( 150482 )  2024/03/18 23:01:07  
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【速報】ALS患者女性への嘱託殺人事件 懲役18年の実刑判決を受けた医師 判決を不服として控訴

読売テレビ 3/18(月) 16:34 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/390103b68db8dd3911afc4e4d37130ad2ada83cb

 

( 150483 )  2024/03/18 23:01:07  
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ALSを患う女性に依頼され殺害した罪で懲役18年の実刑判決を受けた大久保愉一被告について、弁護人が判決を不服として控訴した。

2019年に林優里さんから依頼を受けた嘱託殺人のほか、2011年には共犯の山本被告の父親を殺害した罪に問われており、裁判では否認や林さんの願いを尊重した主張がされたが、一審の判決では懲役18年の実刑判決を言い渡された。

(要約)

( 150485 )  2024/03/18 23:01:07  
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大久保愉一被告(45) 

 

 難病のALSを患う女性に依頼され殺害した罪などに問われ、5日に京都地裁で懲役18年の実刑判決を受けた大久保愉一被告(45)について、被告の弁護人が18日、判決を不服として大阪高裁に控訴しました。 

 

 医師の大久保愉一被告(45)は、知人の元医師・山本直樹被告(46)とともに、2019年、全身の筋肉が衰える難病・ALSを患う林優里さん(当時51)から依頼を受け、薬物を投与して殺害した嘱託殺人の罪のほか、2011年には山本被告の父親を殺害した罪にも問われています。 

 

 裁判で大久保被告は、林さんの嘱託殺人について起訴内容を認める一方、「林さんの願いを叶えるために行ったこと。目の前で困っている林さんを放っておくことができなかった」などと述べ、弁護側は「林さんの選択・決定を否定し、個人の尊厳と自己決定を保障する憲法13条に違反する」などとして無罪を主張。山本被告の父親の殺人についても「やっていない」と主張し、全面的に争っていました。 

 

林優理さん(遺族提供) 

 

 これに対し、一審の京都地裁は5日、林さんへの嘱託殺人について、「社会的相当性は到底認められず、真に被害者のためを思って犯行を及んだとは考え難く、利益を求めた犯行」と指摘。山本被告の父親の殺害についても、診断書を偽造していることや山本被告とのメールのやり取りなどから、山本被告らと共謀の上で殺害したと認定した上で、「生命軽視の姿勢は顕著で強い非難に値する」として、大久保被告に対し懲役18年の実刑判決を言い渡していました。 

 

 共犯の山本被告も裁判で無罪を主張していますが、林さんの嘱託殺人について、去年12月、京都地裁に懲役2年6か月の実刑判決を言い渡され、その後、判決を不服として控訴しています。父親の殺害についても、大阪高裁は今月6日、大久保被告らとの共謀を認定した上で、一審に続き懲役13年を言い渡しています。 

 

 

( 150484 )  2024/03/18 23:01:07  
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・ALS患者を含む様々な疾患や苦しみに直面する人々の声が、安楽死についての議論を呼び起こしています。

生き続けることの苦しみや自己決定権の尊重の必要性などが多くの意見に反映されています。

医師の判断や行動、患者や家族の視点、社会的な観点からの考察が寄せられ、人生や死に対する多様な価値観や立場が示されています。

安楽死制度に関する日本の現状や将来の法整備に対する懸念や期待が多く表明され、個々のエピソードや哲学的な考察が織り交ぜられています。

(まとめ)

( 150486 )  2024/03/18 23:01:07  
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・ALS患者が出てきて「これは殺人だ」と訴えていたが、人それぞれ価値観があり、難病になり余命が見えていて一度は死にたいと思うのは当然のことだと感じます。そうなった時、「安楽死」を求めるのか「生」を求めるかは本人の意思次第だと思います。日本も安楽死制度を作り、選択肢を与えても良いのではないかと考えています。 

 

 

・個人の見解では、控訴して被告に減刑を勝ち取ってほしいと思った。被告人の利益のためという主文が気になった。本人が望んだ以外に極めてリスクのある動きに利益などあったのかどうか。周りが死んでほしくない気持ちは慮りたいが、その気持ちを尊重するためだけに懸命に生きてるように見せるというのは考えただけでも生き地獄。 

安楽死に関しては難病に罹った時の自らの尊厳、又身寄りのない人間にとっても切実な課題。今政治は信用できず到底進みそうにはないが、議論を進めなければならないことである。 

 

 

・先日報道特集で安楽死について放送されていました。この方と同じとは言えませんが考えさせられました。首から_が不随で治る見込みもなく全身に激痛がはしる。妻と話をしましたが二人とも同意見で安楽死を選ぶと。安楽死をやみくもに認める訳ではないが厳しい基準を制定して認めるのも構わないのではないかな余命3ヶ月とか一年とかの人はダメだと思うが一生治らない、全身に激痛がはしるなどは認めていくのも必要ではないかと思いました。見ているのもつらいと思います。 

 

 

・安楽死について考えないといけない時期に来ていると思います。ヨーロッパの安楽死を認めている国に行くと思います。最近も難病の女性がヨーロッパに行き安楽死を迎えたと記事がありました。その難病では直接死にはならないが神経系の異常で身体が衰える 今回と同じ様な難病です。安楽死するならヨーロッパに行こうとなります。 

 

 

・死ぬことがわかっていて生きる希望もなくても早く死にたいと思っても体は動かないから自殺も選べない。医師たちは生かすことしかできない。 

私だったら安楽死にしてほしいかも。 

かと言って我が子(犬)が安楽死の話でたときに安楽死を選ぶことはできなかった。残りの苦しい時間を生かしてしまった。 

 

自分で選択できるうちなら安楽死も認めてほしいな。 

 

 

・利益を受け取ったと言うが、130万と言う少ない額の報酬ですし、 

絶大なリスクを負う見返りとしては、億の額を貰っても見合わないと感じる。 

家族に相談も無くって話にしても、そんな事は反対されるから当然だし、 

結局、苦しんでる本人と何とかしてやりたい医師と、遺族側の疎通が出来なかったからだろうと思う。 

アナタが医師なら、違法と自身の将来を犠牲にして、嘱託を実行出来ますか?って話。 

難治性の病気で苦しんでる患者当人からすれば、感謝されたり羨まれる事例だと思います。 

 

