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ビリギャル小林さやか氏「努力したくない人」投稿への批判に謝罪「言葉の足りなさと軽率さ」反省

日刊スポーツ 3/14(木) 10:50 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/daf0e7250efce56c8ea99ece2b52ec2344eb470b

 

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小林さやかさんは、SNSで物議をかもした「努力」に関する投稿について謝罪した。

彼女は「努力したくても頑張れない人もいるから責めないであげて」という意見に反論し、他人が勝手に「頑張れない人」と決めつけるのは失礼だと述べた。

さらに、環境のせいで努力できない人もいることを認識し、「自分の言葉の足りなさと軽率さを反省しておりました。

申し訳ありませんでした」と謝罪した。

(要約)

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小林さやかさん 

 

 「ビリギャル」ブームを巻き起こし、映画化されたミリオンセラー本「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(角川文庫)のモデルとなった小林さやかさん(35)が14日までにSNSを更新。物議をかもした「努力」に関する投稿について謝罪した。 

 

【写真】謝罪した小林さやか氏の投稿 

 

 話題となったのは、小林さんが4日にX(旧ツイッター)で「『努力出来る人と出来ない人がいるんだよ』と言う人いるけど、それって『努力出来ない人』なんじゃなくて、ただ『努力したくない人』なだけなんじゃないかなと思うんだけど、どうかしら」としたポスト。賛否さまざまな意見が寄せられた。 

 

 小林さんは9日、「頑張りたくても頑張れない人もいるんだから責めないであげて」といった意見に対し、「別に責めてないしみんなが頑張るべきとも思ってない。むしろ私はできればそんなに頑張らないで生きていきたい」との考えを示した上で、「でも一個どうしてもひっかかるのは、例えばあなたの周りにいる人に対して『あの人は頑張れない人だからね』って他人が勝手に決めつけるのってまじで失礼だと思うんだけど」と反論。「頑張り方を知らないだけかもしれないし、過去に頑張った経験を周りにさせてもらえなかっただけかもしれない。適切なサポートさえあれば自分でびっくりするくらい成長できる可能性だってあるのに、そうやって周りにまるでそういう能力がないみたいに決めつけられたら、そりゃ本人もそう思い込んで努力しなくなるだろうな。本当そういう呪文みたいなのやめた方がいいと思うけど」と私見を述べ、さらなる議論を呼んだ。 

 

 

 

 その後も議論は続き、小林さんはメディアプラットフォーム「note」を更新。自身の発言に対し「環境のせいで努力したくても出来ない人もいるのに、それは無神経な発言じゃないか?」「あなたが努力できたのは、環境に恵まれていたからだろう!」といった批判が多数寄せられたとし、「みなさんのご意見に同意しながら、でもそこを言ったんじゃなかったんだよなあと、自分の言葉の足りなさと軽率さをただただ反省しておりました。これは私が自分の言葉の重さを軽視したことと、あらゆる背景を持った不特定多数の方の目に触れるということに考えが及ばなかった、私の書き手として最も基本的な配慮の欠如が原因です。申し訳ありませんでした」と謝罪した。 

 

 当該投稿をした経緯については「実はあのツイート、私が先日ニューヨークで出会ったある女の子を思いながら心の中に浮かんだ言葉をポツリ、電車の中で衝動的に文字にしただけのものでした。なのでそのときは、みなさんにご指摘いただいたような側面は、まったく考えていなかったのが正直なところです」と説明。また、その女性との出会いから投稿に至った経緯の詳細についても長文でつづっている。 

 

 

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(まとめ) 

・努力についての議論は人それぞれの立場や考え方によって分かれる。

 

・環境や才能、遺伝など個人の要因も影響するが、努力を排除できないとする意見もある。

 

・努力の定義や範囲は人によって異なり、努力をすること自体は人間の本質であるとの見方もある。

 

・他人を努力で評価する際は慎重に考える必要があり、適切な言葉選びが重要である。

 

・努力に対する価値観や個人の状況によって見方が異なり、相互理解が求められる。

 

・努力をすることが報われた際の幸福感や充実感は大きいとされ、自己実現に向けた取り組みが重要視されている。

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・本人は、「努力」自体は誰でもできるしするべきものだよ、ってことが言いたかっただけなんだろうなとは思う。 

だけどこの人の経歴的に「成果が出せない人は努力不足なだけじゃない?だって私もビリだったけど心を入れ替えて努力したからここまでのし上がれたんだもん。」みたいなことを上から言ってるふうな印象にとられてしまったような気はする。 

有名人は世間からの自分の印象とかも踏まえて、どう言えば誤解なく伝わるかまで考えて発言する必要があるんじゃないかなと思う。 

 

 

・1年で大して努力もしてなかったギャルみないなもんがが努力して慶応、ってのはインパクトあるし、すごいとは思うよ。 

が個人的には毎日こつこつやるべきことを誰にもうんちく垂れずにやる人を尊敬する。自分以外の人の努力がああだこうだとか言わずにちゃんとやる人が凄いと思いますね。 

 

 

・自分でできる範囲の努力を行うことで、その努力をする、継続する体力が身に付き、さらに努力を頑張れるようになると思います。 

その中で、遺伝的要因や環境因子、才能などで個人の最高到達点は異なることは認めなければなりません。 

あくまで、自分自身ひとりひとりが自分のできる範囲での努力ができる領域があるのに、その分の努力もしていないことに対して、「努力したくない」と表現したのではないか、と感じますがいかがでしょうか。 

 

 

・「努力する(できる)」というのも人間の一つの才能だと思えばこんな炎上も起きないんだけどね。 

この人はその点才能に恵まれていたということでさ。 

 

自分は一つのことに向かって努力するのが大変苦手なので、まるっきり才能が無い。 

「努力したくない」というかそこまで物事に集中できないんだもの、これは自分ではどうにもならないし。 

もうちょっとずつ努力すれば人生も違ったものになっていたんだろうがこればかりは仕方がない(苦笑) 

