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「子供にも差別心を植え付ける」障害者グループホーム反対運動が多発している…日本が陥った「隔離政策」の罠

現代ビジネス 2/29(木) 13:03 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/0b710910aaec8a8821285cf14d8f4167b3bb011d

 

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障害者施設の建設に反対する地域住民の背景や現状について報道された記事を要約すると、地域住民が障害者グループホームの建設に反対し、長期間にわたって衝突が続いている事例が紹介されています。

反対運動の背景には、障害者と地域との分断が続いてきた歴史的な問題や、障害者施設における問題点があることが挙げられています。

一方、障害者支援施設の改革や個々の力を回復させる取り組みも紹介され、結局は地域と障害者との交流や理解が重要であることが示唆されています。

(要約)

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写真提供: 現代ビジネス 

 

 「何をされるかわからない」「襲われる」……。相手が障害者と見るや、こうした過剰でまちがった「不安」をぶつける人がいる。ごく普通の住宅街で起きている、不寛容の現場を歩いた。 

 

【写真】「一度も働いたことない40~50代大卒娘」を抱えた高齢親が増加中 

 

 前編はこちら:〈【横浜】「殺され損だ」「何をされるか」「資産価値がゼロになる」…障害者グループホームに猛反対する「ごく普通の住民たち」のおかしな言い分〉 

 

グループホームの前に集まって声を上げる周辺住民(筆者撮影) 

 

 '19年6月、グループホームは入居者の受け入れを始めたが、幟旗は立ち続けた。同市の職員が各戸を回り、旗の撤去を要請しても住民たちはどこ吹く風だった。見るに見かねた筆者は、顧問を務めるKP神奈川精神医療人権センターや近隣の福祉事業所に呼びかけて、反対住民との対話を模索した。 

 

 地域は一枚岩ではない。「あの旗はとても恥ずかしい」「かえって地価が下がる」「子供たちに差別心を植え付ける」などの声も漏れてきた。だが、反対運動の中心人物や、「地域に分断が生じるのは困る」と恐れる地元自治会は逃げ続け、対話の場を作れなかった。 

 

 そこで、「私たちは生きづらさは抱えていますが、犯罪者ではありません」「直接会って話を聞いてください」などと、精神疾患のある人たちの思いを記したメッセージチラシを作り、地域の住宅の郵便受けに定期的に投函する活動を'20年春から開始した。チラシは毎回数百枚作り、内容をその都度変えた。 

 

 1年後、「子どもたちの安全を守れ」と「地域住民の安全を守れ」と書いた幟旗はなくなった。そのため、筆者たちはチラシ投函活動を終えたが、強硬な反対住民は「運営会社のサービスが悪く、居住する精神障害者を苦しめている」などと反対理由を変質させて、いまだに抗議の幟旗を立て続けている。過ちを認めるのが嫌で、意地になっているのだろうか。現在も市が間に入って話し合いを試みているものの、融和に至らぬまま5年が過ぎた。 

 

 このようなグループホーム反対運動は全国で起こっている。全国手をつなぐ育成会連合会が'20年に実施したアンケート調査では、建設や開設の際に地域住民から反対された事例が過去10年で90件にのぼり、4件に1件が反対を受けたことが分かった(回答総数356件)。 

 

 反対理由は「事件や事故が起こるのではないかと不安」が突出して多く、「地域に障害者施設がなじまない」「地価が下がる」「地域への説明が不十分」が続いた。今回の記事では、筆者の地元の神奈川のケースを扱ったが、同調査では東京、千葉、愛知、富山の反対件数が特に多かった。 

 

 

Photo by gettyimages 

 

 反対運動が生じる背景には、国の隔離収容政策によって障害者と地域とが長年分断されてきた問題がある。 

 

 日本の精神科病院はもともと「患者の隔離施設」として乱造された面があるため、数が際立って多く、世界の精神病床の2割近くを占める。そこに長期入院している人の多くは、狂暴性ゆえに閉じ込められているのではない。地域に戻る場所がなく、入院が長引くうちに、自立して暮らす気力すらも奪われたのだ。 

 

 知的障害者は、街はずれや山奥の施設に押し込められてきた。「外からの刺激を遮断すると落ち着く」という関わり方が拡大解釈され、入所者の一部は暗い個室に閉じ込められた。劣悪な環境におかれた彼らがストレスをためて暴れると、支援者は「強度行動障害」のレッテルを張り、監禁部屋の鍵をますます頑丈にした。 

 

 神奈川県では、元職員が入所者45人を殺傷した'16年の相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園事件)以後、県立障害者支援施設の改革を進めてきた。入所者を鍵のかかる部屋から開放し、人間的な交流によって個々の力を回復させている。これらの施設では、最近も職員による虐待行為が次々と発覚しているが、これも改革ゆえであり、以前ならば問題視すらされなかっただろう。 

 

Photo by gettyimages 

 

 改革チームの一員として、県立中井やまゆり園(足柄上郡中井町)に関わる社会福祉法人グリーン理事長の中西晴之さんは、'90年代後半、当時施設長を務めた知的障害者入所施設「青葉メゾン」(横浜市青葉区)の建設を巡り、激烈な反対運動に直面した経験がある。 

 

 「住民がバリケードを張って工事を妨害したり、住民訴訟が起きたりと、それは大変でした。混乱は3年に及び、開設後も抗議は続きました」 

 

 だが、永遠に続くかとも思えた反対運動は、急に収束した。 

 

 「反対運動の先頭に立っていた人の家族が、うちの関連施設を利用することになったんです。『申し訳なかった。これからお世話になるので、よろしくお願いします』と頭を下げてくれました。 

 

 この日を境に地域は大きく変わりました。今では施設と自治会が一緒に開催する秋祭りが賑わい、あらゆる人に優しくできる住みよい街に変わりました」 

 

 障害者が快適に暮らせる街づくりは、ほかの住民たちの未来の安心にもつながる。逆に言えば、障害者を排除する地域に、誰もが暮らしやすい未来はないということだ。 

 

 「週刊現代」2024年2月24日・3月2日合併号より 

 

佐藤 光展(ジャーナリスト) 

 

 

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(まとめ) 

ここでは様々な視点から障害者施設や障害者との共生についての意見が述べられています。

一部のコメントでは、実際に体験した過剰な行動や威嚇的な行為に対する恐怖や不安が表現されています。

その一方で、障害者支援の必要性や共生の重要性を認識する声もあります。

障害の程度や種類によって対応が異なること、障害者施設の不透明な情報提供や対応による不安も指摘されています。

全体を通して、障害者との共生においては、安全性や情報の公開、地域住民との信頼関係の構築など、さまざまな要素が重要であることが示唆されています。

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・福祉施設のバザーに行った時、私の2倍はある男性にいきなり平手打ちをされたことがあります。吹き飛ばされて体が壁にぶつかりその場に倒れましたが、職員の方は私には目もくれず男性を押さえつけるのに必死でした。 

もちろん謝罪もありません。 

一緒にいた当時5歳の息子は恐怖から私に抱きついて、数日間「お母さんぶたれたねー」と言い続けていたのでよほど怖かったんだと思います。 

 

それ以来、体の大きな障害者の方を見ると身構えてしまいますし、近寄らないようにしています。 

 

もちろ差別は良くないことですが、自分の身を守ることも大事です。 

 

 

・よく知られているが、現行の刑法では責任能力の無い人が犯罪を起こしても、多くは有罪にもならないし、代わりに病院に監禁される事はあっても殺処分にはされない。 

 

軽微な暴行や奇行なんかは皆相手をしたくないから起訴もされないし、その隔離先の病院やその後の放逐先である施設が家の周りに出来るのを歓迎する人は殆どいないだろう。 

 

人間としとの責任が無いなら、人間としての権利も認めないし、実際に危険性があるのだから当然の反応だと思う。 

 

 

・精神科及び、精神系グループホームの近くに住んでいます。多くの方が、穏やかに挨拶をされ家の前を通行されます。 

 

一方で中には家の塀のところに立ちションベンをされる方、時には大便をされる方もいたり‥ 

 

ほんの数回の出来事ではありますが、通学路でもある道路なのです。それを子供達が見たらどう感じるのか?その現象についてどう親として説明するのか? 