 

・それにしても懲役18年というのは裁く側の感情がは言ったものではないでしょうか。一定の罰量はやむを得ないものの、判決では司法の立場からも「死の選択」について広く議論を求めるコメントがあってもよかった。 

 

 

・生き続けるというのはそれだけでもとても苦しいことが多い。  

そんな中で病気になり それが治療できないものであるならば私個人はそこまでして生きていようとは思わない。 

人それぞれ考え方はあるから必ずしも 賛同 は得られない にせよ 本人がこの苦しさの中で生き続けることを拒否するならば 本人の意思として尊重されてもいいのではないだろうか。  

この医師の考えがそういうものだったかどうかは不明だが世の中 綺麗事だけでは通らないのは誰もが承知していることのはずだ。  

社会全体で 賛成派も反対派も折り合いがつくところを見つけるべき時ではないのだろうか。 

 

 

・嘱託殺人が大きく取り上げられていますが、嘱託殺人の刑期は6年以下で山本被告の父の殺人事件がメインです。タイトルの書き方に違和感があります。 

 

 

・人の命を軽く扱うのはよくないと思うが、医師なので軽くは扱ってはいないと思う。判断が正しいかどうかわからないが、殺人ではないと思う。お互い納得した行為だったと思う。日本も安楽死について制度を整備して欲しい。 

 

 

 

・此の医師たちには倫理観及び人としてのモラルが全く無く、ヒポクラテスの誓が頭に入って居ない事が致命的と謂えるだろう。 

 

医学部で行われて居る人体解剖実習に於いて、実習前にキチンと教育される事を認識出来て居ない事が致命的で在り、ヘルシンキ宣言も記憶に残って居ない様に思われる。 

 

此の事件は全く医療行為ではなく、殺人行為と謂う以外に言葉が無い。 

 

 

・いろいろ考えさせられますね。 

先日報道特集でやっていた安楽死の内容を見たけど、死にたい本人と死なれたらツラいという家族の気持ちのどっちを取るか絶対に意見が分かれる。 

今回の医師の方がやったことは勿論良い事ではないけど、もし本人に懇願されて本人の気持ちを考えたら、する側も相当辛かっただろう。 

あくまで一意見ですが、今回の裁判に本人の意思も考慮されるのであれば、18年の実刑は重いかなと思うし、医師の方を応援します。 

 

 

・もし本当に医師の利益だけを考えての事ならば…嫌な事だけど生きて医療を受けてくれた方が収益が出るのではないか? 

介護職として「看取り」も経験しますが、高齢者に延命措置をしたために痩せ細り、表情もなくなった姿を見てご家族が「辛い思いをさせてしまった」と涙される事もあります。 

近い将来に「尊厳死」が実現する事を願うばかりです。 

 

 

・この判決のうち、嘱託殺人とされた事件について、事の本質まで解明して判断をしているのだろうか。 

裁判所は、表面だけを見て検察の主張をそのまま受け入れ判断しているようでならない。 

患者の意志、病気の回復可能性或いは進行を止められる可能性、振込金額は医師の利益のためではなく患者の意志の固さの現れではなかなか、医師の使命として患者に寄り添った行動ではないのか、患者の幸せは何か、などなど検討すべきことは多々ある。 

この事件については、安楽死制度がない以上、裁判所はもっと踏み込んで判断してもらいたい。 

 

 

・現行法での裁判では重い判決でしょう 

ただし依頼した患者さんは、この結果を望んではいないでしょうね 

一般人と医師の嘱託殺人を同等にするのも如何かと思います 

今後は、終末期では無かった患者とはいえ、このような先の生活を望めない患者のために尊厳死などの法改正が必要かと思います 

個人的には終末期では無くとも、今後の生活が見えない患者に対しては尊厳死も選択出来る法改正が必要かと思います 

今後は厳格な患者の状態や意志を確認した上で患者の希望を尊重出来る法改正が必要だと思います 

 

 

・看護師です。 

 

胃瘻で栄養だけ体内に流されて生かされて、四肢麻痺して、言葉も発せられないから、痰も絡み、毎日吸引され(痰を引かないと、窒息します。吸引中は患者は吸引圧で呼吸出来ないし、とても苦しい思いをします。)毎日同じ天井見て、痒い所もかけなくて、寝返りも自分ではうてません。 

 

人によっては手は動くので痒い所を掻いてしまい血だらけになる方もいます。だから、指が使えないミトンと言う自身でははずせない手袋をはめさせられます。しかし、お風呂の時ミトンは濡れてしまうので、はずしますが、はずした瞬間に患者さんは痒いところを一気に掻き出します。しかし介護士、看護師に手を拘束されて、痒い所もかけず、毎日同じ天井を見ています。 

 

同じ体位で寝かされていると、血流が滞り、皮膚に大きな傷ができ褥瘡と言うものが出来ます。決まりでは2時間に1回身体の体勢を変える事になっていますが自分なら生き地獄ではないですか? 

 

 

・私は、医療者です。ALSになって体の筋肉が動かなくなったとき、(声も出せません)まぶたを閉じる 閉じないでYES NO を意思表示してくれます。病気が進行し、まぶたも動かなくなった時、意思表示できなくなった時、体が痛いところ、こういうふうに体を動かしてほしい と伝えられない自体になります。私たち医療者も一生懸命こうかな 

、と体位を整えますが、目を閉じ(まぶたも開かなくなります)苦痛みたいな表情をします。 患者さんに申し訳ない気持ちになります。 もうつらい、死にたいという心のうちも誰にも伝えられなくなります。 もし、私がALSになったら、手と足が動かなくなったら、殺してくれ というと思います。自分で死ぬ行動もとれないんです。私だったら と考えます。 

 

 

・数年前に母がALSで亡くなりました。 

 

病気の進行を止めるすべもなく日々身体が動かなくなっていく様子を見て本人の絶望感たるや想像を絶するものだったと思います。 

 

私の前では最期まで弱音を吐くことなく亡くなった母を誇りに思うと共に自分の立場になった時に同じように立ち振る舞うことができるか自信がありません。 

 

嘱託殺人してもらえるならお願いするかも。 

 

