権利尊重が重要視されており、SNSだけでなくメディアの報道姿勢にも疑問の声が上がっています。

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・そもそも当事者である脚本家の相沢氏が、わざわざSNSで原作者批判をしたことが発端です。 

 

芦原先生は、最初の取り決め通り脚本を原作に沿うよう修正し、最終2話もご自身で書かれたのです。 

なのになぜ、相沢氏はそれをまるで原作者のわがままのように言い、「このようなことが二度と繰り返されないように」などと、原作者がルールを破ったように攻撃したのでしょうか? 

 

文句を言うならテレビ局にいうべきだし、何も知らされなかったというならなおのこと、自分が降ろされた理由をまずは局に説明を求めればいいのに、原作者攻撃をしたのか。 

これだと、むしろテレビ局と脚本家はグルだったように思う。 

 

それで仕方なしに芦原さんが経緯説明すると、脚本家仲間が原作者なんてただの素材、原作者本人はどうでもいい、みたいな動画をあげたりと、関係者や、もしかすると局も芦原さんに、暴露のようなことをするなと圧をかけてたのかもしれません。 

 

 

・全体の流れを説明されればそういうことだったのか、と改めて気付くことがある。記事の内容は批判の全てを悪と言っているのではなく、今回の件は脚本家やテレビ局を悪者としてつるし上げてしまうことでさらに原作者を追い詰めていたんだ、という事がわかった。自殺があった時点からこの件を知れば、テレビ局や脚本家のせいで亡くなったんだ、と思ってしまう人も多く、同情の意見を書いてしまう人もいたと思う。自分の意見が弱者を庇うものだと信じてコメントしたつもりがそうじゃない事もあると改めてネットに意見を投稿する事の重さを知った。ただネットで大勢の意見で救われることがあるのも事実。これをたまたま記事を見た一般的な人が判断するのは中々難しい。同じ事件の違う記事が世間の注目を集める内容であればあるほど、真偽不明とまでは言わないがいい加減な内容の記事が乱立するネットニュース。世間を騒がすニュースは特に気を付けたい。 

 

 

・今回の事件が起きてからのにわか傍観者ではなく、 

芦原さんの作品「砂時計」からのファンとして書きます。 

今回の作品「セクシー田中さん」は、芦原さんが制作サイドから 

そんなに原作と違うとか四の五の言うなら最後の二話は、 

自分でやったらよろしと投げられた結果だと思います。 

7~9話と3連続で視聴率が上昇したのに、最終話(10話)は 

下げて終わりました。(全10話中、下から二番目の視聴率でした。) 

視聴率がすべてというドラマ業界において、上げ潮ムードで最終回まで 

臨みたかったのに、(もちろん、これが全てでは無いと思いますが) 

最終回を下げてしまった事に芦原さんは感じなくていい責任まで感じて 

しまったの様に思います。 

そして、皆さんの知るように、本来なら浮かれ気分のクリスマスの日に 

原作者からの追撃の、あの投稿です。 

真っ正直な人ならメンタル保てなくて、当然ですわ。 

 

 

・安直なWeb上の批判が危険であるという論調には同意しますが、少なくとも今回の騒動がここまで大きくなった原因は日本テレビのずさんな対応にあります。 

芦原先生の自殺後無関係であるかのようなコメントを出したっきり完黙し、「たーたん」が同じプロデューサーで製作されることが文春にすっぱ抜かれるまで悪化していく事態を放置しました。 

 

「ありえないことを小学館に言われた」とプロデューサーが社内説明会で放言したと報じられており、自分たちは高貴で絶対正しい、原作者の命や出版社などおかまいなしという姿勢が浮き彫りになりました。 

 

他社の同じような事例では記者会見や第三者委員会の設置をといった対応をすぐに取るよう各番組総出で追及するにもかかわらず自社で起こった場合には完全黙秘ではあまりにも日頃の報道と姿勢が違いすぎます。 

報道機関の態度としてあまりにも稚拙です。 

 

 

・「こんな騒動になるとは思わなかった」というならSNSの反響や炎上が原因と考えやすいが、「攻撃したかったわけではない」というのは、特定の誰かに向かって言う時の言葉では? 

 

例えば、誰かからこんな問い合わせがあったのでは?という想像で言う事はできます……できますが想像でいう事はやめます。 

 

とにかく今回の原作者を追い詰めた原因というのを安易に決めつけない方がいいと思う。 

 

SNSの炎上という事実は事実として分析して、原作者を追い詰めた原因はまた別としてやらないと争点がぼやけすぎる。 

 

まず一番に考えないといけないのは、「原作者と実写化・アニメ化においてどうやり取りをするのか」である。 

 

 

・事の発端となった相沢氏に一切インタビューに行かず、謝罪コメントを出すと途端に大々的に報じて丸く事を収めようとするマスコミはおかしいと思いますが?とにかく中傷が問題なら最初にインスタで原作者に対して悪意のある言葉で攻撃した脚本家の方をまず問題にすべきだったと考えます。その点はなぜ一様にスルーなのか?本当に偏り具合がおかしいと思う。ネットの誹謗中傷が、原作者のあのような重大な決断を招いたとするのは誤解を招く記述であり、問題のすり替えとしか思えない。とにかく脚本家を庇おうとする姿勢が見え隠れするメディアには違和感しか感じない。稀有な才能と魂が失われた事実への日テレと小学館、脚本家の責任は重大で、それを追求するのは妥当であり、この場合はSNSの安直な正義感の暴走とは違うと思います。 

 

 

・自分は雑誌媒体には雑誌媒体なりの存在意義はあると思っているが、それは、大手メディアが自分自身や繋がりの太い広告代理店・スポンサーに対して忖度を働かせてしまうが故に「報道として機能しない」点を補完する役割を担っているからだと思っている。 

しかし、大半は下世話なネタであり、好奇心を以って読者の好奇心を満足させている下衆には間違いはないので、たまに出てくるこういった正義感面をした記事には反吐が出る。 

一体、どの面を下げて「当事者以外が善悪をジャッジする危険性」などとのたまっているのだろう? 

鏡で自分の顔を見てみろと言いたい。 

 

 

・被害者が泣き寝入りすることが多い世の中で、泣き寝入り以上に悲しい結末になってしまった事件だと思っています。 

 

誹謗中傷が駄目だと言うのなら、それは元をたどれば脚本家の投稿のことでしょう。碌に調べることもなく、原作者を悪しざまに言っていたのですから。 

ネットの声なんて安易な言葉で一纏めにしていますが、その中のほとんどは真っ当な批判ですし、実際に無碍にされて被害にあった人達の声もあるんですけどね。誹謗中傷は駄目ですが、これからの原作者を守るために声をあげることは必要なことでは? 

 

 

・> 多くの人の目に触れる前に削除すれば、当事者間で解決することもできたかもしれません。 

 

解決はしなかったでしょう。間を取り持つ人がいて、原作者と脚本家が直接やり取りする機会そのものがなかったのだから。それぞれ相手に対してマイナス感情を抱えたままになっていたと思う。 

 

芦名先生がお亡くなりになったことはとても残念だし悲しいけれど、先生の死をきっかけにドラマ・映画化の際にこれまで多くの原作者がないがしろにされてきた闇が明るみになった。今後のコンテンツ化に大きな一石を投じたことは間違いない。 

 

 

・確かに一部には過激な投稿をする人もいるでしょうが、SNS投稿者の大部分はマスコミの報じ方に影響を受けている人が大多数だと考えれば追い詰めた一番の原因はマスコミだと思います。 

そもそも脚本家や原作者のSNS投稿なんて余程ファンの人じゃなければチェックしていない訳で、マスコミ各社が大事件のような見出しをつけて報道するから炎上したのではないだろうか。 

正義感を振りかざして人を追い詰めているのはSNS投稿している一般人よりも世論を誘導しているマスコミだと自覚してほしい。 

 

 

 

