( 150988 )  2024/03/20 12:44:33  
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日本銀行は2024年3月18日と19日の金融政策会合で、マイナス金利政策を解除するなど大規模な金融緩和策の変更を決定し、17年ぶりの利上げを行った。

これにより、長く続いたゼロ金利政策が終わりを迎えた。

アベノミクスの一環として行われてきた緩和策は、日本の金融システムを正常化するためのスタートラインにすぎず、これからが本番となる可能性がある。

日本政府は、インフレ期待を生じさせ、経済成長を促進することを目指してきたが、その結果が得られずに600兆円の国債の山だけが残されている。

日本経済が最悪の状況に陥る可能性もあり、今回の政策転換は必然的なものだった。

アベノミクスの終焉が始まりつつあるが、正常化プロセスのはじまりに過ぎない。

(要約)

( 150990 )  2024/03/20 12:44:33  
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photo by gettyimages 

 

 日本銀行が2024年3月18日、19日に開催された金融政策決定会合で、マイナス金利政策の解除など大規模な金融緩和策の変更に踏み切った。利上げは17年ぶりであり、長く続いたゼロ金利政策がいよいよ終わりを告げる。今回の決定は、大規模緩和策によって激しく歪んだ日本の金融システムを正常化するための、長く険しい道のスタートラインに過ぎない。金利の上昇によって、むしろ国民生活への逆風は強くなる可能性が高く、ここからがむしろ本番といえるかもしれない。 

 

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 日銀は2013年4月から市場に資金を大量投入して国債を買い上げ、金利をほぼゼロに抑える大規模緩和策を実施してきた。短期金利の調整だけでは不十分と判断した日銀は、本来、政策の対象外である長期金利にもその範囲を広げ、「イールドカーブ・コントロール」と呼ばれる長短金利操作に染めた。 

 

 短期間に大量の資金が提供されれば、市場にはインフレ期待が生じる。インフレ期待が生じれば、多くの企業が設備投資などを活性化させ、これが実体経済にプラスの効果を与えると、当時の安倍政権は考えていた。安倍政権は「デフレ脱却」を政治的なスローガンとして掲げていたが、本来、デフレ脱却という言葉は政治的スローガンにはなりえない。 

 

 なぜなら、インフレ、デフレというのは、あくまでも貨幣価値と物価の関係を示した用語に過ぎず、物価が上がればインフレ、下がればデフレというだけの意味であり、インフレやデフレそのものに良い悪いのニュアンスはないからである。 

 

 だがアベノミクスにおける「デフレ脱却」という言葉には明らかに、良いニュアンスが含まれている。この部分こそが、アベノミクス(=大規模緩和策)というものが持っていたレトリックの集大成といえるだろう。 

 

 上記で説明したように、当初、日本政府はインフレ期待に働きかけることによって設備投資を起点とする持続的な成長を実現しようと試みた。経済学的な一般論として市場にインフレ期待が醸成されれば、現金保有は相対的に不利になるため設備投資が増加する可能性が出てくる。 

 

 だが、それは経済全体が健全であればの話であって、将来に対する不安材料が大き過ぎたり、経済が機能不全を起こしている状況では、企業は設備投資に資金を回さない。不動産や外貨など安全資産に資金を退避させるにとどまり、インフレだけが進んで、実体経済はまったくよくならないというシナリオが濃厚となる。 

 

 筆者を含め、一部の専門家は、経済全体の仕組みを変えていく政策とセットにしなければ、単に物価上昇だけが進み、景気は良くならず、国民生活が苦しくなる可能性について指摘してきた。 

 

 だが当時は「デフレ脱却を最優先せよ!」「これしかない!」といった、感情的で声高な議論ばかりが横行し、アベノミクスが持つリスクについて、多くのメディアや専門家が無視するという異様な雰囲気であった。 

 

 ちなみに、不景気の時にはモノが売れず、物価が下がりがちなので、デフレになりやすい。したがって景気が悪い時にデフレになるのは自然なことではあるが、あくまで、それは不景気の結果としてデフレになったに過ぎない。 

 

 デフレの結果として不景気になったわけではなく、ましてや物価を上げたからといって景気が良くなるわけでもない。その意味では「デフレ脱却」というのは、まったくもって無意味な言葉だったといってよいだろう。 

