( 151117 )  2024/03/20 15:12:19  
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ひろゆき氏 “インド行って人生変わった”という男性に持論「情報収集能力と観察力のない薄っぺらい人」

スポニチアネックス 3/19(火) 22:41 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c2a6ee1ac291cf1c85cc719ba68bc5ca8dd69c2f

 

( 151118 )  2024/03/20 15:12:19  
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実業家の西村博之氏(ひろゆき)が自身のSNSで、「自分探し」について考えを述べました。

動画や番組で「自分探し」について言及し、「海外に行ってショックを受ける人は、情報収集能力や観察力がない薄っぺらい人かもしれない」「自分を作るのは過去の経験なのに、その当たり前のことがわからないのはなぜか?」とも述べました。

(要約)

( 151120 )  2024/03/20 15:12:19  
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「ひろゆき」こと、西村博之氏 

 

 実業家・西村博之(ひろゆき)氏(47)が19日までに自身のX(旧ツイッター)を更新し「自分探し」について思うことをつづった。 

 

 ひろゆき氏は「【人生を変える出会い】インド旅行で何が?異世界に触れる価値とは?自分探しって何だ?ひろゆき&川上量生|アベプラ」というタイトルの動画をアップ。 

 

 その番組では、インドに行き人生観が180度変わったという男性が出演したが、ひろゆき氏は「ふつうに日本にいるだけでも、海外にこういう人がいるっていうのは知ることはできるので。情報収集能力と観察力のない、薄っぺらい人が海外に行ってショックを受けるのかなと思いました」とバッサリ。 

 

 さらにXでも「いい年して『自分探し』とかいう人は『今まで生きてきた結果が今の自分を作った』という当たり前の事が何故わからないのだろう?オツムが足りないのかな?」と投げかけていた。 

 

 

( 151119 )  2024/03/20 15:12:19  
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(まとめ): 

コメントの中には、実際に体験することの大切さや、情報収集だけでは得られない体験の深さが強調されているものが多く見られました。

特に海外旅行や留学による価値観の変化や、異なる文化や環境との出会いが人生を豊かにする可能性について言及されていました。

それぞれの経験は個人によって異なるものであり、体験を通じて人生が変わる可能性や、自己発見の大切さが語られていました。

情報収集と体験の違いや、自己探求や成長における体験の意義などについて多角的な視点が示されていました。

また、身近な体験から得られる気づきや価値観の変化も重要視されていました。

( 151121 )  2024/03/20 15:12:19  
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・まあスマホで知れる情報もあるけど知れない情報もある。 

自分も自転車で3年かけて北南米縦断したけど地球の広さとか不毛な土地が多いとか日本の平和さとか身体で体験して腑に落ちるところは沢山あったと思いますしどんなに頭いい人でも体験の仕方で何かしらあると思いますよ。 

 

 

・画面越しではわからない視覚以外の情報も多々あるのに。 

 

サンタモニカに行ったら「階段降りて向かいのビーチまで〜」と思ったら、見渡す限りビル並みの高さの断崖絶壁で驚いた。ヤシのような木も直径1mは超えそうな太さで、日本なら歩道が埋まりそうな程デカかったりサイズ感に圧倒された。 

ウォルマートのアイスコーナーでは。ケースの扉に所狭しとDVDがあって、「本当にシンプソンズみたいにバケツアイスには映画とソファなのか!」と納得した。 

 

シドニーはどこでも独特な香りがして、後からそれがユーカリの香りだとわかったりもした。 

 

画面越しの情報では形は知れても、質感や匂いや圧倒感までは読み取れない。ドラえもんの道具じゃないのだから。 

 

 

・固定化した人間関係の中では普段と違った振る舞いをしにくいというのはあるので、海外という慣れていない環境で人と関わると今までとは違う自分の出し方が出来やすくなる、というのはある。でも日本にいても出来ることではあります。 

 

 

・頭で分かるのと肌で感じるのでは違いがあると思うけどね。 

お金と時間があるなら、ネットの情報収集だけで分かった気になるんじゃなくて、実体験として自分の目で確認した方が良いと思う。 

 

 

・ひろゆきさんは常々自分の言う事を鵜呑みにするなという旨の予防線を張ります。今回の発言もいつもの彼らしいアンチテーゼであって「正しいことだけど正しくもない」ことは彼自身よく解ってのことでしょ。いつも真理がどこにあるのかを皆が探し出しやすいようにわざわざ掻き混ぜてくれてる気さえする。 

 

結局、頭も体も使わないのが一番勿体ないんだと思う。 

 

 

・私の友人は若い頃に 

「人生変えにインド行ってくる!」 

と2週間インドに一人旅に行って最初の食事以降ずっと腹を下しっぱなしで全く楽しめないまま帰国し、 

「日本はなんて住みやすいんだろう。 

ゴミは落ちていないし、病院は清潔でスタッフはみんな優しいし、不安無くお店で出された水や食事を食べ、健康的に生活できる素晴らしい国だと心底実感できた。」 

と、日本の素晴らしさを痛感し人生観がガラッと変わったと言ってた。 

 

 

・例えば訪問介護の有効求人倍率が他の介護職と比べてかなり高いのは何故かと検索すれば処遇が悪い、とかお手伝いさん扱いされる、とかセクハラされるとか、笑顔に癒されるとか待っててくれる人がいる、とか政治家さんの発言、厚生労働省の書類、事業所の情報色々情報は出てくると思います。 

一般人より更に情報収集でき、想像力を働かせお勉強出来る方が集まる集団が出した結論は訪問介護減算。 

加算を沢山設けて書面を簡素化しました。と大臣が言われていましたが中山間地域、特別地域どれだけ対象にされ、取るためにどれだけの書面が必要か。 

どんなに情報を検索し分析し用心した所で所詮他人が上げた情報。自分の身に降りかかった時画面の中の文字がどれだけ人の助けになるか。 

働く人が少なくなり事業所が閉鎖されればどんなに素晴らしい制度でも意味をなすとは思えない。 

制度は勿論大事だが体験しなければ本当の意味で理解出来ない事もあると思います 

 

 

・例えば仕事、出張などで上海なり香港なりに1週間滞在するのと、学生時代に機会を得て1年なり2年なり留学するのとは全く違うとは思います 

まだ確固たる価値観が固まっていないピュアな感性を持つ学生のタイミングで言語習得や専門分野習得を兼ねて各国留学生との交流を込み込みで経験するというのはやはり人生観における影響力はかなり大きいと思います 

何がどう違うのかを説明するのは困難なのですが、ある程度話をすると現地体験豊富かどうかは語学力云々だけでなく伝わってくるモノが違います 

 

但し、中国やドイツといった国では歳を取っても自分探しの旅は許容される傾向がありますが、日本の場合は良い歳こいて何やっているんじゃと軽く見られる傾向が強いのは確かです 

 

70歳になってから海外留学する人の姿も見たことがありますけど、生ある限り見聞を広めること、様々な価値観を見つめること、素敵だと私は思います。 

 

 

・スマホで二次元で景色を見るのと、実際に現地へ行って風の匂いから動物の鳴き声から全てに生で触れるのとは全く違うと思う。 

画面で見てた国が実際に行ってみたら、全然印象が違ってたとかも良くあるし。 

あと自分探しも年齢制限なくて良くない? 