治療法が開発されるのが1番ですがまだまだ治療法のない難病はありますので安楽死について考えさせられます。 

 

 

・亡くなられた依頼主がもし、自分だとしたらこの医師に、どれほど感謝したことか・・社会的相当性は大いに認められるべきことだと思います。 

残念なのはスイスと違い、日本は本当の意味での生の尊厳意識が至っておらず、このような判決しかできないということです。 

人の尊厳は人間らしく自分らしく生きられることであり、ただ、長生きが出来ればいいってことではないと痛切に思います。 

 

 

・悩ましい事件と思います。 

金銭の授受はダメと思いますが、 

亡くなる人にとってはお金は無用な物。 

全額払ってもいいとさえ思ったと勝手ながら思います。 

ALS患者(苦痛を伴う不治の病等も)にとっては神の救いだったと思う。 

日本は安楽死を認めてはませんが 

亡くなった方は自殺も考えながら出来なかったのではないか?と思います。 

なんだか考えさせられる悲しい事件だと思うし、安楽死出来ない日本にも問題があるし、様々な意見があると思いますが安楽死について議論すべきだと思います。 

 

 

 

・わたしも難病を患ってます。様々な症状があり、治療薬は無いし、勝手に筋肉が動くので気持ち悪い上、痛みもあります。しかも、目が覚めている間は常に、痛みが続きます。その痛みは、頭痛や歯の痛みやケガの痛み等とは違い、痛み止めは効きません。現在、たまにですが、水を飲む事もスムーズに出来ない時があります。喉も胃も腸も筋肉で動いています。 

今以上に病気が進行したら、安楽死をしたいので日本でも認めて欲しいです。 

被告人の方は、わたしから見たら救世主です。 

控訴して勝って、将来的に安楽死が認められる方向への、一筋の光を示して欲しいです。 

 

 

・確実に治る見込みのない病なのに自ら命を絶てず、自分の命をじわじわと蝕まれながらその息が止まるまで苦しまないといけない恐怖なんてその人にしか分からないよ… 

誰でもいいから私を殺して欲しいとおもうと思う。 

 

私が親族なら故人の最後の意思を尊重してくれてありがとうとむしろ感謝するかもしれない。 

 

 

・自分が難病になったら家族に迷惑とか云々関係無く、自分の意思で判断し伝えられなくなる前に終わりにしたい。 

人の為に生きるのも大切なのかもしれないけど、その前に自分の人生。 

その選択は本人にさせて欲しい。 

このお医者さんはリスクを承知で処置を施したんだと思います。 

その勇気を讃えたいのと同時に罪に問わないで欲しい。 

尊厳死という最後の選択肢を奪わないで欲しい。 

 

 

・この事件は、嘱託殺人以外も絡んでるから別として。 

もし、自分が治る見込みがなく激痛に苦しんだり、身体がまったく動かせなくなって管に繋がれて生きるだけになったとしたら、安楽死を望むかもしれないです。身体的な状況確認や、本人の意思確認方法と確認の録画などの記録保管とか、法的に整備して本人の意思を尊重しても良い場合もあると思う。 

 

 

・死ぬ権利というのは、もう少し認められてもよいと思う。 

 

何かしらの重病にかかった場合、自分の結末くらい自分で決めたい。 

しかしながら、首つり、飛び降り、入水、練炭など、どの自殺方法を考えたって、苦痛をともなうか、事後第三者もしくは遺族に迷惑をかける方法ばかりだ。 

 

医師のサポートの下、安心して最期を迎える権利も尊重されてよいと思う。 

 

しかしながら、裁判の判定ともなると、判断を下すべき医師に十分な手続きを行ったのか?ということが争点となると思う。 

本医師は、決断の早さ、第三者に向けた証拠の薄さが問題視されているというのも理解できる。 

最も、安楽死が認められていない日本国において、どのような手続き、証拠を残せばよいのか、前例がないから厳しいだろうけども。 

 

厳しいけれども、一石を投じた事件として見守りたい。 

 

 

・安楽死について反対する方は、難病だと安楽死されるので殺人だと騒いでいるように思います。しかし、安楽死とは末期の癌や今回のような重病となったALS等で本人や家族が希望し、医師が認めた場合に限定されるもので、選択できれば問題ないと思います。安楽死について、完全否定する方もいますが、患者本人、家族のために議論、検討すべきだと思います。 

個人的には、必要以上に延命することは患者本人や家族の負担が大きく、安楽死を認めてほしいと思います。 

 

 

・難しい問題です。個人的な意見ですが、死は本当に悪いこと、悲しいことなのか?本人が望んでいるのにそれを認めない事が正しいことなのか?逆に恨まれる行為ではないのか? 

犯罪が被害者、加害者で分けられるなら死を望んでそれを認められないのは被害者なのではないでしょうか? 

生きていくためには他(動植物)の命を頂かなくてはなりません。人間は地球上で見ればほぼ頂点に君臨する生き物だから動植物の命を奪っていい、と考えているから自分たちは生きなければならないとなるのであって、もし原始時代の他の生物に対する優位性がなかった時代を考えれば体が動かなくなった時点で死を覚悟するはずなのではないでしょうか。 

長々と書きましたがそんな風に思います。 

 

 

・同じ難病の患者がこれを殺人だと糾弾していた姿に違和感を感じた。本人が辛くて死を望んだのは事実だろう。死を選ぶか生を選ぶのかは本人が決める事だろうと思う。 

安易に死を選ぶのはダメだと意見もあるだろうけど治る見込みの無い難病や業病に罹って身体が衰えるまで苦痛に耐えなければならないとなるとどっちが残酷だろうか。 

善悪は置いといて健常者が自ら死を選べるのにそうでない人は全く選択の自由が無いのは不公平と感じる。この機会に安楽死、尊厳死の法整備を議論して欲しいと思う。 

 

 

・現在の日本の法律上、必ず罪に問われると思います。 

しかし、久坂部羊さんの本「人はどう死ぬのか」と「告知」を読んで、この事件について本当に考えされられました。 

この2冊はぜひ読まれることをおススメします。 

この事件への向き合い方が変わると思います。 

 

 

・医師は人を生かす職業ではあるが、その過程で苦しむ患者の姿も多く見るのだと思う。 

長年そういった人達と接すると、果たして自分の仕事が本当に患者たちを幸せにしているのか疑問に思う場面も出てくるように思う。 

 

