( 145230 ) 2024/03/03 13:47:26 2 00 3浪早大「一族から大卒者を」親の期待に抱く葛藤 福岡県の名門高校「修猷館」に進学したが東洋経済オンライン 3/3(日) 5:32 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/3c3cced1443b21775503e25454f6788f4fdbc1c5 |
( 145233 ) 2024/03/03 13:47:26 0 00 福岡名門高校に進んだ澤木さんだったが…。写真はイメージ。(写真:kapinon / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 今回は、福岡の名門・修猷館高等学校から体育教師を目指し、現役で福岡大学体育学部に進学するも、サッカー部のレベルの高さに挫折し中退。その後1日20時間勉強して3浪の年齢で早稲田大学政治経済学部に入学。卒業後、読売新聞社に12年勤め、現在は新橋で串揚げ専門店「新橋串揚げの店 夏色」を経営している澤木祐介さんにお話を伺いました。
【写真】卒業後はマスコミに就職。現在は新橋で串揚げ屋を営む。
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■大卒者がいない家庭、親は大学進学を熱望
多くの人が浪人を長引かせる理由はたくさんあります。
モチベーションの低下、自分の学力と比べて偏差値が高すぎる志望校、経済的理由で勉強時間が取れないことなど。
その中の1つとして考えられるものに「親の期待」があります。
今回お話を聞いた澤木祐介さんも、一家に大卒者がいない家庭から大学に進学・卒業することを期待され、一度大学を辞めたにもかかわらず、3浪の年齢でふたたび大学受験をしました。
「父親に才能がないと、諦めてもらうため」に勉強していた彼は、1日20時間もの猛勉強のすえに、1年で偏差値を30上げ、私立大学最難関学部の早稲田大学政治経済学部に合格したのです。
どうして彼は、乗り気ではなかった大学受験を頑張ることができたのでしょうか。
澤木さんは石油運送会社で職場結婚をした高卒の父親と母親のもと、福岡県福岡市に生まれました。2歳からは山口県の小野田市(現・山陽小野田市)に引っ越し、小学2年生からは東京の大田区に移って、中学2年生で、ふたたび福岡に帰ってくるという転勤族でした。
小学校のときの成績は中の上で決して悪くはありませんでしたが、どうしても一族から大卒者を出したかった彼の父親は、最高学年となった彼に“特別講義”を実施します。
「6年生の最後のほうになってから、親父に『ちょっと座れ』と言われて、2時間くらい話を聞かされたんです。日本社会は大卒者が出世してお金を稼ぐ仕組みだから、いい大学に行けという内容でした。私はそれまで勉強をほとんどしたことがなかったのですが、その言葉が響いて、参考書を買ってやりこむようになりました」
父親の講義で「スイッチが入った」と語る彼の中学1年生のときの成績は、猛勉強の甲斐もあって学年1~3番。当時東京で受けた模試では偏差値が71だったそうです。しかし、中学2年生で福岡に戻ってからは、成績が下がってしまいました。
「東京と福岡で、授業の進み度合がちがい、中学時代に一度も日本地理を習えなかったんです。模試で地理が出ると当てずっぽうで解答したので、71だった偏差値は、2年生の終わりには59まで下がりました」
それでも、この逆境に気合いが入った澤木さんは、地理を克服しようと、いろんな参考書を買ってひたすらやりこみます。その結果、何もわからなかった地理は入試の得点源にまでなりました。
「気がついたら朝まで勉強していたこともあった」と語るほど猛然と勉強していた彼は、高校受験で第1志望であった福岡の名門・修猷館高等学校に無事合格します。
しかし、ここから彼は劣等生へと転がり落ちてしまいました。
■成績4番から480番に転落
福岡有数の進学校の入試を「最高にうまくいった」と語る彼は、4位の成績で入学。しかし、のちにキャプテンになるほどサッカー部の活動に打ち込んだ彼は、まったく勉強をしなくなりました。
「高校時代は部活と、麻雀と、彼女で忙しかったです(笑)。夏休み前の成績は学年で10番の科目もあったのですが、中学受験の貯金がなくなっていって、だんだん成績が落ちていきました。親が先生に呼び出されて『おたくのお子さんは4番で受かったのに、今は(最下位の)480番だけどどうなってるんだ』と言われたこともありましたね。完全に勉強に興味がなくなってしまったんです」
親は一橋か早稲田にいって商社マンになってほしかったそうですが、本人はこれといった将来の夢もないまま受験学年に突入。
高校3年生の夏くらいに模試で偏差値が40しかないことに気づいた彼は、『得意の運動を生かして体育の先生になろうかな』と思い、福岡大学体育学部体育学科を第1志望に設定します。
受験勉強をする気が起きず、直前期も勉強時間ゼロで浪人確定だと思っていた澤木さん。しかし、蓋を開けてみたらまさかまさかの合格だったそうです。
