( 152356 )  2024/03/24 12:51:59  
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学習院大学を卒業した愛子さまの卒業式について、メディアの報道と記者会見の様子が描かれています。

愛子さまは卒業について感謝の気持ちを述べ、コロナ禍での学びや将来の勉学について語りました。

記者会見では1つの質問だけが許されたが、その質問は具体的で幅広い内容でした。

記事では他の princess たちの記者会見と比較し、愛子さまの回答がどう受け取られるべきかについて考察しています。

(要約)

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撮影/JMPA 

 

 愛子さまが学習院大学を卒業した。振袖にはかま姿でメディアの前に立ち、「大学生活を振り返られていかがですか?」という問いかけに、「たくさんの新しい学びを得て、充実した4年間を過ごすことができました」と答えていた。 

 

【写真】よくみると天皇家の「菊紋」が!愛子さまの本振袖 

 

 振袖には華やかな柄が描かれていて、愛子さまによく似合っていた。はかまとの色の調和も素敵で、そんなことを書きたいと思う。が、和服の知識が乏しすぎて表現に詰まり、現場にいた記者たちの記事を参考にしようと思い立つ。探してみた。結果、テレビ局も新聞社もみんな「桜色の振袖に、紺(色)のはかま」と表現していた。え? 現場で記者がそれぞれに、「桜色だ!」と思ったのかもしれない。が、元新聞記者である私は、直感的にこう思った。宮内記者会、握ったな――。 

 

 記者なら、愛子さまの姿を描写しようと思うはずだ。だが、着物に慣れている記者は少ない。「ねー、どうする?」。愛子さまが立ち去った後、誰からともなくつぶやく。「桜色って、感じ?」。誰かが答える。「あ、いいね。それでいく?」と反応があり、「いく、いく」と広がる。「はかまは紺色だよね?」と誰かがつぶやく。「うん、うん」と誰かが返す。そして、「桜色の振袖に、紺(色)のはかま」が並ぶ。 

 

 以上、すべて想像、否、妄想だ。一応、記者クラブ体験をもとにしているが、それも20年以上前の話だ。ちなみに毎日新聞は、「薄いピンク色の振袖」と書いていた。何とか「桜色」でない表現を模索したかとも思うが、単にそう見えただけかもしれない。 

 

 と、余計なことを長々書いたのには、理由がある。卒業式に合わせて、愛子さまの感想を各社が報じた。宮内記者会の質問に文書で回答したもので、各社がネット上に全文をあげている。読んで驚いた。質問が1問だけなのだ。 

 

 小室眞子さんは2014年、佳子さまは19年、国際基督教大学を卒業した。それに合わせ、2人とも同じく文書で答えている。が、記者会はどちらにも5問ずつ質問している。佳子さまの有名になった「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」はこの時の答えだ。記者会が「眞子さまは、結婚に関する儀式を延期されていますが、家族としてどのように受け止めていらっしゃいますか」と尋ねたのだ。 

 

 それなのに、愛子さまにはたった1問。この驚きと残念感が、妄想の根底にある。 

 

 

 というのも眞子さんと佳子さまの例にならうなら、<質問→回答>は大学卒業が最後なのだ。天皇陛下と秋篠宮さまは、誕生日に会見を開く。皇后雅子さまの誕生日は「ご感想」だが、紀子さまは質問に文書で答える。だけど眞子さんと佳子さまの誕生日には、側近が「近頃はこんなふうにお見受けします」と記者会に説明するだけ。そして結婚の日には<質問→回答>になるのが通例だが、いろいろありすぎた眞子さんは文書を読んだだけだった。 

 

 つまり愛子さまとの<質問→回答>は結婚を別とすれば、これがラストチャンスなのだ。それなのに、たった1問って……とごちゃごちゃ書いたが、記者会が自発的に「1問」としたとは思っていない。宮内庁との事前の打ち合わせの結果、「1問」になった。たぶんそれが正解だろう。 

 

 というのも1問だが、それにしてはこまごま聞いている。「大学卒業を迎える現在の心境」について問うのだが、「大学生活で印象に残った出来事」「友人との思い出」「卒業論文の内容や苦労した点」と具体的にあげて回答への補助線を引いていた。「将来的な希望」にも話を広げ、「海外留学、大学院進学」についても尋ねていた。1問という制約の中で、できるだけ具体的に答えてもらいたい、話を広げたい。そういう記者の思いが感じられる構成だ。 

 

 さて、愛子さまの回答だが、冒頭は能登半島地震についてだった。亡くなった人、被災者を思い、復旧・復興を願う文章で、このことを報じるメディアも多かった。そこから卒業にあたっての心境になるが、まずは感謝の気持ちからだった。先生、職員、大学関係者、友人、最後に天皇皇后両陛下。その順番で「心からの感謝」を述べた。 

