( 145231 )  2024/03/03 13:47:26  
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福岡の名門高校出身で福岡大学体育学部に進学した澤木祐介さんが浪人して早稲田大学に入学した経験について紹介されています。

彼が浪人を選んだ理由やその結果、浪人中の生活や成績の変化などが詳しく描かれています。

(要約)

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福岡名門高校に進んだ澤木さんだったが…。写真はイメージ。(写真:kapinon / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は、福岡の名門・修猷館高等学校から体育教師を目指し、現役で福岡大学体育学部に進学するも、サッカー部のレベルの高さに挫折し中退。その後1日20時間勉強して3浪の年齢で早稲田大学政治経済学部に入学。卒業後、読売新聞社に12年勤め、現在は新橋で串揚げ専門店「新橋串揚げの店 夏色」を経営している澤木祐介さんにお話を伺いました。 

 

【写真】卒業後はマスコミに就職。現在は新橋で串揚げ屋を営む。 

 

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■大卒者がいない家庭、親は大学進学を熱望 

 

 多くの人が浪人を長引かせる理由はたくさんあります。 

 

 モチベーションの低下、自分の学力と比べて偏差値が高すぎる志望校、経済的理由で勉強時間が取れないことなど。 

 

 その中の1つとして考えられるものに「親の期待」があります。 

 

 今回お話を聞いた澤木祐介さんも、一家に大卒者がいない家庭から大学に進学・卒業することを期待され、一度大学を辞めたにもかかわらず、3浪の年齢でふたたび大学受験をしました。 

 

 「父親に才能がないと、諦めてもらうため」に勉強していた彼は、1日20時間もの猛勉強のすえに、1年で偏差値を30上げ、私立大学最難関学部の早稲田大学政治経済学部に合格したのです。 

 

 どうして彼は、乗り気ではなかった大学受験を頑張ることができたのでしょうか。 

 

 澤木さんは石油運送会社で職場結婚をした高卒の父親と母親のもと、福岡県福岡市に生まれました。2歳からは山口県の小野田市(現・山陽小野田市)に引っ越し、小学2年生からは東京の大田区に移って、中学2年生で、ふたたび福岡に帰ってくるという転勤族でした。 

 

 

 小学校のときの成績は中の上で決して悪くはありませんでしたが、どうしても一族から大卒者を出したかった彼の父親は、最高学年となった彼に“特別講義”を実施します。 

 

 「6年生の最後のほうになってから、親父に『ちょっと座れ』と言われて、2時間くらい話を聞かされたんです。日本社会は大卒者が出世してお金を稼ぐ仕組みだから、いい大学に行けという内容でした。私はそれまで勉強をほとんどしたことがなかったのですが、その言葉が響いて、参考書を買ってやりこむようになりました」 

 

 父親の講義で「スイッチが入った」と語る彼の中学1年生のときの成績は、猛勉強の甲斐もあって学年1~3番。当時東京で受けた模試では偏差値が71だったそうです。しかし、中学2年生で福岡に戻ってからは、成績が下がってしまいました。 

 

 「東京と福岡で、授業の進み度合がちがい、中学時代に一度も日本地理を習えなかったんです。模試で地理が出ると当てずっぽうで解答したので、71だった偏差値は、2年生の終わりには59まで下がりました」 

 

 それでも、この逆境に気合いが入った澤木さんは、地理を克服しようと、いろんな参考書を買ってひたすらやりこみます。その結果、何もわからなかった地理は入試の得点源にまでなりました。 

 

 「気がついたら朝まで勉強していたこともあった」と語るほど猛然と勉強していた彼は、高校受験で第1志望であった福岡の名門・修猷館高等学校に無事合格します。 

 

 しかし、ここから彼は劣等生へと転がり落ちてしまいました。 

 

■成績4番から480番に転落 

 

 福岡有数の進学校の入試を「最高にうまくいった」と語る彼は、4位の成績で入学。しかし、のちにキャプテンになるほどサッカー部の活動に打ち込んだ彼は、まったく勉強をしなくなりました。 

 

 「高校時代は部活と、麻雀と、彼女で忙しかったです(笑)。夏休み前の成績は学年で10番の科目もあったのですが、中学受験の貯金がなくなっていって、だんだん成績が落ちていきました。親が先生に呼び出されて『おたくのお子さんは4番で受かったのに、今は(最下位の)480番だけどどうなってるんだ』と言われたこともありましたね。完全に勉強に興味がなくなってしまったんです」 

 

 