・この問題で、「当事者」って誰なんだろう。自分は脚本家の相沢氏がSNSで自身の主張を公開した時点で、それは興味ある方全員になってしまうと思います。なぜなら、日本という社会が言論の自由を持っている以上、誹謗中傷や虚偽など相手に害を与えるものでなければ基本的に誰でも意見を言う権利があるから。そして現代はネットという誰でもその意見を公開できるツールがあるわけです。ではこの件に誰が興味を持つか。それは「セクシー田中さん」のファンはもちろん、漫画を好きな方はほとんどといっていいでしょう。自分が好きな漫画がドラマ化されるとき、自分の好きなものを生み出してくれた方がどれ程邪険な扱いを受けるかと思ったら、誰でも意見を言いたくなります。そうした動きを「ネット民」「安直」などといった言葉で小ばかにしたところで、庶民を馬鹿にした政治家の言葉同様に反発を買うだけです。 

 

 

・この件で何より驚いたのが同業者の方達が同じように悔しい思いをされた過去があるということ。 

安直な正義感と記者は言うけれど、意見は出てくるものだ。やはり基準を見直し、契約を取り交わすことはすべきで、反対にこれまでそれが曖昧になってきたことに驚いた。また、映像化にあたり出版社がどこまで権限を持つかも取り決めてほしい。 

 

 

・ネットリテラシーやSNSの問題もあるけど、漫画や小説などの原作者の意思が改変によって踏み躙られているケースが少なからず行われているということが認識できた訳だから、自殺という悲劇を繰り返さないためには不特定多数のSNS利用者の意識を何とかするよりも原作ベースの実写化による商慣習、または制度か?の見直しをする方がよほど有効だと思うんだけどね。 

 

 

・普段から偏向報道と隠蔽を繰り返している日本のメディアにSNSを批判する資格があるとは思えない。少なくとも、今回知らん顔を決め込んでいた日テレと小学館を動かしたのはSNSだ。 

原作者の当然の権利が余りにも軽視されてきた日本メディアの問題点を国民が追及しているのだから、重く受け止めないといけない。 

 

 

・方向性を誘導したいのがみて取れる記事でした。 

そもそもネットが〜と言っているが初めの制作で意思疎通が取れていなかったのではないでしょうか? 

 

最近は制作者側からの裏話的な事の投稿を目にしますがそれをしなければ初めっから不特定多数の人に知られ得ることは無かったかと思いますよ。 

 

 

・SNSには、記事で指摘しているような側面はあると思います。一方で、部外者は黙れというのもどうなのか。ならば、わかっている人が丁寧に説明すれば良い。『話し合いましょう』では?説明をろくにしてこなかった対応には、問題はありませんでしょうか? 

 

犯人捜しではなく、トリガーを引いた人(事象)ではなく、そうなってしまった、そうせざるをえなかったのはなぜか。誰しもが『その人』になる可能性があるのでは。 

 

危ない交差点には信号機をつけましょうと、SNSは言ってますが、いちいち赤信号で止まるのは面倒で効率的ではないですか? 

 

 

・さすがはサッカー伊藤純也の記事を書いた新潮ならではのひどい記事。 

まず、今回の件はSNSの安直な正義感としているが、過去のSNSトラブルと同じ括りにしてはいけない。 

その理由に、まず新潮はじめメディアが当初、きちんとした事実や時系列を報道した記事が皆無で、誰かがテレビやXで発言した浅い内容を拾って記事にしていたこと。 

さらに、日テレや小学館がひどい追悼文をすぐに出したことで世論に火がつき、芦原さんが自死に至る時系列や拾える事実を細かく発信して世論を動かしたのはSNSだったという事実。 

要するに、今回はSNSに正しい情報があって、メディアには正しい情報を伝える記事やテレビが皆無だったにもかかわらず、このような記事を書く新潮はかなり劣悪なメディアだと露呈している。 

 

 

・SNS含むネット空間は、しばしばコントロールできない状態になるのはわかる。ただ今回はタイトルにある『SNSが原作者を追い詰めた』んでしょうか。  

 

ネット空間が加熱したことによって原作者がヤバいと感じたのかもしれませんがそれは、そのことでまたどこからか『圧力』をかけられるから、と考えるのが自然な気がします。 

 

原作者が自らの作品の映像化にあたり、契約は守られず頼る人もなく孤独な状態になっていたことそのものが問題になるべきなのでは。 

 

 

・脚本家が、自分のフォロワーを味方につけて原作者を悪者にしようとした結果、真実を暴露され、返り討ちにあっただけのように見える。 

脚本家が、原作者をこのように追い詰めようとしていたのでは? 

追い詰めようとしていたのは脚本家。 

原作者の時系列を追った説明の仕方は丁寧で、嘘がないように見えました。 

自分が思いを込めて、最初から最後まですべて自分が作った作品なので、原作者が作品を大事にしたいのは当然と思う。 

それをどう扱っているか、脚本家らの、原作者と作品に対する姿勢が見えた事件です。 

 

 

・脚本家の馬鹿な投稿に対応する形で原作者が反論し、ドラマ制作の現場で原作者の扱いがこれほど杜撰だったのかと一般に初めて認知された。しかしその数日後、原作者が自殺という形で亡くなってしまう・・この一連の流れがどれだけ一般社会と乖離した異常事態なのか。 

この記事を書いたライターはSNSの中傷合戦に置き換え、事態をはぐらかしているようにしか見えない。出版社・TV局の問題の捉え方が明るみになるにつれ、出て来る原作者を追い詰める異常な業界の手法。まずはその実情を取材して記事にするべきなのでは? 

 

 

 

・要するに、発火点の書き込みである、何も知らなかったという当事者でない脚本家が不用意に書き込んだことが問題だということですね。当事者である日本テレビがその時点でいいね等をつけることなく誹謗中傷はお止め下さいと表明してれば防げたこと。なぜ日本テレビが誹謗中傷に対していいねをつけたのか。プロの仕事であるにも関わらず日本テレビに諮ることなく勝手にSNSに書き込む等という契約や職業倫理に抵触するようなことをしたのか厳しく問われる必要がある。また、いいねを付けて拡散すること自体が名誉毀損にあたる場合もあり、謝罪すら行っていない日本テレビの当事者としての行動にも大変問題があると思う。 

 

 

・SNSが原因で芦原先生が命を絶たれたと言わんばかりの記事です。 

芦原先生が亡くなられた真の理由はご本人、とても身近な方以外にはわかりません。 

ですが死去直後にほかの漫画家の方がおっしゃっていましたが、自死するにしてもほかにも方法はあるのに、この方法を取られたことでさらに世間は衝撃を受けました。私は時間がたつとともに、芦原さんの深い悲しみと怒りを感じるようになりました。この衝撃的な方法が議論を巻き起こし、原作者の尊重を蔑ろにした関係者の言動が明るみに出ることを期待していた可能性を感じるようになりました。 

もちろんこれも個人の推測でしかなく、SNSを主犯に仕立てたいメディアにとっては「攻撃」となるのでしょう。 

どのみちSNSは現に存在しており、批判したって今すぐなくなりはしません。それより今は真摯に調査を進めてほしいです。 

 

 

・記事にある「ネットでの誹謗中傷」が、原作者の芦原さんの自殺という悲劇を招いたとしているのは違います。問題のすり替えです。日本テレビ、小学館、脚本家の相沢さんが事実を語れば良いのです。特に自死の直前の2日間にどのようなやり取りをしたか、どんなこと芦原さんに伝えたのか、それを隠さずに明らかにすべきです。隠ぺいは不信感を一層拡大させます。その声がネットに溢れているのです。誹謗中傷ではないと思います。 

 

 

・そもそも問題の脚本家が批判や愚痴を安易にSNSに投稿せずに原作者の芦原さんと向き合い話し合いすればこんなことにはならなかったと思う。 

自分への同情票を集めるためにおこなった事で人1人の命が失われた事実を受け止め責任を感じてほしい…逃げてうやむやにするなと言いたい。 

 