「受かるわけがないと思っていたので、驚きました。当時はみんな『修猷館は4年制!』と言っていて、隣の修猷学館という予備校に入るのがお決まりのコースでした。赤本も買わず、塾も行かずで、浪人する気満々でした。だから、浪人が決定したサッカー部の同級生は『なんでお前が大学生なんだ!』って怒っていましたね(笑)」
■大学にいる意味を感じなくなる
こうして現役で福岡大学体育学部に進学した澤木さんは、大学でもサッカー部に入ります。高校でも主将を務めたように、運動神経には自信があった彼でしたが、彼はこの環境で同級生と自分を比べて、「すべてのレベルが違うこと」に愕然としたそうです。
「周囲の選手たちとは、大人と子どもくらいの実力差がありました。当時福岡大学のサッカー部は全国の頂点に君臨していて、高校で全国を経験している人しかいないスーパースター集団でした。来るところを間違えたと思って、1カ月もしないうちに部活に行かなくなり、学校にも行かなくなりました」
朝からパチンコ屋に通いつめたり、仲のいい浪人友達とゲーセンや麻雀に行ったりしていた澤木さんは、しだいに学校にいる意味を感じなくなっていきます。
ずっと「辞めたい」と思っていて、ようやく父親に切り出したときには2年生の終わりになっていました。
「もう大学に行きたくはありませんでした。だから、『1年間勉強して公務員になろうと思ったので、そのための専門学校に行かせてほしい』と伝えたんです」
しかし、大卒のいなかった澤木家にとって、彼が大学を卒業するというのは一家の悲願であったようです。
「とにかく1年浪人して、どこでもいいから大学に行け!」と言われた彼は、抵抗しながらも父親を納得させるために3月末に福岡大学を辞め、4月から代々木ゼミナールに通うようになります。
「2年間まったく勉強せず、現役のときより偏差値が下がっていると思っていたので、心の中では今から大学に行くのは絶対に無理だと思っていました。予備校では修猷館出身だと伝えたら好きなコースの授業を受けさせてもらえたので、『受かるわけがない!』と思いながらも明治中央コースに入れてもらい、浪人生活をスタートしました」
そもそも大学に行くつもりのなかった彼が、しぶしぶ3浪の年齢で浪人を始めたのは、「父親に諦めてもらうため」という消極的な理由だったそうです。
「父親に1年死ぬ気で頑張っている姿勢だけ見てもらえればいいと思っていたんです。一生懸命やってどこも受からないのを証明すれば、どうせ全部落ちるから、父親も僕に(勉強の)適性がなかったと諦めてくれるし、大学に行かなくて済むんだろうなと考えていました」
■修行僧のような生活、成績もどんどん上昇
しかし、澤木さんはこの1年の頑張りによって、自身すらまったく想定していなかった成長を見せます。
「最初は仲のいい子が2浪で駒澤大学に進んでいたので、自分も日東駒専(日本大、東洋大、駒澤大、専修大)に入るくらいまで学力を上げられたらいいなという感じでした。ですが、睡眠と食事と風呂とトイレ以外はすべて勉強という修行僧のような生活をしていたので、偏差値がものすごく上がったんです。
今思えばたしかに、日本で一番勉強したなって思えるくらいには勉強していましたね。眠気がひどいときはシャーペンの芯を手に刺したり、ヒゲを抜いたりしていました。日光をまったく浴びずに室内にこもっていたので、顔も真っ白に変わっていましたね(笑)。そんな生活を続けていたら早稲田の政治経済学部の判定がAになって、代々木ゼミナール九州校で3位、全国でも2桁の順位に入るようになりました」
最初の模試で3科目平均50に満たなかった偏差値は、模試を受けるたびに5ほど上がったそうで、夏には60に到達。冬の最後の模試ではなんと77に到達しました。
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( 145232 ) 2024/03/03 13:47:26 1 00 (まとめ) - 文中の複数のコメントには、自己肯定感の重要性や人生における挫折の乗り越え方についての考察が見られました。 - 学歴や経歴だけで人を評価するのではなく、個々の能力や個性、自己実現の道を選ぶことの重要性が各コメントに反映されています。 - 自らの望む人生を歩むこと、些細なことでなく何かに熱中すること、失敗や挫折を乗り越える力が大切であるという点が共通して出てきています。 - 学歴や浪人経験の重要性に疑問を持つ意見、若いうちから自分の道を見つけることの大切さを強調する声、社会での成功のあり方について多様な意見が表れています。 | ( 145234 ) 2024/03/03 13:47:26 0 00 ・大学受験で時間かかっても自分の力で一般入試で合格を勝ち取ったから得たものがあったのだと思います。そういう紆余曲折を経験した受験生は大人になって挫折しても乗り越えられるようなガッツがある人が多い感じを受けます。 まだコロナが終わってないですが飲食店経営でも成功できるといいですね。
・27歳で大学卒業、12年間読売新聞で勤務して、4年間とんかつやで修業し、2019年に串揚げ店をオープン。 27+12+4+5=48 50歳ぐらいかな? その年代だとトップ高に合格した後 高校3年間遊んで暮らし、大学全落ちしたあと1年浪人して早慶って 普通のコース。 早稲田は「中退一流、留年二流、卒業三流」とか言ってた 古き良き時代ですね。 当時は十分通用したし、ご本人も悔いのない人生でしょう。
