( 150122 )  2024/03/17 22:00:15  
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「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】

TBS NEWS DIG Powered by JNN 3/17(日) 16:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb2d6cf595ffedc5bfdf45ad29546aca08b0474

 

( 150123 )  2024/03/17 22:00:15  
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日本には安楽死を認める法律や制度が存在しない。

安楽死の法制化を望む人や反対する人の思いが取材された。

一つの例として、パーキンソン病を患う迎田良子さん(64)が難病や痛みから解放されるために安楽死を選んだ経緯が紹介された。

日本では安楽死は認められていないため、迎田さんはスイスで安楽死を選択した。

一方、安易に死を選択することに危機感を持つ人々もおり、ALS患者の岡部宏生さん(66)は安楽死に強く反対し、生きることの尊さを訴えている。

(要約)

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TBS NEWS DIG Powered by JNN 

 

日本では、「安楽死」を認める法律や制度はありません。 

 

安楽死の法制化を望む人、それに反対する人、それぞれの思いを取材しました。 

 

【写真を見る】「安楽死」を考える スイスで最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者【報道特集】 

 

■安楽死が認められていなかったら?「首を吊って死んだかもしれない」 

 

都内に住む、64歳の迎田良子さん。難病のパーキンソン病患者だ。 

 

迎田良子さん(64) 

「歩くのが好きなので、ちょっと辛くても歩きたいです。見てもわかる通り、膝が曲がって前かがみになっていて、 辛いというか、歩くのがちょっと大変」 

 

日本では認められていない、安楽死の法制化を心から願っている。 

 

迎田良子さん(64) 

「安楽死に関して討論してほしいと思う。日本でもいつか、安楽死が合法化されることを願っています」 

 

パーキンソン病は手足が震え、徐々に体が動かなくなるなどの難病だ。 

 

ただ、それ自体で死に至る病ではない。 

 

迎田良子さん(64) 

Q.安楽死が仮に認められていなかったら? 

「辛くて身体が痛みが続きますから、だんだん動けなくなってくるので、首を吊って死んだかもしれない」 

 

両親と兄の4人家族。両親は不仲で、母親が自宅に連れ込んだ交際相手に、暴力を振るわれるなどしたため、迎田さんは小学生の頃から、早く家を出て自立することを夢見ていたという。 

 

高校を卒業後、海外で日本語の講師などをした。 

 

憧れだったヨーロッパと行き来しながら、一人で夢を切り拓いてきた。 

 

しかし、50代でパーキンソン病を発症したことで、フランス人の男性との婚約が破談に。 

 

その後、両親を看取り、一人で生活することが難しくなってきたと感じ、安楽死を決断した。 

 

迎田良子さん(64) 

「不快さ、体の痛みを代わってくれるわけではないので、進行性の難病なので、私はもう安楽死を選びますね」 

 

日本では、患者の希望などで延命治療をやめることは認められているが、致死薬を使う「安楽死」は認められていない。 

 

このため迎田さんは、海外で安楽死を認めてくれる団体を探し出し、手続きを行った。 

 

迎田良子さん(64) 

Q.安楽死を選びたいと思ってからどのくらいが経ちましたか? 

「もう7年以上経ってますね」 

 

Q.もし日本に安楽死があったらその道を選びましたか 

「そうですね」 

 

 

2週間後、スイスのジュネーブを訪れた迎田さん。 

 

迎田良子さん(64) 

「すごい綺麗。ほら、透き通ってるでしょ。 夏は気持ちいいのよ、足を入れてピチャピチャしてね」 

 

レマン湖は、パーキンソン病を患う前の2006年に、恋人と訪れた特別な場所だという。 

 

迎田良子さん(64) 

「私が人生の中で一番幸せだと思ったところですし、そこで痛みを消して(安楽死して)、私の散骨をできる所なので嬉しいです」 

 

安楽死当日。 

 

婚約していたが破談になったフランス人の元恋人が、当初付き添う予定だったが、直前に断られたという。 

 

迎田良子さん(64) 

「この人には看取ってほしかったなというのはありますけど、やっぱり人の考え方には権利もありますので、この結果が一番自分にとってベストだと、ポジティブに考えています」 

 

レマン湖での散骨を手配し、日本にいる親族や主治医への手紙の発送も終えた。 

 

迎田良子さん(64) 

「私って用意周到なのよ。ああいう家庭に育ったから。人に甘えるというのが下手くそなのかもね」 

 

準備が進む中、あらためて安楽死を思いとどまることができないか尋ねた。 

 

迎田良子さん(64) 

Q.今すぐに死が迫っているわけではないですよね。まだまだ生きられると思うんです 

「生きられるけど、何が嫌なのかというと、痛みなんじゃないですか。痛みと不快感」 

 

安楽死が日本で認められた場合の懸念についても聞くと… 

 

迎田良子さん(64) 

Q.難病を抱えた人は福祉も少ないから「自分は本当は生きたいけど、安楽死した方がいいのかな」と思ってしまう人が出ると思うがどうですか? 

 

「難病だから誰でも(安楽死をして)いいというものではないですよね。病気になったから嫌だ、安楽死だというのではない」 

 

「基本は生きることですから。でもそれがやむを得ないときに安楽死があるってことだから。そこのジャッジをね、しっかりしないと」 

 

■「イエス、OK。ありがとう」 そして、バルブを外した 

 

迎田さんをサポートするのは、安楽死団体「ライフサークル」のプライシック医師。 

 

 

プライシック医師 

「ハロー」 

 

迎田良子さん(64) 

「ハロー」 

 

プライシック医師 

「あなたに花をもってきたかったの。日本のサクラのようなものです」 

 

迎田良子さん(64) 

「サンキュー」 

 

誓約書への署名が終わり、ベッドに横たわる迎田さん。 

 

プライシック医師 

「誰もがスイスではなく、自分が住む場所で安楽死できることが大切。自宅でできたらいいのに」 

 

迎田良子さん(64) 

「グッドアイデア(良い考えだわ)」 

 

プライシック医師 

「私の団体にはたくさんの日本人がいます。スイスが最善の選択ではありません」「大丈夫?」 

 

迎田良子さん(64) 

「大丈夫。ありがとう。ここに来られて本当に幸せです。夢が実現しました」 

 

プライシック医師 

「バルブを外したら何が起きるかわかりますか」 

 

迎田良子さん(64) 

「私は死にます」 

 

プライシック医師 

「それがあなたの最後の願いならば、バルブを開けて良いです」 

 

迎田良子さん(64) 

「イエス、OK。ありがとう」 

 

迎田さんの遺骨は生前望んだ通り、レマン湖に散骨されたという。 

 

■難病患者の訴え「安楽死に強く反対です」 

 

安楽死をめぐっては、安易に死を選択することになりかねないと危機感を感じている人たちがいる。 

 

先週、京都地裁で行われた裁判。2019年、医師の大久保愉一被告(45)が、全身の筋肉が徐々に衰えていくALS患者の林優里さん(当時51)から依頼を受け、薬物を投与して殺害したとして、嘱託殺人などの罪に問われたものだ。 

 

林さんはSNSに「安楽死させてほしい」などと投稿していた。京都地裁は大久保被告に、別の殺人罪と合わせて懲役18年を言い渡した。 

 

裁判ではALS患者の岡部宏生さん(66)ら、多くの障害者が傍聴を続けた。判決後の記者会見では… 

 

「この事件が起き、裁判が始まってから、生きることと死ぬことの選択の問題にされ、同じ病気や障害のある者、仲間同士の分断が広がっています」 

 

「障害があっても生きていける日本社会に一緒にしてほしいと思います」 

 

 

重い障害がある人たちは、安楽死の問題をどう受け止めているのか。岡部さんの自宅を訪ねた。 

 

岡部さんは現在話すことができないため、眼の動きで文字盤を追い、介助士に一文字ずつ読み取ってもらう。 

 

介助士 

「こ、ん、に、ち、は、マル。よ、う、こ、そ、で、す、マル」 

 

18年前の48歳の時にALSを発症した岡部さん。将来を悲観し、何度も自殺することを考えたという。 

 

岡部宏生さん(66) 

「ここのベランダから飛び降りようと具体的に実行しようとしたのですが、柵を乗り越えられるほどの筋力が残っていなかった」 

 