言い分を聞き入れてもらえず作品を安易に改変され、多忙な中何とか修正しようと頑張れば脚本家の悪意なSNS投稿で批判に晒されさぞや絶望したのでしょうね… 

作品も壊され批判もされたとなれば気持ちがおれるよ。 

 

 

・流石は権力側のメディア、新潮らしい第三者は黙れ記事だと思いました。 

脚本家相沢友子氏が〈最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました〉とつづった。その後の投稿でもあくまで自分は第1話から第8話までしか担当していないと強調し、第9話と最終回が原作者の手によるものだと説明した上で、〈この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように〉と原作者を攻撃する投稿しなければ、今回の悲劇は起きなかったと思います。 

 

 

・初めは原作者の思いが世間に伝わら無かったのかも知れないが、原作と違ってたのは事実だったし、日テレや小学館が原作者との合意を無視してたのが発端だと思う。霊媒探偵・城塚翡翠の原作者とも日テレは昨年揉めてるし、日テレ自体の体質なんだと思う。原作者をリスペクトする気持ちなど初めから無い気がする。 

 

 

・当事者の方達は互いの言い分を世間に示すためにSNSでのやり取りを選択したのだと思います。 

今回の件は原作者の著作権がいかに保護されるか、今後どうしていくかというのが一番大切な問題だと思います。 

 

 

・外野が騒いだせいで自殺に追い込んでしまった。と言いたいのか? 

 

あくまで想像でしかないが、炎上騒ぎになったことで日テレ小学館サイドから𠮟責なり圧がかけられたんじゃないかと思う。騒ぎから失踪>捜索までの時間があまりにも早すぎる。芦原さんの姿が見えなくなった時点で自殺なりの可能性を思わせるだけの出来事が起きていたんじゃないでしょうか。 

ネットで炎上してると言うだけで自殺を連想するとは思えない。失踪時には風向きは脚本家へ向いていて芦原さんに悪意が向けられた炎上ではなかったにもかかわらず短い時間で捜索願を出してるのは何が起因してるんだろうか。 

 

 

・ネットが人を傷つける危険をはらんでいるのは同感です。ただ一部を除いて大多数の人達はネットが決して匿名ではなくリスクがある物だと理解していると思いますよ。この記事でのネットの批判も間違いではないと思いますがならば週刊誌はどうなのか?テレビ局(ワイドショー等)はどうなの?日頃は何でもかんでも喰い付いてしゃぶり尽くすのは両者も同じではないのか?なのに今回の芦原先生の件には何故か両者はまるで示し合わした様にほぼ触れずにスルーしていたのは何故なのか?そこにネット民が「なぜだ?」と烈しく反応したのは個人的には理解できます。この記事も全てネットの所為にしているのでは?と受け取るネット民も少なからずいるのも事実と思います。 

 

 

・他作品でも原作改変で、他作品の原作のファンから評判の良くなく、業界にいる時間が長くてそういう自分に対する評価も知っていて然るべき、脚本家という言葉を扱う強さも十分知ってるべき人が最初にsnsで一方的な言葉を上げたのが、そもそもの原因ですよね。 

この記事に限らず、燃え広がったsnsに反応した人が先生を追い込んだって風潮にしたがるのがわからないんですが 

『脚本家はトレンドを作ってる私』 

っていう姿勢が見えるインスタをなさっていたので、口火を切った人は最初に火をつければどうなるかくらいわかっていたと思いますし、その性格の悪い脚本家に原作者との取り決めを話さず、いつまでもそのsnsを放置していたドラマの制作元の日テレが問題でしょうに。 

 

 

 

・脚本家の相沢氏は、SNSの危険性を一般人よりもよく知っていたはずと思う。 

ああいうコメントを書けば、自分に同情が集まり、 

原作者を攻撃する人が現れる事は十分承知していたはずだ。 

そういう意味では 

「当事者以外が善悪をジャッジする危険性」 

を利用した実に巧妙な文章だったと思う。 

日テレ側は脚本家やスタッフの不満や書き込みを放置し、 

出版社も経緯の説明を出版社や編集部としての声明ではなく 

原作者個人のSNSで発信させた。 

会社が会社としての責任を果たさない事が問題の本質であり、 

大衆の狂騒に帰結させてしまっては何の解決にもならない気がするのだが。 

 

 

・SNSに書き込む人を批判したいのは分からないでもない 

けれどそれは不特定多数が利用するSNSの特性と言えるものであり発信を慎重に行わなければならない理由です 

 

脚本家が迂闊な発信を行った事により事態は悪化したと言えます 

 

そして本来制作スタッフが外部に情報を漏らす事は管理責任が問われるのでは? 

 

脚本家の降板は放送前に日テレや小学舘が公表しても良い内容 

 

間違っても先生個人のSNSで発信する事では無かったのに日テレと小学舘が行わなかったせいで先生が投稿せざるを得なかった 

 

匿名の投稿者を論ずるよりもそもそも脚本家の投稿が正当な使い方であったのかを論じて欲しい 

 

そしてあのような内容を私的に公表して良いのかも論じて欲しい 

 

根本的なところを論じずSNS投稿者の危険性だけを論ずるのはどうかと思う 

 

 

・誹謗中傷は問題が有ると思います。安直な批判も同様とは思います。 

ただ、今回はどちらかというと故人がこれ以上言えないのを良い事に、テレビ局側と編集部の連絡がどの様になっていたのか等の経緯の発表・責任の確認を未だに発表せずにいる事が一番の問題だと思います。 

 

また、脚本家の方が本当に知らなかったのかは分かりませんが、何故脚本を書かせろ言ってきたのかその事に知ろうともしなかった事、SNSに攻撃的文章を出した事これに原因の一端が無いとは言えないと思います。 

 

マスコミ等制作部の問題であるのに、これまた0とは言い切れないけど本人から語れないのを良い事に、あたかもSNSの一般人の書き込みが追い詰めたのだと言わんばかりの論調には若干誘導の気配を感じざるを得ません。 

何か全く収まらない局側関係者批判の鎮静化を図っている様に見えます。 

 

 

・発端である相沢氏のインスタこそ、経緯も知らずに『原作者に脚本を取られた』ような「安直な書き込み」であり、それを鵜呑みに原作者を批判した書き込みこそ「安直な正義感」だと思う。 

 

その後の脚本家や日テレ側に対して誹謗は、「相沢氏の書き込み」と「原作者の経緯説明」を双方考慮した上であり、「安直な正義感」ではないと思う。 

 

むしろ原作者を追い詰めたのは、「誹謗された側が先生を責め、すぐに書き込みを削除させた」ことではないかと想像している。(あくまで個人的な想像) 

 

そして現在の世間の感情は、「許諾された」「社外公表しない」「社内チームで調査する」「契約書は存在しない」など、明らかに言い訳・責任回避・隠蔽しようと感じる、日テレや小学館への『怒り』だと思う。 

 

 

・ネットでは脚本家を批判する声、日本テレビや小学館を責める声などに溢れていますが、SNSの影響についてはほとんど指摘されていません。 

 

SNSが人を追い詰めてしまう事態は過去にも多くありました。善意であろうと悪意であろうと、言葉は人を追い詰めてしまう。とても恐いものです。しかもこれに抗ったところで勝ち目はありません。もう解決策は、ネットから距離を置くしかない。ネットなど見ない。外の出来事なんて無視すればいいんですよ。世間など、その程度のものです。 

 

クリエイターにもSNSの活用やセルフブランディングが求められる時代になってしまいました。でも苦手な人は苦手なんですよ。止めておいたほうがいいのに、、、と思う書き込みありますよね?上手く距離を取って付き合えない人は、ネットを使わないほうがいいのになあ、とつくづく思います。 

 

 

・この記事の趣旨としてはSNSの暴走に警鐘を鳴らしてるとは思うんですが、「骨の髄までしゃぶりつくす」って当のメディアも同じこと言えますよね。 

誹謗中傷は絶対ダメですが、ネットで(時に偏向的な)批判記事を書くのとSNSで個人的な批判意見をつぶやくのってどう違うんでしょうね。 

ネットは情報も多く色々な事が調べられますが時と場合により嘘もつく、ネットリテラシーの教育が大事だなと本当に思います。 

 