 

だから他人に対しても「もっと努力しろ」とか「頑張れ」などと強く言うこともしない。 

自分にできないことを相手に求めるのはずるいからね。 

 

 

・努力していることが報われるとき幸福感や充実感があるのは間違いないと思う。 

 

私も一度も痩せたことが無かったが 

努力してダイエットした。失敗と成功を 

繰り返しながら、98キロ→68キロまで 

体重を落とせたことは人生で大きな分岐点と 

なって彼女もでき結婚もできた。 

見た目が全く変わるのでわかりやすい努力かもしれないけど、幸福感や充実感は本当に高まった。 

 

 

・明日は我が身と心得て、社会全体を盛り上げ支えようとするのが、一般常識のある大人。個々の利益でしか分別がつかないのは小人。 

 

 

・「言葉の足りなさと軽率さ」もあったかもしれないが、失言は誰にでもある。リカバリーが下手なのが大きかった。 

また失言を回避したいのなら事前に第三者による投稿チェックを行ったほうがいい。そういうサービスがある。 

 

 

・小説の表紙も本人で、ドラマも有村架純じゃなくて本人出演のドキュメンタリーだったらここまで話題にならなかっただろうね 

 

 

・松井秀喜さんが、著書「不動心」で 

努力出来ることは才能であると語っていますね。 

 

自分にとっては、優勝旅行でもバットを持って夜中に練習する。それが当たり前なのに皆から驚かれた様です。 

 

また、努力するには体力が必要です。 

国立大学には5科目以上こなさなければいけませんし、模試などを入れるとテスト時間が6時間かかることがあります。 

 

 

・自分は子供の頃、不仲な家族を子供ながらに必死で繋ぎ止めるべく頑張って、母の期待に応えたくて勉強もたくさんして、望み通りの大学にも行きました。今は子持ちのパート主婦です。頑張れないんです。ごめんなさい。子供の頃に頑張り尽くしたような気がして。好きなテレビも見れなかったし、何が楽しい事なのかも分からず、必死で子供時代を過ごしてきて、自分の望みがよく分からない。やりたい事が自分でわかって、それに向かって努力できる方が羨ましいです。 

 

 

 

・謝るようなことじゃないと思うけど。決めつけが良くないという意見がまた決めつけであったりしますしね。 

 

小林氏が言っている 「環境と本人のやる気が整えば思いもよらない結果を出せたりする」 というのは一理あると思う。環境が劣悪でも這い上がってくる人もごく少数いるが、やはりある程度は環境が整っていた方がいい。 

 

 

・基本的に「あらゆる結果は自己責任」と考えるマインド自体は 

良い結果を生むことはその通り。但し、事実ベースで考えて、 

人間の成功や失敗には、他人、環境、身体的な先天的要素、etc 

運の要素が大きく影響している。 

 

そこで自分の今いるフェーズに応じて、 

「手段としての信念」と「客観的事実の認識」 

は分けて考え得ることが大事なってくるのかなと。 

 

自分が成功のためには「成功は自分の努力の結果だけで決まる」 

という信念で努力する。 

成功した後は自分の成功には運や環境も大きく貢献してきたという 

客観的事実をちゃんと認識して、 

尊大にならず、恩返しするつもりで他人の運や環境を良くする努力をする。 

それが究極の理想かな。 

 

全部自分のせいマインドで成功した後、 

そのままの思考で成功してない他人を、この人みたいに 

努力したくない人、みたいな表現で 

見下しちゃってる惜しい人間が意外と多いんだわ。 

 

 

・人は成功体験があれば努力出来る。大きな目標を立てすぎて、なりたい自分と現実の自分の差に打ちのめされ挫折してしまい努力する気力すら湧かなくなって立ち上がれなくなる。だから、小さな成功体験を増やして数をこなしていくと自信がついてくる。そうすると、おのずと努力を維持出来るようになる。あくまでも持論だけども。 

 

 

・で、慶応卒業した後てたいした事してませんよね 

で、結局まだこのビリギャルねたで本出したりと 

慶応卒業したからどうなんだろ? その後の特に何か才能はなく ビリギャルねたにしがみついてる人としか思っていません 

 

現役東大生だとか、東大出身だからとタレント活動している人と同じ 

 

個人的には自分の成果を自前する事なく、社会でもちゃんと就職し結果を出している 

聞かれなければ高収入を自慢もしない 

そんな人の方が尊敬を私はします 人として素晴らしいと 

 

 

・努力できる、できないじゃない。根性論じゃないんですよね。努力しやすい環境に身を置くことなんですよね。 

 

自分の周囲の人の意識だけでなく、物理的な環境。人間なんて、皆努力したくない、がデフォルトです。 

 

つまり、本人の内部要因ではなく、外部要因です。 

 

この方は進学校、そして優勝な家庭教師がつけられた。 

外部要因に恵まれてるんです。 

 

茂木先生の、意思決定が9割よくなる 無意識の鍛え方を読んでみて。 

 

 

・「努力」という言葉の解釈が人によって違うような気がします。 

 

まず何か行う場合 

・面白そうや興味があるなどで始める場合 

・何か目標ができて成し遂げたい場合 

行動に起こすと思いますが、その際始める為には「勇気」と「環境」が必要になります。 

 

「勇気」は個人の気持ち次第です。ただ性格によっては中々持てない場合もあります。 

「環境」の場合は金銭面や時間が取れないなどどうしようもない理由です。 

ただどっちも「努力」とは関係ありません 

 

「努力」は何かを行っていく際、気力や環境の変化などで実施が難しくなって来た時になんとかしようとする際に行われる行為です。 

 

なにか始める際「勇気が持てない」事でできないのであれば、ちょっと頑張ってみようよと話す事はあると思います。多分そういう人を『努力したくない人』と表現されたのでは? 