生と死の狭間で仕事をしている彼らなりの生死観が彼らを衝き動かす原動力となっている。 

生が善で死が悪とは言い切れない現実が、医師らを苦しめている。 

 

今回の医師の行動は正しくない。 

正しくはないが、裁かれても欲しくない。 

とても難しい裁判だ。 

 

 

 

・ALSは徐々に筋力がなくなり、最期には 

まぶたさえ開かなくなる 

でも、精神は正常のまま 

こんなに残酷で生き地獄を味わう事に 

なる 

私がこの病気になったら迷わずに 

安楽死を願う 

今回の医師は患者の苦しみと尊厳を 

理解すべく依頼に応じた事と思う 

 

父親の時も医師だからこそ理解できる 

苦しみから解き放ってあげた事と思う 

この医師の決断に至るまでの苦悩も 

考慮すべき点と思う。 

 

 

・本当に難しい問題なんだと思いますが、本人がのぞんでいたのならば、尊重すべきだとおもう。 

周りの家族の思いで生かされるのは本当にいやです。 

国が安楽死を認めず、助けを求めた人を罰するのであれば、自分でできる間に命をたたなければいけないと、日々考えさせられる。 

幸せな人生だったと思いたい。 

自分の命は自分で決めれるべきである。自分の人生だから 

 

 

・ただの殺人ならば別だが、一人目は精神疾患との事。その症状によっては他害等の危険があるならば、「もし」で語ってはならないのは承知ですが、有りかも知れない。そこでやっていないなら無罪なのは確かだが、やってからでは遅い。 

軽はずみな判断は許されないし、あくまで法を尊重しなければならないが、せめてもの救いとして、「今後」を急いで本気で考えなければならないと思う。 

事実や本人、家族や医師、様々な専門家による判断による尊厳死は有り。 

せめて、事件後に精神鑑定による減刑は止めて欲しい。罪は罪。罰を与えられなくとも社会に復帰は有り得ないし、被害者を第一にし、無駄な更生を求める制度は改めなくてはならない。 

 

 

・昼も夜もない激務で疲れ切って寝ていた時、かなり長い時間金縛りにあったことがあります。 

頭でわかっていても手足が動かない、痛みや痺れなどといった生優しい感覚ではなく、まさに生き地獄そのものを味わった気がしました。 

 

幸い10分ほどで解放されましたが、あれがこの先何年〜何十年と続き、回復の見込みが一切ないとわかっていて、唯一かすかに自分の意思を相手に伝えることができるとしたら・・・ 

その時どんな決断をするのか、自分にはまだわかりません。 

 

 

・人間はそもそも死を考えない生き物なので、死を悪であるという前提に置きたいのはわかる。しかし、自殺したくてもできない、選べないということの苦しみから逃れられるのを助けるのは、人道から本当に外れているのだろうか。 

苦しみから逃れられる医療的手段が見つからないのであれば、安楽死や尊厳死も・・・と思うのでありますが、どうなんでしょうか。 

私がこの患者の立場になるとすれば、医師に危害が及ばないように、事前に動画を録画して証拠に残そうと思います。 

 

 

・自分で命を終わらせる事すら出来なくなってからだと辛い日々を送るだけの毎日で、私だったら先生にお願いするかもしれない。でも逮捕されるのに安楽死させてくれる医者なんて居ないだろうなぁ。亡くなったALS患者の方は願いが叶ってよかったと思ってしまいます。人それぞれで前向きに生きて行ける人とそうでない人がいて当然だし、選択肢を与えてくれる日本になって欲しいです。 

 

 

・せめて治療や回復の見込みがない病気の方に関しては尊厳死や安楽死を認めても良いのではないかと思います。 

私は仕事で何人かの難病の方と関わらせていただいています。 

あえてリアルに表現します。 

40代女性、四肢が動かなくなって声を出せるだけ、痛みは感じるが自分で寝返りも出来ない。 

食事もとれないので点滴。嚥下も不良なため唾液も飲み込めないので口外に垂らす。 

それでも睡眠中無意識に唾液を飲み込んでしまい肺炎になり入退院を繰り返す。 

毎日気を許した人にだけは死にたい死にたいと言われてます。 

それでもこの国では死ねないんですよ? 

怖くないですか? 

こちらの記事とは論点ずれているかも知れません。すみません。 

病気は改善できなくても環境くらいは改善される事を期待します。 

 

 

・私は嫁にこんな状態になったら延命も望まないし治療も望まないという事を伝えています。できれば自分がこういう状態になったら安楽死させてくれって自分で決めれて実行してくれるといいなと自分は思ってます。本人が苦しくて生きていても未来が見えない、死にたいと言う気持ちも尊重されるべきだと思ってる 

 

 

・これを機に安楽死に関する法制定の議論を真剣にするべきです。 

現行法では犯罪扱いとなり、18年もの懲役刑はあまりに重すぎ。 

 

治癒の可能性が無い、痛みと苦痛で身体のあちこちにチューブをつけられて、永延とベッドの上で苦しむ…。 

 

文字通り『生き地獄』です。 

自分なら耐えられないです。 

 

一方で、本当に厳罰し処されなければならない事件が妙に軽い量刑だったりすることが特に最近多々見受けられます。 

 

子どもへの虐待、危険運転、20歳未満の重犯罪、明らかに納得出来ない、耳を疑うような軽い量刑、ありますよね…。 

 

刑法は現代の犯罪事情に即していない、かなりの部分で『瑕疵』があるのに放置されているからおかしなことになる。 

 

無論、濫用にならないよう厳格な運用規定は設けるのは必然ですが、必要条件を満たした上での合法となる環境整備は絶対に必要です。 

 

 

・ALSの患者さんで日本では 

安楽死は認められないから海外に 

渡ったドキュメンタリー見たけど、 

姉妹に看取られて、 

苦しまず安らかに眠られてました。 

沢山苦しい思いしたから、よかったね。。 

と涙を流しながらおっしゃってた。 

看取るのはどんなに辛かったかなと思います。 

 

でも、本当に早く楽になりたい。 

と生前おっしゃってたご本人を 

考えると、、 

本当に辛い病気だと思います。。 

難しい問題ですね。。 

 

 

 

・私の友人もalsになりました。身体が動くうちに、どうやって死のうか考えています。 

家族に迷惑かけたくない、親に介護なんか させたくないから、延命的な全てを拒否しようとしています。死にたくても死ねなくなったら殺してくれなと 笑いながら言っていました。 

頭も心も 鮮明で 健康なまま体だけ みるみるうちに、不自由になり、最後は まばたきさえ自力で 出来なくなる この病 神様 どうか助けて下さい!!今すぐ 治してあげたい!! 