 

・強いものが正しいという論調の本当に酷い事件でした。 

元々の発端は相沢友子さんのSNSの投稿ではないでしょうか?それを報じたテレビ局はなく、ネットの誹謗中傷へと論調を変える小賢しさ。 

プロデューサーや脚本家って事実をねじ曲げても守らなきゃいけないものなんでしょうか。 

私には無から有を生み出す原作者の方がずっと大切です。 

 

 

・「・・・第三者が脚本家やテレビ局、版元に至るまでを批判して攻撃するのは、先生のご遺志に反するのではないでしょうか」 

 

ネットの責任にするのは如何なものかと思います。 

今回の責任は、ドラマの制作責任者、日本テレビと原作者の代理人、小学館にあると思います。本来は、この2社が責任を持って事実関係を検証し公表しなければならなかったと思います。 

この”先生のご遺志に反する”と言うのは、死人に口なしで、責任を取らない為に都合よく利用されてしまう気がします。 

 

 

・時系列から言えば芦原先生がドラマ化経緯説明を発信されて1~2日で経緯説明を削除されている。SNSを苦にされたにしてはどう考えても短過ぎる。これをSNS元凶説にするには無理がある。 

 

SNS炎上が原因と決めつければ誰も責任を取る事なく今まで通りの原作者同意なき改変ドラマは作り続けられただろう。今も問題は解決していないが、調査チームが立ち上がったり契約書を作るべきだという声が上がっているのは寧ろSNSの声故ではないか。 

 

SNSを全肯定している訳ではないが、過去泣き寝入りして来た原作者達の声を無視してSNS元凶説で問題を片付けようとする新潮の記事が怖い。本来泣き寝入りして来た被害者の声を取材して本質に迫るのが報道の責務ではないのか。 

 

当事者以外がジャッジするなと言うなら報道する側の新潮は当事者に取材して報道したらどうか。当事者でない外部専門家の意見だけで印象記事を書くのは最早報道とは言えない 

 

 

・著作権の実務者として、この件には非常に興味がある。というのは、本件が著作者人格権を軽視した結果起こった問題だからだ。 

なので、私は本件に関する発言について、「安直な正義感」とか言われることには非常に憤慨している。 

ネットリテラシーの専門家とか称する、聞いたことも無いような人々の意見を載せているが、それでSNS民がみんな悪人にされる構図というのも、「かなり違うのではないか」と感じる。 

問題は多くの人が指摘しているように、特契(この場合は原作に忠実に脚本を書く、必要に応じて原作者が手を入れる、最悪原作者自ら脚本を書くという契約)があったのに、それを無視して「改変」を繰り返し、さらにはそれを正当化するような脚本家氏のSNS発言が、本件紛争の原因となったことは否定出来ない。 

ただ、脚本家氏だけが悪いわけでは無く、出版社やTV局ももちろん悪い。前例があるのにSNSを軽視していたからだ。 

 

 

 

・著作権の実務者として、この件には非常に興味がある。というのは、本件が著作者人格権を軽視した結果起こった問題だからだ。 

なので、私は本件に関する発言について、「安直な正義感」とか言われることには非常に憤慨している。 

ネットリテラシーの専門家とか称する、聞いたことも無いような人々の意見を載せているが、それでSNS民がみんな悪人にされる構図というのも、「かなり違うのではないか」と感じる。 

問題は多くの人が指摘しているように、特契(この場合は原作に忠実に脚本を書く、必要に応じて原作者が手を入れる、最悪原作者自ら脚本を書くという契約)があったのに、それを無視して「改変」を繰り返し、さらにはそれを正当化するような脚本家氏のSNS発言が、本件紛争の原因となったことは否定出来ない。 

ただ、脚本家氏だけが悪いわけでは無く、出版社やTV局ももちろん悪い。前例があるのにSNSを軽視していたからだ。 

 

 

・前にも原作が最終話まで行ってなくてドラマ化され、原作者の意図しない方向で終わり、原作者が連載を休止し、完結しなかった作品がありました。 

完結してない作品のドラマ化は視聴者が原作で最終話を知ってしまい、ネタバレで驚きが半減することもあるでしょう。 

また、そういうことを配慮してか、原作とは結末が違うと煽るドラマもあります。 

どういう方法があるのか、原作者が最終話を書き上げるまでテレビ局が待って、出版しないで、ドラマが放映された後に出版という形にするか、ですか。 

今回は、漫画を変えないでほしいという原作者に反して、これまで原作を改変してきた(それで人気になった)脚本家を採用したテレビ局の責任が大きいですね。 

脚本家は今回も独自の改変で視聴率を楽しませようと張り切っていたのに腰を折られたと感じてのSNSでしょうし、自分を採用した時点で改変も折り込み済みと勘違い。原作者軽視はテレビ局の責任でしょう。 

 

 

・芦原さんが亡くなった原因がはっきり分からないと言いながら、SNSが追い詰めたと言い切るのもどうかと。 

小学館によると、セクシー田中さんの休載は芦原さんが亡くなるより以前に決まっていたとのことです。どの段階だったのかは分かりませんが、ドラマ化で必死に身を削って守ろうとした原作が描けなくなるというのはかなりのダメージだったのでは。 

今回の件で、たくさんの原作者さんがSNSで声を挙げられています。ドラマ化で辛い思いをされた方がたくさんいて、中には連載をやめてしまった方も。そういった発言が聞けて、出版社やテレビ局の在り方に匙を投げられたのもSNSの力だと思います。 

 

 

・安易なネット世論への責任転換はコンテンツ制作サイドのあるべき責任感を脆弱なものにする要因となりえるので注意 

世に作品を発表するクリエイター達は良くも悪くも大衆からの反応を受けるという最低限の覚悟を持って行動に移すべきですね 

ましてや公共の電波の関係者や週刊誌などはまさに大衆の反応を読む事のプロフェッショナルなのだから余計に神経質でいなければならない 

都合が悪くなると大衆のせいにするのはプロとしてあまりに無責任ではないか 

 

 

・物事の善悪は人それぞれであるが、今回の場合、善悪の問題ではなく、 

原作者の方の意思をきちんと反映できていないこと等に問題がある。 

 

私などは攻撃ではなく、事実を明らかにし、今後同じような不幸な 

出来事が起きないでほしいと思うので、コメントを記載している。 

(それらには第三者も声を出さないと、内内で問題を処理し、 

表に出ず、同様の問題が起きると思う。) 

 

そもそもキャッチ―なタイトルや煽るような記事の書き方を 

ネットニュース等の記者などがしていたりもするが、それらに触れて 

いないことが腑に落ちない。 

 

 

・この問題のことの発端は、脚本家のSNSがきっかけになっているので、犯人探しでは無いですが、脚本を芦原先生が読まれていると思います。それについて絶対に対して指摘してるはずです。脚本家が聞いてなければ、その事を止めてしまった方がいちばんの原因だと思います。 

 

 

・そもそも法整備が整ってない。 

そして日本人が扱うツールとしては、あまり恵まれたツールではない。 

 

海外では必要だったのだろう。しかし日本では言わぬが花と言うように美徳とする部分があった。これは海外では皆無。文化が違う。 

 

文化・生活様式・国民全員の意識・単純な民度・他ets 

海外のツールが必ずしも日本でも同様に必要かどうか?はしっかりと判断するべきだった。仮に時速500k出る車がアメリカで主流だから日本でも必要か?アメリカは信号が無く広大な道を走るシーンもあるだろうが、日本ではほぼ無い。そんなのは高速道路ぐらいで、それでもそんな暴走を要するほどの距離は無い。 

ブラジルではSNSは必須でギャング同士の抗争を知らせる。どこのスーパーは今、危ないと。流れ弾を食らうと警告用に皆が利用している。 

一般人にとっては生命の危機を知らせるツールになっている。 

 

日本でそんなツール必要か? 