 

あと「努力」と「頑張る」は意味が違います。その辺りも物議になる理由かと 

 

 

・努力できるかは、自分を律することができるか、なのかなと思いました。勉強や仕事ができる人は計画的にすべてを決めてから行動しているように思います。でもこれって遺伝的なものや性格的なものもあって、アドバイスしたからと、できるようになるのかは疑問です。 

毎日頑張るだけなら、毎朝同じ時間に起きて、朝ご飯を食べるだけでも努力できていると思います。 

努力の定義がよく分からないので、すごいふんわりとした話だなと思いました。 

 

 

・努力って成功体験がないとなかなかできないですよね。 

同じ努力しても、他の人よりどんどん進んでいく人であればかなり頑張れるけど、大半はそういう人ではない。 

確かに自分のために頑張ればいいんだろうけど、得るものが少なければモチベーションが上がらないように人間は出来ている。 

 

 

・努力した人を努力しない人がとやかく言うのはどうかと思うが、努力した人がそうでない人を価値のないもののように発言するのは違うと思う。小林さんはすごい人だけど全ての人が同じことをできるわけじゃないし自分に与えられた能力の中で自分の考えに従いリソースを振ってるに過ぎない。お互いがお互いをとやかく言うべきではない。 

 

 

・まー、この話題はEテレでもやってた「マイケル・サンデル教授のハーバード白熱教室」でもテーマになるくらい議論しがいのあるネタなんだよね。 

140文字のやり取りですんなり結論出るようなものじゃないし、齟齬も生まれやすそうだよね。 

 

 

 

・自語りの様になりますが・・・ 

私は英語が話せるようになりたいなと思っても、毎日残業だし、電車の移動時間くらいは動画を見たいし帰ったらゲームをしたい。 

仕事では日々新しい知識を得て努力してます。 

 

この場合、私は英語を話すための努力をしていない人なのは自明なのですが、仕事で努力している一面だけをあげて"努力はしている!"であったり、残業ばかりの環境を嘆き"努力できない環境なんだ"ということも可能ではあるんですよね。 

恐らく私のような「努力したくない人」を想定しているのでしょうが、身体の状態や環境が悪い人もひっくるめて「努力できない人」=「努力したくない人」に仕立てたと捉えられる書き方をしてしまったのが問題ですね。 

 

 

・主語や背景を抜いて「努力してる人」「努力したくない人」の二元論で語ってしまったのが一番の失敗な気はする。 

どんな小さなことでも基本的に「努力」って物凄く心のエネルギーの要ることだと思うのよ。そもそも、目的や個々人の現状によって可能な努力や優先順位は大きく違ってしまうし、努力の度合いは基本的に主観だから。 

それを一般化した二元論のように書いてしまうと流石に反発は起きるわなあ、って話だと思った。 

 

 

・佐山サトルさんが言っていた、 

努力するのも技術、 

やる気出すのも技術、 

ってのは一理あるのよね。 

身体的にできないこと(努力でどうにもならないこと)ってのもあるから、 

一概には言えんけど。 

最初は技術じゃないと思うけど、 

努力して成功した体験がある人は、 

やっぱ努力を技術として獲得しやすいよ。 

ずーっとがむしゃらに頑張るんじゃなくて、 

ここぞってポイントで集中できる人。 

努力する期間や強度を計算できる人。 

 

 

・努力ってのも、人それぞれで勉強をがんばれる人もいれば、スポーツをがんばれる人もいる。逆を言えば、どちらかが頑張れない人もいる。 

 日本社会が今まで学歴偏重だったせいで、学歴が高い人は頑張れる人となっている印象がある。しかし、本来は特定の分野でも小さい時から頑張れるものを発見して、尖った部分を活かす社会の方がいいと思う。 

 やっぱり、頑張れるものっていうのは、自分の中で楽しく思える部分があると思うから。 

 

 

・わりと同意かも。他人が努力しているかどうかを決めつけるのはおかしいと思うし、努力するつもりがない人がいるのも事実(私がそう)。肩書きが努力の賜物に思えるかもしれないけど、そうとは言えないと思う。私の世代は公務員になるには予備校通い必須に近い状態で相当な努力が必要だったから私には到底無理だったけど、バイトしてた接客業からは正社員になれるという話があった。努力なしでも正社員の肩書きは得られます。結婚や子供もそうです。あいつは努力が足りないとか言ってる人は、無能な人。優秀な人は余裕があるから、下っ端が努力しようがしまいが気にしませんので温かい目で見てくれる。 

 

 

・日々をやり過ごすことだけで精一杯な人って結構たくさんいるんじゃないかと思います。マズローの欲求5段階説でも自己実現っていうのはピラミッドの一番上にある。他が満たされないと、上にいけないものです。 

学生の時、努力しろとか親のせいにするなとか頑張れとか言われて苦しかった気持ちを覚えています。 

満たされていない人になにを言っても悪いほうに捉えてしまいがちになるんです。 

 

 

・小林さやかさんは好奇心からギャルの世界を覗いてみたらハマってしまって、その間勉学を忘れ遊んでただけで、基本ビリギャルと呼ばれるような方ではないでしょう 

本来はストレートで慶応にパス出来るレベルの人だと思う。 

 

 

・直木賞候補になったり本屋大賞をとっている作家の凪良ゆう先生て 

すごく柔らかく優しそうな印象なんだけど、 

なかなか壮絶な育ち方で 

どんな生まれでも本人の頑張りと才能があれば一流になれるんだなーと尊敬した。 

 

どんな環境でもその中でできる精一杯の努力したら普通以上にはなれる。 

 

ただ、努力できない人はいないと思うけど 

努力するのが苦手な人はいるんだよねー 

 

 

