( 147396 )  2024/03/09 14:32:05  
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コンビニは商品を提供するだけでなく、利益を追求するビジネスであり、社長や店長は利益を追求して働いている。

共産主義国では、給料の等しさが人々の働く意欲を失わせることがあるため、適度な貧富の格差が必要であると指摘。

中国も貧富の格差を認めることで経済発展を遂げた例がある。

日本や米国では競争があり、消費者の好みに応じて生産が変化しやすいため、消費者は幸せになる。

経済は計画経済ではなく市場経済が望ましいと述べられている。

(要約)

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(※写真はイメージです/PIXTA) 

 

いつでも気軽にほしい商品が買えるコンビニ、とても助かりますよね。しかしコンビニは、経営者の優しさや親切心によって運営されているわけではなく、「少しでも多く収益を上げる」というシビアな目標のもとに運営されています。コンビニという身近な存在から、資本主義、共産主義について考察してみましょう。経済評論家の塚崎公義氏が解説します。 

 

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筆者が空腹になったら、コンビニに行って好きな弁当を選び、買うことができます。しかし弁当は、筆者がお金を持っているだけでは手に入りません。そこにコンビニがあり、その棚に弁当が並んでいなければ買えないのです。 

 

では、街角のあちこちに蛍光灯のともったコンビニがあり、そこにいつも弁当が準備されているのは、空腹の人々を気遣う、コンビニ経営者・店長たちの優しさなのでしょうか? 

 

いいえ、そうではありませんよね。 

 

コンビニに弁当が並んでいるのは、コンビニの人々が〈欲張り〉だからです。「ここに店を作れば客が大勢来て儲かるだろう」と社長が考え、「売り切れを出さないよう、すぐに補充しよう」と店長が考えるから、そこに弁当が存在するのです。 

 

そして社長や店長は「店が儲かれば、自分の給料が増えるだろう(あるいは、解雇されるリスクが減るだろう)」と考えるから、必死に働くのです。 

 

もし社長が欲張りでなければ「ここに店を作れば儲かるだろうが、面倒だからやめておこう」と考えたでしょうし、店長が欲張りでなかったら「弁当が売り切れているから、仕入れれば儲かるだろうが、面倒だからやめておこう」と考えたでしょう。 

 

つまり、筆者がコンビニ弁当にありつけるのは、コンビニの人々が欲張りだから、つまり、「頑張って働いて豊かになろう」と考えているからなのです。 

 

かつて、ソ連という国がありました。革命によって成立し、共産主義を掲げていたのですが、経済がうまく行かず、共産主義をあきらめた国です。 

 

彼らの理想は、貧富の格差のない国でした。聞こえはいいのですが、全員の給料が同じなわけですから、真面目に働く人は減り、サボる人が増えることになります。結局、皆が等しく貧しい国になってしまったわけです。 

 

中国も、革命当初は貧富の格差のない国を目指していましたが、鄧小平氏が「貧富の格差」を容認したことで、経済が大いに発展しました。最近の習近平政権は「共同富裕」といったスローガンを掲げて平等を重視しているようなので、中国経済の高成長に変化が生じる可能性もあり、要注目です。 

 

貧富の格差という言葉には否定的な語感がありますが、「適度な格差は必要だ」ということなのです。格差がなければ「頑張って働いて金持ちになろう」という人々の意欲が失われ、経済がうまく行かないのです。 

 

もちろん、過度な格差は問題です。貧しくて教育が受けられなかったがゆえに、給料の安い仕事にしか就けなかった…という人が大勢いるような経済は望ましくありません。日本は、義務教育が無償で、高校の無償化も検討されているようですから、それほど心配は要らないかもしれませんが。 

 

なお、「宝くじに当たったから裕福」「金持ちの家に生まれたから裕福」という人がいても、人々の働く意欲は増しません。「頑張って働けば豊かになれる」という状況が必要なのです。そこで筆者は、相続税の増税を主張しているのです。 

 

 

ソ連は、経済がうまくいかなくなったため、「たくさんパンを作った職人には褒美を出す」ことにしました。「おいしいパンを作った職人には褒美」にしたかったのですが、どのパンがおいしいのか、すべてのパンを役人が試食することはできなかったのです。パン職人以外にも、褒美の対象は大勢いたわけですから。 

 

するとパン職人たちは、簡単に作れる不味いパンを大量に作るようになりました。作られるパンの量は増えましたが、消費者たちは、決して幸せではなかったのです。 

 

日本や米国であれば、パン職人は「おいしいパンを作れば高くても売れるので、儲かって豊かになれる」と考えるため、おいしいパンを作ろうと努力します。その結果、消費者はおいしいパンが食べられて幸せです。 

 

パン職人同士の競争も重要です。パン職人たちは「隣のパン屋よりおいしいパンを作れば、客を奪うことができるから儲かる」「隣のパン屋に客を奪われてしまっては大変」と考えるので、工夫したり、努力したりするのです。 

 

日本や米国では、消費者の好みがパンから麺に変化すれば、パンの値段が下がり、ラーメンの値段が上がるので、「ラーメンを作った方が儲かる」と考えたパン職人がラーメン屋に鞍替えすることも簡単です。それによって、消費者が好むラーメンの生産量が増え、消費者はハッピーになるわけです。 

 

しかし「計画経済」だったソ連では、「だれが・なにを・どれだけ作るか」を役人が決めていたため、消費者の好みの変化を生産量の変化に結びつけることがむずかしかったのです。 

 

日本や米国などでは、景気がいいとみんながモノ(財およびサービス、以下同様)を大量に作り、その後景気が悪化すると、モノが大量に売れ残って失業が発生する…といったことが起こります。計画経済では、そうしたことは起こりにくいわけですが、それでも米国も日本も計画経済を選択しないのは、本稿のような理由があるからなのですね。 

 

今回は、以上です。なお、本稿はわかりやすさを重視しているため、細部が厳密ではない場合があります。ご了承いただければ幸いです。 

 

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塚崎 公義 

経済評論家 

 

塚崎 公義 

 

 

 
 

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