 

 

・性の多様性という言葉があるけど、生の多様性という考えだって推し進めてもいいのではないでしょうか? 自分だったら治らないと分かっているのに痛く苦しく辛い治療を受け続けるのは絶対に嫌。最後くらい穏やかに迎えさせてほしい…いつかそんな選択ができる日本になってほしい 

 

 

・病気でも少しでも未来に明かりが見えたなら、病気の辛さが少しでも和らぐなら安楽死のお願いなどしなかっただろうし、こればかりは本人が選択し、医師が手伝った。これを聞いたとき自分もそうするだろう~~病気の辛さや生きる悲しみは本人しかわからないし、その医師を訴えったそれを本人が知った時 

自分なら訴えないでと懇願しただろう。自分自身が家から出れない病気になり 

生きがいは2匹の猫の世話だけをし、明日は何をしようと思う希望も無いが、 

猫を残して自分は死ねないから猫の終末のお金を残して~~この判決は無罪にしてほしい。医師も辛かったと思う。 

 

 

・ALS患者と関わったことがあります。 

認知症とは違い、今の自分の知能で首から下が全く動かなくなります。自分なら耐えられない。 

その患者も現実に耐えられず、家族・看護師・ヘルパーなどに当たり散らして、どうにもならないワガママばかり。 

やがて、ヘルパーが皆その人を拒否し、看てくれるヘルパーが居なくなりました。 

手が動かないのでスマホも無理、本のページも捲れない。会話もできない。排泄も食事も一人では不可能。なんなら飲み込む力が落ちてくるので、料理をミキサーにかけたり胃ろう(胃に直接穴を開けて栄養剤をそこから流し込む)になったり。食事すら楽しめない。 

こんな経過になると分かっている病気なら安楽死を望みます。それが出来ない日本では人にお願いするしかない。 

この医師の犯罪歴やら何やらあるようですが、この事件をきっかけに、死が悪ではないパターンがあると検討して欲しいです。 

 

 

・とても重い量刑で吃驚です。殺人に関して、殺す意志があったか否かで量刑の重さが変わる仕組みなので、患者からの依頼でも明確な意志を持って殺した事や今後、難病を理由に同じように殺されることを望む患者が現れることも想定しての量刑かもしれませんが、交通事故で危険運転致死傷に問われる人の少なさや量刑の軽さに比べると異様に重く感じられます。殺人に殺す意志があったか否かではなく、殺した事実と状況を見て罪の重さを決めるようにして欲しいです。あと、安楽死に関する法案を日本でも早く決めるべきです。医療が発達し、保険制度で高度な医療を受けやすい現在日本では精一杯生かす事に執着しすぎているように思います。自分が自分でいられる間に終わりにしたいと願うのは罪でしょうか? 

 

 

・歳を重ねると、この事件は他人事とは思えない。 

 

命ある限り生きることそれ自体、心身が健康な者の傲慢ではないかと時として感じる。 

 

死を選択する権利、それは死を選ぶ事ができる者からすると認められない、認めてはならないように思うが、死すら自分で選択できなくなる恐怖を抱えた者にとっては、欲してやまないのではないのか。 

 

延命治療で生命を動かす事ができる時代だからこそ、考えるべき課題ではないのか。 

 

 

・全くの個人意見です。 

実現するつもりの無い公約を掲げる議員を選ぶ為の選挙に時間を費やすよりも、この患者さんのように悩む方を救う為に自分の時間を使いたい。 

もっと、色々な事を投票で決めて行けたらと思います。 

これだけスマホを使いこなしている今、もっと有効に活用できたら良いのに。 

 

 

・これは本当に気の毒。 

人として、目の前に死にたいほどの痛みや苦しみでもがいてる人間が「楽にしてくれ」と望んでいたら誰だって楽にしてあげたいと思うはず。自分がそれを叶えてあげられる医師であれば尚更かも。 

ただ日本の法律ではそれはゆるされないので罪には問われてしまうけど、これは重すぎるでしょ。 

一番いいのは、「余命宣告受けている患者は」本人が望んでいたら安楽死をしてもいい法律を作ること。何人か行政の人の前で本人の意思を明確にし、書類を作成したりすればいい。 

本当はひどい認知症や透析がもう嫌な方も選べればよいが、まずは「余命宣告を受けた方」を一刻も早く救済してほしい。 

 

 

・かつて医師の方の随筆を読んでいたら、いけないこととは分かりつつも、目の前で自分の患者が苦しんでいたらやってしまうかもしれないと書いておられた。専門家でもこの程度しか踏み込めない難しさであって、あれから30年経っても議論は一向に進まない。 

 

 

・難しいですよね。 

 

「安楽死」を法律で認めてしまうと、 

「本人が望んだ」という風に見せかけてサッサと殺せる合法殺人手段が出来てしまうことにも繋がるし。 

 

叔父は医者でしたが、 

院長争いに負けて転職した病院では稼ぎが悪かったらしく、丁度子供の大学進学も控えていて、 

普段からブランド品や海外旅行三昧の奥さんのせいで貯金は僅かしかなく、 

さなかに脳溢血で倒れた祖父をすぐに救急車を呼ばずに置いて、寝たきり障害が発生する時間まで待機し、寝たきりになったら、実家は勝手に家財全て捨てて貸し出すわ、株から貯金から全て自宅に証券を持ち帰り使いまくるわで凄かった。 

 

反対する祖母を、病院から持ってきた鎮静剤入り点滴を打ち「昂ってるから知り合いの精神科医の所に入院させる」と言ったので必死に止めて、知られない住所に部屋を借りて祖母は生涯事なきを得た。 

 

もし安楽死が合法なら祖父母は早くに殺されたかもしれないと思う 

 