・人は生まれた瞬間からDNAによって才能も能力もある程度も決まっている。 

家族や教育などの環境要因も多少あると思うが、基本的にはその人本来持っている資質でしか無い。 

小林氏はそういった恵まれた才能と運で結果を出しただけなのに、分かったように上から目線で講釈垂れるから反発を食う。 

努力しただけで結果が出るなどというのは幻想で、皆んな努力はしてるんです。 

その中で夢破れて何とか踏ん張っている人達が大多数なんですよ。 

 

 

・その決めつけに不快に感じる人が多いのも理解できるし、軽率だったと思う。 

 

ただ「何をしたらいいかわからなくて動けない人」「努力の仕方がわからない人」 

 

が多いのはそのとおりで、そこに本人が問題意識があって、自分の考えをまとめて、迷う人の手助けしたいらしいので、自分もその傾向はあるから、それは読んでみたい。 

 

 

 

・「努力できない人」というのは存在しない。全ての人間が「常に」努力をしているのだから、努力自体に「できるできない」という概念は存在しないし、人と人との間に努力の「結果」の差こそあれ、努力の「質、量、時間」の差は存在しない。良い結果を手に入れた人は、それを「己の努力の賜物」だと誤信する。そうすると、周囲の「結果を手に入れていない人」が愚鈍に見え、努力していないなどと宣ってしまう。生きていることと、努力をしていることは同義。生まれてから死ぬまで、「全ての人間において」努力が途切れることは「一秒たりとも」ない。 

 

 

・謝罪前の言葉は、少なくとも自分にとって200%的を得ているし、かなり大多数に当てはまることだと思う。要点は「頑張る能力は(ほぼ)誰にでもあるが、頑張り方、頑張る方向性が適切でない場合がある。周りはできないと最初から決めつけないでほしい」こんなところではないでしょうか。努力したくない人ってのは、怠けてる人のことだと思いますし、腹を立てて攻撃しているのもたぶんその人たちでしょう。それでも謙虚に発信する彼女はちゃんとしている。実際自分自身や環境による抗えないハンディキャップを持つ人たちは、最初の彼女の言葉が自分たちに該当しないことくらい理解しているのでは。 

 

 

・指摘されてる方多いけど、この方地頭は悪くないはずのレベルの高校にいましたし、合格した慶應というのがまた、なんというかかんというか、「得意科目が合ってさえいれば受かりやすい軽量入試学部」だったはずで、正直なところ、騒がれるほど物凄い努力だったかなあ??というのが偽らざる感想(騒がれた当時からそう思ってました)。 

 

東大・京大楽々の天才では無い層にとって大学入試って、そういう「合格への近道を探す情報戦」であり、この方には名参謀が付いていたのであり、こと大学入試に限れば、当人の努力以上に参謀のアドバイスが有効だったりします。それは往々にして学校の先生ではなく、塾の進路指導員だったり、調べ物が得意な親御さんだったりしますね。 

 

ご自分が恵まれた環境にいたことにお気づきでないまま、「本人の努力」推しするのは、いくら正しそうでも反感はあるかなと。 

 

 

・自分は知り合いに環境最悪だけど、だからこそ見返してやるって頑張って、子供の頃の夢つかんだ子がいるから、環境含んで自分以外のせいにするのは言い訳っていう意見も分からなくはない。 

 

ただ、それは努力して報われた人から見えた景色だろうなとも思う。 

 

 

・「頑張れない人」と「頑張ろうとしない人」、どうやって区別するのか。診断があるかないか?当人や家族にとってはそれがよりどころになったりで意義があることなのかもしれないが、例えば雇用する側としては「使えない」というのは同じ。身体障碍者のように助成金が出るわけでもない。というか、「成功者」は結果の出ない努力など努力ではないと思っているはずで、努力しない人間など理由に関わらず論外なのだろう。 

 

 

・適応障害とか、努力したくても出来ない人は一定数居ると思うが、パチンコや酒に時間と金を使い、うだうだと現実逃避をする人もいる。 

 

せめて筋トレくらいは、誰でも平等に出来ると思う。いざという時災害に会った時とかの備えにもなると思う。 

 

病気で出来ない人は?とか言ってくると思うが、出来る範囲で良いし、場合によっては病気の改善にもなると思う。 

 

パラの人を見ると感動する。足が無くても上半身をガンガンに鍛えている人もいる。 

 

自分のできる範囲で何か努力をする事は賛成する。 

 

 

・努力したくない人間です。 

日々の生活に困ってるわけでも、我慢しているわけでもないし、これ以上努力してもな、と思って過ごしてます。 

何か理由が見つかれば努力と言いますか、頑張れるのではないですかね?家族のため、ペットのため、自分のためなどなど。 

ここまで来ると考え方によるところが大きいと思います。なので人によってはそれは違うよ、ってなるのかなと思いました。 

 

 

・努力できる才能というのもあるらしいので 

日本人は努力して成功するエピソード大好きだけど今後は人に努力を強要することは避けたほうが良いでしょう… 

 

努力思想の強要はなんてハラスメントになるのかな?エフォートハラスメントとか新しいハラスメントが誕生すると思う… 

 

 

・結果に結びついた努力は評価されるが、結果が出ない努力はもちろん評価されない。 

その過程を評価するのは近しい人でもない限りとても難しい。 

しまいにはやってる感を出す事に終始する人も出る模様。 

数値化されたもの以外は努力で他人を評するのは無理があると思う。 

 

 

・努力したくない人という発言の底には、人間誰しも秘めた力があるんだよという人間賛歌を感じるよ。確かに日米の高学歴を手にした人が言うと嫌味に感じて批判したくなる心理も分かる。それは十人十色の考えであって、それもまた尊重に値すると思う。どちらかが謝罪したりする必要はなく、議論してくれてありがとうで締めるぐらいでいい。 

 

 

 