病気の進行とともに、自力での呼吸ができなくなるALS患者。 

 

このため、人工呼吸器をつけて生きるか、つけずに死を迎えるかの選択を迫られるが、7割の患者が呼吸器をつけずに亡くなるという。 

 

当初、岡部さんも呼吸器をつけずに死ぬことを考えていた。 

 

だが、「障害に縁がない人にも生きることについて考える機会を提供したい」との思いから生きる道を選び、障害者の現状を訴えてきた。 

 

日本で安楽死が認められることに危機感を抱いている。 

 

岡部宏生さん(66) 

「私も4割の時間は、死にたいと思うくらい辛いです。そんな時に『死なせてあげよう』と言われたら、間違いなく『なら死なせて』と言ってしまうでしょう」 

 

「安楽死が本当に必要な人以外に、どんどん広がってしまうことが恐ろしいです。だから安楽死に強く反対です」 

 

介助士による24時間体制での介護が必要な岡部さん。介護していた妻がうつ病になった時には、自身を責めることもあったという。 

 

岡部宏生さん(66) 

「こんなに介護が大変ならば、自分の家族の介護負担をなくすために安楽死しよう、という人が必ず出てくると思います」 

 

■「安楽死で死んでいける社会を目指すなら、希望をもてる社会ではありません」 

 

岡部宏生さん(66) 

「今日の講演は中学生高校生相手なので、とても楽しみにしています」 

 

病気が進行すると眼球の動きが悪くなり、文字盤を使った会話もできなくなるという。 

 

 

( 150124 )  2024/03/17 22:00:15  
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(まとめ) 

多くのコメントでは、安楽死について慎重ながらも肯定的な意見が多く見られました。

厳しい痛みや苦しみを抱える人が安らかに死を選ぶ権利を持つべきだという声や、個人の意思を尊重すべきだとの意見がありました。

また、家族や医師、社会全体でしっかりとサポートしてケアする体制が必要とも指摘されています。

安楽死に反対する人もいる中で、それが選択肢として存在することの重要性や、個々の状況を考慮しながら法整備や議論を進める必要があるという意見も多く見られました。

さまざまな視点がある中、生きると死ぬを選ぶ権利の尊重や個人の尊厳を大切にすることが重要と感じられました。

( 150126 )  2024/03/17 22:00:15  
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・この番組に見入りました。 

最後まで見て思ったのは、経済的にスイスまで行って、言葉も通じる恵まれた人にしか安楽死は選択出来ないのかぁ〜と。 

 

安楽死の薬剤投与から穏やかになくなる姿を拝見して、一日中痛い苦しみの中、命が続くだけの日々を送りたくないと考えている自身は日本でも選択可能な制度であって欲しいと願いました。 

 

障害を持って痛くても生きたいと思える人は生きる選択をすればいいけれど、 

そうで無いのに生かされるのは生き地獄。 

 

穏やかに亡くなる選択が10カ国以上(先進国を含む)で認められている事に日本でも認めてほしいと感じました。 

 

 

・以前、進行性の疾患の為に海外で安楽死をされた女性のドキュメンタリーを観ました。 

何度もカウンセリングを受けた上での決断で、最初は反対されていた姉妹もご本人の意思を尊重し、 

姉妹お二人が付き添われ、見守りの中亡くなられました。ご本人も姉妹の方々も泣いておられました。ご遺体のまま帰国されると姉妹が日本の刑法に触れる為、荼毘に服され戻って来られました。 

 

安楽死を法律で認めるか否かは、難しい課題だと思います。 

しかし、複数回のカウンセリングを受け、家族や血縁者の同意がある等の何段階もの手順を議論した上で、安楽死法を考えていってほしいと思います。 

 

 

・難しい問題ではありますが、選択肢として選べる事は必要ではないでしょうか。生きることが美しいこと、と言うのは生きていることに価値を見出せている人の言うことで、ココのコメント欄にも生き地獄という言葉がありましたが、生きている事が精神的、肉体的に辛い人もいると思います。また世話をする方も相当な負担を負っていてそれが原因で自らの命を絶ったり、よからぬ結果を招いてしまう事案もあるようです。可能ならまず議論だけでも進めて欲しいと思います。 

 

 

・ご家族を病気で亡くされた方はご経験があるかもしれません。 

私の父は「癌」の再発等で10年以上に渡り入退院を繰り返していました。  

そして、最期の2週間は肺に水が溜まり呼吸が苦しくなり、医師・看護師に 「お願いだから殺してくれ」と哀願を繰り返したので医師から連絡があり、私と面談してモルヒネの投与を増やしてもらい意識がない状況にしてもらいました。  

そして、約1週間は昏睡状態が続いて自然死?を待つ期間でした。  

本人、家族も「延命措置は不要」に同意していたので、 回復の見込みもなく苦しむだけならば呼吸困難状態になった時にもっと早く点滴で心肺停止できたのではないでしょうか?  

でも、それは医師による「殺人行為」になってしまう。 自分の時には「安楽死法案」が成立し、そのようになることを願いたいです。 

苦しみ、絶望を早く取り除いてあげることも必要ではないでしょうか? 

 

 

・私も尊厳死にはとても関心があります。以前やはり3姉妹の女性な方がやはり、自分が自分でいられる間に尊厳死を望みスイスで亡くなる、ドキュメンタリー番組を放送していましたね。私は尊厳死はその方の自由で良いからこそ尊厳なのであり、家族や周りの人の事を考える必要はないと思います。自分がもしあの立場になった時、やはり尊厳死を考えるでしょう。ただ語学が堪能でないと現状ではなかなか難しいと思ったのと、お遺骨を持ち帰られないのが、なんとも寂しいです。日本国も尊厳死について早く取り組みをして欲しいです。今は法律で禁止されてはいますが、あのドクターのお気持ちは、とても共感できます。 

 

 

・本当大切な事です。 

私の奥さんは31歳の時に癌が見つかり33歳で亡くなりました。 

若い人ほど癌の進行は早く、終末期にはとても辛いはずなのに、子供達のためにみんなの前では苦しむそぶりを見せないようにしてくれてました。 

大切な家族、大切な人が苦しんでいる姿はとても耐えがたいです。 

条件付きでも良いと思うので、日本でも安楽死の選択をできる環境を整えてほしいと思っております。 

 

 

・様々な考え方があるかもしれないが、人間が生まれて死ぬまで待っているのは、自分の命。病などのやむを得ない事由があれば、自分の命の行末を決める権利は欲しい。 

日本は延命に関しての選択が少な過ぎる。本人の意識が無ければ、家族の意思が尊重される。もう100歳近く生きても人工呼吸器が付けられる。二度と外せる事はないと分かっていても、気管切開され、むせ込みながら、無理矢理呼吸させられる。リビングウィルも法的な決定力に欠けるので、現場で家族が延命を強く望めば、本人の意思は無視されてしまう。 

安楽死できれば解決というわけでは無いと思うが、自分がどう生きて、どのように死ぬのか…もっと自分の命への権利を持てると良いと思う。 

 

 

・安楽死は認めるべきだ。希望を持てない人もいる、その家族や医師も何もできない。生き地獄のような状態を抜け出したいと思ったとしても誰が責められようか。命の選択が出きることも必要ではないか。 

 

 

・私も筋肉が上手く動かせなくなる難病です。 

確かに私も柵を乗り越える筋力はもう無いです。 

動かない身体ながら、子供達のためにまだ頑張って働いていますが、調子が悪い日は手足だけじゃなく首が前に垂れてしまうほどの筋力になるので辛いです。 

こんな身体ではスイスまで死にに行くのもしんどい作業です。 

日本は同調連鎖というか、みんな同じじゃないと許さない風潮がありますが、体調はみんな同じじゃないので、本当にしんどい人が死を選んでも許して欲しいです。 

 

 

・日本でも安楽死に関する法があればいいのにと私も常々思っています 

死に至る病で自分自身が逃れようのない辛さに苦しむばかりではなく、周りの人も巻き込んで、それでも中々死ねずにずっと生き続けなければならないのは地獄でしかないと感じるので… 

 