 

 

・体を動かすのに自分の意思ではどうにもならない 

屋上から飛び降りたくてもそこまで歩けない 

金銭的な問題や 多くの人に負担をさせながら自分は生きてると思うと生きていたくないという思いが強かったのでは 

この医師のしたことは殺人でしょうけど、、、勇気ある手段を選んだのかも 

自分も病気が苦しくて死にたい時 死なせて欲しいと良く思います 

お医者さんにも、もしかして植物になったら延命や植物になったら 手をかけないで下さいとお願いしても。それはそれで問題が大きくなるのでと断られます 

なんとかなるといいんだけど 

 

 

・ALSに限らず、脳死の場合は家族が判断を委ねられる。 

誰もがいずれ寿命を迎える。 

自分が決める判断ができるなら相談にのって欲しい。医師個人の決定ではなく、医師会でも検討する場が必要だ。法律は最優先にしても人間らしく最後まで生きることを認めて欲しいもの。 

 

 

・親御さんへの殺人がどのような状態と判断なのかが自分にはわからないのですが。 

 

察する文化さえある程度抑えられれば本来安楽死あった方が安心して生きていけると感じる。どの様な状態であれ生きてることのみを求められるのは辛い人も一定数いるだろうと感じるし、自分も例えば痛みとかがひどいけど感覚の問題だけで生死には関係ない状態がずっとだったら嫌だから。 

 

ただ、医師であるからこその技術や結果であって、法律への働きかけをすることなく行為に至ったことは残念としか言いようがない。 

 

 

・殺人とはいえ、嘱託だから懲役18年はちょっと重いと思っていた。 

ちょっと前に出てきたALS患者が、これはただの殺人だと言っていたけど、それは完全に人それぞれだ。 

無理やり脅して金を振り込ませたわけでもない、お金目当てもあったかも知れないけど、同意があったと捉えるのが自然だと思う。 

これを機に、日本でも安楽死の議論に踏み切るべきでは? 

 

 

・「死ぬ権利」を与える前にまず「生きる権利を」という言葉が胸に突き刺さった。 

「死にたい」と思うにはさまざまな思いがあると思うが、「本当は生きたいけど家族に介護負担を掛けたくない」だから「死にたい」という難病患者に対して、社会が充分な支援を用意できたら家族と共に生きる道を選ぶかもしれないと思った。 

このようなケースで、逆に社会の邪魔だから「生きる権利を与えない」という考えがあるだろうかと考えたとき、障害者大量殺害の相模原市やまゆり園事件を思い出した。 

死にたいと思う人の「死ぬ権利としての安楽死」を賛成する場合の私たちの考えも、よく見つめ直してみたいと思った。 

 

 

・私は2年前からALSです。 

今のところ食べ物が飲み込めないのと声を出しにくいくらいですがこれからどんどん進行して自力で動けなくなったり呼吸ができなくなったら家族に迷惑をかけたくないので死にたいと思ってます。 

でも自殺は怖いので誰かに殺してほしいって思うと思います。 

殺人ってところだけみないで依頼した側の気持ちをもっと考えてほしいです。 

 

 

・お医者さんがわざわざその経歴に傷がつくような大きすぎるリスクを背負うことを、たったその額で普通は受けるだろうか?正直お医者さんのほうが割に合わなすぎる。 

 

お金を受け取っている以上は完全に善意とは言えないけど、かと言って利益のためとも言えるような額ではない。 

患者さんの望んだ死をある程度の額を貰って罪と言われることを引き受けたのはそれ以上でも以下でもなく、患者さんの望むものを与えたということに過ぎないと思う。 

 

重刑はどうなのかと思う。生が救いの人もいれば、死が救いの人もいる。 

 

 

・尊厳死について法整備を進めてほしい。今回で言えば、ALSを患いサポートを受けながら生を全うする、病気が分かった時点でサポートを受ける前に生を終わらせたいと思う、考えは個々で違って当然です。どの立場であっても自分の生は自分で決められたらと思います。 

 

 

・どんどん身体が動かなくなる難病で治療法がない、というのはどんな恐怖だろう。本人が死にたい、と言ってるのに周りが無理やり生き続けさせる、というのは違うと思う。今のままだと、死を選択した人間はとても苦しいか、とても痛い思いをしないと死ねなくなる。もう充分悩み、苦しんだんだから最後くらい、安らかに死なせてあげたい。結局、日本でダメなら海外に行くだけで、海外に行く費用や体力のない人は取り残される。日本は本当に遅れてるなあ、頭にくる。なんでその人の立場になって考えてあげられないんだろう?人生、なにがなんでも90や100歳まで生きる事が幸せじゃないよ。どう生きて、どう死ぬか、だよ。 

 

 

・この事件の事は詳しく知らないですが、患者が死を望んていたと客観的に認められるなら減刑するべきだと思う。 

病気の苦しみや未来に希望を持てない状況や自身で何も出来なくなる恐怖は本人にしかわからないと思う。 

周りの綺麗事や無責任な正論の押しつけより余程相手の気持ちになって考えていると思う。 

どう考えてもこのドクターに何もメリットが無いと思う。 

 

 

 

・この医師の人間性がわからないから何とも言えないけれど、自分が治る見込みのない重篤な病で、同じような状況なら、生きる権利と同じように死を選ぶ権利も認めて欲しいと考えると思う。 

私はどんな状態でも生きていたいわけではないから。寿命は自分では決められない。 

こんなことが起きるなら、尊厳死を認めでもいいと思う。 

 

 

・難病でも行きたいと思う人は周りの協力のもとに生きることは素晴らしいと思うけど、ただただ生かされてる人もたくさんいると思う。自分だったら安楽死を望むかどうかはわからない。ただ安楽死という選択肢があるだけでだいぶ違うと思う。 

 

 

・病気・事故等になり安楽死を望む人が存在し、京都ALS患者安楽死事案のような事が二度と発生しないように、安楽死を望む人が基本的人権を確保しながら安心して「死ぬ」と言う生き方を選択出来るように、安楽死の法制化が必要。現在自死を望む場合は飛び込みや飛び降り等、最後に自身・家族を心身共に傷付ける方法しか無い。法制化されれば、自分の最期を自分で決める事が出来るし、自分で決めた最期の日まで家族や友人とゆっくりとお別れが出来る。難病患者等が、将来的に安楽死が出来ると思えれば、ギリギリ最期までその病と闘ってみようと言う前向きな気持ちになるかも知れない。「死ぬ」と言うその本人の生き方を尊重して欲しい。そして、飛び込み死・飛び降り死・一酸化炭素中毒死等の「死に方」の一つとして、「安楽死」を認めて欲しいと思います。特定疾患患者 KEN 