なんなら定年退職して時間に余裕が持ててからでも良くないですか? 

年齢に関係なく新しい事を始めて良いと思う。 

 

 

・海外の環境と、飯の旨いマズイは、実際に行ってみないと分かりませんね…。 

例えば、ひろゆきさんのいるフランスでは、スズメが人間の手に乗って来ます。こんなのなかなかネットに書いてない。 

イギリスとか、観光情報雑誌を読んで、フィッシュアンドチップスを食べようかな→脂っこくてクッソ不味い。 

…だが、人によってはこれがいいと言う人もいる。 

変な例えですが、女性経験がある人と、映像で見て知っている人の差…くらいある。 

 

やっぱり、実際行くのが一番いいなと思う。 

 

 

 

・私は「自分探し」「インド旅行」に、どちらかというと否定的な感想を持っていました。しかし、最近は、実際に旅行して得られた経験や価値観というより、「インドに旅行し、無事帰って来れた」こと自体に新しい自分を見出すのではないかと思うようになりました。スマホで行き方や文化を調べることは簡単なことです。でも、それを実際に行動するのがどれほど大変で、ほとんどのの人は出来ません。やりたいと思った事を、計画し、実行するって素晴らしいこと。「やり遂げた自分」に出会うってその本人だけしか味わえないし、素敵な「自分探し」だな、と思います。 

 

 

・『今まで生きてきた結果が今の自分を作った』というけど、今まで生きてきて作ってきたのが自分ではなくキャラだけの人って多そうですからね。 

長年キャラを演じて、それが自分だと思っていたけど、いざ本当の自分を探した時に自分がどこにも存在しないから、海外とか自分が行ったことのない世界に自分が存在すると思って自分探しをするんでしょう。 

自分のキャラを作らなくて良い、本心や自然体を受け入れる環境に身を置いたら、キャラではない本当の自分が形成されて、自分が見つかる人も多いんじゃないかなと思う。 

 

 

・映像とか資料とかで分かることと、行ってみてわかることは違うと思う。それこそ人それぞれじゃないかな?人生限りあるんだし。 

もちろん、行ってもたいして得られないとか、ホームシックになるとかもあるでしょう。 

 

薄っぺらいかという物差しでは評価できんのでは? 

 

まあ、海外行くなら、日本人のイメージを悪くしたり、行くなと言われてるところに無視したりして、変に迷惑をかけないようにはしてほしい。 

 

 

・私も海外に実際に行って衛生環境が悪い場所を散々みて来たら日本の綺麗さに気づけて良かったですよ。日本の田舎の畑なんかはゴミも落ちてなくて田んぼも水が透き通ってて綺麗ですけど、とある国に行ったところ同じ田舎なのに田んぼはゴミだらけで汚く水捌けも悪くドブ臭くて生き物の一つもいないようなところもあったのでやっぱり一度は別な国に行って様子を見てくるのも大事なことなのだなと思いましたよ。 

 

 

・ネットでは情報と知識を得る事は出来るけど、経験は出来ない 

知ったかするならネットの情報でも良いかもしれないけど、頭の中だけでは知りえない経験をして本質部分に触れ、より深く探求する事で人間的にも一歩成長出来るように思います。 

 

 

・知識を得ることと体験することの違いがわかってればこんな発想にはならないと思うけど、無駄を嫌う人はそういう思考なのかな。 

現地に赴いて体験した後に取捨選択されて残った記憶は行かなくても得られる知識だったりするかもしれないけど、捨てられた雑音は無意識下の記憶に残り続けその中には後の行動に影響することもあるし、その雑音が人の厚みにもなり得る、それが体験の意義だと思います。 

こういう十把一絡げにして論じることも含め、知りたいことだけを知っていれば良いという事こそ薄っぺらく思えるし、ディベートでよく論点をすり替えるのは要するにそれ以上の知識を持ち合わせていないからかなと妙に納得もしてしまいました。 

 

 

・他の記事でインド旅行による価値観の変化を題材にしたマンガ作品のことが紹介されておりますが、それのことですかね。 

 

>ふつうに日本にいるだけでも、海外にこういう人がいるっていうのは知ることはできるので。情報収集能力と観察力のない、…… 

 

日本に居ながらにしても「海外にこういう人がいる」という情報は得られますが、それに対する観察や解釈には個人差があるのかなとは思います。 

情報によって自分にはない知識を補完するわけですが、実際に海外経験がある人はそのときに答え合わせをして考え方のキャリブレーションを受けることになりますので、海外経験がない人とは補完の精度が違います。 

 

>薄っぺらい人が海外に行ってショックを受けるのかなと思いました 

 

補完がずれておれば、現地に出向いて答え合わせをしたときにカルチャーショックを受けるわけで、そこで考え方をキャリブレーションすることで価値観が変わります。 

 

 

・ネットで情報を知るのと実際体験するのは違うんだと思います。 

海外旅行に限る必要はなくて、つまりインパクトのある体験をしたら人生観が変わりやすいってことでしょう。 

身体を壊すと健康のありがたみがわかったり、未体験のことをしたら視野が広がったり。 

インドで人生観変わるという人が多いのは、日本とはかけ離れた環境でカルチャーショックを受けるからじゃないかな。 

 

 

・薄っぺらい部分はインターネットとかでも情報収集できるけれど、空気とか匂いとか、食べ物だったり衛生観念だったりは実際に現地に赴いて体感しないとわからない。善し悪しはあるけれど。 

○○料理とか日本でも食べられるものはあるけれど、日本に輸入できる食材を使って日本人好みに寄せて、日本の衛生観念や法律に基づいて提供されるものだから、実際に現地で食べるものとは似て非なるものだったりするんだよ。 

体感や経験って大きいと思うけどな。 

 

 

・最近、ひろゆきさんの旬が去った気がする。なんか、コメントにパンチがないというか響かないというか。個人的には、海外旅行をしたり、海外で暮らすことは人生観を大きく変えうる経験になると思ってる。 

 

 

 