とはいえ、入試のために必死に勉強して、合格すると勉強をやめてしまうのは 日本の教育の問題点だからね。 大学合格だけを目標として 偏差値をあげることしか考えないとこうなってしまう。 これから大学受験をする人は、大学説明会やオープンキャンパスなどにちゃんと行って、いろんな話をきき、大学入学後の生活や将来の仕事に対する解析度をあげたほうがいいよ。
・父の「一族から大卒者を出したい」という一存だったが、卒業したあと記事の後半は、父の考えや一族の反応など全く出てこない。父にとって大学卒を輩出することだけが目的のように読める。大学さえ出ればあとの人生は順風満帆、とはいかないのは世の常。この方は後悔していなければそれでよいと思う。
親の「導き」って子どもにとっていい方向になるのかそうでないのか、 子育てを終えた今だからこそ自分の子であっても畏れ多いような気もしてくる。
・大卒をと願う親の気持ちは間違いではないと思う。自身がそういう親の下で育ち大学を出て就職しまもなく60代になろうという今だからこそ思う。その経験から我が子には大学に行くだけでなく、さらにその先を見据えた生き方を伝えており、そこに向かって歩みを始めた。一族の生き残り戦略として、親という役割は次の世代に新しい情報や経験を伝えるために常にアップデートしていく必要があるように感じる。
・昔、私の東大受験の頃は、ほぼ現役3割、一浪5割、二浪以下2割の合格者であった。圧倒的に浪人が多かった。文科なら早稲田政経、慶応経済、理科なら早稲田理工(慶応工学部は出来たばかり)を第二希望とするものが多かった。国立では当時は二期校というものがあり、文科では横浜国大、東京外語大を受験した。どこの大学に行こうと社会に出れば特に優遇されるということではない。そんなことは子供心にも分かっていたが、当時の受験生は”純真な憧れ”を以て志望校を受験していたような気がする。私のように頭が悪くさして能力もないものは、死んでも合格してやるとの強い意志をもってひとり猛勉強した。人生の終わり近く、今振り返り、ただひとつ誇りに思うのは、”わが青春に悔いなし”である。親にいわれて大学に行ったとかでなく、自分の意志で猛烈に受験勉強し、やっとのことで志望校に合格出た喜びは、死んでも消えることはない。
・福岡県内随一の進学校、修猷館高校に通って勉強せずに校内順位最下位当たりに居ても中退せず卒業し、福岡大進学、中退、浪人での猛勉強で最高峰の早稲田大学に進学(何やかんやで卒業もしてる)とは、基本、座学を習得するのが他人より得意だったと推察します。 勉強の効率が高いのかな? 他人が真似て浪人からの早稲田進学は簡単ではないでしょう。 3流高校から浪人を経て国立大学に何とか入ったオジサンはそう思います。 本題のとおり、浪人生活も、親の経済状況が許せば悪くないですよ、ただ、よほど自分を律せないとね。
・本人が良いなら、それで良い人生だと思います。
ですが、同世代の人間として、もったいないなあ、と思う。 恐らく、何のために大学に行くのか、キャリアをどう形成するのか、という意識が弱かったのだと思う。
当時の大学進学率は3割ほど。日東駒専や福大、西南学院でも1浪は当たり前でした。 自身がやりたいことをするために、大学を上手に活用していれば、今の職にしろ、遠回りせずにつけたのだと思います。
そういう私も似たような人生を歩んでいますので、励みになる記事でもあります。
・すごく馬力のある人ですね。大学で学んだこと、その内容自体は実人生で役に立つことは殆ど無いと思います。要は耐え忍んだ時間、頑張った経験がその人の核となり、生きていくエンジンになるのでしょう。難関校に進むメリットとすれば同じように頑張りのきく友人達と知り合えること、でしょうか?
・私は早稲田大学の法学部に一浪して入学したが75歳の現在思うことは大学入学を目指すことそのものよりもっと大事なことは人生で何を目指すかという目標をもって進学すべきだということだ。早稲田大学でもほかの大学でも結果において大した違いは出ないと思っている
・特殊な仕事に就くための特殊な学部に行くためならまだしも、難関大から中堅大からFラン大までのどこにでもあるような学部で2浪や3浪されていますと、その方はまず大学で何をやるか、何を学ぶかよりも、大学名のブランドにこだわる方なのであろうと捉えられます。 そしてその大学に入る学力に達するまで他の人より2年〜3年の余分に時間を要したと。 一般入試で受験勉強をしてた人は社会に出てからも短時間に物事を理解したり、短時間に業務を正確に処理することに優れている人が多いように感じます。 最近は浪人する人が減って同じ大学でも昔より低い学力で入れるようになっている上、推薦やAOで入る人も増えてます。 浪人ならおそらく推薦やAO入試ではないだろうということで採用する企業側は1浪、2浪くらいは公平に見てくれると思います。
・中学で東京から地方に転居して、全国模試の成績が大幅に下がったというところから、東京と地方の教育格差を感じました。地方の公立校はのんびりしていて、受験直前まで教育カリキュラムが終わっていないんですよね。これは今も変わっていないのかな?