・何をもって努力とするのかと努力の成果を何と比較するのかで答えが変わる物だとは思います 

言ってしまえば今日生きて明日も生きるということもある意味努力で今日の自分と明日の自分と比較すればなにがしかの成長がある 

努力をしていない人は居ないことになるので努力したくない人というのはある目的に対して必要な量の努力をするかどうかになりますけど、そうなると結果が伴えば努力で伴わなければ努力が足りないという乱暴な結論になる 

 

はてさて努力ってなにが努力なんですかね 

 

 

・努力には人それぞれ、その立場、環境で、大小がある。 

でも、「努力できない人」はいない。 

やらない人が、「したくない人」なのは間違いない。 

 

どんな小さなことでも、できなかったことをやろうとするとか、朝、いつもより5分早く起きて、いつもの朝の行動を5分余裕をもって終わらせることも努力。 

朝、早く起きるために、夜いつもより30分早く床につくのも努力。 

寝る起きるに限定してしまったが、環境がどうであろうが、「努力したくてもできない」人は、いないと思う。 

 

 

・努力していないひとは、やっぱり努力していないと思う。 

 

そりゃ家庭的な理由で授業料の高い私立大学には行けない人もいるだろうが、だったら学力を身につけて授業料の安い国公立大学に行けば良いだけの話。 

それも無理なら、中卒・高卒でも資格を取ってステップアップをすればいいだけ。 

 

環境の所為にするひとは、もっともらしい理由をつけて努力を怠ってるようにしか思えない。 

 

 

・「パフォーマンスが出せない人=努力が足りない人」という考えが日本社会に蔓延っているという前提での話の進め方に、「そうではなく環境だ!」と過剰に反応する人たちが少なからずいた。 

 

結論から言うと双方の言い分はそれほど的外れでもないのだろう。どちらの層も一定数いるはず。問題は多くは自らが置かれ立ち位置を切り口にするために、このような議論が度々起きる。相手の人権を侵害でもしていない限り、「そういう意見もあるよね」で済むはずなのが、そうしたくない人たちがいる理由を考えた方がいい。 

 

やはり、皆自分の意見や考えを聞いてもらい、あわよくば共感してもらいたいのだろう。ここに「努力論」をひもとくカギがある。頑張っているけど報われない、その時にどれだけ共感してくれる人たちが周囲にいるか?誰もいないと感じる人たちが「そうじゃない!」とSOSを挙げる。 

 

テクノロジーの発展のおかげで表出してきた現象なのだろう。 

 

 

・環境のせいで頑張れない人もいるのに! 

と一斉攻撃するのも、変だと思う。 

 

日本人は、環境を誰かに他人に整えてもらいたがる、受け身さんが多いですよね。 

 

別にビリギャルさんは整えてもらったわけじゃなくて、自分がその方向に進もうとするエネルギーが本人に強くあるから、周囲がサポートしやすくなったんだろうに。 

 

初めから政治にも、自分からろくに関わらずに、与えてもらうことを待っている人は、目の前にチャンスがあっても、気づいてすら、掴み取ろうともしないよ。 

掴んで新しいことが起きるのが怖いから。 

 

日本人は、他人叩きの言い訳ばっかりですね。 

 

 

・人格は遺伝をベースにして環境と教育によって形成されると私は思います。ただし例え環境に恵まれたとしても、自身が強い持続した願望や目標を持っていなければ継続して努力し続けるのは難しいと感じます。トンビが鷹を生むか、蛙の子は蛙になるか。自分のやる気スイッチ次第でどうにでもなる。 

 

 

・社会的にみて、皆がもっと努力するようになったら、より快適な世の中になるでしょうか?多分ギスギスした世の中になりますよね。 

人間は機械ではないので、努力しても上手くいかなかったり、体を壊す事もあります。余力として、「努力しない人」の存在も必要なのではと思います。 

 

 

・ビリギャルと言いつつも、この人が通ってた高校めっちゃ偏差値高いからねー。元々、地頭が良かったけど勉強をさぼってたギャルが本気出したってだけ。みんながみんな勉強すれば、努力が報われて慶応に合格できるわけではないし、勉強以外のことでも努力だけでは叶わない現実もあると思う。 

 

 

・物理的に拘束されていたり、障害あったりする人、けがをしている人や生まれつき重度の疾病のある人は努力できない人かもしれないけど、どういった方々以外は努力しない人だと思うんだけど。 ケガや病気のある人、障害のある人は生きること自体が努力していると思うので、物理的に拘束されていない或いは軟禁や監禁状態になくて努力できない状態ってどういう状態なんだろう? 

誰か、ご教示お願い。 精神とか心がどうとかは本人の問題。 

 

 

・人には自尊心があるので、「努力してない」と発想させる言葉は拒絶されますよ。 

 

私も子供の頃に、まずは学年でトップ。と言うところから努力しましたが、その努力と一緒かどうか。共感を示して「その通りです!」なんて違っているのに調子に乗るのもかっこわるいのもわかる。 

 

突き詰めると、努力したのに東大もいけないのか。ともなりますので、努力したつもりの人もリアクションに困りますね。 

 

学歴が上の人の努力とか、知能指数とか。これはネットでほぼ禁句ですよ。 

 

なんとなく伝えたかったことはこんなことかな?と言うところはあるので、言い方を変える必要はありますね。 

 

 

 

・んー、努力とかは本当に環境的なものが大きいと思うから、努力したくない人という表現がやはり嫌な気持ちになるかも。環境は、周りの人(教師や親、友人など)、と経済的なもの(塾とか家庭教師とか)と、その二つが揃わないと厳しいところはあると思うかな、個人的にはね。 

 

 

・そもそものビリギャルという存在を疑っていない人が多いけど、偏差値40上げたっていうのはどう考えたっておかしいからね。 

偏差、つまり偏りの差なわけだけど、学力の場合は平均を50として換算したものになるから高くても7〜80、40上げたって言ってるから比較対象の偏差値は30とか40になるけど、この数字は真面目に解かなかったとかそういう外れ値てきな状態の偏差値だよ。 