 

地域住人の許容、精神的な成熟度もかなり求められます。難しい問題です。 

 

 

・うちの近所でも空き家をグループホームにするという話がありました。 

軽度の知的障害がある方が何人かで共同生活をされる予定と説明のチラシが入っていました。 

その空き家はいわゆる事故物件で買い手がなかなかつかなかったので、私は有効に活用できてよかったなくらいの認識だったのですが、すぐ隣や2件先の方はすごく反対され立ち消えになりました。 

反対されている方の話を聞くと、事業所の方が説明に来られて「火事を出すかもしれませんが、ご了承願います」と言ったとのこと。 

そう言われて、反対しない人っていますかね… 

 

 

・小学生の頃、同級生にも下の学年の子にも障がい者の子がいました。休憩時間になると、いきなり奇声を発しながら走ってきたり、時にはぶつかりそうになったりで単純に怖かった。 

親から植え付けられたわけでもなく、友達が何か言っていたわけでもなく、自分で感じてしまったことです。差別しているわけではないんですけど、大人しい子はいいんですけど、やはり衝動性のある人は今でも怖いです。 

 

 

・やまゆり園(障害者が被害者になった例)だけ実例を出して、障害者が加害者になった事件には一件も触れないのは、公平さを欠く/誤誘導であるとの疑問を禁じ得ない。(2007年に子供が歩道橋から投げ捨てられて重症を負った事件等はには言及しないの???) 

 

進出予定の施設側が、(監視等の)十分に職員/人手の手当をする、 

何か事件を起こせば、必ず本人等に責任を取らせるし、施設側もしっかりと賠償等の責任を負う。 

などを地元住民にしっかり誓うなら、地元住民の不安も軽減されるのでは??? 

施設側は/も、地元住民に誠意を持って対応/交渉してるのか? 

 

 

・中学生の時、知的障害のある男子生徒がいました。時々授業中に奇声を上げることはありましたが、小学校からそうだったのであまり気にしていませんでした。 

ある日突然、授業中に私を押し倒し耳を舐めまわしました。先生や他の男子生徒が引き離そうとしても、ものすごい力で抱きしめられて離してくれず、その間私は泣きながら悲鳴を上げ続けていました。騒ぎを聞きつけた他の先生達も来て、やっと引き離してもらえましたが私は吐いて気を失ってしまいました。 

その後、その障害者の両親からの謝罪はなく「暴力を振るったわけではないんだから、このままこのクラスにいさせて」と、言われましたが断りました。結局その子は転校していきましたが、どこへ行ったかは知りません。 

それからは私にとって障害者は恐怖の対象でしかありません。出来るなら一生隔離していてほしいです。 

 

 

・難しい問題だなと。 

差別ということから考えると、なんでも反対的な姿勢はまずいのだろうと思うけど、実際に障害のある方々と関わった経験から、やはり制御の難しい方はいらっしゃいます。 

それをどこまで理解できるかというと、なかなかハードルは高いでしょう。 

そうした施設周辺での迷惑行為の話も実際にありますし、私がボランティアで関わったていた作業所の利用者も、バスの中でお客さんに手を上げそうになって問題になり、結局対応が難しいということで利用をお断りしたケースもあります。 

でも、介護現場にいると、どんなに暴力を振るう方でも、セクハラ、パワハラをしてくる方でも受け入れている。職員は毎日暴言暴力にさらされながらモンスター家族からの理不尽な要求にも苦しめられている。 

根本的な対応基準の見直しや職員と地域住民を守れる仕組みを考え出さないと解決しない問題ではないかと考えます。 

 

 

・難しい問題ですが、私には子供がいますので反対すると思います。 以前息子と電車に乗ったとき、大きな身体の精神障がい者と細身の介助の方が前に座ってました。すると突然本を読んでいる息子にバッと近づき奇声をあげたのです!私は咄嗟に手を引っ張って別の車両へ移動しました。 下を向いて本を読んでいた息子は恐怖でいっぱいの表情でした。その後しばらく電車が怖くて座席に座れるようになるまで時間がかかりました。 障がい者であろうが無かろうが子供に危害を加えるものは許さないです。 

 

 

・デイサービスに勤めたことがあります 

 

通級、支援級に通っている子達と違い、言葉ご全く通じず、全力での噛み癖がある子を見ていました。 

そこの施設長、自分は送迎車でその子と同席する事は絶対になかった。 

役員関係者も無かった。 

 

パートやアルバイトが面倒を見て、みんな噛まれ、青あざができていました。 

私は噛まれませんでしたが、全力で噛もうとする子身体が大きい子と逃げ場のない車内での恐怖。 

 

経営責任者は結局逃げて下に面倒見させます。 

 

施設長がしっかりそういう子を見られる方の方が多いとは思いますが、これをきっかけに私は介護関係の仕事を辞めました。 

 

難しい問題ですね。 

 

この人の指示しか聞かないとか、そういう子もいるので。 

 

 

 

・差別というより学習から来る危機回避なんだと思う。自分もホームで押されたり、成人男性に抱きつかれたりしたことがあるので、どうしてもなるべく距離を取らなければと思います。 

すごく例えが悪くて申し訳無いが、子供に犬に近づくと噛まれる危険性があるよとかそれに近いのですよ。 

もしそれを差別と言われても、やはり身を守る必要性が消える訳では無いので自分の子供には危険性の喚起はすると思います。 

 

 

・昔住んでいた所に障害者の為の大きな学校があり突然のパニック(信号がみんなと一緒に渡れなかった)の場面に出くわした事があります 

男性職員2人、おそらくお母さんが引きずられていました(力が強く止められない状態) 

とにかく近所だったので他の場面にも出くわした事があります 

 

子供さん(小学生)ならいいですがやはり大人となると咄嗟の時の事を考えると 

例えば必ず敷地内からバスなどで移動などしてもらわなければ危険な事もあるのではないでしょうか 

 

平素はそんな事ないのですが(大きな声で歌いながら歩く、謎な決まった行動をするなどはありますが特に危険はなかったです) 

パニックになった時にどうなるか、という事なんですよね… 

 

 

・身内が精神科のグループホームを利用してました。 

最寄り駅からバスに乗りバス停から降りて徒歩30分と車でないとかなり行きにくい…僻地にあり 年に数回脱走する方もいるとか。 

入院するほどではないが、家族とは一緒に暮らせない、または入院から症状が落ち着き自宅で帰る前の準備期間としての利用(身内の場合ここでした)が多いかと。 

大きな声 怒鳴り声は外から聞こえましたし 住宅地や人の多い地域ではかなり難しいだろうなと感じました。 

症状によっては車の音、人の足音 光など敏感になる患者さんもいるため住宅地付近よりかは出来れば山間部など人の少ないとこの方が良いのではないでしょうか。 

見舞いに行く家族はちょっと大変ですけどね 

 

 

