( 148552 )  2024/03/12 23:12:56  
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田中恭一さんは、ハードコンタクトレンズの原型となる角膜コンタクトの実用化に成功し、メニコン創業者でした。

彼は10日に92歳で老衰のため亡くなり、愛知県出身であることがわかりました。

葬儀・告別式は家族だけで行われ、喪主は長男の英成氏です。

田中さんは名古屋市の眼鏡店で働いていた時に角膜コンタクトの開発に成功し、後に日本コンタクトレンズを設立し社長に就任しました。

彼は2000年までその職務を果たし、また日本コンタクトレンズ協会の会長も務めました。

(要約)

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田中恭一さん 

 

 メニコン創業者で、ハードコンタクトレンズの原型となる角膜コンタクトの実用化に日本で初めて成功したとされる田中恭一(たなか・きょういち)さんが10日午後1時35分、老衰のため死去した。92歳。愛知県出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男英成(ひでなり)氏。後日お別れの会を開く予定。 

 

 名古屋市の老舗眼鏡店に勤務していた1951年、角膜コンタクトの開発に成功した。57年にメニコンの前身の日本コンタクトレンズを設立して社長に就任、2000年まで務めた。日本コンタクトレンズ協会の会長など、業界団体の役員も歴任した。 

 

 

 
 

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