高校生活のところからは、浪人前提の大学受験という当時の地方伝統高校あるあるな雰囲気を感じました。記事中の予備校が現存するのか存じませんが、「一浪」と書いて人並みと読む、なんて言われた時代でもありましたね。 マスコミに限らず、就職氷河期であっても大手金融・商社にも多浪・多留で就職する実力者もいました。厳しい時代だったからこそ、実力本位だったのかも知れませんが。
「一族から大卒者を出したい」。このかたの父親が、学歴のことで相当悔しい思いと苦労をされて、子供には同じ思いをさせたくないという親心があったのかな。子供の教育のため、嗜好品を我慢する親も多かった時代。
・今後はどうされるのでしょうか。このまま飲食業を続けるのか。 専門的な仕事もあるかと思います。福岡の東筑高校出身で元プロ野球選手だった桧山さんは司法書士として、活躍されてます。 勉強して結果を残す経験をされているのであれば、挫折と成功と現場経験を活かした専門家としてのキャリアもありかと思いました。
・すみません、一体親にどれだけ払ってもらったのだろうとしか思えなかった。私は九州の福岡じゃない県の進学校から一浪して九州他県の国立大に行ったけど、家計の都合で私立大は一切受けさせてもらえなかった。他県の大学に行くのも渋々。学費は一部の自分の負担、仕送りは雀の涙で、ひたすらバイトの苦学生だったけど四年で卒業したよ。こんな自由ができるほどの経済力が親にあったということがただ羨ましいです。
・私は大学院を修了しましたが、学問と仕事(お金を稼ぐための)は別々に捉えていて、専攻を活かした仕事をしたいとは思いませんでした。己に対するプレッシャーや責任というか、興味というか、楽しみという意識が全く違うので。もうアラフィフですが、やりたい仕事は特になかったです。仕事を通して、色々学ばさせてもらいましたが。現在の目標はFIREです。
・澤木さんの波乱に富んだ浪人生活、その後の生き様にある意味感動を憶えました。
私は子どもの頃から勉強ダメ人間でした。小学校、中学校と常に成績は中の下。小学校の時は運動もダメでしたね(笑) しかし中学の時に陸上部に入って、意外に走れることに気付いて、それから陸上に打ち込む毎日になりました。 一方で勉強は相変わらずダメでしたが。
高校進学に際しては陸上部に入部する条件で私立高校に進学。 陸上には打ち込みましたが勉強も少しはやるようになりましたが、大学受験は体育大学目指して受験するも全敗。 結局2浪して体育大学に入りました。
今50代半ばの私ですが、これまでの人生、自分なりに頑張ったと思います。 しかしもっと頑張れたなと思う後悔の気持ちもあります。
ホリエモンさんが言っていました。 「人生トライ&エラーの繰り返し」だと。 正に今回の記事はそんな生き様だと思います。
・串揚げの店は、早稲田大を卒業しなくてもできるんじゃないか? 自分の意思ではなく親の都合を押し付けられて大学へ行った結果、結局、2つ目の大学も留年して、真面目な人の1年分も通わなかった。何もお金がかかる東京に、わざわざ出てくる必要もなかった。 だから早稲田大を卒業しても、その経歴を生かした人生を歩んでいない。一人前の大人なのだから、自分の好きなことに時間を使って、実りある人生を歩んだ方が良い。
・今回は、純粋な3浪ではなく、福岡大現役合格→2年で中退し受験浪人1年間→早稲田政経合格、という3浪の年齢に相当する方の記事です。 また、高校受験、大学中退浪人再受験ともに、一端スイッチが入ったらとことん勉強して、習得能力も高い資質の持ち主という点でも、はまいさんのこれまでの記事の方とは少し異なるケースですね。 「浪人生活の教訓:本気で取り組めば、人並みのことはできるようになる」 と記事は結んでいますが、 私はむしろ 「勉強はやるか、やらないかだけの違い」 こちらのほうが教訓らしいと感じました。
・これも人生ですね。後悔していないようですのでいいですね。自分の性格では絶対不可能なので憧れます。 私は地方の3流大学出ですが、近所のおじさんが言っていた言葉「どの学校でも1番は出来のいい奴、レベルの違いは下位の奴のレベル」確かにわが校でも司法試験に合格していた。東大と3流大学は下位が全く違う。自分でも大学で真剣に勉強していれば本当に良かったと思う。大学の教授も出身高校で学生のレベルを見ているようです。どんな大学でも合格して4年頑張って、もっと勉強したければ大学院へ進学。それくらいの心意気があればな、と孫に期待しています。(笑)
・60歳ぐらいの人の話かと思ったら、この人まだ40代で自分より年下だった。 修猷館を4位で入ったり、勉強しなくて福大現役合格だから、元々地頭は良いんだろう。その気になれば早稲田は楽勝なのは当然。自分も高校で数学捨てて、現役で早稲田大学政治経済学部政治学科に受かった。好きな科目しかやらなくて済むから楽しくて仕方なかった。入ることが最大の目的で、入ってしまった後のことをあまり考えてなさそうなのも気持ちは良くわかる。
・夫側の一族は一人も大卒者がいず、うちの下の子が地元国立大に一浪で入ったのが初。元々地域一の進学校に入ったので進学はするだろうと思っていましたが、本人的には勉強嫌いだから本当は高卒で就職したかったらしいです。ただ、大卒の方が職業選択の幅は段違いなので、そのためにも進学はして欲しかったですね。高校自体、卒業生の9割以上が進学でしたし。 私の方の一族はそもそも父親が大卒だったり大学進学者もそこそこいたので特に騒ぎにはならなかったけど、子供が大学合格決まった時の夫側の祭りはなかなかでした笑