・地価が下がるとかは知らないけど、トラブルが怖いのはよくわかる。 

私は小学校低学年のときに、近くの施設を脱走したオジサンがなぜか家の玄関の前に居座っていて、家に帰られないしとにかく怖かった。しかも複数回。その都度、警察呼んだ。アラフォーの今でも思い出すくらい怖かった。 

大学生の時に学会の一般向けのワークショップのバイト中にフラッと一人できた知的障がい者の方に普通に説明をしていただけなのに気に入られてしまって付きまといされた。そのときは周りの人が助けてくれて1時間位休憩室に逃がしてくれてなんとかなった。 

 

怪我をさせられたとかではないが、じぶんにとっては恐怖心を抱くには十分な出来事です。 

 

地域住民の不安を取り除ける対策の丁寧な説明は必要だと思う。 

 

 

・不安なのは、障害のある方の中には、自分を押さえられず、暴力をふるってしまう方もいること。もし、自分の子がその被害にあったらと思うと怖い。 

また、罪を犯しても、責任能力がないといって、裁判で無罪にされてしまうこともあるのだから、一段と不安が高まります。 

しかしながら、自分だっていつか障害を持つかもしれませんので、障害のある方を別世界の人として扱ってはじき出すのも正しいとは思えません。 

今は施設が足りないといわれていますし、しっかり監視しながら、容認していくことも必要かもしれません。 

 

 

・重度知的障害者施設で勤務した経験があります。 

みんながみんなそうでは決してですが、クマみたいに大柄で筋肉隆々で他人に危害を加えるような障害者がいることも事実です。 

その方は手当たり次第職員も利用者も噛みついたので、個室で過ごす対応を取らざるを得ませんでしたが、その方の親御さんは自由に過ごさせてあげて欲しい!!と望んでいたようです。 

その方に24時間付いて回れる職員を確保できる訳もなく、その付いている職員が噛まれる可能性も十分ありました。 

他の利用者の家族さんからしても、大事な子供、家族がいつどこで噛まれるかもわからないところで暮らすことに対して当然不安があります。 

誰かの人権を尊重すれば、誰かの人権が侵害される。 

お金と人材を確保すれば必ず解決するかと言われたらそう言うことでも無い… 

難しい問題だと思います。 

 

 

・近くに知的障害を持つ方々のグループホームがあります。以前は歩きながら大声出したりする人もいて怖かったです。でも一番怖かったのはそのホームの方から近隣の住民に対して何も説明が未だにないこと。どういう方がいて、何かあった時の対処とか教えて欲しい。理解することも気をつけることも、知らなければ何も出来ません。 

 

 

・近くにあるが窓を全開にして外に向かい大声で叫び続けている。何時間でも飽きる事なく異常に大きな声でです。赤ちゃんの昼寝など不可能。施設にせめて窓を閉めるようお願いしたがそれをやらないとストレスで中で大変らしいし電気代の都合でエアコンも限られているから窓は開放したいと言われた。あの大音量は耐え難いものがある。夜中は居ない施設だが昼間は仕事にも差し支えるし子供なんていたらまともに育つとも思えない。差別というより区別であることも理解してほしい 

 

 

・もちろん差別はよくない。わかってはいるけど強度行動障害の人の中には暴力、暴れる人もいる。今までは言ったことなかったが自分自身、障害者施設で働いてから自分の子供には近付かないように言っている。お年寄りが倒されたり、その辺に歩いてる子供が蹴られたりを見てるからやっぱり怖いし、自分の子供は自分が守らないと。だって大の男3人が抑えても抑えられないの間近で見るとホント怖いよ。だからグループホーム増やすより減らしている精神科病院を増やしてしっかりコントロールしてもらったほうがいいよ。 

 

 

・私はこの問題の解決は難しいと思います。施設運営側としては「障がい者へのと共生する地域社会を実現したい」という至極全うな理念があると思いますが、障がい者への理解がない反対派にはそれが届くはずもない声だと思うからです。 

 

正しいか否かが問題では無いのです。自分たちの感情や安全、財産が得体の知れない者に脅かされるかもしれないというリスクを排除したいという人々ですから、障がい者の実態や偏見だの差別だのといった概念は二の次の問題です。 

児童相談所の建設に反対する人々も同じようなものだと思います。 

 

「差別だ」「人権侵害だ」と反対派を批判するのは自由ですが、いざ自分の住む街にそれらの施設ができるとなると血相を変えて抗議する人はごまんといると思います。それが人間だと思いますし、生々しい姿だと思います。 

 

 

 

・我が家の近くも養護学校、ならびにホームが2ヶ所あります。一度、小型犬を抱いたまますれ違う際に、急に犬を殴られそうになったり、会うと元気に挨拶してくる人が、かなり遠くから挨拶してくるので自分じゃないと思ってスルーしてて、しばらくしたら真後ろから挨拶されて振り返ったら目の前にいて、もしそのまま無視してたらどうなったのかな?など、怖ってことは何回かあります。行動予測が出来ないのは怖いです。 

 

 

・危害を加える危険がある障害者は隔離するのが平和なのではないか。 

本当に危害や危険と隣り合わせの現場の職員さんに頭が下がります。 

お互い余計なストレスもなく、被害者にも加害者にもなりたくない。 

 

危害を加えない障害者なら互いに関わったりやフォローして共生は大切だと思います。 

 

 

・障害者支援の問題点は「障害者のみを守ることばかり行われている」ことです。例えば、傷害事件が起きても精神障害者が加害者の場合、被害者より人権を尊重されます。 

 

ご家族がその様な事件に巻き込まれ、怪我をする、命を失うことになった場合でも、加害者である障害者はお咎め無しの事例は今まで多々あります。 

また、それを未然に防止するために精神障害者隔離等を行うと人権問題化されます。 

 

この様な社会環境の中で反対運動が起こることは当然かと思います。綺麗事では済まされないことです。 

 

この様な点も踏まえた国の防止対策、被害者支援策が必須です。 

 

まぁ今の議員達にはその様な事を考えている人は皆無でしょう。お金を集める、税金をどの様に誤魔化すかには労力を使いますがこの様な重要かつ難しい課題は知らん顔ですから。 

 

 

・子供の学校に支援学級があります。そのため子供は割と理解もありますし、慣れてもいます。ただ、身の危険を感じることもあるようで、積極的に関わらないと話しています。 

差別はしないけど、何となく警戒する。周りの子もそのようなスタンスのようで、上手くいっている様子です。小さいうちに関わることで、自然と関わり方が身に付くものなのかもと感じています。 

 

 

・思い込みや決めつけによる差別は良くないですし、人権意識も大切ですが、リアルを知っていないと回避できないリスクも存在します。決して綺麗事では済まされない問題もあります。価値観が両極端に振り幅する人が多数散見する今の我が国では、とても向き合えない、扱いきれない繊細な課題だと思います。 

 

 

・奇声を発するとか、仕草が変わっているくらいならいいですけどね。 

 

昔通勤で使っていたバスで、よく一緒になる障がいを持っている男性がいました。 

背も高く、体格も良かった。 

バスの1番後ろの席にいつも座りたがるんですが、子どもしか座れないくらいの僅かなすき間でも無理やり座ってくる。 

当然ピッタリくっつくように座ることになります。 

その状況で奇声を発しながら腕をブンブン振り回し始めたことがあります。 

隣にいた私の頭に何度も当たり、殴られているのと同じくらい痛かった。 

すぐ席を移動したかったけど、満員のバスで席を立とうにも中々立たず、怖いのと不快なのと痛いのとで非常に辛い思いをしました。 

 

以来、申し訳ないけど様子のおかしな人には絶対に近づきません。 

障害があるなしの話じゃないんです。 

危なそうな人に側に来てほしくないという思いは、当たり前のことです。 

 