さらに紐解けば、元々頭良かったけど単に反抗期で勉強したく無くなった元女の子の話でしたと。ほんで周りの環境にもだいぶ恵まれていたようですね。 

土台が違うのに、恵まれたやつが努力を語るのは本当に虫唾が走る。 

 

 

・本質だとは思うよ。 

でも、正しいことを言っても気に入らないってなる人も多々いるので、、、大変だね。 

 

本当に自分の意思で行動しているなら、正にその通りなんだろうよ。 

頑張れないなって時は、自分のやる気が湧かないだけだから、やる気がないに違いない。 

 

ただ、特に日本では頑張らないといけないという誰の意思なんだか不明な理由で頑張る人もいて、そういう人にとっては頑張れないというのは、直視できない恐ろしい状態だけでであって、「それもあなたの意思でしょ」と言われても絶対に認めたくないって思うのもわかるけどね。 

でも、それを理由に人を攻撃するのもよろしいことだとは思えないけどね。 

 

 

・努力とは。「成功している人はすべからく努力をしている」「努力なしに成功はない」という、間違いではない概念が誤解を産むのかもしれない。やる気を出すのはタダ、とか何かを成し遂げるには、代償や対価を払うもの、とか睡眠時間を削っても勉強したり、土日に集中的に勉強することを良しとする風潮がある気がする。例えば運転手や高所作業をする人が、睡眠不足だったら?家族の介護や看病で休みを使う人は?目標のためだけに時間を使えるわけではない。この人は、恐らくやる気のことを言いたかったのかもしれない。時間の使い方のことだったかもしれない。先ずは、努力が何か明確にし個々の認識が統一されれば誤解が起きにくくなるかもしれない。 

 

 

・この人は元々才能があったから、短期間勉強しただけでもそれなりの大学に入れたんだよ。僕のように才能が無い人間は努力するだけ無駄と思ってしまっても仕方ないと思います。努力したところで才能があって多少頑張った人間には勝てませんから。 

 

 

・まあひとつ言えることは「努力したくない人」が伸びることはないってことですね。 

身の回りでも腐るほど見てきたけど、いくら初期能力が高くてもやらない人間・やりたくない人間ってのは何者にもなってない。 

 

ビリギャルさんの言葉に噛みついてるタイプは、どこかで気付かないと、老人になっても何かに噛みつくことだけを生きがいとしたまま灰になっていくんだろな。 

 

 

・謝る必要なんて1ミリたりともないです。結局は図星なんだけど、言葉尻を捉えてツッコミを入れたい人間がいるだけです。要するに嫉妬ね。 

 

>「頑張りたくても頑張れない人もいるんだから責めないであげて」 

 

具体的にどういう人がそういう状況にあるのか逆に教えてほしいね。健常者だろうがそうでなかろうが、学力があろうが無かろうが、体力があろうが無かろうが、皆可能な限りの範囲で頑張ってますよ。生きていく以上、頑張れないなんてあり得ないから。 

 

 

・努力ができること自体が資質の一つであることは間違いない。でも一卵性双生児でも別の人生がありうるわけで、資質ですべてが決まるわけではない。0か100かではなく、その間にあるグラデーションが真実であり、その前提を共有しながらコミニュケーションをとるしかない。 

 

 

・努力しようが、するまいが、この世は結果がすべて。ビリギャルと持て囃されたのも結果を出したから。 

世に出てる成功メソッドなんて成功したからこそのもので、結果を出さなかったら時間の浪費に過ぎず、ただの無駄な努力に過ぎない。 

そして別な人が同じ手法を採っても同じ結果になるとは限らない。 

 

 

・環境のことを言ったらみんなちがうよね。それを理由にするのはちょっと違う。それぞれの考え方ややり方があると受け入れるだけでいいと思います。小林さんの発言も色々名考え方の一つで、「私はこう思います」でやりとりすればいいと思います。 

 

 

 

・ここでの論旨には逸れるかもだけど、根底にある考え方としてだけど…。既に凄く頑張ってる人や、努力してる人に対して「頑張って!」は酷ですけど、頑張るにあたって心身共に健康で環境も有るにも関わらず頑張りや努力しない人間は「努力したくない人」言っても良いと思うんですけどね。 

 

 

・著作家の山口周さんは以前に「すべての努力は報われるわけではない」と述べてました。 

報われるのはその方向がよく方法のいい「スジの良い努力」であり、その努力で徒労感と無力感が残る「スジの悪い努力」は当然報われないと。おそらく炎上した方の言いたかったのはその「スジの悪い努力」について述べたのだろう。ただ個人によって努力のやり方はあるはずなので一概に否定にかかるのは良くない。自分の成功体験だけが「スジの良い努力」とは限らない。 

 

 

・投稿自体は炎上するほどのことは言ってない。ビリギャルは売り方が 

だいぶアレだったから、嫌ってる人が結構いるってことが 

可視化されただけ。主導したのは塾講師(坪田って人)だから 

ビリギャル本人からしたら不本意だろうけど。 

 

あと、立場上仕方ないんだろうけど、いわゆる地頭の影響を 

必死に否定するのはさすがに苦しいからやめたほうがいいと思う。 

 

 

・結局のところ大人になれば本人が努力しても結果が着いてこなければ努力を認められることはほぼ無い! 

人間には向き不向きや好き嫌いがあるから、此は努力できるけど此はできないがあるし、貧困家庭だと努力できるかのスタートが限定されてしまう。 

人によっては違うものをコメントしたら、そりゃ批判もされるよ! 

 

 

・頑張った、努力したという基準は自己評価であって他人からの評価じゃないよね? 