 

 

・SNS上で公開で意見を表明してやりあえば外部からの意見も白熱するのは自明の理であり、では原作者の長文の必死の訴えを我々はスルーすればよかったのか?となる。安易にSNS責任論に持っていくのは簡単だがこの事態への対処はそそんな簡単な話ではないはずだ。 

 

 

・ネットで全く関係ない第三者が、論点の違う誹謗中傷や人間性の尊厳を否定するような卑劣な言葉で攻撃するのは言語道断の許されない行為だと思います。 

 

しかし、事の経緯も分からないのに第三者である不特定多数が見れるSNSで脚本家の方が原作者批判をしたことが事の発端だし、原作者の方が説明せざるを得ない状況を作り、テレビ局も小学館も問題が大きくなるまでスルーしたこと自体をまずは問題提起するべきでは? 

 

SNSでネット民が騒がなければ、脚本家も小学館も日テレも説明も謝罪もなく、原作者の『わがまま』で終わってしまっていたと思いますけど。 

 

著名人が批判的内容を発信すれば、それを見た人が意見を言うのは仕方ない事。 

あれこれ言われたくないのなら、最初からキチンと内輪で解決すべきなんです。 

 

報道機関も論点のすり替えをせずに、事の発端や経緯からまずは取材するなりして公平な報道をするべき。 

 

 

・誰かに否定的なことを言えば、同じぐらいの力が自分にも向かってくる。 

だから、私達は自分の発言や行動に、その責任が負えるかを考えなくちゃいけない。 

 

発端となった演出家の発言も、それに賛同したコメントを残した人、そういう記事だけに「いいね」を押した人たちも同じで、風向きが変わったことで、相手に向けた力が自分に跳ね返ってきただけだと思う。 

 

それは、ここでコメントしている私達もだし、この記事を書いた人にも言える。 

私達が、必要以上に巻き込まれれば、自分が認識していようがどうであろうが、加担したことと同じ。 

 

この記事で、その事を言いたいのは、分からなくはないけれど、 

その時に、公正な視点がなければ、それは同時に、安直な正義感と言う言葉で、相手を叩いていることになってしまう。 

 

もう少し、安直な正義感という言葉をぶつけた人たち側の気持ちが汲み取れれば、伝わり方も異なるんだろうけれどな。 

 

 

 

・炎上させてしまった事に芦原先生が責任を感じて心を痛めていた事は疑いの余地はなかろう 

これについて悪いのは制作陣や脚本家の投稿だと言うのは論点ずらしや責任逃れだと思う 

少なくともどちらかだけが原因という事は無いだろう 

 

ただ、この記事は炎上に関わる各々の責任を問うにあたり、炎上を悪し様かつ一様に語りすぎではないだろうか 

炎上の担い手たちは詰まるところお気持ち表明をしてるだけに過ぎないので、こんな話では何も変わらないと思う 

 

 

・今までの日本テレビのドラマ制作の姿勢が間違っていたと思います。しっかりと契約書を作成していない、未完成の作品を映像化するのに対して、事前に原作者に脚本の許可を得ておらず、忙しい原作者に脚本の書き直し作業を押し付け、番組ホームページなどで原作者批判のような情報を率先して発信していた。これらの組織的な嫌がらせ行為が、日本テレビ内のドラマ制作現場では、それが常習化していたように感じられました。 

 

24時間テレビでの社内横領事件でもそうですし、テレビ局として正常に機能しているのか疑問に感じています。今の日本テレビには不信感しかありませんね。 

 

 

・SNSに投下するという時点でよく考えるべきだと思う。 

脚本家の方の投稿が発端となり、追い詰められた結果、経緯を説明するに至った。 

行き過ぎた攻撃はいけないというのはわかるけど、そもそもが何かしらの反応を求めてSNSって投稿するんでしょ? 

投稿する側にもある程度の責任はあると思う。 

今回のことは、テレビ局と出版社側に行き違いなのかなんなのかあったのだし、 

これを機に、声を上げている原作者の方々の話を聞く限りでも、沢山起こっていた原作者軽視の風潮。 

今回の脚本家の方も、寝耳に水と言っていたそうだけど、単行本に原作者は実写化にあたっての思いを載せていたそうだから 

その時点で原作を読んでいない可能性。 

 

SNSの使い方っていうのが良くない人が沢山いるのも事実。 

でも最近は発端になったものがなんなのかから 

意識をそらすために、SNSこそが主犯と言わんばかりの記事は違和感。検証すべきものはあるのに。 

 

 

・炎上もとを正せば安易な改変が繰り返され、原作者の許可を取ればこっちのもの的な制作がまかり通ってたような印象の今回の事件だと思います。 

対応を間違えば炎上を生むのだと思います。 

 

「攻撃したいわけでない、ごめんなさい」と言う最後の言葉を盾に日テレは 

マスコミの力を利用して、真実を曲げようとしてかの様な記事ですが、 

 

発端となったのは、芦原さんとの約束を守らない、日テレには責任はないのでしょうか、口約束も契約なら、白紙契約程恐ろしいものはないと思います。 

改善の余地は日テレ側に十分あり、最悪の結果を防げた事件だと思います。 

 

 

・批判やいい評価って人間なのでコメントするのは仕方ないとしても、批判や誹謗中傷に関しては、自分がその立場ならどこまで許せるか?を考えて欲しいのと文面も喧嘩の要素が含んでいるかなどのマナーを守って欲しいですね。 

 

 

・「原作者が受けた理不尽な思いを晴らしてやろうと、日テレや脚本家へ誹謗中傷が繰り返された」というより、日テレや脚本家が長らくダンマリを決め込んだから批判が集まったのでは? 原作者が個人の生の声だったのに対し、テレビ局や脚本家、出版社はいかにも組織の無難な対応に終始していて(しかも遅かった)印象がいかにも悪かった。批判する方が悪いって記事には首を傾げます。 

それにこの記事ではいっさい触れていないけど、芦原先生以外の原作者が次々に声をあげ、私の時もこんなひどい対応されました、というのが後から後から出るわ出るわ。長らくテレビ局側がいかに好き勝手してきたかが暴露されて、当時残念な思いをした原作ファンの怒りも再燃した。そのへんが非常に大きかったでしょう。 

 

 

・「SNSが原作者を追い詰めた」説は否定できないけど、この件に関しては「本当に追い詰めた人(組織)」がちゃんといることは、Xのスペース内で同じ原作者の立場である湊さんが発言していたよね。 

 

加えて、SNSが追い詰めるのも、マスコミが追い詰めるのも本質的にはどちらも同じなわけで、むしろ、この件に関してはマスコミの追及は過去の著名人たちの不祥事に比べると不思議なくらい弱い 

 

テレビ局や出版社を建前上追及しているようにしか見えないけれど、脚本家に対する追及は、他の不祥事タレントや不祥事を起こした一般人に対する追及に比べれば格段に弱いよね 

 

キャスティングありきで始まったことについても、ホリプロに当初どんな企画書が提示されたのか追求する事だってできるのに、そうした記事はほとんど無い 

 

これだけ追求する要素があるのに、「SNSの問題」にすり替えるのはマスコミの逃げにしか見えないよね 

 

 

・ところで、最初の脚本家の投稿は誹謗中傷にならないのってのが自分は1番気になるんだが。 

 

発端のSNS投稿だけは、脚本家個人だけで決めた投稿でしょ。あの投稿内容とそれに同意したコメントは誹謗中傷なのか違うのかを誰も解説しないけど、自分はそれがこの件の一番の肝だと思うんだけどな。 

アレが出てから原作者さんが経緯説明を出す1カ月の間に何か起きてなきゃ、わざわざ経緯説明出したりなんかしないでしょ。 

ドラマ化で内容改変する制作体制も問題だけど、この件だけで言えばSNSが絡むブラックボックスの1カ月をはっきりさせるのが大事なのでは? 