 

 

・計算されてないからこそ故に証拠がない訳で。証拠さえ残していれば周りが苦しむ事もなかった訳ですよね。でも証拠があったらあったで逆に医師からすれば重荷に感じる事もあるのではと。女性の立場からすればそれほど何も考えられないほど追い詰められて急いでたのだと思う。 

 

 

・私は74歳、治療法がない病と言われる肺気腫です。 

明日か数年先かに呼吸困難という苦しみの末に死を迎えます。 

息が出来ずに苦しんでいても安楽死させてもらえないこの国の医療制度。 

そんな将来を思うと気が重いです。 

治療法もなく苦しむだけなら安らかに眠りながらいきたいものだ。 

 

 

・安楽死について全く議論が行われない日本は問題だと思います。 

すでに超高齢化社会だというのに。 

意識はあるままだんだん体が動かなくなり最終的には呼吸ができなくなるALSや治る見込みもない病気なら、いっそ死なせてほしいと思う気持ち、自分は理解できますけどね。 

それでこの医師が金銭をもらったからといって、金目当てとは思いません。 

リスクの方がずっと大きいでしょうから。 

 

 

・そもそも「殺人を依頼された」という言い方では誤解されてしまう 

せめて「無認可と知りながら安楽死を依頼され実行した」だろ。 

命の重さは重々知り、親父を闘病の末に亡くしたから言いたい。 

回復の見込みなく日々体力が失われて、莫大な治療費や入院費を負担する介護する側を想うならば安楽死を望むのは認めてあげて欲しい。 

 

 

・無理やり生かされるのはそれはそれで残酷だと思う。別に自殺願望なぞ無いが、いつ死ぬか分からないんだから毎日悔いのないようにだとか、一度きりの人生だから、みたいな価値観が全然分からない。生存本能なんて種が絶滅しないように組み込まれた機能でしかないと思ってる。 

 

 

・色々な論点が複雑に絡み合っている事件だなと思う 

個人的には親が要介護3から5になった時点で意識はほぼなく 

遺漏を受けチューブだらけで高度医療制度でも月に30超えてかかり 

安楽死が脳裏によぎる 

高齢で直る見込みはほぼない。 

 

それ以外にも施設側にも費用が発生し厳しかった 

家での介護はまず無理 

酸素やらベッドやら 

24時間だし 

でも安楽死はできない 

安楽死制度の制定を望む 

遺族、家族が不幸になる前に 

 

 

・ALSは意識や感覚はあり、目の機能も正常だが、だんだん全身の筋力が衰えていく病気です。 

痛み、かゆいの感覚はあるから目を使ってそれを訴え床ずれなどは少ない。 

ただし呼吸も筋肉なので管は入れられるし、最終的には目の機能も失われるため意識はあるのに、暗闇の中に閉じ込められる。ただ生かされる。 

 

安楽死が選択されることに違和感は無い。 

 

 

 

・これまでも何度かお会いしてた方が、実は、本事件で亡くなられた方のお父さんであったことを、本日、ご本人から伺いました。自分がイメージしたいた状況とは異なり、お父さんはとても娘さんの死を望んでもおらず、被告人の方々を恨んでおりました。事実は、他人が想像しているものとは大きく異なるもののだと、改めて驚きました。 

 

 

・森鴎外の「高瀬舟」を思い出します 

日本でも安楽死の要件を裁判所が判示しており、その限りにおいて嘱託殺人としての違法性は阻却されるとされていますが、応じた医師がおかれる法的な不安定性を考慮してもきちんとした立法措置は必要だと思われます 

 

 

・難しい問題であり、これからの日本社会にとっては考えねばならない問題。 

懲役が重すぎる、というのもそうであるがALS患者にとっては望んでた事でもある。 

体が動かなくなり、毎日が生き地獄だったのではいだろうかと個人的に思う。 

少なくとも自分がそうなったら身内がそうでなくても、安楽死を希望する。 

単なる殺人行為、ではないと思う。 

 

 

・安楽死が認められていない以上、いくら患者本人が明確な意思表示で死を望んでも、それを叶えてしまうと嘱託殺人に問われるんだよな。西部邁氏も自らの意思で自死を選び、弟子に手助けしてもらったけど罪に問われたし。本人が「もうこれ以上辛い思いはしたくない。解放されないなら死んで楽になりたい」と言うなら、それを尊重するのも必要な事だと思う。反対派は自分に置き換えて考えてほしい。辛い、苦しい、死ななければ楽にならないならもう死にたいと思っているのに、「死んだらダメだ、生きるんだ」なんて言われて励みになると思うか?「ならお前がこの立場になってみろ!」と言われたらどう答えるんだ?安直に考えることではない。 

 

 

・車椅子で難病の方が「殺人だ」と騒いでいますが 

この件はALSでしたが、癌の痛みに耐えかねて安楽死を願う 

患者もいるはずです。 

管に繋がれ、息も絶え絶えに「生かされる」事を考えると 

「苦しまないで死ぬ」以外にも 近親者に囲まれて薬で 

安樂死の選択も有る世の中になって欲しい 

 

 

・金銭目的ではありえないほどのリスク。 

真に患者の尊厳と意思を尊重したからこその結果でしょう。 

叩かれること、裁判になるかもしれないこと、重々承知の上で何故このような行為に至ったのか、それは患者の尊厳を守る為に他らないと思う。 

 

 

・頭はしっかりしていても、どんどん体が動かせなくなり、やりたい事や食べる事も出来なくなるのが分かっていて生きるのが辛くなる人もいる。私もお金出して殺してもらえるなら、その選択もあると思う。自分の命は自分で決めたいと。 

 

 