ただこれは私個人の考えでしかないので、同じような状況になった他の人がそれでも生きる選択をするなら、それはそれで尊重されるべきだとも思います 

 

 

 

・実母を癌で亡くしました。最後はモルヒネも効かず、壮絶でした。涙 

 

もう直ぐに死ぬのに、あの痛みに耐える必要はないと思います。楽にいかせてあげたかったです。 

 

自分もあのように苦しむのかと思うと不安しかありません。癌患者はホスピスに入ったら平和に終われるのではありません。 

 

身体がどんどん蝕まれ、蝕まれた痛みはモルヒネでは効かなくなります。蝕まれるとは臓器が体内で爆発するとかです。そんな時はモルヒネなんて何回打っても効きません。 

 

寝かせるしかできません。もっと楽に死なせてあげたかったです。私も苦しんで死にたくないです。早く死なせてほしい。 

 

 

・父は35年前にALSで人工呼吸器を付けて2年間寝たきりの末に亡くなった。 

死にたがっていたから安楽死が認められて欲しいと思う。 

母は父の介護で病院まで毎日往復2時間かけて通院していました。 

難病やガンだと本人だけでなく家族も大変です。 

日本でも安楽死法の検討をしてもいい時期だと思う。 

最後にそういう手段があれば患者本人もギリギリまで頑張れるんじゃないかと思います。 

 

 

・この記事に登場する岡部さんは、難病と闘いながらも生きる希望を見出して頑張られているようで、それはとても素晴らしいことだと思います。ただ、難病と闘い続けるのは我々には想像できないほど辛いものであることも事実ですし、辛い思いをするくらいなら元気で楽しく過ごせるうちに楽に死にたいと考える人も沢山いるでしょう。 

 

日本では「人は可能な限り長く生きたいものだ」という価値観が前提とされがちですが、死生観は人それぞれですし、死に方については個人の選択が尊重されるべきです。最期の選択肢の一つとして安楽死は存在してもいいと思います。悪用されること前提で安楽死に反対するのではなく、「どうすれば悪用されずに個人の意思が尊重される制度になるか」を考えていくべきです。認めるかは置いておいても、日本でも積極的に安楽死・尊厳死に関する議論が行われる必要があるでしょう。 

 

 

・病の最後には激痛で常に意識もうろうとし、麻薬成分の緩和ケアでほとんど眠っているような状態のまま何週間も過ごし苦しみのうちに亡くなる方もいる。安楽死の制度の存在には賛成。実際に選ぶより、制度があることで逃れられるという気持ちが強い。 

ただ年齢制限など、特に若年層には制約を強くするべきと思う。 

家族が群発性頭痛を発症し、いつ終わるともしれない激痛で頭を打ちつけてでも死にたいと言っていた。あのとき安楽死があったら生きていないかもしれない。大人になった今は子供もいて頭痛もコントロールできているので結果として生き残って良かったのだが。 

 

 

・私も将来的に安楽死を認めて欲しいと願っています。 

今すぐに法律を作るのは難しいかもしれないけれど、自分の力で生きられなくなった時、家族や身近な人に迷惑をかけたくない。 

経済的に継続的な治療は難しい等事情は人によって違うとは思うけれど、命の最終選択はよくよく考えた上で自分で出来るのが理想。 

 

 

・70代の叔母が10年超パーキンソン病で、寝たり起きたり施設や病院を転々としています。こんな地獄が続くなら逝ってしまいたいが口癖でした。家族が近くにいなければどうなっていたことか。家族の存在が生きる力になっている事は確かです。 

 

スイスの日本人女性が、最期に婚約者との面会が叶わなかったのが悲しい。幼少期から家庭に恵まれず難病に罹り、それだけでも辛いのに最愛の男性と会えずに亡くなってしまった…。 

私自身は安楽死希望ですが、今現在元気なだけでそう言えるのであって、その状況になったらどうなるか自信はありません。しかし、絶望や苦しみ悲しみが永遠と続くのだけは耐えられない。家族にだっていつまでも苦しんでほしくない。 

 

 

・ALS団体の方達は反対してましたが、個人的には受け入れてくれる女性医師の意見に同意します。団体は、安易に選ばれる事を懸念していたが、それは面談などで防げるとは思う。基本的には、不治の病など(癌などは除く)生活を送る上で、寝たきりとか治療方法が確立されていない患者がメイン(既にどこかしらの医療機関に入院または通院などしている方)。イジメや仕事および生活苦など解決出来そうな方は、そもそもとして受け入れない。また、未成年の場合は、親族や保護者の同意が得られた方に限り、個人だけでは受け付けない方法を採る。まぁ〜いずれにせよ、本人が病気により苦痛を得ていて、それでも身内からしたら選択して欲しくは無いが、それは本人以外のエゴなのかもしれないので、最期を決めるのは、やはり個人の意見を尊重すべきであると思いながら、見てました。数年前にALS患者から頼まれ安楽死させた医師に関しては、個人的には無罪だと。 

 

 

・私も3年前に育ての親を癌で亡くしました。 

自宅での看取り介護で、日に日に 

痛い時間が長くなり、モルヒネ投与しても 

痛い、殺してくれえええと叫ぶ日々でした。 

最後は意識が朦朧としたまま眠るように世界を離れていきました。 

私はまだ30代ですが、あんな風に苦しんで死にたくはないと思いました。 

死ぬまで壮絶な苦しみを味わい終わりを迎えたくないなと思いました。 

選択肢を持たせて欲しいです。 

 

 

・昨日たまたま観ました。 

衝撃的でした。 

自らバルブを外す瞬間までが流れて、亡くなっていく姿も映されて。 

でもこうやって穏やかに死を迎えられることは良いなと思いました。 

色々意見や問題はあるけれど、身体的病に限らず、自殺する人があるふれている今の日本。もし、安楽死が許されるならば、逆に最終手段として選択ができることで、自殺を踏みとどまり、もう少し生きてみようかなと思う人もいるんじゃないかなと思う。 

極端な意見にはなってしまうけれど、自分の命の選択を自らするって自然な考えで、わたしは悪いことではないと思う。 

身体的以外でも、生きていくのが死ぬより辛いことって、他人にはわからない。 

 

 

・「死」って100年くらい前までは、良くも悪くももっと身近なものだったんじゃないかなと思います。 

大人になる前に病気で亡くなる子どももたくさんいたでしょうし。 

命はもちろん大切だけれども、ここまで死をタブー視というか、日常と正反対の位置に置くことが果たして正しいことなのか?たまに疑問に思うことがあります。 

ただ、医療が発達して技術的には穏やかな死を選択することが可能となった現在、死を身近な位置に戻してしまうと歯止めが効かなくなってしまう危険性はありそうですね。 

難しい問題ですが、個人的には簡単には選べないけれども、最後の手段としては認められるような法整備がなされてほしいです。 

 

 

 

・この番組を家族で見ました。 

この方は家族と疎遠の中で進行性変性疾患のパーキンソン病と付き合っていくことへの不安から安楽死を選んだかと思います。 

家族で話し合ったのは家族構成により選択肢が変わってくるということです。子供が小さく一日でも一緒にいたいと願うなら闘病が辛くても安楽死は選ばないかもしれないし、両親に介護させるのが辛い、頼れる家族がいないなら安楽死を選ぶこともあると思います。 

闘病と安楽死、どちらも勇気のいることです。 

闘病生活を頑張ってきたのだから、最後に死に方を選べてもいいのではないでしょうか。それがその方のご褒美なのかもしれません。 

日本でも安楽死という選択肢を増やしても良いのかなと思います。 

 

 

・学生時代に一度療養型病棟という病院の役割に応じて患者が入院しているところを見るべき。意思の疎通はできない、食べられない、管からの栄養で生きながらえ、排泄も清拭も人にされる。終わりが来るのは肺炎や腎不全に、心不全になったら。何年もかかる。そんな患者ばかり見ていると、ある程度のことができなくなったら生きながらえたく無いと切に思う。家族は生きていてくれてありがとう、と心から思うのだろうか。私の家族だったら可哀想、早く終わらせてあげたい、と思ってしまう。 

 

 