だからその基準が千差万別なのも当然で結果が伴わなくても、誰もが思い描く様な姿じゃなくても、その人自身は達成感に満たされる場合があるわけ。 

だから人様の事を自分の基準で判断してレッテルを貼るのは間違っている。 

 

 

・そんなに間違った事は言っていないと思う。 

 

確かに環境とか病気とか経済面とか、 

頑張りたくても頑張れない人もいる。 

…だけど個人差はあれどもそれなりに努力って必要だと思います。 

やってみてできなかったのはしょうがない。 

そんなに非難されるような事は言っていないように思えるんだけど。 

もう、生きているだけで努力だと思うよ。 

 

 

・考え方なんて人それぞれでどう思おうが勝手。思想の自由や表現の自由が認められているのに「こうするべき」という外野の声が大きくて、自由に意見も述べられない今の世の中に辟易する。 

自分勝手に言ってる人間よりも実名出して意見している人間のほうがよほど尊重すべきと思うけどなあ。ということも匿名だから言えることなのだけど。 

 

 

・ビリギャルが偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した、本人だけに。 

努力という成功イメージが強い張本人だけに、「努力できない人」を見下すようなコメントへの反感も強烈だったのであろう。 

まぁ、載せたような謝罪や背景の説明に至ったことは、仕方ないんじゃないのかなぁ。 

何気に「努力したくない人」と載せてしまったのも、分かる気がする。 

多様性を常々意識ながら、言動に注意するしかないんだけど、それも、何か生きづらい世の中になったもんだ、と考えさせらるなぁ。 

 

 

・努力するしない、したくないの前に生きる希望があるかないかっていうのは視点として大事だと思う 

生きていることが努力という人が少なくなってことだね 

だけど別にこの人を持っているものから見た視点しかないと批判するのもどうかと思う 

この人にも著書にもかかれていないことだってきっとあっただろうしね 

努力したことには変わりもないし 

 

 

・「軽率だった」のは、 

 

何をどう言っても決して受け取らない、受け入れる気がなくてクレーム言う気だけがある、そういう誹謗中傷ジャンキーが想像を超えて存在していて、軍隊アリみたいに押し寄せてくることを予見できなかったことだろうし、 

 

自分のフォロワーはこの言葉に前向きな気付きを得てくれる人だと思うのに、今回のこの言葉は燃料であったらしく、フォロワー以外にすんごい拡散してしまうっていうことを予見できなかったことでしょう。 

 

だからこの人は全く間違ってもないし、フォロワー外の有象無象に負けず、これから努力して向上しようとするフォロワーに対していい影響が生じるように、これからも活動していって欲しいです。 

 

 

 

・努力したくないのか、努力できないのかは個人的には知った事ではない。不毛な議論だ。 

 

なぜなら、この議論に勝って例えば『努力出来ないのは仕方ない。本人のせいではない。』となったところで、その仕事に必要な技量を身につけていなかったり、結果を出せなかったら、結局評価されない訳で全く意味はないからだ。 

 

どれだけ『弱者だ!』と言ったところで日本人はただ乗りする奴は大嫌いだし、農業国の歴史が長いから『働かざる者食うべからす』の精神が根強い。 

 

結局、結果を出せなかったら『努力出来ないから仕方ないだろう!』と喚いても、『結果出せないんだから評価されなくても仕方ないよね』で返されて終わり。 

 

社会的弱者を社会で面倒を見よう!と言う流れにしたい人がいるのは分かるが、今の日本にその余裕はないからね。無理だと思うよ。 

 

 

・間違ってないと思ったけどな。 

批判してた人たちは努力=成功をセットで考えてるんじゃないかと思った。努力が実らなくても努力した事には変わらない。側から見てやり方が間違っていても努力はできると思う。 

 

 

・これ「一般化」の問題ですね。 

森さんが、女性は端無が長いと、一般化した事で顰蹙買った。 

 

努力ができない人は、努力したくない人なんだと言わずに。 

努力ができない人と見なされてる人の中には、努力したくない人が含まれているとは思うって、言うと、より正確さが増しますね。 

 

まあ努力型やコツコツ型も、資質として生まれ持った側面はある。 

それは神様からいただいたもので、自分が努力型でも、そうでない人を落とす必要はないと思う。 

 

自分の事を言えば、この頃努力できなくなっていた。 

物作りで売ってるんだけど。 

頑張って頑張って作って、売る時のやり方が悪かったり、タイミングが悪かったり。 

うまく行かないことがたて続くと、またうまく行かないんじゃ?って、ダメダメで努力できなくなっていた。 

おかしいな、頑張れた日もあったのにって、自責の念に囚われた。 

 

ダメな自分を知る、彼女は若くてそんな自分を知らないのかも。 

 

 

・これは小林さんが正しい。 

極端過ぎる事を言ったら話しにならない。 

 

勉強でもそうだが、努力出来ないではなく 

努力しない、努力してないのだよ。 

言い訳はいくらでも出来る。 

 

ダイエットもそう。 

出来ない奴に限って、頑張っても体質がだの、薬の影響が等、屁理屈ばかり言う。 

朝バナナ一本。後は水のみで1週間やれば人間は必ず体重落ちる。減らし方には問題あるがね。 

 

ボクサーやスポーツ選手、ダイエット出来た人は必ず努力している。 

 

 

・なんで謝らないといけないのかな。 

人それぞれ考え方あるだろうに。なにか?公に発言する時は100人中100人が頷けるようなことでないとでないと発信できないのか?「私はこう思う」と、個々に思っていればよい。自分と違う考え方を謝らせるまで批判し続けるこの風潮なんとかならんか。 

そもそも小林氏の発言、別になんら問題視されるように思わないけどな。 

 

 

・私も努力は苦手、成功者目線から足りないって言われる。 

環境は人それぞれ、指摘されると良い悪いは別で反論する人は出て来る。 

見下された感覚になる人もいるのでしょう、スルー出来るか?反論するかも? 