 

 

・特別芦原先生のファンではありませんが、芦原先生のSNSの発言は作品の思いや事の経緯を丁寧に、且つ誰も傷つけないように配慮された文面でした。 

脚本家のインスタも見ましたが、視聴者の低評価に脚本家がカチンときて「私の脚本じゃないもん!原作者が脚本書いたんだもん!」って感じでした。キツかったよ内容が。 

言葉を表現する仕事にしてるのに。 

 

 

・芦原さんのネット上のコメントは「脚本についての経緯」と「Xの最後のコメント」だけで、どこにもネットの攻撃については触れてない。 

この記事に書かれてる意見も憶測に過ぎないのになぜ「ネットの過剰な攻撃が原作者を追い詰めた」と決めつけて語ってるんだろう…と思う。 

 

脚本についての経緯を書いた後から、経緯を削除しXの最後のコメントを残し、自ら命を落とされる決断をされるまでの間にネット以外で、はっきり言えばテレビ局か出版社から「ドラマ制作陣を攻撃することになるので発言を削除してください」と連絡を受けたとか、そういう形で四面楚歌な状況に追い詰められた可能性もなかったとは言い切れないくらい、その間の情報は無いのに。 

 

ネットで発言した人たちは「揉め事があったことを知らされなければ」騒ぐこともなかった。仕事の揉め事を内に留めずSNSで最初に匂わせた脚本家がやっぱり元凶なのに、原因を他にすり替えるな。 

 

 

 

・事実はひとつじゃない事を分かっていない人が多い様に思う 

まだ全体が見えないうちから出ている材料だけで判断する人も多い。 

自分は自分の考えを書いただけと言っても批判も束になれば受けた本人はかなりの衝撃です 

脚本家の力と言うか位置付けがどれほどなのか分からないけど相沢さんが単体で発信したのはまずかったのは確かだと思う 

芦原さんも説明せざるを得なくなって、まるで脚本家VS原作者の様相でした 

でも後に脚本家は制作側から原作者の要望を何も聞いていなかったと明かされました。 

これを信じて基づくと相沢さんの言い分も単なる嫌味だとは言い切れないと思う。 

いつもと違う仕事にヤキモキした事が文面から伺えます 

しかもお二人が矢面に立つのがおかしいと後に日テレと小学館が攻撃の対象に… 

全体像が見える前に誰かの立場にだけなってエキセントリックに反応した結果も少なからずあるのを我々も認めないといけないと思います。 

 

 

・この問題難しいですよね。 

原作者様が被害者なのは間違いないです。 

 

でも、今まで改変されないドラマやアニメってほぼ存在しないのですよ。 

条件提示したとき、編集さんがそれをきちんと原作者様へ伝えたのかが疑問に残ります。 

それがわかっていれば、誓約書作っていたはずなのです。 

または伝えるときにテレビ局側にこのお願い内容は録音されておりますので、うちは他よりは厳しめの条件なのでご注意くださいねと交渉役が釘を刺しておくべきでした。 

 

今後は二度とこういう悲劇を生まないために、 

・条件を記入した誓約書を作る 

・守られない場合は中止、それまでにかかった費用などの損害は一切負わない 

・脚本家やテレビ関係者は、原作者を傷つけるような発言をSNSで発信しない 

・万が一行った場合は即懲戒解雇 

 

これを徹底し、もし上記条件がのめないと返答があった場合はドラマ化一切お断りにするべきだと思いました。 

 

 

・>むしろ芦原さん自身の最後の投稿内容を見れば、自身が経緯を説明したことで炎上が起きて事態をコントロールできなくなった 

 

テレビ制作側・脚本家さん含めて「視聴者の期待」をある意味「裏切る」ような展開を望んでいるように思えるから、「原作は原作」「テレビ用原作とは別」という考えだと思う。そのため「契約関係の詳細」(多忙でひとに任せていたのかもしれないが)に気づけなかった原作者(漫画家さん)が勢い余って投稿したあとに「自分があれこれ書き込まなければ」と落ち込んでしまった、ということは考えられるる。それでも「命を粗末にする」ほど思い詰めた「別の原因」があったのでは? 「攻撃したかったんじゃなくて」はそれと繋がっていると思えた。 

 

 

・結局、発端を作ったのは脚本家とその支持者たちだ。その人たちが、何故そのようなことをしたのか、説明しない限り、問題はおさまらない。当人たちができないのならテレビ局と出版社が調査する以外ない。ところが、当事者である脚本家、テレビ局、出版社が揃いも揃って説明しようとしない。当事者以外が判断するなというが、当事者が判断しないのだからどうしようもない。 

 

 

・個人的にはSNSも8:2の法則の通りくらいに考えるようにしているが、それなら尚更、原作者の権利が正常に加味されたドラマ制作現場になるまで声を上げ続けないといけないと思っている。 

今回の件に於いて、記事の通り様々な要素が連鎖した結果尊い命が失われてしまったという認識は誰もが持っているところではないかと思う。 

その連鎖の元と言える一つ一つの事象が起こるに至った要因を捉え、それらの繋がりを辿っていくと見えてくるのはやはり、原作者の権利が、意図的にとも解釈出来るくらい機能していないドラマ制作の過程が常態化した現状だ。 

私たち大多数という立ち位置にある一般市民が関心を示し声を上げ続けるべき点は、今回の事件が起きたその根本要因の明確な改善が成される事ただ一つではないかと思う。 

連なる事象一つ一つに焦点を当てればそこにも色々な意見や感情が私の中にも生まれるが、ただ、私が目指すのはその着地点だけだ。 

 

 

・あたかもSNSが原因で芦原先生が命を絶たれたとする誘導を強く感じさせる記事。 

 

芦原先生によるSNSの書き込み前に、日テレドラマ製作陣や脚本家らとトラブルがあり、更に脚本家によるSNSの書き込みがあったことが主要因であり、SNSの炎上は従要因。 

 

また芦原先生のことば「攻撃したかったわけではない」も重要です。この発言は、芦原先生のSNSの書き込みをきっかけにした炎上に対し、日テレや(日テレと協業関係にある)小学館サイドから、「あなたの書き込みをきっかけにSNSが炎上している。どうしてくれるんだ」と詰問されたことを窺わせます。そうした詰問や圧力がなければ、またそもそも本来原作をリスペクトしたドラマ制作や脚本家の発言であれば問題自体が起きていないはずなのです。 

 

 

・SNSの危険性は以前から言われてるし、過去に恋愛リアリティ番組で誹謗中傷された出演者が不幸な選択をする事があった。 

そういう危険性がSNSにある事は、公に出る機会が多い芸能関係者はわかってると思う。 

脚本家の方の投稿は、SNSの危険性を利用するようなモノだったと思う。 

そんな投稿したらどうなるのか?は、脚本家の方はわかってただろう。 

原作者に批判が行く事をな 

騒動に乗っかる人間はもちろん悪だが、意図的に誘発するような事をする人間の方が悪なんでは? 

そういう事態を止める事が出来なかった局や出版社も悪い。 

 

 

・第三者が憶測推測で断罪するのは、マスメディアが始めた事だ。 

SNSが普及し、“一般人がメディア化”した結果、大衆がマスメディアと同じことをし始めたのであって、原因を作ったのはマスメディアなのだ。 

数々の冤罪やメディア蝸を生んでおきながら、それを無視してSNSに悲劇の原因を求めるのは、「我々マスメディアと一般人は違うのだ」という特権意識でしか無い。 

 

 

・ある時にはそのSNSの声を利用し、都合が悪くなると魔物扱い、というのもどうか。 

 

SNSの過度な誹謗中は取り締まりを強化しても良いくらいだが、メディアのそのようなご都合主義は頷けない。 

 

SNSの使い方については作者をSNSを利用して公開処刑する形で責めていた元々のメッセージを出したところが原点です。 

まずはその点に触れる事がなく一般ユーザーの特殊な例を狂気とする言い様はどうかなと思います。 

 

 

・脚本家の方は、正にSNSで「安直な正義感」を煽って炎上を起こして、その炎の矛先が亡くなった芦原さんに向くよう意図して投稿したのではないんですかね? 

部外者が口出すのはおかしいと言うなら、何故わざわざ部外者に向けて脚本家の方は発信したのでしょう? 