 

・大阪市内はグループホームが沢山あるし、車椅子、白杖、歩行器を使っておられる方、支援者と連れ立って歩く知的障害者もよく見かける。 病院の近さ、作業所や生活介護事業所、支援者の質や数の確保を考慮するなら街中しかなさそう。 厚生労働省の調査によると、2023年の障害者数の概数は、身体障害者(身体障害児を含む。) 436 万人、知 的障害者(知的障害児を含む。) 109 万4千人、精神障害者614 万8千人もおられるし、年々増加。明日は我が身かも。 

 

 

・知的障害者と精神的疾患を抱えている人は異なります。知的障害者は体は大人ではあるが低学年程度の知能であったりします。気に入らないことがあると子供がただをこねているような状態であったりしますが暴れると大人が抑えるのも大変なぐらいです。ただしっかりと怒ると子供なので言う事は聞いてくれます。しかし精神的疾患者については人により病状が違うため対応がかなり難しいと思います。隔離することが問題とは言いますが、統合失調症の人の中には攻撃的な人もいます。子供さんがいる方はやはり怖いのは事実です。 

 

 

・上の子が幼稚園、下の子がお腹の中、妊娠9ヶ月の時のことです。 

その日の朝は小雨がパラついていました。 

幼稚園まで徒歩で通っていたのですが、上の子と歩道を歩いていると近くの作業所に通う障碍者の男性がいきなり 

「それはダメでしょ」と言いながら上の子に向かって走りながら傘を振り上げてきました。 

大きなお腹で素早く動けるのか、上の子を守り切れるのか、お腹を庇い切れるのか、そんな事を考えたかどうかすら覚えていませんが、間一髪上の子を抱き抱える事ができ、私の背中で振りかざされた傘を受ける事ができました。 

近くを歩いていた方々が驚いて走ってきてくれて、警察や救急車を呼んでくださいました。 

上の子は絶叫を上げながら泣いているし、私はお腹が気になるし、でその後はあまり覚えていません。 

とても閑静な住宅街での出来事です。 

 

 

・今はうつ病なんか珍しくないから、そういう薬の影響とかで思考力が落ちていたり、入退院繰り返す人もいるよね。 

バリバリ仕事をやって、ある日突然倒れて、脳出血で高次脳機能障害なんか残ってしまって、頑張ってリハビリしている人なんかも、精神系のグループホームなんかに入る事も有るだろう。 

偏差値もそうだけど、偏差値高い人を集めて「安全だ」「優秀だ」ってやっても、「なんとか幼稚舎」なんてやっても、その塀を超えれば無限の世の中が広がっていて、色んな人がいるのは事実なんだよね。 

普通人?の中にも、平気でいじめをしちゃう人、いじめで人を殺しちゃう人、仕組みで得して他の人を殺しちゃう人、沢山混ざっている。 

混ざっているというか、俺もその秩序の中にいる。 

そう考えると、やはり無視出来ない。 

俺もうつ傾向になる事有るし、病気はどうなるか分からない。 

車も乗るしね。 

福祉と関係ない人っていないと思うけどね。 

 

 

 

・我が家の近くにも関連の作業施設が有ります。 

いつ会ってもお互いに挨拶する人、下を向いたママすれ違う人、なんか暴れて引率者に止められる人、 

でも、それは普通の近所付き合いの範囲内です。 

いつも、散歩時の施設職員さんの優しい顔観ると安心します。なんとか社会生活に馴染んで欲しいと思います。 

 

 

・>こうした過剰でまちがった「不安」をぶつける人がいる。 

 

過剰ではありません。 

配偶者の親族に重度知的障害者がおり、街から遠く離れた所の障害者施設にずっといます。 

一度会いに行った時、他の入居者(当然、重度障害者)に腕を思いっきり捕まれました。そんな人に力の制御なんか出来る訳もなく、大人の男の私でさえ腕の骨が折れるかもと思うくらい強烈な力。 

 

職員の方が必死に外してくれましたが「本人に悪気はないんですよ」と言われるだけ。それ以来二度と行ってません。行くわけがない。 

相手が子供だったら大事件です。 

 

当然、個人毎に障害程度も違いますし、性格の違いもあります。 

現実的には事故・病気などで、自分がその立場になる事もあり得ます。 

 

だからと言って住宅街に設置するのは間違っていると思います。 

当該者には「トラブル」の原因が分からないのですから。 

ですので個人的に賛成か反対か…と言われれば反対です。 

 

 

・コメントされている方々の恐怖が伝わってくるなぁと思いました。 

  

 ただ、この記事は障害を持っている子供を親が一生見ることができるわけないし、親が子供を見られなくなったときのためのグループホームが必要、という話なのです。 

 親が見られなくなったとき、いい大人の障害者が放置がされないためにもグループホームが必要なのだと思います。 

 

 それに、今は家族に障害者がいなくても、肢体不自由なかた、認知症のかたなど、これから身近におこりうる障害が家族に起こるかもしれない。そう考えたら、やはり障害者施設、グループホームは今後もっと必要になるかと思います。 

 

 

・押す方も押す方です。メッセージを送り続けただけですか。順番を間違えればただの感情攻撃と変わりません。 

恐怖は、分解していかなければ謎の化け物です。分解すると、「大きい」「急」「個人で対応できない」など、人間本来、誰もが怖いと思う成分が出てきます。それらだったら、「それは確かに怖いよね」と一呼吸置けませんか。話し合いの相互理解が生まれませんか。 

 

「だしぬけに大きな声を出されないか」⇒生理現象や天性の癖の場合もある。出さないという約束は出来ない。言えることは「それぞれにガス抜きの場を設けています」という部分からの信頼性 

「追いかけたりしてこないか」⇒追いかけてくる、こないははっきり言って別の問題。施設側の責任は「物理的にそうならない(施錠がしっかりしている)、門を出るときは職員に加え警備員もつく」など具体案 

 

横暴?自分も障害者ですが、例えば雇用をもらう時はここまで掘り下げて説明しましたよ。 

 

 

・小学校高学年の娘が登校中に知的障害をもつ 

男性に付きまとわれて大変な思いをしました。 

スカートの中をのぞこうとしてくるわ信号待ち中に触ろうとしてくる、通学路を変えてもついてくるし登校時間を変えたら待ち伏せされました。 

警察署の生活安全課に相談し、2ヶ月ほどかかりましたがなんとか解決しました。 

本人は付きまといを認めたが、思ったより障害が重くて意思疎通が大変で、謝っていたが何に対して謝っているのか理解しているか分からない為、しばらくはまだ気をつけてほしいと言われ。 

娘はトラウマでスカートが履けなくなりました。 

障害の重さにもよると思います。 

障害者だからこのような犯罪を起こしたんだとは言いません。 

しかしこのような問題が起こりうるのです。 

頭ごなしに反対している人ばかりではないと思います。 

 

 

・障害者だから許される。 

ではなく、 

間違いな事は間違い。と、教えることをしなかった世代がいるのは確かです。 

子供関係で支援センターに通いました。 

そこではちゃんと当たり前のことを教えていました。もちろん、分からない子もいますが、根気よく教え続けると変わるものです。支援の先生、PT.ST.OTの先生達が教えていくのです。他人が言うからこそ分かるのかもしれないです。 

施設入所している大人も同じです。驚かせる行動していた人も減っていくと。ただ、この根気よくが本当に大変なんですよ。子供の頃に怒られなかった事で全て許されると記憶したのを切り替えるのは長い時間がかかります。 