・私には家族がいません。難病になった時、認知症になった時、頼れる親族は一人もいないです。 

安楽死のとてもいいところは、自分の頭がはっきりしているうちに自分の意思で人間のままこの世からいなくなれるところだと思います。この人のように散骨するとかまで選べるなんて、とても素敵な事だと思う。 

認知症になった時、癌になった時、脳梗塞等で動けなくなってしまった時、安楽死の意思を示しておく事で、人のままで死ねるのはとてもありがたい。 

 

 

・安楽死は個人の尊厳を守るために選ばれるものだから、合法的に制度化された方がいいと思っています。 

ただし、関わる人たちが法的に絶対に守られるように。 

本人だけでなく、納得なく裁判などを起こすリスクを減らすためにも残される家族の支援も必要でしょうし、決して安楽死を勧め誘導することはあってはならず、関わる人は専門性の高い知識と技術が要求される仕事になり、高い倫理観が求められる。 

安楽死を施す仕事に就く人には、それなりに見合った給与が必要だろうし、独自の組織が必要だと思う。 

諸経費を安楽死を選ぶ人が全負担するなら、スイスで行われるものと大して変わらない負担が必要になるのではないかな。 

コメントとかで安楽死したいって言う人からは、医療の延長線上にあって保険で安価に出来そうな安易なイメージを感じるけど、絶対にそんなことないと思う。 

 

 

・安い言葉だけど、難しい選択だと思う。 

ただ、本人の辛さや苦しさは本人にしか判らないし、周りは想像することは出来ても体験する事は出来ない。 

 

正しい選択ではないかもしれない。 

でも、間違ってる選択とも言い切れない。 

 

議論はされるべきだと思う。 

安楽死が良いか悪いかは別として、それを望む人が居るという事は事実なんだから。 

誰もが納得する形にはならないかもだけど、本人が選択をして納得したのならば必要な方法なんだと思う。 

 

 

・難病やどうしようもない苦しみに苛まれている人であっても生きる権利は当然あるし、また死を選ぶ権利もあってしかるべきだと思います。 

それを、死を選ぶことは悪い事であるかのように言うのは良くないですね。 

また認知症になって何も分からなくなる前に死を選びたいという方もいると思います。 

それこそ多様性を認める時代であって、「安楽死は悪いことだ」と決めつけるのは多様性の否定であると思います。 

 

 

・安楽死は一方的に禁止されている。それこそ人権侵害だ。自殺者の数を考えて見るがいい。安楽死できないから自殺する、その苦しさとは大変なものだ。眠るように死を迎える権利を認めるべきだ。特に自宅で迎える安楽死の制度を早急に確立してもらいたい。 

 

 

・番組を見たがとても重いテーマだと感じた。 

冒頭の交通事故で脊髄を損傷し全身麻痺の仏人男性が恒常的に刺す様な痛みで 

夜も寝れず「医師は痛みを取ると約束してくれた」と涙を零す場面や、 

スイスに渡り妹や親しき知人らに囲まれ、好きな音楽を流し点滴による 

安楽死で静かに最後の瞬間まで番組は踏み込んだ映像を放送した。 

自分の中で死を選ぶしかない絶望を考えた時、自然と涙が流れた。 

 

安楽死など無い社会が理想。けど現実には様々な理由で求める方が存在する。 

片方で岡部さんの様に命を懸けて危機感を訴える方もいらっしゃる。 

「家族の介護負担をなくすために安楽死しよう」 

「本当に必要な人以外に広がってしまう」 

 

番組では村瀬キャスターが安楽死を選択せざるを得ない場所まで追い込む 

前に、社会全体で患者さん達をバックアップする体制が必要とのコメント 

で締め括った。 

確かに社会全体で議論する段階に入っていると感じた。 

 

 

・病は、完治するもの、しないもの、進行を遅らせて延命できるものがあると思います。 

完治以外の病に関しては、それを患う本人しかわからない苦しみと絶望が存在すると思います。 

周りの家族や友人は、その人に対して『少しずつ回復するから頑張ろう』と励ますでしょう。 

しかし、本人にしたらとてつもなく辛い想いを抱いているかもしれません。 

あと何年この痛みや苦しみに堪えないといけないのか。生きる意味はあるんだろうか…と。 

まさに生き地獄ですよ。 

だからこそ、生死の選択権を持つことが許されてほしい。 

自殺という残酷な死に方より、最期は綺麗にこの世を去りたい、という考え方は許されないんでしょうか。 

 

 

・私の親はガンでした。最後は激痛に苦しみ亡くなりました。 

亡くなる数日前、医師から電話連絡があり、「非常に苦しんでいるので強い麻酔を使うがこれによって死期が早まる可能性があるが了承するか」という問い合わせを頂きました。私は「すぐにお願いします」と答えました。 

 

聴くところによると多くの方がこの方法で亡くなって行くそうです。 

担当医を批判する気は全くありません。むしろ感謝しています。 

お医者さんは立場上言えないと思いますが、つまり日本では安楽死ができないので「麻酔の大量投与」により実質死期を早めて楽にさせると言う手法がとられている様に思います。 

 

安楽死に消極的な人はこの現状を見て欲しいです。 

安楽死が認められると家族に笑顔で感謝を伝えながらお別れすることができるのです。 

苦しみながら麻酔注射を繰り返し死ぬ日を待つよりも「安楽死」を認めるべきだと思います。 

 

 

 

・夫は癌で亡くなりました。それまで自覚症状がなく、ひどい腰痛が、癌が腰の筋肉に転移していたのが原因とわかったときには手遅れで、余命1ヶ月でした。若かったこともあり、通常であれば昏睡状態になってもおかしくない量の医療用麻薬を投与しても意識がはっきりとしていて、激痛のあまりのたうち回り、「殺してくれ」と言われたことが忘れられません。 

助かる見込みもなく、ただただ生きていても辛いだけで、本人が望むならば安楽死を選ぶことが許されてもいいと思います。夫は最後には薬も効き、眠るように亡くなったのですが、もう痛くないよ。よかったねと心から思いました。 

 

 

・安楽死について賛否両論あるのは解る。 

勿論、安楽死制度ができて運用するにあたって、生きたい人の意見は尊重されなければならないし、周りからの圧に屈して安楽死するなどはあってはならないと思う。 

ただ、痛みや苦しみに耐えて生きることを望まない人が相当数いるのも事実。 

現状、日本は安楽死について公に議論することすら避けている。 

これは「安楽死を希望する人」にとっては不平等と言わざるを得ない。 

国会で安楽死について本気で議論される日が来ることを願う。 

 

 

・理想は、どんな病気でも、どんな障害でも前向きに生きていく価値観を持って~という事なんやろけど、現実問題、そういう病気、障害などになったら、死を考える人間は多いとは思う。 

 

普通に生きている人間でも、そう考えることはあるわけで、結果、自殺数も年間数万人だから、なおさら感じると思う。 

 

そういう人間に、無理に生きろとも言えないけど、人間関係の深さにもよるけど、寄り添うことは出来ると思う。 

 

そのため、そういう人間に寄り添ってっていう人間を多数つくっていくシステムを国が主導(つまり国のお金。民間ではNPOが細々やるくらい)で作らないと解決しないしないんだろうけど、国は渋ちんだから、効果測定の見えない予防にはお金をかけなくて、逆に死を考えるきっかけになる経済的な搾取をどんどん大きくしているからな~。 

 

 

・私は医療者で病気の知識もある程度持っていて、そういった病気を持ちながらも懸命に生きている方々や、なすすべなく一瞬の出来事で亡くなる方も多く見てきた。 

生きたいと願う人、もう治療しないでくれと頼む人、こんなこと望んでなかったと涙を流す人、立ち直る人、本当に様々だ。 

だからこそ、安楽死の制度は導入されてほしい。 

自分がその立場になったとき、ポジティブに自分の人生を選択したい。 

勝手に自分を侵していく病気に生死を委ねるのではなく、最期まで自分で未来を決めたい。 

病気が自分を蝕み切って、どうにもならなくなるなんて悔しいじゃないか。私の人生なのに。 

安楽死を導入している国は基本的にある程度厳しい要件を定めている。費用も簡単に受けられる額ではない。元より安易に決定できることではない。 

賛否あれど、どちらかの声だけを優先するのではなく、その状況に立ったとき、自分で選択できると言うことが大事だと思う。 

 