・ALS患者の意思を最大限に尊重した殺人はもっと情状酌量があっていいと思う。 

一方で工藤会の組長は減刑された。 

日本の司法は何をやってるんだと常々思う。 

自分の親もALSになっているが、本当に辛そう。安楽死があるなら、自分の親はその選択をするんじゃないかな。この事件をきっかけに、法改正を考えてほしいし、この事件に関しても、工藤会に関しても、もっと人間味のある判決もあっていいんじゃないかな。 

 

 

・希望を叶えてあげたという側面があるのに懲役18年なんて重すぎる。 

執行猶予が付いてもいいと思う。 

患者さんへの希望がなくなってしまう。 

国も患者さんの希望を叶えるように論じる時代になっていると思う。 

スイスに安楽死希望の患者さんがたくさん登録しているそうです。 

自国でできるようにしてほしい。 

 

 

・自分が思う様に身体が動かなくなったら、私もいっそのこといなくなりたいと思うし、これ以上迷惑はかけられない気持ちでいっぱい。 

もちろん殺めた事は許さない事だけど、亡くなった女性は生きてる事が苦しくて自分でどうにも出来ないから必死の想いで殺人依頼をしたのかなと思う。亡くなった本人が望んでした事なんだし、個人的にはもうちょっと軽くてもと思う。状況が状況だけに。 

 

 

 

・目を背けられない問題に対して一石を投じる者は現行法だと処罰されてしまうのは致し方ない。 

でも、ただの殺人犯としては扱ってほしくない。やった事は悪いことかもしれないが、同時に安楽死は悪いことなのか?という議論の余地がある。というかこれを機に議論をしなければならない。この医師がやった事には少なからず意義がある。刑務所に入るのではなく、講演等で思いを拡散させることが望ましい。 

 

 

・報道特集で安楽死についてやっていたが、自分が重い病気になってみて安楽死は必要だと感じるようになった。 

健康体だった時は安楽死反対だった。 

それは健康だったからだと気づいた。 

辛くても頑張って生きて人生を全うするなんて綺麗事。 

過酷な身体の状態で生き抜く事がどれだけの生き地獄かよく分かった。 

極限の身体の状態になった時には自分の人生の幕引きは自分で決めたい。 

 

 

・生きるために必要な“働く”に対し、“働きたくない”を認め受け入れようとする世の中な反面、そもそもの“生きる”を自らで終わらせる判断については不寛容な矛盾の塊の世の中。 

個人的には自死は全くしたくないし他人であっても認めたくない、が、生きながらえる事が難しい病気の方などに“諦めるな!がんばれ!!”と言える神経がわからず、なんて自分勝手な考えを押しつけるのだろう、と思ってしまう。 

自死の可否というか善し悪しのジャッジメントはしっかりしなければならないと思うけど、それをクリアできリミットが決まっているなら本人の尊厳を認めることも必要だと個人的には思う。 

 

 

・自分がALSとかの治らない病気になったなら、安楽死したい。価値観は人それぞれだし、懸命に生きる事を望む家族もいるかもしれないけど。自分だったら進行を止められずに苦しむだけなら生きるのは辛い。犯罪だろうと、安楽死させてくれる人がいるなら感謝すると思う。 

 

 

・身内が同じ病でした 

告知され「帰りのホームで飛び込もうかと思った」 

身の回りの片付けをしながら「首を・・うかと思った」 

寝たきりになり「自分で死を選ぶことさえ出来なくなった」 

 

この病は辛すぎます 

最後は瞼の筋力も無くなります 

呼吸器をつけ 

身体動かず、声も出せず、目も開けられない 

でも意識はしっかりあったとしたら? 

そんな未来が待っていたとしたら? 

 

 

・現行の法解釈だとそうなるんだろうけど、残虐な殺人などと同じ量刑であるべきなんて思えないです。 

いくら辛くても安楽死という選択肢が選べない現状を鑑みて、もう少し人間らしい判決であってほしいと思います。 

 

 

・このケースと同列で語るのは違うしおこがましいのですが、もし130万円で自分の終わらせたい時に人生を終わらせてくれる人がいるなら、喜んで払いますよ自分は 

というかそういう人、多分多いと思います 

 

生き甲斐もなく、身体も思うように動かず、ただ納税するためだけに高い医療を受け続けるくらいならね 

 

というかどんな状態になろうとも生きさせ続ける社会こそ、不自由だと思います 

 

 

・回復の見込みがない絶望的な状況でありながら最期の精魂尽きるまで、苦痛に耐え続けなければ、逝くことができない現状は、本人からみれば虐待されていることと同じことではないか。私も同じ境遇となれば早く楽になりたいと思うだろう。安楽死も尊厳死も適切な必要要件を整えたうえで法制化してほしいと願う。 苦しみ抜いて逝かなければならないのは本人も家族にも残酷である。 

 

 

・人が自由に死を選べるようになれば、多くの人が死を望むようになる。この人は死を選択する権利があるがあの人には死を選択する権利がないと誰が決めることができる?それも多様性という言葉で片付けれるだろうか。いのちも死も人の手中に治めることができないからこそ、いのちは尊く、死も尊いのではないか。こんな状態で生きろという方がおかしいと言われても、そう思っても、たとえそうであっても、今日生きているいのちは、自分で生きているいのちでなく、生かされているいのちだ。 

 

 

・お金だけ騙し取り、父親入院中の療養を完全に放置し、栄養を勝手に止め、衰弱死に至らしめた残忍な事件が岡山県岡山市北区にある医療法人社団 三樹会梶木病院で発生した。  

入院当日24時間身体拘束の同意書を家族にサインさせ、正当な理由なく患者に対して眠剤、ミトンによる身体拘束を長期に渡り施行した。 

極度の栄養失調による血管の確保は極めて困難な状態であるにも関わらず針の差し替えは頻繁に行われ、血管炎に罹患し、衣類やタオルには多くの血痕が残ったままだった。高齢者の心身、人権や尊厳を著しく損なわせる虐待行為に間違いない。  

梶木院長を始め、病院多数の医療従事者は嘘を重ね、患者の自己決定権を侵害し、命が助かる機会を失わせた。病院の飽くなき営利追求の元で日々繰り広げられていた医療現場の悲惨な人権侵害の実態であった。  

2023年12月に梶木院長など複数の医療従事者を岡山地方検庁に書類送検された。 

 

 

 

 
 

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