・同じ目的地に行くにも手段が異なれば得られる情報は異なる。移動手段だけでもストリートビュー(?)、徒歩、自転車、バイク、車、電車、飛行機がある。 

一人か複数人か、フリーかツアーか。 

特に一人旅で初めてのインドであればその経験は当人にいつまでも影響を与えるだろう。 

海外在住のこの人から見れば「あいうえお」を覚えた程度なのかも知れないが、インドに行った方にとっては大きな成長だったのかも知れない。 

 

 

・チェゲバラは南米放浪の旅で人生観を変えてキューバ革命へと繋がった。旅に出て未知の体験を味わうことで人生が変わる人なんていくらでもいる。この人がなにをもってそういう人たち全般を見下しているのかは知らないが、ボブディランは小説「路上」で人生を変えたと語っていたし。迷ったら外に出ても全然あり、寧ろ行きにくさを感じている人には、今の狭い世界より自分にあった世界が見つかるかもしれない。人生は一度きりだ、こんな炎上狙いの人の狭い了見に耳を傾けず、自由に生きたら良い。 

 

 

・いい年を何歳ぐらいを指してるのかはわからないが、30代、40代、50代ではほとんどいないでしょう。自分の若い頃を思い出しても悩みもあったし、経験してみないとわからない事もある。その中でインドに行く人もいるでしょうよ。歳をとれば、インドに行ったぐらいで人生変わらない事はわかるけど、若い人じゃ、いくら情報社会でもわからないでしょう。それが若さであり良い所でもある。そんな道に進まない方が良いのにと年配者は思っても、突っ走って行く若者はたくさんいる。中年もたまにいる。だから人って面白いし、そんな人の中から面白い人がまた出てくる。 

 

 

・実際行ってみてわかることは、年齢に関係なくあると思うが。 

空港の匂いや雰囲気。不親切な職員。 

日本国内で観る映像ではなく、現地に行くと、 

100%アウェイだ。 

あまりのアウェイさに、むしろアウェイさを感じないことすら、ある。 

その土地の時間の流れはその土地独特のもの。その流れに抗うことなく馴染むことの難しさを経験することも、よいことだと思うが。 

 

 

・別にひろゆきもネットも否定しないけど、ネットで得た情報だけでわかったような気になっている人の方が薄っぺらいとも感じます。ネットで得られるのはあくまでも情報。現地に足を運んで得られるのは実体験。不便さや匂いや味、人との触れ合いも含めて、すべてが生々しく自分に刻まれる。一人旅だと誰かといるより感度が研ぎ澄まされるからなおさら。インドとかに行って人生観変わる人も否定はしない。人はこうあるべきとガチガチに凝り固まった日本で真面目に生きてきた人なんだと思う。海外で、日々の生活と生きることの距離が近い人々をみると、肩の力が抜ける気がします。 

 

 

・行ってみなきゃわからない場所には、そのパワーとか波動というかオーラや現地の人たちの逞しさや価値観など、情報収集では得られないものがある。 

実際に違った環境で何か感動したことがあり、元の家に帰ってくる、価値観が変わったりする。 

まあそれもしばらくいつもの日常に慣れれば、いつもの生活に戻ってしまうし価値観も元通りになってしまうんだが、人間は定期的に新しいものや環境に身を置かないと刺激がなくて心の歳をとる気がする。 

 

 

・情報を知る事で相応の判断力があれば回避できるかもしれない重い!痛い!事等があるならわざわざディープなw体験する必要もないよね?と言う事じゃないのかな経験しなくてもよい事はあるしな、そんな事で無駄な時間使って大怪我したり命を失う綱渡りをするのは嫌だw。 

だけど、同時に実際やってみる行って見る事でそうして良かったと思える事もあるかもしれないので、面白そうな事なら足元見つつリスクをなるべく最小限にしながら実際やってみたいとは思う。 

 

 

・ただ情報収集するだけなら 

昔から新聞でも雑誌でもテレビニュアンスなど 

いくらでも転がっていたし 

あとは観察力なり察知して学ぶことは出来るかもだが 

 

それは机上の論ってわけで 

知識として知ったかも知れないが 

体感はまた違う感触があるわけで 

単純に歯医者のアピールで無痛治療を知ったと 

痛くないんでしょと歯科医に確認したら 

麻酔打つ時は多少痛いやら 

神経抜くとなれば麻酔効き切れなくて追加する羽目になったり 

それを話しと違うじゃないかと言っても 

この世に完全無痛治療なんてありゃしないは 

やっぱり体験して始めて知るもの 

 

多分人生の自分探しだの 

よくインドは行ったら人生変わるよとか 

ある日本人的な昔から言う感覚があるけど 

それをあたかも得意気に言ってくるタイプに 

イラっと嫌悪感を抱くんだろうな 

 

浅はかに知ったようなこと言いやがって 

いい大人が自分探しとか言ってる場合かと 

論として許せないんだろう 

 

 

・体験や気付かないと人生観に影響を与えにくいと思います。異なる文化を五感で感じ、実際に目で見ると色んなことを感じとると思います。 

そして旅先では予期せぬ出会いをする可能性もありますので、動くことは大切だと思います。 

スマホ見てても、そこは気づけないと思います。 

 

 

・『今まで生きてきた結果が今の自分を作った』に満足できないから『自分探し』をするわけで、インド行こうが哲学や心理学の本を漁るのだっていいわけ 

それが受動的ではなく能動的に自分を作れると感じられるなら何でもいい。 

結局どこかで生きていて周りの影響を受けるだけだと感じたら、つまらなくなる。自分からなにかしてなにか確信を持てるものが欲しくなる時があって、それが自分探しになる。 

情報収集にしても観察力にしても自分の価値観で取捨選択しているんで、その価値観を見直したいのが、本性だと思う 

 

 

 

・海外在住歴3か国計10年あり、インドは3回で計2ヵ月ほど出張して、ついでにガンジス川などに行ったことありますが、正直、人生変わるほどの衝撃は受けませんでした。慣れの問題ですかね。 

 

でも、ひとつ思ったのが、インドを観光旅行している日本人が他の国を観光している日本人とちょっとタイプが違うなと。インド行って人生変わりたい人が行っている印象があります。 

 

インドに行く人は日本社会では上手くやっていけない組織行動にはまりにくそうな我が道を行く人が多いよな、と友人に言ったら偏見と差別だよと苦笑されました。 

 

 

・自分も昔、貧しい時代の中国で衝撃をうけた。路上で子供が大便をし、2畳の物置(高さ1mくらい)に大人3人子供一人が住んでる家族。電車内を歩き回る物乞い。タクシーを降りると物乞いが金をくれを手を差し出してくる。黄砂なのか何もかもが砂ぼこりだらけ。物置家族はその後普通の部屋を借りたがシャワーがないという。日本人は相変わらず豊かでなによりだが、貧しくても子供は育てられるという教訓だけでも人生にとって重要だと思う。 