 

・スイスの施設で職員が淡々と準備する姿が衝撃だった。日本では安楽死はできないと言われているが、グレーゾーンとして認められるケースがあるのはあまり知られていないのだな。余命が数日から数週間で、体に激しい痛みなど苦痛を生じさせている場合鎮痛剤の過剰投与を行い仮死状態とする事はできる。患者は深い昏睡状態となり、数時間から数日で息を引き取る。実際にこの状態で最期を迎えるのをテレビでやってたのを見た事がある。薬剤注射前に家族一人一人とお別れをして「痛みから解放されるのが嬉しい」と一言残して昏睡に落ちたシーンは目に焼き付いてる。日本での安楽死を考える場合は、医療行為の現状についてもしっかり取材をすべきだと思う。 

 

 

・生命の価値基準にも多様性があるので、少なくとも安楽死に関して法整備を進める段階にはきていると思う。 

 

難病患者さんにも痛みのレベルは違うし、サポートしてくれる家族や介護の人との関係性も違うので、やはり安楽死を望む人の考え方は取り入れる必要はあると思う。 

 

 

・手段としての安楽死は、あって良いと思う。 

ただし、実現化する場合には先行して実施している国の実情を綿密に調査し、問題点があるか確認し、その問題点が日本では起きないようにするべきでしょう。 

例えば、本人の意思表示ができているかの確認方法の基準、安楽死を装った殺人(親族などによる謀殺など)の絶対的な防止、苦痛のない方法であるか、特定の医師や医療機関だけに許可するのか、安楽死を提案したり促したりすることの厳禁化、など命にかかわることなので厳しい線引きが必須となります。 

簡単な問題ではないでしょう。 

 

 

・安楽死がどんどん広がることが心配だから、反対だというのは、違うと思う。 

現代の医学では、もう治る可能性がほぼない状態で、尚且つ、耐え難い苦痛が伴う場合は安楽死ではなく、苦痛緩和は許可されるべきだと思う。 

私の父は肺炎で余命3日と言われ、結果的にその通りになったのですが、苦しさをとってやりたかったし、そう医者にお願いしたが、モルヒネ等をこれ以上使用して呼吸器が麻痺するようなことがあれば、安楽死になるからといって、何も処置してくれなかった。 

最後に苦痛を緩和することもしないことが、正しいことだとは思えなかったです。 

苦しみを伴う父を見殺しにした感があります。 

 

 

・私は安楽死、条件付きで認めて欲しいです。 

自分の人生の最後の選択としてあっていいと思います。 

私や私の周りは心身ともに恵まれているので、浅はかな考えとなってしまうかもしれませんが、もし自分自身が治らない病気にかかってしまったらすごく辛いです。自分自身が生きてる意味、家族への心身への負担をすごく考えてしまうと思います。 

「生」は尊いものなので全面賛成ではありませんが、慎重に議論を進め体勢を整えて欲しいと個人的には思います。 

 

 

・私も安楽死を望む1人です。 

51歳ですが生きる事が困難になった時に、自分で死を決められれば、それが迷惑をかけずにできるのであれば、何がダメなのでしょう。 

安楽死を反対する人は何か損害があるのでしょうか。 

愛犬が昨年発作で意識不明になった時にもう、これ以上の回復が無いとわかり、安楽死を選びました。家族全員で囲んで私の膝の上で看取りました。穏やかな最後でした。 

人間もこの様な最後が選べたらと強く思いました。 

私は安楽死を望みたいです。人には強要しません。 

 

 

 

・この番組を視聴しました。人間の尊厳をどう解釈するか。難しい問題です。単に生きる望みが無くなったから、、とか、とにかく今の生活から離れたい!の理由ならまだしも番組で安楽死を選んで亡くなられたお二人の意思には共感します。私も立場が同じなら同じ選択をするでしょう。日本も議論し法整備をして、安楽死を個人の選択肢に入れて欲しいと思います。 

 

 

・延命治療にしろ、安楽死にしろ、患者自身の意思で選択できる幅が広がるのは良いことだと思います。 

今や医療の発達により、人間本来の寿命より長く生きることが可能になった日本、その反動が後期高齢者と認知症患者の増加に繋がっています。 

安楽死を選択した方には、『自分らしく生きる』という意思の強さを感じます。 

どちらかを強要すべきではなく選択肢を残し、選ぶのは本人というのであれば、今後、日本でも真剣に安楽死が合法的に行える制度作りを進めていって欲しいと思います。 

 

 

・たまたま私も見ました。障害でも色々あります。この女性は経済的にも自立が出来ていましたしただ、痛み苦しみからは逃れる事が出来なかったのは気の毒です。私も障害が有るので痛み苦しみは理解します。心との闘いも日々の事。女性の選択は間違ってもいなくご自身の納得した最期を迎え旅立たれたのかな、、と。年を重ねると自然と病におかされたりしますが治せる病は少しでも早めに治療しようと思う。障害は治癒出来ない部分もありますが命の大切差を考えさせて頂く内容でした。 

 

 

・自殺と安楽死が混同されてはいけないが、進行した癌も含め不治の病になり、費用を掛けて延命し、死を待つことへの意味はわからない。 

最後は意識もなく、いつ死んだのかもわからない。 

今まで様々なことを自分で選択、決断し死に向かい生きてきた自分の人生なのに、最期は自分で決めれない。 

それしか選択肢が無いのはどうかと思う。 

死を悲観的に捉える風習からかもしれない。 

今日を自分の人生を全うする日にしよう、、そんな選択肢も持てて良いと思う。 

 

 

・難病だけではないです。普通の高齢者の最後も自分で動くことも意思疎通することもできない状態を病院や施設でかなりの期間過ごすことになっているのではないでしょうか。ある程度の高齢者は一度数週間の寝たきり療養をするとほぼ元の動ける状態に戻らなくなると思います。私は昨年入院して2週間意識がない状態で寝たきりでしたが、体重が10㎏減り見た目に筋肉がなくなり支えなしで歩けなくなりました。高齢者ではない現在の健康な体の人は自分が動けなくなるということを想像できないと思う。難病だけに限らず全員に安楽死の選択権があったほうがいいです。 

 

 

・あまりにも辛い状況の時に置かれた方には、生きようと死のうと本人に選ぶ権利があって当然だと思います。 

自身は家族に経済的、精神的に多大な負担をかけて生きたいとは思わない、辛い状況の方を非難しているのではなく考え方は人それぞれだって事です。 

気力がある方は精一杯生き、無い方の自死ではなく尊厳死できる環境を用意してあげるその方が健全だと思います。 

 

 

・安楽死については賛成派だが、スイスでもあるように治る見込みが無いと診断された難病の患者のみであるということ、という条件は必須だと感じる。 

そして安楽死について記事のコメントには、命を救うために医師になった方たちが目の前で命を終わらせる負担についての議論はあまり見かけないので、当人、家族だけでなく色んな角度からの視点での議論も必要だろう。 

日本が安楽死を選んだ方、生きることを選んだ方、どちらの生き方も尊重出来る世界であってほしい。 

 

 

・自分は健常者で、難病を抱えた親族や知り合いがいる訳ではありません。 

記事を読ませてもらった率直な感想ですが 

人間には生きる権利があるように、同等に死を選ぶ権利もあると思うんです。 

自死に関しては色々思うところもありますが、難病などの特定の条件に限っては安楽死を認めてもいいと思います。 

本人が生きることを望まない、苦しみから解放されたいと願うのであれば、それを叶えてあげることが救いだと思うのですが。 

確かに身内や周りの人間は悲しいでしょうが、そこは本人の意思を最大限尊重して欲しいと思います 

 

 

・リアルタイムで見ていました。 

この方の前に31歳の外国の方が交通事故に遭い、脊椎損傷でそれから9年間首から下が動かない生活をされていました。夜も寝られないほどの痛みに頻繁に襲われ、生きることを諦めた、もう死にたいと切実に願っていました。 

立ち会った医師が、本当なら治してあげたいのに治療がないと言うと、 

死なせてくれるのが私にとって1番の治療なのです。 

心から、ありがとうとおっしゃっり眠るように息を引き取りました。 

涙が出ました。 

賛否両論あるのはわかりますが、個人的には安楽死は選択肢の一つにできるようにして欲しい。 

 

