( 151389 )  2024/03/21 14:29:43  
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「ブルーライト文芸」が最近ブームとなっている。

これは読者に寄り添う作品で、出版社も右肩上がりで成長している。

この現象の背景や作り手の声が取り上げられ、ブルーライト文芸が何を意味するのかが考察されている。

日本の書店の歴史から出版業界と読者との距離が離れてしまった経緯も述べられる。

ブルーライト文芸が物理書店に新たな可能性をもたらし、読者と出版社との共感を生む土壌を作り出す重要性が強調されている。

(要約)

( 151391 )  2024/03/21 14:29:43  
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目下、ブームとなっている「ブルーライト文芸」。読者に寄り添うことで、しっかり右肩上がりとなっている出版社もある(編集部撮影) 

 

 今、書店が青く光り輝いている――。 

 

 本連載では、そんな現象を取り上げ、「ブルーライト文芸」と呼ばれている書籍が誕生した背景や、作り手の声をお届けしてきた。 

 

【写真で見る】書店に並ぶ、「ブルーライト文芸」の作品たち 

 

初回:青くてエモい「ブルーライト文芸」大ブームの理由 

 

2回目:「田舎/夏/恋人消える物語」なぜTikTokでバズる?  

 

3回目:「恋空」のスターツ出版がスゴいことになっていた 

 

4回目:ヒット連発「スターツ出版」読者に寄り添う凄み 

 

 最終回となる今回は、ブルーライト文芸の勃興が何を意味しているのか、その点について、これまでの書店空間の歴史から考えてみたい。 

 

■ブルーライト文芸の勃興は何を意味するか?  

 

 これまでの連載での議論をまとめよう。近年、女子中高生を主な対象読者としてシェアを広げつつある「ブルーライト文芸」。その表紙の多くが「青くてエモい」ものであり、また、「田舎」「夏」「ヒロインの消失」といった内容の類似点もある。 

 

 ブルーライト文芸の名付け親でもあるペシミ氏は、伝統的な日本文学の感性とブルーライト文芸との関連も指摘する。決して一つのムーブメントで見過ごすことのできない現象が書店に起きている。 

 

 こうした文芸作品を精力的に出版するスターツ出版は、意識してこうした表紙の作品を作っているわけではない。 

 

 「読者と作家と出版社」の三位一体で本を作ることを意識していった結果、そのようになっていったという。いうなれば、読者に寄り添った結果として、ブルーライト文芸は、偶然生まれたのである。 

 

 こうしたブルーライト文芸の勃興からは、どのようなことが読み取れるだろうか。 

 

 今回は、この点について考えてみたい。ポイントは2つある。 

 

 1つ目は、「出版社が読者に寄り添うことの重要性」、そして2つ目は「いま、物理書店にはどのような可能性があるのか」ということだ。 

 

■「作り手」と「書き手」が近かった、かつての書店 

 

 まず、1つ目の「出版社が読者に寄り添うことの重要性」についてだ。あまりにも当然のことのように思えるかもしれない。しかし、実はこうした読者に密着した書籍作りの難しさは、そもそも日本の出版システムが構造的に抱えてきた問題でもある。 

 

 

 ここで、日本における書店の歴史を振り返ってみよう。 

 

 日本における書店の始まりは、江戸時代の京都に遡ることができる。仏教が盛んであった京都で、仏教についての書籍である「仏典」をはじめとする書籍の商いが隆盛したのである。 

 

 興味深いのは、こうした初期の書店は、書籍の出版・印刷・取次(出版社と書店の間をつなぐ流通業者のこと)・販売、そして古書店や貸本屋(つまり、レンタル)の機能も兼ねていたことだ。 

 

 つまり、現在では分かれている書籍にまつわる役割が未分化で、それによって「専門の作家」「専門の書店」というのもほぼ存在しなかった。現在我々が江戸時代の作家として認識できるような人々も、実は兼業であったり、同時に貸本屋を営んでいたりしたのだ。そのようなわけで、必然的に出版社と読者、作り手の距離が近かったのがこの時代であった。 

 

こうした京都生まれの書店は、その後、上方や江戸にも伝わり、江戸時代全体を通して基本的な書店のあり方となる。評論家の小田光雄は、こうした江戸時代の出版流通システムについて、そこに「親密な書物と読者の共同体」があったという。読者と作り手の距離が近かったのである(小田光雄『ブックオフと出版業界』)。 

 

■なぜ、読者と出版社は遠くなってしまったのか?  