・夫側の一族は一人も大卒者がいず、うちの下の子が地元国立大に一浪で入ったのが初。元々地域一の進学校に入ったので進学はするだろうと思っていましたが、本人的には勉強嫌いだから本当は高卒で就職したかったらしいです。ただ、大卒の方が職業選択の幅は段違いなので、そのためにも進学はして欲しかったですね。高校自体、卒業生の9割以上が進学でしたし。 私の方の一族はそもそも父親が大卒だったり大学進学者もそこそこいたので特に騒ぎにはならなかったけど、子供が大学合格決まった時の夫側の祭りはなかなかでした笑
・澤木祐介氏の半生面白かったけど父親世代の人生も知りたいな 高卒と大卒では同期でもその後が違うというのは今もあるはあるけど 澤木さんのたぶん少し上の自分からしたら 進学塾通わせ名門校から大学進学 退学後は専門校そこからの早稲田とか 当時の日本というか澤木さんの父親はそれが可能な給与得ていたろうことが羨ましい 翻って現在の日本の経済状況は 子の進路は親の経済力である程度決まり そこに個々の学力コミュ力に比例してコスパタイパコンプラ重視リスク回避も考慮して…となると交友関係結婚恋愛等々仕事以外面倒になる生きてるだけで精一杯の状態世代違うもよく分かる
エネルギッシュな澤木さんの記事面白く読みながら 仕事やバイトや学校内の愚痴やアクシデントをたまに話してくれる子ども達が 心身なるべく病まず人生全うすることを願うばかりです
・修猷館高校に4番の成績で入学したなら、普通は東大京大を目指すレベルなので、多少回り道をしても本気でやれば早慶は余裕で受かるでしょう。 挫折も経験して、それを乗り越える精神力がある方が意味があると思いますね。
・私などは、高校は農業が好きで農業科にはいった、小中高と全然勉強しなかった、受験勉強もした記憶がない。しかし好きなことは頭によく入る、しかし 大学は立命館大学法学部に入ったが、全然頭に入らなかった、やっぱり、自分の好きなことをしなくてはいけないことにきづいた。
・「やればできる」という言葉はよく聞くが、疲れてやる気が起きない、帰ってからすぐ寝たので勉強していないなど、それを「やれない」から難しい。 よく言われているが、入試や資格試験に合格するには勉強のやり方さえ間違えなければ誰でも合格できます。例えば東大入試にしても早期に志望校を決め、東大の過去問を解くための基礎を学びその後はひたすら過去問を解く。実際に入試で解けない問題も出題されるが他の受験生も解けなければ相対評価で合格できる。と簡単に書いているが、難しいのは勉強に挫折したり、難しいと思い込んだり、学習時間が十分に作れないなど、自分の勉強に対する意思と家族や周囲を含め勉強をする環境が整っているかが合否を左右する。 入試のための知識の勉強は社会ではあまり役に立たない。
例え中卒でも人生を満足して終えることができれば学歴は関係ないと思います。
・修猷館高校の偏差値は73、国立大学だけでも約300人は合格し、そのうちの半分は旧帝大です。こんな地頭のいい生徒がゴロゴロしている高校から3浪して早稲田に入ってもどうということもありません。むしろ3浪2留しても読売新聞社に入社できたことや、せっかく入った新聞社を辞めてしまった経緯を詳述したほうが面白かったと思います。
・結局、大学受験、特に文系は国立であっても「自己肯定感」の獲得という要素が極めて大きい。大企業への就職とかよりそれが一番なんだと思う。 だから、自己肯定感を満たせればどこでもいい。一定レベル以上ならどこの大学でも大して変わりはない。 本気で勉強したい人は授業ではなく本を読んで勉強する。大学教授はそんなに話は上手くないし、惰性で取った単位なんてほとんど価値はない。 自分は授業にはあまり出なかったけど、大学でかなり勉強したと誇れるし、授業の出欠が緩いからこそ好きな勉強がたくさんできたので大学には感謝してる。
・親が高卒だとそこまで大卒に拘るものなのか? 40代後半?50代くらいの人なのかな?名門高校であれば、そういう家の子て少ないんじゃないかな? 周りには父親からそんな講義受けて勉強頑張るような人てなかなかいない環境だと思います。
・全力で勉強を一年でもしたならば、 第一志望では無かったとしても、 胸を張って大学に進学してほしい。 浪人なんて経験以外の価値はなくて、 ただの留年だと思うべきです。 必死に一年勉強するなら、 大学で専門性のある勉強をした方が、 生涯の経験には遥かに有利です。
・①家庭の教育文化、②教育予算、 ③本人の能力、④努力を続ける資質、 ⑤学校など周囲の環境
大学受験には様々な要素が関係しますが、彼の場合は③本人の能力のみに頼った受験だったから早稲田卒業27歳になったのだろうね。①②④⑤が揃えば22歳で東大や一橋を卒業していたかもしれない。
一方、職業選択は能力でしがちだけれど続けるには心が適合しないといけない。結局、彼の心は人に奉仕して感謝される生き方を欲していたわけで、大学卒とか一流大学とかが彼にとってどれほど意味があったのかは難しいところです。
・なんか途中の勉強してた感じが古文の吉野先生をふと思い出した笑 自分も大学受験が人生で一番勉強したかもな。 よく資格試験と比較する人いたけど内容も次元も違うし。 三浪したけど学生生活も満喫できて就活もハンデにはならなかったようで、社会人生活送れてよかったのでは。それでも違う道を歩んだところに早稲田らしさを感じる(?)というか。 自分も同大OBだけど頑張ろうと思った。
・一番良いのは、学生時代から自分は何が得意か、飛び抜けたものが無くても、比較的得意な科目を見つけて、その科目を活かせる学部学科を選び、そこで専門性を磨き、その専門性を活かせる会社に就職すること。重要なのは、大学も会社もネームバリューで選ばない事です。それが正しい進路、成功への第一歩。てことを、50過ぎてようやく理解した私。。