 

・体力がある人ならば自殺を選択する事もできる。 

病で身動きが不自由となった人は自ら死ぬこともできなくなる。 

死は楽になりたいという思いだけではない。 

様々な医療状況、人間関係、経済的問題など感情的な思考からだけでなく、自らの思考の上で出した結論として安楽死を選択するならば、なぜ否定されるのだろう。 

生きるも死ぬもいづれも自由に選択できるのが人としての権利と認められるようになってほしい。 

 

 

 

・強く反対する理由がよく解らない。私も持病で痛みと日々闘っていますが、心折れる時が有ります、頑張ってとはよく言われますが、本人にしか分からない限界が有ります、そんな時は何故日本には安楽死の制度がないのかと、考えてしまいます。おそらくは反対派の意見が怖くて、法整備出来ないとは思いますが、病に苦しむ人が出来る最後の選択ではないでしょうか。安楽死への反対よりも健康な人の自殺を止める、心のケアを強く考えて欲しい 

 

 

・反対とか賛成とかの話じゃなくて選択肢があることが大切。ただ反対だから反対ってのは違うと思うな。生きるのを望むなら生きればいいだけだし。それはその人の選択。 

若い人には自分とは違う考えの他人を尊重できない大人にはならんでほしいなあ。 

日本でも安楽死は認められるべきでしょう。トータルペイン的な観点から専門の医療従事者とカウンセリングを重ねることや、実施への手順などのルール作りを検討くらいは初めてもいいと思う。 

 

 

・長生きすることだけが目標になっている日本人が多い気がします。安易に死を選択することが良いとは思いませんが、人生やりきったと思うのであれば安楽死も一つの選択肢としてあると思います。自分はもう少しで60歳ですが、自分の死を他人に左右されたくありません。死ぬ時期、死に方を自分で決めることが、生きることの集大成、最後の目標と考えています。 

 

 

・これは自らが選んだ道が正解であって、他人がその選択肢は間違っているとか言うことではないです。 

たしかに日本人は周りに迷惑をかけたくないと思って選択する人が多くなりそうな気もしますが、これも選択肢の一つではないですかね。 

でも本当に辛いと思うのは本人ですから、本人の決断を尊重してあげることが第一だと思う。 

しっかり面談等をして、答えを導き出す。 

本人が挿管を希望してなくても家族が挿管してしまうことがありますが、これは言語道断だと思います。本人の意思を尊重してあげましょう。 

 

 

・正解はない。が、生きる選択があるならシの選択もあっていいと思う。少なくとも、議論の対象になって欲しい。生を全うするのは素晴らしいことだし、難病でもそうじゃなくても精いっぱい生きる方がいい。命を選択していいのか?という根本的な問いに対しては、徒に選択していいものではないだろうと思う。ただ、苦しんで苦しんで苦しんで、それでも無理に生きなくてはならないのか?と突き詰めたら、やはり合法的なシの選択もあっていい。そもそも気を病んでしまったら合法も違法もなく、そしてその後の周囲への影響などもかえりみることなく、自シを選んでしまうこともあるわけで、統計をみて憂いているだけなら、いのちの電話の案内を表示することしかできないのなら、法整備に向けて議論だけでも始めたらいい。 

 

 

・多くの日本人の気質として、周囲にかける迷惑や負担を考えて安楽死を選ぶ可能性の高さが議論そのものすら避ける大きな要因の1つだと言われていますが、実施されている国でも、別にすんなりOKが出るわけではない話です。 

定められた基準を満たし、医師などからの気持ちの確認など幾つもハードルが設けてあって、そこをクリアした人が選択肢の1つとして持てる権利なのだと理解しています。 

出来ることなら、長く生きて人生が楽しめたら幸せだと思いますが、それが叶う人ばかりではないのだとしたら、苦痛を取り除く最終手段として選べる道があるだけでも違うのかも知れないと思います。 

 

 

・今の自分の境遇を鑑みた際に、自らの意志と尊厳をもって、死を選ぶことが出来たならば、どれだけ救われるだろうと思う。 

家族を持ち、猫を飼い、幸せな家庭に見えるけれども、反面仕事に関しては、成果を出すも人に裏切られ、追い込まれ、精神疾患を煩うようになって数年。 

痛みはないけれど、24時間胸の内側の不快感と不眠、 

食欲不振を投薬で何とか凌いでいるが、ここまで厳しい仕事を転職を繰り返しながら、それなりの大きな収入も頂いてきたが、これ程までの人間不信になることはなかった。 

濡れ衣を全て1人に押しつけ、自らが退職するような追い込みをかけ、受けた利益は会社が吸い上げ、意向にそわないから全ての問題をあいつになすり付けて追い払おうとするのが透けて見える。 

戦争を肯定し、殺戮を停めない外国のニュースもすぐ身近に迫っているこの世の中で、尊厳死を選択したいほど、精神的に辛い状態が日々続いている。 

 

 

・今は癌治療が飛躍的に進んでいると専門家がテレビで言っていました。癌細胞に光を照射して破裂させ消滅させる事もできるようです。これは海外では実施され癌細胞が完全に消えたという人もいるようです(現代段階では体のどの部分の癌細胞でもという訳ではないようですが)。最先端で研究をされている日本人の方の話では、2035年頃には人間は癌が原因で死ぬ事は無くなると言っていました。今の医療技術のスピードを見ると、おそらく他の大病も和らげる事が可能になるかもしれません。今後の研究に期待です。 

 

 

・医療職としては検討されても良いのではないかと思うかな。 

同じ命という意味で比べるのなら動物には安楽死を行っている人間たちが、なぜ安楽死を検討されないかというのも考えの1つだし。 

マンパワー、医療費や介護なども含め社会的身体的精神的苦痛が続くのを見ていると本人の命にも選択の余地があっても良いのではないかと思ってしまう。 

まずは対象疾患と予後などから先に整備してみても良いと思う。 

本人の意思が問題になるのなら、アルツハイマーの早期や例えばALSの様に最後は全ての機能が麻痺する疾患なら事前にどのような状態にまで至ったら処置をせず安らかに逝きたいと思う人もいるだろう。 

 

 

・安楽死を選択する権利も検討しなくてはならないけど、あるお医者さんが書いた本には、疼痛で暮らしいときは殺してくれって言っても、痛みが治まったときは家族と楽しそうに過ごしていて、置かれた環境によって気持ちは変わるのではと考えていた。 

 

死を選ぶ自由もあっていいだろうし、あと何十年も自分で自由に動けないのであればなおさらなのだと思う。 

 

痛みに堪えられなくて、つらい人も多いと思うから、今以上に疼痛治療が進んで欲しいと思う。 

 

 

 

・病気の痛み苦しみが強い方や認知症の進行段階によっては本人の希望を通す形の安楽死があってもいいと思う。 

病の肉体的精神的苦痛は尊厳を損なう要因に充分。 

 

ただ、担当する医師の精神的苦痛にも配慮したいし、本人が希望する意思に心無い親族の影響があったりしたらいけないとも思う。 

 

難しい問題で、落とし所を見つけるには日本じゃ相当時間がかかるだろうと思うけど、 

安楽死制度の利用にものすごく厳しい審査があるしこれまで適用例はないけど制度はある、 

という状況たけでも気持ちが救われる人は多いと思う。 

 

 

・難しい問題ですね。辛くて生きる希望がない人にとって良かったりしますが、そういう社会になると、希望であっても勧める方向の圧力がはっせいするでしょうし。 

また自殺と安楽死をどう区別するか、社会に役立つ人は認められずとか他人に選別されるようなものになる可能性もありますし。 

人は考えが変わったりするので、それが本心なのか気の迷いかどう判断するかとかもあるでしょう 

 

 

・映像で見たことがあります。 

文字通り、安らかそうな最後に、少し羨ましくもありました。 

苦しみながら死ぬよりも、少しばかり人間らしく誇り高い最後のように見えました。 

 

様々なガイドラインや条件は必要だと思いますが、自分で安楽死を選択できる必要はあると思います。 

 

 