何もないところに部外者が首を突っ込んでいったわけではなく、当事者からの発信への反応なのに、ファーストアクションには責任なくて、リアクションの問題かのような論旨には合点がいかない。 

 

芦原さんが最後に直接的にダメージを負ったのはSNSの影響が否定出来ないですが、芦原さんの心理状態がそこまでに追いつめられる経緯があってのことだと思います。 

 

むしろ「安直な正義感」は、マスコミにこそ感じますけど。 

人の生活をコソコソ嗅ぎまわった挙句、正義面して貶める記事が溢れているのに、「当事者以外が善悪をジャッジする危険性」って。 

どの面さげて書いてるの? 

 

 

 

・脚本家の方は、正にSNSで「安直な正義感」を煽って炎上を起こして、その炎の矛先が亡くなった芦原さんに向くよう意図して投稿したのではないんですかね? 

部外者が口出すのはおかしいと言うなら、何故わざわざ部外者に向けて脚本家の方は発信したのでしょう? 

何もないところに部外者が首を突っ込んでいったわけではなく、当事者からの発信への反応なのに、ファーストアクションには責任なくて、リアクションの問題かのような論旨には合点がいかない。 

 

芦原さんが最後に直接的にダメージを負ったのはSNSの影響が否定出来ないですが、芦原さんの心理状態がそこまでに追いつめられる経緯があってのことだと思います。 

 

むしろ「安直な正義感」は、マスコミにこそ感じますけど。 

人の生活をコソコソ嗅ぎまわった挙句、正義面して貶める記事が溢れているのに、「当事者以外が善悪をジャッジする危険性」って。 

どの面さげて書いてるの? 

 

 

・一理あるにせよ、それは現代社会は言論の自由が支えている事の一つの副作用。現実世界では聖人君子が水の様に淡く交わっている訳ではありません。 

要求しても到底実現できないようなネット民へのモラルを求めるよりは、日テレと小学館にちゃんと当事者意識を持ってもらうほうが先でしょうね。 

両者、世論に押されて渋々動いてはいるようですが完全に機能不全に陥っているように見受けられます。 

 

 

・こういう記事ちゃんと読む気しないんだけど、SNSでの大炎上を受けて、小学館と日テレがどう動いたかを明らかにする事が重要だと考えている人も多くいると思います。 

記事を書いた記者?書かせた会社?は、いまだにその事に気づいていないのか、あるいはそこに触れられたくないからわざとSNSのせいにしようとしてるのか? 

いずれにせよ、SNSでの大炎上を受けて、小学館と日テレは原作者さんにどうコンタクトをとったのか、今回の痛ましい事件はその結果起きた可能性があるのかどうか、マスメディアならそこを取材して記事にすべきだと思います。 

 

 

・原作者の意向を無視して、好き勝手にオリジナルを作る事は、著作権に反する行為である。 

また、原作者亡き後、生前の遺言で、「私の作品を映像化しないで欲しい」とか、また、長寿アニメの場合、「私が死んだら、(そのアニメ)終わらせて欲しい」と言う遺言を残せば、当然それに従わなければならない。しかし、放送局にとってはドル箱を失いたくないから、遺族等の関係者に無理やり認めさせたり、遺言を封印させる。 

また、何よりも、それを知らないファンがいる。ファンの「続けて欲しい」の思いを悪用して、それを継続させている。 

だから、『サザエさん』、『おじゃる丸』、『ちびまる子ちゃん』が、怪しく感じる。 

こうした調査も必要である。 

 

 

・SNSが原因であると言うように書いている原因はすべてテレビ局にある。 

テレビ局が早期の段階で事態を原作者とテレビ局、脚本家との仲裁に動いていればここまで大きな問題になることは無かった。 

むしろ放っておいて事態を沈静化するまで待つと言う姿勢がSNSをたき付ける結果になった。 

 

今は昔のようにテレビや新聞が善悪を決める時代では無い。ましてや知らんふりをするのは一番の悪手。 

今はテレビ局が調査に乗り出しているが極めて遅い。 

結果によってはさらに大きく騒がれる可能性がある。 

 

 

・亡くなった方の言葉を使って罪悪感の転換をさせようとする卑怯な記事だね。誹謗中傷の炎上とは別に匿名の意見が全て安直な正義感というほど世間はマスコミより下に見られる存在ではない。そしてこの記事を書いてギャラをもらっている人だって匿名の個人の感想ではないか。制作現場の事実とSNSで攻撃した脚本家とその取り巻き。これが始まりなのは確かではないか。悲しい決断をしてしまったのは本人だけど、知らなかったで済まされるほど簡単に流していいことではない。壊された作品と大切な人を失った家族とファンに対してテレビ局も脚本家も少しの誠実さも反省も見せないままではないか。犯人捜しや善悪のジャッジではないけれど、無駄死にには絶対してはならないと思う。 

 

 

・発端は脚本家でしょ、芦原先生のSNSでの経緯説明の後に相沢クラッシャーが、それを真実として受け入れて自身のSNSでの芦原先生に対しての侮辱とも取れる発言を直ぐにでも削除して芦原先生に謝罪してたらギリギリ最悪の結末は回避できたと思うのよね、本当に悔やまれますよ。 

 

 

・>芦原先生はSNSで攻撃するつもりはなかったと言っておられたし、それ以前にも“素敵なドラマ作品にして頂いた”として、キャストや制作陣、そして視聴者に感謝の言葉を書かれていました。そのことを踏まえれば、第三者が脚本家やテレビ局、版元に至るまでを批判して攻撃するのは、先生のご遺志に反するのではないでしょうか 

 

テレビ局や版元に対し、罵詈雑言をたたきつけるのは確かに意味のないことだ。でも「攻撃するための批判」ではない批判が、今回のSNSでは圧倒的に多いと思う。その一つが作家さんからのテレビ局批判であり、これまでどれだけ著作者が蔑ろにされてきたのか、白日の元にさらされることになっている。 

未だに「第三者が悪い、SNSが悪い」なんて言うのは、この件の本質を理解していないか、テレビ局・版元擁護に過ぎない。原作者が亡くなるという異常事態が何故発生したのか、マスコミはもっと真摯に取材すべきではないか。 

 

 

・>SNSで声を上げた人たちは芦原先生の代理として攻撃したつもりだったのかもしれません 

 

代理ではなくて普通に脚本家の態度に不快感を覚えたからでしょう。 

あとは原作改変それ自体への怒りとか。 

少なくとも動機はそう。体裁はそういう形を借りるケースもあったかもしれませんが。 

 

>芦原先生はSNSで攻撃するつもりはなかったと言っておられた 

 

これは芦原先生自身に攻撃と言う意図がなかったという話であって、 

第三者が何を言おうが遺志と無関係です。 

別に芦原先生には他人が行う批判活動を阻止する義務はありません。 

芦原先生が活動中の場合には騒動の拡大が今後の立場に影響する可能性もあるので配慮が必要と言う考えもあり得ますが、 

残念ながら先生は既に亡くなられているのそうした反動はありません。 

 

この問題、表面に出ている分だけでも十分批判に値します。 

「芦原先生の遺志」を盾に批判を封殺しようというのは誤りです。 

 

 

・ここでいろいろ言ってるけど、SNSが原作者を追い詰めてその結果まるで彼女が自死をしたかのような印象を与えていませんか? 

彼女の告白がSNS上に出てから削除されるまでの間に何があったのか。それは今のところ全く明らかになっていません。 

その意味で、この記事のタイトルはそのまま「デイリー新潮」に返してあげたい。 

彼女の発言を受けたSNSの炎上に驚いたのは、彼女ばかりでなく、出版社や脚本家も多くの非難を受けて驚いたことでしょう。 

その場合どうしますか?脚本家は面識がありませんが、出版社は原作者と面識があります。 

出版社が原作者を非難するかどうかは別として、テレビ局に集約されたクレームや出版社に対するクレームを受けてテレビ局や出版社が彼女に接触した可能性は大きいです。そしてそこで何を言われたのか。 

その結果、彼女は最後の一文を残し、最終的には投稿を削除して自死に至るわけです。問題の核心はここでしょ? 