・最終的に今の職業に落ち着いていらっしゃるようですが、一流大学へ進学しても結局自身がやりたかったことは、直接的には「学歴」が無くてもやれる仕事だったってことですかね。色々と遠回りしないとたどり着けないこともありますね。
・今はもう学歴ありきの時代ではないだろう。修猷館をも超える都内名門校出身だけど、30年経ってわかった。落ちこぼれだった奴ほど社会で成功している。成績が落ちた生徒って、だいたい趣味や恋愛にのめり込むタイプだから。旅行や音楽に詳しくなったり、恋愛コミュ力が高まったり。結局勉強以外で経験を積んだ奴が人間的魅力を身につける。この記事の方も3浪して結果オーライなんだろうが、そもそも学歴にこだわり過ぎかなと。
・濱井氏は一度関西の私大を卒業してその時点で一般入試とは別の「学士入学」の試験制度を利用して大学入学が可能な身分となっているにもかかわらず、一般入試に固執して受験し続け早稲田に入学した年に九浪したと言い張ってるだけの人である。 この様なケースは一般的には再受験であり、学士入学の試験制度を使って遥かに一般入試制度より簡単に受験が可能になっているのに敢えて一般入試に固執し続けてた。大変だったと言っても一般受験生とは違い別ルートがあるのにそっちは使わないで大変なルートを選択したのは完全に自己責任であり同情はしない。 それより濱井氏の主張通りの浪人計算法がまかり通る事態になれば違う選択肢を歩んで年齢が高くなって大学受験をしたら全てその時点で何十年浪人扱いされる事となり不本意極まりない。 東洋経済ともあろう老舗の経済誌がこの様な浪人カウントを主張し続ける方を重用し続けるのは正直意外だった。
・慶応中退組はパッとしないけど「タモリ、小室哲哉、堺雅人、上田晋也、東国原・・・広末」中退一流の早稲田はやっぱ凄い。 この3浪早大の人は、頭脳、コミュ力も凄いけど、特に体力がずば抜けてる。 上記有名人もそうだけど、人生ってのは、自分が持つ最強の武器を、いかに上手く生かせるかと決断力が大事なんだと思った。 「ストレスがなく、人の役に立ててやりがいを感じられる仕事ができている」 ってのが全てだよね
・民間企業は知りませんが、公務員の世界は大卒で採用されるより、高卒で採用される方が、退職金を含める生涯賃金は多いと言う結果が出ています。親元を離れ東京で一人暮らしの4年間を入れれば、新卒採用のほうが圧倒的に有利です。 あくまで、賃金だけの話しですが。
・3浪って書いてあるけど、実際は1浪と同じ。高校受験での勉強癖が残っていた事。タイトル見ると、3浪すれば早稲田に合格と勘違いするが、短くまとめられた浪人生活だが凄まじいなと思った。自分も浪人したが、確かに未だに夢に出ない。充実した期間だったのかなぁと、この記事を見て思った。
・本当に修猷館に4番で入ったのなら、元々地頭は抜群に良いはずで、早稲田くらいで驚く話ではない。東大に行ってもおかしくない。ましてや、福大体育学部なんて居眠りしてでも通るはず。話が極端過ぎる。これが事実なら、波乱万丈の人生というより、修猷館に入ってから全く勉強しなかったけど、一念発起して早稲田に受かりました、と言うどこにでもある話。修猷館の生徒なら、こんな人はいくらでもいますよ。
・果たしてその3年に見合うだけの対価かどうかはさておき何かを得られたならそれはいいことだとは思います。 しかし何でそんな極端な発想になったのかという気がします。前例がないのに慶應や一橋を狙う意味が解らないです。福岡なら選択肢はたくさんあったと思います。その中から1年目最低でも2年目に受かる学校を選べば良かったのでは?と思いますね。
・お父さんは、 「大卒になるならばどこでもいい。」 と、わりとおおらかな人だったようた。 しかし本人は「やるからにはトップを」と、なかなかこだわりのある人だったみたいだね。 自営業として成功している人なんだから、サッカーの経験が生きているんじゃないかな?
・タイトルと違って3浪したわけじゃないよね。 福大中退した後は1年予備校に通っただけですから、相当努力されたのは分かりました。 この方はやると決めたら頑張れる人なんですね。 ただお父さんは大学進学後に留年したこととは何も言わなかったのかなぁ?お父さんの話も聞いてほしい。
・ご両親が大卒じゃないにしても、年齢からして高卒就職は当たり前で地頭があったはず。 それに金銭的な余裕がなければ、中学高卒と塾や予備校に通わせてもらえないし、受験費も旅費も出せない。
結局マネーゲームで確率を上げていくというお話で、地頭要素で複合的に勝ったというお話。
・自由で良いですね。大手新聞社を退職なさったのは勿体無い気もしますが、ご自身が決めたことなら。大卒が全てではないとは思うけれど、選択の幅が広がるということの証に思えます。悔いのない人生を!
・ふらふらというか、不真面目な性質が基でというか、だいぶ親に迷惑をかけたなという印象。それにラベリングで人は判断してはいけないとも思えた。
教訓としては怠惰に流れることなく、コツコツやろうねという事でしょうか。
・早慶はこの様に気合いで勉強すれば一年で受かります。難関と言われているのは、最難関国立に合格する人たちが滑り止めに使うからであり、この層を除いた入学者のレベルは高くない。ひと学部の人数が国立の5倍以上おり、当然教育も劣るため、卒業する頃には国立最難関とは当初の実力差以上の差となります。
・何浪しても お金があり、支えることが出来れば良いと思うが 例えば五浪して五年間支えて 大学入るのに奨学金制度利用しました 奨学金もいづれ返済しなくてはいけない 五年間支えたコストもあることを考えるとなると 余程のお金待ちでないといけないと無理かなと思う。 しっかり親孝行に励んでくださいね。 老後を含めて。