・命の問題となると、安楽死に賛成反対は分かれるところだと思います。 

正解、不正解ではなく、国として選択肢を持てるようにするべきだと思います。 

誰でもなんでもその選択権を使用できるのではなく、状況に応じてとなるように基準を設けるべきだとは思いますが… 

 

いくつかの国では、本人の身体的な状況や面談、そして家族の意向を汲み取り、可か否かを判断しているということもあります。 

 

命の問題となるからこそ、答えはありません。だからこそ、苦しみの中で希望が見えない、いや希望がなく、真っ暗な中で生きている人の思いや考えに耳を傾け、その人の生き方を尊重できる社会になっていくと良いと思います。 

 

 

・私の夫も進行性の肺の病でジリジリと苦しみながら亡くなりました。死にたい苦しいと言いながら何も出来ずに陰で泣いてばかり。内心、早く亡くなって欲しいと思っていました。愛する人が苦しむ姿を見るのは地獄です。スイスまで行って安楽死するのはすごく費用がかかるそうで誰でもできる訳ではない。日本でもできる様に検討して貰いたいです。 

 

 

・昨日テレビで見ました。 

涙なしで見られなかったし、とても考えさせられる番組でした。 

 

安楽死を選択するかどうかは、家族がいるかいないかも大きいと思いました。 

実際家族の事を考えて直前で思いとどまられた方もいたし、安楽死を選択された方は、ご自分の両親を見送りご自身も未婚でお子さんもいらっしゃいませんでした。 

 

私は2年前にステージ4のがんだと宣告されました。 

治療が辛く、ステージ4なら治る見込みもないと思っていたので、もう死んでいいから治療を止めて楽になりたいと入院中何度も思いました。 

でも、その時に考えたのはやはり家族。 

父も母も一人娘の私が先に死んだらどんなに悲しむだろう、ちゃんと生きていけるのかな、 

夫もまだ結婚して間もないのに奥さんが死ぬなんて申し訳ないな、 

2歳の子供の成長をこれから少しでも長く見たい、 

その気持ちで何とか治療を終えることが出来ました。 

お陰様で現在は寛解状態です。 

 

 

・思った以上に尊厳死を認めるべという意見が多いのに驚かされました。また、そのように考えている多くの人がいることに安心しました。耐えがたいような痛みが、何年も続く、病気の進行が止められない。このような状態になったときに、尊厳死は認められるべきだと思います。そのためには、健康な時から、公正な方法で、意思表示可能な方法も必要です。尊厳死が認められている国から、様々なノウハウを学んで、法制化しないと、安心して生きられません。 

 

 

・安楽死は、私の中でも考えている問題です。 

 

血液難病と大腸全摘(人工肛門)で難病患者認定されいます。 

 

また慢性的に大腿骨骨折(身体障害4級)による痛みが続いているが、まだ動けるのでそれ程緊急性は感じていません。 

 

然しながら、いずれ寝たきりになる時には切実な問題となると思います。 

 

施設に入って死を待つのは精神的にも経済的にも受け入れがたいので、安楽死が出来る世の中になって欲しいと思っています。 

 

 

・5年前に母を亡くしたとき、モルヒネを最大投与したにもかかわらず、幻覚を見て暴れだし、5人がかりで母を抑えました。心のなかで、「もう死なせてあげたほうがいいんじゃないか、死なせてあげたい」と思い、泣きながら抑えていました。 

母は痛いのが嫌いなので、意識かあれば間違いなく安楽死を望んだでしょう。 

もし、安楽死が認められれば 

「いつかは楽に死ねる」と思えるので、逆にもう少し頑張ろうという気持ちになる方もいると思います。 

終わらせることができると知っていれば、なんとかがんばれる。 

終りが見えないから死にたくなる。 

 

 

・自ら命を断つことのできる人は迷惑のかからない方法で死を選ぶことは反対しません。 

ただそれが出来ない人にとって「生きる」事がとてつもなく辛いと感じる人はいる。 

自分勝手に「死」を選ぶのは賛成出来ませんが周りに理解してもらい、自身の気持ちも固まっているのなら、自分の「意思」で「死」を選ぶ権利は必要なのだと感じました。 

ギリギリまで頑張って、それでも考えが変わらず周りもそれを理解した時、日本でも「尊厳死」が選択出来る様になればと思います。 

 

 

 

・胃がんがリンパと骨に転移して痛みに強かった母が七転八倒の日々を過ごしました。 

よほど辛かったのでしょう。2回ほど私に殺してくれと頼んできましたが断りました。 

まだ一緒にいたかったから。 

亡くなる3日前から昏睡状態となり、奇跡的に一度はっきりと目が覚めて、私の頬を撫でながら「ありがとう」と言ってくれました。 

安楽死制度があったら間違いなく母は選んでいたし、母の選択を家族全員が支持したと思います。 

その人本人の意思を尊重できればいいと思います。 

 

 

・命は誰のものなんだろう。 

安易に死を選んでほしくないし絶望を乗り越えた先に少し幸せな時間が訪れるかもしれない。でもそれは他人からの意見であって、自分自身の命を終わらせたいと強く願う人には苦しい言葉でしかない。 

心も体も苦しくてもがいて死んでいくのならば、自分の命を安楽死という形で終わらせる選択肢があってもいいと思う。 

 

 

・病気や事故。肉体的、精神的な苦痛は本人じゃないとわからない。自分は今の状況を考えると、孤独死になる確率がかなり高いと思っている。子供もいないし、別に自分が死んだところで誰も困らないのは事実。これらか何かが起こり、死にたくなる可能性もある。そのためにお金を貯めておくことも検討したい。 

 

 

・30代女性の安楽死を思い留まった方は、最初からご両親の事が気掛かりだったようで、心の葛藤が画面越しから伝わり、どうなる事かと心配しながら観てました。 

今後も葛藤が続くかと思いますが、安楽死の選択がある事は、これからの人生で1つの大きな拠り所になると思います。 

私も、もし自分だったら、と真剣に考えました。 

 

日本では法改正は難しいと思いますが、私は安楽死の選択に賛成します。 

良い番組でした。 

 

 

・パーキンソンやALSの患者さんを何人も見てきました。 

全員が安楽死を望んでいるわけではなく、家族や周りの方と希望をもって闘病されている方がほとんどです。 

けれど、たまに「家族にこれ以上負担をかけたくない」「これ以上苦しんで絶望しながら生きていたくない」と言われることもあります。 

我ながら薄っぺらい言葉で返していますが。。。 

主治医の側から見れば「先生、楽にしてくれ」と言われたところで法律が許していたとしてもメンタルに相当なダメージを追うと思います。人の命を救う医者が患者さんの希望とはいえ自ら命を絶つ行動は躊躇して当然です。 

簡単に結論が出るような話ではないですが「人の最後の権利は自分の命を絶つこと」と聞いたことがあります。 

 

自分がその立場になったとき、家族に負担をかけたくないので安楽死したい、と思うかもしれません。 

 

 

・ALSの呼吸器については日頃から記事で何度も目に入りますね。 

私も間質性肺炎という難病を患っています。間質性肺炎というと聞き覚えのある単語に聞こえますが、通常中年以降が好発年齢ですが、私は32歳に発病しています。そのほとんどが、原因不明であり、個人差はありますが寿命も5〜7年程度と言われています。進行を抑える薬はあっても、根本的治療法がない上にこの年齢で発症する症例が少なく、日々衰えていく呼吸機能に絶望、恐怖しながら生きています。他人に理解してもらうことは難しく、孤独ですよね。本当に賛否両論ですし、記事に出てくる方の批判をする訳ではありませんが、私個人としましては、安楽死は一つの選択肢としてアリだと思います。疾患による自殺者もいる中、他人からしてみれば逃げになるかもしれない。ALSの方は特に最後は意思表示もできないですから…最後の自尊心を守っていくためにも、法律的に認めてほしいと願います。 

 

 

・生きたいと思う気持ちの強さは本当に人それぞれなんだろうと思います。 

だからこそ選択ができるようになればいいのかな? 