親は限界あるからこそ、他の方々の助けで共存……と、までは無理かもしれない。 

けど、今は発達障害など様々な障害の人がいるのですからお互い何とかしようと動くしかないと思います。 

 

 

・昔、電車のドア隅に立ってた女の子の前にそういう雰囲気の少年が居て僕はドアの座席端の手すりを掴んでた位置関係だった。 

ジーと女の子を見てるのでヤバそうだなと思ったらいきなり胸に手を伸ばしたので思わず間に割り込んで女の子を通路側に逃がした。 

その後そいつは僕を睨む訳でもなく、キョトンとして女の子の居なくなったドアの隅を見ていた。本当に何も考えてない生き物なんだなと思ったね。 

そういうのを野放しにするのは一歩間違えたら非常に危険だろうと思う。 

 

 

・実際に事件も起きているから、「うちは大丈夫」でなくて、「こうするから大丈夫」と防止策を事細かく決めて、地域住民と契約みたいな約束を交わしてくれたら、お互い安心なのにと思います。 

 

話し合いとは、本来そういうものだと思います 

 

 

・家族にも手に負えないから施設に預けるのだから、家族でもない人にどうにかできるわけがない。 

というのと、 

どんな家族だって、一定の期間の子育てが終わったら、子どもは自立させて子育ては卒業すれば良い。 

というのの狭間で、 

 

施設が必要なのは間違いない。 

だけど、どういう状況ならみんなが幸せなのか、現場は混沌としておりますよ。 

家族だって困って預けてるけど、愛は溢れるほどあるので、やっぱり近くにいてほしいんですよ。 

 

 

・知的障害児は一定の確率で生まれてくるので、社会全体でケアしなくてはいけない問題。他害のある方のケアをしてくださっている介護者の方には本当に頭が下がる。障害者グループホームが少ない県では、親がほぼ全部面倒を見て疲弊しきるのが日本中で見られた。苦しむ親は入居施設を探して近隣県まで行きまくるのが当たり前だった。障害者グループホームは何も悪くなくてむしろ存在しないほうが良くないのだけど、近隣住民が差別をしてしまうので大変難しい問題である。 

 

 

 

・判断が正常に行われない人が近くに来ると、住民としては不安ですよ。 

かわいそうとは思いますが、君子危うきに近寄らず、と言いますもの。 

 

反対していた方のご家庭にグループホームに世話になる人が出たから認めるというのは、住民の方全員の平穏を思えば間違った考えかたです。 

そのご家庭がグループホームを認め利用するようになったというだけの話です。 

 

私は障害のある方を何人も知っていて、彼らを理解しようと昼田源四郎先生の「統合失調症患者の行動特性[第三版]」も大半読みました。彼らに良かれと思うことを彼らの特性を考えて百歩譲って話しても、彼らは頑固でほとんど他人の意見を聞きません。 

 

グループホームは住宅地ではないところに建てるのがみんなの幸せなのじゃないですか。 

彼らは何らかの事が同時に起こった場合、対処できなくてその後どう行動するかわからないですから。 

 

 

・特別支援校の施設実習に行ったときに担当の先生に「こっちの建物には入らないで」と言われたエリアがありました。でも、他の先生と運動会の片付けで荷物を置きに行くことがあり、そのエリアに一度だけはいりました。教室のドアの小さな窓から中を除くと、高校生ぐらいの男子生徒が鉄格子の窓がある狭い部屋で3人、机も椅子もひっくり返っていて、理由もわからず暴れていてゾッとしました。教育を受けられるような状態でもなく、生産性もなく、ただ生きていて、家族にとっては大切な存在なのだろうけど、世間からは「迷惑な存在」と言われても仕方のない人たち。やまゆりの事件が起きたとき、犯罪は絶対に良くないけれど「そう思う人がいてもおかしくない」と思いました。あの日見た、人間とは思えない高校生の状況を目の当たりにしたら、それでも共存していこうと思う人はひと握りではないかと思います。 

 

 

・反対派住民の強硬な意見や思い違いの是正も進めるべきだと思うが、同時にこの筆者みたいな全ての障害者が隔離不要との考えも極論。 

 

やまゆりも利用者や家族の多くは従来型施設の再建を望む声が多かったのに、同業他団体の筆者を様な主張をする方々が県庁へ直談判して知事は声の大きな方に従った経緯もある。 

 

だからグループホーム等では無理な重症者の収容を懸念する気持ちが誤解を助長した側面もあるのではないだろうか。 

 

 

・差別が許されないことであるのは大前提だけど障害のある人が加害者になった場合、責任能力がないことで何の償いも保証もないまま被害者はただ苦しい思いをするだけになりがち 

そうなったら警戒してしまうのは仕方なないことだと思う 

障害者の親の中には目が曇ってしまって「うちの子は全悪の区別も物の道理もわからない可哀想な子だから」と躾や制御ということもせずに許されて当たり前という考えの人も少なくない、悲しいことに 

中には自分が罪に問われないことをわかって何も知らないフリをして犯罪に走る人もいます 

自分を守りたいと思うのは人として当たり前のことです 

反対活動を責めるよりも障害者だから何しても仕方ないねのような扱い方を考え直す方が重要だと思う 

 

 

・障害者をひとくくりに考えては 

よくないと思う 

制御ができないタイプの方もいるけれども 

全員がそうではない。 

軽度であり穏やかなタイプもいる 

 

地域や国や、福祉事業諸々含めて、安全に対処できるしくみを作ってほしい。 

重度な方々は安全を配慮したホームとか 

軽度の方々は地域と融合できるホームとか 

ひとくくりではない、ホームがあるとよいかな、と。 

難しいかもしれないですが…、 

 

 

・差別なんでしょうか? 

 

実際に我が子と一緒にいるときに砂利道で子供に追いかけられ 

石を何度も投げられた事があります。 

その子は走って駆け寄ってきた大人に羽交い絞めにされていましたが、 

押さえられているのに暴れていて怖かったです。 

 

もし我が子が一人の時に襲われたらと思うと恐怖しかありません。 

差別ではなく自衛をするのは当然ではと感じます。 

何かあっても誰も責任を取ってくれません。 

 

 

・被害回避の手段も無い、被害受けた後の償いも無い、再発予防も無い、けど障がいあるから仕方ないのよ何しても許してちょって現状があるのを放置し続ける限り万が一のリスクの存在は頭をよぎるでしょう。施設はそりゃ必要なものだがせめてこの他害に対する無い無い尽くしの理不尽は何とかならないものか? 