 

 

・ま、昔は色々あったと思うよ。インドぐらいになると、40、50年前はまだ訪ねていくことで違う価値観を目の当たりにすることも多かったと思うし。 

俺なんてバックパック背負って、真冬の東北と北海道をひとり旅するのが好きで、大学時代は彼女も放っておいて毎年行っていましたけど、ずっと親元で暮らしていた甘ちゃんだったからね。同じ日本国内なのに、人の優しさとか文化の微妙な違いとか、都会にいるとあり得ない風景とか、得たものも多かった気がするな。 

 

 

・学生時代に、東京で暮らすのと全く同じ感覚でパリに行ったら色々失敗しました。家の作りが違うし地図よくわからないし言葉も通じない。 

 

一回体験することで得られることって、いっぱいあるように思います。 

 

 

・これは理屈じゃなくて体験の大切さだと思う。国内一人旅でも十分、自分を客観視する目や自分の本当の求める生き方を考える切っ掛けにもなる。 

別に海外じゃなくても良いと思うが、文化や価値観の全く異なるところは、それだけインパクトは大きいかも知れないが、当然それだけ色々危険のリスクもあるだろう。 

ただ、大切なのは情報や文化を知る為というより、今まで当たり前だった自分という存在が一人称視点から俯瞰視点になる経験や、頼れるのは自分だけという状況は等身大の裸の自分を観ざるを得ない事や自分を信用出来る様になる事の貴重な体験。 

まだスマホなんてなかった時代の体験だから尚更だったけど、出来るなら緊急時以外はスマホ断ちした一人旅は、一度は経験する意義はあると思う。 

ただ、こんなご時世だから国内でも十分だと思うし、知らなかった日本の良さも発見出来るだろう。 

 

 

・知ることより体感することって楽しい。それでいいじゃん。行ってみて人生変わったらそれでいいじゃん。 

2ちゃんねるっていう人に話すにはくだらないとことか話すと友達なくすかもってことを匿名で語れて情報収集もできて、そういう一つの社会をあってもいいんじゃないか?にした人よ。そういうのを面白いとか欲した人よ。いわゆる経済的に成功してるからってみんなそういう人の言う事正解だと思いすぎ。 

 

 

・ひろゆき氏もまた米国留学を経てそれまでの価値観が変わったのではないだろうか? 

異文化体験は、多かれ少なかれ人を変える。その中でもインドは強烈な場所で、あらゆるものがあからさまなのだ。 

東京の街は静かで匂いもなく清潔で交通機関は時間通りに運行される。 

インドの街は真逆で混沌や雑然の中にあり、犬や牛だけでなく人も横たわるモロ見えの格差を旅人にも隠さず見せてくれる。 

若い旅人は面食らうだろう。 

JKも価値観が変わってしまったし、 

若き沢木耕太郎も一夜の相手に老女のような少女を紹介され驚くのだ。 

そうしたインド体験は東京での生活にも時折顔をだす。 

お前だって薄汚れた人間にすぎないなどと。 

そんな自分に会いたくないならインドには行かない方がいい。 

 

 

・自分探しとか自分へのご褒美とかスピリチュアルに関心がある人の共通項は自分は特別で何か救済措置がどこかに有るはず、という思い上がりが有ると思う。 

貴方は特別でも何でもなくてごく一般の普通の人という事実を受け入れたくない幼児嗜好が抜けないだけ。 

でも一般でもいいんじゃない普通が一番楽しいし、美味しいと思うんだけど。 

 

 

・リアルかバーチャルか。 

現時点では触覚と嗅覚と味覚は脳ミソの経験則に多くを委ねなくてはならないので、皆さん仰有る通り実体験に勝るものはないですしインスピレーションも比べ物にならないでしょう。 

 

アタマだけで情報処理して知ったかぶりしても其こそ薄っぺらいですぬ。 

 

勿論、脳ミソにチップを入れる時代ですので、いずれ仮想と現実の区別がつかなくなるでしょうし、そこまで行き着いたらもはや人間と言う生命体では判断しかねると思います。 

 

 

・おそらく180度変わった人は、自分の中でモヤモヤしていた点や自分にとって重要な、想像を超えた気づきがあったのだと思うので、人によってはあり得るに決まってると思います。個人的に思うのは、ネットから得る情報はかなり断片的で様々な情報から繋がりを想像する必要がありますが、実体験は物事の繋がりがそのまま情報として入る感じがあるので全然質が違うと思います。震災の被害にあったことないけどネットで調べたからわかると言ってるようなもの。 

 

 

 

・グッドウィルハンティングという映画で、瞬間記憶能力を持つ主人公が本で読んだ知識で人をこき下ろすので、精神科医が「君はなんでも本で読んだ知識を披露するが、例えば礼拝堂に行ったことがないからそこの美しさや匂いはわからないだろう、愛する人の隣で目覚めることがどんなに幸せなことかわからないだろう。『君の幼少期の辛さはわかるよ、だってオリバーツイストを読んだからね』と言われたら君はどんな気持ちになるか?」みたいなことを言って、経験しないとわからないことがたくさんあり、「本の知識だけでわかった気でいる君は虚勢を張る子供にしか見えない」と言う場面がある。(言葉は要約しています) 

私は海外に行くことが好きだけど、おつりの端数を飴で返す国や、並ぶ文化がない国。お金の管理をしっかりしないと銀行ですら信用できない国なんて、ネットには書いていなくて現地に行かないとわからなかったよ。 

 

 

・ざっとコメントに目を通すと、テレビなどで見た光景と実際に行って体験したことには差があり、自分はそれで人生観が変わったという感じの論調が多いようですが、現在の自分はそういった体験に根ざしている部分もありますが、それはその人の行きてきた軌跡のごく一部に過ぎないのではないかと思います。 

 

ひろゆきはそこを鋭く言っている訳であり、人が体験できる総量は、世界の複雑怪奇な事象のたったの0.000000001%に過ぎないことを理解していれば、日常での様々な思考や体験の積み上げの方が、累計としては人生におけるその人の今の形に大きな影響を与えていると思いますよ。 

 

従って、私は「自分探し」と称して、単に広く浅く諸国を歩き回るのはどうかな?と思う派。学術的な見地からアフリカの奥地で現地人と数年の交流をするなどの体験等は、これは全く別の話ですが。 

 

こうした感覚は、齢を重ねないとなかなか実感できないと思います。 

 

 