 親は一橋か早稲田にいって商社マンになってほしかったそうですが、本人はこれといった将来の夢もないまま受験学年に突入。 

 

 高校3年生の夏くらいに模試で偏差値が40しかないことに気づいた彼は、『得意の運動を生かして体育の先生になろうかな』と思い、福岡大学体育学部体育学科を第1志望に設定します。 

 

 受験勉強をする気が起きず、直前期も勉強時間ゼロで浪人確定だと思っていた澤木さん。しかし、蓋を開けてみたらまさかまさかの合格だったそうです。 

 

 「受かるわけがないと思っていたので、驚きました。当時はみんな『修猷館は4年制!』と言っていて、隣の修猷学館という予備校に入るのがお決まりのコースでした。赤本も買わず、塾も行かずで、浪人する気満々でした。だから、浪人が決定したサッカー部の同級生は『なんでお前が大学生なんだ!』って怒っていましたね(笑)」 

 

■大学にいる意味を感じなくなる 

 

 こうして現役で福岡大学体育学部に進学した澤木さんは、大学でもサッカー部に入ります。高校でも主将を務めたように、運動神経には自信があった彼でしたが、彼はこの環境で同級生と自分を比べて、「すべてのレベルが違うこと」に愕然としたそうです。 

 

 「周囲の選手たちとは、大人と子どもくらいの実力差がありました。当時福岡大学のサッカー部は全国の頂点に君臨していて、高校で全国を経験している人しかいないスーパースター集団でした。来るところを間違えたと思って、1カ月もしないうちに部活に行かなくなり、学校にも行かなくなりました」 

 

 朝からパチンコ屋に通いつめたり、仲のいい浪人友達とゲーセンや麻雀に行ったりしていた澤木さんは、しだいに学校にいる意味を感じなくなっていきます。 

 

 ずっと「辞めたい」と思っていて、ようやく父親に切り出したときには2年生の終わりになっていました。 

 

 「もう大学に行きたくはありませんでした。だから、『1年間勉強して公務員になろうと思ったので、そのための専門学校に行かせてほしい』と伝えたんです」 

 

 しかし、大卒のいなかった澤木家にとって、彼が大学を卒業するというのは一家の悲願であったようです。 

 

 「とにかく1年浪人して、どこでもいいから大学に行け!」と言われた彼は、抵抗しながらも父親を納得させるために3月末に福岡大学を辞め、4月から代々木ゼミナールに通うようになります。 

 

 

 「2年間まったく勉強せず、現役のときより偏差値が下がっていると思っていたので、心の中では今から大学に行くのは絶対に無理だと思っていました。予備校では修猷館出身だと伝えたら好きなコースの授業を受けさせてもらえたので、『受かるわけがない!』と思いながらも明治中央コースに入れてもらい、浪人生活をスタートしました」 

 

 そもそも大学に行くつもりのなかった彼が、しぶしぶ3浪の年齢で浪人を始めたのは、「父親に諦めてもらうため」という消極的な理由だったそうです。 

 

 「父親に1年死ぬ気で頑張っている姿勢だけ見てもらえればいいと思っていたんです。一生懸命やってどこも受からないのを証明すれば、どうせ全部落ちるから、父親も僕に(勉強の)適性がなかったと諦めてくれるし、大学に行かなくて済むんだろうなと考えていました」 

 

■修行僧のような生活、成績もどんどん上昇 

 

 しかし、澤木さんはこの1年の頑張りによって、自身すらまったく想定していなかった成長を見せます。 

 

 「最初は仲のいい子が2浪で駒澤大学に進んでいたので、自分も日東駒専(日本大、東洋大、駒澤大、専修大)に入るくらいまで学力を上げられたらいいなという感じでした。ですが、睡眠と食事と風呂とトイレ以外はすべて勉強という修行僧のような生活をしていたので、偏差値がものすごく上がったんです。 

 

 今思えばたしかに、日本で一番勉強したなって思えるくらいには勉強していましたね。眠気がひどいときはシャーペンの芯を手に刺したり、ヒゲを抜いたりしていました。日光をまったく浴びずに室内にこもっていたので、顔も真っ白に変わっていましたね(笑)。そんな生活を続けていたら早稲田の政治経済学部の判定がAになって、代々木ゼミナール九州校で3位、全国でも2桁の順位に入るようになりました」 

 

 最初の模試で3科目平均50に満たなかった偏差値は、模試を受けるたびに5ほど上がったそうで、夏には60に到達。冬の最後の模試ではなんと77に到達しました。 

 

 

 
 

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