被害の経験談にさえなんて差別的なの!って噛み付いてる人チラホラいるけど 

障がいの無い人達って実は無限のキャパシティや傷付かない心や身体を持ってる訳では無いんですよ 

 

 

・福岡市は、一等地の百道、PayPayドームのそば、華やかな商業施設の真横の地区に、特別支援学校や、障がい者支援センター、障害者さんの作業所がいくつもあります。 

どんな気持ちで親御さんたちが送り迎えしているかは、わからないけれど、一般の人たちと交わらない場所ではない所に作る意味って、あると思う。 

 

 

・福祉バザーに行った時、娘(当時20歳)がそこの施設の男の人(その人も20代ぐらい)につきまとわれました。知的障害っぽかったので逃げ回っていたのですが職員はもちろん無視。注意も謝罪もありません。 

障害のある人への理解を求めているのかもしれませんが、すごく怖かったし絶対関わりたく無いと思い2度と行かなくなりました。 

障害による言ってもわからない人を野放しにしても他の方の経験にもあるように急に殴られたりしても相手は裁かれないんですよね。こっちは怖いし怪我するかもしれないのに。 

反対は当然だと思いますよ。 

 

 

・近くに作業所みたいな施設があって前を通ると障害者の奇声というか叫び声が聞こえてきます。 

そこは日中しか障害者の利用がないのでまだいいですが、グループホームだと四六時中そういう声が聞こえてくる可能性がある事を思うと家の近くには正直できてほしくないと思ってしまいますね。 

 

 

 

・地価が下がるで反対している人間の言い分は無視して良いと思うが、 

反面、障碍者の犯罪を犯した場合、責任能力なしで無罪になる可能性が高く、 

何をされるかわからないという漠然的な不安を解消してあげないと理解するのは難しいと思う。 

単純に差別助長というのは、現代ビジネスの拡大解釈と思う。 

 

 

・同じようなコメントがいくつかありますが同様に被害にあった事があります。 

私の場合は連れていた当時5歳の子供が本屋で高校生位の男性に背中をいきなり叩かれました。 

一緒にいたご両親が目茶苦茶謝ってくれて、その男性を引っ叩いてましたが 

正直他害衝動のある子供を人が多くいるエリアに連れてこないで欲しいと願います。 

差別はしたくありませんが、親は子供を守りたいのです。。。 

 

 

・障害のある方でも攻撃的な方、そうでない方に分けて、そうでない方を受け入れる施設を町中に作り、 

攻撃的な方は例えば囚人の刑期中のお仕事として、やらせる→もう刑務所には戻りたくないから更生するかもなどの突飛な解決案でどうでしょうか 

親の人権と大多数の人権を守れるのではないでしょうか、介助の為の人件費も浮きますし、囚人が出られないような建物は逃げられないし、規則正しい時間割が自閉症の方にはストレスが溜まらないようですし、書けば書くほど良い案に思えます。 

 

 

・障害の中でも特に精神疾患を伴う障害の方と関わるには、認知症も含めて、必ず起こる暴力に対する防衛法は知っておかないと、相手は暴走して命を奪いにくる。医療機関であっても、男手が足りず警察に通報した事だってある。また、施設側も、住民に理解を求めるなら、万一傷害殺人事件が起こった際の対応について、周知してもらう必要がある。住民の安全を確保する取り組みなしに善意で理解しろとはあまりに無謀で危険すぎる。 

 

 

・アラフィフですが、何十年も前の小学生のときに道端で障害者の男性に胸当てつきのスカートとシャツの隙間に手を突っ込まれ、真っ平らだった胸を撫で回された経験があるので…殆どの方はそのようなことをしないと理屈で解ってはいるのですが、それらしい挙動の方を見ると自分の身を守るために距離を取ります。 

グループホームに反対運動とかはしないと思いますが、近づきたくない気持ちまで否定されるとつらいですね。 

 

 

・難しいね。立場が違うとそれぞれの立場で自分や家族を守らなければならないから。 

子どもがいるので反対です。って親御さんも、自分の子どもが障碍者だったら、自分の子どもが障碍者になったら、おそらくまったく違うことを言うのでしょうね。優しい子なんです。とか。 

障碍者が家族にいる方も、経験していれば違うかもしれないけど、 

もし自分の家族に障碍者が最初からいなかったらおそらく反対するのでしょう。 

結局わかりあえない。 

 

 

・「自分が被害者になっても相手に責任能力が無ければ泣き寝入り。」 

ニュース報道などからこんな認識が根付いてしまっていると思います。 

差別は駄目。と思いながらも、いざ自分が被害者になるかもしれないと考えると避けてしまうのは仕方の無い事だと思います。 

相手がどの程度の障害を持っているかなどは知る由もありません。 

自分の中でも何が最善かが分からないままでいます。 

 

 

・少なくとも精神障害を理由に刑が無効や減刑されるような、犯罪が悪いことと理解出来ない者を怖れるのは当然のこと 

検査を毎年やって、そのような善悪の区別がつかない者は隔離でそれ以外の善悪の区別がつくものだけなら受け入れるのもいい 

 

 

・正直自分の家の近くにあるのは嫌だな。 

実際問題そういう方たちに傷つけられる事件は起きているし、もし起きても加害者は罪に問われず、金銭補償も期待できない。 

最悪殺されたりなんかしたら目も当てられない。 

リスクばかり高くて何のメリットもないのに受け入れろと言われても。 

せめて何らかの恩恵でも受けられれば別なんだろうけど、慈愛の心を持って受け入れろと言われても、はいそうですねとはなかなか言えない。 

 

 

・誰だって障害を持つ可能性はあるんだから許容しようよは個人的には暴論だと思います。 

 

障害を持つことは悪でもなければ望んでもない。それはほとんどの人が分かってる。ただ本当に怖い思いをした人はそれを繰り返したくないだけ。 

 

他の方のコメントで「障害者施設で働いてみたらいい」というのを見ましたが、じゃあ人は死んだら幽霊になるかもしれないから事故物件に住んでみなよと言われて「確かに!」ってなるのかなと(ものすごく極論ですが) 

 

自分を守るために建設反対っていう人が居ても当然だし、施設を作って安心したいという人がいるのも当然。 

 

 

 

・悪いのだけれど、現実を直視していないキレイごとにまとめようとしていないか。 

程度の違いはかなりあると思うのだが、私は体当りされた事があるよ。 

当たり負けしなかったけど背後から場所とタイミングによっては死ぬかもしれませんね。 

ソレと見知らぬ人に組みついて相手に流血させていたのも見かけた事がある。 

女性が抱えているバイオリンのケースを奪おうとしているのを押さえつけて止めたこともある。 

健常者でもおかしなことをする者は居ますが、常識では計れない動きをしたり、躊躇がなかったり、話しても通じなかったり… 

悪いのだけれども私は距離を取りたいと思うのです。 

差別と区別は違うものだ。 

 

 

・学生の頃電車通学の際そう言う施設に入る人が使う駅があり、乗り組んでくるや女子高生の髪の匂いを嗅いだりして女子高生が悲鳴上げて逃げたりしてるの見てますからね、しかも一度ではなく何回も 

障害者に悪気が無くても周りは最悪ですよ、そう言う体験してるからこそ反対意見を言う人も分かる 

 

 

・まず、前提として、障害者全員が暴れたりするわけではないですね。 

奇声に関しては、確かに初見で聞くと奇声と捉えてしまうでしょうが、言語の発達が遅れていたり滑舌が悪かったり、言葉を話す事ができずに唸り声の様になってしまう方が多いです。 

だから、拒絶する時や相手の言葉が理解できない時に、《嫌だ!》という表現を、ワーッとか同じ言葉を繰り返したり、唸り声になる方がいます。 

但し、大半の人はゆっくり分かるように説明すると理解される方が多いです。 

まあ、その時は理解しても同じ事の繰り返しがありますが、根気よく付き合うしかないですね。 

多分、この《奇声》が1番最初に知的障害者を拒絶するキッカケだと思います。 

自分も支援をしていて、なんで急に!みたいやタイミングで奇声を聞きますからね。 

 

それと、これもよくあるのが、嬉しい!や楽しい!でも感情を爆発させて奇声を発していますね。 

このあたりは声質が違いますよ。 

 

 

・あるスポーツのインストラクターをしていました。 

障害者専用クラスがあり、同僚女性は担当者ではありませんでしたが、レッスンの前後の移動中に成人男性の障害者に抱きつかれたり触られたりしていました。 

お咎めなしです。親もスルー。当然セクハラだのモラハラだのに問われる事もない。 

暴れる事もありましたよ。 

差別するなと言うなら、ダメな事は障害者だろうと理解できるように教育を考え直さなければならないのでは? 