・これは言ってみないと味わえない事です。確かにスマホでも見られます。恐らくひろゆき氏ほいかにお金をかけずに生きて行くことが大事かを割と訴えてる所が多々あるので、この場合スマホでインドの事、行った人の話を見ればそれで十分って事でしょう。でも時にはこうやってお金使って現場まで行くことで得られるモノも有るって事もあるって事でしょうね。まあそれが無駄かどうかはその人その人によるかと。まあひろゆき氏の言う事も分かるんだけどね。割と底辺から伸してきたりしてるからね。 

 

 

・行っただけで人生が変わるなんて場所は世界中探したってほとんどない「インド行って人生変わった」と言う人は多くいるけど、そういう人たちはインドでの経験が人生に大きな影響を与えた事を一言で「インド行って人生変わった」と言ってるだけで、インドに行っただけで人生が変わったわけではないのだから、実際に現地を訪れ多くの経験を積むのとネットで情報を集め観察するのとでは大きな違いがあると思うよ 

 

スポーツ観戦やコンサートなどのライブイベントが好きな人ならわかると思うけど、生中継であっても現地で実際に見るのと比べればどうしても見劣りしてしまうし、ましてやそれが録画映像で後から見るのでは内容や結果を知らなくても熱量は全くの別物になるのに、情報収集と観察で実際に体験した事と同等の経験を得られると考えるのは自分が経験してきた事が薄っぺらかったからなんじゃないかな 

 

 

・「自分を変える」と「自分探し」の「自分」は、「自分」という存在に対して外部から手を加えることができるようなものとして述べられている。自分という存在はそういうものではなく、常に誰よりも近くにいる。だから、どこかに探しに行くようなものではない。「変える」のも普段の心がけやちょっとしたきっかけでできること。 

 

 

・行ってみないと分からない事ありますよ! 

インド行った時、ダメージデニム穿いて歩いてたら 

現地の人に止められて 

『何で、こんな破れるまで穿いてるの?』と爆笑されて 

『カッコイイから』と言ったら 

周辺を歩く現地の人達を止めてまで 

私のデニムを説明して、みんな爆笑してました。 

『こんなのが、面白いんだぁ〜』と思って何だかホッコリしました。 

本当に人生観変わるのかなぁ?と思って行ったけど思ってた以上に町が汚くて衝撃を受けたぐらい。 

あとカレーばかりで他の物が食べたくなってマック行ったら 

ナゲットのソースがカレーしか無かったのがショックだった。 

 

 

・番組見てないけど、「知る」と「感じる」は大きく違うと思う。 

旅行する人は、知るではなく感じたくて旅をするんだと思うよ。 

知るだけでいいなら、お金を払って旅行なんて行く必要もなく、誰かの動画見てればいいって事になる。 

インドなんて、それこそネットやちょっと調べたぐらいじゃ載ってこない、現地の人に教えてもらわなきゃ知らないディープな部分も沢山あるでしょ。 

 

 

・たしかに東京に行ったら変わる、海外に行ったら変わる、といろんな知人がいたが、数年後帰ってきたら、何も変わってなかった。 

自分以外の未知な何かが自分を変えてくれる、と思っている人がいる。 

幼稚な羨望としか思えない。 

確かに経験値を増やしたり、住む場所を変えると変わるレンジは拡がると思うが、自分のコンフォートゾーンが変わらない限り、結局人間的にはほぼ変わらず、変わった気がしてる人になるだけだと思う。 

 

 

・インドの貧富の差が激しいことや、夏の暑さが厳しいこと、決して衛生状態がよくないこと、物乞いがいることなどは現地に行かなくても知ることはできる。 

でもそれは、頭でっかちな表面の情報では? 

 

音楽でも絵画でも、今どき現物と遜色ないクオリティの写真や印刷、動画を観ることができる。 

むしろ、観客で押し合いへしあいせずにゆっくり、何なら拡大したりも。 

でも、ナマの迫力は実際に対峙しなくては感じられない。 

同じことが旅先でもいえると思う。 

 

現地で感じる熱気や湿度、臭い、雰囲気と現地の人たちとのふれあい。 

少なくとも現代の技術では、それらをイメージすることはできても完全に体感できないと思う。 

よって、インドに行って人生観が変わることはあり得るし、それはネットでは適わない迫力があると思う。 

 

 

・それまでの人生が今の自分を作ってるのは確かです。 

 

でもその自分に違和感を持ったまま生きてたとしても不思議じゃないですけどね。 

違和感の正体が何かってのが自分探しって表現してもそれはそれで的外れとも思わないですしね。 

 

行ってみてそれまでの自分がやはり自分で違和感はただの思い違いだと気付いてもそれは自分探しだだし全く違う自分の価値観に出会って自分が変わるのも自分探しの結果でしょう。 

自分で自分の全てを理解してる人なんてまず居ないし自分の思ってる自分と他人から見た自分にギャップがあるなんて人は幾らでも居ます。 

 

そのギャップの正体って自分だけじゃ分からないし年齢重ねるまでギャップに気付かない人だって居ますよ。 

気付くにも周囲の人の協力や逆に反発が無いと分からないですからね。 

 

 

 

・ネット検索で何でも情報が集められるからって、現地での体験や見聞を上回るものでは無い。自分の体験こそが貴重です。その意味でひろゆきさんには同意できない。でも、自分探しってカッコよく使いたいと思う人が多いようだけれど、自分なんて探して見つかるものでは無い。今ここに、自分がいるということを見つめることができないから、逃げのように別の自分がどこかにあるから探したいといっているに過ぎない。ここはひろゆきさんに同意。 

 

 

・私は自分探しって苦手な言葉なのでちょっと難癖付けたい気持ちもわかる 

異文化圏での暮しはユニークだし人生の糧になるだろうけど自分って何処にいても自分でその存在は特別大層な訳じゃない 

ガンジス川の遺体焼いてる隣で洗濯してるの見ると生死の境界線の曖昧さを大事に育てられてる日本人の若者にはいい経験なのだとも思うけれど 

 

 

・ひろゆきらしい発言だなー。 

言われてみれば自分も「インドは強烈で人生観変わる」みたいな都市伝説的な話を聞いて行ってみたけど。YouTuberも大袈裟に語っていたりするけれど。 

広大な国内、文化や特色、気質、気候とかは違うけど、人生変わるほどでは無かったな。 

まぁ、旅経験が少ない初心者発言だと寛大に受け止めてあげてもいいんじゃないかなとは思う。 

 

 

・インドの南のカニャークマリの方からボンベイに向かう電車の寝台席のチケットを取って、座っていたら、出発後の車内での切符の改札の時に、車掌から驚きの事実を告げられた。 

 

「あなたが乗る列車は本来、明日の便である」 

 

当日の消印のある切符で、普通に買って、指定の席に座っているよな、と意味が分からず固まりました。 

 

理由を聞くと、前日の列車が1日遅れて、今日出発しているから、とのこと。 

 

1日遅れた列車を、次の日に振り替えるのかよ︎って驚きつつも、どうしたら良いのか、と聞いたら、どうにもならないから、このまま乗って行ってよい、この席の乗客には他の空いている席を回すから、とのこと。 

 

普通の対応に更に驚きました...。 

 

小さな出来事であっても、自分の価値観や常識と異なることが起こった時、少なからず人生に影響はある、と感じます。 

 

ひろゆきさんの意見はそれこそ薄っぺらいのでは?と感じました。 

 

 

・切り取りされてるから、ひろゆきの真意がわからない。その前後に甘ったるいこと言ってたんじゃない?インドに行って変わったなんて、一時的にそんな気になってるだけに見えて、何も変わって無かった人にみえたのでは? 