 

 

 だが多くの国民が、「物価が上がって景気が良くなる」という意味で、「デフレ脱却」という言葉を理解しただろうし、ひょっとすると安倍氏自身も、そう思っていたかもしれない。さらに言えば、今でも大半の人がデフレ脱却=好景気と理解しているのではないだろうか。 

 

 だが何度も説明しているように、インフレ、デフレと景気が良いことは何の関係もなく、私たちの生活水準向上とも関係がない。景気が良くならなければ、私たちの生活水準も上がらないが、現状では景気が良くなっていない以上、私たちの生活も向上していない。むしろインフレによって物価が上がり、逆に生活が苦しくなっているのではないだろうか。 

 

 アベノミクスによる大規模緩和策は、世界でも突出した水準であり、失敗した際に被るリスクも超ド級である。ある意味で日本人は世界の中で自ら先頭に立ち、失敗した場合のリスクが致命的に大きい政策を、危険を顧みず実施するという、大変な役割を買って出た。 

 

 想定されていた通り、十分な成果は得られず、600兆円という空前絶後の国債の山という時限爆弾のみが残ってしまった。過去2年、日本円は1ドル=100円台から150円台まで、一気に3分の2まで減価している。 

 

 メディアでは日米の金利差が原因と報じているが、厳密にいえば金利差で為替が動くことはありえない。最終的には日米のマネー供給量の違い(とそれにともなう物価見通し)が円安最大の原因であり、エベレストのように積みあがった600兆円の国債の処理ができていないことが、激しい円安を招いているのだ。 

 

 GDP(国内総生産)と同規模のマネーを短期間で市場に大量供給しているにもかかわらず、それを吸収する経済活動の拡大が見込めない以上、当然のことながら、その大量のマネーはいつか制御不能な購買力増大として市場に跳ね返ってくる。つまり激しい円安と物価上昇である。 

 

 この2つこそが、経済成長に失敗したアベノミクスのツケとして、この先、日本人が引き受けなければならないリスクであり、過度な円安が進み始めた今、日銀にとってもはや残された時間は消滅しつつあった。 

 

 

 日銀の本音としては、すぐにでも大規模緩和策をやめ、金利を引き上げないと日本経済が最悪の事態を迎える可能性があり、このタイミングでの政策転換以外、選択肢など存在しなかっただろう。 

 

 だが、多くの日本人はこうした現状について理解しておらず、景気にとって逆風となる金利の引き上げを実施することには大きな政治的ハードルを伴う。 

 

 しかし「神風」といってしまうと不謹慎かもしれないが、今回、日銀には2つの「神風」が吹いた。ひとつは物価上昇があまりにも激しく、多くのサラリーマンの生活が困窮していることから、企業が重い腰を上げ5%の賃上げに踏み切ったこと。もうひとつは自民党の裏金問題である。 

 

 今回の春闘で5%を超える回答が出たことで、少なくとも昨年と比較すれば賃金環境は大きく改善した。賃金が大幅に上がっていれば、金利の引き上げも容認されやすくなる。 

 

 政治的にも状況が大きく変わった。いくら経済的環境が整っても、大規模緩和策=アベノミクスであり、常に「政治」としてのニュアンスが付きまとう。 

 

 つい最近まで、自民党の安倍派を中心に、日銀のマイナス金利解除について「アベノミクスを否定するのか!」といった意見が出され、日銀の行動を強くけん制していた。だが、裏金問題が政権を揺るがす事態にまで発展し、今の自民党内にアベノミクス云々を議論している余裕はない。 

 

 逆に言えば、今のタイミングしか日銀にとっては正常化に踏み切ることはできず、ここで失敗すれば半永久的にタイミングを失う可能性が高かった。その意味では、日銀にとっては千載一遇のチャンスだったといえるかもしれない。 

 

 いずれにせよ、長く続いたアベノミクスはいよいよ終焉の時を迎えた。制御できないインフレという最悪の事態こそ回避できたかもしれないが、今回の決定は、長く続く正常化のほんの始まりに過ぎない。 

 

加谷 珪一 

 

 

 
 

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