 

 

・障がい者だからとレッテル貼って隔離しても、問題は解決しないと思うんよな。認知症とか犯罪者もそうだと思う。そりゃ俺も娘になんかされたらと思うと激怒もするし遠ざけたいけど、でも逆に娘に障がいがあったら、とかもし障がいがある息子がいて、犯罪リスクが高いから隔離しますとか国や地域に言われたら納得いかないと思う。 

例えばとある性衝動が抑えられない男の子は、赤い色を見たら興奮するからヘルパーさんは赤い色を身に着けないって対応をしてるとか聞いたことがある。なんかそういう理解の入口みたいなのがあればなぁ。とも思う。隔離よりは、相互理解かな。そういえば大昔は壁で囲われて鉄柵があった障がい施設は、ここ最近かなりオープンになって、園生さん?利用者さん?もかなり自由に出入りしてる。そこに至るまでは職員さんと地域住民双方のかなりの話し合いや努力があったんだろうと思う。安易に時計の針を巻き戻したくないものだ。 

 

 

・障害は誰が持って生まれてもおかしくない。差別してる側が持って生まれてきた可能性も十分ある。だから差別は良くない。今時の小学校は道徳の時間ないの?でも障害を理由に犯罪犯しても無罪、減刑あるなら平等ではないって事にもなるよね。 

 

 

・差別は悪いと思うけど、急に大声を出されたり大きな音をたてられたりしたら怖い。市役所に清掃に入ってる障害者さんは大人しくて、真面目に仕事をしてくれてる。危害を加えてこない事がわかってるから私も普通に挨拶してるよ。吹き出物が治らないから皮膚科を受診した時に障害者さんがいた。付き添いにお母さんも一緒だった。高校生位の男性だったかな、キッズルームでアニメを見てて、急に奇声を上げて足や片方脱いだ靴を床に叩きつけ始めた。一見障害者さんとわからなかったし、元々差別意識もなかったからすぐそばのソファに座ったのだけど。少し怖かった。靴が飛んできたら嫌だなぁとか。手足をバタバタしてたし。お母さんがなだめている間『私が何かしたっけかな?』って考えた。席を移ろうかと思ったけどそれはそれで失礼だと思うし。知らない素振りをして耐えた。たまたまなら我慢できるけど、これが常時続くなら耐えられんかも。 

 

 

・>「反対運動の先頭に立っていた人の家族が、うちの関連施設を利用することになったんです。『申し訳なかった。これからお世話になるので、よろしくお願いします』と頭を下げてくれました。 

人間て勝手だな。 

結局自分がその立場になった途端に 

手のひら返す。 

生まれつきの病気じゃなくても歳をとって認知症になったりする人も増えてる。 

今、介護士の世話ならないとやっていけない日本だと言うことを理解して 

障害をもった人への接し方など学校でも積極的に学ぶ機会を作った方が良いと思う。 

 

 

・アメリカで良く言われる言葉に「幹線(高速)道路の計画?いいねぇ!でもうちの前は通らないでね!」・・・差別をしてるわけではない・・自分の平穏な暮らしを邪魔してほしくない・・遠くだったらどんどんどうぞ!・・ってことだと思う。ただですら、精神に異常があれば大きな犯罪をおこしても無罪という不公平感や理不尽を感じてる人も多いわけで、都合よく理解してほしいってのはなかなか難しい・・現実的には、高級団地、中級団地、高齢者団地、・・のような住み分けが1番お互い気にしないのかもしれない 

 

 

・土地の価値が下がると言っている人々はお金にしか価値を見出せない寂しい人たちなのでしょう。葬祭場や乳児院でも同じように騒ぐ人たちがいますね。この人たちは放っておいてよいと思います。 

社会としては必要だけどうちの近くはやだという件は、それがあっても嫌な思いをしないようにするにはどうしたらよいのかをその施設も設置者とともに考えるという姿勢が必要なのではないでしょうか。 

 

 

 

・たとえばなんだけど、大声、奇声は「赤子の泣き声」と同様に、「あー、また叫んでるねー」くらいの感覚の人が増えると少し社会は変化していくのかなと思う 

行動障害は、危害が加えられない限りは見守るというか、これも「あー、また暴れてるねー」くらいの感覚になれば理想 

その反面、そのような人たちの他者への暴力や加害行為をどのように制止させるのか、これを専門職の方々や研究機関、関係各省が早急に対応策を検討して、社会へ広く浸透させてほしい。 

反対している人たちはほぼ、「何をされるかわからないという恐怖(何もされないかもしれないけど分かんないじゃん)」を理由にしているのだから、そこに「心配ありません」と信頼できるメッセージが必要。 

 

あと、今の時代の「普通の定義」が、障がい者に当てはまらなさすぎる。 

普通の定義範囲がもっと拡大されれば、さまざまなカラーを持つ人たちをより寛容に受け入れられる社会が実現するのかな 

 

 

・本当に他害のない人だけが利用する所なのか。障害者の家族ですらグループホームの乱立には疑問がある。グループホームのようにある程度自由に外出可能なら、近隣住民の恐怖は察するに余りある。むしろ敷地の周りにちゃんと塀のある管理された施設が本当は当事者家族にも一般人にも求められてる。 

 

 

・10年以上前にあるクリニックの発達障害者専門のデイケアを利用していた時期がありました。 

そのデイケアではヌシ?ボス?扱いされている肥満体形の中年男性利用者が一人おり、その利用者の事をえこひいきする職員もいました。 

デイケアのレクリエーションを決めるのに利用者同士で案を出し合い、多数決で決まるシステムが取られていましたが多数決で決まったにも関わらず、その利用者から異論が出るとえこひいきしている職員が有無を言わさずその利用者がやりたいプログラムに強制的に変える事がしばしばあったり、お気に入りの女性利用者や職員がいる日は隣の席に無理矢理座ったりつけ回したり、メンタルを病んで来られなくなった利用者がいるにも関わらず加害側には何も注意や指導等はありませんでした。 

「障害者の敵は障害者」と言うような感じに、同じ障害者から見ても申し訳ないが差別なく共存を掲げる綺麗事は無理だと思います。 

 

 

・社会では生きていけない強度行動障害を持った方から 

にこにこして可愛らしくて、何の問題もなさそうでもやはり誰かの手を借りなければ生きていけない方まで 

障害者さんて、レンジが広すぎるんだよね。 

GHが建ちますって言われたときに、やはり強度行動障害の方が引っ越してくるんじゃないか、怖い思いをするんじゃないかって、特に女性だったり子供がいたりすると不安になって当たり前。 

 

逆に 

>障害者が快適に暮らせる街づくりは、ほかの住民たちの未来の安心にもつながる。逆に言えば、障害者を排除する地域に、誰もが暮らしやすい未来はないということだ。 

みたいな言い切りができる方が不思議。 

 

 

・かなり昔、隔離政策から地域への転換期に、急性期病棟で看護師をしていました。 

攻撃的な人、たくさんいましたよ。妄想で隣の家に怒鳴り込んでいった人とか、刃物沙汰もありましました。どんなあり得ない支離滅裂な妄想も、彼らからしたら紛れもない事実ですからね…。服薬である程度落ち着いても、退院したら断薬して悪化して戻って来る人もしばしば。 

正直なところ、この人たちが自分の家の隣に住んでいたら嫌だなと…思っていました。 

グループホームに住む人達は自傷他害の恐れはない人たちなんでしょうけど、自分の家の隣にあったらやっぱり怖いですね。 

 

 

・コメントを見ると「至極当然」な意見が並ぶ。纏めると「偏見や差別ではなく、実際にリスク(危険)は存在する」という事だろう。 

私も仕事で特別支援学校に行った事が有るが、事前に注意事項を聞かされるなどやはり「一般的な日常とは違う空間である」事を痛感した。それを近隣に受け入れるという事は、非日常を日常として受け入れる事を意味する。 

 

誤解を恐れず言うと、「迷惑施設」である事は間違いない。歓迎や容認出来る人間は関係者か利用者か過去にその手の施設を利用した事の有る者位だろう。記事に書かれている“掌返し”がそれをよく表している。 

 

個人的には人道(綺麗事)を理由にただ「受け入れろ」というのは現実的ではないと考える。例えば近隣は住民税や固定資産税が割引になる、固定資産を売却する際に優遇措置が有る、優先的に施設利用出来る等のメリットとセットにする必要が有ると思う。 

 

それでも個人的には反対すると思うが... 