ちなみに私は50代で自分の才能を見つけて、今は自分の力で楽しく自活できるので、毎日が充実してる。サラリーマンは才能が無い人が、言われたことをこなしてお金をもらうことで生きる術だから、脱却したかった。 

50年以上かけて自分探しして、才能を見つけてからサラリーマンやりながら準備して、副業として何年かして退職した。 

私みたいな人には、ひろゆきもいい歳してとは言わないと思うよ。 

その方が、インドでどう変わったのかは知りたいね。私もインドには行きたいが、怖くて行けない。仕事とか、修行とか生活とか何か変化したのか知りたいけど、動画があるのかな? 

その方には少し興味はある 

 

 

・確かに、「自分探し」っていう言葉を臆面もなく口にする人って延々とそれを続けている気がする。で、結局は「自分」が見つかるというよりは「一人旅が好きな人」的な、所定のフォーマットの枠内に収まっていくという印象もある。 

 

ただ、それはそれとして、実際に現地に行って経験するのはスマホやPCで擬似的に体験するのとは全然違うので、現地に行くこと自体が全く無意味とも思わない。 

 

 

・批判する事でもないと思う。行ってみなければわからないことはありますよ。私は一度しか海外旅行行ったことありませんんがフィリピンにいったとき国の匂いってあるんだと実感しました。国内においても私が山形勤務になった時、電車内で若い子がわからないほどの方言で話しているだけで衝撃でしたし、凄く身近な人に親切なのも東京と違いました。行ってみて自分がその体験をして実感する。これはごく自然な事。これらを感じる感性がなかったり、ネットでわかるでしょ?と批判するほうが私は薄っぺらく見えてしまいますよ。まぁ、それはひろゆきさんの感想なので、それも批判するのは違うのかもしれませんがね。 

 

 

・いや、全くそんなことありませんよ。 

 

自分の目で見て体験するものは、頭や知識とか、そういうものをずっと超えてるものなので、個人的に一番重要なものとは、生の目で見た体験であり、それは大きな経験値だと思います。 

 

それによって、その人の気力までが左右されるものでしょうから。 

 

 

・まあでも単に動画で見るだけなのと実際のその場に行って自身の目で見て感じるのは違う。地震の被災も動画で見るだけと実際に被災地に入って感じるのは本当に違う。なんていうか衝撃が直接入ってくる感じ。なので逆に動画だけ見て分かった風になってるのも、それも現場で感じた経験ないのかなーと。そういう経験で違い分かった上で、動画から想像する力身に付けるのは大事なんだけど 

 

 

・例えば写真や動画で観る風景を実際に現地で生で体験すると感動の大きさが本当に違う事ってある。 

画面越しに伝わらない感動や体験はあると思う。 

 

 

 

・確かに、いい年して"自分探し"を続けている人には、何らかの思考の欠陥があるのかもしれません。 

 

しかし、現代社会では様々な価値観を許容し、寛容であることが求められています。ひろゆき氏の率直な意見は耳の痛い部分もありますが、時に我々に新たな視点を与えてくれるのです。 

 

彼の発言は世間を刺激し、人々に自問自答させる効果があると思います。多様性を認め合いながらも、お互いを高め合う建設的な議論が重要だと考えます。 

 

 

・ネットで読んだ情報だけの知識を誇り他人を見下す人が一番、薄っぺらいと思う。 

現地の匂いや日差しの温度をネットでは体感出来ない。 

現地に行く事でパソコンの画面に映らない部分を見ればより多くの情報を得る事が出来て頭で考えるだけじゃなく心で感じる事が出来ると思う。 

 

 

・東京生まれの人の悪いところは、情報が入ってきやすい環境ゆえ、なんでも知った気になってるところよね。ひろゆきもそういう気が色濃く出てるよ。実体験に情報収集能力や観察力はあんま関係ないよ。実体験主義に陥るのも退屈だけど、実体験を交えたエピソードを、想像力がないと一蹴するのはむしろ経験不足を感じる。ひろゆきだって海外暮らしの経験がいくつかあるだけに残念な話だ。自分の人生観を変えてくれる経験なんてのは人それぞれなんだから、頭ごなしにそれを否定してる時点で想像力もないし、経験も浅い苦労の足りない人間とわかっちゃうよ。 

 

 

・ネットや書籍だけで理解したつもりでも、やはり自分の行きたい国に行って文化や自然を直接感じないとわからない事も沢山ある。人それぞれだから構わないが、ネットで得た知識よりその地の空気を感じるだけでも意味があると私は思います。 

 

 

・こういう人がいてこんな場所があるってわかってるけど現地に行くと全く違う。情報収集じゃ思い出にもならない。自分探しいいじゃん。いい言葉。ひろゆきが発言するとバカにする人が増えるからやめてもらいたい。いい年してっていうけど人に迷惑かけてるわけじゃないしその人の人生で思い立ったのがその時だったんだよ。新しいことが発見できるから旅はたくさんしたい。 

 

 

・エジプトとかサハラ砂漠とかも良くそう言うけど、インドはガンジス川で洗濯とか風呂とかなんでもありなだけで、ビジネスで行く日本人も多く、あまり衛生的でなく、人口大国の中国人のように偉そうな態度だって知り合いが言ってた。 

日本を離れて人の大切にされる度合いが全く異なる事に気づいたのかもね。 

日本ならバリアフリーとか障害があっても対応してもらえるが、 

インドなら放置されて生きるのがやっとなのでは?街中でそういう人をみたのでは? 

まあ実際に体験は大切な事。 

本人の自由だしそう思ったのならそれでいいのでは? 