社会が成熟するごとに人権の尊重はどんどん重きを置かれるようになってきて、このままだと一般国民が負担する社会保障費がどんどん膨らんでいく一方なのは明白です。 

生きたいと思っていない人も税金で負担してまで生かしていくことはやめるという選択肢を取れるようにすることが社会を正常に回すために必要に思います。 

 

 

・安楽死は選択肢としてあっても良いと思う。が、難病や重度障害等で自立して生活出来ない人に、死を迫るようなプレッシャーを与える事になってはならない。本人が、病や障害と共に人生を送るために懸命に生きているなら、それを社会で支えるのは当然。人間は、皆、五体満足のまま死ねる訳ではない。認知機能は衰え、体力は落ち、食事を取るのもままならなくなるかもしれないが、本人に生きる意欲があるならば、それを支えてあげたいと思う。安楽死が、社会的に生きる価値があるか無いかの判断に繋がってはいけない。 

 

 

・強迫性障害と鬱病を発症してからもう20年経ちました。 

楽しいはずだった20代は投薬のため体重の増減が激しく外に出ることすらできませんでした。当時から死にたい、先が見えない。そう思っています。 

現在も投薬影響や年齢から認知能力の低下や食物や薬物のアレルギーが出始めています。 

医療費ばかりが増えて、家族や社会で働いていただいてる皆様にも申し訳ない。 

毎日寝るときに「このまま目が覚めなければいいのに」と願いながら眠るのももう疲れました。 

スイスに行けば安楽死が叶うかもしれないとパスポートを取ろうかと検討中です。 

 

日本でも安楽死を認めてください。私は社会保障なんていりません。 

倫理も人権もどうでもいいです。もしも人権を騒ぐのであればまず私の人権を認めてください。 

苦しみからの解放だけが救いなんです。 

 

 

・以前にも、安楽死を選んだ女性のドキュメントを観ました。最期は、涙が出ました。その方の生前のインタビューでもご本人なりの理由があり、一視聴者として、否定も肯定もできない重みがありました。難しいですが、本人の理由や事情を厳正に考慮された上のものであれば、個人的には安楽死選択の権利も、あっても良いのではと感じさせられました。ご本人の症状や痛み、家族関係や、生きてきた軌跡、未来も関係すると思います。勿論、簡単に決められる事ではない。それでも、自分は可能な限り生きていく、と言う人。または自分は安楽死を選ぶ、という人。人それぞれに終止符の打ち方があり、どちらも、生き方の権利の1つに思えてなりませんでした。 

 

 

 

・家族や親族が、癌や認知症で最期まで病院のベットで亡くなりその介護など散々見て来て 

結局自宅で面倒見切れなくなり、介護施設に入所しましたが、それが幸せなのかどうかとても考えさせられました。 

私は、介護してくれる家族が夫しかおりません。夫が先に逝ったら、認知症や体の自由もきかない状態で他人に迷惑かけてまで生きる必要無いと思ってます。できる事ならば、夫が先に逝ってしまったら全て片付けて夫の所にすぐ行きたいです。それには安楽死の選択が出来る世の中になって欲しいです 

自殺しても、孤独死しても、施設に入ったとしても全部他人様に迷惑掛けるのでそれが、耐えられないんですが、老人になる前に法整備される事を祈ります 

 

 

・こればかりは人それぞれの考え方だし、実際に自身が病に掛からなければ分からないよね、どう、判断できるかは。外国での安楽死を選択したくても外国語や渡航費等に掛かる金銭面の問題もあるだろうし。ただ、完治する病なら痛さも我慢出来るかもしれないけど、確実に進行する病であれば、我が国でも安楽死を認める制度を作ってもいいと思うけどね。本人は勿論、身内も辛い。 

 

 

・2年前になりますが母を難病で亡くしました、身体も動かず視力も無くなり全くの自由がきかない状態、そしてコロナ禍になり面会も出来なくなり、その孤独や苦痛は想像に絶するものだと思います、その時日本にも安楽死があったら母はその選択をしたかもしれないと思いました、いつだったかTVで安楽死を選んだ人のドキュメンタリーを見たのを思い出してとても複雑な気持ちになりました、自分だったら穏やかに見おくってあげるなんてことはきっと出来ないなと、でも本人の苦痛を考えると... 

いくら考えても答えは簡単には出せないとても難しい問題だと思います、でもきっと日本では認められないような気もします。 

 

 

・苦痛や絶望といってもその捉え方は様々です。癌や難病など身体的苦痛で死にたいと思う方もいらっしゃれば、精神疾患や認知症など精神的苦痛で死にたいと思う方もいらっしゃる。 

どちらもその人にとっては死にたいくらいに辛いことで、他人の物差しでは測れない。 

尊厳死が認められたら、かたや死ぬことを尊重され、かたや死ぬことを否定される。 

私は、どんな病気であっても、死にたいと思うような原因をいかに取り除いてあげられるかという部分に力を注ぐことが大事だと思う。 

甘えても良い世の中、お世話になっても良い世の中、苦痛を取り除ける医療の発展、そうして尽力してもどうにもできないならば尊厳死も致し方ないのかなと思う。 

 

 

・私は体は健康だし、精神的にも病と診断されたことはない。経済的にも人より裕福だと思う。でも、自分の意思による死を強く望んでいます。 

理由はこの世の中に絶望するだけの経験をしてきたから。そして自分自身なすべきことはもうなしたと思うから。 

年齢的には若いと言われるかもしれないけど、生きることはそんなに尊いことだろうか。早くこんな地獄を終わらせてしまいたいと願う日々です。どうか自由意志で死をもたらしてくれるサービスがいつか始まりますように 

 

 

・私もこの番組を見ました。 

個人的には自分が難病になったら、まわりにも迷惑をかけたくないから安楽死したいです。 

苦しみながら呼吸器を外したり、痛み止めで誤魔化しながら自然死をまつのは辛いです。 

この番組の中にいた、父親が娘に生きていてほしいっていっていて、安楽死せずに帰った方がいましたが、周りにその状況でも生きていてほしいと願う人がいる場合悩ましいとは思いますが。 

安楽死するしないに関わらず選ぶ権利があってもいいと思います。 

 

 

・体の痛み、心の辛さから安楽死を選択する人もそれが耐え難いものなら受け入れたい。ただし、耐え難さが他人には分からないし、人間の心は変化するものだから、一時の判断で決断することは難しい。余命が何年なのかというファクターも考慮すべき。 

それよりも考えなくてはならないのは、認知症を患って、もう人としての尊厳をキープできなくなった人間についてでしょう。自分で判断できなくなってからでは遅い。周囲や社会に多大な迷惑、損失を与える。 

判断できるうちに将来安楽死(尊厳死)を選択しておくことも可能なようになって欲しいものです。 

 

 

・安楽死は、患者の苦しみを和らげるための一つの選択肢として検討されていますが、その実施には様々な倫理的、法的、医学的な問題があります。例えば、患者の自己決定権や尊厳を尊重する一方で、安楽死が誤解や誤用され、特に弱者や社会的マイノリティが不当なプレッシャーを受けるリスクもあります。また、医療従事者の道徳的なジレンマや医療の信頼性にも影響を与える可能性があります。安楽死の合法化や実施に関しては、これらの懸念に対処するために十分な規制とケアフルなアプローチが必要です。 

 

 

・母がパーキンソン病を患っています。もう16年ほど経ちます。 

最初は左半身が上手く動かせなくなって仕事を辞め、孫の世話をしていましたが、病状は加速的に進行しました。 

医師の説明によるとパーキンソン病というのは認知症を併発するそうで、今では身体の動きどころか意思の疎通も取りづらく訪問介護や家族の世話で生きている状態です。本人の他に患っている病気の事もあり、施設にも受け入れてもらえないです。 

たまにまともな時は「死にたくても死んでしまう体力もない」と言います。体力的に精神的に経済的に、こちらが削られます。 

認められるなら本当に安楽死してほしい。 

 

 

・安楽死の認定、意思確認、難しい問題だと思いますが、私は自分や家族がもし通常の治療でも辛い症状を緩和することができないなら、医療費だけが膨らむなら、安楽死という選択肢がほしいと思います。 

どれだけ辛い状況に置かれているのか、治療の限界なのか、どれだけの期間、安楽死希望の意思を持続して持っているのかなど、判定基準を議論して、日本でも是非、制度成立の方向にいってほしいです。 

 

 

 

 
 

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