 

 

・小さい頃、障害者の方達とバスが一緒になる時間帯があり不気味でした。 

 

「あーあーあー」と言いながら首を振り続ける人、ブツブツ言ってる人。 

 

そこから学習したのは、距離を取るの一択。 

 

街中でクッキーを売っている時は買ったりしてましたから。 

 

野生の動物と同じ、お互いの境界線を越えなければ無害です。 

 

 

・気持ちはわかる。 

飛行機のビジネスクラスで障害者の方が通路側に座り、お母様が真ん中でミールサービス中、お母様にサービスするためリフターで熱いメインをだそうと手を伸ばしたらてにかみつかれました….。もちろんメインはこぼし、なぜか私が謝る羽目に。 

嫌なのはしょうがないけど、嫌なら席はアレンジしてくれよと思いました。もう随分昔の話ですが、記憶に残ってます。 

抗議活動はやりすぎだと思うけど、街中ではなくちょっと静かな山の麓とかに建設したらいいのでは? 

 

 

・無敵の人って第一空挺団や日体大に乱入して暴れることは無い。必ず自分より強そうな相手を避け弱そうな丸腰無警戒の人間を選んで狙う。 

 

それで本人や周りの人権擁護に熱心な連中が責任能力云々で無罪を訴える。ずいぶん身勝手な連中だと思う。 

 

税金を払って自らに危害を加える連中を養うなんて一番あほらしい。 

 

 

・精神科病院で6年弱働いたけど、世の中の人みんなに理解して欲しいのは「誰一人として望んで障害者になったのではない」ということ。 

病が悪いのであって、その本人が悪いのではない。 

もちろん怖い目にも何度もあったし、最後はやはり自己愛性患者の横暴に耐えきれず辞職したのだけど、悪いのは病気。 

そう思って、今は遠くから見守る気持ちで障害者を見ている。突然暴れたときの対応を知ってるか否かでも、身構える気持ちは全然違うと思う。 

もっと学生時代に学ぶ機会があったらいいと思うよ。 

 

 

 

・顧問を務めている方の記事のようですが、現場で長く働いた経験もある方なんですかね 

精神病棟の医師が患者を拘束することへの批判に対して現実を知らない癖に何を言うのか!と仰っていたニュースを思い出しました 

 

 

・知的障害のある人に電車で突然体を触られたことがあり駅員に捕まえてもらったけど、その後警察に行って話した時に「障害ある人だから仕方ないよね」と言われて終わった。 

今でもそういう人を見るとやはり怖いと思ってしまうし、できる限り遠ざかりたい。 

 

 

・障害者グループホームは基本的に、医師が集団生活が可能と判断し行政の定めに従って適切な評価をもとに交付される障害者手帳を所持し、就労及びデイケアに日中通っている軽度の方々が対象です。 

他害や暴言のある方は面談を繰り返して、改善がない場合は入院や退所となります。 

大きな障害者施設の様なハイリスクの方は基本的に受け入れません。 

 

 

・障害者グループホームに反対しているのではなく、全国どこの自治体住民だって「100人単位」でやってくるのは反対しますよ。それが企業や工場など地元住民の地域活性に役立つなら喜んで招致活動すらするでしょう。障害者施設は病院とも違う障害者に特化したもの。グループホームの理事長が儲かるだけ。スタッフは専門性が強く誰でも働けない。地元住民が働くとしても掃除や調理場の数人。第一病院もそうだが理事長、院長自体が地元に経済還元や地元に根ざすというスタンスには無い。地域交流はスタッフに押し付け。 

障害者施設が地元に受け入れてもらうのはハードルが高い。地元住民にとって何の役にも立たない「企業」が来ようとしたって反対するに決まっています。 障害者グループホームだから反対しているわけではありません。障害者と言えば何でも通ると思っているその姿勢も拒否の要因です。「障害者」「差別」を一括りにしないで下さい。 

 

 

・妹が中学生になった頃、バスで同世代の知的障がい者の男に(空いているのに)近づかれ、手すりに捕まっていたその手を上から思い切り握られたそうだ。 

 

払いのけても繰り返したそうで、怖くなって降りるつもりもないバス停でとりあえず降りて逃げた。でもその男も咄嗟に降りて来て追い回されそうになり、恐怖のまま全速力で走って巻いて、家に帰った来た事があった。 

 

「初めて異性に手を握られたのが知的障がい者だったんですけどーーー!マジでキモイーーー!」と怒りと恐怖で発狂してて妹が可哀想だった。それ以来、どんな理由であれそういう人は生理的に無理、と言っている。今思えば、立派なチカン行為だし、追い回そうとするなんて犯罪。13歳の女の子には相当ショックだったろう。 

 

こんな風に、事件化されてない「嫌な経験」が世の中で沢山溢れてるのでは?反対する気持ちも理解出来る。 

 

 

・戸籍のない叔母は重度自閉症で年1、2度施設から帰って来る。自分が物心ついたころにに、「お前なんかもう知らん、死ね」と繰り返し繰り返し言っていて、障がい者は怖いなと思っていた。ほとんど言葉を発しないが、ご飯を食べてる時に「美味しい」とか祖母に介護されてる時に時折笑顔を見せることがあった。そんな思い出があったが、ふと思った時に叔母は施設で職員から浴びせられた言葉を繰り返していたのではないか。今は帰ってきても笑顔も言葉も一切発しない。ただ障害かあって上手く言葉が出せなかったり、体が動かせないだけで。だから俺は人間なんて心底嫌いだね。 

 

 

・障害者向けのグループホームでも、女性専用とかだったらまだ受け入れてもらえるかもしれないけど、成人男性専用とかだったら不安になる地域住民は多そうですね。 

 

障害がある成人男性を差別するつもりはなくても、障害のある男性が大声を出して暴れていたら恐怖を感じてしまう人は多いと思います。 

 

 

・これはね、単純に順番の問題。現在住んでいる住宅街に、今から施設を建設します、というのなら、反対で当たり前。初めから住宅街に施設があり、了承済みで住むのなら文句は言えない。少し前ににあった、住宅街に保育園建設も同じ理論。 

 

 

・何かあっても病気だからで無罪放免は不公平だしそれも普通の人との差別 

同じように捕まって罪を償ってからスタートしてほしい 

なぜ囚われたかも理解しないだろうが権利を主張するなら義務もある 

 

 

・障がい者と地域の住民が共存でき、お互いに楽しく暮らせたらいいんでしょうけどね。障がい者から平手打ちされたりした人からすると、共存なんて甘い考えは無理だと思うのかもしれませんが、僕はそんな目に遭った事がないから、綺麗事が言えるのかもしれません。 

 

 

 

 
 

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