( 146323 ) 2024/03/06 14:53:24 0 00 大政マミ氏
埼玉県越谷市に就労継続支援B型事業所を構えるココロスキップ。就労継続支援B型事業所とは、主に障害や年齢、体力面において、一般就労が困難な人が就労する施設のことである。同じく障害や病気を抱えた人が通所する就労継続支援A型と異なり、雇用契約に基づく就労が難しい人たちが通所する施設となる。 ココロスキップの取り組みとして有名なものに、“点字名刺”がある。社会人が使用する名刺に点字を刻印するサービスだ。刻印は、ココロスキップに通所する視覚障害者による手作業だという。
⇒【写真】大政氏が実際に使用する点字名刺
施設長の大政マミ氏がココロスキップを立ち上げたのは2007年、20代半ばでの起業だった。最初の2週間はまったく注文が来ず、落胆したと話す。
「起業から2週間くらいはまったく仕事がなくて、『ダメだったか』と思いました。その後、大手から受注があり、会社が動き出しました。それ以前も点字名刺はありましたが、個人でやっているものがほとんどでした。私は、点字名刺の作製を視覚障害者などのハンデをもつ方々に担ってもらうことによって、障害者雇用の裾野を広げたいという思いがありました」
抱える障害によっては、雇用の幅がどうしても狭くなる。ココロスキップ創設にあたって、大政氏はその現実を直視した。
「視覚障害者を支援するNPO法人などで歩行訓練のボランティアなどをさせていただきました。そこで、私は視覚障害者が生活において大変なことは漠然と理解していましたが、細部まで具体的に想像が及んでいなかったことを思い知りました。たとえば食事の際なども、どこになにがあるのか、すべてきちんと伝えないといけません。また、出社をするだけでも危険が伴い、さまざまな配慮が必要になってきます。しかも視覚障害者が就く職業としては鍼灸、あん摩などがポピュラーですが、誰でも就労できる職種ではありません。もっと社会で働いてもらうために、何か自分にできることはないかと思い、点字名刺を思いついたのです」
さらに大政氏にはこんな動機もあった。
「過去に叔父が交通事故に遭ってしまい、障害を負ったことから、働ける選択肢が極端に狭まってしまったのを見たことも無関係ではないかもしれません。当時から、障害を持った人がいきいきと働ける社会になれば良いと思っていました」
ビジネスの場で点字名刺を用いることは、意外な効果があるのだという。
「実際に点字名刺をご利用いただいているお客様の話なのですが、ある大きな商談の場で、クライアントから『最終的に御社と取引をすることに決めたのは、視覚障害を持つ人にも配慮できる会社なのだという信頼からです』と伝えられたそうです。点字名刺ひとつでここまで大きなビジネスチャンスを掴めることは珍しいとしても、会話の糸口になることは確実ですし、障害者を間接的に支援しているという姿勢を名刺ひとつで伝えることができます」
あるいは点字名刺の作り手からも、こんな声が聞こえる。
「通所してくれているある視覚障害者の御婦人は、社会で働くことを希望していましたが、ハローワークへ行った際に『全盲の方にご紹介できるお仕事がありません』と言われてしまって落ち込んでいました。工賃は少ないのですが、いつも『お金よりも、社会で必要とされていることのほうが嬉しい』とおっしゃってくださいます」
顧客にはビジネスを円滑に進めるツールを、通所者には社会との接点を提供しているココロスキップだが、順風満帆できたわけではない。創業から10年目を迎えた当時、大政氏は苦悩していた。
「ココロスキップは株式会社として起業しました。株式会社として設立したのは、自治体からの給付金に頼らずに事業をやりたいという私の理念によるものでした。障害者に対する差別のなかには、納税ができない=社会のお荷物という図式からくるものがあります。私は、障害者を納税者にすることで、こうした根強く残る差別を払拭したいと考えていました」
だが現実には暗雲が立ち込めた。
「創業当初から、ビジネスとして綻びがあることはわかっていました。点字名刺はすべてアナログで行ううえに、その刻印が正しいかを責任者である私がチェックする必要があります。マンパワーが足りていないことは明らかでした」
悪化していく業績を何とか立て直そうと、当時の大政氏はなりふり構わずに行動した。
「会社を続けるために、大手飲食チェーン店でアルバイトをしました。大手企業が積極的に取り組んでいる障害者雇用に携わらせていただくなど、そこでの経験も有意義なものでした。とはいえ、もともとは少しでもお金を稼ぐためのアルバイトです。社員に給料を支払うためにはこの方法しかありませんでしたが、“悪あがき”も虚しく、いよいよ個人の貯金が底を尽いてしまいました」
理念を諦めるか、障害者事業そのものを諦めるか。二択を迫られた大政氏は理念を一旦捨てた。
「本当にさまざまなことを考え、悩みました。もしここで事業を辞めれば、10年間のすべてが無に帰することになります。それに、通ってくれている障害者の方々の居場所を奪うことにもなりかねません。給付金をもらいながら、持続可能な形で事業を行うことにしました」
冒頭で紹介した通り、現在は就労継続支援B型施設として稼働しているココロスキップ。給付金が入ることにより、創業当初よりもむしろ選択肢は広がったと大政氏は話す。
「看板商品の点字名刺は、会社としてやっていた当時早々に諦めた通信販売が軌道に乗りつつあります。障害者の方々が作ったハンドメイドを売ることで、ひとつのブランドとして捉えてもらえるようになればいいと思っています。また、ココロスキップでは内職作業も請け負っているので、通所者がより通いやすくなったと思います」
まだ世にないものを障害者が作り、世の中に価値を見出されること。その瞬間に立ち会う大政氏は、喜びをこう表現する。
「ココロスキップでは、視覚障害者の方が点字名刺を作り、精神障害のある方がそれをチェックするなど、ペアで仕事をしてもらうことが通例です。お互いを補完し合いながら社会で必要とされる製品を生み出すことによって、社会と積極的にかかわり続けられる。たとえ障害があっても、残りの人生をそのように生きていける場所になれたら、素敵だと思います」
立派な大義名分も実行できなければ絵に描いた餅。大政氏は流儀に凝り固まることなく、柔軟に立ち回ることで障害者雇用のバリエーションを広げる目的を達した。社会から隔離されがちな人々を巻き込んで社会を活性化させる企みの底に、氏の揺るぎない使命感と優しさが滲む。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】 ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
日刊SPA!
|
![]() |