ネットでもVRでもわからないし。 

 

多分薄っぺらいというのは 

人口が多い国なら普通の事だから 

考えたらわかるでしょっと言う事をいいたいのかも。 

 

 

・実際に体験することの意義は言うまでもないけど、結局ネットや文献を通して得られるのは「著者が興味を持った事柄」だけなんよな。興味関心の方向性は人によって違うから。 

 

ただ「自分探し」には同意出来る。誰かとつるんだり娯楽に浸り続けてるから知らんけど、日頃から自身と向き合う時間が足りてないんだと思うよ。 

 

旅をしたり色んな経験をして刺激を取り入れたいのは分かるけど、その刺激に左右されて人生観変えてやろう、てのは少々他力本願に過ぎるかな。 

 

落ち着いた環境でじっくり自分を見直して決めないと、また困難にぶち当たった時に「自分探し」始めることになる。 

 

 

・いや、かわりますよ。この人は自分の足でインドを歩いたこと無いのかな? 

まあインドに限ったことではないですが、その日を生きるためには必死にならないといけない国はまだ沢山世の中にはあると思います。 

日本にいるとそんな生き方をしている人は少数ですが、インドには沢山いました。 

あの熱気は凄かったですが、日本に生まれてよかったということを認識できたのはインドに行ったからでしょうね。日本にずっといたら当たり前過ぎてわからない感覚だったと思います。 

 

 

・自分もインド出張で2009年の一月半、長期滞在しましたが本当に人生観が変わってしまいました。 

今のインドとはまた違うかもしれませんが。 

グルメなら体験の価値はあると思うし、せっかく勉強した英語を生で使ってみたいなら使えるから行ってみては? 

 

 

・百聞一見に如かずって言葉を知らないのだろうか。失敗は成功の母である。 

私は本が好きでよく色んな本を読みますが、どんなに人から色んな話を聞こうが経験に勝るものは無いと思いますが。実際に行ってみたら違ってたりもするのでしょう。五感で感じる事も大切です。 

 

 

 

・今から40年近く前にインドに行ったけど、やはり、強力な刺激がありましたよ。匂い・埃っぽさ・日差し・沐浴する人たち・生死・貧富、頭や情報で知っていることと体験していることは違います。グルメ本を読んで料理を食べないのは勿体ないし、恋愛小説を読んで恋愛したつもりでいるのも全く違うと私は思います。 

 

 

・現地行ったら違うだろう流石にね、逆によ、別に人生なんてどこ行っても変わると思うけど、ネットの情報を収集して変わった人生のがよほど薄っぺらいやろ。 

なんか、最近はひろゆきみたいな人増えたから最早ひろゆきの意見がもの珍しくもなくなってしまったな。コスパとかタイパとかばかりで一番大切な経験値を得られてなかったりするよね。 

 

 

・この批判に対してはフィールドワークが大事なんだという反論が多く出るだろう。 

インド旅行で人生変わってシアワセになれたら誰も苦労しないよというのと同じで部屋にこもってメディアに頼って全部わかったら苦労しないよって話になるからである。 

 

個人的には「インド、インド!」と錦の御旗にしたがる人には「なんだな〜」という感想を持っているが。昔でいうヒッピーとか現実逃避したい人が、現地で生活費を稼ぎだす気もなく気楽な旅行者として自由なり開放感なり味わって気持ちよくなって、現地の生活を見て「人間、日本社会の窮屈な生き方しなくたっていいんだ」と自己暗示にかけて安心するだけの人が多いような気がする。それだとテキトーな自己啓発セミナーのカラ元気と変わらない。 

 

 

・まあ、ひろゆき氏の言いたいこともわからないではないが(要は言い方が大袈裟って言いたいんだろうけど)、やはり現地行かないと感じられない体験は多いよね。 

自分探しとか言う人には確かに薄っぺらい人が多いけど、中には開眼して大した人になっていった人も見ています。 

視野が広がることは間違えないので、1ヶ月でもいいので、若者には海外での経験を積んで欲しいでさ。 

 

 

・海外に行くと日本では経験できないもの、見ることができないものは沢山ある。 

ネットの発達で情報量は一桁、二桁多く入手できるが、経験とは違う。 

海外に行っても何も得られない人もいるし、人生観が変わる経験をする人もいる。 

 

 

・もう少し広い心で見てもいいのでは、と思った。 

確かにひと昔前に比べて、SNSの台頭で庶民にも海外は身近になったし、海外に住むことも珍しくなくなった。居住している人からすれば、住もうと思えば住める場所を、勝手に特別視したり人生観を変える場所にしたりするのは滑稽だとは思う。前に、新宿歌舞伎町生まれの地元の人が、自分にとっては単なる生活場所なのに、色々な人が勝手に「魅惑の街」みたいな形容詞や魔物が住むとか、物語の舞台になったりとかしてるって言っていたのを思い出した。 

だから言いたいことがわからない訳じゃないけど、人間、環境を変えることでリフレッシュするいいきっかけになることも確かだと思う。受けた刺激をその国が特別だからだと盲目的に錯覚するのはまた違うけどね。 

 

 

・世界放浪に出かけた同級生がいた。意味はあったが、それで世界観や人生観が変わるほどでもなかったと。 

 

関連して「自分探し」の不思議。 

「自分とは何か」なんて、しかめっ面で内省しても答えは出てこない。「ヒトは他人のなかに鏡を持って生まれてくる」と言う。自分の言動による相手の反応をみて、自己認識している。人は周囲の人間との相互作用から、どんな人間になるかが決まるのではないのか。社会とのかかわりの中で、なりたい自分がみつかるのではないか。 

「自分探し」とやらの答えは自分の中にはない。今の自分を肯定できなかったら、環境と習慣を変えることだ。そうすれば、自分の人生の舵取りができる。そして、志を持って人と交わったらよいね。 

 

 

・人それぞれじゃん。 

人生変わるかは個人の経験や感受性によるんだから。 

コスパ悪いとかアタマ悪いとかどうでもいい感想は自分の了見の大きさを問うてるだけに見える。 

自分探しの旅って言葉の甘さが嫌なんだろうが、自活してる前提で自ら新しい事にチャレンジするのは結構な事だと思う。歳とっても自分はこんな事が好きだったんだ、こんな事ができたんだ、って思えるのは素敵。 

個人の行動をアタマ悪いと断ずる事の方がよほど素敵じゃないし社会の役に立たない。 

 

 

・俺は休みの日は基本的に家にいるし、外出といっても買い物以外はカラオケくらい。 

だから通勤周辺の事しか知らないし、旅行したいとも思わないし、知らないところのことを知ろうとも思わない。 

でも、逆に旅行行ってる人は羨ましく思うし尊敬する。 

じぶんには出来ないことをしてるから。 

 