人それぞれ。 

毎回思う自分で考えて発信したのなら簡単に謝罪する必要ないでしょう。 

だってそれがその人の本心なんだから。 

 

 

・どんなに努力しても九九を覚えることができない人がいて、その後の算数数学がどんなに頑張ってもできない。そういう「努力してもどうしてもできなくて」諦めた人を「努力してない人」「努力したくない人」と言ったらキレる人が相当数出てくるよ。何かを発信したら、良い反応だけでなく悪い反応も出るのが当たり前。全部良い反応だけなんてことはないし、悪い反応は悪いことだけでもない。学びがある。 

 

 

・努力するの主体が本人なのだから、したいか、したくない人 

できる、できないは客観評価なのだから、他人があの人は努力できない人だよねって決めつけるのは良くないって話だと思うので、別に納得の話だとは思うのだけど 

 

 

・皆様他人に対してどんだけ完璧超人を期待しているのかね。努力は誰だって大変だし、努力している時はそれを尊いものとして不断に頑張り信念を持たなきゃやってられないでしょ。だから多少は上から目線にうつっても当たり前だし、「どうかしら」と問いかけていて反論されて反省しているのだから態度として満点だと思うけどね。 

 

 

・努力しないヒトは「したくない」から「しない」んであって、何も間違ってない気がしますが。 

努力できない、という中には心身的、経済的、環境的など多々要因はあるんでしょうが、それは個々が出来る範囲で努力すれば良い訳で。 

という訳で、努力と言うのは誰でもどんな時でも出来ると思っています。 

 

 

 

・実際、アメリカ人のくだりが出てきたところでそういう事を言いたいわけじゃないのはなんとなくわかりましたけど。 

 

 まあ、いろんな捉え方があるし、いろんな境遇の人がみるものですから。 

なんか、軽々にネットに挙げることではないですよね。特にある程度名前の売れている方は。 

 

 

・時間が無限にあるなら努力厨の言い分は正しいが、人間社会には年齢差別という期限がある。記憶力が低い人が何浪もして難関大学に合格し、何年もかけて難関資格を取ったとしても結果が出た頃には年齢差別で就職できないから何の意味もないものになる。万が一就職ができたとしても年齢的に望んだレベルの相手とは結婚はできないだろう。努力したくないというのはその通りだろうが、努力する意味もないのが現実 

 

 

・努力って、身につくものもあれば無駄に時間だけ要して無駄に終わるものもあるからね。 

努力の仕方や環境作りは、自らの判断が大切になる。 

スポーツも勉強もそうだと思う。 

王貞治さんが発してる言葉どけど、 

『努力は報われる、しかし報われない努力があるとするならば、それはまだ報われる努力に到達してないからだ』 

ウチの姉は、私含めて5人兄弟姉妹で裕福じゃなかったし各自の部屋なんか無かった。 

でも、塾も行かずバイトしながら愚痴一つ溢さず母親の手伝いや弟妹の面倒も見て、本人なりに努力をして現役で京大の医学部に合格した。 

その姉に聞くと、 

環境の責任にしてる間は本当の努力じゃ無いんじゃない! 

といつも言っていた。 

今、とある地域で高度救命救急センターでセンター長を務めている。 

努力してる人は、努力してるとは思ってもなく周りが努力してるって認められてる人の事なんだろうって思う。 

 

 

・生まれた国、場所、性別、健康、親、つまり持って生まれたモノでその努力が出来る出来ない、実る実らないは変わってくるんだ。 

 

万人に優しい言葉では無いね。努力こそ正義は恵まれた人の思考。 

 

 

・林先生がビリギャルについて、地元なのでこの女性の学校はよく知っていますが、中学受験でこの学校に入学した人なら、成績がかなり落ちたとしても1年勉強して慶応に受かったとしても私は驚きませんと述べていました。 

 

ちと議論からそれる話ですけど。 

 

 

・とんでもない努力をした人だからそれができない人のことを理解できないとしてもまぁ納得。ただ、今はそれをSNSで発信しちゃったりするから反響が大きい。さやかさんからしたら、自分は遊びすぎて勉強なんてしてなかったところから有名私大に入れたんだからみんなもできるでしょ、できないのはやろうとしないからだよって論理なんだろう。 

 

 

・この人が努力を語れるほど何かを成し遂げたと認められるような人ではないってのが原因。大谷翔平が言ってたら勿論のこと、仕事で何かを成し遂げた人が言ってたら納得できる。 

 

 

・別にそんな変な意見じゃないと思うな。 

努力したくてもできない人というのは、どこかで人と違う努力をしている。そういうものを軽視した発言ではないと思う。 

達成できる到達地点は人それぞれだし、別に慶応に落ちる人は努力してないからとかそういうことを言っているわけでもない。 

批判した人たちは、きっと「こんなに頑張っているのに、理想に届かない」と思っている人たちを蔑ろにされたと感じたのかも知れないけど、それはそれで立派な努力じゃんね。そんなに否定しなくても。 

 

 

・相手の思想や言動を無理矢理変えようとしているならまだしも、単に意見を言うだけならその人の自由だろ。もちろんそれに対してどんな感想を抱くも自由。私もこの主張に関しては単なる官軍様の論理に過ぎないと考えてるから賛同してないけど、いちいち噛みつく方がどうかと思う。 

 

 

・努力に打ち込める人ってのは努力の成果を脳が気持ちいいと感じておかわりを求め続けてる状態なんだからゲーム楽しいとかと一緒なんだよな 

ゲームのステージをクリアした時の小さな達成感を脳は気持ちいいと思うし 

勉強やらトレーニングでその日に立てた課題やノルマを達成した時も脳は気持ちいと感じている 

努力できない人や環境のせいじゃなく、勉強やトレーニングの努力の気持ちよさまだ知らないってだけに過ぎない 

伝える側もなぜ自分が撃ち込めているのかの理解が出来てないから伝え方を間違えるんだよな 

 

 

 

 
 

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