・何かよくわからない記事。高校生活を間違えた感じ。サッカーで食べていけるとでも思ったんですね。後で取り戻したのでポテンシャルありそうですが、それは高校で勉強しなきゃダメ。大学入試に備えるのではなく、運動系に熱入れる親が多い地方。
・早稲田に入った入学時の勉強できる能力は分かった、 社会に出ると、その能力以外に、発想力、折衝力、営業力、 商才、自分で考える能力、カリスマ、人に好かれる能力、 行動力等様々な能力が必要とされる、 人生は長い道のり、大学四年間はゴールじゃないよ、 アラ50のつぶやきです
・大卒大卒って、メディアが報じているけど、サラリーマンづくりを推奨しているだけとしか思えない。
サラリーマン生活は、これからは良いことがない。組織内にとどまることのデメリットをきちんと伝えるメディアであってほしいね。
馬鹿の一つ覚えの伝え方に疑問も持てないですか。
・この方は勉強に不向きで大学入学が目的な人生だったと。 大学に入っても目標が無いから勉強もせず、 何のため大学に行ったのか? それが単純に親の意見だと しても、ただ流され自身の意思が無かったのだと感じる。 社会人になってからも軸足が定まらず、現在地は大学講義と 無関係の職種。 目標が無い者はこのような人生になるよという見本にしか 思えない。
・多浪させてくれる親は実は高卒が多い気がする。大学行かせたいだから。そして高卒と言っても成績が悪かったわけではない。灘卒業生の動画見ていても意外と親は高卒だったりする。高卒だって別に給料が安いわけではないし。 この人きっと飲食もつまらなくなってやめるのでは?何がしたいですわけではないから。
・この人は「集中力オバケ」だな。一旦やると決めたら、とことん突き詰められるのは、天賦の才だと思う。
修猷館・福岡・筑紫丘の県内御三家は、人生を楽しんでいる有名人が多いイメージ。修猷は髭男爵のひぐちくん。福高はラグビーの元日本代表で、今は医大生の福岡堅樹さん。ガオカはタモリさん。
・高校時代、上智に憧れ推薦を狙っていたがライバルに僅差で破れ推薦受験が出来なかった。それならば早稲田の商学部に受かってやる!何と試験監督が元同級生と言う神様の悪戯にあえなく敗退、明治大学に行きました。済みませんつまらない体験談にお付き合いさせまして。
・スゴい人生経験だと思う。 3浪と書いてあるけど、体育大学2年行ってるから、そこから実質1浪で早稲田に入ったわけだ。で、6年大学通って新聞社に入り、とんかつ屋経営してるのね。 とてもマネできない波乱万丈の人生ですね。
・例えば、今後、母校の大学が事業を継続できるかを考えれば三浪してでも早稲田に行ってよかったのではないかと思います。少子化や財政難などで赤字が常態化した下位ランクの大学から潰れていきますから。
・何浪もして入りましたって美談にしてはるけど。一般企業に就職するのならいらんのちゃうかな。努力して結果を出す意味自体否定はしないが、一方で「決められた時間内に」結果を出すことも社会では大切な能力。 人は生まれてきた以上世の中にどう貢献するかが大切だと思うし、だから大学で学び力をつけるというのはあると思うが、何浪もしてまで入る意義をどう示すかなあ。失礼ながら早稲田クラスなら毎年現役でわんさか入るわけで。
・これは三浪とは言わないのではないか。福岡大だって一般受験で得意な体育実技も活かして入ったのでしょうし。実質一年間の受験勉強で早大政経は立派。
・意味もなく大学に行っても無駄。大学は高等教育を受ける場だ。学びたい学問がなければ行く必要などない。周りが行くから家族が望むから進学しても長続きしない。努力に意味を求めるのは理解できるが、学んだ学問をいかす事ができないのであれば金と時間を無駄にしただけだ。
・分かる気するなあ。 田舎だけど、小生も中学までトップクラス、高校もトップ進学校入ったけど、一気に転落。言うまでもなく各中学のトップクラスばかり来る学校、否応なしに学年1ケタしか取ったことない奴がいきなり3ケタ順位。 メンタル崩壊するし、担任からは「このままじゃ大学入れないぞ」と言われビビって小学校からやってた運動部を辞めた。 あとで分かったが、高校教師の言う「大学」とは、旧帝大・国立医学部ランク以上だけ。地方国立、まして私立文系など勝手にどうぞと鼻も引っ掛けられない。
卒業後結局地方国立出て就職。色々紆余曲折あったけど、嫁と一人息子の3人家族。氷河期世代で複数回転職したために2人目以降無理だったけど、今までを振り返れば、そんなに悪くない人生かな、と思う。
・大卒者が親の世代の一族にいなかったので強制はされませんでしたが、大学合格した時は両親は喜んでくれましたね。それからは経済成長で環境も゙良くなり一族から京大、東大も゙出ましたので環境は大事だとつくづく感じます。
・>3浪早大
この表現、どうにかならないものだろうか。現役で福岡大学体育学部に合格し中退して予備校に通った後、早大へ。純粋に浪人したのは一年ではないか。純粋に9浪したわけではなく、複数大学、社会人経験を経て9浪の年齢で合格し「9浪」を名乗っている濱井正吾氏が書いている記事のため、そうなっているのだろうけど。
・極端だなぁ 個人的にはコツコツ真っ当な道を進んで真っ当に卒業して生きてる人の方が偉いと思うけど、これはこれで自分にはできないことだから尊敬はする
・結果オーライなのがこの話かと。でも日本って大学合格のために勉強する流れが一番の問題点かと。何を学問したのかではなく、どこの大学に行ったかでは本当の学びではないと思います。
・一浪マーチと二浪早慶はどっちが結果的に得かな?もちろん学部にもよる(医学部は含めず)けど、どっちも大したことないし二浪目は受からなかったら積むから個人的にはマーチ一浪派です。 結果的に受かれたら早慶かな?的な感じ みなさんどうでしょう?