ひろゆきは、人生変わったという人を見下してるのはあるけど、反面で劣等感があるんだろうなと思う。 

ひろゆき自身、人生変わったと思える瞬間がなかったから、感銘を受けてる人のことに対して嫉妬してるだけ。 

 

見下してるだけなら、わざわざ取り上げて批判するってことはしないだろうし。 

 

 

・スマホでは分かる情報は無限にあるんだけど 

味、匂い、雰囲気などは体験できないんだよね。 

もちろんスマホの情報だけでも満足できる、判断材料にはなるがその先へは届かない。 

ひろゆきはスマホの情報だけで満足できる人だからそういう考えなのです。 

別に悪くはない。 

 

 

 

・衝撃の受け方ですよね。 

確かに情報あるのに行くまでわからないのか、 

って言われるとそのとおりですが、わかってはいても、大多数の人間はそこまで想像力とか実感力は無いですよ。人間のほとんどは薄っぺらいのではないかと。実体験することで薄さが少しでも厚くなった、と言えば、前向きに聞こえるのですがね。 

 

 

・ただただネットで見て、或いは知識として知っている、と渡航経験がある、だとそもそも価値の軸が違うように感じます。 

資産的な価値≠経験による価値 

という構図で、まして個々の主観を変えうるのは有りふれた情報ではなく実際に現地に赴いて得られるインスピレーションや、生活の体験によるものが大きいと思われ、それだけでその方の能力を測れないです。 

ひろゆきさんはすでに海外在住でその他の国への渡航経験が沢山お有りになられるので、海外にちょっと行ったくらいで大袈裟に言い過ぎだ、という視点から論理的にこの方を貶したいだけかと。。 

 

 

・実際に体験してみないとわからないことって沢山あると思う。 

いくら情報収集しても想像と現実の差異はあるので、そこで感じたものが自分に影響を与え、大なり小なり価値観が変わり人生観も変わるんじゃないかな? 

 

私はひろゆきさんの言う「薄っぺらい」方の人間だが、私からすればそう言い切れるひろゆきさんみたいなタイプの人間の方が薄っぺらい勘違い野郎に思えてしまうかな? 

私にもっと高い情報収集能力があればまた考え方が変わると思うんだけどね。 

 

 

・25年前にインドに行って感じたこと。いわゆるバックパッカー目線。 

川辺で本当に火葬してた 

日本円がどこでも両替できた 

日本パスポート最強 

シャワーをひねると10秒くらい茶色い水が出てくる(もちろんお湯ではない) 

野良犬が多い 

意外と下痢にならない 

汽車でオナラをする人が多い 

などなど書ききれない経験をたくさんした。 

価値観が180度変わったと言えばそうかも。 

 

言い換えると180度視野が広かったということかも。 

 

 

・海外旅行ではないが、仕事においては、「現場に行く」ということは非常に重要なことである。 

これは、おそらくほぼ全ての業種に対して成り立つようであるし、また国内海外を問わず常識のようである。 

現場に行けば、机上で考えていることと違い、何らかの気づきはあるものである。 

この方はインドまで行った。そして何かを感じるところがあった。 

机上で観念的に他人を批判しているひろゆき氏より、ずっと良いのではなかろうか。 

 

 

・イギリスで行列に並んでいた時にピエロがいた。並んでる人を飽きさせない為に色んなパントマイムとかやってたけど、通行人に後ろから近付いて背中に指を当てたら通行人の人はビクッとして振り向かずに両手を挙げた。 

これ日本にいたら絶対に見られない光景だと思った。日本人なら振り向いちゃうよね。その瞬間に初めて異文化に触れたと感じたよ。 

 

 

・インドに行っただけで、安易に人間性の改造や人生のミソギをしてナニガシかになったような、自己満足的な自信をよりどころにしている奴は自分も嫌いだけど。 

 

いくつになっても人間には柔軟性があって、ショック療法も時には有効なのも事実。 

 

それに人間の仕組み上、意識しているものしか観察できないということがある。 

 

極端に違う文化圏では、否が応にでもあさっての方向から問題が降りかかる。 

 

考えもしない、思いも寄らないレベルの不予測性が異文化の魅力ではある。 

 

 

・故郷の老人ホームから電話があり、部屋を移ったばかりの祖母が元の部屋に戻りたがっていて、理由もわからず困っているとの事。 

 

間取りを送ってもらうと全く同じで、むしろ新たな部屋は南向きで日当たりも良い。 

電話で祖母にその事を説明したが、納得しない。 

 

らちがあかないので、休みの日に飛行機と列車で5時間かけて老人ホームまで行ってみた。 

 

確かに間取りは同じ、日当たりは新しい部屋の方が良い。 

 

しかし、窓の外が気になった。 

 

元の部屋は北向きだが周りに建物がなく空が広く感じた。  

一方、新しい部屋は南向きだが向かいに建物があるため空が半分以上見えない。 

 

「空だね?」と聞くと、祖母はうなずいた。 

 

施設の方も理解してくれて、祖母は元の部屋に戻してもらえる事になった。 

 

それ以来、その場に行ってみないと分からない事があると思うようになった。 

 

よく聞くインドのそれも、そうなのかもしれない。 

 

 

・コロナ前に南インドの田舎の、現地人しかいないエリアに2回行った。数千年行列を作る寺。その中の熱気。道路のうるささ。家の前のマントラ絵。 

 

伝統衣装で御伽話のような不思議な暮らしの人々。スマホ皆無の世界。家族以上の扱いの牛とゴミ以下の扱いの猫。根づき切ったヒンドュー。北インド人と南インド人間のとんでも英語。5人+1匹乗りのバイク。うるさい道路と静かな田舎道。祈りのマントラの声。独特の鎖国感と文化。 

 

いや、言葉で表現しきれないな。降り立ったときから空気が変わってるんだよ。処理しきれない情報と景色と、磁場?空気?あれはよく分からない。頭が静かになる。ひろゆきさんは嫌いじゃないが情報収集で知った感気取って体験しなきゃ知る機会はないだろう。 

 

友人の式が目的で行ったし、人生変わったのは他の国だけど、南インドが別格なのは分かる。行って体質変わるやつもいた。何でだ。今もなお分からない。 

 

 

・私は世界中を旅する番組、よく見るし、旅行した気分になれる。 

 

でも、何か違うんだよな。 

何十年も前の、自分自身で旅行で出かけた海外はとびきりの質感と情報量、忘れられない。 

別にインドでもなく、ごく普通の旅行。  

それでも人生に大きなインパクトを与えたよ。  

モニターの向こう側を覗くのと、実際にそこに降り立つのはレベチ。 

 

例え情報収集してたとしてもと、あの自らが体感する質感は味わえない。 

 

ひろゆきさんの好きだけど、このコメは、残念 

 

 

 

 
 

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