 

 しかし、明治以降、こうした状況に変化が起こる。明治時代になると、いわゆる出版社と書店を取り持つ「取次」が誕生する。これによって、現在私たちが認識している「作者」「出版社」「取次」「書店」「読者」という区分けが生まれてくる。 

 

 最初の取次は、1878年に誕生した良朋堂で、その数年後には現在のような取次のシステムが整えられるようになる。 

 

 とはいえ、まだ明治初期の段階では、江戸時代の出版スタイルを残しているような場合も多く、現代に見られるようにしっかりと「出版社」「取次」「書店」「読者」が分かれているわけでもなかった(小田光雄『書店の近代』)。 

 

 また、おりしも訪れていた大衆社会の訪れとも連動して、「本=商品」であるという認識も強まっていく。その顕著な例が、昭和初期に大流行した「円本」だ。 

 

 

 改造社が初めて発売したこの本は、いわゆる文学の名作を「一円」という安さで大量に売り、それは当時勃興してきた、サラリーマンなどを代表とする中産階級に大きく受容されたのであった。 

 

 戦争を挟んで日本が高度成長に向かう中で、こうした「消費財としての本」はますます大量生産、大量消費されるようになり、そしてそれを後押ししたのが「取次」の存在だった。 

 

 日本では、この「取次」が他国に比べてきわめて高度に発達してきた歴史があり、それによって、全国にさまざまな本が効率よく配本される仕組みが整った。そのため消費財としての本の流通が異例なまでに整ったわけである。 

 

 このように、明治以降、日本における書物の流通システムと書店の変容によって、もともとは読者に近い存在であった出版社や作家が、そこから遠い存在になっていった。 

 

 結果として、作家と読み手が大きく離れてしまったことにより、出版業界にとって、読者の共感を得られやすい作品を生み出す土壌が育ちにくくなってしまったのではないだろうか。 

 

 スターツ出版・代表取締役の菊地修一氏は、その書籍作りの秘訣として、読者と作者、そして出版社が三位一体で読者の等身大に寄り添った作品作りをしていることに求めていた。 

 

 実際、スターツ出版では、自社の投稿サイトを用いて作家を発掘しており、むしろ作家自体が、その投稿サイトの読み手であったともいえる。 

 

 このように考えると、こうしたスターツ出版の仕組みは、案外、江戸時代などの出版流通の仕組みに、ある側面では近いといえるのかもしれない。読者と作者、そして売り手が渾然一体となり、それによって、読者の共感を得られやすい作品が生まれてくる――。 

 

 もちろん、これはあくまで比喩的な類似を指摘したまでだが、「本が売れない」と嘆く前に、もう一度、出版社や編集者、そして書き手が「読者」のほうを向いているのか、読者と等身大で作品を作ることができているのかを考える必要がある。 

 

 

■「リアル書店」という「偶然の出会いの場」 

 

 ブルーライト文芸の勃興について、筆者が思うことの2つ目が、「いま、物理書店にはどのような可能性があるのか」ということだ。 

 

 菊池修一氏は、ブルーライト文芸のような表紙がキラキラした本が書店に置かれていることで、その前で人々が立ち止まったり、それをきっかけに人々が書店に足を運ぶとインタビューで述べていた。 

 

 今回の記事を書くために、筆者は都内にあるいくつかの書店を実際に巡ってみたが、たしかにこうした青い表紙の本は書店の中でも異彩を放っているし、これが本屋への誘引力の一つになっていることは間違いない。 

 

 ここで私は、青くキラキラした表紙に惹かれて書店空間に入っていくという、一種の「偶然性」が生まれていることに興味をそそられる。 

 

 下北沢B&Bの設立に携わった嶋浩一郎は、『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』の中で、物理書店の面白さについて「自分の興味の範囲になかったものに出会える」ことを挙げている。 

 

 ネット空間では、目的の商品まで最短距離で到達することが可能だ。検索欄に言葉を入れて、調べればすぐに目当ての商品を買うことができる。 

 

 しかし、そのように「目的のあるもの」ではなく、むしろ、これまでの自分の好みになかったものや、自分の思考の外側にあるものに出会わせてくれるのが物理書店だと、嶋は言うのだ。 

 

 ブルーライト文芸が、その美しい表紙によって人を書店空間へと誘っていることは、まさにこうした物理書店が持っている「偶然性」というパワーを最大限活用しているように思える。そして、そこに吸い込まれた人々は、今度はブルーライト文芸以外の書籍に出会うかもしれない。 

 

 そのような意味で、こうした表紙は物理書店という空間の面白さを最大限にまで高めている。 

 

 出版関係者と話していると、「本は中身が大事」という人が多い。近年ではそこまで露骨ではなくなってきたが、それでもやはり、どこかデザインよりも中身のほうが重視されがちな現状はあるだろう。 

 

 もちろん中身も大事だし、充実した中身があってこその書籍であることには間違いない。しかし、それと同じぐらいに、そのデザインもまた重要だろう。 

 

 

 
 

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