 

 

 

・なぜ「原作に忠実に」の契約(書面は無い)を守らなかったのか、脚本家にも伝えてないので守る気がそもそも無かった事がわかる為、守らないようにした黒幕は誰?また全く責任者からの謝罪の言葉も無い為、いつまでも追及が続いているのだと思います。 

個人的には許諾を取る為に虚偽の約束をしたというのは犯罪だと思っています。 

まず許諾を取った方に本当に守るつもりで契約(書面は無い)したか、「許諾取れました」だけならその方は詐欺を働いたと思っています。 

 

 

・事の発端は驕っていた脚本家。  

 

ドラマ(アニメ)の感想なんて賛否が有って当然。  

漫画の最新話で騒ぐのだって当たり前。 SNSで手軽に感想が述べられるのだから沢山の人がする。  

そこに脚本を最終回で降板させられた脚本家が登場してしまった。 

原作者への恨み節…をこってり載せた投稿。  

そして脚本家を擁護するファン(?)のコメント。  

読んで腹立った(`Δ´) 

 

この脚本家、原作者には著作権と著作者人格権って言う強力な権利が有るって事頭からスッポリ抜けてたの。 

シナリオ作家協会とNHKは敗訴したよw  

 

原作者がドラマ化を許したからって、作品の権利が脚本家やプロデューサーに移ったとか、勘違いしてない?  

 

人の褌ではなくて、オリジナル企画でヒットさせて下さいよ。 

踊る大捜査線とか相棒とかアンナチュラルとか、自分の物で…。 

 

 

・そろそろ、この様な記事が出てくると思った。SNSは確かに匿名で誹謗中傷する輩も多いのは同意する。けどそのネットを散々利用したのは誰?脚本家じゃないですか?日テレ 

小学館ではないですか?彼らに違うのは匿名でない事だけ。 

原作改変で先生は亡くなったのではないと思う。時系列を見てみれば分かる。脚本家のインスタが発端だし、それを諌めなかった日テレ。原作改変が根本問題ではない、先生は悩みながらも受け入れてた。それなのにそれを踏み躙ったテレビ至上主義の驕った考えだと思う。部外者は黙ってろ、とはこんな時だけ都合良いなと思う。 

それならしっかり調査委員会報告とプロデューサーの見解を発表してほしい。 

 

 

・この方の仰る事にも一理あるとは思いますが、そもそもこのトラブルの原因は日テレの杜撰なドラマ制作によるものだと思います。 

ちゃんと契約通りに行っていれば脚本家(ご本人の言い分が確かなら)の方が文句をSNSに挙げる事も無かったし芦原先生が経緯を説明する事も無かったはず。それを一概にSNSに投稿する方の性にするのはどうか?と思います。 

又、表面に出てこない事が有るのもその通りだと思いますが、だからこそ全ての出来事を詳らかにして周知させる事が必要なのでは? 

昨今色々な所でこの様なトラブル?(個人的には犯罪と思っています)がありますがすべて勇気をもって世間に知らしてくれたから世論が動き是正されるのだと思います。マンガ作者の方々、宝塚の被害者家族の方々、ジャニーズの被害者の方々、きっとまだまだ他にもいらっしゃると思います。 

最後にSNSの発信には責任が伴うべきだとも思います。 

 

 

・>第三者が脚本家やテレビ局、版元に至るまでを批判して攻撃するのは、先生のご遺志に反する 

のは理解できますが、日本テレビが調査チームを立ち上げたのはネット民をはじめとする世論の声を無視できなかったからでは。第三者じゃない人がきちんと対処していれば問題なかった。本件は作品を管理できなかった点では小学館と日本テレビの責任は免れないのに、当初は冷たいコメントを発しただけでけじめらしいものは何もなかった。批判されて当然のことをしているだけで、それを指摘しないのはただの遠慮だし、それは突き詰めるとさまざまなことへの無関心につながる。 

 

 

・「腹を空かせたどう猛なワニやピラニア」に対してエサ上げて都合よく利用しているマスコミが言うのもどうかと思うが。 

 

ワニやピラニアに知性を求めても仕方ないと思う。今回の件だけではなくて、SNSを使ってファンとか安直な正義感を持つ人らを利用する著名人は多い。 

 

今でいうと岩橋と真木よう子とか、安保とグラドルの人とか、ネットにすぐ記事になる。べつにこの人等のtwitter見てない人は彼らが何者かもわからないのに、わざわざ紹介して、ファンだけでなく安直な正義感を持つ人らを煽って呼び込む 

 

その煽りをするのが記事を作るデイリー新潮のようなマスコミ。 

 

そのわりにはこうやって第三者の位置をとろうとする。ワニやピラニアに問題がないとも思わないけど、こういうの問うのならマスコミの在り方はどうなのかまず問う必要あると思うけど。 

 

 

・記事の内容に概ね同意です。 

脚本家のコメントが発端だというコメントをよく見かけますが、それは逆にそのコメントを発端とするSNSでの一連の流れが原作者を追い詰めたと言ってるのと同義ですよね。 

脚本家の方の投稿が配慮に欠けていたことは誰もが思っていることです。そのことを糾弾することしか頭にない姿勢は、特定の個人を糾弾することで自分の鬱憤を晴らしたいという自己満足に見えます。 

 

ただ、SNSによって今回の騒動が大きくならなければ、日本テレビや小学館は問題に向き合うこともなかったように見えます。なので、個人ではなく組織に対する訴えはしていくべきだと思います。 

 

 

・原作者を追い詰めたのは今となっては 

憶測でしょう 

SNSの投稿は言論の自由でありつつ 

公共の福祉の存在もあるわけで 

難しいとは思う 

だけど多数決をとって決めるのが公平なのだとおもうので 

どちらの意見も言うべきだったんじゃないかとも思う。 

因みに原作者が亡くなったを除いても 

私は原作者側についていたと思う。 

 

 

・芦原先生を自殺に追い込んだのはSNSに書き込んだ第三者と言わんばかりの内容ですね。 

 

この事件は決して第三者の安易な投稿が起こしたものではないはずです。 

 

この問題の焦点は、 

・初めから条件を無視していた日テレ 

・日テレよりに解釈していた小学館 

・それによって原作者を邪魔者扱いしていた脚本家 

この三者が原作者の意思を無視していた事が問題の根底にあり、原作者本人が自ら軌道修正に立たねばならない状況を作った事、矢面に立たせたのが今回の発端だったはずです。 

 

安易な第三者のSNS投稿が問題と焦点をすり替えてはいけない。 

 

この問題は今まで当たり前の様に繰り返されていた原作者軽視の風潮を断ち切るべく、専門家を集めた第三者委員会を立ち上げ原因追究をとことんやるべきです。 

 

自ら命を断つまで追い込まれていた先生が報われない。 

 

 

・そもそも「攻撃したかった訳じゃなくて」というのは、だから脚本家やTV局(と出版社)を責めないでという意味なの?本当に? 

 

原作者様は経緯の説明の投稿見ても、最初の方だけだけど作品見ても、優しく繊細な人の気持ちが分かる方のようだから、そういう意味かもしれないけど… 

 

私はその言葉を見た時、脚本家と同業者、扇動された脚本家のファンから原作者様に更なる攻撃が向かったのかと思った。直接ではなくても。 

 

「私はあなた方を攻撃したかった訳じゃない。だから私を攻撃しないで下さい」 

 

という意味に私は当初受け取った。 

 

メディアはどうしても 

 

「芦原さんは攻撃を望んでいない。だから我々と脚本家を批判するな」 

 

と批判を誹謗中傷と言い張って、止めたいみたいだけど。 

 

脚本家の投稿載せてるだけマシだけど、なぜ他の人はさん付けなのに原作者だけ敬称なしの呼び捨てで、あからさまなイジメであることは載せない? 

 

 

 

 
 

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