 

 その上で、コロナ禍のオンライン授業からキャンパスに足を運べるようになるという「転換期」を経験したと4年間を振り返り、当たり前だったことがいかに尊いことだったか実感したと表現した。卒論は「式子内親王とその和歌の研究」で、「特に締め切りが近づいた昨年末は、気が遠くなるような毎日を過ごしておりました」と明かした。提出し、「ほっとした気持ちと同時に大きな達成感がありました」とし、指導教官らへの感謝を述べた。 

 

 留学など「将来の勉学」については具体的には考えてないとし、4月から日本赤十字社に非常勤職員として勤めることに触れ、「少しでも社会のお役に立てるよう、公務と仕事の両立に努めていきたいと思っております」で締める。そういう回答だった。 

 

 

 二十歳になったときの記者会見同様、よく練られた上々の文章だった。気配りができて、とても賢い女性だということがわかり、成長するさまも伝わってきた。だけど、どうもすっきりしない。愛子さまの良いところしか見えてこないというか、それで全然よいのだけれど、でも本音が見えないというか、愛子さまってこういう人なのかという腹落ち感がないのだ。 

 

 同じく「天皇家の長女」だった黒田清子さんは、どうだったのだろう。そう思ってあれこれ探したら、TBS NEWS DIGの「皇室アーカイブ」に学習院大学を卒業した清子さんの記者会見の映像(1992年)があった。紙を手元に置くことなく、質問者の方を見て、ゆっくりと丁寧に答える清子さんの映像を見ると、愛子さまの20歳の会見が思い出される。が、記者の質問は愛子さまへのそれよりもずっと幅広い。 

 

 1問目は「大学生活を終えるに当たっての心境」、2問目は「卒業後の進路」に加え「成年皇族として皇室のあるべき姿、自分の役割」を聞き、3問目は「心動かされる男性と巡り合ったことはあるか」に加え、「理想の男性像、結婚観」も尋ねている。3問目は令和の今だから「不適切」案件かもしれない。だが清子さんはユーモアを交え、巧みに答える。2問目では両親(現在の上皇さまと上皇后さま)の日々の様子を語った上で、「常に心を寄せ続けるという姿勢が、皇室のありようの根本にあるのではないかと感じました」と述べていた。映像はここまでだが、『紀宮さま御歌とお言葉集 ひと日を重ねて』を読むと、眞子さんが生まれて「叔母になっての感想」や「理想の女性像」なども聞かれていることがわかる。 

 

「結婚の時期、理想の男性像」に加え、「お相手はいらっしゃいますか」と聞かれたのは佳子さまだ。「相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません」が回答だった。清子さんはもちろん、眞子さんと比べても、このきっぱりとした答えは新鮮でカッコよかった。今、佳子さまがジェンダー平等に関わる公務をたくさんしているのを見るにつけ、「ああ、あの時の佳子さまは、ここに来たのか」と思うのだ。 

 

 

 だから愛子さまに「理想の男性像」や「お相手」を聞いてほしいと言っているのでは全くない。だけど、何と言うか、宮内庁も宮内記者会も、結果的に愛子さまを「超・箱入り娘」にしてはいないだろうか、と思うのだ。 

 

 現在の皇室は、大変さまざまな問題を抱えている。次代を担う男性皇族が悠仁さましかいないというのは、喫緊の課題だろう。大学卒業時、眞子さんには「女性宮家の創設」、佳子さまには「皇族の減少など皇室の課題」について尋ねる質問があった。どちらも「制度についてのことなので控える」という回答だったし、愛子さまに聞いたとて同じ回答になることはわかっている。が、わかっているということと、最初から聞かないということは違うのではないか。元新聞記者として、そんなふうに思う。 

 

 愛子さまの卒業を伝えるWEB女性自身の記事が、「すごく素敵で気品あふれる女性になられましたね」「尊すぎて涙が出てくる」など「ネットやSNSの反応」を紹介していた。愛子さまが「超・箱入り娘」であることが、今の皇室と国民をつないでいる。そのことを宮内庁も宮内記者会もよくわかっている。だから、あれこれ聞いてそれ以上の愛子さま像になるより、「1問」で国民の期待する像を伝えられればよい。そんな気持ちになったのではないか。そんな想像もしている。だけど、そういうつながり方でいいのかな、皇室と国民は、とも思う。 

 

 4月から愛子さまは働き始める。仕事をするとは、自らの足で歩くことだ。「超・箱入り娘」からの脱却を、愛子さまが望む。そんな日が来るかもしれないと、少しだけ期待している。(コラムニスト 矢部万紀子) 

 

矢部万紀子 

 

 

 
 

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