・3浪のうえにに留年までしてるヤツをよく読売新聞も採用したな。何の職種だったかわからないけど。しかもまだ就職氷河期の頃なんじゃない? よっぽど光るものというか、コイツ面白いと思わせる何かがあったのかも。普通の人ではない事は記事からでもわかるけど。 あと、「勉強はやるか、やらないかだけの違いだ」と言えるのは、地頭の良い人だけだと思う。真面目に勉強してるのに何で?っていう人はたくさんいるから。
・早稲田は、ストレートで行って意味がある。 多浪するなら、旧帝大や医学部以外の選択肢をとると、社会人になった時にとんでもないことになる。 なぜなら、新卒採用時に学歴フィルタリングが、あるからだ。
・一族から大卒者を出したかった父上はせっかく読売新聞に入った息子が10年ちょっとで辞めて飲食店開業には反対しなかったのかな? 本人と家族が納得してるならいいが、高卒の何倍も学費をかけて、コスパが悪いな、とは思う。
・拝読した感想。この方は本質的に勉強嫌いな自由奔放がお好きなキャラ。お父様はそこを最後まで見抜けなくて子供に自分の価値観を押しつけたのが誤り。しかし三浪許してその間はお父様は金をけちらず子供に与えたのは驚愕に値する。(笑)
・頭は良いんだろう。生き方も自由でいい。ただもっと器用に立ち回ってたら大勢の人を動かし指示する全然違う人生もあったろうね。それも含めて素質というか勉強だけじゃうまく行かないってことなんよな
・我が息子には「父親を越えることが息子としての礼儀だ」と教えただけだが、我ながらなんとか育ったと思う。父親はあれこれと細かいことに口を出さない方が良いのではないか。
・修猷館に4番合格?!そんな凄い人に「やれば出来る」と言われても…この人の短期集中力は凄すぎる きっと地頭が良い人は違うんだね もし真っ直ぐ東大を目指したら普通に合格した人なんだろうなぁ
・3浪や留年が許される環境(他人にも自分にも)があったことは救いでしたね。 現状維持でいいという今の若い人たちにどれだけ響くかは解らないが、何をやるにも人生遅すぎることはない・・ということを身を持って教えてくれる素晴らしい記事 火事場のクソ力で人間土俵際まで追い込まれたらやるしかない
・単に大学出ても自分にはこれがあるから任せてくださいって武器はないからね。資格を取れる学部以外は。しかも資格は学校名は関係ない。潜在力は高くても使えない人は仕事はできない。何でも心技体ですよ。やる気、スキル、体力。名前なんて関係ない。
・修猷館で、福岡大や駒沢大に行ければ良い方、明治中央コースは受かるわけないと思っていたということは私立大バブルならではの現象か。
・親の期待は裏目に出ることが多いがこの人は浪人することにはなったが成功したのはすごいと思う。元々地頭が良く、スイッチが入れば集中力が持続したのだろう。
・小林よしのりが「優秀館高校」という架空の高校名を用いたマンガ「東大一直線」を思い出してしまう。 まあ、小林よしのりは福岡出身ということで合点はいくが。
・この人は確かに地頭も良く、勉強を継続できる才能があったんでしょうね。 どこの大学に行ったかも重要だろうけど、何の勉強をどれだけしたか、の方がより大切だろうな、と思う50代のオジサンです。
・親ありきですね。私は親は何もしてくれなかったから自分でやるしかなかった。普通の親が欲しかったなぁ、あまちゃんで生きられて羨ましい。
・親がすごい というか 親がちょっとかわいそうだと思ってしまった この人の子供がどういう人生を歩んでいるのかも気になる 親を反面教師にして現役で国公立大いってそう
・串揚げ屋は大卒でなくても中卒でもなれる職種。しかし経験したからこそ言えることもある。何事もその道に専念していれば学歴は関係ないと言うが日本社会は学歴重視の部分はまだ根強くある。学歴を批判する人はまず学歴をもってから言うことだ。負け犬の遠吠えは側から見ていて惨めなだけだ。
・一流大学行ったからって、そんなヤツ全国に沢山おる!! まぁ~、こういうイイ方はアレやけど、その家系にもよるしね!! 先生の家系、公務員の家系、医者の家系やら その一族の方向性ってあるから!!
ただ、確率の問題!! その後の人生において、出世する可能性が高いっていう妄想のもと、 みんな、小さい時から、勉強するわけ!! その後、どこどこの課長になった、部長になった、社長になったとなれば、 一応の目的達成じゃ~ね!!!
ぶっちゃけ、全国的に勝負しようと思えば、最低、日東駒専以上ってなるよね~!!!
・一般受験で入る事の難しさとレベルの高さを改めて感じます。芸能活動などして偏差値40くらいの高校からAOで慶應早稲田に入れるならそちらを目指した方がいいのかな…
・昔に修猷館出身の裁判官にめちゃくちゃな判決かかれ尋問調書まで改竄された 控訴したら二審総括も修猷館出身の判事だった 配部が歪められてると思った 私見だが修猷館によいイメージはない
・自分が手掛けたことはとことん成し遂げる。 お店経営も順調なんでしょうね。 ちょっと遠回りだけ世渡りが一番上手なタイプかも。
・福岡県民からしたら修猷に受かる時点で地頭というかベースはめちゃくちゃ高い
その人が死ぬ気で勉強したらグングン伸びるのはわかる気がする。
・修猷館卒の時点で自分は頭がいいというプライドがなかったのがその後の人生にも影響していると感じました。 過去のプライドを持ち続けて現実を見失っている人も多いです。
・井桁弘恵がこの高校から早稲田大学に進学してたよね。 福岡出身だからそのすごさはわかる。 ただ、学歴はスタートラインであってゴールではない。 そこを勘違いすると,人生がめんどくさいことになる可能性がある。
・常に勉強し続けることが大事で、名門大学に入りたいといった外発的動機では長続きしない。うちの会社にも超高学歴の人がごろごろいるが、使えないのがほとんど。
・親の期待より本人の不真面目さが気になる。 高校生のうちから勉強せずに麻雀と彼女。 福岡大学やめるのはいいけど、ここではパチンコ。 基本的にギャンブル好きでゆるい人間なんだろうね。
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